暗闇の離宮で
多数のタール兵士を倒せたアスタリオンとテリアルだったが、
自分たちが付けた火に巻き込まれてしまった、
暫く後、駆け付けたロゼッタ達が見たものとは・・・。
その72
ロゼッタは、燃え盛る炎を切り裂くように放った【烈風剣】で道を確保すると、一目散に倒れている二人の元へと駆け寄った。地面に横たわり、ぴくりとも動かないアスタリオンの傍らに膝をつき、その肩を揺さぶる。
「アスタリオン! しっかりして、アスタリオン!」
必死に呼びかけるが、アスタリオンは何の反応も示さない。閉じられた瞼は動かず、呼吸の気配も感じられない。
「……ちょっと、冗談はやめてよ、アスタリオン……起きて……!」
ロゼッタの声は震えていた。目の前の現実は、彼女の希望を打ち砕くには十分すぎるほどに残酷だった。アスタリオンの頭部は、特に後頭部から右側面にかけて、髪が焼け落ち、皮膚が酷く焼け爛れている。焦げた肉の、そして髪の焼ける嫌な匂いが鼻をつき、その痛々しい姿は、ロゼッタの心を抉った。
追いついたノベル達も、アスタリオンの惨状を目の当たりにし、言葉を失った。その姿は、どう見ても生者のそれとは思えなかったのだ。
ノベルは、ロゼッタの悲痛な呼びかけに胸を痛めつつも、冷静さを保とうと努め、もう一人、傍らに倒れているテリアルの元へと歩を進めた。そっと膝をつき、焼け爛れていない首筋の頸動脈に指を当てる。全神経を指先に集中させ、微かな生命の証を探る。
しんと静まり返った空間に、燃え残った炎がパチパチと音を立てる。5秒ほどの沈黙の後、ノベルの指先に、か細いながらも確かな脈動が伝わってきた。
「……んっ!」
思わず、ノベルの口から短い声が漏れる。
「どうした、ノベル!?」
その反応に、リバックがいち早く気づき問いかける。
「待って……」
ノベルはリバックを手で制し、間違いがないか、さらに慎重に脈を探る。……弱いが、確かに続いている。
さらに5秒後、ノベルは確信を持って顔を上げた。
「……あります! 脈が! テリアルは……生きていますよ!」
「なんだと!? 生きているのか、テリアル!」
その言葉に、絶望的な空気が一変した。リバックとヒューイの顔に、わずかながら希望の色が差す。
「ノベル、俺はどうすればいい!? 何かできることはないか!?」
リバックが焦りを滲ませて尋ねる。
「今は応急処置しかできません。マルティーナ様のような回復の祈りは我々には使えませんから……」
「それでも何かあるだろう! このままじゃ……!」
「水です! 持っている水を全て集めてください! まずは水分補給と……熱を冷やしましょう!」
ノベルの指示で、ヒューイが皆の水筒を集め、テリアルの口元へ運ぶ。だが、意識のないテリアルに水を飲ませるのは困難だった。
「くそっ、飲めないか……! なら、これでどうだ!」
ヒューイは意を決し、テリアルの頭部…焼け爛れていない箇所を狙って、水筒の水をジャバっとかけた。
「おい、ヒューイ、待て!」
リバックが制止する間もなく、冷たい水がテリアルの顔にかかる。
すると、水をかけられた衝撃か、あるいは冷たさへの反応か、テリアルが「ぐぅぅぅ……ぁぁぁ……」と、苦悶の呻き声を上げたのだ。
「テリアル! 俺たちだ、分かるか!?」
ヒューイが顔を近づけ、必死に呼びかける。その声に応えるように、テリアルの瞼が微かに動き、薄っすらと目が開かれた。焦点は合っていないが、意識を取り戻した兆候だ。
「おおっ! 意識が戻ったぞ!」
ヒューイが歓喜の声を上げる。
テリアルの方は、依然として危険な状態であることに変わりはないが、少なくとも生きていることが確認され、僅かな希望が見えた。
しかし、その一方で――アスタリオンは、依然として微動だにせず、冷たくなっていくかのようだった。
ロゼッタは、その現実を受け入れられずにいた。既に息をしていないことは分かっていたのかもしれない。それでも、彼女は諦めきれなかった。アスタリオンの口に自らの口を重ね、必死に息を吹き込み、胸骨圧迫を繰り返す。人工呼吸――最後の望みを託し、懸命な蘇生処置を施していたのだ。
「……ノベル、どうする?」
リバックは、ロゼッタの痛ましい姿と、依然として危険な状態のテリアルを見て、ノベルに判断を仰いだ。
「……ここではこれ以上の治療は望めません。このままでは、せっかく意識を取り戻したテリアルも、長くは持たないでしょう。……何とかしてこの場所を脱出し、マルティーナ様の元へ連れて行くしかありません。そのためには、まず出口を探さねば……」
ノベルは、ロゼッタが必死に蘇生を試みるアスタリオンに視線を移した。リバックと共にアスタリオンの元へ寄り、再び頸動脈に指を当てる。脈は……ない。ロゼッタの懸命な処置にも関わらず、生命の反応は完全に途絶えていた。
時間は刻一刻と過ぎていく。テリアルの容態も予断を許さない。ノベルは、苦渋の表情を浮かべ、非情とも思える決断を下さざるを得なかった。
「……ロゼッタさん」
ノベルは、肩を震わせながら蘇生を続けるロゼッタに、静かに、しかしはっきりと告げた。
「……残念ですが、アスタリオンは……もう……。今は、生きている者を優先しなければなりません。テリアルを、マルティーナ様の元へ運びましょう」
「ぐぅぅぅ……」
その言葉を裏付けるかのように、テリアルの呻き声がさらに弱々しくなる。
「おい、ノベル! テリアルの様子が……! 早くしないと、本当に手遅れになっちまうぞ!」
ヒューイが悲痛な声を上げる。
ノベルの言葉と、テリアルの状態、そしてヒューイの叫びが、ロゼッタに厳しい現実を突きつけた。彼女は、ゆっくりとアスタリオンから顔を上げた。その頬を、熱い涙が伝っていく。
「……ごめんなさい、アスタリオン……。あなたを……助けられなかった……私を、許して……」
嗚咽を漏らしながら、アスタリオンに最後の別れを告げ、ロゼッタは力なく立ち上がった。
「……テリアルは俺が担ぐ。戦闘はできなくなるが、仕方ない。道中の戦いは、お前たちに任せることになる」
リバックは覚悟を決め、テリアルを慎重に抱え上げようとする。
「ぬぅぅぅぁぁぁ……」
持ち上げられる際の負荷が相当なものだったのだろう、テリアルは再び呻き声を上げ、そのまま意識を失ってしまった。
それでも、ここに置いていく選択肢はない。リバックは、焼け爛れた箇所に触れないよう細心の注意を払いながら、テリアルを一気に肩まで担ぎ上げた。
「さあ、行くぞ!」
リバックの掛け声と共に、一行は出口を求めて動き出す。まずは、ロゼッタが切り開いた、燃え残る炎の間を戻ろうとした。
すると、ノベルが周囲を見渡し、別の可能性を指摘した。
「待ってください! 来た道を戻っても、おそらく出口はないでしょう! あの炎の向こう側……東に見える通路、あちらに進んでみませんか? ロゼッタさん、申し訳ありませんが、もう一度、あの技で炎を……!」
「……ええ、分かったわ!」
ロゼッタは涙を拭い、再び【烈風剣】を構える。今度は、広間の東側にある通路へ向けて。
「《ウェントゥス フォルティス! フラーンマム アルデンテム エクスティンゲンス!》……【烈風剣】!!」
再び放たれた暴風の刃が、ゴウゴウと音を立てて燃え盛っていた炎を、見事に両断する。ノベルは、切り開かれた道を注意深く観察した。燃えていたタールだけでなく、その下の地面までもが抉り取られ、道が作られている。
(……恐ろしい技だ。もしこれに巻き込まれたら、人間などひとたまりもないだろう)
ノベルは、その威力に改めて戦慄した。
「間近で見ると、本当に凄まじい威力ですね……。魔法と剣技の複合技、ということでしょうか?」
「ええ。この剣に込められた風の力を、私の魔力で増幅して使ってみたの」
「あの極限状況で、そんなことを思いつくなんて……流石は魔法剣士ですね」
「剣を手に入れた時から、どうすればこの力を最大限に引き出せるか、色々と考えていたから」
「おい! 感心してる場合じゃないぞ! テリアルがいつまで持つか分からんのだ!」
リバックの叱咤が飛ぶ。
「うむ、すまん! 行きましよう !」
ノベルは我に返り、一行は新たに切り開かれた東側の通路へと急いだ。
しかし、その通路の入り口に差し掛かった、まさにその時!
「おやおやおや……? これは一体、どういうことでございますかねぇ?」
通路の奥から、しゃがれた、不気味な声が響いてきた。声の主は、見るからに年季の入った、腰の曲がった老婆だった。大きな魔術師の杖を手にし、特徴的な三角帽を目深にかぶっている。その老婆は、現れるなり、非難がましい口調で一行に言葉を投げかけてきた。
「あちきの可愛い可愛い『泥人形』ちゃん達を、こんな風に燃やしてくれちゃったのは、お前さん達だねぇ? これは酷いねぇ、さあ、この落とし前、どうつけてくれるのか、聞かせてもらおうじゃないか!」
老婆は、ねっとりとした視線で一行を睨みつける。だが、一行にはこんな怪しい老婆に構っている暇はない。テリアルの命がかかっているのだ。
彼らは老婆を無視し、通路を強行突破しようと、その横をすり抜けようとした。
その瞬間、老婆の表情が怒りに歪んだ。
「……ちょっと! 無視するんじゃないよ、この生意気な若造どもが! 聞いてるのかい!? お前さん達は、もうこの『夜の離宮』から一歩だって外には出られないんだよ! 諦めな!」
老婆の金切り声が響くが、一行は足を止めない。今はただ、テリアルを安全な場所へ運ぶことだけが目的だ。
すると、無視されたことに激昂した老婆は、その手に持つ大杖を高々と掲げ、何やら呪文を詠唱し始めた!
間もなく、一行の足元から、黒く不気味な茨が、まるで生きているかのように急速に伸びてきた。茨は瞬く間に彼らの足に絡みつき、動きを封じようとする。逃れようともがくが、茨は勢いを増し、あっという間に周囲に蔓延し、一行の足元を完全に拘束してしまった。
「足が……!」
「くそっ、絡みつかれた! 動けん!」
「これは……シャーマンの呪術です! 皆さん、気をつけて!」ノベルが叫ぶ。
「なに、呪術師なのか!?」リバックが驚愕する。
一行が茨にもがいていると、その老婆が、ふわりと宙に浮き上がった。そして、甲高い、嘲るような笑い声を上げる。
「くけけけけけ! 馬鹿だねぇ、お前さん達! この『夜の離宮』の警邏官長、泥人形使いのカナン様に逆らうから、そうなるのさ!」
「今日からお前さん達は、あちきの新しい『木偶』にしてあげるんだから、感謝しなきゃダメじゃないか。それと、これからは『カナン様』とお呼び! ……まあ、もっとも、木偶になっちまえば喋れなくなるんだから、今言っても無駄だったかねぇ? くけけけけけ!」
木偶……それが何を意味するのか正確には分からないが、老婆の言葉から、自分たちを意のままに操る人形にしようとしていることは明らかだった。ノベルは、強制的な支配系の呪術を使う相手だと判断し、警戒を強める。
だが、その時! 束縛からいち早く抜け出した者がいた。ロゼッタだ! 彼女は、持ち前の俊敏さで茨を切り裂くと、空中に浮遊して能書きを垂れる老婆…カナン目掛けて、一気に飛翔した!
「うるさい婆さんね! これでも食らいなさい!」
ロゼッタは、再び湾曲剣に魔力を込め、今度は別の技を繰り出す。ルーンの力を解放し、高速回転する手のひらサイズの空気の刃…真空の円盤を無数に生成! それらが、まるで蜂の群れのように、宙に浮かぶカナンへと襲いかかった!
「ぎゃぁぁぁぁーーっ!!」
予期せぬ反撃に、カナンは悲鳴を上げる。真空の刃は老婆の体を容赦なく切り裂き、彼女はバランスを崩して地面へと落下した。
術者がダメージを受けたことで呪術の効果が薄れたのか、一行の足元に絡みついていた茨は急速に萎び、地中へと沈んでいく。拘束が解け、他の者たちも自由を取り戻した。
「今です! 通り抜けますよ! こんな得体の知れない相手に構っている時間はありません!」
ノベルの掛け声と共に、一行は一気呵成に通路の中へと駆け込んだ。
「お、おまち……! この、クソガキどもめ……! よくも、よくもこのカナン様を……!」
地面に叩きつけられ、傷を負ったカナンは、怒りに顔を歪ませながら叫ぶ。
「あちきを本気で怒らせたことを後悔させてやるわ! もう、木偶なんてもんじゃない……もっと苦しい目に遭わせてやる! 出てきなさい! あちきの可愛い泥人形たち! あの者どもを捕らえるんだよ!」
カナンの叫びに呼応するように、再び周囲の地面から黒いタールが勢いよく湧き出し、瞬く間に巨大なタール溜まりを形成する! それはすぐに数個に分裂し、それぞれがカナン自身を模したような、三角帽をかぶり杖を持った、小さなタール魔術師の姿へと変貌を遂げた!
「さあ、お行き! あの生意気な奴らを、あちきの元へ引きずってきな!」
カナンが命じると、タールでできた分身の魔術師たちは、杖を振りかざし、スゥッと地面の中へと消えていった。追跡を開始したのだろう。
その直後、カナンのいる空間に、更なる異変が起こる。まるで絵の具を水に溶かしたように、空間そのものが歪み、色を変え始めたのだ。薄暗かった広間が、毒々しいまでのチェリーレッド…あるいは濃い血のような色合いに染め上げられていく。薄暗さは消え、代わりに妖しく、甘美で、それでいて危険な雰囲気が辺りを支配する。
そして――
「キャハハハハ♪ キャハハハハハハハ♪」
空間の上方、カナンが浮いていたよりもさらに高い位置から、鈴を転がすような、しかしどこか狂気を孕んだ甲高い笑い声が響き渡った。
「あらあら、カナンちゃ~~ん? 随分と、お癇癪を起こしているみたいじゃないのぉ♫」
その声に、カナンはびくりと体を震わせ、恐れおののくように声のした方を見上げた。
「……こ、これは……【ヴァンデッタ】……お姉様……!? なぜ、このような下層に……?」
「キヒヒヒヒヒ♪ 『何しに』ですってぇ? ずいぶんと生意気な質問してくれるじゃないの、カナンちゃん。あんまり無礼な口をきくと……消滅させちゃうわよ~~ん?」
声の主…ヴァンデッタは、妖艶な響きの中に、絶対的な脅威を滲ませて言った。
「も、申し訳ございません、お姉様! あちきはただ、お姉様がこのような辺鄙な場所までお越しになるなんて、あまりにも珍しいことだと思いまして……!」
カナンは必死で弁解する。
「キヒヒヒヒヒ♪ ……ふぅん? カナンちゃんにしては、中々、鋭いところもあるじゃないのぉ~。ちょっぴり、見直しちゃったわよ~~ん?」
ヴェンデッタは、機嫌が直ったのか、あるいは単に気まぐれか、楽しそうに笑う。
「あ……ありがとうございます、お姉様……!」
カナンは安堵したように息をつく。
この老婆カナンに「お姉様」と呼ばせる存在、ヴァンデッタ。彼女は、見る者を惑わせる完璧なプロポーションを持つ、絶世の美女だった。燃えるような赤い髪、血のように赤いルージュが塗られた蠱惑的な唇、そして肌の露出が多い、深紅のドレス。しかし、その美しさは、ただ綺麗なだけではない。瞳には、一度見たら決して忘れられない、抗いがたい魔力が宿っていた。男であろうと女であろうと、人間であろうとなかろうと、その視線に捉えられた者は、魂ごと釘付けにされてしまうかのような、恐ろしくも甘美な瞳力。淫靡な魅力を持つサキュバスとも似ているが、ヴァンデッタが放つオーラは、悪魔のそれとは比較にならないほどの、圧倒的な『格』の違いを感じさせた。その妖艶な美女が、今は優雅に、細長い魔杖の上に寝そべるような姿勢で宙に浮遊し、カナンを見下ろしている。見た目は若々しいが、カナンより遥かに年長であることは、その呼び方からも明らかだった。
「実はねぇ、カナンちゃん。ここに、とぉーっても面白そうな『オモチャ』が、もう間もなくやって来るのよ。……特別に、あんたにも見せてあげよっかなぁ?」
ヴェンデッタは、悪戯っぽく微笑む。
「……? 面白そうな……者、でございますか?」
カナンは訝しげに問い返す。
「キヒヒヒヒ♪ 関心、あるみたいじゃない? いいわ、いいわ。どうせ通り道だもの。ついでだから、あんたにも見物させてあげる」
「は、はい! お姉様! あちきも、ぜひお供させていただきます!」
「キヒヒヒヒ♪ いらっしゃ~~~い♪ 歓迎するわぁ~♪」
ヴェンデッタの甲高い笑い声が、歪んだ空間に響き渡った。
【場面転換:ノベル達 - 迷宮通路】
その頃、ノベル達は、カナンが差し向けた追っ手から逃れるべく、必死で通路を疾走していた。既に最初の遭遇地点から50メートル以上は離れているはずだ。
「走れ、走れ! 息を切らすな! そこ、右だ! 右へ曲がれ!」
ノベルが指示を飛ばし、一行は息を切らしながら右の通路へ飛び込む。ダッダッダッ!
「うわっ!」
先頭を走っていたヒューイが急停止する。
「ダメだ! ノベルさん、こっち、行き止まりだ!」
「なに!? 戻れ、早く戻るんだ!」
リバックがテリアルを担ぎ直しながら叫ぶ。一行は慌てて引き返し、最後尾から追いついてきたロゼッタと合流する。
「えっ、どうしたの!?」
「行き止まりです、ロゼッタさん! 早く、反対側の通路へ!」
気絶したテリアルを抱えた一行は、追手の気配に怯えながら、再び暗い通路を駆け抜ける。先が全く見えない迷宮の中を、まるで終わりのないマラソンのように、ただひたすらに進んでいた。
【場面転換:マルティーナ達 - 夜の離宮入口】
一方、ノベル達とは別の場所で、マルティーナ達一行は、ゲオリクに教えられた『夜の離宮』の外壁付近に到達していた。彼らは、離宮内部へと通じる入り口を探し、壁沿いを慎重に探索していた。
「マルティーナ様、こちらに! 入り口らしき扉があります!」
斥候役を務めていた兵士の一人、シーエンスが声を上げた。
「マルティーナ様、シーエンスが入口を見つけたようです」
シャナがマルティーナに報告する。
「分かりました。皆、そちらへ向かいましょう」
「はい!」
マルティーナ達は、シーエンスが発見した扉へと向かった。
【場面転換:ノベル達 - 謎の扉の前】
迷宮の通路を走り続けていたノベル達は、やがて、今までとは明らかに雰囲気の異なる、荘厳な両開きの扉の前に辿り着いた。薄暗い通路とは対照的に、その扉周辺は、不気味な薄緑色の光…エクトプラズマのような光源でぼんやりと照らされていた。
その光に照らし出された扉の両脇には、巨大な女神像が飾られている。右側の像は、見るからに嘆き悲しむ表情で涙を流しながらも、その手には巨大な大鎌を握りしめ、まるで今にも振り下ろさんとするかのように静止している。左側の像は、対照的に、悪魔か何かの首級を右手に誇らしげに掲げ、残忍な笑みを浮かべ、長い舌を覗かせながら、扉に近づく者を見下すような視線を向けていた。
「な、なんだ、ここ……? この緑色の光も……気味が悪いなぁ……」
ヒューイが、その異様な雰囲気に呑まれ、不安そうな声を漏らす。
「この装飾と扉の大きさから察するに、この宮殿の中でも特に重要な場所…おそらくは謁見の間のような場所でしょう。緑色の光源は、やはりエクトプラズマ…霊的なエネルギーの類である可能性が高い。以前入った保管庫の扉とは比較にならないほど、格の高い造りです」
ノベルが冷静に分析する。
「……入るの?」
ロゼッタは、既に覚悟を決めているようだ。
「他に道はありません。テリアルを救うためにも……入りましょう」
ノベルも頷き、リバックと無言で視線を交わす。リバックは、担いでいたテリアルをそっと地面に寝かせると、重厚な扉を開けようと、その表面に手を伸ばした。
しかし、彼が触れる前に、扉はまるで意志を持っているかのように、自らゆっくりと開き始めたのだ。
ギィィィィィィィィィ………………
重々しい軋み音を立てながら、高さ5.5メートル、一枚の幅が2.5メートルはあろうかという巨大な両開きの扉が両側へと完全に開かれる。
ガシャン。ガシャン。
開かれた扉の向こうに見えたのは、広大だが薄暗い空間だった。壁際には、入口と同様のエクトプラズマによる緑色の光源ランプが、一定の間隔で設置されており、その弱々しい光が、近くに立つ騎士の像を部分的に照らし出していた。フルフェイスの兜を被り、重厚なプレートアーマーを身に着けた騎士の像。中には大盾を構えたものも見える。それらの像は、ランプと同じ間隔で、ホールの奥へと続いているように見えた。ざっと見ただけでも、6体以上は確認できる。
(また、あのタールの兵士のように動き出すのか……?)
ノベル達は、一瞬たりとも気を抜かず、周囲の変化に全神経を集中させていた。
しかし、しばらく待っても、像が動き出す気配はない。
「なんだ……? ただの騎士の像が置いてあるだけか……?」
ヒューイが、生きている者の気配がないことに安堵したのか、思わず声を漏らした。
その瞬間――ヒューイのすぐ傍らにあった騎士像の兜の奥で、双眸が、エクトプラズマランプと同じ、不気味な緑色の光を宿した! そして、その緑の瞳が、ギロリとヒューイを睨みつけたのだ!
「あぎゃぁぁぁーーっ!!」
ヒューイは短い悲鳴を上げ、腰を抜かして地面に尻もちをついた。
「ヒューイ、どうした!?」
「またあんたは、大げさな声を出す!」
「何を見ましたか!?」
仲間達が駆け寄る中、ヒューイは震える指で像を指差した。
「め、目が……! こいつ、緑色の目で……俺を睨みやがったんだ!」
ヒューイの言葉を証明するかのように、一体の騎士像の目が光ったのを皮切りに、ホールに配置されていた他の騎士像達の目も、次々と緑色の光を灯し始めた。そして、硬質な音を立てながら、一体、また一体と動き出したのだ! 暗闇に浮かび上がる緑色の光点の数からして、その数は軽く10体を超えている。
「数が多いですね……! しかも、またあのタール兵のように不死身の可能性もあります! 皆さん、油断しないでください!」
ノベルが警告を発する間に、リバックが素早く前面に出て大盾を構える。ロゼッタがその斜め後ろに位置し、ノベルとヒューイがさらに後方に下がって陣形を組む。
「くるぞ!」
まさに、動き出した像騎士達との戦闘が始まろうとした、その時。
ホールの奥、暗闇の中から、威厳のある、しかしどこか疲れたような声が響いてきた。
「……待て」
その声は、マーブル新皇国や旧タートス王国で使われている、親しみのある言葉で発せられたのだ。そして、そのたった一言がホール全体に響き渡ると、あれほど殺気立って動き始めていた騎士像達の動きが、全て、一斉に、ピタリと停止したのだ。まるで、操り人形の糸が切れたかのように。
「な、何なんだよ……。たった一言で、こいつら、止まったぞ……」
ヒューイが、信じられないといった様子で呟く。
「ほう……これはこれは。珍しく、言葉の通じる客人たちのようじゃな。一体、どこから迷い込んできたのじゃ? ……まあ、よい。せっかくここまで来たのじゃ。こちらへ来て、少し話を聞かせてはくれまいか。……んん? どうじゃかな?」
しわがれた、老人の声。先ほど騎士達を制止した声と同じ主だろう。暗闇の奥から、穏やかだが、有無を言わせぬ響きをもって、そんな言葉が掛けられてきた。
どう対応すべきか、即座に思考を巡らせたのは、やはりノベルだった。他の者たちは、まだ像騎士への警戒を解かず、声の主に対する敵意と疑念を隠せずにいる。
ノベルは、一歩前に出て、声の主に向けて可能な限り丁寧に、しかし状況の切迫さを込めて答えた。
「我々は、意図せずしてこの場所に迷い込んでしまいました。あなた様の領域に無断で踏み込んでしまった非礼、どうかお許しください。ご覧の通り、我々は重傷を負った仲間を抱えております。今はただ、一刻も早くこの宮殿から脱出し、彼を安全な場所へ運びたい、ただそれだけなのです」
書き始めて約一年が経ちました、当初はすぐ終わると思ってましたが
中々書くのが遅くなり、また、書いたものが気に入らずに大量に書き直したり・・
今年は最後まで書けるのだろうかと思いつつ。




