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希望を背負う騎士団

「血と鉄の戦場、その裏で人を支えるもう一つの戦いがあった。」

           その171



鋼鉄の野戦病院


【アンヘイム攻防戦 - 十八日目】


「―――持ちこたえろ! 決して、ラインを、下げるなァッ!!」


アンヘイムの城壁前では、東部方面軍の司令官、バンクシー公爵が、その身にどす黒い血飛沫を浴びながら、自ら最前線で檄を飛ばしていた。

彼の声は、もはや人間のそれではなく、喉から血を吐き出すような獣の咆哮だった。


彼の率いる一万七千の兵士たちが、数の上で圧倒的に上回るラガン王国第四軍の猛攻を、その肉の壁で必死に食い止めている。


ガキン! ズシャッ!

剣が鎧を砕き、肉を断つ不快な音が空気を震わす。

重い盾が砕ける乾いた音。そして、兵士たちの断末魔の叫び声。

鉄の匂いと、臓腑の甘ったるい臭気が混じり合い、戦場全体を分厚い瘴気のように覆っていた。


その地獄のような光景を、城壁の内側から、ただ見つめることしかできない者たちがいた。


【アンヘイム市街地 - 野戦病院】


「……う……ああ……。来るな……! 来るな……!」


野戦病院の一角は、負傷兵たちの呻き声と、悪夢にうなされるうわ言で満ちていた。

包帯から滲み出る血の赤と、膿の黄色。消毒用の強い酒の匂いが鼻を突く。

特に、ブラッドレインの精神攻撃を受けたマルコたちの症状は深刻だった。彼らの目は見開かれたままで、焦点が定まらない。虚空に何か恐ろしいものを見ているかのように、痙攣し続けている。


フワッ……。

甘く、どこか懐かしい香りが漂う。


「――安らかに、眠れ。悪夢は、もう、おしまいだ」


冒険者ギルドから雇われたシャーマンの老婆が、癒しの香を焚き、その精神を穏やかな眠りへと誘う。紫煙がゆらゆらと立ち上り、苦悶に歪んだ兵士の顔を撫でるように包み込んでいく。

その隣では、白衣のクレリックたちが、額に汗を滲ませながら聖なる祈りを捧げ、その魂に巣食う穢れを浄化していく。


医者、薬師、呪術師、聖職者。

アンヘイムという大陸第三位の商業都市が持つ、その豊富な「人材」という名の底力が、今、この場所で試されていた。


【野戦病院 - 修理工場】


そして、その隣の巨大な修理工場では、もう一つの、全く異なる戦いが繰り広げられていた。


「―――よし、次だ!」

ロスコフの檄が飛ぶ。


その目の前では、上半身の装甲を無残に剥がされ、空洞の内壁に走る黒鉄鋼の細線――血管めいた秘紋が露わとなった【セントリス】の周囲で、レザリアがその内部に直接、新たなシギルを刻み込んでいた。


キィィィィン……。

彼女の指先から放たれる青白い魔力の光が、鋼鉄の内壁に【レプルシオ・マジカ】――魔法防御の絶対的な紋様を、ジジジッと音を立てて焼き付けていく。

熱を帯びた金属の匂いが立ち込める。


「……まずい、干渉する!」

ロスコフは、その新たに追加されたシギルへと、魔晶石からのエネルギーを供給するための新たな**「血管」**を繋ぎ込もうとしていた。


「レザリアさん、もう少し左へ……そうです、その線に重ねてください。

ええ、そのまま……はい、いいですよ。

あっ、そこは危ない! 神経網に触れます、少し角度を変えて……そう、そこなら大丈夫です!」


だが、既存の機体を動かすための『魔導神経網』と、その新たな血管が接触した瞬間――

バチッ! バチバチッ!

激しい火花が散り、青白い稲妻が走る!

黒鉄鋼の秘紋が一部焼き焦げ、断裂した紋様から鼻をつく異臭と共に高熱の蒸気が噴き出した。


「……くそっ! 全体の設計を一からやり直せれば……!」

ロスコフが作業台を拳で叩く。だが、そんな時間はない。前線は今この瞬間も崩壊しつつあるのだ。


彼はその天才的な頭脳をフル回転させた。焦燥を燃料に、思考を加速させる。


「……ならば、全身を覆うのは諦めるしかない。……優先順位は、頭部、胸部、そして両腕! そこだけに魔法障壁を集中させる!」


妥協ではない。最適化だ。

生き残るために必要な部位だけを守る、冷徹な選択。


「レザリアさん、胸部の紋様をもう少し下へ……そうです、その角度で。

はい、今度は腕部へ繋ぎます。落ち着いて、ゆっくりで大丈夫です。」


そのあまりに地道で、精密な作業。

その光景を、自分たちの機体の修理を待つダリウスやレオンハルトといった若き騎士たちが、焦燥感を滲ませながら見つめていた。

彼らは悔しさに唇を噛み、握りしめた拳を震わせている。


「……くそっ! 俺たちの機体が万全なら……!」

「今頃、バンクシー公のお歴々と共に……!」


その逸る若者たちの背中に、一つの静かな、しかし重い声がかけられた。


「……お前たち」

ラージンだった。老魔術師は、杖をつきながら彼らの背後に立っていた。


「……自分たちだけで、この戦争に勝利できるなどと、己惚れておるのではないだろうな」

彼はゆっくりと、城壁の方角を指差した。


「今南門の先で戦っておるあの者たちを、信じられんのか。彼らもまた、このリバンティンをその命に代えても守ろうとしている、誇り高き兵士たちなのじゃぞ」


その言葉に、騎士たちはハッとした表情で顔を見合わせた。

彼らの視界には、自分たちの力不足の事しか映っていなかった。だが、そこには確かに、泥にまみれて戦う友軍の姿がある。


その時、彼らの隣で同じように修理を待っていた、バンクシー公爵配下の騎士が、静かに、しかし誇らしげに言った。

東部の訛りが混じった、無骨な声。


「……その通りです。我ら東部方面軍を、舐めないでいただきたい」

「そうだ。東部の兵の練度は、この国で一番だと自負しておりますのでな」


その穏やかだが、揺るぎない自信に満ちた言葉。

これまで、互いの領地の噂しか知らなかった西の騎士たちと、東の騎士たち。

貴族としての派閥、領地としての距離。それらが作り出していた見えない壁が、この極限の状況下で、音を立てて崩れ去っていく。


ラージン翁の一言が、これまでただの「他人」であったはずの騎士たちの心に、**「戦友」**という熱い灯を確かに灯した瞬間だった。


彼らはもう、ワーレン家の騎士でも、アンドリュー家の騎士でも、バンクシー家の騎士でもない。

ただ同じリバンティン公国を守る、**一つの「軍隊」**として、その心を一つにしたのだ。


工房に咲く花


カン……カン……キン……。

陽が落ち、夜の帳が下りる頃。アンヘイムの城壁前を支配していた凄まじい剣戟の音は、ようやく鳴りを潜めた。


東部方面軍は、その身に深い傷を負いながらも、確かにラガン軍の猛攻を一日食い止めてみせたのだ。


野戦病院へと、おびただしい数の負傷兵たちがなだれ込んでくる。

その血と汗と薬草の匂いが満ちる通路を、魔導アーマーの搭乗者たちは、自らの場所を譲るように開けていく。


「……ご苦労だったな」

ダリウスが、担架で運ばれていく見知らぬ兵士に声をかける。その兵士の鎧は拉げ、顔は煤で汚れていたが、その瞳には生気が残っていた。


「……うむ。明日も頼むぜ。MA操者の旦那方てつのだんながた

兵士は力なく、しかし確かに笑い返した。白い歯が、泥だらけの顔の中で輝いて見えた。


昨日までただの「他人」であったはずの彼らの間に、確かな「戦友」としての絆が芽生え始めていた。


だが、その頃。

修理工場の中では、まだもう一つの戦いが終わっていなかった。


「……違う! この取り回しでは、魔力の抵抗値がまだ高い!」

ロスコフは【セントリス】の剥き出しになった胴体部分に身を乗り出し、油と汗にまみれた顔で必死に黒鉄鋼の秘紋を繋ぎ直していた。

充血した目は、もはや図面上の数値しか見ていないかのようだ。


「ロスコフさま……ここ、もう少し角度を変えた方がいいかもしれません」

レザリアは隣で、震える指先から青白い光を走らせ、装甲板にその日の最後のシギルを刻み込んでいた。

小刻みに震える手を必死に抑えながら、彼女は声を絞り出す。


「……そう、その位置です! もう少し下へ……よし、繋げましょう!」

二人の声が交錯し、火花が散るたびに工場の空気はさらに重くなる。


まだ、二体目。改良作業は絶望的なまでに遅々として進んでいた。

誰もが口を開けば弱音を吐いてしまいそうな、そんな限界ギリギリの緊張感が支配していた。


カツン……カツン……。

工具の音だけが、二人の悪戦苦闘を証明するかのように響いていた。


その鉄と魔力と焦燥感だけが渦巻く男たちの聖域に、場違いなほど優雅なハイヒールの音が響いた。


工場の入り口に、アンナが立っていた。

夜会用のドレスではなく、動きやすいが品のある外出着。それでも彼女の周囲だけ、空気が澄んでいるように見えた。

その後ろには、大きなバスケットを抱えた侍女のトレビアとアメリア姉妹が控えている。


その時、工場の奥ではロスコフとレザリアが必死の修繕作業を続けていた。

「……違う、レザリアさん! その線は抵抗が高すぎる、もう少し角度を変えて!」

「はい……でも、これ以上は指が……」

二人の声が交錯し、火花と蒸気が散る中で、緊張感は限界まで張り詰めていた。


そんな殺伐とした戦場に一輪の花が咲いたかのような、圧倒的な美貌の登場に――

カシャ、と誰かが手にしていたスパナを落とす音が響いた。


それまで鬼気迫る表情で作業をしていた職人たちの手が、一斉に止まってしまう。

あまりの場の違いに、誰も言葉を発することができなかった。


その奇妙な静寂に最初に気づいたのは、ノベルだった。彼はアンナの姿を認めると、隣のラージンにだけ聞こえる声で呟いた。

(来たか。天才の集中力を維持させるための、必要不可欠な『儀式』の時間だ)


彼はやれやれといった表情で、しかしどこか安堵したようにアンナの元へと歩み寄る。


「これは、アンナ様。……やはり、ロスコフ様ですね」

「ええ、ノベル。お願いしますわ」


ノベルはアンナたちを伴い、鉄の巨人に夢中になっているロスコフの元へと向かった。

「ロスコフ様。……奥方様がお見えですよ」


「……ん? ああ、アンナか。やあ」


ロスコフは鉄の巨人の中から、ひょっこりと油まみれの顔を出した。

その返事は、まるで三日ぶりに会ったかのような気軽さだった。彼の中では時間の感覚すら消失していたのだろう。


プクッ。

アンナの美しい頬が、少しだけ膨れた。


「……もう、ロスコフ様ったら。また夢中におなりになって。そんなことをしていては、お身体がいくつあっても足りませんわよ」


彼女はそう言いながらも、その手は夫の汚れた頬を優しくスカーフで拭っていた。

純白の絹布に黒い油染みが移るが、彼女は全く気にする様子もない。


「ほら。ロスコフ様の大好きなビーフシチューとサンドイッチをお持ちしましたわ。

メッローニ料理長たちが腕によりをかけて作ったのです。どうか少しだけでもご休憩なさって、召し上がってくださいな」


その光景を、レクシアは作業の手を止めて見つめていた。

彼女の視線が、ふと自分の手元に落ちる。

油と金属粉にまみれ、疲労で小刻みに震える、節くれだった自分の指先。

そして、目の前にある、一点の曇りもないアンナの優雅な指先と、美しい外出着。


(……なんて、綺麗な人)


そこには嫉妬はなかった。あるのは、自分には決して真似できない「癒やし」と「包容力」を持つ女性への、純粋な敬意と、少しの眩しさ。

天才を支えるには、自分のような泥にまみれる「戦友どうし」と、彼を包み込む「聖母」のような存在、その両方が必要なのだと、彼女は悟っていた。


バスケットが開かれると、湯気と共に濃厚なデミグラスソースの香りと、焼きたてのパンの香ばしさが工場内に広がった。

そのあまりに家庭的で、温かい匂いに、緊張で張り詰めていた工場の空気が一瞬だけ緩む。


その匂いを吸い込んだ瞬間、ロスコフの身体からフッと力が抜けた。


「……あ……」


彼は【セントリス】から身を離した途端、足元が揺らぎ、よろよろとふらついた。

そして、アンナの柔らかく甘い花の香りに包まれた身体へ、力なくもたれかかる。

美味しい匂いが引き金となり、張り詰めていた緊張の糸が切れ、蓄積した疲労が一気に押し寄せてきたのだ。


「もう、ダメですわ、あなた」

アンナはその大きな子供のような夫を、呆れながらも、しかし愛おしげに支えた。

その細い腕には、意外なほどの力が込められている。


「今夜はもうおしまいです。さあ、お部屋へ戻りましょう?」


「いや、それはできないよ……」

ロスコフは首を振った。瞼は半分閉じかかっているが、技術者としての執念だけで立っている。

「まだ、やることが……レザリアさんと仕上げなければ……操者を、守る盾を……」


その反論の言葉の最後に、彼の腹が**グゥゥゥ……**と、盛大で情けない音を立てた。


抗えない本能の主張に、彼は観念したようにぽつりと、飾らない本音を漏らした。


「……お腹、すいた……」


そのあまりに子供っぽい、素直すぎる一言に。

その場にいたノベルも、ラージンも、そして張り詰めていたレクシアさえもが、思わずふっとその口元を緩ませた。


工房を支配していたピリピリとした鋼鉄の空気が、

彼女のたった一度の訪問と、温かいシチューの匂いで、温かい人間のものへと戻っていった瞬間だった。




将軍の帰還


【開戦十八日目 - 日没後】


カツ……カツ……。

鎧が擦れ合う、重い音。

東部方面軍司令官、ボルドー・バンクシー公爵が、アンヘイム王宮の、作戦司令部へと、その疲労しきった身体を、引きずるようにして、帰還した。


彼の、かつては豪奢であったはずの鎧は、今は、血と、泥と、そして、名も知らぬラガン兵の、脂にまみれ、その顔には、一日の戦闘の全てを物語る、深い、深い、疲労の色が、刻み込まれていた。


だが、その瞳の奥には、**「守り切った」**という、確かな自負の光が、まだ、消えずに、灯っていた。


「……バンクシー公! 見事であった!」

「素晴らしい戦いぶりでしたぞ!」


会議室に残っていた、西部のリズボン公爵や、リッツ侯爵たちが、彼を、ねぎらいの言葉と、温かい拍手で、出迎える。


侍従が、すぐに、銀の杯に注がれた、上質な葡萄酒と、乾いた肉やパンといった、軽い食事を、彼の前に、差し出した。


「……かたじけない」

バンクシーは、かすれた声で、それだけを言うと、椅子に、ドサリと、その身を、深く、沈めた。疲れすぎて震える指先で、ようやく杯を掴むと、その縁から葡萄酒がわずかにこぼれ落ち、テーブルに小さな染みを作った。


彼は、何も、語らない。

ただ、目を閉じ、今日の、あの地獄のような戦場を、その脳裏で、反芻していた。


**ドッ!**と、味方の盾が砕ける音。

**「うあああっ!」**という、部下の、断末魔の叫び。


そして、鉄と、血の、むせ返るような、匂い。

彼は、勝ったのか?

いや、違う。ただ、**「負けなかった」**だけだ。


アンヘイムの門を、今日一日、敵にくぐらせなかった。ただ、それだけのこと。


会議室の、重く、そして、どこか安堵したような空気の中で、彼だけが、これから、告げられるであろう、**“勝利の代償”**の、本当の重さを、覚悟していた。



やがて、会議室の扉が、静かに開かれた。


入ってきたのは、東部方面軍の参謀長だった。

その顔は青白く、握り締めた羊皮紙には、血のように重い数字が刻まれている。


彼は、バンクシーの前に静かに膝をついた。

その場にいる全ての者が、息を呑み、ただその瞬間を待つ。


「……本日の損耗、総計――」


震える声が、会議室の空気を切り裂いた。

その残酷な数字が告げられると同時に、拍手の余韻は完全に消え、

勝利の影に潜む代償の重さが、全員の胸に突き刺さった。


バンクシーは目を閉じたまま、ただ静かに杯を握りしめる。

その瞳の奥に灯る光は、誇りではなく、

「負けなかった者」として背負うべき重責の炎だった。


「……本日……我が、東部方面軍の、損害……」

「……重傷者の数、およそ、1700……」


「……そして……」

彼は、一度、言葉を切り、唇を噛み締めた。

「……戦死者も現時点で800名を、超えました……!」


シーン……。

先程までの、穏やかなねぎらいの空気は、一瞬で消え失せた。

一日で、800、いやまだ重症者の中からも.....。


それは、アンヘイムに駐留中の東部方面軍兵力の4.5%が、たった一日で、この世から消え去ったことを意味していた。


バンクシーは、何も言わなかった。

ただ、その手に握りしめていた銀の杯が、ミシリ、と嫌な音を立てただけだった。


――これが、戦争。


そして、この地獄は、明日も、明後日も、まだ続いていく。

誰もがその事実を理解しながら、ただ沈黙の中で、数字の重さに押し潰されていた。



【開戦十九日目 - 作戦会議室】


一日で、2500名を超える死者及び重症者を出した東部軍。


バンクシー公爵がもたらした、そのあまりに重い数字は、作戦会議室を再び深い底へと突き落とした。


東部方面軍の奮闘がなければ、アンヘイムは昨日、落ちていたかもしれない。

だが、その代償は、あまりに大きすぎた。


「……もし」

誰かが呻くように呟いた。「……もし、あの鋼鉄の巨人が、いなければ……」


その言葉に、その場にいた全ての貴族たちが戦慄した。

バンクシーが一瞬だけロスコフの方へ視線を送る。

その目には、感謝とも、あるいはこの現状への苦悩ともつかぬ、複雑な色が浮かんでいた。


そうだ。あれがなければ、今頃、自分たちはどうなっていた?

魔導アーマーという存在の、その計り知れない重要性を、彼らは改めて思い知らされていた。


会議室の空気は重く沈み、誰も次の言葉を発せられない。

ただ、鋼鉄の巨人の名が、沈黙の中でひときわ重く響いていた。



【同日 正午 - アンヘイム城壁前】


そして、その日の正午。

**“悪夢”**は、再び、始まった。

「―――どけ、てめえら! 邪魔だ、雑魚どもが!」


ラガン軍の、最前線で布陣していたパタロワの第四軍を、その後方から現れた、一つの、狂気の軍団が、文字通り、踏み潰しながら、前へと、出てきた。彼らの足元には、昨日まで戦っていたラガン兵の死体から流れ出た血糊が、不気味な模様を描いている。


【ブラッドレイン】。

その矛先が向けられたのは、昨日、多大な犠牲を払い、今は、防衛の要となっている、北部方面軍だった。


「ヒャッハハハハハ! 今日の飯は、アンヘイムの肥えた豚か!」


**“喰い裂きのグザ”**が、その複数の口で、東部の兵士たちの盾を、記憶ごと、喰い裂く。

“刺胞の女”ネルヴァが、その毒の棘で、兵士たちの精神を内側から破壊し、同士討ちの惨劇の舞台を、創り出していく。


**“泥喰いのドロマ”**は、昨日の戦いで残された、おびただしい死体を、ズルズルと、その身に吸収し、その悍ましい巨体を、さらに、巨大化させていく。


人間ではない。

得体の知れない、悪夢の怪物。


その、あまりに常軌を逸した攻撃の前に、勇猛であったはずの、北部方面軍の士気は、瞬く間に、崩壊した。


「に、逃げろぉぉっ!」

「だめだ、こいつらには、勝てない!」


兵士たちが、我先にと、城門へと殺到し、戦線は、完全に、麻痺状態に陥った。

ゴオオオオオオオオオン……!

だが、その時。


彼らの背後、アンヘイムの城門が、開門を告げる、巨大な角笛の音を、鳴り響かせた!


門が開かれ、そこから、ズシン、ズシンと、現れたのは、鋼鉄の巨人たち。


その姿を見た瞬間、先程まで、パニックに陥っていた兵士たちの足が、ぴたり、と止まった。

そして、その瞳に、再び、**「希望」**という名の光が、宿る。


「……魔導アーマー隊だ!」

「我らが、切り札……!」


先頭に立つのは、ゲーリック、マルコ、クーガー、ケルギギス。そして、“一番槍”のダリウスと、“氷の刃”のレオンハルト。


彼らの機体は、昨夜、ロスコフたちの、不眠不休の作業によって、新たな**「魔法のレプルシオ・マジカ」**を、その身に宿していた。


「―――行くぞッ!」

ゲーリックの号令一下、鋼鉄の巨人たちが、悪魔の軍団へと、突撃する!


「―――まずは、あの、デカブツだ!」


狙いは、最も厄介な、巨大化した**“泥喰いのドロマ”**!


「邪魔だ、ドブネズミが!」

“喰い裂きのグザ”が、その進路を塞ごうと、横から飛びかかってくる!


だが、その前に、“氷の刃”レオンハルトの【セントリス】が、立ちはだかった。


「―――貴様の相手は、俺だ」


**ガギンッ!**と、氷の剣戟が、火花を散らす!

そして、ドロマへと続く道を、切り開いたのは、“一番槍”ダリウスだった!


「おおおおおおおおっ!」


彼の【イグニス】が、轟音と共に地を蹴った。

炎の残光を引きながら、左右から迫るブラッドレイン兵の槍を、紙一重でかわす。

一瞬の隙を突き、肩で敵兵を弾き飛ばし、次の瞬間には剣閃で前方の障害を切り裂いていた。


「どけえええっ!」

その叫びと共に、機体はさらに加速する。

敵の壁が幾重にも立ちはだかるが、【イグニス】は止まらない。

炎の槍のように一直線に突き進み、血と泥の渦を切り裂いていく。


そして、ついに――泥喰いのドロマの懐へと、たどり着くと!


「―――喰らえええええっ!」

その両腕のパイルバンカーが、**ガシュン! ガシュン!**と、連続で、泥の巨人の、コアへと、叩き込まれた!


「グ……ギ……ギ……!?」

ドロマの巨体が、大きく、よろめく。


だが、その時。

ドロマの、泥の身体の中から、無数の、**“人間の腕”**が、ズルリと伸び、ダリウスの機体を、掴み取ろうとして来る!


「なっ……!?」

「―――ダリウス!」

その、あわやと言う窮地を救ったのは、マルコだった!


彼は、あの、精神汚染の悪夢を、振り払っていた!


「てめえみてえな、化け物に、これ以上、好きには、させねえ!」

彼の、巨大な両手剣が、ドロマの身体と、ダリウスを掴む腕を、まとめて、両断する!


「グオオオオオオオッ!」

ドロマが、断末魔の咆哮を上げ、地面に倒れる。


“刺胞の女”ネルヴァが、その隙を突き、二人に、精神攻撃の棘を放つ!


だが、その棘は、二人の機体の胸部装甲に、**キンッ!**と音を立てて弾かれた。


【レプルシオ・マジカ】が、その悪意を、完全に、拒絶したのだ!


「……終わりだ」

ダリウスと、マルコ。二人の剣が、同時に、ドロマの核を、貫いた。


泥の巨人は、ブチュリ、と音を立てて崩れ落ち、そして、その中から、吸収されていた、おびただしい数の、人間の骸骨が、ガラガラと、零れ落ちてきた。


「―――ちっ。忌々しい……!」

ネルヴァが、舌打ちする。


その彼女の首筋に、ヒュッ、と、クーガーの剣が、迫っていた。


残る幹部、グザもまた、レオンハルトと、ゲーリックの、二体を相手に、苦戦を強いられていた。


戦況は、完全に、覆った。


後方で、その全てを見ていたジャルダンヌは、心底つまらなそうに呟いた。

(どうなっている……もう、こっちの精神攻撃に適応しちまったってのかい?

ドロマを失った今、これ以上損害を出す意味はないね)。


そう思考したジャルダンヌは、化け物らしからぬ冷徹な判断を下す。

「……もう、いいよ。てめえら、引き揚げな」


その声を受け、ブラッドレインは、再び潮が引くように、戦場から姿を消していった。


後に残されたのは、泥の巨人の悍ましい残骸と、血と鉄の匂いが混じり合う、重苦しい静寂だけだった。

その静けさは、勝利の証ではなく、ただ戦いの終焉を告げる鐘のように響いていた。


やがて、アンヘイムの城門が、再び、**ゴゴゴ……**と、ゆっくりと開かれていく。

そこへ、鋼鉄の巨人たちが、一体、また一体と、その傷ついた身体を引きずるようにして帰還してきた。


その歩みは重く、鈍く、しかし確かに仲間を支え合う音を刻んでいた。

まるで、騎士たちが互いの誇りを背負いながら、沈黙の中を帰還するかのように。



その多くは、自力で歩くことさえ、ままならない。

だが、彼らは、決して仲間を見捨てなかった。


まだ動ける機体が、腕を失った戦友の肩を担ぎ。

脚部を破壊された機体を、別の機体が背負うようにして。


ガッ……ズズズ……。ガコン……ズズズ……。

鋼鉄と鋼鉄が擦れ合うその音は、悲しくも温かい、帰還の旋律となって夕暮れのアンヘイムに響き渡った。


その光景は、まるで傷ついた騎士たちが互いを支え合い、誇りを失わずに帰還する姿そのものだった。


城壁の上でそれを見ていた兵士たちから、誰からともなく、**パラ……パラ……**と拍手が起こる。

やがて、その拍手は、波紋のように広がり、ついには城壁全体を包み込む大きな、大きな波となった。


勝利は、まだ遠い。

十八体もの機体が半壊し、機能を停止していた。


だが、彼らは確かに、あの悪魔の軍団を“退けた”。

そして、誰一人として“見捨てなかった”。


その二つの事実だけが、血と泥に染まったアンヘイムの次なる一日を繋ぎとめる、

何よりも強い――希望の光となっていた。







今回も最後まで読んでくださりありがとうございます、引き続き、次を見かけたらまた読んでみて下さい。 

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