灰色影(グレイシャドウ)vs
とうとう灰色影との闘いに入ったラバァル、マーブル憲兵隊の力も借り、
アビトに挑戦する事に成るのだが、予想以上に手ごわい灰色影に苦戦を強いられ。
その53
ラバァルとエルトンは、あくまで平静を装い、警戒しつつも岩陰へと歩を進める。その瞬間、待ち伏せていた影が二つ、猛然と飛び出してきた! 熟練の暗殺者と思しき二名が、彼らをただの警邏憲兵と侮り、必殺の間合いから襲い掛かって来た。
「来たか!」
ラバァルとエルトンは、腰に下げていた憲兵隊仕様の伸縮式警棒を瞬時に抜き放ち、振り下ろされる凶刃を的確に受け止めた。
ガシャンッ!
金属同士が激しくぶつかり合う甲高い音が響く。
「くっ…!」「馬鹿な、ただの憲兵が我らの奇襲を防ぐだと…!?」
暗殺者たちは驚愕の声を漏らす。ラバァルは計算通り、相手が繰り出したアサシンブレードの軌道に警棒を合わせ、派手に弾いてみせた。後方で見張っているであろう本物の憲兵隊員たちに、「襲撃が発生した」と明確に認識させるための演技だ。狙い通り、かなり離れた位置から監視していた憲兵の一人が、慌てて仲間へ知らせに走り出すのが見えた。もう一人は監視を続けている。
(よし、伝わったな)
ラバァルは内心で頷くと、エルトンと目配せし、一転して攻勢に出た。
ラバァルは、次の瞬間には相手の体勢を崩し、警棒の一撃で襲撃者の膝を砕いた。呻き声を上げる相手の動きが止まったところへ、さらに後頭部へ強烈な一撃を叩き込み、地面に沈める。
一方、エルトンも果敢に攻め込んだが、顔面への一撃が浅く、相手に致命傷を与えるには至らなかった。敵は素早い連続バック転で距離を取り、体勢を立て直そうとする。
その時、周囲の闇からさらに四名の敵が現れ、ラバァルとエルトンに向かって殺到してきた!
「エルトン、うまく立ち回れ!」 ラバァルは短く指示を飛ばす。この場合の「うまく」とは、ただ逃げるのではなく、憲兵隊が展開している方向へ敵を引きつけながら後退しろ、という意味が込められている。
「…難しい注文をしてくれる!」
エルトンは悪態をつきながらも、新たに加わった二名の熟練暗殺者の鋭い攻撃を必死に避け、捌きながら、計算された動きでじりじりと後退を開始した。決して逃げすぎず、かといって捕まらない絶妙な距離感を保つ。
ラバァルの方は、増援が来る前に少しでも敵の数を減らしておこうと判断。憲兵のふりをするのをやめ、本来の動き――殺意を込めた本気の攻撃を繰り出した。
ガシンッ!
警棒が空気を切り裂き、新たに襲い掛かってきた暗殺者の一人の脳天を正確に捉え、一撃で沈黙させる。
その鮮やかな手際を見て、物陰から戦況を窺っていた男が呟いた。
「…あの動き、間違いない。奴がラバァルか。」
それは、灰色影グレイシャドウを率いるアビトだった。ラバァルの実力をその目で確認したアビトは、即座に自ら動くことを決断。一直線にラバァルに向かって疾走し、最短距離で強烈な突きを繰り出す!
「ぬぅっ…!」
先程までの暗殺者たちとは比較にならない、殺意と技量が凝縮された一撃。ラバァルは全身の神経を集中させ、紙一重で身を捩って回避する。しかし、息つく暇もなく、先ほどエルトンが仕留め損ねた暗殺者がアビトに呼応し、連携攻撃を仕掛けてきた。それだけではない。周囲に潜んでいた灰色影の残党が次々と姿を現し、ラバァルを取り囲むように波状攻撃を開始したのだ!
連続的に繰り出される斬撃、刺突、打撃。さしものラバァルも、多勢に無勢、しかもアビトという規格外の強敵を相手にしては防戦一方に追い込まれる。
「くっ…これではアビトどころか、包囲を抜けることすら…!」
「ラバァルを逃がすな! そっちのもう一人も仕留めろ!」
アビトはラバァルたちの意図――憲兵隊との合流――に気づき、部下たちに的確な指示を飛ばしながら、包囲網を狭め、容赦のない 攻撃を加えてくる。
激しい波状攻撃の中、ラバァルといえども無傷ではいられない。
バシッ! ヒュン! スパッ!
警棒で捌ききれなかった刃が、ラバァルの腕や頬を浅く切り裂き、生暖かい血が流れ出す。
一方、エルトンも三名に増えた熟練暗殺者たちに囲まれ、必死の防戦を続けていた。エルトンの実力は、ラバァルが率いる【深淵山羊】の中では間違いなくトップクラスだが、かつての仲間であったタロットのような強さにはまだ届いていない。三人の手練れを相手に、長く持ちこたえるのは困難だろう。
(早く憲兵隊のところまで下がってくれ…!)
ラバァルは焦りを感じるが、祈るだけでは状況は好転しない。この猛攻の中、エルトンが離脱する隙を作ってやらねばならない。
ラバァルは一瞬の判断で、手にしていた伸縮警棒を槍のように投げ放った! 狙いは、エルトンに集中攻撃を浴びせていた暗殺者の一人。正確に投擲された警棒は、その男のこめかみに深々と突き刺さり、衝撃で意識を刈り取った。
その一瞬の隙を突き、エルトンは後方へ大きく跳躍すると、一気にダッシュして戦線から離脱し始めた。
「よしっ!」 ラバァルは安堵の声を漏らす。
「よそ見をしている場合か!」
その声と同時に、脇腹に灼けるような激痛が走った。見ると、アビトが持つ、先端に鋭いフックが付いた特殊な形状のショートソードが、ラバァルの腹部に深々と突き刺さっていた。そしてアビトは、その剣を容赦なく回転させ、ラバァルの内臓をフックに絡め取ると、力任せに引きずり出したのだ!
「ぐおおぉぉぉっっ!!」
経験したことのない激痛に、ラバァルの絶叫が響き渡る。腹には致命的な大穴が開き、引きずり出された臓器の一部が、まだ繋がったまま、だらりと垂れ下がっている。口からは止めどなく血が溢れ出し、地面を赤黒く染めていく。
しかし、その凄惨な状態にあっても、ラバァルの瞳は死んでいなかった。苦悶に歪みながらも、その視線は真っ直ぐにアビトを捉え、射抜くような鋭い光を放っている。
「…流石は隊のリーダーを務めるだけのことはある。その根性、見事だ。だが、運が悪かったな、ラバァル。お前の首、我らが主のために、有効に使わせてもらう。」 アビトは冷酷に言い放つ。
ラバァルは僅かに残った力で後退しようとするが、周囲を取り囲む暗殺者たち――特に、副隊長格のダナンが繰り出す的確な攻撃が、退路を完全に塞いでいる。
「ぐふぅっ…はぁ…はぁ…」
夥しい出血と激痛で意識が朦朧とする中、ラバァルは最後の望みを託し、内に秘めた「力」――かつて二度、意図せず暴走したあの「奥の手」を呼び覚まそうと試みていた。
しかし…なぜだ。あれが出てこない。以前の暴走時とは違い、今はまだ意識を完全に保ち、心も異常な興奮状態ではない。それが原因なのか? 肝心な時に、あの力は応えてくれない。
(くそっ…! 何をしてやがる、俺の中の化け物は…! 肝心な時に役に立たんとは…!)
「ぬぉっ!」
思考が途切れた一瞬の隙。アビトの剣が再び閃き、ラバァルの左肩を捉えた。骨を断つ鈍い感触と共に、左腕が肩の付け根から斬り落とされ、地面に転がったのだ。
「……。」
もはや声も出ない。視界が急速に暗くなっていく。
その頃、辛くも戦線を離脱したエルトンは、追撃してくる二名の暗殺者を振り切りながら、ようやく駆けつけてきた憲兵隊の部隊と合流した。完全武装した50名以上の憲兵たちが、追手を捕捉し、迎撃態勢を取っている。
「た、助かったのか…!」
エルトンは憲兵たちの保護下へと転がり込み、荒い息をつきながら安堵した。憲兵隊は、迫りくる二名の暗殺者に対し、隊列を組んで警棒を構え、制圧しようと試みる。
しかし、相手は歴戦の暗殺者。クルクルとアクロバティックな動きで攻撃をかわし、憲兵たちの動きの隙を突いて反撃すら見せる。常の訓練しか受けていない一般憲兵では、彼らの動きについていくのがやっとで、容易には取り押さえられない。
そのもどかしい状況に、業を煮やした者たちが前に進み出た。彼らは、通常の憲兵とは明らかに装備も練度も異なる、精鋭部隊――憲兵特戦隊の者たちだった。
「どけぇ! 貴様らでは荷が重い! その者たちの相手は、我々が引き受ける!」
トニックと名乗る屈強な隊長に率いられた特戦隊のメンバー5名が前に出ると、戦況は一変した。特戦隊員たちは、暗殺者たちの俊敏な動きを的確に読み、巧みな連携で徐々に追い詰めていく。やがて、逃げ場を失った二人の暗殺者は、特戦隊員たちの容赦ない打撃によって叩きのめされ、捕縛された。
「おお…やるなぁ、あの人たち…」
立ち上がり、その様子を見ていたエルトンは、思わず感嘆の声を漏らした。
だが、その一方で、ラバァルの状況は絶望的だった。
「……。」
敵の包囲網に僅かな隙間が生じたのを見逃さず、ラバァルは最後の力を振り絞って離脱を試みる。一度目は阻まれたが、諦めない。再び生じた一瞬の隙間に飛び込み、もはや防御も反撃も考えず、ただひたすらに逃げることだけを考えて、憲兵隊がいる方向へと走り出した。
すぐ背後には、鬼のような形相のアビト。その後ろからは、残りの灰色影のメンバーが殺到してくる。片腕を失い、腹からは内臓を垂らしたまま、ラバァルは文字通り、命からがら逃走する。
すると、前方からこちらへ向かってくる憲兵隊の大きな集団が見えた。エルトンを救出した部隊とは別の、さらに増援として駆けつけてきた本隊だろう。彼らも、血まみれで追われるラバァルと、その後ろに続く殺気立った追手たちを視認し、即座に迎撃態勢に入った。槍衾のように警棒が並ぶ。
それを視認したアビトは、苦々しく舌打ちした。
「くっ…! ここまで追い詰めたというのに…!」
しかし、流石は暗殺団最強と謳われる男。あと一歩で獲物を仕留められるという状況でも、冷静な判断力を失ってはいなかった。正面から武装した集団とぶつかるのは得策ではない。
「退くぞ! 正面から戦ってはならん!」
アビトは即座に後退を指示し、昂ぶっている部下たちを抑え込もうとした。
だが、アドレナリンが頂点に達し、ラバァルへの憎悪に燃える三名の暗殺者は、アビトの制止を振り切り、「たとえ相打ちになろうとも!」と、最後の攻撃を仕掛けるべくラバァルに突進した!
その捨て身の攻撃を、追いついてきた憲兵特戦隊のトニック隊長が身を挺してカバーする! さらに、他の特戦隊員たちが、突っ込んできた二名の暗殺者に対し、警棒による凄まじい連続突き――無双突きを浴びせかけた!
「おりゃあぁぁぁ!!」
ドスドスドスドスドス! ドスドスドスドスドス!
嵐のような突きを、暗殺者たちは驚異的な反応速度で避けながらも、なおラバァルへの一撃を狙う。その執念は、鬼気迫るものがあった。
「なんなんだ、こいつらの執念は…!?」 特戦隊員たちも、その異常なまでの執着心に慄く。
特戦隊員たちは、三名の暗殺者と死闘を繰り広げる。
一方、憲兵隊の姿を見て、ついに緊張の糸が切れたのか、ラバァルはその場に崩れ落ち、うつ伏せのまま動かなくなった。それを発見したエルトンが、血相を変えて駆け寄る。
「ラバァル!! うっ…なんて…酷い…!!」
エルトンは言葉を失った。左腕は肩から失われ、腹部には巨大な穴が開き、臓器がむき出しになって地面に引きずられている。夥しい量の血が流れ出し、周囲には既に大きな血だまりができていた。
「こりゃあ…ひでぇ…」 駆け寄ってきた一般憲兵たちも、その惨状を見て、誰もが助からないだろうと直感した。
「くそっ…! すみません、ラバァル…! 俺が足を引っ張ったばかりに…!」 エルトンは、最後にラバァルが自分を助けるために警棒を投げてくれたことを思い出し、嗚咽を漏らした。あれがなければ、自分は今頃…。
しかし、感傷に浸っている暇はなかった。特戦隊と三名の暗殺者の戦いは、依然として熾烈を極めていた。特戦隊も奮戦していたが、相手の常軌を逸した動きと捨て身の攻撃に押され、ついに隊員の一人が深手を負って倒れてしまう。予断を許さない状況だ。
それを見た後方の一般憲兵たちも、恐怖を押し殺し、8名一組の隊列を組んで前進。特戦隊の援護に入った。
「強ぇ…! なんて速さで動きやがるんだ!」「攻撃が当たらねぇ! 化け物か、こいつらは!」「サバラッチがやられた! 生きてるとは思うが重傷だ! なんとか後方へ引かせられんか!」「やってみます!」
ガシンッ! バシッ! ドスン! シピィーン!
手練れの暗殺者の攻撃は苛烈を極め、二人がかりで対応している特戦隊員ですら押され気味で、単独で一人を相手にしていたトニック隊長に至っては、既に数ヶ所を斬られ、危険な状態に陥っていた。
「くっ…! この私が、たった一人を倒せんというのか!」
アサシンブレードが、疲労の色が見え始めたトニック隊長に襲いかかる!
ガシンッ!
その瞬間、ラバァルをここまで追い詰めた灰色影を許すまじと、エルトンが再び戦線に復帰した! 間一髪、トニック隊長への攻撃を、先ほど倒した暗殺者から奪ったアサシンブレードで弾き返すと、渾身の力を込めて反撃に転じる。
この好機を、歴戦の勇士であるトニック隊長が見逃すはずがなかった。エルトンとほぼ同時に攻撃を繰り出す! トニック隊長の渾身の突きが暗殺者の顔面を捉え、同時にエルトンのアサシンブレードがその心臓を正確に貫いた。
「やった…! 一人、倒した…!」 エルトンは息を弾ませた。
しかし、感慨にふける暇はない。残りの暗殺者たちが、鬼のような形相で他の隊員たちに襲いかかっている。トニック隊長は即座に部下たちの援護に走り、エルトンもそれに続いた。
一方、後方に退いていたアビトたちだったが、仲間が死に物狂いでラバァルを討ち取ろうと奮戦している姿を見て、一部の者たちが命令を無視し、加勢に向かおうとし始めた。副長のダナンがそれを制止しようとするが、既に彼らの耳には届かない。数名がアビトの元を離れ、戦闘に加わってしまった。
「…ちっ、つまらん感情に流されおって。勝手にするがいい。命令に従わん奴など、もはや用済みだ。」 アビトは冷ややかに吐き捨てる。
応援に駆けつけた暗殺者の数は4名。彼らもまた相当な手練れであり、加勢した途端、戦況は再び悪化した。
「増援だと!? くそっ、キリがない!」 後方にいる憲兵隊の指揮官は、更なる増援を本部に要請すべく伝令を走らせると共に、残っている全ての憲兵隊員に前進を命じた。
「怯むな! 徒党を組めば我々に分がある! 特戦隊の盾となれ!」
一般憲兵たちは、恐怖を勇気に変え、隊列を組んで前進。負傷した特戦隊員を庇うように前に出て、一斉に警棒を突き出す。数で押す戦術だ。
「隊列を乱すな! そのまま突きで相手を怯ませろ!」
足並みを揃えた8名以上の憲兵が一斉に繰り出す槍衾のような突き。これには、いかに俊敏な暗殺者といえども攻撃の隙を見出すのは難しく、後退を余儀なくされる。
その下がった瞬間を、トニック隊長とエルトンが見逃さなかった。再び息の合った連携で、後退する暗殺者の一人に襲い掛かる。トニック隊長の渾身の突きが胴体を貫き、エルトンのアサシンブレードがその首筋を深く切り裂いた。
「よしっ!」
二人目の撃破。即席コンビながら、二人の間には確かな信頼が生まれつつあった。彼らはすぐさま視線を交わし、次の標的に狙いを定める。
ところが、その時、さらに後方から応援にやってきた4名の暗殺者たちが、ナイフを投げつけてきた! 鋭い投擲ナイフが数本、隊列を組んでいた憲兵の一人の首筋に深々と突き刺さる。隊員は声もなく崩れ落ちた。
「うろたえるな! 隊列を維持しろ!」 指揮官の怒号が飛ぶ。
隊列は維持されているものの、動きの鈍い一般憲兵に対し、距離を取った暗殺者たちは、残りの投擲ナイフを次々と投げ込み始めた。正確な投擲が、さらに数名の憲兵に被害を与える。
「何をしておるか! 敵は残りたったの4名だ! 全員で一気にかかれ!」
ついに指揮官は、総員での突撃命令を下した。
「「「うぉぉぉぉぉ!!」」」
残っていた30名以上の憲兵たちが、雄叫びを上げながら、警棒を最大まで伸ばして前方に突き出し、一斉に突進を開始した! その凄まじい気迫と数の圧力に、さしもの暗殺者たちも為す術がなく、散り散りに回避するしかなかった。
その避けた先で、エルトンとトニックが待ち構えていた。再びの連携で、さらに一名を血祭りに上げる!
それを見た憲兵たちの士気は最高潮に達した。「おぉぉぉぉぉ!」と歓喜の声を上げ、逃げる残りの暗殺者たちを、勢いに乗って追いかけ始める。「いたぞ!」「そっちへ逃げたぞ!」
勢いづいた憲兵隊は、数的有利と士気の高さを活かし、ついに残りの熟練暗殺者たちを追い詰めていった。
その頃、後方で戦況を見守っていたアビトと、まだ彼の側に残っていた数名の部下たちの前に、突如として空間が歪み、一人の女が現れた。
「な、何者だ!?」 部下の一人が驚愕の声を上げる。
女は妖艶な笑みを浮かべた。「ふふ…どうせすぐに死ぬあなたたちに、名乗る必要なんてないでしょう?」 その声は甘美でありながら、底知れない冷たさを孕んでいた。
「……。」
「ダナン、構わん、やれ!」 アビトは、得体の知れない女の登場に警戒しつつも、即座に副長に始末を命じた。
ダナンは躊躇なく、鋭利な短剣を抜き放ち、女に襲い掛かる!
ガキンッ!
しかし、ダナンの渾身の一撃は、女の片腕――まるで黒曜石のように硬質化し、禍々しい形状に変貌した腕によって、いとも簡単に弾かれた。
「むむっ!?」
ダナンが驚愕する間もなく、女の背後から伸びた、まるで生き物のように蠢く黒い尻尾が、彼の胴体に瞬時に巻き付き、動きを完全に封じてしまう。そして、抵抗するダナンを赤子のように引き寄せると、女は変貌した腕を、彼の胸に深々とねじ込んだ。
ブシャァッ!
女は、まだ微かに脈打つダナンの心臓を鷲掴みにして引きずり出すと、それをアビトに見せつけるように掲げ、ぐしゃりと握り潰した。そして、用済みとばかりに尻尾を振り払い、ダナンの亡骸を地面に叩きつけた。亡骸は勢いよく地面を転がり、10メートル以上先でようやく止まった。
そのあまりにも異様で残忍な光景を目の当たりにし、アビトは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「…貴様、いったい何者なのだ。」
アビトは問いながらも、既に全力で攻撃態勢に入っていた。一切の油断なく、最強の暗殺者としての全能力を解放し、女に襲い掛かる!
しかし、女――ルーレシアは、アビトの変形ショートソードによる変幻自在の攻撃を、先ほどダナンを殺した硬質化した腕でことごとく弾き返してみせた。
どこからともなく現れ、副長ダナンを瞬殺した謎の女。その圧倒的な力と異様な姿に、アビトだけでなく、周囲に残っていた暗殺者たちも完全に気圧され、どう攻撃すればいいのか判断できずに躊躇していた。
「お前は…どこから現れた?」 自分の渾身の攻撃を片手で防ぐ女に、アビトは改めて問いただした。
「私の名はルーレシア。偉大なるラバァル様の使徒よ。」
「使徒だと…? それはどういう意味だ?」
「あなたたちが知る必要はないわ。言ったでしょう? あなたたちの人生は、ここで終わりを迎えるのだから。」 ルーレシアは冷ややかに言い放つ。
「戯言を!」
アビトは再び全力でルーレシアに斬りかかる。しかし、ルーレシアはその攻撃を余裕で捌きながら、ふわりと空中に飛び上がった。そして、アビトを援護しようと動いた他の暗殺者たちに向け、まるで独立した意思を持つかのように動く尻尾を、同時に数本突き刺し、宙吊りにして引き寄せた!
「ぐああぁぁぁ!」
苦悶の叫びが上がる。ルーレシアは、尻尾の先端から滴り落ちる血を、恍惚とした表情でペロリと舐め、アビトを挑発するように見下ろした。
「…ああ、生暖かくて、とても新鮮な味。」
「くっ…化け物め…!」 アビトは忌々しげに吐き捨てる。
ルーレシアは、尻尾で貫いた暗殺者たちを無造作に投げ捨てると、アビトに意識を集中させるように、サソリの尾のように尖った尻尾の先端を向けた。その間にも、彼女の体はメタモルフォーゼ(変身)を続けているようだった。硬質化した腕はさらに太く、鋭い棘が無数に生え、禍々しさを増している。さらに、背中からは漆黒の巨大な翼が生え広がり、その姿はもはや人間とはかけ離れた、そう古文書等に記された悪魔の様だ。
「悪魔…なのか…?」 アビトは戦慄していた。
次の瞬間、ルーレシアの瞳が一瞬、赤く閃光を発したかと思うと、そこから灼熱の赤いレーザー光線が照射された! 狙いは、アビトの周囲にいた残りの暗殺者たち。レーザーは瞬く間に彼らを薙ぎ払い、頭部や胴体を切断していく。切断された体の一部が、時間差でずるりと地面に落下する。頭部の大部分を失った者はもちろん、胴体を両断された者も、即死だった。その凄惨な光景は、生き残った者たちに絶対的な死の恐怖を植え付けた。
「なんなんだ、お前は…! なぜ、このタイミングで…!」
なぜ、こんな規格外の化け物が、この瀬戸際に現れたのか? アビトには全く理解できなかった。人間以外の異形の者との戦闘経験など、獣の類を除けば皆無に等しい。これは、彼の想定を遥かに超えた、対処不能な不測の事態だった。
アビトの戸惑いを見透かしたかのように、ルーレシアの瞳が再び赤く光る。今度は、アビト自身に向けて、必殺の赤色レーザーが放たれた!
(終わったか…!) アビトは死を覚悟した。
しかし、レーザーが貫いた場所に立っていたのは、アビトではなかった。アビトの服を着た、別の部下だったのだ。
「えっ!? いつの間に…!?」 ルーレシアは驚愕の声を上げた。
それは、アビトが最後の切り札として持っていた【身代わりの術】だった。術が発動し、アビト本人は既にその場から忽然と姿を消していたのだ。ルーレシアが周囲を探索するが、アビトの気配はどこにも感じられない。その間に、残っていた灰色影の残党たちも、リーダーが消えたことで完全に戦意を喪失し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていた。
ルーレシアはアビトの追跡を諦め、瀕死の状態となっているであろうラバァルの元へと急ぎ移動。
一方、辛くも逃げ延びたアビトは、人気のない森の中で一人、呟いていた。
「…何ということだ。この私が、全ての部下を犠牲にしてもなお、ラバァル討伐に失敗するとは…。これほどの失態を犯しては、もはや私も暗殺団エシトン・ブルケリィには戻れん…。」
最強の暗殺者は、深い絶望と屈辱を抱えながら、当てもなく闇の中へと消えていった。
憲兵隊の方は、決死の抵抗を見せる残りの暗殺者たちに尚もてこずり、被害を出しながらも、徒党を組んだ数の力で徐々に追い詰めていた。スタミナが切れ、動きが鈍った者から順に、長く伸ばした警棒による打撃で取り押さえられていった。
しかし、その頃、ラバァルは血の海の中にうつ伏せに倒れ、完全に動きを止めていた。腹には致命的な大穴が開き、片腕は失われ、常人ならばとっくに絶命しているであろう状態だった。
憲兵隊のほとんどが前線での戦闘に集中していたため、ラバァルの周囲には誰もいなくなっていた。そこに、アビトたちとの戦闘を終えたルーレシアが現れると、彼女は、雲散霧消した灰色影の残党を追うことなく、一直線にラバァルの元へ駆け寄った。
「ラバァル様…!」
一目で、ラバァルが死の淵にいることを悟ったルーレシアは、躊躇なく彼の弱った体を抱きかかえた。そして、空間を歪ませる能力を発動させ、次元の壁を越えて、ラバァルを連れてその場から消え去ったのだ。
行き先は、この物質界とは異なる、アンラ・マンユのような高次の存在たちが住まう異次元世界。なぜその世界を選んだのか――それは、その世界の時間の流れが、物質界とは比較にならないほど非常に遅いからだった。一刻を争うラバァルの状態を見て、即座に治療が必要だと判断したルーレシアは、時間稼ぎのために、この異世界へ連れてくるという決断を下したのだ。
異世界に到着したルーレシアは、使徒としての能力を全開にする。彼女の体から赤黒い闘気――ゼメス・アフェフ・チャマ――が奔流のように噴出し、ラバァルの全身を優しく、しかし力強く包み込んだ。闘気は、切断された腕の断面に集まり、失われた肉体を再構築し始める。同時に、腹部の巨大な穴を塞ぎ、飛び出した臓器を元の位置へと修復していく。それは、まさに神話の奇跡のような光景だった。
数分後、赤黒い闘気が徐々に薄れていくと、そこには完全に修復されたラバァルの姿があった。失われた左腕は元通りになり、腹部の傷も跡形もなく消えている。そして、閉ざされていたラバァルの瞼が、ゆっくりと見開かれ始めた。
最後まで読んでいただきありがとう。




