第90話 マスター華子の変なバー6 現地調査
「その頃、私は大学院で研究生活をしてたんですが、ある日、担当教授から革新的都市の現地調査に単身出張してくれと言われたんです。技術促進の仕事をしてる公的機関の職員が案内すると。」
「大学院なんて、優秀な方なんですね。」
「ははは、今で言えばただの建築オタクですよ。
小さい時から、とにかく建物が大好きだったんです。」
「思えばちょっと気になることを教授から聞かれたことを覚えてます。彼女はいるのかとか大病したことないかとか。
まあ、当時研究が忙しくてそれどころじゃなかったし、彼女なんていませんよ、いたって健康ですが研究でクタクタです、と答えたら、教授は黙って頷いてました。」
「ただの調査にしては変ですね。」
「正直、まだ若くて世間知らずだったんで、特に疑問を持たなかったんです。そんなものかなと。」
「それから、しばらくして出張の日がきました。
その朝、その公的機関の職員が車で自宅に迎えに来てくれました。名前は、一応仮名で小宮山としておきます。
小宮山は私より少し年上で、ハンサムな役者みたいな風貌ですが、見かけによらず感じが良い男でした。
車で向かった先は、郊外の研究施設のような建物で桜が満開だったのを覚えています。
敷地に入るゲートに警察官が二人立っていて、警備が厳しいなと思った記憶があります。」
「到着すると、すぐに全身の服を脱いでシャワーを浴び、用意された白い服に着替えさせられました。
さすがにこの辺りで、これは何かおかしいと思って小宮山に聞いたんです。
どうして現地調査にこんなことする必要があるのかと。
すると、彼は言ったんです。
これからあなたが行く先は、すごく清潔な場所なんで防疫上の注意が必要なんですと。
さらに、
選ばれたあなたは幸運なんです。
そこは誰でも行ける訳ではない特別な場所です。
建築工学の世界最先端を見たくはないですか。
お断りいただいても何の問題ありません。
ただ、私個人としては行くことをお勧めします。
何せ、どんな研究者も絶対に行けない場所なんですからと。」
「なんか、絶対に行けない場所なんて、だいぶ不安な展開になってきましたね。
心配とかありませんでしたか?」
「もっと歳をとっていたら、辞退したかも知れませんね。
何せ、防疫上の措置が必要な場所なんて、どんな所か分かりませんし。
でも、その頃の私はまだ若く、野心もあったんで、正直少しわくわくしていたんです。
それに当時はまだ高度成長期、行け行けどんどんって空気もありましたし。
不安より好奇心が勝っていたんでしょうね。」
「それから、血液検査とかいろいろされて、数日後いよいよ出発日となりました。荷物を持ってロビーで待っていると、小宮山が手ぶらで現れたんです。
それで、私は聞いたんです。
小宮山さんは行かないんですか?と。」
「一人ですか?不安ですね。」
「彼はこう答えました。
私は昔そこで生まれたんです。
でも、帰りたくても二度と帰れないんです。
あの素晴らしい故郷に。
だから、あなたが羨ましい。
ご心配なく、入口までは私がご案内します、と。」
「私は彼の寂しそうな顔を見て、話題を変えました。
それで小宮山さん、現地にはどうやって行くんですか?車ですかと。」
「すると、彼はエレベーターを指してこう言ったんです。
ここが入口です、と。」




