魔導アーマー その2
魔導アーマーもようやく試作機から重装タイプが完成し、国王主催のお披露目パーティが催される事に、
目玉の魔導アーマーを魅せ、果たしてロスコフは王の目論見通り、
ラガン王国に怖気づく招待した有力貴族客を安心させられるのか?
その23
ロスコフ・ワーレン侯爵、齢三十と三年。あの『公』ホフラン・ルクトベルク公爵が、突如として彼の研究室を訪れ、魔導アーマーの完成を懇願してから、早三年という月日が流れた。昼夜を問わぬ研究と試行錯誤の末、ようやく魔導アーマーは実用段階へと到達していた。その途轍もない重量を誇る鉄の塊の中に人が乗り込み、まるで身軽な人間のように素早く、そして力強く動き、戦えるのだ。今は、実戦での運用を想定した、綿密な調整とテストが繰り返されている最中だ。
長年の目標として掲げてきた、魔導アーマーの理想的な稼働性能がついに達成された。ロスコフはワーレン家に仕える屈強な騎士の中から、特に操縦適性の高い人材を選抜した。
もっとも、その装着は一大作業である。通常の全身鎧フルプレートアーマーの十倍を超える質量を持つ鋼鉄の巨体は、到底一人で身に纏える代物ではない。補助する人材と機材を駆使して初めて、騎士はその身を鎧に収めることができるのだ。
その重厚な魔導アーマーを装着した騎士たちが、今、より実戦に近い状況を想定した模擬戦闘を繰り返している。目的は、機動性、攻撃力、防御力といった様々な数値を詳細に計測し、分析するためだ。金属同士が激しくぶつかり合う轟音、魔法エネルギーが奔流する際の独特な唸り、そして大地を揺がすような重量感。研究室の一角は、まるで戦場さながらの臨場感に包まれていた。
この革新的な魔導アーマーの実用試験に協力しているのは、ワーレン侯爵家の忠実な従者であり、熟練の騎士であるマスターナイト・ゲーリック。そして、彼の指揮下にある、騎士マルコ、騎士クーガー、騎士ケルギギスの計四名だ。彼らは、日頃から侯爵の研究に深い理解を示し、空いた時間には研究室に顔を出し、まだ魔導アーマーが骨組みだけの段階の頃から、ロスコフに呼び出されては、あれやこれやと様々な作業を手伝ってきた。今や彼らは、侯爵にとってなくてはならない、魔導アーマーの心臓部とも言える存在となっていた。
今回は、王ルマン・アルフレッドIII世から、魔導アーマーの実用化を強く急かされていたこともあり、もはや机上の空論を語る段階は過ぎ、その目覚ましい成果を、広く他の者たちに示さなければならない時が来ていた。そして、その成果を披露する舞台として、王主催による新武装のお披露目パーティが、明日へと迫っていたのだ。何が何でも、この革新的な兵器を公の場へと送り出す日が、目前に迫っていた。
その盛大なパーティには、ロスコフ侯爵が長年の研究の末に生み出した、渾身の魔導アーマーが最大の目玉として用意されていると、既に多くの人々に伝えられているらしい。その驚異的な能力を白日の下に晒すため、王宮内に特別に設営された、巨大な競技施設において、実際の戦闘デモンストレーションを行うことが決定していた。
その戦闘で魔道アーマーと戦う相手は、『公』ホフラン・ルクトベルク公爵の指揮下にある王国軍が、この日のために用意した特別なモンスターだという。どのような種類のモンスターなのかまでは、ロスコフたちにも一切知らされておらず、王家によるサプライズとして厳重に秘匿されていた。
この重要なデモンストレーションは、魔導アーマーを実際に稼働させ、その圧倒的な戦闘能力を観客たちの目の前で鮮烈に印象付けることで、大国ラガン王国の脅威に恐れをなし、萎縮している各諸侯たちの士気を再び奮い立たせるという、極めて重要な役割を担っていたのだ。
この三年間に費やされた研究開発費の総額は、莫大な数字に達していた。なんと、リバンティン公国の国家予算、三年度分に相当するほどの巨額な資金が、このプロジェクトに投入されていたのだ。ロスコフは、研究を一日も早く進めるためとはいえ、王国の財政から、前例のないほどの莫大な資金を引き出させていた。もちろん、王家が蓄えていた莫大な財政からすれば、まだまだ底をつくというわけではないだろうが、この巨額な投資に見合う、疑いの余地のない確実な成果が、今まさに強く求められていたのだ。
現在の魔導アーマーへのパイロットの組み込み作業は、想像以上に手間と時間を要した。まず、腰から上の巨大な上半身ユニットを、研究室に備え付けられた特殊なクレーンで慎重に吊り上げる。次に、パイロットは下半身ユニットに文字通り乗り込み、所定の位置に体を固定する。その後、再びクレーン操作により上半身ユニットがゆっくりと下降し、下半身ユニットと精密に合体する。これは、研究室のような専用の設備が整った場所でしか行えない、複雑な手順なのだ。そのため、一旦装着してしまうと、容易には脱ぐことができず、かなりの時間、パイロットはアーマーに拘束された状態となる。装着時に一番困るのは、やはり生理現象、特にトイレであり、二番目は食事や水分補給となる。緊急時には、特殊なチューブを通して水分や栄養を補給できるようにはなっているものの、快適とは言い難い。
そして、魔導アーマーの心臓部である動力源だが、これはロスコフの祖父の時代に、祖父であるフォルクスと共に長年かけて考え出した基本原理を継承し、現代の技術に合わせて多少発展させた特殊な仕様が採用されている。
その製造工程は、まず当時の高名な秘術師、【氷門アイスゲートのエクレア】と呼ばれた人物が、魔導アーマーの内側の背中部分に、巨大で複雑な円形のマスターシギルを一つ、丹念に焼き入れることから始まる。このマスターシギルこそが、動力源と操縦者の精神を繋ぎ、魔導エネルギーの流れを制御する、まさにシステムの要なのだ。
さらに、そのマスターシギルを起点として、黒鉄鋼で作られた極細の伝導線が、まるで人体の血管網のようにアーマーの内側全体に張り巡らされている。魔導アーマーの心臓部に組み込まれた強力な魔晶石が持つ莫大なエネルギーは、マスターシギルを通して増幅、引き出され、この黒鉄鋼の伝導網を瞬時に駆け巡る。これにより、エネルギーは一切の遅滞なく各関節や駆動部に供給され、人の反射神経を遥かに超える動作を可能とするのだ。
この画期的なシステムを完全に機能させるため、ロスコフは操縦者側にも大胆な手法を用いた。魔導アーマー搭乗者の背中に、アーマー装着時に内側のマスターシギルと寸分違わず重なり合うよう、対となるマスターシギルのタトゥーを一つだけ施すのである。
背中合わせに二つのマスターシギルが完璧に同調した瞬間、操縦者の意思は直接魔導エネルギーの流れとなり、アーマーの隅々まで張り巡らされた黒鉄鋼の伝導網へと伝達される。これにより、従来の多点接触式システムでは到達できなかった、自身の肉体を動かすかのような完全な直感的操作性を実現した。この方式は、かつて全身17ヶ所ものシギルを必要とした旧世代機と比べ、操縦者の身体的負担や、タトゥーによる外見上の問題を劇的に改善するものでもあった。
以上のことから理解できるように、操縦者と魔導アーマーのマスターシギルは、一対一で厳密に調整されていなければ機能しない。そのため、他の者が誤って、あるいは意図的に自分の魔導アーマーを操作しようとしても不可能であり、簡単に盗まれる心配もないという、極めて高いセキュリティ性能も備えている。
しかし、この複雑な機構を持つ魔導アーマーは、一台一台が操縦者に合わせて調整されるオーダーメイド仕様となっているため、一体を作り上げるだけでもかなりの時間と手間がかかってしまう。現在の段階では、残念ながら量産にはあまり向いていないのが現実だ。そして、現在、最も大きな課題となっているのは、この高度なマスターシギルと伝導網を構築できる熟練した秘術師の数が、極端に少ないということである。
「良し、ゲーリックは左側で待機してくれ。マルコは右側へ。準備が出来たら、中央に用意してある直径50ミリ、長さ5メートルの頑丈な鉄の棒を持ち、お互いにゆっくりと、しかし確実に離れるように引っ張るんだ。」ロスコフは、研究室に響き渡る声で、魔導アーマーに乗り込んだ二人の騎士に指示を出した。
魔導アーマーの内部で、ゲーリックとマルコは機体と自身のマスターシギルを接続させ、精神を同調させる。それが完了すると、準備OKを示すように大きく頷いた。現段階では、魔導アーマー内部と外部との意思疎通は、まだ身振り手振りに頼らざるを得ず、ジェスチャーが主なコミュニケーション手段となっている。近距離であれば、辛うじて声が届くこともあったが、ある程度距離が離れてしまうと、それも困難になるだろう。この点については、早急な改善が必要だとロスコフも認識していたが、現状では他の開発に手が回らないため、操縦者の熟練した技能と判断力に頼るしかないのが実情だ。
二体の魔導アーマーが、それぞれ所定の位置につき、巨大な鉄の棒をしっかりと掴んだのを確認すると、ロスコフは静かに息を吸い込み、「スタート!」と力強く合図を送った。
スタートの合図と同時に、ゲーリックとマルコの操る魔導アーマーは、内蔵された強力な魔力駆動システムを全開にし、両端から鉄の棒を掴み、互いに全身の力を込めて引き合い始めた。けたたましい金属が軋む音、「ギシ、ギシギシギシギシ……」という不気味な悲鳴が研究室内に響き渡る。そして、限界を超えた金属が悲鳴を上げるような高音が、空気を震わせた。「くぁ~~~~~~~~ん!」
次の瞬間、「バギンッ!」という破断音と共に、二体の魔導アーマーが引っ張り合った鉄の棒は、まるでゴムのように引き伸ばされると、あっという間に強度限界を突破し、とろけるように千切れて二つに分かれた。反作用で、両方の魔導アーマーは大きく後ろによろめき、まるでコントのように尻もちをつくかと思われた。
しかし、そこは百戦錬磨のマスターナイト・ゲーリックが操る魔導アーマーだ。その巨体からは想像もできないほどの俊敏な動きを見せ、後ろに跳躍すると同時に、流れるような美しいバク宙を決め、容易く体勢を立て直してみせたのだ。「ズドン……プシュ~。」着地の衝撃を吸収する音と共に、魔導アーマーの足元から微かに空気が抜ける音が聞こえた。
「お~、ショックアブソーバーはちゃんと機能しているようだな。」ロスコフは、満足そうに呟いた。魔導アーマーの両足には合計四カ所、高性能な魔力式ダンパーが取り付けられている。これは、幼い頃、乗り心地の悪い馬車でひどく酔ってしまった経験からロスコフが考え出した革新的な技術で、着地時や激しい動きによる衝撃を効果的に吸収する仕組みとなっていた。
一方、マルコが操縦するもう一体の魔導アーマーは、体勢を一瞬大きくぐらつかせたため、慌てて地面に手をつき、なんとか体勢を立て直した。「くそっ……。」隊長であるゲーリックに見事な動きで差をつけられたと思ったマルコは、十分すぎるほどの結果を出していたにも関わらず、悔しさを隠しきれず、思わず舌打ちをした。
その悔しそうな声は、周囲で順番を待っていた仲間の騎士たち、クーガーとケルギギスの耳にもしっかりと届いたらしい。「おいおい、マルコ、隊長相手にそんなにムキになるなよ!ライバル心出し過ぎだって!」クーガーがニヤニヤしながらからかうと、ケルギギスも楽しそうに笑った。
「いや、つい熱くなってしまって……。」マルコは、少し顔を赤らめて答えた。
「ははははは♬、マルコ、そんなに落ち込むな。こんな狭い研究室じゃなくて、明日のもっと派手なお披露目会で、思う存分競わせてあげるから。」ロスコフも、若者たちの健全なライバル心に油を注ぐような、意図的な発言をしている。
それに対し、少しばかり苦笑いを浮かべたゲーリックが、ロスコフに釘を刺すように言った。「ちょっと、ロスコフ様、そんなに若者を煽らないでやって下さいよ。こっちは、もう立派な中年なんですぜ。新しい装備に慣れるのにも、若い連中より時間がかかるんですからねぇ。」
「わっはっは!隊長、言い訳しても負けたらカッコつきませんぜ!」クーガーは、豪快に笑い飛ばした。
「おいおい、お前ら……。」マスターナイトのゲーリックは、苦笑しながら若い部下たちを窘めた。鎧一式を身につけた、生身の騎士としての戦いならば、たとえ騎士10人を相手にしても、決して負けることはないという絶対的な自信を持っている。しかし、この魔導アーマーのような、これまで全く触れたことのない新しい兵器の扱いにおいては、若者たちに容易に勝てるという自信は、正直なところ、まだ持てなかったのだ。先に魔導アーマーに触れていたというわずかなアドバンテージも、彼らの驚異的な適応力によって、すぐに追いつかれ、追い越されてしまうことは、容易に想像できる。しかし、長年マスターナイトとして培ってきた誇りが、戦闘において部下に後れを取るなどという事態を、どうしても許容することができなかったのだ。
ワーレン侯爵邸の静かな一室。暖炉の火がパチパチと音を立てる傍ら、肘掛け椅子に深く腰掛け、熱心に書物を読み耽っていたアンナ夫人は、ふと顔を上げ、優雅な仕草でアンティークな置き時計に目をやった。「あら、もうこんな時間。」小さく呟くと、彼女はゆっくりと立ち上がり、優雅な足取りで部屋を出て、階段へと向かい始めた。
カツカツカツカツカツカツカツ……。静まり返った屋敷に、アンナ夫人のハイヒールの音が規則的に響く。
一階まで階段を下りると、彼女は迷うことなく廊下を歩き出した。向かった先は、屋敷の奥に位置する調理場だった。
調理場では、既に手際の良い侍女長のモーレイヌが、温かいお茶の準備を整えて、アンナ夫人の到着を待っていた。「アンナ夫人、こちらへどうぞ。」モーレイヌは、恭しく頭を下げ、用意されたお盆を指し示した。
アンナ夫人は、モーレイヌに軽く頷くと、用意された湯呑と急須、茶葉などを丁寧に盆に乗せ、通路の方へと歩き出した。彼女が向かう先は、一階の倉庫の奥にある、普段は人目に触れない地下室への隠し通路の入り口だった。
倉庫に到着したアンナ夫人は、周囲に誰もいないことを確認すると、慣れた手つきで壁に取り付けられた石炭ランプの台座を右へと捻った。カチッという小さな音と共に、何もないただの地面だと思われていた場所が、ゆっくりと音もなく開き始め、地下へと続く隠し階段が姿を現した。アンナ夫人は、まるで日常の風景であるかのように、躊躇なくその階段を降り始める。
地下へと続く階段を降りきると、そこは昼間でも薄暗く、機械油と土の匂いが混じった独特の空気が漂う、広大な地下研究室だった。「お疲れ様です、ロスコフ様、そして従士の皆様も。」アンナ夫人の優しい声が、研究室内に響いた。
ゲーリックたちと共に、最終段階の魔導アーマーの調整に没頭していたロスコフは、顔を上げると、にこやかに微笑んだ妻の姿を見つけ、「ありがとう、アンナ。」と感謝の言葉を述べた。
「お~い、皆、アンナ様がお茶を持ってきてくれたぞ!休憩にしよう!」ロスコフがそう声を上げると、魔導アーマーのメンテナンスをしていた騎士たちは、一斉に手を止め、アンナ夫人の方を向いた。「アンナ様、お茶のお運び、ご苦労様です!」「アンナ様、いつも美味しいお茶をありがとうございます!」「アンナ様、今日も一段と美しいですね!」彼らは、それぞれに感謝と尊敬の念を込めた言葉をアンナ夫人にかけた。
彼らは、この地下研究室では、皆アンナ様のことをそう呼んでいた。幾度となく、彼女がこうして温かいお茶や軽食を差し入れに訪れてくれていたため、地上にいる時のような堅苦しい雰囲気は、そこにはなかった。アンナの方も、夫であるロスコフのいるこの場所に来ることを心から楽しみにしており、ここで活動する者たちと良好な関係を築いておくことは、彼女にとっても都合が良かったのだ。
「皆さん、どうぞ、温かいお茶でゆっくりとご休憩なさってください。」アンナ夫人は、柔らかな笑顔でそう促した。
和やかな雰囲気の中、研究室に集まった一同は、つかの間の休息を楽しんだ。明日はいよいよお披露目パーティ。この賑やかな研究室でのひとときも、明日からはまた違った形になるのだろう。
夜も更け、深夜2時。ロスコフは、興奮と緊張からか、なかなか寝付けずにいた。隣で眠る妻アンナの柔らかな肌にそっと触れたり、甘い香りに誘われるように髪に顔を埋めたりしながら、なんとか気持ちを落ち着かせようとしていた。「眠れないのですか、ロスコフ様。」アンナは、夫の様子に気づき、優しい声で問いかけた。
「う……すまん、起こしてしまったね。」ロスコフは、申し訳なさそうに言う。
「そんなこと、気にしないでください。」アンナは、彼の手に自分の手を重ねた。「それよりも、明日のことでも考えていらっしゃるのでしょう?」
「ああ……祖父が始めた研究が、とうとう明日、世に出ることになるんだ。」ロスコフは、感慨深げに呟いた。
「そうですね。」アンナは、夫の言葉に静かに同意。
「そうなんだ、祖父から受け継ぎ、なんとかここまでやってきたけど、正直なところ、自分の代では完成させることはできないかもしれないと、何度も思ってたんだ。」ロスコフは、過去の苦労を思い出し、しみじみと語った。
「そうだったんですか。」アンナは、夫の苦悩を労わるように、彼の頬にそっと触れた。
「うん。でも、突然、背中を強く叩かれたみたいに、状況が変わり始めたんだよ。資金も不思議と上手く得られるようになって、必死で研究を続けていたら、いつの間にか完成してたんだ。」ロスコフは、不思議そうな表情でそう語った。
「それは素晴らしいことです。きっと、ヴァルハラにいらっしゃるおじい様が、ロスコフ様を助けてくださったのですね。」アンナは、そう言って優しく微笑んだ。
「そうかもしれないね……。ヴァルハラから、おぼつかない私を助けるために、祖父がきっと後押ししてくれたんだと、私も思っているよ。」ロスコフは、アンナの言葉に深く頷いた。
そんな話をしているうちに、いつの間にかロスコフは穏やかな寝息を立て始めていた。アンナは、その寝顔を愛おしそうに見つめ、ようやく安堵の表情を浮かべたのだ。
次の日、晴れ渡る青空の下、ワーレン侯爵邸では、王宮への出発準備が着々と進められていた。庭には、侯爵夫妻を送迎するための豪華な装飾が施された馬車が、威風堂々とその姿を現している。
馬車の周囲には、明日の祝賀ムードを盛り上げるため、磨き上げられた華やかな鎧を身につけた16騎の騎士たちが、まるで絵画のように整然と控えている。さらに、明日のプレゼンテーションで戦闘を行う予定の、防御能力を重視したタイプの重厚な魔導アーマーが4体、そして、万が一の事態に備えた警備用の試作型魔導アーマーが6体、その異様な威容を誇示するように並んでいた。
その他にも、宴を彩る音楽家ミニストル、観客を魅了する軽業師ミスティーヌ、そして、侯爵夫妻の身の回りの世話をする侍女のミバリー、トレビア、アメリア、さらに、大量の荷物を運ぶための屈強な荷物持ちが3名、皆、出発の時を今かと待ちわびていた。侍女長のモーレイヌと、冷静沈着な執事のエスターは、既に準備を終え、侯爵夫妻の到着を邸宅の外で静かに待っていた。
ところが……
ワーレン侯爵邸の二人の寝室では、外の慌ただしさとは裏腹に、のんびりとした時間が流れていた。
「アンナ~……アンナ、どこにいるんだ?」
ロスコフの声が、部屋に響き渡る。彼は、先ほどからアンナを探していた。一体どこへ行ってしまったのだろうか?
今、身につけているズボンの生地がどうにも肌に合わず、着心地が悪いため、アンナに別のものと交換してもらいたいと思っていたのだ。ふと気が付くと、アンナの姿が見当たらなかったので、探し始めたところだった。
んっ……
「ここですよ、ロスコフ様。」
「ここって、一体どこなんだ?」
「んっもぉ……おトイレです。」
なぬっ!おトイレとな!ロスコフは、思わずトイレのドアに近づき、耳を澄ませて中の音を聞き始めたのだ!しかし、すぐにアンナは彼の意図に気づき、少しばかり困ったような、それでいて楽しそうな声で言った。「ロスコフ様、ちょっと……音を聞くのは恥ずかしいです。」
「ふふふ、何を言っているんだ、可愛い子猫ちゃん。」ロスコフは、いたずらっぽく笑いながら答えた。
「んっもう、ダメだってば!」アンナがそう言っても、ロスコフはますますドアに張り付き、最後まで中の音を聞いてしまった。そして、ようやく用を済ませたアンナがドアを開けて出てくると……
「んっもう、本当に悪い人ですねぇ、ロスコフ様は!」アンナは、頬をほんのり赤らめながら、軽く彼の胸を叩いた。
「ふふふ、アンナ、僕はもう我慢できないよ。」ロスコフは、アンナの柔らかな手を握り、熱い視線を送った。
「えっ!ちょっと、ロスコフ様、ダメですよ!もうみんな、下で待っているんですから!」アンナは慌てて制止しようとしたが、ロスコフの熱い眼差しに、言葉を詰まらせた。
「いいんだ、もう何でもいいんだ!今は、アンナの……その……が必要なんだ!」ロスコフは、珍しく獣のような熱情に駆られていた。彼はアンナを抱き上げると、そのまま彼女の元へと飛び込み、もう我慢できないとばかりに、激しく求め始めたのだ。「あっん……もう、だめ~ん……。」アンナの甘い嬌声が、静かな寝室に響き渡った。
二人がそんな状況になっているとは露知らず、邸宅の外では、執事のエスターが焦りの色を隠せずにいた。「モーレイヌ、少し様子を見てきてください。もう出発しなければ、王宮への到着が間に合いませんよ。」
「分かりました、エスター様。」侍女長のモーレイヌは、エスターの言葉に頷き、急ぎ足で侯爵夫妻の寝室へと向かった。ドアの前まで来ると、中から聞こえてきたのは……「あ~~~ん、ロスコフ様~♡」「くくくくく……アンナ、ここはどうだい?」「うっふ~~~ん……」「じゃ、次はここだね……」「あんっ……ロスコフ様、そこはダメ……!」などという、とても人には聞かせられないような、甘く蕩けるアンナの声だった。
モーレイヌは、あまりの状況に言葉を失い、ドアをノックすることもできず、そっと踵を返して玄関まで戻ってきた。「どうした、モーレイヌ?ロスコフ様は?」エスターが心配そうに尋ねた。
「いえ……あの……ロスコフ様は、その……奥様と、夫婦の営みの最中らしく……。」モーレイヌは、そのことを告げると、自分の方が顔を赤く染め上げてしまった。
それを聞いていた周囲の者たちは、一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、すぐに状況を理解し、囁き始めた。「侯爵夫妻は、夫婦の営みの最中らしいぞ。」「ロスコフ様は、今、夫婦の営みだそうだ。」「夫婦の営み……」「夫婦の営み……」「夫婦の営み……」待っていた者たち全員に、その言葉が届いていた。
ロスコフを待つ騎士の一人、屈強な体格のバクラッシュは、やや呆れた表情で呟いた。「今頃、夫婦の営みだってぇ……一体、ロスコフ様は何を考えていらっしゃるのだ?こんな大事な日に!」
すると、騎士ソクラテスが、愉快そうに笑い出した。「わっはっは!流石は我らの領主様だ!王主催のお披露目会に遅れることなど、些細なことよ!」
別の騎士も、それに同意するように声を上げた。「そうだ!お披露目を前にして、この大物っぷり!我らの領主様は、なんと素晴らしい肝っ玉をお持ちなのだ!」王主催の重要なイベントへの遅刻という事態への不安よりも、領主の豪胆な振る舞いを面白がり、むしろ喜び始める者まで現れた。
しかし、その場には冷静な者もいた。その者は、周囲の楽観的な雰囲気に水を差すように、低い声で言った。「ちょっと待て、皆。今回のお披露目会は、ただの貴族の集まりではないぞ。王陛下主催なのだ。しかも、今回のお披露目の最大の目玉は、他でもない、ロスコフ様ご自身なのだぞ!」
「目玉になる魔導アーマーが遅れてしまっては、王の面目が丸潰れだ。如何にロスコフ様と言えど、ただでは済まなくなるのだぞ!」マスターナイトのゲーリックは、眉をひそめ、一刻も早くロスコフ様を迎えに行くべきだと、周囲の者たちに強く忠告してきた。
「おいっ!誰か、奥様とお二人にお声を掛けに行ってきてくれ!」ゲーリックが騎士たちに指示を出すと、騎士たちはもちろん、侍女のモーレイヌも、執事のエスターも、皆が一様に顔を見合わせ、互いに目で合図を送るばかりで、誰一人として動こうとはしなかった。
「ちょっと待ってください、ゲーリック様。」侍女長のモーレイヌが、やや声を震わせながら言った。「一体、誰が主人があのような……夫婦の睦まじい営みをなさっている最中の場へ、無遠慮に声を掛けに行けるというのですか……。」
「うぉっほん……。」ゲーリックは、言葉に詰まったように咳払いをした。「仕方なかろう。私は、このまま出発が遅れて先に起こるであろう危機を想定してだな……声を掛けた場合の方が、まだ被害が小さくて済むと思っての判断なのだ!」彼は、必死に自分の行動を正当化しようとした。
そんな、行くべきか、否か、と誰もが躊躇し、軽い騒ぎになっているところへ、ようやくロスコフ侯爵が、どこか満足そうな表情を浮かべたアンナ夫人を伴い、邸宅の外へと姿を現した。
「ロスコフ様っ!!」
「侯爵!」
「ロスコフ侯爵!」
待ちわびていた一同は、安堵と若干の気まずさをないまぜにしたような表情で、それぞれの立場でロスコフに声をかけた。
ロスコフは、まるで何事もなかったかのように、アンナの手を優しく引き、さっと馬車の入り口までやって来ると、先にアンナを馬車に乗せ、自身も続いて乗り込んだ。「よし、皆!気合を入れて行くぞ!」彼は、満面の笑みで、そう高らかに宣言したのだ。
「おお~~~~っ!!」
その力強い掛け声一つで、先ほどまでの張り詰めた空気は一変し、皆の士気は一気に高まり、現場のテンションも最高潮に達した。
ロスコフが馬車に乗り込み、出発の号令をかけると、ようやくワーレン侯爵家の一行は、長かった出発準備を終え、ワーレン侯爵邸を後にすることができたのだった。
しかし、時刻は既にかなり差し迫っており、王ルマン・アルフレッドIII世主催による、対ラガン王国用の特別装備展示会は、刻一刻と開始の時間を迎えようとしていた。
最後のまで読んで下さりありがとう、また続きを見かけたら宜しく。




