ロスコフの帰郷
今回は題名の通り、ロスコフが首都『アンヘイム』へと戻るのが主です。
その8
早朝。ここはワーレン侯爵領内にある山村『リバイン村』。まだ薄い霧に包まれ、鳥たちのさえずりが静寂を破るように響き渡る。やがて、太陽がゆっくりと顔を出し、村全体を黄金色に染め始めた頃、高台に作られたワーレン侯爵邸に一通の手紙が届けられた。
ロスコフがこの地に来て、早十年。首都にいる父からの手紙は、門番から執事のマリウスを経て、食事を終えたばかりのロスコフの元へと届けられた。
「ロスコフ卿、お手紙が届いております」
母からだろうか、などと思いながら封を切った彼の目に飛び込んできたのは、予想だにしない文面だった。
「ロスコフ、お前に良い相手との見合いが決まりそうだ。すぐに首都『アンヘイム』に戻ってきなさい」
「……帰って来い、だと?」
突然の知らせに、ロスコフは思わず手紙を握りしめた。
「何を突然……。魔晶石を使ったマナ増幅の研究は、今が一番面白いところなんだぞ!」
エクレアのシギル組み合わせ術という思わぬブレークスルーにより、研究は飛躍的な進歩を遂げたばかりだった。この勢いを止めたくない。ここで一気に完成させなければ、また壁にぶつかってしまう。彼は、研究中断を拒否する旨の返事を書こうと、ペンを手に取った。
そこへ、祖父フォルクスが静かに入ってきた。
「父上の言う通りにしなさい、ロスコフ。どうせ、この先お前は首都に連れ戻される」
「なぜです?」
「お前も、もう二十歳だからじゃよ」
その言葉に、ロスコフはぐっと詰まった。
「それに、儂ももう長くはない。死ぬ前にお前の花嫁の顔が見たいもんじゃ」
わっはっは、と祖父は笑いながら彼の背中を叩き、去っていった。
ロスコフは一人、唇を噛んだ。十歳の時もそうだった。問答無用で馬車に乗せられ、母から引き離された。また同じことの繰り返しなのか。だが、父である侯爵の言葉は絶対だ。彼はペンを置き、静かにため息をついた。
首都から、ワーレン侯爵家の騎士八名と侍女二名が、次期当主ロスコフを迎えにやってきた。
出発の朝、祖父はロスコフに言った。
「何があっても研究は続けるのじゃ。お前なら、途方もないことを成し遂げると信じておる」
その言葉を胸に、ロスコフは侍女と共に馬車に乗り込んだ。
リバイン村から首都『アンヘイム』までの道のりは、実に四百九十キロ。通常でも五日はかかる長旅だ。
丘陵地帯に広がる果樹園の甘い香りを抜けると、馬車の乗り心地の悪さが、彼の思考を現実へと引き戻した。ガタガタという振動、ドスンと突き上げる衝撃。
(……どうすれば、この衝撃を和らげられる?)
ただ不快に思うだけでは、彼の性分が許さなかった。彼は目を閉じ、衝撃の周期、振動の伝わり方を分析し始めた。魔力を用いた制振機構、あるいは浮遊術の応用……頭の中では、新たな魔導具開発の設計図が描かれ始めていた。旅の不快ささえも、彼にとっては研究の糧だった。
三日目、一行はアンドリュー公爵領のスコージュ村で一泊した。十歳の時に一度通ったはずの村だったが、彼の記憶には何も残っていなかった。
そして旅の四日目、一行が峠道に差し掛かった時、それは起きた。
「今だ、やれ!」
高い位置から、無数の矢が雨のように降り注ぐ。
「敵襲ーッ!」
隊長シュミッツの怒声が響く。「一組はフォーメーションを組め! 馬車に近づけるな!」
即座に騎士四名が馬車を囲む壁となり、残る四名が矢を弾きながら、崖を駆け上がる盗賊たちへと突撃する。ロスコフの目には、シュミッツ隊長が的確な指示で騎士たちを動かし、不利な地形をものともせずに敵を分断していく様がはっきりと見えた。一人の騎士が馬上で巧みに身を翻し、二人の盗賊を同時に斬り伏せる。その卓越した技量に、ロスコフは息を呑んだ。
馬車の中では、震える侍女をロスコフが抱きしめていた。
「大丈夫、ワーレンの騎士は強いから」
その言葉に、侍女のモーレイヌが顔を赤らめ、うっとりとした表情を浮かべる。
「ロスコフ様……♡」
(……変な人だな)
極限状況下での彼女の反応に、ロスコフは少しだけ現実から引き離されたような奇妙な感覚を覚えた。
戦闘は、騎士たちの圧勝に終わった。四十名近くいた盗賊団は、ほぼ壊滅。騎士側の被害は負傷者数名のみで、死者は一人も出なかった。
「皆、よく戦ってくれた!」
シュミッツ隊長の労いの言葉に、騎士たちが雄叫びを上げる。その輪に、ロスコフも加わった。
「皆、無事でいてくれて感謝する」
その言葉に、騎士たちは一斉に勝鬨を上げた。
一日遅れの六日後、一行はついに首都『アンヘイム』に到着した。
屋敷では、母が誇らしげに彼を見つめ、父がその肩を叩いた。
「大変な旅だったようだな、ロスコフ」
「いえ。それよりも、父上、リバイン村での研究ですが――」
「まあ、待て。今日は疲れただろう。とりあえず部屋で休め。落ち着いたら、母さんにそちらでの話でもしてやってくれ」
研究成果を早く報告したいという焦りを、父は穏やかにいなした。
その日の晩餐の席で、父は縁談の詳細を語った。相手はハルマッタン伯爵の長女、アンナ様。領地間の経済的利益、家柄。父の話は、ロスコフの耳を右から左へと通り抜けていく。食料など、少し余るくらいがちょうどいい。石炭は腐らない。彼の頭の中は、父への反論でいっぱいだった。
「ロスコフさん、お父様はあなたのことを心配しているのよ」
母カトリーヌが、優しくフォローを入れる。
「それに、アンナ様は本当に素晴らしいお嬢様だと聞いているわ」
母までもが乗り気なのか。ロスコフは、一瞬、強く反発しようとした。だが、彼の頭脳は別の計算を始めていた。ここで反発して膠着状態になるより、一度受け入れた方が、結果的に早く研究に戻れるのではないか? 父が提示した経済的理由も、自分が新たな魔導具を開発すれば、それ以上の利益を生み出せるかもしれない。
(……まあ、いい。さっさと済ませて、早く研究室に戻ろう)
彼は、戦略的受容を選択した。
「母上がそうおっしゃるなら、私は構いません。話を進めてください」
その言葉に、父ウォルター侯爵は上機嫌になった。
「よく言った、ロスコフ! 早速、明日出発しよう!」
父はディナー中にもかかわらず執事を呼び、慌ただしく明日の段取りを命じ始めた。その様子を、ロスコフは冷めた目で見つめていた。
最後まで読んで頂き、ありがとう、また続きを見かけたら宜しくです。




