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10. 猛襲、定期試験! (後編)

 三河広章(みかわひろあき)。四十五歳、独身、みずがめ座。数学に人生を捧げる、高校教師である。彼の人生観は、すべて数字と公式、そして複雑な方程式で構成される。日々の暮らしも、生徒への教育も、お弁当のおかずでさえも。そんな彼のことを人はこう呼ぶ。

「ヒステリスト三河」!!

 とまあ、男の子の好きそうな特撮ヒーローの登場シーンみたいに紹介したけれど、要するにわたしたちのクラスの担任でもある、三河先生という人は、神経質なまでにあらゆることに四角四面で、かつ融通のきかない人なのだ。そして、先生の生み出す試験問題ときたら、引っ掛け問題とマニアック問題のオンパレード。「カルトクイズかよっ!」と思わずツッコミたくなるくらい、難度が高い。おそらく、校内で一番生徒から嫌われている先生だろう。

 ついに到来した試験日。わたしの前に置かれた答案用紙には、誰も想像し得ないほどの難問が並んだ。静まり返る教室に「試験時間は五十分です。それでは試験、始め!」との掛け声とともに、カリカリとペンを走らせる音だけがこだまする。その音に、わたしは焦った。もっと勉強しておけばよかった。お風呂に入って寝てる場合じゃなかったと、おもむろに不安が鎌首をもたげてくる。

 落ち着け、わたし! 赤点ラインさえ逃れればいい。消極的な考え方だけど、怯えていたら始まらない。ヒステリスト三河だって、マシーンじゃない。どこかに突破口があるはずだと信じて、ペンを握り締めた。

 複雑に絡み合う、公式。歪曲させられたような、図形。もはや、異世界の敵と戦っているような気分にさえなってしまう。これなら、星座の勉強する方が百倍マシだ、なんて、もしもヒステリスト三河が耳にしたら、烈火のごとく怒るか、あきれ返るかもしれないようなことを考えながら、難問と格闘する。

 あっという間に、試験時間は終了した。濃密にも長い五十分だった。他の教科の試験より、三倍は疲れた気がする。だが、疲れた甲斐あって、夏休み前に発表された成績では、なんとかギリギリ赤点を免れることが出来た。

「マジかよっ!?」

 と唸ったのは、数馬。クラスの半分以上の生徒が、ヒステリスト三河の超難問を前に敗れ去ったのだ。その中の一人が、数馬だった。試験前、余裕なフリをしていたのは、きっと有里香にカッコいいところを見せようと、虚勢を張ったのだろう。だけど、それが裏目に出たのだ。

「残念だったわね。がんばってね、夏季補講」

 と、わたしはエールを送る。わたしたちの通う高校では、再試験は実施されない。その代わり、赤点を取った者たちには、もれなく「夏季補習講座」の招待状が送られる。それは、楽しいパーティなんかじゃない。お盆休みを除く、夏休みブチ抜きで、補講に出席しなければならない。その悔しさといったらないだろう。特に数馬の場合、他の教科の点数だけなら、わたしを上回るのだ。

 だけど、古来より「死して屍拾うものなし」と言う。だからわたしには、皮肉のようなエールしか送ることは出来ない。

「折角、有里香と仲良く一緒に勉強したのにね」

 と、わたしが付け加えると、数馬は驚きの眼を見せる。

「何で知ってるんだよ。俺が、有里香ちゃんと一緒に勉強してたって!」

「わたしは何でもお見通しだよ」

 ニヤリと口角を上げながら、数馬をからかってやる。本当は、図書館で見かけたからで、別に神通力とか使ったわけじゃない。

「いや、あれは、その、仲いいとかじゃなくて、違うんだ。有里香ちゃんが困ってるみたいだったから……」

 何故だか、数馬が言い訳するみたいに慌てふためく。わたしは、そんな数馬を無視して、

「ふうん、さすが、有里香の王子さまだね、数馬。でもさ、赤点とったなんて、有里香に知られたら、幻滅されるかもよ。気をつけてね」

 と、軽く数馬の肩を叩いてやった。あのメールを読む限り、赤点とったくらいで、有里香が幻滅するとは思えないけれど、幼馴染としての精一杯の忠告だ。なんたって、わたしは有里香の恋愛を応援してるからね。などと思っていると、その有里香も、なんと数学で赤点を取ってしまった。

 有里香のクラスを担当する、小牧先生という人は三河先生に対して「仏の小牧」と呼ばれるほど、優しい先生なのだ。にも拘らず、有里香は見事に数学を落としてしまった。

 これはいよいよ、運命なんじゃない!?

 試験の前に、「あんたたちが数学で赤点とったら、大笑いしてやるからね」と有里香には言ったけれど、大笑いするどころか、驚きが隠せない。「もしかして、わざと?」なわけはない。少なくとも、生徒が口を揃えて嘆き悲しむ補講は、有里香にだけは夢のような時間になるかもしれない。

 こうして、命運の暗明を分けながらも、ついに、待ちに待った高校生活初の、夏休みがはじまった! 高校生の夏と言えば、やりたいことが沢山ある。そのどれもが、他人からみればくだらないものでも、本人にとっては大事なものなのだ。例えば、「ダイエットするぞ」とか「部活に打ち込むぞ」とか、「友達と旅行に行くぞ」とか。変わった所では「ダラダラ過ごす」というのも、夏休みの目標だ。

 わたしとしては、もっとヒロ先輩に接近したいと思う。せめて、「北上さん」ではなくて「理沙」と呼んでほしい、とかそんなことを思い描いていた。

 ところが、わたしの夏休みは、国木田部長の血も涙もない、残酷な一言で始まった。

「これを、夏休みの間にパソコンに打ち込んでおいてくれ」

 と、わたし部室に呼びつけるなり、言い放つ。そして、わたしの前には、部長の私物であるノートパソコンと、辞書ほどの厚さがある紙の束がどん、と置かれた。それは、星見会でわたしたちが、星座の軌道を記録した、観測用紙だ。

 まあ、そのほとんどは、ヒロ先輩が書きとめたものといっても過言ではない。わたしが眠りに落ちたあと、先輩はわたしにも毛布をかけてくれた。そして、たった一人で日が昇るまで、星座の軌道を観測し続けていたのだ。その努力たるや、さすがはヒロ先輩だ! と思いたくなるけれど、目の前に積み上げられた現実を目の当たりにすると、少しばかり切ない気持ちになってくる。

「どうして、わたし一人でまとめなきゃならないんですか?」

 どうせ言ったところで、国木田部長の考えは変えられないだろうけれど、一応抵抗を試みた。すると、先輩は深くため息を吐き出した。

「そりゃだって、英妹も河瀬も補講に行ってるし、英兄には別の用事があるからな……手が空いているのは、北上、お前だけってことだ。恨むなら、英妹と河瀬を恨め」

「部長は手伝ってくれないんですか?」

 さすがに、補講で悲鳴を上げているかもしれない友人たちを恨む気にはなれないわたしは、ややジト目で、先輩に問いかけた。すると、部長は事も無げに、

「俺もいろいろと忙しいんだよ」

 とあっさりと答える。こんなことなら、わたしも赤点とるんだった。思わず、補講とこの地味で大変な作業を秤にかけてしまう。そして、どちらが良かったとは言い切れないことに、やるせなくなってくる。

「まあ、手が空いたら、俺も英兄も手伝ってやるから」

 部長は確約のないことをのたまうと、わたし一人蒸し暑い部室に取り残し、出て行ってしまった。わたしはため息混じりに「仕方ないか」と呟き、早速作業に取り掛かることにした。

 だけど、十分で根を上げたくなる。もともと、ブラインドタッチなんて出来ない身としては、パソコンのキーボードを叩くだけでも、面倒極まりないというのに加え、表にただ、数値と文字を打ち込んでいく作業は、試験勉強に輪を掛けて、退屈でつまらない。

 そして、更に最悪なのは、部室の中がサウナと化していることだ。もともと、コンクリートむき出しの部室棟は「夏暑く冬寒い」という建物なのだ。大昔に作られた宝物殿だって、校倉(あぜくら)造りとかいう、通気性と保温性に優れた建物だって言うのに、この建物が果たして二十一世紀の建造物なのかと、誰に向けるでもない怒りが沸いてくる。

 わたしは、我慢できずに立ち上がり、部室のドアと、窓を開け広げた。すると、部室のよどんだ空気が夏の風に飛ばされ、それと同時に、グラウンドの方から運動部の練習する掛け声と、ブラスバンド部の金管楽器の不ぞろいな音が聞こえてくる。

「炎天下の中より、マシなのかな……」

 わたしは、そう呟きながら、腹の立つくらい透き通った夏空を見上げた。

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