『グラティア教』の脅威 その3
今回の登場人物
グラティア教
エミル司祭 ピエトロ卿 レクシア ローリー
暴力を用いる実行部隊の名カスティガトル{意味:懲らしめる者、戒める者}
ラガン王国軍 第一軍の将 兼 ルカナン執政官【アンドレアス】 副官 ハイル
その36
聖堂でピエトロ卿とエミル司祭の間でそのようなやり取りがなされていた頃、別ルートから『ルカナン』に潜入したタロットたちも、薄暗い裏路地にひっそりと佇む酒場ランナウェイに無事到着していた。そこへ、少し遅れてラバァルたちも合流し、簡素なテーブルを囲んで酒と食事を取りながら、それぞれの情報を共有し始め...。
ラバァルはまず、ルカナン民衆の多くが既にグラティア教の熱心な信者である可能性が非常に高く、彼らの行動に関する情報は常に信者たちからグラティア教へと筒抜けになっていると考えざるを得ない状況だと説明し、早急に何らかの行動を起こさなければならないと告げた。「それでは、どこへ行こうとも相手に見張られているということなのか?」タロットは、うんざりしたように呟いた。「そうだ。この酒場に、俺たちの様な新参の顔が入ったと今頃、知らされてる可能性は高い。本当に、数という暴力は厄介だな。」ラバァルは、警戒を怠らないように周囲を見回しながら答える。「ではどうするんだ、ラバァル。何か具体的な作戦はあるのか?」タロットが、焦れた様子で問いかける。
ラバァルは、静かに口を開く。「グラティア教徒たちは、大勢が集まって頻繁に集会を開いているらしい。そこに毒を撒こうと考えている。」ラバァルの言葉に、タロットは驚いた表情で聞き返した。「なんだって?今回の目的はエミル司祭の暗殺のはずでは?」「そこが重要な点だ。そのことは相手も承知しているだろう。しかし、現在、我々にとって最も直接的な脅威となるのは、不特定多数の信者たちだ。」ラバァルは、冷静に、そして的確に自分たちにとって何が最大の脅威なのか、そのレベルを判断していた。どこにいても情報が漏れてしまう状況ほど恐ろしいものはない。信者たちは、ラバァルたちの知らないところで、着実に彼らの命を危険に晒していたのだ。その状況は、確実にラバァルたちを追い詰め、死へと近づけている。ラバァルは、その根本的な脅威を排除するための、大胆な作戦を立案したのだ。
「しかしだな、そんな信者レベルまで無差別に殺して良いのか、ラバァル?」タロットは、良心の呵責を感じているのか、苦渋の色を滲ませた表情で問いかけた。「お前の甘さで部下たちを死なせたいのか、タロット?俺は、人を殺す手伝いをしている奴らのために、手を抜くつもりなどない。これは部下の命を守るため、リーダーとして決めたことだ。」ラバァルの声には、強い決意が込められていた。
「だが、そんなことをすれば、総帥たち重鎮会議のメンバーに後で厳しく責められるのではないか?」タロットは、なおも心配そうな様子を見せた。「心配ない。暗殺のターゲットはエミル司祭だけとは一言も言われていない。それに、この方が目的を特定しづらくなるだろう。暗殺集団エシトン・ブルケリィの立場から考えれば、決して悪くないはずだ。」ラバァルは、自信ありげにそう言った。「ふむ……しかし、お前は本当に大丈夫なのか?」タロットは、ラバァルの顔をじっと見つめながら問いかける。
「何がだ?」「いや……いくら俺たちでも、自分たちが何をしているのか理解していない者たち、不特定多数の者を無差別に殺すようなことをして、心が痛まないのか?」タロットの言葉には、深い憂慮の色が感じられた。「俺には、そのように考える思考回路はない。俺は、自分の部下を守ることを最優先に考え、作戦を成功へと導くための最善の案を考えただけだ。それで心が痛むことはない。それとも、他に何か良い案があるのか?」ラバァルは、冷徹な眼差しでタロットを見返す。
「……覚悟ができているのなら、もう良い、ラバァル。俺がやろう。毒のことなら任せろ。」タロットは、諦めたようにそう言い、残りの食事を掻き込むと、静かに酒場を後にし、夜の闇へと姿を消した。
彼は、これから行うであろう大量虐殺のための毒を調合するため、薄暗い宿の一室へと向かった。薬草をすり潰しながら、彼の脳裏には、これから死地へ向かうであろう部下たちの、まだ幼さの残る顔が浮かんで消える。自分と同じように、家族も知らず、この組織でしか生きる術を持たない者たち。彼らを守るために、顔も知らぬ大勢の人間を殺す。これまで手にかけた罪人たちとは違う。ただ神を信じるだけの者たちを、無差別に。この穢れた手で、一体何を守れるというのか。彼は自問自答を繰り返しながらも、ラバァルの覚悟に応えるため、ただ黙々と、無慈悲な毒を作り続けた。
次の日の昼下がり、ラバァルとラーバンナーの二人は、人通りの多い通りを歩きながら、ルカナン執政官庁舎へとやって来ていた。周囲の視線を感じながらも、二人は堂々とした足取りで建物の中へと入っていく。彼らがなぜここにやって来たのか。その目的は二つあった。まず一つ目は、現在、ラガン王国軍が実質的に支配しているこの執政官庁の中で、自分たちが監視の対象となるのかどうか、それを確認しておくためだ。もしそうであれば、敵は新しく着任したアンドレアス将軍が率いる軍の中にも深く浸透している可能性があるからだ。二つ目の目的は、通常であればこの中にそれほど多くの敵は侵入してこられないはずなので、万が一中で戦闘になったとしても比較的容易に敵を制圧できると考えたからだ。さらに、もしここで騒ぎを起こし、その責任をラガン軍に擦り付けることができれば、自分たちの労力を減らしながら敵を消耗させることができるという計算もあった。別段、現在ここに赴任中の【アンドレアス将軍】などに個人的な用があるわけではない。というのも、ラバァルは軍との繋がりなど一切持っていなかったからだ。彼にとっては、単なる偵察を兼ねた散歩といったところだ。しかし、見慣れない者たちが執政官庁舎に入ったという情報は、瞬く間にグラティア教のエミル司祭のもとへも届けられていた。
「なに、執政官庁舎に入っただと?すると、その者たちはラガン軍部と繋がっているということか?」ラガン軍との繋がりがある可能性が出てきたことを知ると、【死刑執行人エクゼキューショナーズ】のピエトロ卿が、興味深そうに話に加わってきた。「その者たちがラガン軍の手先として動いている可能性があるのなら、こちらも軍を動かさねばならぬ。まずは着任間もない【アンドレアス】をこちらから暗殺してやろうではないか。ラガン王国がどう動くかは知らんが、忌々しいラガンを片付けた方が、グラティア教の教えを布教するにも好都合だろう。」ピエトロ卿は、冷酷な笑みを浮かべながらそう提案した。「その判断は上層部に委ねなければなりません。勝手な判断で実行してしまい、後から意向とそぐわないと言われたら、いくらピエトロ卿でもただでは済まされませんぞ。」エミル司祭は、慎重な態度で答えた。「はっはっはっ、エミル司祭、冗談だ。私とて、上層部の意向に逆らうような真似はできぬ。まずは、その二人を捕らえ、情報を聞き出さねばならん。」ピエトロ卿は、豪快に笑い飛ばすと、そう結論付けた。「はい。」エミル司祭は、静かに頷いた。そして、エミル司祭は、傍に控えていたローリーに目配せで指示を送った。ローリーは、その意を理解し、小さく頷いた。その瞳には、これから始まるであろう捕縛劇を支配する者としての、冷たい悦びの光が宿っていた。「分かっております、司祭。神官戦士ミレス・サケルに対応していただきます。」ローリーは、恭しく礼をしてその場を去り、聖堂の地下へと急いだ。地下には、既に神官戦士ミレス・サケルが待機しており、ローリーは彼に状況を伝えると、先に集まっているであろうカスティガトルたちの元へと向かった。
その頃、ラバァルたちの行動を先に把握していたレクシアは、グラティア教の修道女という立場を利用して、ラバァルたちの後を追い、執政官庁舎の中へと入ってきていた。その様子を見ていたラバァルたちは、内心で驚いていた。「まさか、官庁内へまで入れるとはな……」と感心すると同時に、「逆に、ここの警備は随分と甘いな」と、呆れたようにも感じていた。取りあえず、そのことを頭の片隅に記憶したラバァルは、レクシアの方へと近づいて行く...。
「あっれ~?あなたは確か、昨日噴水のところで話をした方ですよねぇ?」まるで偶然出会ったかのように、ラバァルが声をかけると、レクシアは明らかに驚いた様子で、一瞬身構える。ラバァルの奥底にあるアサシンの勘が、彼女の微笑みの下に隠された目に宿る、深い影のようなものを一瞬捉えた。しかし、それは過去の記憶とは結びつかなかった。「おや、驚かせてしまったかな? レクシアは驚いているが。直ぐに何故ここに居るのか疑問に思ったのだろう問うて来た、一体ここへは何をしに?」警戒した表情のまま、レクシアはラバァルたちに問いかける。「あなたたち、一体何者なの?ここへは何故?」あまりにも直接的な質問に、ラバァルは苦笑しながら答えた。「あははは。ここへは、中が見たいから入っただけですよ。でも、なぜ俺たちをつけてきたのかな?」ラバァルの問いに、レクシアは少し言葉に詰まりながらも答える。「あ、それは……あなたたちを見かけて、何だか縁があるなと思って……」いささか強引な理由だ。すると、ラバァルは真剣な表情になり、レクシアをじっと見つめた。
「そんな見え透いた嘘はやめてください。あなたのことをよく見ると、あなたに似た人との記憶が蘇ってきました。あなたは、沈没船の檻から助けた俺を船から突き落とした大人と一緒にいた、お姉さんですよね。」ラバァルが突然、過去の記憶を呼び起こすようなことを話し出すと、レクシアは目を見開いて驚きを見せた。「あ……あなたは、まさかあの時の少年なの?」ラバァルは、静かに頷いた。
「どうやら、同一人物のようだな。その通り、俺はあの時の子供だ。」レクシアは、顔を蒼白にしながら、慌てて口を開く。「ごめんなさい!ずっと謝りたかったの。あれは突然ローリーがあんなことをしてしまったて!あっという間にあなたは潮流に流されてしまってどうにも出来ずに……」ラバァルは、過去の出来事を冷静に振り返りながら言った。「今なら、大体の状況は理解できる。別に怒ってもいない。ラナの檻では見捨てたし、あれで相子だと考えられる。」彼の脳裏に、盗賊団の檻の中で絶望していた二人の姿が浮かんだが、目の前の任務に集中するため、その感傷を冷徹に断ち切った。
「そうなの、そう言ってもらえると、少し心が軽くなったわ。でも、あの後、私とローリーの二人は、多数の男にあてがわれ、筆舌に尽くしがたいほどの苦痛を受けたわ。あの時は、自分たちのしたことへの罰が当たったのだと思い、ただ耐え忍んで..。」レクシアの瞳には、深い悲しみが宿っていた。「ラナは、あんたら二人のことを金を生む雌鶏と呼んでいた。」ラバァルの言葉に、レクシアは顔を歪めた。「……でも、突然、盗賊たちは諍いを起こして、売春婦たちの取り合いを始めたの。その混乱に乗じて、私たちはルカナンへ戻ることにしたのよ。」
「ラナが死んだからだろう。その時、俺も盗賊団イニークゥスから連れ出され、外に出た。」ラバァルは、淡々と過去を語った。そして、鋭い眼差しでレクシアを見据えながら問いかけた。「それで、何も知らない俺たちを嗅ぎ回っているのはなぜだ?」「そ、それは……」レクシアは、言葉を濁した。「後悔しているなら、もう嘘はつくな。」ラバァルは、レクシアの目をしっかりと見つめてそう言った。すると、レクシアは観念したように息を吐き出し、真実を語り始めた。「分かったわ。私とローリーはグラティア教に入信して、今は修道女として活動しているの。」「それで、なぜそのことを隠す必要がある?」「私たちの役目が、見知らぬ者を見つけたら、その者を調査することだからよ。」レクシアは、少しばかり警戒した様子で答えた。「なぜグラティア教はそんなことをしている?」「グラティア教には敵が多いのよ。ここでは、見知らぬ者への警戒は常に行われているわ。」レクシアは、周囲を気にしながら小声で言った。「まあ良いだろう。別にあなたの活動にとやかく言うつもりもないし、こちらのことを詮索されたくもないのだから。」ラバァルは、興味なさそうにそう言う。「ではお互い、言いたくないことは黙っておくということで良いわね。」レクシアも、この提案には賛成の意を示し、二人はこれ以上互いのことを詮索するのはやめることにした。
「所で、そろそろカスティガトル(懲らしめる者)が来ると思うんだけど、あなた達どうするの?」レクシアは、少し心配そうな表情でラバァルたちに問いかけた。「へえ、平和的な事が好きだとか言ってたのに、あんな暴力的な者達の手伝いをしているなんて、何だかなぁ……」ラバァルは、皮肉を込めた口調でそう言った。「分かってる。でも、生きるためには仕方のないことなの。私とローリーの二人は、エミル司祭様にお仕えすることを誓ったのだから。」レクシアは、どこか諦めたような表情で答える。「エミル司祭と言うと、あの聖堂の主だな。」ラバァルは、確認するように問いかけた。「そう。エミル司祭様は、元タートス王国の民を苦しみからお救いくださっているの。」レクシアは、真剣な眼差しでそう説明。「そうなの?俺には、利用しているように見えたけど。」ラバァルは、率直な感想を述べた。「それは……そういう一面もあることは認めるわ。でも、それで救われている人もいるんだから、持ちつ持たれつでしょ。」レクシアは、複雑な表情を浮かべながらそう答える。
そうこうしているうちに、ラバァルは背後から近づく敵の気配を感知した。「来ましたよ、ラバァル。」ラーバンナーが、静かに知らせた。「分かった。では、あなたは戻った方が良い。ただし、今日行われるミサには出席しない方が良いだろう。巻き込まれては後々面倒だから。」ラバァルは、レクシアにそう忠告を入れておくと、レクシアの方も、心の重荷を少しでも軽くしたいという気持ちと、助けてくれた幼き者を一心同体とも言えるローリーが海へ突き落した負い目が残るラバァル、今現在、お世話になっているグラティア教、そのどちらにも深入りしたくないという思いから、今日は自室へ戻って静かにしている方が賢明だと考え。「分かりました、ラバァル。今日はもう自室へ戻ります。お気をつけて。」レクシアは、そう言って軽く会釈すると、足早にその場を後にした。ラバァルは、タロットたちが計画している毒の散布については、あえてレクシアには伝えなかった。もし彼女がミサに出席して命を落としたとしても、それは彼女自身の判断であり、仕方がないことだろう。現時点でのラバァルとレクシアの関係性は、まだその程度のものに過ぎなかった。
レクシアが出て行ってから、しばらくの時間が過ぎていた。「入ってきませんね。」ラーバンナーが、周囲を警戒しながら呟く。「ここにはラガン軍の兵士がうじゃうじゃいるんだから、そう簡単に入ってこられるわけがないだろう。」ラバァルは、冷静に答える。「それで、この状況をどうするんですか?」ラーバンナーは、少し退屈そうに問いかけた。「何もしない。外で見張らせておくことが、今の俺たちの役目だ。」ラバァルの言葉に、ラーバンナーは目を丸くした。「えっ、何もしないんですか、ラバァル?」「時には、何もしないことも、重要な選択肢の一つになる。」ラバァルは、意味深な言葉を返す。「変な本でも読みましたか?」ラーバンナーは、呆れたようにそう言った。「いや、別に無理して戦う必要はないだろう。こうしてここにいるだけで、タロットたちの計画の役に立っているんだから。」ラバァルは、そう言って軽く笑う。その頃、町の広場ではタロットが群衆に紛れ、風向きを計算しながら無色の毒を静かに散布し始めていた。「そうか……敵を引き付けるためだったんですね?」ラーバンダーは、納得したように頷いた。「いや、別に。本来の目的は情報を仕入れるために入ったんだが、結果的に、タロットたちの為にもなると、さっき気が付いた。」ラバァルは、正直に答えた。
「一石二鳥ってやつですね。」ラーバンナーは、感心したように言う。
「所でラーバンナー、暇そうだな。」ラバァルは、ふとそう言った。「ええ、何もすることがありませんからね。」ラーバンダーは、肩をすくめて答える。「では、一つやってもらおう。今からこの建物の中にいる士官の所へ、これを持って行って渡してきてくれるか。」ラバァルは、懐から取り出した総帥からの封書をラーバンナーに手渡した。「士官……名は?」ラーバンナーは、封書の宛名を確認しようとした。しかし何も書いてはいないのだ、これは? ラーバンナーはラバァルを問う様に見る、それを受けラバァルは。
「目ぼしい士官を探して渡せば良いだけだ。」ラバァルの言葉に、ラーバンダーはこれが一体何のために必要なのか、よく理解できなかったが、ラバァルの指示に従うしかなかった。もちろん、建物の中を見ていないラバァルにも、この封書の効果は、ラーバンナーに伝えた「役に立つ」ということ以外、詳しい内容は知らされていなかった。「分かりました。」そう返事したラーバンナーは、封書を懐に仕舞うと、話を聞いてくれそうな地位の高い士官を探すため、足早にラバァルから離れて行った。
そして、一人残されたラバァルは、何もしないまま状況が好転するほど甘くはないことを悟っていた。ラガン軍の中に紛れ込んでいたグラティア教の信者が、外から来たカスティガトルの指示を受け、ラバァルを執政官庁舎の外へ誘い出すための攻撃を仕掛けてきたのだ。突然背後から襲い掛かってきた兵士を、ラバァルは咄嗟に羽交い絞めにし、首を絞め落として対抗した。一人が意識を失って倒れると、ラガン軍の兵士の中に紛れていたグラティア教信者が、大声で叫び声を挙げた。「敵だぁ!あいつ、仲間の兵士の首を絞め殺害したぞ!」しかしそんな兵士に挑戦するかの様にラバァルは周囲に聞こえるよう、そいつの声に負けない大きな声で言い返す。
「おっと~、何言ってくれてんだよ、何もしていないのに突然襲われたので、正当防衛で抵抗しただけだろう。それに、殺してないだろう、そこで寝てる奴、起こせば分かるだろ!」
すると、周囲の兵士の中から数人が前に進み出て、何が起こったのか状況を把握しようと動き出した。ラバァルは、「これはまずかったのか?。封書はラーバンナーに渡す前に、ここに残しておくべきだったな...」と内心で後悔したが、後の祭りだった。
「これは一体何が起こったのか説明したまえ!それとお前のような者が、なぜこの場にいるのか?」ラバァルを取り囲み、連れ出そうとする兵士の一人が、ラバァルを指さしながら説明した。「この者は怪しい素振りをしていましたので、事情聴取しようと仲間と囲みながら近づいたのです。するとこの者は、そちらで倒れている兵士の首を羽交い絞めにして、窒息させました。」状況からして、その兵士の言っていることに矛盾はないように思われた。
前に出てきた士官は、ラバァルに対し、改めて問いかける。「先ほども質問したが、もう一度言おう。お前、なぜここに来た?目的は?」足に付着した埃を払いながら、ラバァルは冷静に士官の方を見て答えた。「実は私は、ある機関から派遣された密偵です。その目的は、軍部におけるグラティア教信者の洗い出しです。」ラバァルの言葉に、士官は眉をひそめた。「何だと?我々の軍にグラティア教信者が紛れ込んでいるとでも言うのか、貴様は!」ラバァルは、落ち着いた声で否定した。「そうは言っておりません。ですが、怪しい者たちが外に待機しております。
そっと外をご覧いただければ、お分かりいただけると思います。」ラバァルは、目の前の士官にだけはっきりと聞こえる程度の声で、そう伝えた。士官は、ラバァルの言葉に興味を持ち、窓越しからそっと外の様子を覗き見始めた。するとしばらくして、外の様子を見ていた士官が、訝しげな表情で呟いた。「あの者たちは何だ?なぜ外で見張っている?」ラバァルは、冷静に答える。「答えは分かっていると思いますが、グラティア教から派遣されたカスティガトルたちです。あの者たちは、ルカナンに見慣れない者が入ると、拉致しているようです。」士官は、さらに問い詰めた。「何のために?」「さあ……信者たちは、神の名の下にあらゆる悪行を働きますからね。彼らからすれば、よそ者に対する拉致、監禁、洗脳などという行為は、神聖な行いだと思っているのでしょう。」ラバァルの言葉に、士官は顔をしかめ。「馬鹿な!ここルカナンで、そのような行いが許されるはずがない!」そんな会話がなされていると、先ほどの兵士が再び口を開いた。「ローウェル戦士長、そんな正体不明の男の言葉に騙されないでください!
この男の処分は、我々に任せてください!」強い口調でそう言ってきた兵士に対し、ローウェル戦士長は手を上げ。「待て。事態が把握できるまで、この者は牢へ入れておく。お前たちも、なぜあの男にそこまで構う……、おい、この者たちも牢へ入れて取り調べろ。武器は接収しておくのだぞ。」ローウェル戦士長の命令に、先ほどの兵士は驚きの声を上げた。「馬鹿な!我々はラガン軍の兵士ですよ、ローウェル戦士長!」ローウェル戦士長は、毅然とした態度で答えた。「調べが終わるまでだ。我慢しろ。」ローウェル戦士長がそう言い終わるか否かのうちに、その兵士は隠し持っていた短剣を抜き、ローウェル戦士長に飛び掛かると、手にする短剣を胸に突き刺したのだ。周囲にいた者たちは、その突然の裏切り行為を見て、すぐにその兵士を捕らえようと動く、しかし次の瞬間、他の兵士も横にいた兵士に向けて剣を突き刺し始めたのだ。
はたから見ると、ラガン軍の兵士同士が突然殺し合いを始めたように見える。
しばらくの間、官庁内は激しい戦闘状態となったが、ここにはかなりの数のラガン兵士が詰めている。すぐに圧倒的な数の兵士が駆けつけ、襲い掛かってきた兵士たちは、全員槍や剣で突き刺され、地面に倒れた。兵士に襲い掛かった兵士は合計で五名。倒され、地面に伏せていた。ラガン兵士の方も、ローウェル戦士長と三名の兵士が殉職するという痛ましい結果となっていた。
そうして官庁内が大騒ぎになっているところへ、ラーバンナーが封書を届け、連れてきたハイル副指令(執政官庁内序列ナンバー2)が、一体何が起こったのかと周囲の兵士に質問する。ラーバンナーは建物の奥へと向かい、いかにも地位が高そうな壮年の男に声をかけた。「失礼。あなたはこの庁舎の責任者の方ですか?」突然声をかけられた男は、怪訝な顔でラーバンナーを見た。「そうだが、君は?」「これを、お渡しするようにと」ラーバンナーは封書を差し出した。男はそれを受け取ると、封を切り、中の羊皮紙に素早く目を通した。その顔色がみるみるうちに変わっていく。「お前たち!何をしておる!この騒ぎは一体何事だ!」ハイル副指令の問いかけに、近くにいた兵士の一人が慌てて答えた。「ハイル副指令!ただいま騒ぎに駆け付け、事態の収拾を図っていたローウェル戦士長に、突然、先ほど争っていた片方の兵士が短剣を突き刺したかと思うと、別の兵士も横にいた者に剣を振り始め、兵士同士の戦いが始まったのです!」ハイル副指令は、状況を把握しようと努めながら頷いた。「ふむ、そうか。分かった。それで、剣を抜いた者たちは片付けたんだな?」「はい!そちらに寝かされている者たちが、兵士を襲った者たちで、あちら側は、突然剣を突き刺された兵士たちです。」兵士の言葉に、ハイル副指令は鋭い眼光を向けた。「襲った方の衣服を剥がし、何か手がかりになるものがないか調べさせるんだ。」「はい!すぐに調査いたします!」兵士は、ハイル副指令の指示に従い、動き出した。「くっ……封書に書かれていたことが真実だというのか。グラティア教め、我々の軍にまで深く入り込んでいるとは……。内容は『アンドレアス将軍の軍内部にもグラティア教の信者が潜入している可能性が高い。警戒されたし』といった警告だった。」そう呟くと、ハイル副指令は周囲の兵士に問いかけた。「この者の連れはどこへ行った?」「はい、ローウェル戦士長の命令で、取り調べるため牢へと連れて行きました。」兵士が答えると、ハイル副指令は即座に指示を出した。「その者を牢から出してやれ。この者を案内するんだ。」ハイル副指令は、今回の事態を【アンドレアス将軍】に直接報告するため、足早に執政官室へと向かって歩き出した。そして、ラガン王国軍三万の兵を擁するこの地で、グラティア教の脅威はもはや無視できないレベルに達していると、アンドレアス将軍は認識することになる。この暗闘は、もはや暗殺団と教団だけのものではなくなっていたのだ。
最後まで読んでくれありがとう、また続きを見かけたら宜しくです。




