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灰色の巨都、ロット・ノット その2

ラガン王国の新首都『ロットノット』。そこは、王族と評議会議員が居を構える静謐な上層地区と、活気あふれる商人の街、そして薄暗い旧市街が渾然一体となった巨大都市である。この街に降り立った23才のラバァル。彼は何か目的を持ってこの地へ潜入し、その冷徹な瞳で街のすべてを観察し、自身の計算のために利用しようとする。


上流階級の洗練された空気から一転、中層階級エリアの喧騒と温もり、そして旧市街の淀んだ空気へと足を踏み入れるラバァル。彼は立ち寄ったパブで、この街の権力構造を支配する評議会、名家の者たちの栄枯盛衰、そしてある不穏な「仕事」の噂を耳にする。それは、彼が世話になった人物と繋がる名家を標的とした、卑劣な襲撃計画であった。


この情報を掴んだラバァルは、迷うことなく陰謀の渦中へと自ら飛び込むことを決意する。襲撃犯たちの懐に潜り込み、裏切り、そして真の黒幕へと繋がる糸口を冷徹に掴み取る。さらに、旧市街で出会った、スラムで生きる子供たちをも手駒とし、この街に張り巡らされた複雑な人間関係と権力闘争の深淵へと、その身を投じていく――。


これは、新首都ロットノットを舞台に、冷徹な策謀家ラバァルが、己の目的のために暗躍し、街の隠された顔と陰謀を暴いていく物語である。

                その99



第一部 ロットノットの喧騒と陰謀


上流階級が住まう静謐なエリアを後にしたラバァルは、石造りの階段を下り、中層階級が暮らす地区へと足を踏み入れた。空気は幾分か活気を帯び、遠くから響いてくる喧騒にも、先ほどまでいた磨き上げられた地区とは異なる、生身の人間の温かみが感じられる。石畳が敷かれた道を、日中の乾いた日差しを浴びながら歩く。ラバァルの頭の中には、ロットノットの街の略図が広げられていた。注意深く周囲の建物の配置や、通りに掲げられた店の看板、時折見かける古代文明の遺跡と思しき風化した石組みなどを記憶に刻み込んでいく。初めて訪れる土地で不用意に迷わぬよう、常に微かな緊張感を保ちながら。


しばらく歩くと、強い日差しに照らされた大きな木製の看板が目に飛び込んできた。≪ナイト・クルーシブル≫――かなり大きな構えのパブだ。重厚な木製の扉を押し開けると、陽気な喧騒と、様々な種類の酒が混じり合った芳醇な香りが、むわっとラバァルの鼻腔をくすぐった。見上げるほど高いカウンターの後ろには、ラバァルがこれまで見たこともないほど多種多様な酒瓶が、百種類近くはあろうかという数が整然と並べられている。金色、琥珀色、深紅といった液体が、店内に灯された魔晶石ランプの柔らかな光を浴びて、妖しく、そして美味そうに輝いていた。


ラバァルは、カウンターの中に立つ恰幅の良いバーテンダーに短く視線を送ると、「エールを一つ。それと、何か適当なつまみを」と低い声で注文した。そして、周囲には特に興味も示さず、空いていた奥の丸テーブルへと足を向け、どかりと腰を下ろす。まずはこの街の情報を集め、地元の人間がどのような生活を送り、何に興味を持っているのか、その現実を知ることから始める。彼の瞳には、常に状況を分析し、利用しようとする計算高い光が宿っていた。パブの中は、外から見た印象以上に広く、吹き抜けの二階席もあるようだ。喧騒の中、ざっと見渡しただけでも、まだ日が高いというのに二百人近い客が、思い思いに酒を楽しんでいる様子が窺える。


しかし、ラバァルがこれまで立ち寄ってきた他の街の酒場とは、客層が明らかに異なっていた。武骨な冒険者風の男たちの姿はほとんどなく、どちらかと言えば、仕立ての良い服に身を包んだ商人や役人風の男たち、あるいはきらびやかな装飾品を身につけた裕福そうな者たちが、酒を片手に商談に興じたり、隣に座らせた美しい女性との時間を楽しんだりしている。そんな中で一人、黙々とエールを飲んでいたラバァルの元にも、すぐに場末の雰囲気を纏った女衒ぜげんらしい男たちが近づいてきたが、彼は値踏みするような視線を冷たく返し、「いらん」と一言で追い払った。持ち合わせの金は、当座の生活に必要な最低限のみ。まだこの街で稼ぎを得ていない今、軽率に女遊びなどに金を使う余裕はなかった。感情を一切排したラバァルの態度に、女衒たちもこの男から金を引き出すのは難しいと早々に悟ったのか、すぐに諦めて他の客へと狙いを移していった。ラバァルは、喧騒の中でエールを呷りながら、当面の拠点として手頃な宿屋をこの新首都エリアで見つけ、そこから地元の情報収集を本格化させることを決めた。


ラバァルがラガン王国の首都『ロットノット』に到着してから、早くも三週間が過ぎていた。朝晩の空気はひんやりとした秋の気配を漂わせ始めたが、その夜もまた、彼は習慣となった夜の酒場【ナイト・クルーシブル】へと足を運んでいた。重い木製の扉を開けると、いつもの陽気な喧騒がラバァルを迎える。彼は慣れた様子でカウンターの隅に腰掛け、低い声でいつものエールを注文すると、静かにグラスを傾けながら、周囲の客たちの会話に注意深く耳をそばだて始めた。雑多な話し声が飛び交う中、ふと「評議会議員」という単語が彼の耳に引っかかった。以前、世話になったジョン・スタート・ベルグから聞いたことのある言葉だ。ラバァルは、エールをゆっくりと味わうふりをしながら、その会話に意識を集中させる。


騒音の合間を縫って聞こえてくる会話の断片を繋ぎ合わせていくうちに、話の輪郭が徐々に鮮明になってきた。評議会議員とは、それぞれが由緒ある家柄の出身であり、長年にわたりこのラガン王国で絶大な権力と富を築き上げてきた者たちの頂点に立つ存在らしい。現在、七つの家がその議席を占め、それぞれが独自の権益を持ち、その巨大な資産は王族を除いては対抗できる者がないほどで、実質的にこの国の経済を牛耳っているという。


そして、その中でも特に古くから議員の一席を占めてきた名門の一つ、【ベスウォール家】が、2年前に家督を継いだ長男が起こしたとされる多数の不祥事をきっかけに、その権勢を急速に失い、没落寸前の状態にあるらしい。このベスウォール家の失墜が引き金となり、これまで均衡を保っていた評議会メンバー間のパワーバランスが崩れ始めた。その隙を突くように、新興勢力である【ムーメン家】が急速に台頭。あろうことか、ムーメン家はもう一つの古参名門である【ゾンハーグ家】と手を結び、同じく名門である【スタート・ベルグ家】を政治の舞台から追い落とし、その評議会の議席をも奪い取ろうと画策している――そんな不穏な噂が、今夜もパブの喧騒の中に真実味を帯びて広がっていた。


ラバァルは、アンドレアス将軍の後援者でもあるスタート・ベルグ家が標的になっている情報を、冷めた頭で分析していた。そんな政治的な噂話に耳を傾けていると、今度はより具体的で、彼にとって直接的な意味を持つ「仕事」の話が、騒音の中に紛れて聞こえてきた。


さらに注意深く耳を澄ますと、「ホスロー」という街の名前が聞こえた。ロットノットから北へ約三百キロメートル余り離れた場所にある、人口十二万を擁する地方都市だという。そこへ、酒や葉巻、金属加工品といった商品を、スタート・ベルグ商会の隊商がここロットノットから毎月二回、何台もの重い荷馬車で運搬しているらしい。そして、その積み荷を道中で襲撃するための「人手」を、今まさにこの場で募集しているというのだ。


世話になっているアンドレアス将軍、そしてその恩人であるスタート・ベルグ家を標的とした襲撃計画。それを知った瞬間、ラバァルの目に計算高い光が鋭く灯った。彼は迷わず、この仕事に潜り込むことを決意する。静かに席を立ち、仕事の話をしていた男たちのテーブルへと歩み寄ると、ラバァルは低い、感情の読めない声で短く尋ねた。

「あんたら、人を探してるのか?」


突然声をかけられ、男たちは一瞬、警戒の色を浮かべた。しかし、目の前に立つ男――フード付きのコートに黒革のズボンという、およそカタギの者ではない雰囲気の若い男――の姿を素早く値踏みすると、すぐに警戒を解き、ニヤリと口元を歪めた。{自分たちと同種の匂いを感じて}

「なんだい、あんちゃん。仕事かい?」

「ああ」ラバァルは、ぶっきらぼうに頷く。「少し懐が寂しくてな。何か良い稼ぎ口はないかと探していたら、あんたらの話が聞こえたもんでね」

そう説明すると、男たちの笑みはさらに深まった。

「そいつは丁度良かった。簡単な仕事さ。荷を奪って、運ぶだけだ。無事に終われば、一人につき金貨三枚をやる。ただし、仕事の内容について詳しい説明は無し、余計な詮索もするな。どうだい、この条件でやるかい?」

男は試すような目でラバァルを見ながら、条件を提示してきた。ラバァルは、一瞬の躊躇も見せず、「問題ない」と短く答える。

「へっ、良い返事だ」

男たちは満足そうに頷き合うと、明日行う仕事の集合場所と時間を低い声で告げた。


話が決まると、ラバァルは再び元のカウンター席に戻り、何事もなかったかのように静かにエールを飲み始めた。その様子を、少し離れた場所から、先ほどの男たちの仲間らしい、鋭い目つきの男が冷ややかに見ていた。

「どうやら、早速一人見つかったようだな、キール」

「ええ、ウィッシュボーンさん。丁度良さそうなのがいましたんで。あれなら、酒代のために何でもやりそうですよ」

声を潜めた会話が交わされるのを、ラバァルは聞かないふりでやり過ごす。やがて、仕事を持ちかけてきた男たちが連れ立ってパブから出て行ったのを確認すると、ラバァルも今夜はここまでだと判断し、わざと少し酔ったようなふりをしながら、借りている安宿へと、時たまよろっとした足取りを見せ、戻って行った。


第二部:裏切りの街道


翌日の深夜、約束の時刻に指定された街外れの寂れた倉庫裏へと足を運ぶと、そこには既に六人の男たちが、不安と期待の入り混じったような硬い表情で待機していた。彼らの目つきは荒んでおり、おそらくは日々の糧にも事欠くような者たちなのだろう。やがて、昨晩パブでラバァルに声をかけた二人組の男たちが姿を現した。

「よう、みんな時間通りだな。よく来てくれた」

片方の男――キールと呼ばれていた方――が、薄い笑みを浮かべながら低い声で言った。

「さあ、これから『ホスロー街道』へと向かう。まずは荷を運ぶための馬車を動かさなきゃならん。誰か、御者をやれる奴はいるか? やってくれたら、前金で金貨一枚を追加で払うぞ」

しかし、暗い夜道を重い荷馬車を操るという手間のかかる仕事に、誰もすぐには名乗り出なかった。重い沈黙が流れる中、ラバァルが短く声を上げる。

「俺がやろう」

その声に、キールは待ってましたとばかりに近づいてきた。

「おお、昨晩のあんちゃんか! そりゃ助かる。ほら、約束の前金だ」

キールは革袋から金貨一枚を取り出し、ラバァルの手に握らせる。

「仕事が終われば、残りの三枚もきっちり払うからな。よし、出発するぞ! あんちゃんはこっちの馬車だ。他の者は後ろの幌馬車に乗ってくれ!」

キールの相棒であるもう一人の男が道案内役として助手席に乗り込み、ラバァルが御者席についた先頭の荷馬車を筆頭に、一行は夜の闇へと静かに出発した。ひんやりとした夜気の中、ラバァルは馬に不慣れなふりを装いながらも、しっかりと手綱を握り、ロットノットの街を後にした。目指すは三百キロ以上離れたホスローと言う小規模な都市へと続く街道だ。


道中は特に何事もなく過ぎ、二日目の早朝を迎えた。ホスローまであと半日ほどの距離まで来た頃、突然、道案内役の男から指示があり、ラバァルは街道から少し外れた茂みの奥へと荷馬車を誘導し、停車させた。そして、馬車全体を布製のシートで丁寧に覆い隠すよう命じられる。どうやらこの辺りが、スタート・ベルグ商会の隊商を襲撃する地点らしい。ラバァルは言われるがままに作業をこなしながら、冷めた目で周囲の地形と男たちの様子を注意深く観察していた。


それから、長く感じられる待ち伏せの時間が始まった。重苦しい沈黙の中、六時間近くが過ぎた頃、ようやくキールが立ち上がり、用意していたらしい数本の剣を地面に並べ、集められた男たちに向かって低い声で最終指示を出した。

「よし、もうすぐここをスタート・ベルグの荷馬車が通る。いいか、お前たちはその剣を取れ。そして、荷馬車を守っている護衛どもを一人残らず殺せ」

それまで積み荷を奪うという話しかされていなかった男たちの顔に、土壇場での「殺し」の強要に、明らかな動揺と躊躇の色が浮かんだ。しかし、約束された報酬への欲か、あるいは後戻りできない状況への諦めか、彼らは渋々ながらも頷き、重い剣を手に取る。ラバァルもまた、無言で剣を一本掴み、いつでも動けるという意思表示を冷たい目で行った。

「それでいい! その意気だ!」

キールは満足そうに笑い、親指を立てて見せた。草陰に身を潜め、近づいてくるであろう獲物を待つ男たちの間には、目に見えて緊張感が高まっていく。おそらく、彼らのほとんどは本格的な殺し合いの経験などないのだろう。しかし、指示を出しているキールとその相棒は違った。彼らは明らかに手慣れており、冷たいほど落ち着き払っている。ラバァルは、そんな二人組の背中を、油断なく冷徹な目で見据えていた。


やがて、街道の先から、複数の重い車輪が地面を軋ませる音と、馬の蹄の音が急速に近づいてくるのが分かった。ガタガタという荷馬車の騒音が、早朝の静かな空気を破る。息を殺していた男たちが、もう一度、汗ばむ手で剣を握り直し、飛び出すタイミングを計っていた、まさにその瞬間――。


突如、ラバァルが動いた。彼は背後から、荷馬車を守る護衛たちに意識を集中させていたキールとその相棒に向かって、躊躇なく剣を突き立てたのだ。

ズサッ、ズサッ――肉に突き入れられた生々しい音が、静寂に僅かに音を響かせた。

キールは心臓を一突きにされ、声もなく崩れ落ち即死。もう一人の男は、ラバァルが意図的に急所を外したため、脇腹を深く剣を刺され激痛に呻きながら倒れ伏した。戦闘能力は奪ったが、情報を引き出すために生かしておく。


あまりに突然の裏切りだった。目の前で起こった惨劇に、他の六人の男たちは何が起こったのか理解できず、一瞬完全に動きを止めた。その致命的な隙を、ラバァルは見逃さない。彼は返す刀で、驚愕と混乱に陥っている残りの男たちに襲いかかった。彼らはろくな抵抗もできないまま、ラバァルの正確無比な剣技の前に次々と斬り伏せられ、わずかな時間のうちに全員が絶命した。


その間も、スタート・ベルグ商会の荷馬車とその護衛たちは、すぐ近くで起きた凄惨な殺戮に全く気づくことなく、重い車輪の音を響かせながら無事に街道を通り過ぎて行った。


辺りには、血の匂いと死の静寂だけが残された。胸から赤い血を流し、「はぁ、はぁ」と苦しげな息をついている生き残りの指示役の男は、恐怖に歪んだ目で、返り血を浴びたラバァルを見上げながら、かすれた声で命乞いを始めた。

「た、助けてくれ……! な、なんでもするから……!」

ラバァルはしばらくの間、その男の懇願を冷たく無視し、黙々と他の死体を引きずっては、簡単には見つからないような深い茂みの奥へと運び、隠蔽していく。


全ての死体の処理が終わると、彼は血まみれで倒れ伏している男の前に戻り、その顔を冷然と見下ろした。そして、場違いなほど落ち着いた、しかし底冷えのする声で尋ねる。

「……まだ生きているか?」

生死の瀬戸際で苦痛に喘ぐ男への、あまりにも冷酷な問いかけだった。

「う、うう……! 助けてくれ、お願いだ……! なんでも言うことを聞く……! な、何が欲しい……? 金か……? 金なら、いくらでも都合をつける……!」

男は、恐怖に震えながら必死に訴えかけてくる。ラバァルは、その男に一切の同情も示さない冷たい目を向けた。


「スタート・ベルグ家の荷馬車を襲わせたのは誰だ? 奪った荷は、どこへ運ぶ手筈だった? 知っていることを全て吐け。洗いざらいだ」

低い、有無を言わせぬ声で問い詰める。

「う、うう……! そ、そんなことを話したら……後で、殺される……!」

まさに今、目の前の男に殺されようとしているにも関わらず、未来の報復を恐れる男の言葉に、ラバァルは呆れたように小さく溜息をついた。

「おい。お前は今、ここで死にたいのか? それとも、もっと苦しんでから死にたいか? 例えば、お前のその両目を、ゆっくりと抉り出してやろうか?」

ラバァルが感情のこもらない声で脅しを重ねると、男の顔から完全に血の気が引いた。彼は遂に観念し、冷たい恐怖に全身を震わせながら、堰を切ったように話し始めた。

「わ、わかった……! わかったから、話す……!」

「さっさと言え。無駄話に付き合っている暇はない」

冷たい早朝の空気が、血の匂いを運びながら二人の間を吹き抜ける。

「お、俺らを雇ったのは……、デュオール家だ! デュオール家の……下部組織の、連中……」

男は途切れ途切れに白状する。

「下部組織? 名前は?」

「……《オーメン》……奴らの名は、オーメンだ……!」

デュオール家、そしてオーメン。ラバァルは新たな情報を頭に刻み込む。「そのオーメンという連中の、根城はどこだ?」


必要な情報を冷酷に引き出した後、ラバァルは、まだ息のある男に一瞥もくれず、その場を後にした。早い朝の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、まるで何事もなかったかのように、彼はロットノットへの帰路についた。夜明け前の薄暗い石畳の街道を、彼の革靴が刻む規則正しいリズムだけが響く。



第三部:旧市街の洗礼


ロットノットに戻ったラバァルは、始末する前に男から吐き出させた情報を元に、オーメンというごろつき集団が溜まり場にしているという旧市街の古びた建物へと、直接向かうことにした。まずはその組織の実態を探る必要がある。

途中、新市街と旧市街を隔てる検問所があった。通行許可証である金属製のカードを無表情に提示すると、詰所にいた憲兵は、わざわざ新市街から旧市街へ入ろうとする者が珍しいのか、訝しむような視線をラバァルに向けた。

「何の用だ? あんなスラムに」

低い、ぶっきらぼうな声で尋ねてくる。

「仕事だ」

ラバァルは、憲兵の目を射抜くような冷たい視線で短く答えた。その鋭い眼光と、纏う尋常ならざる雰囲気に気圧されたのか、憲兵は一瞬たじろぎ、「そ……そうか。スラムは治安が悪い。せいぜい気を付けろよ」と視線を逸らしながら言い、通行を許可した。


古びた石造りの門をくぐり旧市街へと足を踏み入れると、空気は一変した。新市街の活気とは対照的に、淀んだような、埃っぽさと微かな腐敗臭の混じった重い空気が漂っている。ラバァルは、ロットノットに到着して間もない頃、街を見下ろせる城のテラスから、この街全体の構造――特にこの旧市街の入り組んだ路地や建物の配置を入念に記憶していた。ただ景色を眺めていたのではなく、後の活動のために、頭の中に精密な地図を描き込んでいたのだ。だから、捕らえた男が死の間際に漏らしたオーメンの隠れ家に関する曖昧な情報だけでも、大方の見当をつけ、迷うことなく古い路地が複雑に交差するエリアへと向かい始めることができた。日は既に昇っていたが、高い建物が密集しているため、路地はまだ薄暗い。


その時だった。古い路地の曲がり角から、突然、薄汚れた身なりの子供が全速力で飛び出してきて、ラバァルに正面からぶつかろうとしてきた。明らかに、意図的な衝突――スリの手口だ。

しかし、長年の裏稼業で培われたラバァルの鋭敏な感覚は、その小さな悪意を瞬時に察知していた。彼は反射的に身を翻し、軽く跳躍して衝突を回避すると、音もなく子供の背後へと着地した。

「ちっ!」

子供は舌打ちし、すぐに逃げようとするが、ラバァルの方が早かった。

「小僧。俺相手にスリを働こうとは、ちと早すぎたな」

ラバァルは冷めた声で言いながら、子供が着ている泥と汗で汚れた襤褸ぼろのような服の襟首を、後ろから鷲掴みにして捕らえた。

「なっ……離せ! 離せよ、この野郎!」

子供は必死にもがき、低い声で悪態をつくが、ラバァルの腕力には到底敵わない。近くの物陰からは、この子供をけしかけたのであろう、同じように薄汚れた仲間らしき数人の子供たちが、慌てた様子でこちらを窺っているのが見えた。


「そんなに逃げたいか? なら、ほら」

ラバァルは掴んでいた襟首を、不意に前へ突き出すようにして手を離した。逃げようと前方に力を込めていた子供は、突然抵抗がなくなったことで体勢を崩し、勢い余って前のめりに、ごつごつした石畳へと顔から派手に突っ込んだ。

「ぐぅっ!」

鈍い音が響き、子供はうめき声を上げて転がる。ゆっくりと身を起こすと、顔面を強打した鼻から血が流れ落ち、目には悔しさと痛みの涙が浮かんでいた。しかし、彼は声を上げて泣きわめくことはせず、涙目のまま、唇をきつく噛みしめてラバァルを睨みつけてくる。


その予想外の負けん気の強さに、ラバァルはわずかな感心を覚えた。

「ほう、泣かんのか。見かけによらず、なかなかの根性をしてるじゃないか」

思わず、彼の口元に薄い笑みが浮かぶ。

「へんっ! このくらいで、泣くわけねぇだろ!」

鼻血を手の甲で乱暴に拭いながら、子供は強がって言い返してきた。

「ほう」ラバァルは目を細める。「この俺様に睨みを利かせるとは、大した度胸だ。気に入ったぞ、小僧。名は?」

「……タロッチだ」

「そうか、タロッチ。よし、面白い。それなら、今から俺と勝負しろ」


ラバァルがそう切り出したところで、物陰から見ていた他の子供たちが、タロッチの側に駆け寄ってきた。

「おい、てめぇ! タロッチに何しやがる!」

「そうだそうだ! 離さないと父ちゃんに言いつけてやるぞ! 俺の父ちゃんはなぁ、オーメンのメンバーなんだ! お前なんか、簡単に袋叩きにしてくれるぞ!」

小柄な少年が、必死に威嚇してくる。

(オーメン……)

その単語を聞き、ラバァルの目が再び鋭く光った。探し求めていた組織の名前が、こんなところで出てくるとは。これは利用できる。ラバァルは、この子供たちを手駒にすることを即座に決めた。


「わかった、わかった」

ラバァルは、わざと面倒くさそうな表情を作り、両手を軽く上げてみせる。そして、子供たち全員を見回して言った。

「さっきタロッチと、俺が勝ったら子分に、タロッチが勝ったら好きなものを奢るって話をしてたんだが……条件を変えよう。俺一人対、お前たち全員だ。それで俺が勝ったら、お前たち全員、今日から一年間、俺の手下になってもらう。もちろん、お前たちが束になって俺を負かせたら、約束通り、全員に好きなものを腹一杯ご馳走してやる。どうだ、この勝負、乗るか?」


ラバァルがそう告げると、先ほどまで年上の彼との一対一の勝負に明らかに怯んでいたタロッチの顔に、俄かに活気が戻った。仲間と一緒なら勝てる、有利な条件になったと考えたのだろう。

「やる! やってやるよ! お前なんか泣きべそかかせてやる!」

タロッチは息を巻き、すっかり自信を取り戻した様子だ。他の子供たちも、タロッチの威勢に引きずられるように頷いている。ラバァルはその様子を満足げに見やり、顎をしゃくった。


「よし、乗ったな。なら、人目につかない場所へ案内しろ。ここは往来が騒がしすぎる」

ラバァルの指摘に、子供たちは改めて周囲の大人たちが向ける好奇の視線に気づき、バツが悪そうに顔を見合わせる。

「……そうだな。わかった、こっちだ。付いて来い」

タロッチがぶっきらぼうに言い放ち、先導して歩き出す。一行は人通りの少ない、古びた石畳の路地裏へと足を踏み入れた。


やがて辿り着いたのは、裏通りの突き当たりにある小さな広場だった。おそらく、彼らがいつも集まる遊び場なのだろう。周囲を取り囲む石造りの壁には、子供たちがつけたであろう無数の落書きや傷跡が生々しく残っている。ひんやりとした空気が漂う、隔離された空間だ。


「よし。いつでも掛かってこい」

ラバァルが低く、落ち着いた声で促す。その言葉を合図に、子供たちの目にそれまでの子供らしさとは違う、冷たい光が宿った。彼らは懐や上着の陰から、使い古された小さなナイフや、赤錆の浮いた鉄の棒などを取り出し、じりじりとラバァルを取り囲むように構える。


「ほう、獲物まで隠し持っていたか。大した度胸だ。それなら、多少手荒く扱っても文句はあるまい」

ラバァルは感心したように呟くと、その表情から笑みが消えた。冷徹な眼差しが子供たちを射抜く。それが、戦いの始まりだった。


先陣を切ったのはタロッチだった。小さなナイフを握りしめ、ラバァルの腹を目掛けて突進してくる。だが、ラバァルはそれを最小限の動きでひらりとかわすと、ナイフを握るタロッチの手首に鋭い手刀を打ち込み、得物を叩き落とす。間髪入れず、振り向きざまに無慈悲な一撃がタロッチの後頭部を捉えた。

「ぐっ……!」

小さな体は石畳に叩きつけられ、鈍い音を立てて転がる。タロッチはそのまま、冷たい地面の上で意識を失った。


リーダー格のタロッチがあっけなく倒されたのを見て、残りの三人の子供たちの動きが一瞬止まる。しかし、彼らは怯むことなく、錆びた鉄パイプや角材を手に、次々にラバァルへ襲いかかった。ラバァルは、まるで手合わせの稽古でもつけるかのように、子供たちの未熟な攻撃を冷静に見切り、的確な反撃で一人、また一人と打ち倒していく。子供たちは為す術もなく、次々と石畳の上に崩れ落ち、やがて広場にはラバァル以外に立っている者はいなくなった。


ラバァルは、意識を失った子供たちが目を覚ますまで、古い路地の冷たい石畳に腰を下ろし、静かに待っていた。十分ほどの時間が、重い沈黙の中で過ぎていく。やがて、冷気に身を震わせながら、一人、また一人と子供たちが呻き声を上げてゆっくりと身を起こし始めた。

全員がぼんやりとした様子でよろよろと起き上がると、ラバァルは彼らを射抜くような鋭い目で見下ろした。


「よし、起きたか」

うつむき、石畳を見つめたまま返事をしない子供たちに、ラバァルは有無を言わせぬ低い声で言い放つ。

「俺が話しかけているんだ。返事をしろ。いいな? 勝負はついた。お前たちの負けだ。それとも、負けを認めた上で約束を反故にするつもりか?」

その言葉に、タロッチがびくりと肩を震わせ、小さな躊躇いの後、観念したように顔を上げた。

「……わかったよ。俺たちの、負けだ。……なぁ、みんな!」

タロッチが地面に座り込んだままの仲間たちに促すと、他の子供たちも悔しそうに、あるいは怯えたように、渋々といった体で小さく頷いた。


「わ、わかったよ……。それで、これから俺たちは何をすればいいんだ?」

一番年長らしい、背の高いウィローが、まだ状況を飲み込めていないのか、おどおどした様子でラバァルを見上げ、弱々しく尋ねてきた。


「うむ。まずはそうだな、お前たちの名前と年を名乗れ」

ラバァルは、一人ずつ自己紹介させることにした。手始めはタロッチからだ。

「俺の名はもう知ってんだろ。タロッチ。十歳だ」

憎まれ口は叩くものの、その声には先程までの威勢はない。

「そうか、十歳か。よし、次はお前だ」

ラバァルは、先ほど質問してきたウィローを指差した。あまり満足な食事をしていないのだろう、痩せた体格だが、背丈だけは他の子供たちより頭一つ高く、百七十センチメートル近くある。

「ぼ、ぼくはウィロー。年は十二歳だよ」

「ウィロー、十二歳だな。よし。じゃあ次、お前」

次に指差されたのは、身長百五十センチメートルほどの、やはり痩せた少年だった。

「僕はラモン。年は九歳だ」

「ふむ、ラモン、九歳か。わかった。次はお前」

最後に指が向けられたのは、泥にまみれ、明らかに長いこと風呂に入っていない様子の薄汚れた子供だった。だが、よく見ると、その子が女の子であることにラバァルは気づいた。

「なんだ、お前は女の子だったのか。それは少し手荒な真似をしたな。悪かった」

ラバァルは、他の少年たちと同じように容赦なく叩きのめしてしまったことを、わずかにばつが悪そうな表情で詫びた。しかし、その少女は気が強いらしい。

「ふんっ! 何よ、今更謝って。しらじらしい。あたしが男だろうが女だろうが、あんたに関係ないでしょ!」

冷たい目でラバァルを睨みつけてくる。その気の強さをラバァルはむしろ面白がり、再び口の端を上げた。

「わかった、わかった。威勢がいいのは嫌いじゃない。それじゃあ、名前と年を言え。今日から一年間、お前は俺の手下になったんだ。それは変わらん」

そう諭されると、少女は少しだけ視線を和らげ、仕方ないといった表情で答えた。

「……メロディ。年は十歳。タロッチと同い年よ」

「ふむ、メロディ、十歳か。よし、これで全員だな」

ラバァルは子供たちを見渡し、改めて宣言した。

「俺の名はラバァルだ。齢は二十三。いいか、よく聞け。今日から一年、お前たちのボスはこの俺だ。俺の命令は絶対だと思え。もし舐めた真似をしたら……」

ラバァルはそこで言葉を切り、わざとらしく凄みを利かせた声で続けた。

「……一家まとめて地獄に送ってやるから、そのつもりでいろ。いいな?」

暗黒街の三流悪党のような、やや大げさな脅し文句だったが、子供たちには効果があったようだ。彼らは恐怖に目を震わせながらも、こくこくと頷き、「は、はい」と小さな声で答える。その素直な反応に、ラバァルは内心で満足し、機嫌を良くしていた。






最後まで読んでくれありがとうございます、引き続き次話を見掛けたらまた読んでみてください。 

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