「君を愛するつもりはない」って言われるのを待ってるんですけど?
ご覧いただき、ありがとうございます。
夜は誰にでも平等にやってくる。
昼間に誰ともわからぬ人との婚姻届にサインをし、見ず知らずの館に一人、取り残された私にも。
用意された客間には水回りも併設されており、これまた見知らぬ人々の手により表も裏も上も下も綺麗すっきり磨きあげられ、柔らかな素材で作られた寝着に包まれ、グラスに注がれた薄目の果実水を持たされ、客間に放置されて今に至る。
さて、どうしたものかと、ソファに身体を委ねてからどれくらい経っただろうか。
テーブルには軽食が用意されている。
美味しそう。これ、食べてもいいかしら。
今朝、叩き起こされると同時に伝えられた、突然の婚姻。ろくな荷物も持たされず、出荷されるかぼちゃのように馬車に乗せられ、あれよあれよと流されるまま、云われるままに全てが進み、今に至る。
起きてから私の身の回りの変化はまさに『怒濤』としか表現できず、現時点で何がどうなっているのかも正確に把握しきれていない。
混乱した気持ちはとりあえずは落ち着いたものの、
穏やかに過ごせるか、と聞かれたら返事に困る。
わかっているのは、私が結婚させられたこと、まだ見ぬお相手が、恐らくは実家よりかなり、数段は裕福そうであること。私に用意されたこの客間?がすこぶる居心地よいこと。そして手にある初めて飲む味の果実水が美味であること。
「あとはこの……何かしら、これ。この美味しそうなものが見た目通りか確かめたいわ」
私の目はテーブルの軽食に釘付けだ。
「……確かめればよい」
「そうよね、いただきます……あら、美味しいわ、やっぱり」
ピンで纏められた野菜と小さな肉片とをまとめて口に入れてピンを外すと、もぐもぐと咀嚼する。
町の屋台で売られている串焼きを食べるのと同じ要領で食べてみたが、その味わいはまるで違う。
甘酸っぱいソースの絡んだ柔らかい肉片とシャクシャクとした新鮮な野菜の歯触り。
うん、本当に美味しいわね、想像以上ね。今日は何も食べていなかったから、空腹も限界だった。
もうひとつ食べようかしら。
あら、私ったら
「誰かと話した気がするわね?」
誰かしら?屋敷妖精かしら?
そうね、今度はこの赤い野菜の刺さったピンのものにしましょうか?それともこのオレンジピンクと白の縞模様?これは何かしらね?
まぁ、これも美味しいわねぇ。この縞模様のやつ、何かしらねぇ、とても美味しいわねぇ。
あらやだ、手も口も止まらないわ。
心の中が『美味しい』で満たされた頃、背後から咳払いが聞こえた。
このお屋敷の屋敷妖精はおっさんなのね?と、音のした方を振り返った。
「足??」
妖精がいるだろう場所には人の足が二本、にょきっと生えていた。背筋がゾクッとする。
人がいる!
私の手には野菜と肉片を留めていたピンしかない。武器としては弱すぎる。というか武器にもなるまい。
ゆっくりと視線を上に動かすと、誰かがベッドの端に腰かけていた。
「だれっ!」
「……アーノルドだ」
思わず尋ねてしまったが、返事があった。
しかし聞いたことない。
「だれよ、アーノルドって」
「…………ここの主だ」
明かりのない薄暗いベッド側なので、姿もはっきりしない。
しかし、私は今日、この屋敷の主と婚姻を結んだ。
用意された書類にサインをしただけのそれだったが、相手の名前を確認していなかった。そもそも本人不在だったし。
ここの主と名乗る以上、私の結婚相手なのだろう。
……客間じゃなかったのか。
「はじめまして、こんばんは。ソフィアです」
私はソファに腰かけて振り返ったまま、居住まいを正すことなく肩越しに端的に挨拶をし、視線を軽食へと戻す。
お皿の中身は半分ほどに減っている。
「…………。……召し上がりますか?」
しぶしぶ問うたのが伝わっただろうか。
「いや、いい」
お断りいただけた。やったっ!
では遠慮なく、と、お皿に再び手を伸ばすと、背後から再び咳払いが聞こえた。
仕方がないので、再び首だけ振り返る。
「君は……いや、夜だ」
「そうですね、夜ですね」
空腹でも、疲れていても、知らない男がいても、夜は来る。
「……結婚して、最初の夜だ」
「そうですね、もう夜ですからね」
ちょっと首が痛くなってきた。
「あの、こちらいらっしゃいませんか?」
首が痛くなったので、は、なんとか言わずに堪えた。言わない方がよさそうだったので。
「いや……いい」
何だろう。はっきりしないなぁ。
わたしは痛くなった首をほぐすように捻りながら考えた。
…………!!!
そうか!アレね!
だから昼間はお留守だったのね、不本意でしたのね。
私は半身を捻って、ソファの背もたれにしがみつく勢いで……実際にしがみついたらきっと令嬢的によろしくないので、そこは我慢して、さっさとコトを終えて頂くことにした。お皿に残っている続きを憂いなく堪能したいので。
「あの、構いませんので早くはっきり言ってくださいませ!」
「な、何を??」
「巷で流行っているらしい、アレですわ!」
「な、何だ??」
「ほら『君を愛するつもりはない』ってやつです」
「なんだって!?まさかそんな」
なぜかしら、なんだか声音が慌てていらっしゃる。
「大丈夫です。衣食住が確保できればそれでもう十分なので。叶うことならば、三食昼寝とおやつ付きなら五ツ星待遇ですわね」
「ーーーーッ!だから!」
「あ、誤解なさらないでくださいね。大丈夫です、弁えておりますから。豪遊したいとか、散財したいとか、そんな分不相応な望みはありませんわ。適切な、なんなら庶民寄りでも大丈夫です。おやつもリンゴとかでもう、十分なので」
実家の裏庭に植えられていたリンゴの木を思い出した。あの子には随分と助けられたなぁ。貴重な癒しだった。
「な、リンゴ?!」
「あら、リンゴダメでしたか?一個だなんて我儘申しませんわ。半分でも……いいえ、更にその半分でも受け入れます」
「いや、リンゴは構わないが……」
よかった。おやつまでは確保できた。
これを極楽と言わずして何と言えばいいの??
あとは寝床の快適さを確認したいところだけれども、この豪華な客間、じゃなかったか、夫婦の寝室?を思えば、実家よりも悪環境ってことは早々なかろう。なので、そこは推定良好ってことでいいわね。
「では、そういうことで」
交渉が上手く纏まって本当によかった。
さぁ、さっさとお引き取りくださいませ。
私はおもむろにテーブルに向き合うと、お皿に残された軽食に心を移す。
この、薄いパンに色々と何かが挟んで塔のように積み重ねられたものはどう食べたらいいのかしら。これもピンで留めてあるから、ピンを持って食べるのよね??
でもなんだか食べにくそうね。ものすごく美味しそうなのに。
「そのまま手で掴んで食べればいい」
私の書類上の結婚相手は、思いの外、背が高かった。
彼はテーブルの反対側に立つと、お皿の上のパンの塔を手で摘まむとピンを外し、ひょいっと大きな口に全てを放り込んだ。
「……召し上がらないって仰ったわ」
「いや、これは……君が困っていたようだから……」
「……こちらにいらっしゃらないとも」
「…………すまない……」
「そちらについては怒っておりません」
パンの塔を黙って盗った件は許す気はないですけどね!
「あーー……ソフィア……ソフィア嬢……」
「お掛けになったらいかがですか?」
「あ、うん……」
向かい側に置かれた小ぶりなスツールに、大柄な体躯を縮めるように、ちんまりと腰をおろした。
テーブルに置かれたランプに照らされ、この屋敷の主の顔がよく見える。
「まぁご主人様、大層な美丈夫でいらっしゃいますのね」
想像していたようなおっさんではなく、私よりも少し年上の、特級の美丈夫だ。
「……そう直接的な言われ方はなかなか無いが、ありがとう?なのかな?」
「別に誉めたつもりはありません。事実をお伝えしただけですわ」
このお顔とこの家の裕福さなら相手に困らないだろうに。わざわざ問題ありと評判の私を娶る理由がわからない。
「やはり例の、流行りのアレですわよね?」
「……ソフィア嬢、一旦、その思考を忘れてくれ」
「これが一番、理に適っておりますが」
「いや、適っていないから。忘れて」
「では、人違いでしょうか?」
「ソフィア・シャルダン伯爵令嬢。間違えていないよ」
いかにも。今日の昼過ぎまではソフィア・シャルダンでしたわ。
目の前の美形は、ため息をつきながら、眉間を揉みほぐしている。
くそう、いい顔だな。いろんな事をうまい具合に誤魔化せそうな顔だ。騙されないぞ!
「わたくし、自分で言うのもなんですが、なかなかの評判ですわ」
「うん、ただの噂だろう?私も似たようなものだ」
「存じませんわ。疎いもので」
「そうか。冷血漢だとか、悪人顔だとか言われている」
「そうなんですか?」
「まぁ、自分の事を良く言うのは難しい」
そう言いながらくしゃりと崩された表情は、なんとも情けなくひきつって、ぎこちない雰囲気で。
なるほど、悪人顔。こんなに整った美形なのに。
「笑顔がなかなか、残念でございますわね」
「君、辛辣だね」
「事実を申し上げただけですわ」
あまりお話が進展しないので、私は軽食の誘惑に抗うことを止めた。
お皿の上の、淡い緑色にピンク色の薄いものが巻かれているピンを手に取り、口に運ぶ。
驚いた!驚いた!なんという美味!塩気と、まったりとした口当たりと、噛めばじわりと旨味が広がる。
これは、明日からの三食おやつへの期待値が爆上がりですわ。
「アボカド生ハムが気に入ったのか」
「あぽ……?」
「アボカド、生ハム。海の向こうの国から輸入してる。うちはそういった輸入品も多いから」
「そうなんですね。はじめて食べました」
というか、お皿に乗ってるもの、ほとんどが初めて食べるものだったわ。
「……うちのものは、君がこれらを食べるとは思ってなかったはずだよ」
「え?こんなに美味しいのに?」
というか、パンの塔の件はまだ許してませんけどね。全部食べたかった、全部!
「食べ慣れない海のものや輸入食材ばかりだろ?」
「貴重な食材ってことですわね」
変わらずぎこちなく崩した表情で、皿に手を伸ばそうとしてくるので、そっと皿を私の近くに引き寄せた。
ちゃんと私は「召し上がりますか?」って聞いて、あなた、お断りされましたでしょ?
じろりと厳しい視線を投げると、笑顔が残念な男は、ふっと軽やかに息を吐き、両手で頭を抱えるように項垂れた。
「……海のものは、下賤な食べ物だと王都では言われているだろ」
「わたくしは存じませんわ」
美味しい。とても美味しい。私が知ってるのはこの事実だけ。
しかもここは海に面した件の領地ではなく、王都のタウンハウスだ。わざわざ貴重な領地産の食材を使った軽食の意味を考える。
良い意味も、悪い意味も。
「ご主人様のお噂も存じませんが、きっとその噂は真実ではありませんわね」
「なぜ?」
頭を抱えたまま、ちょっと鋭く上目使いに私を見上げてくる。
笑顔は残念なのに、そういう表情はとてつもなく色気がある。恐ろしい。ちょっとよろめきそうになるわ。
「これを用意した調理人、部屋に運んだメイド。彼らはわたくしがここにいることに、さりげなく不満を表したのですね。ご主人様、使用人に愛されてますのね。冷血なんて、とてもとても」
私がこれに手をつけなければ、この色男が手をつけただろう。食べ慣れた、領地の味を。
私には嫌がらせ。主には癒し。
なんとも心憎い演出だ。やるな、ここの使用人。
「傲慢、強欲、飽食、色欲。わたくしの名前に付く冠ですわ。貴族なら誰でも。各家の使用人ですら知ってますわ」
傲慢のソフィア、強欲のソフィア、飽食のソフィア、色欲のソフィア。
これが全部、私の評判。よくある名前なのに、全部私。悪名高すぎますわ。
悪いことは、いけないことは、全部ソフィアのせい。
影で散々に遊んでいた異母姉妹が、自分たちの市場価値を下げないために『ソフィア』を名乗っていた。私がそのことに気づいたときには『ソフィア』の悪名は、しがない庶子の手には負えない高さまで昇っていた。
異母なのに髪の色も瞳も面立ちも、三姉妹揃って見事に全員が父親似だったことも運の尽きよ。
「私は君のことをちゃんと知っていたから」
おや、急展開。
「まさか、ご主人様。これって契約の偽装婚ではありませんの?」
「そんなこと、一度も言ってないだろ?」
「婚姻届への署名すら、わたくし一人でしたのに?」
「魔物が出たからね、討伐に行ってた。って聞いてない?」
「ええ、何も」
というか、説明されても耳に入った自信ないわ。昼なら混乱も空腹もピークを越えてただろうから。
「君、私の事、もしかして誰か聞かされてない?」
私の、婚姻相手でございましょ?
「お名前が、アーー……アーヴァイン」
「アーノルド」
「あ、それですね」
「アーノルド・サザンシュタイン」
「あ、それは何となく聞き覚えが。なんか引っ付いちゃいましたわね」
「第二騎士団の副団長やってる」
「副団長」
団長の次。あら、偉いお方なのね。
「ちょっとだけ偉いから、有事の時に抜けられなくてね。申し訳なかった」
「騎士団って、騎士さまなんですか?」
「そう……て、そこ?」
「騎士さまだから冷血、とか言われるんですか?」
「うーん、見た目かな?」
「なるほど、ちょっと冗談が通じなさそうですものね、笑顔も微妙ですし」
「微妙……」
目の前の美丈夫は眉間にシワを寄せ、苦いものでも噛んだような顔をした。
テーブルに置かれたランプがいい働きをして、表情に陰影をつける。
おお、美形の苦悩顔ーー!
笑顔以外は、本当に美しい顔だ。
返す返す、惜しい。なぜ笑顔が残念なんだ。
普通なら笑顔で逆転、あるいは加算だろうに。
「ともかく、はじめましてですわね」
「君、社交界にあまり出てこないものね」
「『ソフィア』は社交界で有名でしたでしょう?」
「君じゃないよね、あれ」
「……なぜ?」
「君さ、ちょっとずれてるんだよ。昔も、今も」
「ずれて……?」
「あ、いい意味で。たぶん。社交界で有名な『ソフィア』は、良くも悪くも『貴族令嬢』だったからね」
「わたくし、庶子ですけれどもきちんと令嬢教育を受けていますわよ?」
心外だ。まるで私が令嬢ではないみたいじゃないか。
父親である伯爵は、義務的なことは最低限は施してくれた。着るもの、食べるもの、住むところ。そして教育。使用人より多少は良くて、異母姉妹より大分悪くて。奥方様はそれが本当に気に入らなかったんだろうけど。
だから真綿で首を絞めるように、じわり、じわりと私の立場を隅へと追いたてたんでしょうね。
あからさまな虐待はなくとも、存在しないものとして扱われるのはなかなか精神的にくるものがある。
そのせいか、私は一人遊びが得意だったし、誰かに友人だと紹介できる相手もいない。
「君、私たちには見えないもの、聞こえないものがわかるよね」
「なんの事でしょう」
それは、異母姉妹も知らないのに。
正直、噂されてる悪名なんかより、よほど知られたら困る話だ。
「君が幼い頃に、話したことがあるんだ」
幼い頃。記憶にはない。というか、幼い頃は放置されていてかなり自由に振る舞っていたから、正式な場には出ていないはず。
「私が迷子になってね、君の家で、何かの集まりで。リンゴの木の下に君がいた。白いリンゴの花が咲いていて。幼い君が言ったんだ。今年の夏に海が荒れるってリンゴのお花が言ってるって」
そんなこと、あっただろうか。
幼い頃ならあったかも知れない。
リンゴのお花はいつだってお喋りだし、少し先の事を話す。
それを言ってはいけないことだと父に言われたのは、いつだっただろう。
「本当なの?って聞くと」
目の前の美丈夫がふふっと思い出し笑いをする。
涼しげな美形が花がほころぶように笑う。
とは、ならないのがこの人の面白いところだ。
どう笑っても笑顔が残念だ。美形なのに。
そんなどうでもいいことを考えてしまうほどに、思いもよらない話の展開に気持ちがついていけずにいる。
「君はとても嬉しそうに言ったんだよ。ソフィアのお名前は賢い子って意味よ、賢いから本当よって。そう言う君は、とてもかわいかったよ」
幼女趣味、キモい!とか一瞬思ったが、私が幼女ならこの人はきっと膝小僧を出してた美少年だったであろう時代だ。
セーフだろう。きっと。微笑ましい感じのやつだ。
「今もなんか面白いこと考えてるでしょ」
「幼女趣味キモい、とか、膝小僧の美少年とか」
あ、しまった、言ってしまった。
かつて膝小僧を出してた(であろう)美少年だった人は、少し困ったように口許を覆い、目を細めた。
なんかすごい柔らかい表情してるんですけど。
悪人顔とか、どこにいったんでしょうかしらね?
「私は父親に君の予言について相談してね。どうにも気になったから。そうしたら、本当にその夏、海が荒れてね。事前に対策していたから、被害は抑えられたんだよ。君のお陰でね」
リンゴのお花の言うことを他人に話したのなんて、何もわかっていなかった、本当に幼い頃だけだろう。もちろん記憶なんてない。
「そんなことがあったんですね」
「そう。だから、それ以来、とにかく君が気になって。ほんの少しの機会でも、いつだって君を探してたし、君を気にしてた」
ちょっとそれは、なかなか、どうして。
「私の知ってるソフィア嬢はね、昔も今も、なんか面白いことをいつも考えてるんだよ。いつだってそういう顔をしてる」
顔をしてる。
些細な表情の変化まで見られてるということだ。
「表情を取り繕うの、あまり得意じゃないよね、きっと」
「そんなことは……」
あるな。
いくら貴族的な教育を受けても、どうしても気が惹かれる存在があちこちにいるし、そっちに気を取られると他が疎かになるのはわかってる。
それに、幼い頃からの一人遊びの弊害か、いつも頭の中であれこれ考えてしまう。
私の令嬢としての仕上がりは、ギリギリな感じだ。
「私の実家はそれなりの家格だけれど、三男だから、私個人には政略的な旨味がなくてね」
「はぁ」
「君が年頃になって、なんだか妙な噂に巻き込まれていたから心配で。だからずっと婚約を願い出てたんだけど、私の親がなかなかよしとは言わないし」
「はぁ」
まぁ、いい噂を聞かない伯爵の庶子だからな。
「昨年、武勲を立てて男爵位を賜ってね。私も成人しているし、実家に関係なく婚約を申し込んだんだよ」
「はぁ」
そろそろ違う相づちを打ちたいところだが、もたらされる驚き情報についていくのに精一杯だ。
「でも君の父君は、男爵ごときって、歯牙にもかけてくれなくてね」
あの男、図々しいな、末端伯爵の癖に!
しかも繰り返すが私は庶子だ。噂も相まって、市場価値なんてそれこそ最安値だろうに。
「正直、申し訳ないけども、たとえ事実でないにせよ、君自身の噂のこともあったから、爵位があれば許可は降りると思ったんだが」
「まぁ、それがまともな感覚ですよね……」
「持参金はいらない、支度金も払うって言ったら、子爵ならばその条件で許すと言われて」
「いや、ホント、図々しい親で申し訳ありません」
血縁上の父親の所業に頭を下げるしかない。
「それからとにかく頑張って、つい先日、子爵に陞爵されたから、再度申し込んで、ようやくもぎ取った婚姻だよ」
あらまぁ。随分と嬉しそうに仰るのね。
話を聞くには、なんたる熱愛。
え?それの相手が私ですか?
「そこまでの情熱を傾ける価値がわたくしにあるとは到底思えませんが」
「うーん、まぁ、膝小僧の少年が幼女に初恋したってことかな」
「え、おもっ」
先程からなんとなく思ってたが、これ、かなり重めの拗らせ系じゃないかしら。
「だから言っただろ?結婚して最初の夜だって」
「いい感じに打ち解けられてよかったですよね?」
「そうきたか。……あっちで、もっと仲良くなるのはどうかな?」
「まぁ……そうなりますよね。夜ですし」
お腹もそれなりに満たされたし。
あ、でも。
「パンの塔を食べられなかったことは、許してませんからね」
「……明日、必ず用意するよ」
「約束ですわよ」
私の夫となった人は、顔をくしゃりと歪めて笑った。
変わらず残念な笑顔が、ちょっと可愛く思えてしまったのは、私だけの秘密だ。
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「君の父君ね、奥方の手前、君には持参金をきちんと用意できないから、生家に入れるつもりの支度金を持参金代わりに、君の財産にしてやってくれって。そういってたよ」
「そうですか。意気地も度胸も野心もない小者ですが、嫌いになりきれないのは、そういうところなんですよねぇ」
「あと、ちょっと浮世離れしてる変わってる子だけど大丈夫か?って聞かれたよ」
「あぁ、あの人は知ってますからね、私にしか見えないものがあることを」
「え、知ってるの?」
「誰にも言うな、父にも言うな、って。小心者だから、手に負えないと思ったんでしょうね」
「利用しようとしないなんて、いいお父上じゃないか」
「まぁ、なにしろいいご縁を結んでくれましたからね、いい父なんでしょうね」
「……君、それは反則だ」
書いてる連載物が思っていたより重くて、気分転換にさらっと書いてみました。