少年達と鉱山 その4
鉱山から出て来ない子供たちに気付いた大人たちは、大慌てで
捜索隊を編成する事に!
その7
それから三時間。鉱山管理人のジョペリは、名簿をめくる指が汗で滑るのを感じていた。タンガ、スペアー、ロスコフ。三人の名前に、まだ退坑の印が付けられていない。懐中時計を何度も取り出し、カチカチと進む秒針の音が、彼の焦燥を煽る。
「まずい……まだ出てきていない……!」
特に、ロスコフの名が彼の脳裏に焼き付いていた。ワーレン領主のご子息。あの時、坑道に入る彼らの背中を、一抹の不安と共に見送ったことを、今更ながらに後悔していた。焦りは恐怖に変わり、彼の背筋を冷たい汗が伝う。ジョペリは震える手で部下に指示を飛ばし、自らも捜索隊を募るために走り出した。
その頃、フォルクスたちは屋敷に戻り、酒とつまみで寛いでいた。地下の研究室で起きた不可解な現象――暴走した【大魔晶石】のことは、ひとまず頭の隅に追いやって。
「いいのかい?あれを放置しておいて」
川魚の焼き物を口に運びながら、エクレアが尋ねる。彼女のグラスに注がれたワインが、どこか生ぬるく感じられた。
「下手に手を出す方が危険だ。今は様子を見るしかない」
フォルクスは木の実をかじりながら答えるが、その視線は鉱山のある方角を向いていた。気のせいか、微かな振動が、足元から伝わってくるような気がした。
「わははは! そのよく分からんことに我らを巻き込んだのは、どこの誰でしたかな!」
ロウ爺さんが豪快に笑い飛ばす。だが、その直後、真顔に戻って言った。
「しかし、あれほどのエネルギー……まるで、儂のマジックレーザーを何百倍にもして返してきたようじゃった」
彼らの雑談を切り裂くように、外がにわかに騒がしくなる。
「何かあったようだね」
エクレアが眉をひそめた、その時だった。
門番が血相を変えて執事のマリウスに駆け寄り、報告する。その言葉を聞いたマリウスの顔から、さっと血の気が引いた。
コンコン、コンコン!
「フォルクス様、大変です!」
マリウスが息を切らして部屋に飛び込んでくる。彼が手にしていた盆から、食べかけのつまみが音を立てて滑り落ちた。
「どうした、マリウス。そなたがそれほど慌てるとは」
「ロスコフ卿が……ご友人と共に、坑道から戻られないと……!」
その言葉が響いた瞬間、部屋の空気が凍り付いた。ロウとエクレアは、まるで氷水を浴びせられたかのように酔いを覚まし、音もなく立ち上がる。
フォルクスもまた、ゆっくりと立ち上がった。その動きは静かだったが、彼の内側で何かが燃え上がるのが、誰の目にも明らかだった。
「鉱山へ行く。今すぐ、領内の男たちを全員集めろ!」
マリウスの指示一下、屋敷の者たちが走り出す。その声は瞬く間に領地中に広がり、夜の闇に松明の灯りが次々と灯されていった。人々の荒い息遣いと、地面を蹴る無数の足音が、一つの大きなうねりとなって鉱山へと向かう。
鉱山の入り口は、混乱の渦中にあった。捜索隊の第一陣に続き、第二、第三陣が次々と坑道の闇へと吸い込まれていく。そこに、フォルクスたちが駆けつけた。彼らが坑道へ降りようとした、その時だ。
「お待ちください、フォルクス様! 中は危険です!」
鉱山管理人の一人が、高齢の領主を案じて立ちはだかった。だが、それは火に油を注ぐ行為に等しかった。
「馬鹿者ッ!」
フォルクスの怒声は、ただの大声ではなかった。それは空気を震わせ、周囲のざわめきを一瞬で静止させるほどの、絶対的な権威の咆哮だった。
「中にいるのは、儂の命より大事な孫だ! このワーレンを継ぐべき、次代の当主なのじゃぞ!」
管理人は恐怖に肝を冷やし、まるで蛇に睨まれた蛙のように縮み上がった。その肩を、エクレアがそっと叩く。
「しっかりしなさい。あなたは管理人の務めを果たしただけだよ」
その声は、極限状態における冷静さの価値を知る者の、静かな賞賛だった。
「行くぞ、二人とも!」
フォルクスは、有無を言わさぬ気迫で、坑道の闇へと足を踏み入れた。
それから二時間後、絶望的な報せが地上にもたらされた。衰弱した二人の子供が救出され、そして、一人の子供が、冷たい亡骸となって家族の元へ戻された。
翌日、ロスコフは祖父に連れられ、スペアーの家へと向かっていた。まだ体は鉛のように重かったが、じっとしてはいられなかったのだ。
スペアーの家に着くと、小さな葬儀が執り行われていた。遺体の周りには野の花が飾られ、近隣の住民たちが静かに祈りを捧げている。
ロスコフは、白い布がかけられた担架に近づいた。布がめくられ、上半身だけとなった親友の顔が現れる。そのあまりに安らかな寝顔が、かえって彼の胸を締め付けた。
フォルクスは参列者に向かい、深く頭を下げた。
「スペアー殿の勇気ある行動に、心より感謝を。ご両親様には、深く哀悼の意を表します」
その言葉を受け、ロスコフはスペアーの両親の前に進み出た。
「僕のせいです……僕が弱かったから……」
涙が、彼の言葉を何度も遮る。
「僕を助けるために、スペアーは戻ってきてくれたんです。僕の代わりに……僕がもっと強ければ……うっ……」
その痛切な謝罪は、誰の心をも打った。それは単なる後悔の言葉ではなく、目の前の悲惨な亡骸と、助けられなかった自分への、どうしようもない自己非難の叫びだった。
フォルクスは、失われた命への敬意と、領主としての責務を果たすため、一つの約束をした。これまで他人の畑で働いてきたスペアーの両親へ、領主が所有する小麦畑の一部を、百年間無償で貸与すると。それは金銭では償えない、失われた未来への、せめてもの敬意の形だった。
タンガは、その光景を少し離れた場所から、ただぼんやりと眺めていた。周囲の話し声は、まるで水の中にいるかのように遠く、人々の姿は滲んだ水彩画のように輪郭を失っている。彼の世界から、色が、音が、温度が消え失せていた。あまりに大きな喪失感が、彼の五感を麻痺させていたのだ。
その傍らに、スペアーの霊体が静かに寄り添っていた。タンガには見えず、感じることもできない。だが、スペアーの魂は、無意識のうちに、いつものように親友の隣にいる。そこが、自分の唯一の居場所だとでも言うように。
しかし、両親の涙、そしてタンガの深い悲しみに触れた時、その魂に何かが感じ取られたのだろう。
霊体の輪郭が、陽炎のように揺らめき始める。それはもう、誰にも止めることのできない、魂の摂理だった。消えゆく瞬間、タンガの周りの空気がふわりと温かくなった。スペアーの魂が、最後の想いを込めて、親友の頬を撫でたかのように。そして、全てが深い静寂に包まれた。
スペアーが天に昇ったことに、タンガは気づかない。彼の虚ろな瞳は、ただ、葬儀に参列するロスコフの姿を捉えていた。
(……ロスコフ様は、無事だったんだ)
悲劇のどん底で、その事実だけが、彼の凍てついた心に差し込んだ、唯一の小さな光だった。その微かな安堵に、タンガは知らず知らずのうちに、固く握りしめていた拳の力を、ほんの少しだけ緩めた。
最後まで読まれた方、ありがとうまた続きを見かけたら宜しくです。




