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夜の離宮で。

夜の離宮内で逃げるノベルたちは、離宮のメインホールに入っていた、

暗闇の中、緑色の光源が次々に灯り始めると騎士の像の目まで緑の光を放ち

動き出した、その像の騎士の動きを一声で止めた老人と会話し始めたノベルたちだったが。    

                その73





ノベル達が警戒する中、謁見の間の奥、玉座と思しき場所の暗がりから、ゆっくりと人影が姿を現した。それは、古風だが明らかに上質な、王族のものと思われる衣服を身に纏った、かなり高齢の男性だった。その顔には深い皺が刻まれ、長い年月を生きてきたことを物語っている。しかし、その瞳には、老いだけではない、何か深い知性と、諦観にも似た静けさが宿っていた。

「あ、あなたは……一体どなたで?」

 ノベルが代表して問いかける。

「……儂か? 儂の名はハル・バーン。遠い昔……マーブルの王位を巡る争いに敗れ、この迷宮に流された王族の一人じゃよ」

 老人は、静かな、しかし芯のある声で答えた。

 王位争いに敗れた、という言葉に、ヒューイが驚きの声を上げる。


「王位争い……? ですが、それはおかしい。マーブル王国で王族間の争いによって敗者を迷宮送りにするような古い風習は、少なくとも50年以上も前に廃止されたと何だったか題は忘れたけど書物で読んだ事がある。そんな昔に追放されたのであれば、今まで生き永らえているはずが……。それとも、まだそのような風習が、我々の知らないところで密かに残っていたとでも……?」

「ほう……まだ残っておるか、ではないのか? 儂には、ここへ来てからどれほどの年月が流れたのか、正直なところ分からぬのでな。そなたの疑問に正確には答えられぬ。して、そなたの言う通りなら、今では王位争いの敗者を迷宮へ送るようなことは行われておらぬ、と申すのか?」

 ハル・バーンは、僅かに目を見開いて問い返す。

「はい。少なくとも、私が学んだ書物にはそう記されております。王位争いに敗れた者は、国外追放などの処置が取られることはあっても、このような迷宮への流刑は行われていない、と」

「そうか……。儂がいた頃とは……地上も随分と変わったのじゃな……」

 ハル・バーンは、遠い目をして呟いた。

「では、あなたは本当に、その『生贄の迷宮』に入れられた王族の生き残りなのですか……? 信じがたいことですが……。これほど長い間、どのようにして……? 迷宮内には、恐ろしい怪物たちが徘徊していたはずでしょう?」

 ノベルは、信じられない気持ちと、目の前の老人が経てきたであろう過酷な運命への畏敬の念を込めて尋ねる。

「うむ。その通りじゃ。何の助けもなければ、儂とて他の流刑者達と同じ運命を辿り、とうに朽ち果てておったじゃろう。だが……儂は幸運にも、この『夜の離宮』の主、夜の神【テネブレス】に見出され、その導きにより、ある『お役目』を授かったのじゃ。以来、儂はこの『夜の離宮』の管理を、テネブレス様より任されておる」

「夜の神、テネブレス……。その神から、この離宮の管理を……?」

 と言う事はここは神の...。ノベルは息を呑んだ。


「左様。夜の神は、儂を生かし、この場所を与えなさったのじゃ」

「それでは、我々は神聖なる神の領域に、無断で踏み込んでしまったということになりますね……。この非礼、どのように償えばお許しいただけるのでしょうか……? 実は、私達には今にも命の灯が消えそうな仲間がおり、門の外で意識を失っております。一刻も早く、この夜の離宮から脱出しなければならないのです。ハル・バーン様、どうか、あなた様から夜の神へ、我々の許しを乞うてはいただけませんでしょうか?」

 ノベルは、藁にもすがる思いで懇願した。

「……それは、残念ながら無理な相談じゃな。儂、個人としては、そなた達をこのまま見逃してやりたいとも思う。じゃが、現在、この離宮の防犯、侵入者の処遇を実質的に任されておるのは、儂ではなく……魔女の【カナン】なのじゃ。あやつとは……まあ、色々とあってな。儂の言うことなど、聞きはせんじゃろう」

 ハル・バーンは、困ったように眉を寄せた。

「魔女のカナン……!」

 ノベルはその名前に反応する。

「きっと、先ほど通路で遭遇した、あの老婆のことですね!」

「うそっ……! わ、私、あの老婆に怪我をさせてしまったわ……!」

 ロゼッタが顔面蒼白になる。

「……もう起きてしまったことは仕方ありません。もし再会したら、誠心誠意、謝罪するしかないでしょう」

 ノベルは冷静に言う。

「ハル・バーン様、カナン殿の件は、我々自身で何とかいたします。ですから、どうか、外へ通じる脱出経路だけでもお教えいただけないでしょうか? お願いいたします!」

 ノベルの必死の懇願に、ハル・バーンは少しの間考え込んだ後、やれやれといった表情で口を開いた。

「……仕方ないのぅ。これも何かの縁やもしれん」

 彼は、謁見の間から出てきた扉を指差した。

「あの扉を出て、通路を真っ直ぐ戻るのじゃ。すると、そなた達が先ほど行き止まりだと思った場所があるじゃろう? あそこは、一見ただの壁じゃが、実は巧妙に隠された隠し扉になっておる。それを見つけ出し、中へ進めば、別の通路へと繋がっておるはずじゃ。……だがな、それで確実に外へ出られるとは限らんぞ。出られるか否かは……そなた達の『運次第』ということになる」

「隠し扉が……! しかし、『運次第』とは、どういう意味でしょうか? よく理解できないのですが……」

 ノベルが聞き返す。

「ふむ。『運次第』と言ったのはな、この離宮の通路は、常に一定ではないのじゃ。迷宮の仕掛けによって、通路の配置が時々刻々と変化する。まるで生きているかのように、な。じゃから、どの通路の配置が外へと通じておるのか、この儂にも分からぬのじゃよ」

「通路が……変化する……。なるほど、それでは分からないのも無理はありませぬ。ですが、隠し扉の情報をいただけただけでも、大変ありがたいことです。お教えいただき、心より感謝いたします、ハル・バーン様」

 ノベルは深く頭を下げた。

「うむ。……さあ、話は終わりじゃ。行くのなら、もう行くがよい。あまり長居をして、カナンのやつに見つかってしまわぬうちにな」

 ハル・バーンは、早く行くよう促した。

「はい! ご親切に感謝いたします。どうか、お元気で。……失礼いたします」

 ノベル達は、ハル・バーンに改めて一礼すると、入ってきた扉の方へと急ぎ、謁見の間から出て行った。

 一人残されたハル・バーンは、彼らが出て行った扉を静かに見つめながら、ぽつりと呟いた。

「さてさて……。カナンの執念から、あの者達は逃げ切れるのかのぉ……」

 彼はそう言うと、ゆっくりと玉座(らしき椅子)に戻り、静かに目を閉じた。そして、まるで糸が切れたかのように、ピクリとも動かなくなった。まるで、周囲の騎士像と同化したかのように……。


【場面転換:隠し扉の前 - 再びの襲撃】

 ノベル達は、ロゼッタを先頭に、先ほど行き止まりだと思い引き返した地点まで急いで戻っていた。そして、ハル・バーンに教えられた通り、壁を注意深く調べ、隠し扉を探し始めた。

 壁には、ヒカリゴケと共に、びっしりと分厚い苔が張り付いており、隠し扉を見つけるのは容易ではない。怪しいと思われる箇所を、ナイフで苔を剥がしながら探すしかない。

 一行が焦りながら壁を探っていた、その時。

 すぐ傍の地面から、音もなく、黒いタールが滲み出し、瞬く間にあのタール魔術師…カナンを模した泥人形の一体が姿を現したのだ!

「……っ! 見つかった!」

 ロゼッタは壁を探るのをやめ、即座に剣を構え、タール魔術師の方へと向き直る。

「とうとう追いつかれたわね……! あのカナンとかいう婆さん、自分そっくりの泥人形を作るなんて、悪趣味だわ!」

 出現したタール魔術師の目が、チカチカと赤く点滅し始めた。仲間を呼び寄せる合図だ! 間もなく、さらに二体のタール魔術師が、異なる場所の地面から次々と出現する。彼らは、まるで状況を完全に把握しているかのように、即座に行動を開始。手に持つ大杖を振りかざし、周囲の地面からタールを噴出させ、次々とタール兵士を召喚し始めたのだ! あっという間に、数体のタール兵士が姿を現し、その数は増え続けていく。

(まずい……! 最初に一体現れた時に、叩いておくべきだった……!)

 ノベルは、隠し通路を探すことを優先してしまった自らの判断を後悔した。だが、今となっては遅い。敵の数は既に無視できないほどに増えてしまっている。

「ロゼッタさん! 隠し扉は私とヒューイで探します! あなたはリバックと共に、敵の足止めをお願いします!」

 ノベルが叫ぶ。

「わかってるわ! 任せて!」

 リバックも、ノベルの傍らにテリアルをそっと寝かせると、ロゼッタを援護すべく、スパイクシールドを構えて前に出た。

「ここで時間を稼ぐわけにはいかない……! 一気に蹴散らすわ!」

 ロゼッタは、再び【烈風剣】の詠唱を開始した。

「《ウェントゥス フォルティス……フラーンマム……》」

「応! 敵の攻撃は俺が引き受ける!」

 リバックは、ロゼッタが詠唱を完了するまでの時間を稼ぐべく、迫り来るタール兵士達に突進する。巨大なスパイクシールドを前面に押し出し、タール兵士を次々と壁に叩きつけ、押し潰していく。押し潰された兵士は一時的にタールに戻るが、すぐに再生を始めるため、これはあくまで時間稼ぎにしかならない。だが、今はそれでいい。ロゼッタの【烈風剣】さえ発動できれば、状況を打開できるはずだ。

 リバックが奮闘している間に、壁を探っていたノベルとヒューイの声が響いた。

「あった! ノベルさん、見つけましたよ!」

 ヒューイが叫ぶ。

「よし!」

 リバックは後ろを振り返る。ヒューイが壁の一部を指差し、「やったぞ!」というジェスチャーをしている。そして、ロゼッタは、詠唱を終え、いつでも技を放てるという合図を目で送ってきた。

「退避する!」

 リバックは、【烈風剣】の威力に巻き込まれないよう、急いでヒューイ達の元へと後退を開始する。

 ロゼッタは、後退するリバックを確認すると、通路に溢れかえるタール兵士の群れ…そしてその奥にいるタール魔術師達に向けて、【烈風剣】を解き放った!

 再び、凄まじい暴風が渦を巻き、タール兵士の軍勢を飲み込んでいく! 風の刃は、タールでできた体を容易く切り裂き、塵のように分解していく。通路を満たしていた敵のほとんどが、その強力な一撃によって薙ぎ払われ、消滅したように見えた。

 しかし、この暗い通路では、ヒカリゴケの光だけでは5メートル先すらおぼつかない。攻撃の正確な結果は、放ったロゼッタ自身にも完全には分からなかった。

 だが、今は確認している時間はない。烈風剣によって得られた、僅かな時間を最大限に利用し、隠し扉から脱出することを優先する。


「こっちです! 早く中へ!」

 ヒューイが隠し扉を指し示す。それは、苔の下に隠されていた、石造りの小さな扉だった。

「うわっ、小さいな、これ……!」

 扉は、大人が屈まなければ入れないほどの大きさで、幅は約75センチ、高さは1.3メートルほどしかない。下へ続く階段が見えている。こんなものが苔に覆われていれば、ただの行き止まりの壁にしか見えないだろう。最初に来た時、追われていて焦っていたとはいえ、よく見つけられなかったわけだ。

 ノベル達は、再びテリアルを抱え上げると、次々とその小さな隠し扉の中へと身を滑り込ませていった。


【場面転換:バルモント宮 - ゲオリクとバルモント翁】

 その頃、バルモント宮では、深刻な事態が進行していた。

 あの【ヴァンデッタ】が、『夜の離宮』に姿を現した――その一報は、即座に巨人騎士ゲオリクの元にもたらされた。ゲオリクは、ただならぬ気配を感じ取り、すぐさま主君であるバルモント翁の元へ赴き、報告と今後の対応について相談を持ちかけに来ていた。

「……それで、ゲオリクよ。お主は、どうするつもりなのじゃ?」

 バルモント翁は、玉座に座したまま、静かに問う。

「はっ。ヴァンデッタの狙いは、十中八九、あのマルティーナという娘かと存じます。セティアの写し身……その微かな光に、あの女狐が気づいたのでしょう。」

「うむ、そうじゃろうな。あのヴァンデッタが、取るに足らぬ人間のためだけに、わざわざこのような辺境まで降りて来るとは、儂も思わぬ。……それで、どうする?」

 翁は、ゲオリクの覚悟を問うように、再び尋ねた。

「……私といたしましては、むざむざマルティーナを奴の玩具おもちゃにくれてやるつもりは毛頭ございません。しかし……私が出張れば、このバルモント宮、ひいては翁にまでご迷惑が及ぶやもしれぬ。それが……」

 ゲオリクは言葉を濁す。


「……テネブレスが、お主、あるいは儂らに報復に来ると、そう懸念しておるのか」

 翁はゲオリクの心中を察した。

「はっ。ヴァンデッタは、単なる配下にあらず。テネブレス直属の先兵ヴァンガードとも呼ぶべき存在。その行動に、主からの明確な制限が掛けられている様子もございません。あの半神と本気で矛を交えれば、たとえ私とてどうなるか……。ましてや、今回はあちらの領域に近い場所での戦いとなれば、不利は否めません。……ですが、どのような形であれ、決着が着けば、我々か奴らか、どちらかが消滅ロストすることになるでしょう。その時、テネブレスが、ヴァンデッタの消滅を理由に、こちらに矛先を向けぬとも限りません」

 ゲオリクの懸念に対し、バルモント翁は、ふん、と鼻を鳴らした。


「……お主らしくもない。先の心配など、今は放っておけ。テネブレスのことは、この儂に任せよ、ゲオリク。お主は、もう十分に儂に尽くしてくれた。もはや、儂とお主の間に、貸し借りなどありはせぬ。……お主の魂が欲するまま、気の済むように動くがよい」

 翁の言葉には、絶対的な信頼と、ゲオリクの自由を願う心が込められていた。

「……翁……! かたじけのう、ございます……!」

 ゲオリクは、感極まったように、その場に片膝をつき、深くこうべを垂れた。主君からの、これ以上ない信頼の言葉だった。

 暫しの静寂の後、ゲオリクはゆっくりと立ち上がると、その姿が急速に薄くなり、次の瞬間には、バルモント宮から完全に消え失せていた。マルティーナ達を追ったのだろう。

 ゲオリクが消えた空間を見つめながら、バルモント翁は、独り言のように呟いた。

「……ふふ。やっと、あやつも……己の心を突き動かす『衝動』というものを見つけることができたか……」

 そして、翁は宮殿全体に響き渡る力強い声で、臣下の者達へ向けて命じた。

「全軍に告ぐ! いつ、夜の神テネブレスが攻め寄せても良いように、臨戦態勢を整えよ! 戦えぬ者は、速やかにこの宮から安全な場所へと退避するのじゃ!」

 バルモント宮全体に、緊迫した空気が走り、来るべき戦いへの準備が始まった。



【場面転換:マルティーナ達 - 異空間へ】

 一方、夜の離宮内部を進んでいたマルティーナ達、王国兵士の一行は、カナンが差し向けたタール魔術師達と激しい戦闘を繰り広げながら、前進を続けていた。しかし、彼らは気づいていなかった。自分たちが、知らず知らずのうちに、ヴァンデッタが作り出した異空間へと続く通路へと巧みに誘導されていることに。

 国家魔術師の一人であるラージンが、タール兵士の再生を遅らせるために奮闘していた。

「【グラキオー ビトゥメン】!」(タールよ、氷となれ!)

 ラージンの氷結魔法が、倒されて液状化したタール兵士を瞬時に凍てつかせ、一時的に動きを封じる。その隙に、ベラクレスやオクターブ、シャナ達が道を切り開いていく。

 敵の誘導に気づかぬまま、マルティーナ達が通路を進んでいくと、突然、目の前の景色が一変した。先ほどまでの薄暗く湿った石造りの通路が、音もなく消え失せ、代わりに、だだっ広い、荒涼とした空間が広がっていたのだ。

 地面には大小の岩や砂が転がり、草木一本生えていない。空は、まるで血を流したかのような、不気味な深紅に染まっている。夕暮れ時のようでもあるが、太陽は見当たらない。ただ、先ほどまでの暗闇とは違い、視界は比較的開けており、遠くまで見渡すことができた。遠方には、これまた木々のない禿山のような山々が連なっているのが見える。人影も、動物の気配もなく、ただ荒れ果てた無人の荒野が広がっているだけだった。

「……ここは!?」

「一体、どうなっているのですか!?」

 兵士達は、突然の変化に戸惑い、ざわめきながらも、即座に警戒レベルを引き上げ、周囲を睨む。

 オクターブは、この異常な状況に強い危険を感じ、すぐさま後方…先ほどまでいた通路があったはずの方向へ戻ろうと試みた。しかし、振り返った先には、もはや通路は存在しなかった。ただ、今いるのと同じ、赤く染まった荒野がどこまでも続いているだけだったのだ。

「まただ……! 通路が消えている! 後ろには戻れないようです!」

 オクターブの報告に、マルティーナは動じることなく答える。


「ここに入る時と同じですね。ですが、どちらにしても、冒険者の方々と合流するまでは、私達に退くという選択肢はありません。……進みましょう」

 マルティーナは、兵士達を鼓舞するように、毅然とした声で言った。

 その声に、嘲るような声が応えた。

「くけけけけけけ! 威勢のいいお嬢ちゃんだねぇ! 実に凛々しいこと! ……でも、ほんっとうに、馬鹿だねぇ! お前さん達を、わざわざこの『お姉様の舞台』に導いてやったのは、このアチキなんだよ!」

 声の主は、先ほどの老婆、カナンだった。彼女は、少し離れた岩の上に、いつの間にか姿を現していた。

「あなたは……! なぜ、私達をこのような場所へ?」

 マルティーナが問いかける。

「くけけけけ! それはだねぇ……もちろん、お姉様の...! お姉様、お姉様が。お前さん達と遊びたがってらっしゃるの...!」

 カナンが「お姉様」という言葉を何度も、何度も連呼してると、突然!

 周囲の空間が、ぐにゃりと歪んだ。そして、先ほどよりもさらに濃く、深く、まるで血液そのもののような赤い半透明の膜が、凄まじいスピードで空間全体を覆い尽くしていく! マルティーナ達一行も、抗う間もなく、その禍々しい赤色の空間に完全に飲み込まれてしまった。

 直後、王国兵士達の様子がおかしくなり始めた。屈強な兵士達が、次々と苦悶の表情を浮かべ、目がみるみるうちに充血していく。口からは涎が垂れ始め、「ぐぅぅぅ……」「グルルル……」と、理性を失った獣のような呻き声を上げ始めたのだ!

「なっ……!? 皆さん、どうしたのですか!?」

 その異変にいち早く気づいたシャナは、咄嗟にマルティーナの前に立ちはだかり、懐から愛用の短い槍を取り出し、戦闘態勢を取った。

 間もなく、完全に理性を失った兵士達が、血走った目で、涎を垂らしながら、一斉にシャナ…いや、彼女の後ろにいるマルティーナ目掛けて襲いかかってきた!

「お、女だ……! 女を……犯せぇぇぇぇ!!」

 もはや兵士としての矜持など微塵もない、ただの本能的な衝動に突き動かされた獣の群れと化していた。

 ガキンッ!

「【真槍連操術】!」

 シャナは、襲い来るかつての仲間達を殺してしまわぬよう、細心の注意を払いながらも、恐るべき速度と精度で槍を繰り出す。連撃が兵士達の急所を的確に打ち据え、次々と地面に叩き伏せていく。

「グガァァァ……!」

 しかし、倒された兵士達は、痛みを感じていないかのように、すぐにまた異様な呻き声を上げながら立ち上がろうとする。完全に魅了され、操られているのだ。

 シャナが、倒れた兵士達から目を離さずに警戒していると、死角から忍び寄る新たな気配を感知した。振り返ると、そこにいたのは……共に王女護衛の任に就く、相棒のオクターブだった。彼の目もまた、他の兵士達と同じように血走り、狂気に満ちている。そして、その手には既に剣が抜かれていた。

「……まさか、オクターブ……あなたまで……!?」

 シャナの問いかけに答えることなく、オクターブは野獣のような雄叫びを上げ、シャナに斬りかかってきた!

「ぐがぁぁぁぁぁ!!」

 シャナは即座に身構え、オクターブの攻撃を捌こうと小手を狙って突きを繰り出す。だが、オクターブの動きは予想以上に速く、鋭い!

(……間に合わない!)

 シャナが覚悟を決めた瞬間――

 ドスッ! 「グァッ!」

 オクターブの体が、突然前のめりに地面に叩きつけられ、無様にもんどりうって転がった。


それを見たシャナが驚き、オクターブの後ろにいた、ベラクレス隊長を視認、

彼が、オクターブの背中を強く蹴り飛ばしたのだと言う事を理解した。

「ベラクレス殿!」

「……どうやら、何者かの放つ、強烈な『魅了』の力に引きずり込まれたようだな。俺とて、この剣…【力】のルーンを帯びたこの大剣を手にしていなければ、危うく奴らと同じように取り込まれていたかもしれん」

 ベラクレスは、油断なく周囲を警戒しながらそう説明。

「はい……。実は、先ほどから私も……何か、妙な気分というか……抗いがたい衝動のようなものを感じ、必死に抵抗しておりました……」

 シャナも額に汗を滲ませながら告白する。

「そうか……。この力、女性にも影響があるということか……。厄介な……」

 二人の会話を聞いていたマルティーナが、静かに口を開いた。

「私には、そのような感覚は分かりません。ですが……もし、そのような邪悪な力がこの場を覆っているのであれば……」

 マルティーナはそう言うと、目を閉じ、両手を胸の前で組み、光の女神セティアへの祈りを捧げ始めた。その姿から、清らかで力強い光が溢れ出す。

「《Sanctum Divinum!(サンクタム・ディーウィヌム)》」

(訳:神聖なる聖域よ!)

「慈悲深き光の女神セティアよ! どうか、この穢れた地に、あなたの清浄なる御力をもって、神聖なる聖域をお与えください!」

 マルティーナの祈りが完成すると、彼女を中心として、眩いばかりの黄金色の光のドームが広がり始めた。その光は、禍々しい赤色の空間を浄化し、半径10メートル強の範囲を、温かく清浄な『聖域』へと変えたのだ。

 その聖域の光に包まれた瞬間、うめき声を上げていた兵士達の動きが止まり、オクターブもまた、獣のような呻きを止め、ゆっくりと正気を取り戻し始めた。


「い、痛てて……。お、俺は一体……? なぜ、地面に……?」

 オクターブは混乱した様子で頭を押さえる。

「あんた、突然おかしくなって、私達に襲い掛かってきたのよ!」

 シャナが厳しい口調で言う。

「えっ!? まさか、俺が……シャナに……!? そ、そんなはずはない!」

「現に、あんたは今、ベラクレス殿に蹴り飛ばされて、地面に膝をついているでしょうが!」

「ベラクレス殿に……蹴られて……。……そうだったのか。……す、すまん……」

 オクターブは、己の失態を悟り、深く項垂れた。

「……仕方ないわね。でも、次はないわよ。気をしっかり持って。あんたまで敵に回ったら、ただでさえ厳しいこの状況で、致命的な戦力ダウンになるんだからね」

「う、うむ……。しかし、何が起きたのか、全く……。突然、何も分からぬ間に……。これに対して、どう対処すればいいのか、正直、考えが及ばぬ……」

 オクターブはまだ動揺している。

「マルティーナ様が、周囲にセティア様の結界を張ってくださったわ。この聖域の中は安全なはずよ。それを考慮して動きなさい」

「わ、分かった……。しかし、またしてもマルティーナ様にお助けいただくことになるとは……。これでは、護衛失格だな……」

 オクターブは自嘲気味に呟く。

 二人のやり取りを聞いていたマルティーナが、優しく微笑みかけた。

「ふふ。オクターブ、その分、これからしっかりと頼みますね」

「はっ! マルティーナ様! この埋め合わせは、必ずや!」

「……あまり意気込みすぎて、またチョンボしないでくださいね?」

 シャナが、からかうように付け加える。

「ちょ、チョンボって……! とほほ……。私の信用は、もう完全に地に落ちているようですね……」

 オクターブは、がっくりと肩を落とした。

 その様子を見ていたベラクレスとシャナも、この極限状況の中、ほんの一瞬だけ、張り詰めていたものが緩み、久しぶりに苦笑を漏らしたのだった。

 だが、その束の間の安堵を打ち破るかのように、空間に再び、あの甲高い、嘲るような声が響き渡った。

「おやおやおやぁ~? こんな状況だっていうのに、随分とまあ、いいご身分じゃないのぉ~。自分達がどんな場所に迷い込んで、どんな相手に目をつけられたのか、ぜーんぜん、理解してないみたいねぇ?」

 声の主…カナンが、再び岩の上に現れ、一行を嘲笑う。

「これじゃあ、アチキが、もっともーっと、お役に立つ『木偶』にしてあげないと、いけないみたいじゃないのぉ!」

 カナンの目が、再び不気味な光を放った。


毎日寒いですね、最後まで読んでくれた方、ありがとうございます、

引き続き続きを見掛けたらまた読んでみてください。  

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