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生贄の迷宮 その8

迷宮で見つけた保管庫、その中で眠っていた装備には現在のノース大陸では

使われていない未知の金属で出来た装備やルーン文字が掘られた魔法を帯びた

装備品が多数保管されてあった、それらを物色し、ボロくなった装備を交換、

装備を整え持ち直した冒険者と王国兵士たちは、3方向に分かれた新たなる通路に出くわす、

しかし今度は時短を優先する為、二手に分かれて行動する事に決めた・・・


                その68



この武器庫に保管されていた装備の数々は、一見してかなり古い年代物であることが窺えた。しかし、それらは現在ノース大陸で一般的に出回っているどの装備とも明らかに異なり、ただならぬ存在感を放っていたのだ。埃を厚く被ってはいるものの、全体的に異質なデザインや素材のものが多く、冒険者たちの目を釘付けにした。

特に、ベラクレスが手にした赤熱する大剣のように、明らかに通常の装備の範疇を超えている品々も散見された。もしかすると、エピック級をも超えるレジェンダリー級、あるいはアーティファクトと呼ばれる伝説級の武具なのではないか? 確証はないが、そう思わせるだけのオーラを放つ装備が、無造作に混じっているように見えた。

中でも、部屋の中央にある台座に乗せられ、特別に展示されているかのような装備や、厳重な箱に収められている装備品は、一際強い異様な存在感を放っており、これらが特に価値の高い選別品であることは、経験豊富な冒険者たちには一目で分かった。

彼らは、先ほどの反省も忘れ、腹を空かせたハイエナが獲物を漁るかのように、鬼気迫る勢いでそれらの装備に群がった。埃爆弾が部屋中に舞い上がるのもお構いなしに、目当ての装備を手に取り、埃を払い、その力を確かめようとする。

後方でその様子を見ていたマルティーナは、これまで見たことのない、冒険者たちの剥き出しの欲望や興奮といった一面を垣間見て、少しだけ気圧された。しかし同時に、安堵の気持ちも抱いていた。

「……これで、皆さんの装備の心配はなくなりましたね」

「はい、マルティーナ様。これも女神セティア様のお導きかもしれません。感謝いたしましょう」

隣にいたシャナの言葉に、マルティーナも静かに頷いた。

それから、かなり長い時間が経過した。冒険者たちは時間を忘れ、夢中になって装備を手に取り、あれこれと見比べ、自身のスタイルや能力に合ったものを選び出していく。気に入った装備が見つかると、それまで使っていた損傷した装備を惜しげもなく脱ぎ捨て、新たな力を秘めた装備へと換装していく。その熱気は冒険者だけにとどまらず、王国兵たちにも伝播し、彼らもまた、より良い装備を求めて武器庫を物色し始めた。誰もが、来るべき戦いに備え、自らを強化しようと必死だったのだ。

しかし、装備の選別にそれほど興味のないマルティーナにとっては、その時間はひたすらに長く、もどかしいものだった。彼女の頭の中は、一刻も早く大精霊の元へ辿り着き、マーブル国を救わなければならないという使命感で一杯だった。いつまでもこんな場所で時間を浪費しているわけにはいかない。「早く出発しましょう」と、何度喉まで出かかった言葉を飲み込んだことだろうか。

だが、子供のように目を輝かせ、新たな装備を手にワクワクした表情を見せる冒険者たちの姿を見ると、どうしても急かすことができなかった。彼らにとっても、この装備の更新は生死を分ける重要なことなのだ。

マルティーナは、そっとため息をつくと、部屋から退出した。オクターブとシャナを伴い、最初に出たホールへと戻り、皆が出てくるのを静かに待つことにした。

さらに一時間近くが経過した頃、ようやく武器庫から満足げな表情の者たちが現れ始めた。全員がホールに揃うまでには、そこからさらに30分近くの時を要した。そこで、それまで辛抱強く待っていたマルティーナが、ようやく声をかけた。

「皆さん、気に入った装備は見つかりましたか?」

その問いかけに、冒険者たちは口々に上機嫌で答えた。

「はい、マルティーナ様! おかげさまで、とんでもない逸品を見つけましたぜ!」

「ああ、命を賭けてこの『生贄の迷宮』とやらに潜った甲斐があったってもんだ!」

誰もが、手に入れた新たな装備に満足している様子だった。これで、次にどのような強敵が現れたとしても、以前よりは格段に有利に戦えるはずだ。その事実に、マルティーナも少しだけ安堵の表情を浮かべた。

全員が出てきたことをシャナが確認し、マルティーナに報告する。報告を受けたマルティーナは、改めて一行に向き直り、号令を発した。

「それでは皆さん、参りましょう。残るは、右側の通路です」

その号令と共に、一行は新たなる装備を身に纏い、ホール右側に見える通路へと足を踏み入れていった。しばらくの間、通路には特に変わった様子もなく、罠や敵が現れる気配もなかった。ただ、ひたすらに長い石造りの通路が続いているだけだった。

しかし、用心を怠ることなく進み続けていると、やがて再び開けたホールのような空間に出た。そして、そこにもまた、前方へと続く3つの通路が待ち構えていたのだ。(※図は省略)

「また…三叉路ですか」

「どうしましょう、マルティーナ様?」

オクターブが尋ねる。マルティーナは、思案するようにノベルへと視線を向けた。

「ノベル様は、どう思われますか?」

「はい。残念ながら、先の情報が全くない現状では、どの道が正解か、あるいはより安全かを判断することは不可能です。ここは、皆で相談し、流れに任せてみるのが良いかと存じます」

ノベルは慎重に答えた。

「分かりました。そうしましょう」

そこで、再び話し合いが持たれた。一つ一つの通路をこれまで通り全員で探索していくべきか、それとも効率を考えて分かれて進むべきか。

議論の中で、ノベルが提案した。

「マルティーナ様、今回は皆、新たな装備も手に入れ、戦力も向上しました。ここは思い切って、二手に分かれて探索を進めてみてはいかがでしょうか。その方が、時間短縮に繋がるかもしれません」

ノベルの提案に、マルティーナも同意した。先ほどの武器庫での時間ロスを少しでも取り戻したいという思いがあったからだ。

「確かにそうですね。ノベル様の提案に、私も賛成です。……ですが、皆さんはどう思われますか?」

マルティーナが皆に意見を求めると、結果は賛成9名、反対7名となり、今回は二手に分かれて行動することが決定された。

それを受けて、アスタリオンが具体的な編成について尋ねた。

「よし、分かれて行動するなら、どう分ける? 王女様たちの王国兵グループと、俺たち冒険者グループで綺麗に分かれるか? それとも、戦力バランスを考えて、ごちゃ混ぜにするか?」

ノベルが答える。

「いえ、王国兵の皆さんは、マルティーナ様とご一緒に行動されるのが最も安全でしょう。そこで、冒険者の中からお一人だけ、王国兵のグループに同行していただく形を考えております」

「ふむ。それで、誰にするんだ?」

アスタリオンが尋ねる。

「ダクソンさんにお願いしようかと考えております。ヨトゥンとの戦いの後、ダクソンさんは常に王国兵の皆さんに近い位置取りをされていました。それに、ハンターとしての索敵能力は、我々にとっても、王国兵の皆さんにとっても、非常に有用なはずです」

ノベルからの指名に、ダクソンは少し驚いたような顔をしたが、すぐに頷いた。

「……俺は別に構わねぇが……言っておくが、俺は前には出ねぇぞ」

「もちろんです。ダクソンさんに担っていただきたい役割は、皆理解しているはずです」

ノベルが言うと、ダクソンは少しぶっきらぼうに続けた。

「……俺に求めているのは、いち早く敵や罠を察知することだろ? 兵士たちの索敵能力は、正直言って低いからな。それは分かってる。だが、さっきも言った通り、俺は前衛はやらん。あくまで後方からの援護、索敵に徹する。それでもいいならな」

「はい、それで結構です。無茶は申しません」

「……分かった。それなら、その編成に従おう」

「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします」

こうして、パーティーは二手に分かれることになった。ノベル、リバック、アスタリオン、ロゼッタ、テリアル、ヒューイ、そしてラージンを含む冒険者主体のグループ(7名)は、左側の通路へ。マルティーナ、オクターブ、シャナ、ベラクレス、そして残りの王国兵たちと、ハンターのダクソンを加えた王国主体のグループ(8名)は、中央の通路へ進むことになった。

冒険者グループがまず左側の通路へと進み、その姿が見えなくなると、マルティーナが自身のグループに声をかけた。

「さあ、私たちは中央を進みます。行きましょう!」

一方、左側の通路を進み始めた冒険者グループ。通路はすぐに右へと折れ曲がり、北方向へと向かっていた。

その通路をしばらく進むと、通路の左側の壁に、等間隔でステンドグラスが嵌め込まれた窓が並んでいるのが見えてきた。そして、その窓を通して、外からの柔らかな光が差し込んでいることに気づいた。

(※図は省略。中庭に面した柱廊のような構造をイメージ)

遠目に見えるその光は、通路の一部分を明るく照らし出しており、「あれは何だろう?」と、先頭を歩いていたアスタリオンとテリアルの興味を引いた。

一行は、その光に引き寄せられるように、さらに通路を進んでいく。

近づくにつれて、その光が自然光――太陽の光であるという確信が、皆の中に生まれ始めていた。「まさか……」という思いと共に、自然と足取りが速くなる。冒険者たちは、逸る気持ちを抑えきれず、駆け足で光が差し込む場所へと急接近した。

そして、彼らがたどり着いた場所で見た光景は、驚くべきものだった。そこには、等間隔に並ぶ美しい装飾が施された円柱があり、その間からは青々とした樹木と、眩しいほどの太陽の光が見えたのだ。通路の先には、手入れの行き届いた広大な中庭が広がっていた。

中庭には、綺麗に刈り込まれた芝生が広がり、色とりどりの草花が植えられた花壇が点在し、ちょうど見頃を迎えた花々が咲き誇っていた。

一行が足を踏み入れた場所から先は、通路の壁の代わりに、2メートル間隔で装飾的な石柱が立てられ、それらが優雅なアーチを描きながら屋根を支えている、柱廊のような構造になっていた。明らかに、これまでの閉鎖的な通路とは異なり、外の景色を眺めることを意識して設計された、開放的な空間だった。石柱の一つ一つにも、驚くほど細かく丁寧な彫刻が施され、鮮やかな彩色が施されており、その芸術性の高さに、一行はしばし感嘆の声を漏らした。

そして、何よりも彼らの心を捉えたのは、降り注ぐ太陽の光だった。マーブル国が吹雪に見舞われて以来、彼らは一度も太陽の光を浴びていなかったのだ。ある者は、窓から差し込む光に手をかざし、その温かさを確かめる。しかし、それだけでは物足りない。もっと、全身でこの光を浴びたい。

そんな思いに駆られたアスタリオンは、石柱の間をすり抜け、庭に植えられた樹木の茂みを掻き分けて、中庭へと飛び出した。

そこは、遮るもののない、燦々と太陽の光が降り注ぐ空間だった。久方ぶりに全身で浴びる太陽の温かさに、アスタリオンは思わず恍惚とした表情を浮かべた。「ああ……なんて心地いいんだ……」

だが、彼はすぐに我に返ると、冒険者としての習性から、油断なく周囲の状況を観察し始めた。

周りの景色はどう見ても地上だ。木々が茂り、花が咲き、暖かい風が頬を撫でる。この暖かな日差しと体感温度から察するに、季節は春か、あるいは初夏といったところだろう。極寒のマーブル国とは、まるで別世界だ。

「……迷宮の奥深くに、なぜこんな場所が……?」

アスタリオンは、思わず独り言を漏らした。

少し遅れて中庭へとやってきたノベルとリバックも、目の前に広がる光景に言葉を失った。吹雪が吹き荒れるマーブル国とは全く異なる、穏やかで温暖な気候。

「……なんてことだ……。この日差しの暖かさ、心地よさ……信じられん。ここは、いったい……? 我々は、迷宮の深層を目指していたのではなかったのか?」

リバックが呆然と呟く。

ノベルは、冷静に周囲を観察しながら考察を述べた。

「確かに、我々は迷宮の中を進んできたはずです。ですが、思い出してください。我々は未知の転移装置を使用しました。あの装置が、必ずしも迷宮のさらに深層へと繋がっていたとは限らないのです。もしかすると、ここはずっと遠く離れた異国の地……そういう可能性も考えられます。いえ、むしろ、この気候を考えれば、ここが地上であり、マーブル国からはるか遠方の地である可能性の方が高いでしょう。それに、この気温……かなり暖かい。我々が着ている防寒着のままでは、暖かいどころか、むしろ暑いくらいです。これだけ気候が違うということは、やはりここは……」

「マーブルから遠く離れた、異国……だって!?」

ノベルの推測に、他の者たちも驚きを隠せない。自分たちが今どこにいるのか、全く見当がつかないという事実に、改めて不安がよぎる。

だが、そんな深刻な考察などどこ吹く風、という者たちもいた。彼らにとっては、現在地がどこであろうと、この久しぶりの太陽の光は何物にも代えがたい喜びだったのだ。彼らは芝生の上に大の字に寝転がったり、あぐらをかいて座り込んだりして、全身で太陽の温かさを満喫し始めた。

「空が……青い……! やっぱり、ここは外なんだわ……! 日の光がこんなに暖かくて……ああ、女神セティアよ、この恵みに感謝いたします……!」

普段はあまり信仰心を表に出さないロゼッタでさえ、思わず天に感謝の祈りを捧げていた。

皆、しばし戦闘の緊張感を忘れ、久々に浴びる暖かな日の光を堪能し、その恵みに感謝していた。

だが、そんな和やかな雰囲気の中にあっても、警戒を怠らない者もいた。双剣使いのテリアルは、心地よい日差しを浴びながらも、その意識は常に周囲へと向けられていた。彼は中庭を囲むように建てられた、こちら側と同じような様式の建築物を注意深く観察していた。

すると、ふと、気のせいかと思うレベルの、ほんの僅かな違和感を覚えた。視線を凝らすと、100メートルほど離れた向かいの建物に作られた中庭へと続くテラスと思われる箇所に、何か小さな黒い影が一瞬動いたように見えたのだ。

テリアルは息を止め、その場所に意識を集中させる。じっと見つめていると、確かに、小さな黒い人影のようなものが、テラスの手すりの陰に見え隠れしている。

(誰かいる……!)

テリアルがその影を視認し、さらに注意深く観察しようとした、その瞬間。こちらの視線に気づいたのか、その黒い影は、スッとテラスの内側へと姿を消してしまった。

「おい! 今、向こうの建物に、何かの影が動いたのを見たぞ!」

テリアルの声に、近くで日向ぼっこをしていたアスタリオンがすぐに反応。

「なに? どこに?」

「向こう側の建物だ。小さく見える、あのテラスの所!」

「よし、分かった! ちょっと様子を見てこようぜ!」

アスタリオンは即座に立ち上がり、テリアルもそれに続く。二人は息の合った様子で、中庭を横切り、向かいの建物へと駆け出して行った。

その様子を見ていたノベルは、「やれやれ、離れるならせめて一声かけてからにしてほしいものだ……」と内心でため息をついたが、彼らの自主性を尊重し、あえて何も言わずに行かせることにした。


アスタリオンとテリアルは、あっという間に向かいの建物にたどり着き、問題のテラスへと接近した。

「ここだな。このテラスに、さっきの影がいたんだ」

「何が出てくるか分からん。注意しながら入るぞ」

二人は慎重に周囲を警戒しながら、テラスを扇状に囲む腰の高さほどの装飾的なフェンスを軽々と飛び越え、テラス内へと侵入した。

テラスと建物内部を繋ぐ箇所にはドアなどはなく、テラスの幅と同じくらいの開口部があり、その両脇に装飾された円柱が立っているだけだった。そのため、テラスから内部の通路がよく見えた。外から見たときは、影になっていて暗く見えたが、近づいてみると、それはこちら側と同じような、ごく普通の石造りの通路のように見えた。


「なんだ? 暗く見えたけど、ただの通路じゃないか」

アスタリオンが拍子抜けしたように言う。

二人は警戒を怠らず、武器を構えながら、その通路へと足を踏み入れた。

アスタリオンとテリアルが建物内へと進んでいく間、ロゼッタ、リバック、ヒューイの三人は、なおも芝生の上で寝転がり、至福の時間を満喫していた。

だが、二人の動向に注意を払っていたノベルは、次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにした! アスタリオンたちが足を踏み入れた向こう側の建物全体が、まるで光を失ったかのように、急速に暗闇に包まれていくではないか!


「ややっ!? これはいかん! みんな、大変だ、起きてくれ!」

ノベルは仲間たちの方を振り返り、暖かさに呆けている彼らに向かって大声で叫んだ。そして、再び暗くなった建物の方へと向き直り、状況を注意深く観察する。すると、奇妙なことに気づいた。中庭のちょうど真ん中あたりを境界線として、向こう側半分が、まるで夜になったかのように完全に暗闇に閉ざされていたのだ。空までもが、その境界線でくっきりと昼と夜に分かれている。こちら側は依然として明るい春の日差しの下にあるというのにだ。

「こ、これは……どうなっているんだ!? 空まで、あそこから夜のように暗く分かれているではないか……! こちらは晴れているというのに……!」

ノベルは、その異常な現象に強い危機感を覚えた。

日向ぼっこでまだ少し呆けていた他のメンバーたちに、彼はもう一度、必死の形相で叫ぶ。

「大変なんです! アスタリオンたちが向かった先の建物が、突然、真っ暗闇に! 何かの罠に嵌ってしまったのかもしれません!」

ノベルのただならぬ様子に、ようやくリバックたちが現実へと意識を引き戻された。先ほどからノベルが何か叫んでいるのは聞こえていたが、久しぶりの心地よさに、すぐには反応できなかったのだ。だが、ノベルの必死の声を聞き、彼が指さす方向を見て、ようやく事態の異常さに気づいた。先ほどまで確かに明るかったはずの中庭の向こう側が、不自然なほど真っ暗になっていたのが分かった。

その異常な光景に、ロゼッタがはっとしたように叫ぶ。

「大変! アスタリオンとテリアルが! 二人の後を追わなくちゃ!」

「落ち着いてください! 皆、十分警戒しながら追いましょう!」

ノベルが制止しつつ、指示を出す。

未知の領域で、二人が罠にかかった可能性は高い。だが、ここで仲間を見捨てるわけにはいかない。一行は、離れ離れになることを避けるため、暗闇に包まれた向こう側の建物へと、警戒しながら向かうことにした。


それは、アスタリオンに続いてテリアルが建物内の通路に足を踏み入れ、その体全体が完全に通路内へと入った、まさにその瞬間に起こった。

二人が建物内に入るまでは、そこは最初の建物と同じ、ごく普通の明るい石造りの通路に見えていた。だが、テリアルの体が通路内に完全に入りきった、その刹那。何の予兆もなく、通路全体が深い闇に包まれたのだ!

「うわっ! どうしたんだ!? 急に真っ暗になっちまったぞ!」

アスタリオンが驚きの声を上げる。

「迂闊に動くな、アスタリオン! 今、明かりを探すから!」

テリアルが冷静に制止する。

だが、アスタリオンはテリアルの忠告を聞き入れるような男ではなかった。彼はすぐに踵を返し、入ってきた方向――バルコニーへと引き返そうとしたのだ。

そして案の定、暗闇の中でテリアルとぶつかってしまい。


「おい! 動くなって言ってるだろ! 今、明かりを探してんだから!」

テリアルが苛立ち交じりに言う。

「すまん、すまん。ちょっとバルコニーに戻れるか試してみようと思ってな」

アスタリオンは悪びれずにそう言いながら、なおもバルコニーがあった方向へと歩みを進める。すると、ドンッという鈍い音と共に、何かにぶつかって動きを止めた。

「いてっ! なんだこりゃあ!? 壁があるぞ!」

「だから、暗いんだから少し待てって言っただろうが!」

テリアルは、ようやく懐から小さな明かりを取り出し、アスタリオンの声がした方向へと向けた。それは、弱いながらも持続的に光を放つ特性を持つ水晶の原石が先端に取り付けられた、携帯用の小型スティックライトだった。

スティックライトの淡い光が照らし出したのは、壁に手をついて困惑しているアスタリオンの姿と、そして、彼がぶつかった、そこにあるはずのない、のっぺりとした石の壁だった。

「えっ……!? か、壁……? ここは……壁だ……!」

アスタリオンは信じられないといった様子で壁を叩く。

「ここだよな? 俺たちは、確かにここから入ってきたよな、テリアル?」

「ああ、そのはずだ。まだ数歩しか歩いていない。……とすると、壁が……湧いて出たとしか思えんな」

テリアルも、目の前の不可解な状況に眉をひそめる。

「そんな……! 一瞬で壁が出来上がるなんて……! やっぱり、これは罠だったのか!?」

「断言はできんが、その可能性は極めて高いだろうな」

「ちくしょう……! まーた、ロゼッタにガミガミ叱られちまうぜ……」

アスタリオンは、早くもこの後の展開を想像してうんざりしたように呟いた。

「おいおい、アスタリオン。そんな呑気なこと言ってる場合じゃないだろ」

テリアルが呆れたように言う。

「へへっ、心配すんなって。このくらいの見え透いた罠なんざ、俺様にかかれば、見事脱出してやっからよ!」

アスタリオンは根拠のない自信を見せる。

「……そうか。それなら、さっさと抜け出す方法を探そう」

テリアルは、アスタリオンの軽口には付き合わず、冷静に状況打開策を考え始めた。

そんなやり取りをしていると、周囲の壁、床、天井が、ぼんやりと薄い青緑色の光を放ち始めた。

「お? 今度はなんだ?」

二人は警戒しながら身構える。だが、その光は攻撃的なものではなく、まるでヒカリゴケのように、構造物自体が淡く発光しているようだった。

さらに奇妙なことに、そのうっすらとした光は、まるで生き物のように強弱をつけながら、壁や床、天井をゆっくりと移動し、複雑な模様を描き出している。秩序だった、しかし意味不明な光の明滅が、暗闇の中で始まったのだ。

「……これ、なんで動いてるんだ?」

アスタリオンが不思議そうに尋ねる。

「俺にも分からん。だが、もしかしたら、この光の動き自体には、特に意味はないのかもしれん」

テリアルは考察する。

その光は、通路全体を明るく照らすほどではなかったが、それでも完全な暗闇よりはいくらか視界が確保できるようになった。ゆっくりとなら、テリアルが持つスティックライトがなくても、進むことができそうな程度の光源にはなっていた。

「よし、それじゃあ、そろそろこの異変にノベルやロゼッタたちが気づいて、こっちに向かってるはずだ。俺たちも、ただ待ってるんじゃなく、別の出口を探して、ここから脱出しようぜ」

アスタリオンが提案する。だが、テリアルは、そもそもここに来た目的を忘れたのかと、アスタリオンを問い質した。

「おいおい、アスタリオン。俺たちは、先ほど入って来たテラスで見えた『何か』の影を追って、ここに入ったんだろう? それが、ちょっと暗くなったくらいで、何も探さずに、臆病風に吹かれて出口を探すって言うのか?」

テリアルの指摘に、アスタリオンは少しバツが悪そうに答える。

「いや、あの影を探すのは、皆と合流してからでもできるだろう。問題は、俺たちが罠に嵌っちまったかもしれないってことだ。この状態で、無闇に奥を探索するのは危険すぎる。それに、ロゼッタたちは、きっと俺たちを探すために、こっちに向かってるはずだ。このまま俺たちだけで勝手に奥へ進んじまったら、さらに皆に迷惑をかけることになるかもしれん。そうなったら……後でロゼッタに、どう言い訳すりゃいいんだ?」

「……ふん。そいつはご愁傷様なこったな、アスタリオン」

テリアルは、からかうように言う。

「おい、テリアル、てめぇ! 他人事みたいに言うんじゃねぇ!」

「だって、ロゼッタにそんなに気ぃ使ってんのは、お前だけだろう」

「……ぐっ……」

アスタリオンは言葉に詰まった。

一方、アスタリオンとテリアルの後を追ってきたノベルたち冒険者グループも、異変に直面していた。

先ほどまで確かに見えていた、暖かな日差しが降り注ぐ中庭の向こう側半分が、不自然な暗闇に覆われている。その暗い領域へと足を踏み入れると、気温も下がり、どこか不気味な空気が漂っていた。

彼らは、アスタリオンたちが向かったはずの建物を目指し、暗闇の中を進んでいく。二人の動向に注意を払っていたノベルの記憶を頼りに、テラスがあったはずの場所へとたどり着く。

しかし、そこには予想だにしなかった光景が広がっていた。ノベルの記憶では、確かにそこには中へと続くテラスがあったはずなのだ。だが、今、目の前にあるのは、のっぺりとした石造りの壁だけ。テラスはおろか、建物に入るための通路らしきものも、完全に消失している。

ノベルは、「まさか場所を間違えたのか?」と思い、周囲をぐるりと見回した。そして、元いた中庭の明るい側を振り返り、そこからの方角と距離を基準にして、テラスがあったはずの位置を再確認する。するとやはり、最初に目指した場所で間違いないはずの場所だ。

だが、そこにはただ、行く手を阻むかのように、冷たい石の壁がそびえ立っているだけだった。アスタリオンとテリアルは、この壁の向こう側に閉じ込められてしまったのだろうか? あるいは……。ノベルたちの間に、重い沈黙と、言いようのない不安が広がった。

 




最後まで読んでくれありがとうございます、引き続き見掛けたら読んでみてください。

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