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切り捨てられた者達 その2

必死で逃げるタロット、しかし部下たちはそこまでの体力が無かったのだ、

休憩を取らせ、少し回復させてからと・・・      


                その43




同族喰らいの牙と、神が視せる悪夢


追っ手は、獲物の血の匂いを嗅ぎつけた飢えた獣のように、迷うことなく、最も弱い個体――負傷したバッシュを狙ってきた。

「しまっ……!」

 タロットとルーの二人は、反射的にバッシュのカバーに入り、迫りくる刃から彼を庇う。

 だが、既に深手を負い、サシハリアリの神経毒によって意識がポタージュのように白濁しているバッシュは、立っているのがやっとの状態だ。今の彼は、戦力ではない。守られるべき荷物だ。

 初っ端から、三対二という圧倒的に不利な状況。


 戦況を分析する暇などなかった。

 漆黒の闇を切り裂き、熟練の殺意が豪雨のように降り注ぐ。

 ヒュッ!

 毒を塗った短剣が、月の光を鈍く反射してルーの頬をかすめ、一筋の赤い線を刻む。

 シュルッ……

 油を塗った鋼糸線が、獲物を絡め取る蜘蛛の巣のように音もなくタロットの頸動脈へ迫る。

 そして、呼吸音さえ消した吹き矢が、死角から飛来し、バッシュのすぐ横の木の幹に突き刺さる。

 その攻撃のすべてが、タロットたち自身もよく知るものだった。吐き気がするほどに見覚えがある。

 暗殺団エシトン・ブルケリィで、来る日も来る日も、血反吐を吐くまで訓練で叩き込まれた、感情を  排した効率的な殺しの技術アーツ


「こいつ等、まさか……」

 タロットは、攻撃の質の高さと、その無駄のない洗練された動きに息を呑んだ。

「奴らは……暗殺団エシトン・ブルケリィの熟練暗殺者シニアたちだ!」

 その声は、驚愕と、信じていた足場が崩れ去るような怒りに震えていた。

「えっ……」

 ルーとバッシュは言葉を失う。

 自分たちを襲うのが、まさか組織の先輩たちだとは。尊敬すべき師であり、いつか追いつこうと背中を追った存在が、今、確実な殺意を持って自分たちの心臓を狙っている。

 思考が追いつかない。だが、生存本能だけが警鐘を鳴らしていた。

 彼らは味方ではない。「捕食者」だ。


 


 その頃。

 タロットたちが激しい戦いを繰り広げている場所から、およそ十一キロメートル離れた深い森の中。

 ラバァルたちは静かに野宿をしていた。

 鬱蒼とした森は、夜を迎えて一層深い闇の底に沈んでいる。湿った腐葉土の匂いと、夜露の寒気。

 ラバァルを含む五名は、パチパチと爆ぜる焚火を囲み、残りの三名は周囲の闇に溶けて警戒に当たっていた。ラーバンナーは呑気に食事の準備をしており、肉が焼ける香ばしい匂いが漂っている。

 ルカナンでの激務を終え、ようやく訪れた平穏な時間。


 ラバァルは毛布にくるまり、うとうとと微睡んでいた。

 その時。

 ズギュンッ!!

 眠りの淵にいたラバァルの脳髄に、熱した鉄串を突き刺されたような衝撃が走った。

 それは夢ではない。

 契約した神、アンラ・マンユ経由で強制的に流れ込んできた「死の予兆」。

 視界が赤く染まる。

 闇の中で鮮血を噴き出すバッシュ。絶望的な顔で叫ぶルー。圧倒的な暴力に蹂躙されるタロット。

 映像だけではない。肉が斬れる感触、仲間の断末魔、血の鉄錆臭さまでもが、電気信号となってラバァルの神経を焼き尽くす。

「……ぐッ!」

 ラバァルは弾かれたように上半身を起こした。全身の毛穴から冷や汗が噴き出している。

 心臓が肋骨を内側から殴りつけるように早鐘を打つ。

(……俺の部下が、死ぬ)

 嫌な予感が、確信となってのしかかる。

「おい、どうしたラバァル?」

 異変に気づいたラーバンナーが声をかける。

 ラバァルは素早く立ち上がり、震える手を握りしめて装備を整えながら、凍えるような低い声で告げた。

「タロットたちが襲われている。……映像ビジョンが見えた」

 その鬼気迫る様子に、ラーバンナーとシュツルムが同時に立ち上がる。

「俺達も行きます!」

「待て」

 ラバァルは制止した。焦りは禁物だ。ここで判断を誤れば、全員共倒れになる。

「俺とシュツルムなら高速で移動できる。だが、全員で動けば時間がかかるし、疲労困憊のまま突っ込んでも救援どころか足手まといになるだけだ」

 彼は冷静に、しかし早口で指示を飛ばす。

「お前達は飯を食い、確実に体力を回復してから後を追え。万全の状態でバックアップが必要なんだ。……死にたくなければな」

 論理的な判断。だが、その瞳の奥には揺るぎない決意が宿っていた。

「……くぅ、仕方ねぇ」

 ラーバンナーは悔しげに唸ったが、ラバァルの判断が正しいことは理解していた。

「シュツルム、来い」

「了解!」

 二人は風のように森の闇へと消えた。

 残された者達は、焚き火の炎に照らされたラバァルの背中を見送りながら、無事を祈って無言で食事を口に運んだ。冷めた肉の味が、砂のように感じられた。


 


 一方、斥候の一人から報告を受けたナムは、歪んだ笑みを浮かべていた。

「やっとかい。皆、獲物がいたよ!」

 ナムの号令と共に、灰色影グレイシャドウの一団が一斉に動き出した。

 森の木々がざわめく。死の包囲網が狭まっていく。


 戦場では、タロットの絶叫が虚しく響いていた。

「何故だ! 何故俺たちを狙う!?」

 だが、答える声はない。返ってくるのは鋭利な刃のみ。

 彼らにとってアビスゴートはもはや仲間ではなく、「処理すべき不良品」でしかないのだ。この冷徹な沈黙こそが、暗殺団の本質だった。


 三人の熟練暗殺者は、流れるような連携でタロットたちを追い詰めていく。

 タロットとルーは防戦一方だ。

 特にルーの消耗が激しい。熟練者の攻撃速度は桁外れで、回避するだけで神経を削り取られる。一合打ち合うごとに、彼女の呼吸は荒くなり、剣を握る握力が失われていく。このままでは彼女が先に崩れる。

 タロットは決断した。

(俺が引き受けるしかない!)

 彼はあえて大きな隙を見せ、二人の敵を自分に引き付けた。

「こっちだ、能無しども!」

 挑発し、攻撃を誘いながら戦場をスライドさせる。

 熟練者二人の波状攻撃。右から斬撃、左から刺突。

 だが、タロットはそれを紙一重で捌いていた。

 ラバァルとの常軌を逸した模擬戦の日々――殺される寸前まで追い込まれ続けた地獄の特訓が、彼の動体視力と反応速度を極限まで引き上げていたのだ。

「こいつ、やりやがる」

 敵の一人が舌を巻く。

「二人掛かりでヒヨッ子に手間取るなんざ、グレイシャドウの名折れだぞ」

 敵の攻撃が苛烈さを増す。タロットは歯を食いしばり、血の味を噛みしめながらカウンターの機会を伺い続けた。


 一方、引き離されたルーは、たった一人で熟練暗殺者と対峙していた。

 カキンッ! ギャリッ!

 火花が散る。

 次々と繰り出される刺突を、短剣で受け流すのが精一杯。

 相手は、自分たちが習った殺しの技術の「完成形」を知っている師だ。自分の次の手が読まれているような絶望感。

 疲労で腕が上がらなくなってくる。自分の心臓の音がうるさい。

(もう、ダメかも……)

 弱気が顔を出した、その時。


 背後の闇から、何かが飛来した。

 パァンッ!

 熟練暗殺者の顔面で、小さな球体が破裂した。白い煙が広がる。

「ぐぁっ!?」

 敵が激しく咳き込み、涙で視界を失う。催涙球だ。

 投げたのは、地面に這いつくばりながら、震える腕で最後の力を振り絞ったバッシュだった。

 毒に冒され、視界もままならない彼が、朦朧とする意識の片隅で「仲間を守りたい」という生存本能だけで放った一投。

「バッシュ……!」

 その一瞬の隙。

 ルーの瞳に決意の炎が宿る。バッシュが命懸けで作ってくれたこの機会、絶対に無駄にはしない。

「はあぁぁッ!」

 彼女は懐から蝶型のチャクラムを取り出し、投擲した。

 ヒュンッ!

 二つの刃が弧を描き、咳き込む暗殺者の首筋を左右から深々と切り裂く。

 ブシャァッ!

 鮮血の泉が噴き出し、敵がどうっと崩れ落ちる。

 ルーはバッシュの元へ駆け寄った。彼は安心したように力なく微笑み、そのまま糸が切れたように意識を失った。


 その頃タロットは、四肢を襲う神経毒の激痛に耐えていた。

 体の節々が焼け付くように痛む。だが、彼はその痛みを「集中力を高める燃料」に変えていた。ラバァルとの地獄の特訓に比べれば、この程度の痛みは耐えられる。いや、耐えなければ死ぬ。

「……サシハリアリの毒か。懐かしい痛みだぜ」

 彼は不敵に笑うと、守勢から一転、猛烈なラッシュを叩き込んだ。

 貯めていた力を爆発させる。

 ザクッ!

 一人の義手を切り落とす。鉄と肉の切れる音。

「ぐぉっ!?」

 ひるんだ隙に標的を変え、もう一人の頭蓋を短剣で深々と貫いた。

 ズブシュッ!

 脳漿を撒き散らし、男が沈む。

 残る義手の男が、恐怖に顔を歪めて背を向けた瞬間――タロットの投げナイフが一直線に飛び、その後頭部へ吸い込まれた。

 ドスッ。

 二人を瞬殺。

「ふぅ……」

 タロットは肩で息をした。体中が悲鳴を上げている。

「くそ、最初から全力を出していれば、バッシュやルーにこんな負担をかけずに済んだものを!」

 自身の判断の甘さを呪いながら、タロットは血濡れの短剣を握り直し、ルーたちの元へと走った。



絶望の狩場と、血塗られた再会


 追っ手を退けたタロットは、すぐにルーの方へと駆け寄った。

 地面には、事切れたように横たわるバッシュ。その傍らで、ルーが血に濡れた手で震えながら介抱している。

「無事か! バッシュの様子は!?」

 タロットが泥に膝をつき、覗き込む。

 そこにあるのは、生者の顔色ではなかった。サシハリアリの神経毒が回った肌は土気色に淀み、脂汗が玉のように噴き出している。傷口周辺の血管はドス黒く浮き上がり、肉が煮えるような熱を発していた。

「ひどい熱です……呼吸も浅い」

 ルーの声が恐怖で裏返る。

 四センチ程度の刺し傷だが、毒が凝血を阻害し、ドロリとした黒い血液が止まることなく溢れ続けている。

「くそっ……!」

 タロットは懐から小さな薬瓶を取り出した。組織支給の汎用解毒剤だが、気休め程度にはなるはずだ。

「飲ませろ、早く!」

 ルーがバッシュの強張った顎をこじ開け、薬液を流し込む。さらに竹筒の水を口移しで与えると、バッシュの喉が痙攣するように動いた。

「これからどうします?」

 ルーが縋るような目でタロットを見る。その瞳には、「置いていくしかない」という非情な結論への恐怖が張り付いている。

 タロットは森の深淵、その暗闇の奥を睨みつけた。

「置いていくわけにはいかん。だが、ここに留まれば全滅だ。先程の連中はただの『斥候』……捨て駒に過ぎん。本隊がすぐに来る」

「では、バッシュを……」

「俺が背負う」

 タロットは即断した。

 限界を超えて悲鳴を上げている己の肉体に、さらに成人男性一人分の死にかけの重量を乗せる。それは逃走という名の天秤において、自らの命を死の側へ傾ける行為だ。

 だが、彼は迷わなかった。

 意識のないバッシュを背負い上げる。ずしりとした肉の重みと、不快な熱が背中に広がる。

「行くぞ。這ってでも生き残るんだ」


 


 間もなくして、本隊を率いる斥候の一人が、惨劇の現場へと戻ってきた。

 月明かりの下、無惨に転がる三つの死体。切断された義手。頭蓋を砕かれた男。

 斥候は眉一つ動かさず、死体のポケットを探り、金目の物だけを回収すると、ナムの元へと戻った。

「ナム。斥候三名、全滅です」

 その報告に、ナムはあきれ果てたように地面に唾を吐き捨てた。

「けっ……なんて間抜けな」

 彼女は冷酷な瞳で、残った部下たちを見渡した。その視線は、失敗した部下への哀悼ではなく、壊れた道具を見る侮蔑に満ちていた。

「いいかい、お前たち。相手がヒヨッ子だと思って舐めてかかると、あそこに転がってる肉塊みたいになるんだよ。覚えときな!」

 七名に減った部隊は、無言で頷いた。彼らの瞳に恐怖はない。あるのは、獲物を確実に仕留めるための冷徹な計算式だけだ。


 追跡が再開される。

 すぐに、森の香りが変わった。

「ナム、痕跡を見つけました! 足跡が深くなっています。恐らく負傷者を担いで移動しています!」

 泥に残された深いくぼみと、点々と続く血痕。

 ナムは鼻で笑った。

「はっ。負傷者を捨てていかないなんてね。『情けは死を招く』って、教官に教わらなかったのかい? 全く、これだから最近の若いのは甘ったれなんだよ」

 彼女は愉悦に顔を歪め、指を鳴らした。

「こっちだ。今度は確実に仕留めるよ。まごまごしてたら、アビト様にどやされるからね」

 死の集団が加速する。彼らはもはや人間ではない。組織という巨大なシステムが放った、自動追尾式の処刑刃だった。


 


 月の光も届かない暗い森の底。

 タロットたちの逃走は、限界という言葉さえ超えていた。

 バッシュを背負ったタロットの呼吸は、壊れたふいごのようにヒューヒューと鳴り、足の感覚はとうに失われている。背中から伝わるバッシュの体温だけが、彼が生温かい肉塊ではなく人間であることを主張していた。

 ルーもまた、視界が白濁するほどの疲労と戦っていた。足がもつれ、木の根に躓きそうになるのを、気力だけで持ちこたえる。


 そして、その時は来た。

 背後の闇が、ふわりと膨れ上がり、粘着質な殺気が彼らの肌にまとわりついた。

(……追いつかれた!)

 タロットが気づいた時には、既に遅かった。

 十五分も経たないうちに、【灰色影グレイシャドウ】の精鋭たちは彼らに追いつき、音もなく包囲網を完成させていたのだ。

 前後左右、すべての逃走ルートから、冷たく鋭い視線が突き刺さる。

「ルー、囲まれた。……数も多い」

 タロットは観念し、バッシュをそっと地面に降ろした。ドサリ、と重い音が響く。

 ルーは膝をつき、絶望的な表情で周囲の闇を見つめた。

「私も、ここまでなのかな……」

 先程は奇跡的に勝てた。だが、今度は違う。気配の密度が違う。

 何より彼女を絶望させたのは、包囲している者たちの気配が、自分たちが訓練で慣れ親しんだそれと完全に一致していることだった。

(相手は、私たちが教わった『殺しの技術』を叩き込んでくれた先輩たち……。私たちの癖も、弱点も、全部知られている)

 逃げ場も、隠し技もない。底知れぬ無力感が彼女の心を蝕む。


 闇の中から、一人の女がぬらりと姿を現した。

 キラーズのナム。

 その手には、歪な曲線を描くカランビットナイフが握られている。

「ようやく顔を拝ませてもらったよ。確か、タロットとか言う奴だったね」

 ナムはニヤリと笑った。その笑顔は、蛇が獲物を飲み込む寸前のそれに似ていた。

「ラバァルは何処にいるんだい?」

 タロットは短剣を構え、ハァハァと息を荒げながらナムを睨みつける。

「俺達がルカナンを出た時は、まだあっちに残っていた。後のことは……知らん」

「ふん、つれないねぇ」

「それより答えろッ! 何故だ! 何故仕事を終えて戻ってきた俺達を、同じ組織の人間が狙う!?」

 タロットの喉から、血の味のする怒号がほとばしる。

 ナムは心底可笑しそうに肩をすくめた。

「そんなことは、察しなよ坊や」

 彼女は嘲笑を浮かべ、残酷な真実を突きつけた。

「簡単な話さ。あんたら【深淵山羊】はね、総帥が望むほど『役に立たなかった』と判断されたんだよ。だから、今回の不始末の責任を全部背負って死んでもらう……体好ていのいい『生贄』ってわけさ」

 内部粛清。トカゲの尻尾切り。

 組織の論理という巨大な暴力に、タロットは唇を噛み切るほど強く食いしばった。口の中に鉄の味が広がる。

「くくっ……俺達相手に、あんたみたいなキラーズを送ってくるとはな。総帥も随分と買いかぶってくれたもんだ」

「ば~か。あたしがここに来たのは、ただの成り行きさ。貧乏くじを引かされたのはあたしの方だよ」

 ナムはナイフで自分の爪をいじりながら、無造作に歩き出した。

 その足が、地面に倒れていたバッシュの頭の横で止まる。

「さぁ、無駄話は終わりだ。さっさと首を置いていきな!」

 ナムの言葉を合図に、闇に潜んでいた暗殺者たちが一斉に動き出し、包囲を狭めた。


 


 一方、ラバァルとシュツルムの二人は、風となって森を疾走していた。

 肺が焼け付くような速度。だが、ラバァルの足は止まらない。

 もうそろそろ、彼が予知夢で見た場所に到達するはずだ。

 深い森の中は、どこも同じ景色に見える。だが、ラバァルの脳内には完璧な地図が焼き付いていた。目印となるねじれた大木、苔むした岩、わずかな植生の違い。

 夢で見たあの場所。そこに確かにあった不気味な形の古木を、ラバァルは視界に捉えた。

 そして、肌を刺すような濃密な殺気を感じ取る。

「シュツルム、敵がいるぞ」

 ラバァルは速度を緩めず、低く告げた。

「了解」

 シュツルムが短く答える。

 ラバァルはその中で最も強い気配を持つ相手に向かって、さらに速度を上げた。

 かなり近い。

 彼は素早く足を止め、音もなく大木の幹を駆け上がった。

 上空からの視察。

 月明かりが微かに差し込む広場に、複数の人影が見える。包囲され、傷つき、膝をつくタロットとルー。

 そして、その中心に立つ女――ナムが、地面から**「何か」**を持ち上げているのが見えた。


 木の上からでは距離があり、それが何なのか一瞬判別できなかった。

 だが、ラバァルの優れた視力は、残酷な真実を捉えた。

 ナムが掴んでいるのは、ぐったりとして動かないバッシュの髪の毛だった。

 彼女は意識のないバッシュの頭を、汚いボロ雑巾でも扱うように強引に引き上げ、その無防備な喉元に、冷たく光る刃を当てていたのだ。

 まるで、屠殺される前の家畜のように。


(……ッ!)

 その光景を見た瞬間、ラバァルの胸を万力で締め上げられるような鋭い痛みが貫いた。

 それは、言い知れぬ悪い予感。

 かつて幼い頃、叔父に連れられていく自分に、母が別れ際に見せた悲しみに濡れた涙。守れなかった者たちの記憶。無力だった過去の自分が、フラッシュバックするように脳裏をよぎる。

 心臓がドクンと音を立てた。

 これ以上遅れれば、取り返しのつかないことになる。仲間が、また俺の前で死ぬ。


 思考するより先に、体は動いていた。

 ラバァルは迷うことなく枝を蹴り、重力のままに地上へ舞い降りた。

 死神の鎌が振り下ろされる、その寸前の場所へ。


 スタッ。


 重く、確かな着地音が、戦場の空気を凍りつかせた。




最後まで見てくれありがとう、また続きを見かけたらよろしく。  

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