ヨーデルの酒場で
大規模にグラティア教徒たちと、マーブル軍を巻き込んだ争いが行われ、
3000名を超える死者を出す事に成功したラバァルたちは、十分な混乱を引き起こせたと
思っていたが、ブレネフ参謀からの密書には帰還せよと言う内容は書かれて居なく、
追加の資金と共に別の 注文が書かれていた。
その57
【ヨーデル:吹雪の中のアジトにて】
マーブル王宮で国家の存亡を賭けた対策が練られている頃、ヨーデル市街の東のはずれ、打ち捨てられたボロ倉庫をアジトとするラバァルたちもまた、別の意味で窮地に立たされていた。終わりなく吹き荒れる猛烈な吹雪と、骨身に染みる寒さに、彼らは心底うんざりしていたのだ。
そもそも、なぜこんな極寒の地に未だ留まっているのか。話は一カ月前に遡る。
マルティーナ王女が主催したセティア教徒の大集会で起こった、グラティア教徒による襲撃事件。双方合わせて3000名以上の死傷者を出す大惨事となったこの事件の情報は、速やかにアンドレアス将軍配下の密偵を通じて、ルカナンの参謀本部へも届けられた。そして先日、新たな指令と追加の軍資金がラバァルたちのもとへ齎されたのである。その密書の内容を一読したラバァルは、思わず声を荒げた。
「なんだと!? まだ此処に滞在しろ、だと!」
密書と金貨袋を持参した密偵に対し、ラバァルは露骨に不満をぶつける。しかし、密偵は表情一つ変えずに淡々と告げる。
「それが命令です。内容は存じませんが、ブレネフ参謀は貴官らに大きな期待を寄せているご様子」
それだけ言うと、密偵は吹雪の中へと再び姿を消した。
ラバァルは忌々しげに密書を最後まで読み進める。
「……ぬぅぅ。今度は、この忌々しい吹雪をどうにかしろ、と書いてあるぞ……」
その言葉に、アジトに残っていた部下たちも一斉に不満の声を上げた。
「ラバァル、もう勘弁してくれよ! こんな凍える場所に長居するのはうんざりだ! 大体、自然現象をどうにかしろだなんて、無茶苦茶な命令じゃないか! 無視してさっさと引き上げようぜ。金だって十分稼いだんだしさぁ、もういいだろ!」
ニコルの言葉に、ラーバンナーもエルトンも深く頷く。現状、任務達成の報酬やこれまでの活動で得た金貨は十分すぎるほどあり、金銭的に困窮しているわけではない。そして何より、「吹雪をどうにかしろ」という命令自体が、常識的に考えて不可能に思えた。自然の猛威を相手に、一体何をどうしろというのか。普通の人間なら、そう考えて当然だろう。
現在、このアジトに残っているのは、ラバァル、ラーバンナー、ニコル、エルトンの四名。シュツルムとデサイヤはグラティア教団に潜入したまま情報収集を継続中、ルーレシアとマリィもセティア教の修道女として修道院での活動を続けている。本来なら、ヨーデルでの騒乱を煽るという当初の目的は達成されたと見なされ、ルカナンへの帰還命令が出てもおかしくない。
しかし、届いた密書に「帰還」の文字はなく、それどころか、この異常な吹雪によってルカナン本国で準備していた侵攻軍が国境に近づくことすらできなくなっており、その原因である吹雪を排除せよ、という新たな任務が課せられたのだ。あれだけの流血沙汰を引き起こし、十分に役目は果たしたと考えていたラバァルにとって、この命令は到底納得できるものではなかった。部下たちが不満を募らせるのも当然であり、ラバァル自身、一刻も早くこの凍える土地から離れたいという思いが強い。比較的温暖な地域で育った彼らにとって、この寒さは拷問に等しかった。
だが、ブレネフ参謀直筆の署名が入った密書は、事実上の絶対命令だ。逆らえば、ルカナンに戻り暮らす事は許されなくなるだろう、また何処かに帰る場所を探さなければならなくなる。
ラバァルたちは、不本意ながらも、この終わらない吹雪を止める方法を探さねばならなくなった。
しかし、問題は何から手をつけるべきか、だった。そもそも、なぜこれほどまでの寒波と吹雪が続いているのか? 彼らは当初、これがこの地方特有の厳しい冬なのだろうとしか考えていなかった。命令の真意を測りかねながらも、まずはこの異常気象の原因を探るため、現地での情報収集を一から始めるしかないと考えたのだ。
手始めに、地元の人間が集まる場所、特に情報が集まりやすいであろう冒険者向けの酒場へ足を運ぶことにした。ラバァル、ラーバンナー、ニコル、エルトンの四人は、アジトを出て、ヨーデルで一番賑わっていると評判の酒場へと向かった。
吹き付ける極寒の風雪の中を歩き、目的の酒場の重々しい木の扉を押して中に入る。入口で頭や肩に積もった粉雪を払いながら内部を見渡すと、むっとするような人々の熱気と、安煙草の燻った匂いが鼻をついた。薄暗い店内は喧噪に満ちている。壁には埃をかぶった古い武器や防具が無造作に飾られ、いかにも「冒険者の溜まり場」といった雰囲気を醸し出していた。
「ふーん、ここが冒険者の酒場か。しかし…僕たちのアジトより酷い匂いが充満してるね」
ニコルが顔をしかめて言う通り、店内には葉巻の煙の匂いに加え、何日も風呂に入っていないであろう者たちの汗と埃の混じった、何とも言えない濃厚な体臭が漂っていた。だが、ラバァルはさほど気にする様子もなく、ずかずかとカウンターへと進み出めと、年老いたバーテンダーに声をかけた。
「食事と飲み物を四人分。それと、四人で座れるテーブルは空いているか?」
老バーテンダーは無言で頷くと、奥に向かって声をかける。
「エルディン、お客さんだ。空いてる席へ案内してやってくれ」
声に応え、奥から体格の良い、精悍な顔つきの女性が現れた。彼女は無言でラバァルたちを手招きし、少し離れた場所にある空いたテーブルへと案内した。
「ここを使いな。何か用ができたら、大声で呼びな」
女性はぶっきらぼうにそう言うと、再び店の奥へと戻っていく。薄暗くてはっきりとは見えなかったが、女性にしてはかなり筋肉質で、戦士か格闘家のような歴戦の雰囲気を漂わせていた。
「流石は冒険者の酒場だな。ウェイトレスもただ者じゃなさそうだ」
ラーバンナーが感心したように呟く。彼の見立ては半分当たりで半分外れていた。後に知ることになるのだが、彼女はウェイトレスではなく、この酒場の常連客の一人だった。老バーテンダーのフェレルが一人で店を切り盛りしているため、手が足りない時に手伝いをすると、報酬としてエールが無料で飲める、という暗黙の了解があるらしい。
♪ ♫ ♬ ♫ ♩ ♪ ♫ ♬ ♫ ♩ ♪ ♫ ♬ ♫ ♩
店の片隅では、流れの吟遊詩人らしき男がリュートを奏で、物悲しい異国の旋律を紡いでいた。音楽に詳しくないラバァルたちにも、そのメロディが深い悲しみを帯びていることはすぐに分かった。胸に染み入るような、切ない響き。聴いているうちに、言いようのない感傷的な気持ちになり、知らず知らずのうちにその音色に引き込まれていく。
ラバァルは近くの席にいた男に、その歌について尋ねてみた。
「ああ、この詩か? 無理もない、聞く者の涙を誘うと言われる有名な悲恋の詩だよ。引き裂かれた恋人たちが、絶望の果てに共に死を選ぶ…その最期の情景を歌っているんだ」
「ふぅん、そうなのか。言葉の意味は分からなかったが、確かに胸が締め付けられるような、切ない響きだというのは伝わってくる」
こうして、ラバァルたちは冒険者の酒場の独特な雰囲気を味わいながら、食事と酒に舌鼓を打ちつつ、それとなく周囲の会話に耳を傾け、情報を集め始めた。それから二週間ほど、彼らは数日おきにこの酒場へ通い、少しずつ他の客たちと顔見知りになり、打ち解けていった。そして、粘り強い情報収集の末、ついにこの終わらない吹雪の原因に繋がる有力な情報を掴むことに成功する。
「――王家の秘宝だって!?」
ある日、馴染みになった中年の冒険者が、声を潜めて語り始めた。
「ああ。王宮の宝物庫に厳重に保管されてたっていう、〖永劫の冬〗とかいう名前のアミュレットが、少し前に賊に盗まれたらしいんだ」
「それで?」
「だが、その賊ってのが間抜けでな。逃げる途中で衛兵に追い詰められて、捕まる間際にヤケになったのか、その秘宝を地面に叩きつけて壊しちまったって話だ。だからよ、そのアミュレットに封印されてた大精霊ってのが解き放たれちまって、この止まらねえ吹雪を引き起こしてるんだと…もっぱら王宮内じゃ、そんな噂で持ちきりらしいぜ」
「なんだと…! それじゃあ、この大寒波の原因は、王家の管理不行き届きってことじゃないか!」
「まあ、そういうこったな。まったく、マーブル王家の連中は何やってんだか。グラティア教の連中がセティアの信者どもに乱暴してた時も見て見ぬふり、今度は自分とこの宝物を盗まれた挙げ句に壊されて、そのせいでヨーデル中が氷漬けだ。このままじゃ食い物も薪も尽きて、皆凍え死んじまうぞ」
男は吐き捨てるように言った。ラバァルたちがこの地に来る前に聞いていた、先代カイ・バーン王時代の高い評価とは裏腹に、現在のマーブル王家に対する民衆の評判は地に落ち始めているようだ。これでは今後、マルティーナ王女も国を立て直すのは相当大変だろうな、とラバァルは他人事のように思った。
ともあれ、これでようやく異常気象の原因が判明した。次は、どうすればこの吹雪を止められるか、という問題に取り組む番だ。原因が解き放たれた大精霊にあることは分かったが、単純にそいつを倒せば解決する話なのだろうか?
ラバァルは、以前この酒場で偶然見かけた、魔術師風の若い冒険者にその疑問をぶつけてみた。幸い、彼は快く話に応じてくれて。
「なるほど…大精霊が原因ですか。だとすれば、話は少々厄介ですね」魔術師は顎に手を当てて考え込む。「解き放たれた大精霊が、この地の精霊たちに直接命じて、冬以外の季節が訪れないように『理』を書き換えてしまった可能性が高いです。もしそうなら、原因となった大精霊を倒しただけでは、状況は改善しませんよ」
「では、どうすればいい?」
「同じく大精霊クラスの力を持つ存在に、この地の精霊たちへ干渉してもらい、季節の循環を元に戻すよう命じてもらう必要があります。つまり、フロストキングに匹敵する別の大精霊を見つけ出し、この地に連れてきて、精霊たちに新たな『理』を布告させる…それが最も確実な方法でしょうね」
魔術師の説明により、次の目標が明確になった。新たな大精霊を探し出し、協力を取り付けること。それが、ブレネフ参謀から課せられた無理難題を解決する唯一の道筋のようだ。
「それで、大精霊というのは、一体どんな場所にいるものなんだ?」
「一般的には、高密度のマナが自然に集積する『精霊石』の周囲や、マナが結晶化した『魔晶石』、特に力の強い『大魔晶石』が産出される鉱山の奥深くなどに現れるとされています。また、古代の遺跡や、強力な魔物が巣食う迷宮の最深部などで目撃されたという記録も、我々冒険者の間では稀に語られていますね」
「ふむ…では、この近辺に魔晶石が採れるような鉱山はあるのか?」
「残念ながら、この辺りの鉱山で主に産出されるのは鉄鉱石、銅鉱石、銀鉱石です。魔晶石が採れるほどの高マナ地域は、ヨーデル周辺では発見されていません。噂レベルですが、遥か西方のリバンティン公国には、魔晶石鉱山が存在すると聞いたことはありますが…」
「そうか…遠いな。では、迷宮で大精霊が見かけられたという話は?」
「それならば、一つ心当たりがあります。このヨーデルから北東に約370kmほど離れた場所に、【生贄の迷宮】と呼ばれる古代の迷宮が存在します。王家の書庫に眠る古文書に、その最下層に強力な大精霊が棲んでいた、という記述があるそうですよ」
「生贄の迷宮…? 王家の書庫…?」ラバァルは眉をひそめる。王宮と同じ情報に行き着いたことに、妙な因縁を感じた。
「ええ。ただ、その迷宮は非常に危険な場所として知られています。私自身は行ったことがありませんが、噂では最低でもAランクの冒険者が12名から18名ほどで大規模な探索隊を組まなければ、生きて帰ることすら難しいとか。私のようなBランク冒険者が足を踏み入れるべき場所ではありません」
「へぇ…Aランクが十数名か。大したものだな。ちなみに、今この酒場にいる連中の中で、Aランクの冒険者というのはどのくらいいるんだ?」
「さあ…私には一部の方しか分かりません。冒険者のランクについて詳しいことをお知りになりたいなら、カウンターのフェレルさんに尋ねるのが一番早いでしょう」
「そうか。色々と助かった、礼を言う」
ラバァルは情報提供の礼として、テーブルに銀貨を数枚置いた。
「いえ、お役に立てたなら。…どうか、ご武運を」
魔術師は銀貨を素早く懐にしまうと、軽く一礼して去っていった。
彼と別れたラバァルたちは、再びカウンターのフェレル老人の元へ向かった。
「親父、俺にはジンを。こっちのニコルには、少し甘くして薄めのやつを出してやってくれ」
飲み物を注文しながら、ラバァルは本題を切り出した。
「少し聞きたいんだが、この店に出入りしているAランクの冒険者というのは、全部で何人くらいいるか分かるか?」
その言葉に、カウンター近くに座っていた他の客たちが、一斉にラバァルに視線を向けた。その中の一人、屈強な体つきの男が、面白がるような口調で話しかけてくる。
「ほう、小僧。Aランク冒険者に何か用か?」
「いや、なに。生贄の迷宮とかいう場所を攻略するには、Aランク冒険者が十数人必要だと聞いたもんでな。実際、この辺りにそんな猛者がどれだけいるのか、少し気になっただけだ」
ラバァルの言葉を聞いた瞬間、周囲にいた冒険者たちがどっと笑い出した。
「わはははは! こいつは傑作だ!」
「おいおい、兄ちゃん、本気で言ってるのか?」
「生贄の迷宮だと? あんたらみたいな若造が行く場所じゃねえよ!」
「Aランクが何人いるか、だと? 知りたきゃ冒険者ギルドにでも行って聞いてみな。このヨーデル中を探したって、Aランクなんて片手で数えるほどしかいやしねえよ! ましてや、今この酒場にいるAランクなんて…」
男はそう言いかけ、店内を見回して確認する。
「…ちらっと見た感じじゃ、あそこの二人くらいのもんだな。ここにいる大半は、俺たちみたいなB、C、Dランクの連中さ」
「へぇ…Aランクってのは、そんなに少ないものなのか。それじゃあ、仮にここにいる全員を雇ったとしても、生贄の迷宮とやらを攻略するのは到底無理そうだ、というわけか」
「なんだい、兄ちゃんたち。本気で生贄の迷宮に入るつもりなのか?」別の男が呆れたように尋ねる。
「ああ、そうだ。もし、その迷宮の奥にいるっていう大精霊がまだいるなら、そいつをぶちのめして、この忌々しい吹雪を止めてやりたいと思ってな」
ラバァルが平然と言い放つと、先程までの嘲笑とは質の違う、腹を抱えての爆笑が酒場全体に響き渡った。涙を流して笑い転げる者までいる始末だ。
「ぶはははは! 聞いたか、おい! 大精霊をぶちのめすだってよぉ!」
「こいつは今年一番のジョークだぜ!」
「おい若いの、悪いことは言わん。そんな大それたこと考える前に、大人しくママのおっぱいでも吸ってな!」
口々に浴びせられる嘲弄の言葉。ラバァルたちは暫く黙って聞いていたが、ある男の言葉が、彼らの堪忍袋の緒を切った。
「大精霊をぶっ倒す前に、てめえらが塵芥に変えられるのがオチだ! できるわけねえだろ、そんなこと!」
戦う前から諦めきっている弱者の言葉。ランクの低い冒険者にありがちな、挑戦する気概すら失った者の発言だと、ラバァルは冷ややかに感じた。そして、その考えをあえて口に出した。
「まあ、貴様らのようなBCDランク程度で満足している連中じゃ、怖気づいてその迷宮に足を踏み入れることすらできんだろうな。精々、他人の足を引っ張ることくらいしか能がないのもよく分かる」
ラバァルの侮蔑を含んだ言葉は、先程まで笑っていた冒険者たちの表情を一変させた。怒りが彼らの顔を赤く染める。
「…なんだと、この若造が! 調子に乗りやがって! 世間の厳しさを教えてやろうか!」
最初に脅し文句を口にした男が立ち上がる。だが、彼が何かするより早く、短気なエルトンが動いた。目にも止まらぬ速さで男の懐に飛び込むと、強烈なアッパーカットを顔面に叩き込む。ゴッと鈍い音と共に男はんど、地面に崩れ落ち、完全に意識を失った。
「てめえ!」
仲間がやられたのを見て、別のBランク冒険者、ソドンと名乗る戦士が斧を振りかざしてエルトンに襲いかかる。しかし、その動きはラーバンナーによって完璧に捉えられていた。加速能力を発動させたラーバンナーは、瞬時にソドンの背後を取り、その首筋に的確な手刀を叩き込む。ソドンは「ぐっ」と短い呻き声を漏らし、前のめりに倒れて動かなくなった。
目の前で仲間が二人、あっさりと倒されたことに、他の冒険者たちは驚愕と怒りを露わにする。次々と武器に手をかけ、ラバァルたちを取り囲むようにじりじりと距離を詰めてきた。明らかに本気で叩き潰すつもりのようだ。
「なるほどな。若造の一撃で沈む程度が、この辺りの冒険者の実力か。やはり下っ端は違う。…しかし、BCDランクでこの程度だとすると、Aランクとやらも、実はたいしたことがないのかもしれんな?」
ラバァルがわざとらしく呟いたその言葉に、明確な反応を示した者が二人いた。
一人は、これまでカウンターから離れた席で静かに飲んでいた、長身痩躯の剣士。もう一人は、やばそうな剣を持つ赤髪の女性剣士だ。彼らはBランクのソドンが一撃で倒されたのを見て、静かに立ち上がり接近して来ていた。
接近してくる二人を視認したラバァルは即座に二人の実力を見抜いた。長身の男からは、研ぎ澄まされた剣士特有の殺気が放たれている。そして女性剣士からは、体から溢れ出たマナが、腰に差した剣の周囲に渦巻くように集束していくのが見えた。
(…魔法剣士か。しかも、かなりの手練れだ)
カウンター周りの雑魚どもとは明らかに格が違う。ラバァルはラーバンナーとエルトンに鋭く声を飛ばす。
「どうやら真打ち登場、といったところか。ラーバンナー、エルトン、気を抜くなよ」
「もちろん、分かってるぜ、ラバァル。こいつら、さっきまでの連中とはまるで威圧感が違う」エルトンも油断なく構える。
女性剣士が、優雅な仕草でラバァルたちに歩み寄ってきた。その表情には余裕すら浮かんでいる。
「あらあら、お兄さんたち、中々見る目があるじゃない。でも、この酒場でこれだけ派手に騒ぎを起こしたんだから、それなりのケジメは付けてもらわないとね。私たち常連の評判にも関わってくるのよ。…というわけで、悪いけど、あなたたちには少々痛い目に遭ってもらうわよ」
彼女の隣に立った長身の剣士が、無感情な声で付け加える。
「ああ、そうだな、ロゼッタ。そっちのデカいのは俺がやる」
剣士――アスタリオンは、エルトンの方を見据えながら、ゆっくりと剣を抜き放ち、油断なく構えた。
「アスタリオン!」ロゼッタが咎めるように名を呼ぶ。
だが、アスタリオンは最初からエルトンを標的と定めていたようで、ロゼッタの声には構わず、エルトンに向かって歩き出した。その瞬間、ラバァルは動いた。
(狙いはエルトンか…!)
躊躇はなかった。アスタリオンがエルトンに意識を集中させた、まさにその隙を突く。ラバァルは音もなくアスタリオンの側面に回り込み、甲冑で覆われていない脇腹の鳩尾に、体重を乗せた強烈なボディブローを叩き込んだ。
「ぐ…ぅっ!?」
予期せぬ角度からの強打に、アスタリオンは目を見開き、息を詰まらせる。強靭な肉体を持つ彼でも、急所への一撃は耐えきれなかった。膝から崩れ落ち、朦朧とした意識の中で激痛に呻く。完全に戦闘不能。Aランク剣士アスタリオンは、戦う前に敗者となった。
「…今のは、ちょっとずるい攻撃だったんじゃない、ラバァル?」
仲間であるニコルが、ラバァルの不意打ちに近い攻撃を少し咎めるように言った。
「どこがズルいんだ、ニコル」ラバァルは肩をすくめる。「戦いに参加した以上、敵の動きに気づかない方が間抜けなんだ。油断や慢心は敗北に直結する。自然の法則だろう」
ラバァルの言葉に、ニコルも一応は納得したように黙る。しかし、目の前で仲間が一撃で倒されたことに、ロゼッタの表情から余裕が消えていた。
(アスタリオンが…一撃で!?)
当初はラーバンナーを警戒していたロゼッタだったが、瞬時に脅威度を判断し直す。先にこの底知れない男を排除しなければならない。直感がそう告げていた。思考よりも早く、体が動く。彼女は足元の床を蹴り、練り上げていた魔力を剣に奔流させながら、ラバァルへと一直線に飛びかかった!獣のような俊敏さで繰り出される魔法剣の一閃!
(速い!)
ラバァルとて、この条件反射的な攻撃を完全に避ける余裕はなかった。咄嗟に腰の短剣を引き抜き、自身の「気」――内なる生命エネルギーを刃に注ぎ込む。迫り来る魔法剣の軌道を見極め、最小限の動きで短剣を合わせる!
キィィィィンッ! バジィィィィィッ!!
魔法の光を纏った剣と、オーラを纏った短剣が激突し、耳をつんざく金属音と、眩い火花が散る!
「くぅっ…!」ロゼッタが押し負けまいと歯を食いしばる。
「なっ…!? 私の魔法剣を、そんな短い剣で受け止めるなんて…ありえない!」
激突の衝撃波が周囲に拡散し、近くのテーブルやカウンターに置かれていたグラスや皿が吹き飛んで砕け散る。酒や食べ物が床に散乱し、酒場は一瞬にして惨状を呈した。
「おいおい、お前さんたち! 店を壊すのはやめてくれ!」
カウンターの奥から、老バーテンダーのフェレルの悲鳴に近い声が飛んだ。その声に、ラバァルは即座に反応した。
「…ちっ、待った! これ以上やると、店から叩き出されちまう。ここは一旦、引き分けってことにしないか?」
ラバァルがそう提案すると、ロゼッタもハッと我に返ったようだった。
「…そうね。フェレルさんを困らせたら、ここでゆっくり飲めなくなるわね」
彼女はふぅ、と息をつくと、魔法剣の輝きを収束させ、剣を鞘へと納めた。そして、改めてラバァルを値踏みするように見つめる。
「…あなたたち、ただの若造には見えないけど、一体何者なの? 正直、私の魔法剣を短剣一本で受け止められたのは、かなりショックよ」
「はは、それはどうも。ところで、あんたがAランクか?」ラバァルは軽く笑って尋ね返す。
「ええ、そうよ。ギルド認定Aランク冒険者、魔法剣士のロゼッタ。…そして、そこで腹を押さえてヒィヒィ言ってる情けない男。そいつも同じくAランクの剣士、アスタリオンよ」
「だ、誰がヒィヒィ言ってるだって! ……ひぃ…ひぃ…」アスタリオンが痛みに顔を歪めながら反論しようとするが、実際に息が上がっている。
「ほら、言ってるじゃない」ロゼッタが呆れたように言う。
「くっ…! 不意打ちさえ食らわなければ…俺は負けてない…!」
「はいはい。負け犬の遠吠えは見苦しいわよ」
「…………」
アスタリオンはロゼッタの辛辣な言葉にぐうの音も出ず、深くうなだれた。元々プライドが高い彼にとって、年下の若造に、しかも酒場の衆人環視の中で一撃で敗北したという事実は、耐え難い屈辱だった。穴があったら入りたい、とはまさにこのことだろう。
最後まで読んで下さりありがとう、また続きを見掛けたらよろしく。




