助けたんだけど。
今回も海賊船の中での出来事です。
その29
それから四日目のことだ。ラバァルは、何人かの大人の女性たちが入れられた鉄の檻とは別に、船の甲板で鎖に繋がれていた。食べ物と水は定期的に運ばれてきたので、空腹に苦しむことはなかった。
今日も、海賊の一人が食い物と水が入った粗末な桶を運んできた。「メシだ。ちゃんと残さず食えよ。」そう言い残し、海賊が戻ろうとしたその時だった。
突然、船全体に激しい振動が走り、船は大きく傾いた。食事を持ってきた海賊は、まるで木の葉のように壁の方へと吹き飛ばされ、激しくぶつかって気を失ってしまった。さらに、先ほどよりも強い振動が船を襲う。倉庫部屋に入れられ、鎖で繋がれていたラバァルも、船の容赦ない傾きと共に、床ではなく壁の方へと叩きつけられた。「キャ~キャ~~!」「キャ~!」悲鳴が響き渡る中、三名の女性が閉じ込められた鉄製の檻が、鎖を引きずりながらラバァルのいる方へと滑って来た。
だが、ラバァルを繋ぐ鎖の長さが幸いにも短かったため、檻が到達する寸前でラバァルは宙吊りになった。迫り来る鉄の塊を、ラバァルは咄嗟に近くの柱の陰へと飛び込み、間一髪で躱す。激しい勢いで柱にぶつかった檻は、少し向きを変え、壁に沿ってずれ落ちていった。
幼いラバァルの心臓は、嵐とは違う、もっと違うなに得体のしれない恐怖に締め付けられていた。船を襲う容赦ない衝撃と、周囲の悲鳴が、ただ事ではないと幼い頭にも理解させている。鎖の音をジャラジャラと響かせながら、ラバァルは本能的に繋がれていた船の太い柱へと這い寄った。細い腕で必死に柱にしがみつき、まるで巨大な獣に弄ばれているかのような激しい振動に、小さな体は悲鳴を上げそうになりながら必死に耐えていた。檻に閉じ込められたまま壁に叩きつけられた大人たちの声は、いつの間にか途絶え、聞こえるのは嵐の咆哮と、軋む船体の音、そして自分の荒い息遣いだけになっている。頼れる大人は誰もいない。ラバァルは、たった一人でこの想像を絶する危機を乗り越えなければならないのだと、幼いながら生きる為の行動をしていた。
激しい揺れは、収まるどころか、ますます強くなってきた。そして次の瞬間、大量の海水が倉庫部屋へと流れ込んできたのだ。下の方にあった鉄の檻が、みるみるうちに海水に沈んでいく。
全身ずぶ濡れになり、ようやく意識を取り戻したのか、檻の中に閉じ込められたや大人の女性たちが、助けを求めて騒ぎ始めた。しかし、最初に吹き飛ばされて壁に叩きつけられた海賊は、よほど打ち所が悪かったのか、海水に浸かっても目を覚ます様子はない。檻の外にいるのは、ラバァルただ一人だったため、女たちは必死の形相でラバァルに助けを乞い始めた。「坊や、助けて!」「お願いよ、私たちを助けて頂戴!」
ラバァルも、彼女たちが何を言いたいのかは、何となく理解できた。檻から出してほしいのだろう。しかし、ラバァル自身も柱に鎖で繋がれており、どうすることもできずにしがみついてるだけなのだ。それでも、ラバァルは必死に鎖を外そうと試み始めた。
鎖を辿って、どのような仕組みになっているのかを調べたが、幼いラバァルには全く外せそうになかった。次に、鎖を辿りながら柱の周りを注意深く見て回る。すると、柱の一部に大きなひびが入っているのを発見したのだ。おそらく先ほど、檻が激しくぶつかった衝撃でできたのだろう。ラバァルは、そのひびを何とか利用できないかと考え、周囲の状態を見回してみる。すると、隅の方に海賊が使う鉄製のバールが落ちているのが見えたのだ。
しかし、鎖に繋がれたままのラバァルには、バールが落ちている場所までどうしても手が届かない。あと少し鎖が長ければ届くのだが……それでも諦めず、近くにあった掃除用の古びた箒を手に掴むと、その柄先を使って、バールを少しずつこちらに手繰り寄せようと試みた。
その時、また船が激しい衝撃と共に大きく揺れる。すると、まるで何かに導かれるように、バールが何もしなくてもラバァルのいる方へと滑ってきた。そして、ラバァルはそれをひょいと手に掴むことができたのだ。「やったぁ!」思わぬ幸運に、ラバァルも思わず声を上げる。
しかし、喜んでいる場合ではなかった。もう檻の大部分が海水に沈んでしまっており、中の女性たちは溺れかけていた。ラバァルは、今手に入れたバールを使って、鎖を開けようと試み始め。くっ、くっ、くっ……しかし、鎖は頑丈で、びくともしない。早く何とかしなければならない。焦ったラバァルは、今度はひびが入った柱に、バールを力任せに叩き込み始めた。
何発か叩き込んでいると、バールの先端を差し込めるほどの小さな穴ができた。そこにバールの先を突っ込み、バールに鎖を引っ掛けて力いっぱい引っ張った。だが、引っ張るだけでは太い柱を折ることはできなかった。もっと大きな力が必要だったのだ。これではダメだと判断したラバァルは、今度は鎖を持ったまま、柱によじ登り始めた。いけるところまで登ると、鎖をしっかりと握りしめたまま、思い切って飛び降りて見せたのだ。
すると、一瞬遅れて、バールに想像以上の力が加わり、柱の半分以上が激しい音を立てて砕け散った。その様子を、檻の中で必死に助けを求めていた女たちは、まるで神に祈るように、ラバァルの行動を見守っていた。
ラバァルも、これならいけると判断した、もう一度同じことを試みるため、先ほどひびが入った箇所にバールを突っ込み、再び柱によじ登り始める。そして、今度は躊躇なく飛び降りた。
バシャー―ン!
船の上部を支えていた太い柱が完全に倒壊すると、船の上層部分も重みに耐えきれず、ゆっくりと下へと傾き始めた。しかし、一気に落ちることはなく、ミシミシと不気味な音を立てながら、徐々に下がってくる。
ようやく鎖から自由になったラバァルは、近くに倒れている意識のない海賊の方へと近寄っていった。最初は体を揺さぶり起こそうとしたが、全く目を覚まさないので、海賊の衣服をまさぐり始めた。すると、腰のあたりに鍵らしきものを見つけた。再びバールを取り出すと、それを鍵穴に差し込み、無理やりこじ開けて鍵を手に入れた。
海水で浸かった物置部屋を泳ぎながら、大人たちが入れられた檻の所まで辿り着くと、「今開ける!」と叫び、大きく息を吸い込む、そして冷たい海水の中に潜った。海に潜るという行為は、以前マーヤが生活の糧として海の幸を獲る方法を教えてくれていたため、ラバァルもすぐに思いついたのだ。
水中でもがきながら、何とか檻の扉の鍵を開けると、中の女たちは我先にとそこから脱出。ラバァルと、助け出された大人の女三名は、力を合わせて何とか海水から這い上がることができた。
しかし、船の激しい揺れは依然として続いていた。一体何が起こっているのか確かめようと、ラバァルは甲板に上がろうと動き出す。その様子を見た大人の一人が、不安そうな表情でラバァルに声をかけた。「坊や、危ないよ!ここにいなくちゃ。またあいつらにどんな酷い目に遭わされるか分からないわ!」
ラバァルは、そんな大人の心配など意に介さずに、上へと向かおうとする。
だがその時、信じられない光景が彼の目に飛び込んできた。船の外壁を突き破って、巨大な触手テンタクルスがぬるりと侵入してきたのだ。数秒遅れて、次の巨大な触手も外壁を貫き、船内へと侵入してきた。
その巨大な触手は、まるで生き物のように船内で暴れ回り、壁や柱を叩き潰しまくっている。運悪く、一人の大人が、鞭のようにしならせ振り下ろされた触手にまともに当たってしまい、けたたましい音と共に、肉塊となって潰されてしまった。
その恐ろしい光景を、ラバァルを含む三名が見ていた。最近、何度も人が血を流して死ぬ場面を目撃していたラバァルは、まるで感覚が麻痺してしまったかのように、子供なのに全く騒ぐこともなく、その現実を静かに受け入れていた。多分、自己防衛機能が働き、ショックを受けないようにしていたのだろう。一方、先ほどまで一緒にいた女性が、目の前でグチャっとした肉塊に変わってしまったのを見た残りの大人二人は、恐怖のあまり言葉を失い、小便を垂らしながらその場にへたり込んでしまった。
そうこうしているうちに、船は明らかに沈み始めた。このままここにいれば、間違いなく船と一緒に海の底へと落ちてしまうだろう。生きる本能が、ラバァルを突き動かし。へたり込んでいる二人の大人に、「ここにいちゃあダメだ!」そう叫ぶと、彼は一人、上へと向かった。
ラバァルがよじ登って甲板まで上がってくると、そこにはもう誰もいなかった。先ほどまで船に巻き付いていた巨大な何か、おそらく触手を持つ巨大な生物も、姿を消していた。しかし、船は刻一刻と沈み始めていたため、ラバァルは必死に周囲を見回し、どうすればいいのか、何か使えるものはないかと探し始める。
その時、先ほどラバァルが助けた二人の女が、ようやく甲板に上がってきて、沈みゆく船の状況を目の当たりにした。この海賊船は、間もなく海に完全に沈むだろう。誰が見ても、それは明らかだった。「どうしましょう……」二人の女も、何をどうすればいいのか分からず、不安げな表情で辺りを見回す。すると、船の端に備え付けられている小さなボートが目に入ったのだ。
「あれよ!」女の一人が、震える指でそれを指し示し、もう一人の女と共に、そのボートの方へと駆け寄った。そして、二人は力を合わせ、何とかその小舟を海へと降ろすことに成功。
その様子を見ていたラバァルに、レクシアが声をかける。「坊や、こっちへいらっしゃい!」ラバァルは、呼ばれるままに、二人の大人の元へと駆け寄った。レクシアは、びしょ濡れのラバァルの肩を強く掴んだ。「ありがとう、坊や。貴方がいなければ、私たちは終わりだったわ」。その言葉の裏には、この子供に今後待ち受ける過酷な運命に対する、説明のつかない罪悪感が混じっていた。
「いい坊や、いまからお姉さんがあなたを海へ落とすから、泳いであの小舟に乗りなさい。大丈夫、できるわね。」レクシアは、震える声でラバァルにそう言い聞かせる。ラバァルは、不安げながらも頷いた。すると、レクシアともう一人の女、ローリーは、小さなラバァルの体を持ち上げ、冷たい夜の海へと躊躇なく投げ入れた。次いで、自分たちもためらうことなく海へと飛び込んだのだ。
放り込まれたラバァルは、冷たい海水に息をのみながらも、必死に小さな手足を動かし、漂う小舟を目指した。何とか小舟の縁に辿り着くと、力を振り絞って乗り込む。そして、続いてやってきた二人の大人たちに、オールを差し出し、掴まらせて引き寄せた。
大人たちは、荒い息をつきながら小舟に上がり、沈みゆく海賊船に巻き込まれないよう、必死にオールを漕ぎだして、その場から離れた。周囲を見渡したが、幸いにもあの海の怪物が再び現れることはなかった。恐らく、海賊船を深海へと引きずり込み、満足したのだろう。
女たちは、しばらくの間、無言でオールを漕ぎ続けたが、疲労の色が濃くなってきたのか、あるいはあまり前に進んでいる気がしなかったのか、次第に漕ぐのをやめてしまった。小舟は、ただ潮の流れに身を任せ、ゆっくりと漂うばかりとなっている。その夜、ローリーが不意に「……海の底から、何か大きな声が聞こえる」と呟いたが、レクシアは疲労による幻聴だろうと気にも留めなかった。
また一日以上の時間が過ぎ、空には再び太陽が昇り沈んでいった。この頃になると、ラバァルは空腹を覚え始め、何より喉の渇きが限界に近づいていた。乾いた唇を何度も舐め、何とか水が飲みたいと強く願う。遠くを見ても、陸地の影はなく、どこまでも広がる青い海が続いているだけだ。小舟は、ただ潮の流れに弄ばれるように、頼りなく漂っていた。
そんな心細い状況だったからか、ぼんやりと海面を見つめていたラバァルの耳に、二人の大人たちが、深刻な声で言い争う声が聞こえてきた。「レクシア様、もう限界です。この子を見捨てて、海に放り込むべきです。」ローリーの声は、絶望の色を帯びていた。
「何を言い出すの、ローリー!この子は私たちをあの恐ろしい怪物から救ってくれた、命の恩人なのよ!」レクシアは、ローリーの冷酷な言葉に声を荒げた。
「いいえ、きっとこの子は死にます。こんな状況では、長くは持たないでしょう。苦しみは早く終わらせてあげるべきなのです。」ローリーは、悲痛な表情でそうレクシアを説得し始める。
「馬鹿なことを言わないで、ローリー!あなた、気が変になってしまったの?」レクシアは、ローリーの言葉に強い衝撃を受けたように、顔を歪めた。
「違います、レクシア様!この子を海の神へ生贄に捧げないと、私たちまで海の底に引きずり込まれるというお告げを、私は確かに受け取ったのです!」ローリーは、まるで憑りつかれたようにそう叫ぶ。
「お告げですって?そんな迷信、私は信じないわ!」レクシアは、断固とした口調で言い返した。二人の間には、重苦しい沈黙が流れている。
何も食べず、何も飲まずに二日目の夜が過ぎた頃から、幼いラバァルの体も限界に近づき始めていた。熱はないものの、全身の力が抜け、意識も朦朧としてきた。二人の大人たちも同じで、時折目を開けても、ぐったりとした様子で動くことすらままならないようだ。
三日目の朝を迎えた頃、冷たい水滴が頬に当たり始めた。見上げると、空は厚い雲に覆われ、激しい雨が降り出したのだ。ぐったりとしていたラバァルは、本能的に口を開けて雨水を舐め、小さな掌に溜まった水を何度も掬い上げて飲んだ。乾ききった喉に染み渡る冷たい水は、何よりも美味しかった。思い切り腹いっぱいに水を飲むと、今度は体が冷えてきた。すぐに尿意を催し、ラバァルは小舟の縁から海へ向かって排尿し始める。すると、それを見ていた大人の一人、ローリーが突然立ち上がった。ぐったりとした自分たちとは対照的に、幼い子供だけが喉の渇きを潤し、生きる力を回復させ、さらには排尿という生理的余裕を見せたことに、彼女の中で何かが切れた。この子だけが、なぜ安寧を得ようとするのか――ローリーの中で、生贄にしなければならないという狂気の
最後まで読んでくれありがとう、また続きを見かけたら宜しく。




