神の眷属
ヨーデルへとやって来たラバァルたちは、情報収集を開始する。
そこではマーブル新皇国とセティア教徒の密接な関係も明らかになって行く。
その46
聖なる灼熱と、神々の密約
ヨーデル郊外。
吹きすさぶ寒風を遮るため、廃倉庫の隙間という隙間に板が打ち付けられた。
ようやく冷気の侵入が止まり、粗末ながらも暖を取れるアジトが完成した頃。
ラバァルは、焚き火を囲む部下たちを見回して言った。
「良くやった。これなら、この極寒の地でも凍えずに済むだろう。……そろそろヨーデルの街の空気にも慣れてきた頃だな」
ラバァルの声は、幾分か穏やかさを取り戻していた。極限状態を脱し、生活の基盤が整ったことへの安堵がある。
「では、仕事の時間だ」
彼は地図を広げ、具体的な指示を出し始めた。
「ラーバンナーは、シュツルムとメリンダを連れ、グラティア教の拠点を洗え。出入りする者の顔、数、物資の搬入ルート……全てだ」
「了解」
「ルーは、マリィと共にセティア教徒たちの動向を探ってくれ。王家との繋がり、民衆の支持率、弱みも含めてな」
「分かりました」
「エルトンは俺と来い。街の地下組織や裏ルートを開拓する」
そして、ラバァルは残る二人に視線を向けた。
「ニコルとデサイア。お前たちはアジトの守りと、皆のバックアップだ。ここが俺たちの命綱になる。頼んだぞ」
「はい!」
それぞれの返事には、任務への決意が込められていた。
ラバァルは、これまで共に過ごし、観察してきた個々の能力を冷静に判断し、互いの不足を補い合う最適なチーム編成を行っていた。特にアジトに残る二人は戦闘には不向きなタイプだ。出来ることなら最前線には立たせたくない。
暗殺者たちは、それぞれの獲物を求めて夜の街へと散っていった。
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ラバァルたち【深淵山羊】が、影の世界で蠢き始めた頃。
光の世界では、歴史的な儀式が執り行われようとしていた。
ヨーデルの中心にそびえ立つ白亜の巨塔――《夜明の塔》。
光の女神〖セティア〗教徒の総本山であり、マーブル新皇国の民にとっての精神的支柱でもある聖地だ。
外気温度は氷点下摂氏五度。容赦ない寒風が吹き荒れている。
だが、一歩塔の中に足を踏み入れれば、そこは別世界だった。
巨大な吹き抜けの空間には、見上げるほどのセティア女神像が鎮座している。その足元には巨大な大釜が設置され、なみなみと注がれた聖油が激しく燃え盛っていた。
ゴオォォ……!
炎の熱気が堂内を支配している。
外の寒さが嘘のように、そこは汗ばむほどの「熱」に満たされていた。壁に映る炎の影が揺らめき、幻想的かつ厳粛な空気を醸し出している。
現在この場に居るのは、マーブル新皇国の運命を握る者たちだ。
国王『カイ・バーン』(五六)。
その背後には、長男モーブ(二七)、長女マルティーナ(二四)、次男フォビオ(二一)。
さらに後方には、ハウゼン宰相、デバッグ元帥、アレック大将といった軍と政治の最高権力者たちが、静かに膝をつき、神に祈りを捧げていた。
彼らの表情は一様に硬い。国家存亡の危機に際し、神託を乞うための儀式なのだ。
祭壇の最前列では、セティア教の最高位に立つ法王フェニックス、枢機卿トロント、大司教ロレンツォの三名が、声を限りに祈祷を捧げていた。
大釜の炎に最も近い彼らは、玉のような汗を滝のように流していた。熱気で法衣が肌に張り付く。
「おお、光の女神よ! 我らを導き給え!」
喉が枯れんばかりの絶叫に近い祈り。
それが一時間以上続いた、その時だった。
カッ!!
女神セティア像が、内側から強烈な輝きを放ち始めた。
松明の火が霞むほどの閃光。
その輝きは次第に増していき、やがて視界を真っ白に染め上げた。
石造りの女神像の目が、カッと見開かれる。
そして、その場にいる全員の脳内に、直接響く深遠な声が降りてきた。
『皆の者、汝らの祈り、しかと受け止めました』
慈悲深く、しかし絶対的な響きを持つ声。
カイ・バーン王が、光に目を細めながらも顔を上げた。
「女神よ! どうか我らをお救いください! 邪悪なるグラティアの徒が、この国を飲み込もうとしております!」
王の声は震えていた。
『カイ・バーンよ。……しかし、私自らがこの戦いに直接関与することはできません』
「なっ……!?」
王が絶句する。見捨てられたのか?
『神にもルールがあるのです。人間のいざこざに神である私が直接介入すれば、対抗してグラティア神も介入してくるでしょう。そうなれば……』
女神の声が、一段と重く、冷たく響いた。
『人間など、跡形もなく消し飛び、滅んでしまいます』
それは脅しではなく、物理的な事実の通告だった。神々の直接衝突は、人間界という脆い器を粉々に砕いてしまう。
「うう……それでは何もせず、滅びを待てと仰るのですか!」
王が悲痛な声を上げる。
『そうではありません』
女神の声が優しさを帯びる。
『私が動くことはできませんが、代わりに私の“眷属”を送ることにしましょう。その力を使い、グラティア神の眷属を退けなさい。……向こうも既に、眷属を送り込んでいます』
「眷属……?」
『神の力が宿った肉体を持つ者。降臨させます』
女神がそう告げた瞬間。
ズドォォンッ!!
天井を突き抜け、天空から二つの巨大な「光の塊」が落下してきた。
それは祈りを捧げていたトロント枢機卿とロレンツォ大司教の体を直撃した。
「ぐわぁっ!?」
轟音と共に、二人の体は積み木のように弾け飛び、壁際まで激しく吹き飛ばされた。地面を転がり、動かなくなる。
あまりの衝撃に、参列者たちは悲鳴も上げられず、強烈な光に目を覆ってひれ伏した。
だが。
その光景を、まともに目撃できた者が二人だけいた。
一人は、神の加護を受けたカイ・バーン王。
そしてもう一人は――長女、マルティーナだ。
他の者たちが光に目を焼かれ、ひれ伏す中、彼女だけは何気ない様子で、涼しい顔をしてその光景を見つめていた。
まるで、神の威光など意に介さないかのように。その瞳には、信仰心とは異なる、冷徹な観察者の色が宿っていた。
カイ・バーンは倒れた二人へ駆け寄った。
「トロント枢機卿! ロレンツォ大司教! しっかりしろ!」
ゆらり。
二人が、糸で引かれるように立ち上がった。
その瞳は、人間のものではなくなっていた。溶けた黄金のように輝き、背中には直径一・五メートルほどの眩い光の輪が浮かび上がっている。
トロントの体を借りた「何か」が、王を見下ろし、直接脳内に響く声で告げた。
『案ずるな。私はゼビウス。光の女神セティアの弟だ』
「こ、光神の弟君……ゼビウス様……!」
王が畏怖に震え上がる。
『姉上も事態を憂慮しておられる。私と、そちらの体に宿ったロルローシュ――セティアの両腕と呼ばれる猛者を派遣されたのは、それだけ危機的状況だということだ』
ロレンツォ大司教の体を借りたロルローシュもまた、無言で、しかし圧倒的な威圧感を放って佇んでいる。
『我らがグラティア神の眷属を抑え込む。お前達人間は、人間だけを相手にすればよい』
ゼビウスの声には、絶対的な自信が漲っていた。
「おお、神よ、感謝いたします……!」
カイ・バーンは涙を流し、深々と頭を下げた。
話が終わると、二人の輝きは消え、元の意識へと戻った。だが、彼らは今の出来事を鮮明に記憶していた。自分の中から神が語る様子を、客席で見ていたような感覚だったという。
いつの間にか女神像の輝きも消え、石の塊に戻っていた。
王は振り返り、目を覆っていた家臣たちに事の次第を説明した。
「……トロント枢機卿とロレンツォ大司教の体には、セティア様の眷属が降臨されたのだ」
アレック大将が不安そうに問う。
「しかし陛下、敵方にも神の眷属がいるとなれば……この戦い、我々の手に負えるのでしょうか? 神々の戦争に巻き込まれるのでは……」
「心配するな。眷属は眷属同士で潰し合う。我々は我々の敵を討つのみだ」
王の力強い言葉に、家臣たちは安堵し、感謝の祈りを捧げた。
こうして儀式は終わりを告げた。
皆が退出し、最後に残ったのは《夜明の塔》の主、法王フェニックスただ一人。
彼は誰もいなくなった祭壇で、消え入りそうな炎を見つめながら、深い思慮の表情を浮かべていた。
神の介入。それは救いか、それとも破滅の始まりか。
荒野に落ちた災厄と、消滅する山脈
舞台は一転し、吹きすさぶ風だけが支配する不毛の荒野。
ルカナンから北東へ向かう道を、人外の速度で駆ける影があった。
【死刑執行人】の神人、ミケロスとジョナサンだ。彼らは馬など使わず、自らの脚力だけで大地を蹴り、マーブル新皇国の首都『ヨーデル』を目指していた。
旅程の二日目。
休息をとるため足を止めたジョナサンの頭上で、空が裂ける音がした。
ヒュゴオォォォッ!!
大気圏を突っ切るごう音と共に、遥か上空から巨大な質量を持った「何か」が、ピンポイントでジョナサンめがけて急降下してきた。
ただの落下ではない。明確な殺意を持った特攻だ。
(何だ……こいつは!?)
ジョナサンの肉体に宿るグラティア神の眷属、〖ホーバット〗が、本能的な恐怖と共に覚醒した。
咄嗟に表層意識を乗っ取り、両腕を交差させる。
「展開ッ!」
叫びと共に、蒼白い光の防御膜が何重にも展開された。物理、魔法、あらゆる干渉を拒絶する神の盾。
だが、落ちてきたのは隕石などではなかった。
ズガァァァァンッ!!
轟音と共に、荒野にクレーターが穿たれた。
鋼鉄の甲殻に覆われ、禍々しい紫光を放つ巨体――邪神【ドラウグ】が、その全体重と加速を乗せた拳を叩きつけたのだ。
パリーンッ!
硝子が割れるような軽い音を立てて、絶対防御の障壁が砕け散る。
「ぐあぁぁぁッ!?」
ホーバットの絶叫。
防御を集中させた両腕が、飴細工のようにひしゃげ、骨粉となって砕け散った。余波だけで胴体にも亀裂が走り、内臓が破裂する。
一撃。たった一撃で、神の眷属が戦闘不能寸前に追い込まれたのだ。
「何者だ!」
初撃を免れたミケロスが吼える。彼の内部より、眷属〖ノスタルジン〗が姿を現した。
彼は瞬時に空間から『波動の剣』を引き抜くと、地を蹴り、ドラウグの側面へと突撃した。目にも止まらぬ神速の突き。
だが、ドラウグはその巨体に見合わぬ敏捷さで身をひねり、攻撃を回避。
返す刀で、鋼鉄のような尻尾を鞭のように振り抜いた。
バゴォッ!
直撃。
ノスタルジンの頭部に、鉄骨で殴られたような衝撃が走る。
彼は悲鳴を上げる間もなく地面に叩きつけられ、岩盤を砕いて地中深くへと埋め込まれた。
圧倒的捕食者。
ドラウグが追撃のためにノスタルジンへ向き直った、その一瞬の隙。
両腕を再生させつつあったホーバットが、血反吐を吐きながら立ち上がった。
彼は両手を突き出し、古代の神言を紡ぐ。
「禁縛せよ……≪神の幽閉≫!!」
言霊が空間を縛る。
ドラウグの周囲に、ガラスのように透明で、ダイヤモンドより硬い「見えない立方体」が出現した。空間そのものを断絶する最強の監獄。
壁は急速に収縮し、ドラウグを押し潰そうと狭まっていく。
閉じ込められたことを悟ったドラウグの瞳が、怒りで真紅に染まった。
「グオオオオオオッ!!」
鼓膜を破らんばかりの咆哮。
邪神は猛烈な怒りを拳に込め、見えない壁を内側から殴りつけた。
ドゴォォッ!!
壁は割れない。だが、その衝撃は「空間の歪み」となって壁を突き抜け、外の世界へと漏れ出した。
ズババババッ!
漏れ出した衝撃波が、鎌鼬のように大地を走り、ホーバットが立っていた場所の地面を深々と抉り取った。
「なっ……!?」
間一髪で回避したホーバットの頬を冷や汗が伝う。
「何て奴だ……! 神をも完全に封じるクラウデレの中から、これだけの破壊力を漏れさせるだと……!?」
それは理不尽なまでの【力】の奔流だった。魔法や技術ではない、純粋な暴力の極致。
「閉じ込めたか、ホーバット!」
瓦礫の中から這い出してきたノスタルジンが叫ぶ。
「ああ。だが、長くは持たんぞ! あいつは……規格外だ!」
その言葉を証明するかのように、結界の中でドラウグがエネルギーを溜め始めた。
口元に収束する、黒い太陽のような光球。
空間が悲鳴を上げ、結界の表面にピキピキと亀裂が走る。
「不味い……逃げるぞッ!!」
二体の眷属は、プライドも使命もかなぐり捨て、全力でその場から離脱した。
その直後。
カッ!!
世界が白く染まった。
ドラウグが放った極大のエネルギー波が、神の結界を強引に突き破り、一直線に荒野を薙ぎ払ったのだ。
ズズズズズズ……!!
地響きと共に、彼らの背後にあった二つの岩山が、砂上の楼閣のように崩れ去り、粉塵となって消滅していく。
爆風が二人の背中を押し、吹き飛ばす。
振り返った彼らの目に映ったのは、地図が変わってしまった風景だった。山があった場所には、ただ抉れた大地の傷跡だけが残っている。
「はぁ、はぁ……あれを食らったら、我らとて消し飛んでいた」
ノスタルジンが震える声で呟く。
「あんな化け物とまともにやり合う必要はない。このままヨーデルへ逃げ切るぞ」
「しかし、あの結界を……」
「奴とて無傷ではあるまい。それに、邪神と言えど神の端くれ。別次元に顕現し続けるには制約があるはずだ。時間を稼げば勝手に消える」
ノスタルジンは自らに言い聞かせるように言った。
「……そうだな。得るもののない戦いは避けるべきだ」
ホーバットも同意し、二人は恐怖を振り払うように再び走り出した。
一方、瓦礫の山となった戦場。
ドラウグは結界の残骸を爪で引き裂き、完全に外へ出るまでに三時間もの時を浪費してしまった。
獲物は既に遥か彼方。
エネルギーも大量に消費してしまった。
「グヌヌ……」
不満げな鼻息を吐き、ドラウグは地団駄を踏んで大地を揺らした。これ以上の滞在は非効率だ。
彼は召喚主であるアンラ・マンユへの文句を腹に抱えつつ、空間を裂いて元の世界へと帰還していった。
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かくして、役者は揃った。
光の加護を受け、王家を後ろ盾としたセティア神の眷属、ゼビウスとロルローシュ。
邪神の脅威に晒されながらも、執念深く潜入を果たすグラティア神の眷属、ノスタルジンとホーバット。
そして、その神々の足元で、冷たい倉庫を拠点に暗躍を開始する、神を宿した暗殺者ラバァル。
極寒の都ヨーデルを舞台に、人知を超えた代理戦争の幕が、静かに、しかし確実に上がろうとしていた。
最後まで読んでくれてありがとう、また続きを見掛けたらよろしく。




