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城の底での契約

鋼鉄の理知と、鮮血の狂気。

――**“異形いぎょう”**との、接触コンタクト

               169



深淵の契約


【ロット・ノット - 臨時評議会】


ホスローからの凶報――攻城兵器の半数が破壊され、将軍たちの間に深刻な亀裂が生じたという報せは、ロット・ノットの評議会を、蜂の巣をつついたような大騒ぎへと陥れた。


「……馬鹿な! あれほどの**“数”**を送り込んでおきながら、この様は、どういうことだ!」

評議会議員の一人、ベルトランが報告書を叩きつけた。


「エリサ殿の報告通り、本当に**『鋼鉄の巨人』**が現れた、と……! しかも、奴ら、夜毎、数百体単位で、我らの前線に、波状攻撃を仕掛けてきているとなっているね」

スタートベルグ家のミゲルが、苦々しい表情で付け加える。


「……その通りです。そして、問題は、その損害比です。我が軍の一個旅団が、ほぼ壊滅するほどの犠牲を払って、ようやく、奴らの機体を、数体、行動不能に追い込めるかどうか……。これでは、まるで、蟻が、象に挑んでいるようなものです!」


「話が、違うではないか!」

最初の議員が、再び叫んだ。「これでは、ただ、いたずらに、我が軍の兵士たちの血が、リバンティンの土に、吸われ続けるだけだ!」


彼らが嘆いているのは、失われた兵士の命ではない。

報告で聞いていた脅威が、自らの想像を遥かに超える、情けないまでの効率の悪さによって、

自軍を消耗させている――その現実。

そして、リバンティンという、格下と侮っていた国に、手こずらされているという、貴族としての面子の問題だった。


その、ヒステリックなまでの混乱の中、一人の者が、ゆっくりと立ち上がった。

冷静な男の声が、議場に響く。

その声の主は、ヴェルミナス環の副代表、ベルコンスタンだった。


「……皆様。今更、怖気づいても、何も始まりません。一度、始めてしまったこの戦争、もはや、後戻りはできないのですから」


彼の冷静な声が、騒然としていた議場をシーンと静まり返らせる。

議員たちの視線は、その落ち着いた声に注意が向くと、ベルコンスタンに注がれる。


ベルコンスタンは、その全ての視線をまるで意にも介さぬように、続けた。

「まず、為すべきは、対策です。ですが、あの『魔導アーマー』とやらの、弱点も、性能も、我々は、まだ、何も知らない。……ならば、知ることから、始めねばなりますまい」


彼は、提案した。

「我がヴェルミナス環の諜報部を、直ちに、アンヘイムへと送り込みましょう。そして、問題は、増援です。……この、膠着した戦線を、打破するための、新たな“一手”を、どこから、差し向けるのか?」


その言葉に、エリサ・ゾンハーグが、待ってましたとばかりに、口を開く。


「――それでしたら、私の手勢を、派遣いたしましょう」

「?」

「ジュピター将軍の、第二軍のことでは、ありますまいな?」


ベルコンスタンが、鋭く問い返す。「彼の軍は、今、旧マーブル領の守りに就いているはず。ここへ移動させるだけで、一年はかかるでしょう。その間の、東の防衛は、どうなさるおつもりで?」


その、的確な指摘に、エリサは、扇子で口元を隠し、不気味なほど、妖艶に、微笑んだ。


「……ジュピター将軍の、生真面目な軍では、鋼鉄の化け物には、届きますまい」

エリサは、扇子で、その唇を、意味ありげに、なぞった。


「こういう、規格外の敵には、規格外の**“毒”をぶつけるしかありませんわ。たとえ、それが、我らの手にも余る、“災厄”**であったとしても、ね」


彼女は、議場にいる者たちの、訝しげな顔を、楽しむように、見回した。


「……幸い、あの、誰の言うことも聞かぬ**【ブラッドレイン】とも、“話”は、ついておりますの。評議会が終わり次第、派遣する事にしましょう。**」


その、誰も知らない、エリサの「切り札」の存在に、議場は、再び、不穏な、囁き声に包まれた。



【同日深夜 - 王宮 地下神殿 “アエーシュマの間”】


ポタ……ポタ……。

どこか遠くで、水滴が、岩を穿つ音が、響いている。

そこは、王宮の、最も深く、最も、人の気配から遠い場所。


空気は、冷たく、そして、甘く、腐敗した果実のような、**“悪意”**の匂いに、満ち満ちていた。


その、神殿の中央。

黒い水晶でできた、巨大な「支配の椅子」に、“それ”は、座っていた。


男のようでもあり、女のようでもあり、あるいは、そのどちらでもない、人ならざる、完璧な美貌。

悪意の神、【アエーシュマ】。


その御前には、このラガン王国の、二人の頂点が、哀れなほどに、小さく、傅いていた。

現国王、ラ・ムーンVI世と、評議会の実力者、エリサ・ゾンハーグ。


「……ふふふ……。魔導アーマー、ねぇ。そんな、ごたいそうな玩具が、出てきたというわけかい」


アエーシュマの声は、まるで、子供をあやすかのように、優しかった。だが、その声を聞くだけで、ラ・ムーンVI世の身体は、ブルブルと、小刻みに、震えが止まらない。


「……それで? この私に、どうしてほしい、と?」

「アエーシュマ様……!」


王は、必死に、その震える声を、絞り出した。「アエーシュマ様の、お力添えがあったからこそ、我が野望は、ここまで……! どうか、最後まで、この私に、お味方を……!」


だが、アエーシュマは、その、虫けらの命乞いに、何の関心も示さない。

ただ、**「うふふ……」**と、楽しそうに、笑っているだけ。


その時、アエーシュマの背後の影から、一人の女が、すっと、前に進み出た。


その女――【ブラッドレイン】の、新たなる主、ジャルダンヌ。

彼女は、黒いドレスの袖から伸びる、異常に長く、細い指で、自身の漆黒の髪をかき上げた。その髪留めには、精巧な蜘蛛の意匠が施され、まるで彼女の頭蓋を巣食っているかのように見えた。


彼女は、その、蛇のような瞳で、王を見下ろし、クククと、喉を鳴して笑った。

それは、網にかかった哀れな獲物を愛でる、捕食者の目だった。


「……良いだろう、王よ。この私が、手を貸してやろう」


彼女は、一枚の、黒い羊皮紙を、王の目の前に、ひらりと、落とした。その表面は、まるで干からびた皮膚のように冷たく、そこに記された文字は、一瞥しただけで正気を失いそうになるほど冒涜的で、王の視界を避けるように、微かに波打っているかのようだった。


「……ただし。**“対価”**は、分かっているね?」

その、対価が、何を意味するのか。

自らの魂か、あるいは、この国の、民の魂なのか。

ラ・ムーンVI世は、それを、痛いほど、理解していた。


だが、彼は、震える手で、その闇の契約書に、自らの血で、サインを書き込む。血で署名をした瞬間、羊皮紙は王の血を生き物のように即座に吸い上げ、王の震える手首には、氷を押し付けられたような激しい寒気が走り抜けた。それは、魂の半分が既に抜き取られたかのような錯覚だった。


アエーシュマが、楽しそうに喉を鳴らし、ジャルダンヌにだけ聞こえる声で囁く。「良い獲物だね」


「―――良い、判断だ、王よ」

ジャルダンヌは、満足げに、その赤い舌で、唇を、ねっとりと舐めた。

その仕草は、まるで、極上の獲物を前にした、飢えた獣のようだった。


「ククク……鋼鉄の巨人ねぇ。良いじゃないの。硬いおもちゃは、壊し甲斐があるってもんさ」

彼女は、闇の契約書にサインをした、震える王を一瞥すると、その蛇のような瞳で、エリサを見つめた。


「……ならば、見せてあげましょう。あの、リバンティンという、退屈な箱庭に、**“本物の雨”**を、降らせてあげようじゃないか。……真っ赤な、真っ赤な、血の雨を、ね」


地下神殿からの長い階段を上りながら、エリサ・ゾンハーグは、不意に足を止める。

彼女の手には、先ほどの冷たい空気の感触が、まだこびりついていた。

(……あの、蛇のような瞳)

エリサは、無意識のうちに扇子で口元を覆った。それは不敵さの演出ではなく、込み上げてくる根源的な恐怖を隠すためだった。

(私は、本当に、あれを制御できるのか? 規格外の“毒”を解き放った代償は、あるいは私自身が……)

だが、彼女はすぐに首を振り、その不安を心の奥底へと押し込めた。

賽は投げられたのだ。もう、引き返すことはできない。



【開戦十一日目 - ラガン王国軍 本陣】


「―――それでも、退くというのかッ! 臆病者どもがッ!」

軍議用の天幕に、パタロワ将軍の怒声が響き渡る。


ディートフリートとヘーゲンスが、彼の無謀な総攻撃案を蹴って去った後、彼は、自らが率いる第四軍の士官たちを集め、怒りを叩きつけていた。


「……良いか! あの鉄の悪魔どもが、夜にしか現れんというのなら、答えは、簡単だ! 我らもまた、夜の闇に、牙を剥けば良いだけの話!」


その日から、ラガン軍の戦術は、変わった。

夜。これまで、アンヘイムの城壁を包んでいた静寂は、消え失せた。


おびただしい数の松明が、アンヘイムの城壁前を、まるで昼間のように照らし出し、弓兵と弩兵の部隊が、以前の数倍の密度で、防衛線を固めている。


「―――ちっ! 完全に、待ち構えてやがる……!」

夜襲に出撃したマルコが、魔導アーマーの内部で、悪態をつく。


ヒュン! ヒュン! ヒュン!

闇の中から、無数の矢が、雨あられと降り注ぎ、彼らの進軍を阻む。

戦いは、再び、膠着した。

魔導アーマーの部隊は、敵の前線を突破できず、攻城兵器に、あと一歩のところで、たどり着けない。

そんな、互いの血を、ただ、じわじわと流し続けるような、消耗戦が、さらに、三日間、続いた。



【開戦十四日目 - 早朝】


その日の早朝、ラガン軍の陣営から、いつものような、鬨の声は、上がらなかった。

代わりに、アンヘイムの城壁にまで届いてきたのは、悍ましい、しかし、どこか楽しげな、歌声と、そして、無数の、人間の、絶叫だった。


ラガン軍の陣営の、その中央。

一つの、巨大な軍団が、ゆっくりと、アンヘイムへと、その歩みを進めていた。

彼らは、味方であるはずの**“ラガン王国軍の兵士”**を、まるで生きた食料のように、引きずりながら。


「―――来たか」

作戦司令部で、その、常軌を逸した光景を、遠見の水晶越しに見ていたロスコフの隣で、エイゼンが、静かに、しかし、その声に、隠しきれない緊張を滲ませて、呟いた。


「―――【ブラッドレイン】だ」


「ヒャッハハハハハ! 宴だ! 宴だ! 最高の、宴の時間だぜぇ!」


その、狂気の軍団が、アンヘイムの城壁前にたどり着いた瞬間。

彼らは、引きずってきたラガン兵を、まるで合図のように、高々と、天に掲げた。


そして、**“喰い裂きのグザ”**が、その複数の口で、仲間であるはずのラガン兵の頭を、バリボリと、喰らい始めたのだ!


その、あまりに悍ましく、冒涜的な光景は、城壁の上に立つ、リバンティン兵たちへの、これ以上ない「威嚇」であり、「宣言」だった。

―――我々は、お前たちが知る、どんな軍隊とも違う、と。


「……おええええっ……!」

城壁の上で、それを見ていた、若いリバンティン兵の一人が、たまらず、その場に嘔吐した。

他の兵士たちも、顔面を蒼白にさせ、その、人間性を完全に放棄した、悪魔の軍団の姿に、ただ、震えることしかできない。


「―――報告しろ! 今すぐ、司令部へ!」

見張りの隊長が、絶叫した。



【作戦会議室】


その凶報が、作戦司令部にもたらされたのは、それから、間もなくのことだった。

バタバタバタッ!


作戦会議室の、重厚な扉が、乱暴に開け放たれた。

そこに立っていたのは、城壁での見張りの任についていたはずの、エイゼンの部下の一人だった。彼の顔は、恐怖と、そして、全力で走ってきたことによる疲労で、土気色になっている。


「ご、ご報告します! 城壁前に、ラガン軍の、別働隊が……! し、しかし、彼らは……!」


諜報員は、言葉を続けられない。ただ、**「見たままを、ありのままに、報告しろ!」**という、エイゼンの厳しい声が、彼の背後から飛んだ。


エイゼンは、部下を押しのけるようにして、会議室へと入ってきた。

そして、集まった貴族たちを、一人ひとり、その鋭い目で見回しながら、静かに、しかし、その場の空気を凍てつかせるには、十分な響きで、告げる。


「――**【ブラッドレイン】**が、来ました」


彼は、部下が目撃した、あの悍ましい光景――味方であるはずのラガン兵を、まるで家畜のように引きずり、その場で喰らう、悪魔の軍団の所業を、一切の感情を交えずに、淡々と、報告していく。


その、あまりに現実離れした、しかし、エイゼンの口から語られることで、否定しようのない「事実」。


会議室は、水を打ったように、静まり返った。

報告を聞いた瞬間、一部の文官が顔を青くし、口元を押さえて蹲った。胃液が逆流するような生理的な嫌悪感。戦術的な脅威云々以前に、人間の尊厳を根底から冒涜するその行為に、精神が悲鳴を上げていたのだ。


「……ブラッドレイン……」

ルクトベルグ公が、呻くように、呟いた。


会議室にいた、全ての貴族たちが、言葉を失っていた。

これまでの戦いは、まだ、「戦争」だった。だが、今、目の前で繰り広げられているのは、ただの、**一方的な「殺戮ショーであり、彼らの(宴)」**だった。


「……ロスコフ様……」


ナイトマスターのゲーリックが、静かに、しかし、その声に、鋼のような決意を滲ませて、進み出た。

「……我々に、出撃の許可を」

彼の後ろには、マルコたちが、既に、戦う準備を整えて、控えている。


ロスコフは、何も、見ていない。

彼の脳裏には、ただ、先程、エイゼンが淡々と語った、悍ましい報告の“言葉”だけが、何度も、何度も、反響していた。


『――その全てを、高笑いしながら見下ろす、蜘蛛の女王がいた、と』


蜘蛛の、女王。

(……なぜ、蜘蛛が? それは、獲物を四方八方から絡めとり、ゆっくりと血を吸い尽くすかのような、粘着質で、逃げ場のない戦術を予感させるからか……?)


彼の、計算され尽くしたはずの「戦争」の盤面に、突如として現れた、予測不能の、**“混沌”**という名の、駒。

その、たった一つの駒が、盤面そのものを、根底から、覆そうとしていた。


彼は、静かに、瞼を閉じた。そして、ゆっくりと、開いた。

その瞳には、もはや、研究者の迷いはない。ただ、この国の未来を背負う、指揮官としての、冷徹な光だけが、宿っていた。


彼は、静かに、頷いた。

「……ゲーリック。……行って、ください」


そして、彼は、付け加えた。

「ですが、決して、深追いはしないでください。相手は、我々が知る、どんな敵とも、違う。……今回の目的は、勝利ではない。ただ、**“知る”**ことです。その悪魔が、一体、何であるのかを」


その、主君の、重い言葉を胸に。

鋼鉄の巨人たちは、初めて、**“悪魔”**と戦うべく、その、出撃準備を、始めたのだった。




観測者たちの視線


【ラガン王国軍 本陣 - 丘の上】


ヒュウウウウ……。

アンヘイムの戦場を見下ろす、少し離れた丘の上。

二つの人影が、その様子を、観察していた。


「……来たぜ、エルトン。お目当ての、お出ましだ」

ニコルより、少し大柄、寡黙している男、エルトンが、低い声で呟く。


その視線の先、アンヘイムの城壁から、朝日を浴びて、鈍色の輝きを放つ、鋼鉄の巨人たちが、次々と、その姿を現していた。一体が、進軍ルート上にある瓦礫を、無造作に蹴り飛ばす。その何気ない動作一つにも、まるで生き物のような重心移動が見て取れた。


「うっわ、マジかよ……! デカい! 硬そう! そして,、無駄に、カッケェ!」

その隣で、もう一人の相棒、ニコルが、子供のように目を輝かせ、興奮したように、まくし立てていた。


「おい、エルトン、見たか!? あれ、ただのゴーレムじゃねえぞ! 動きが、人間そのものだ! あの、ベルコンおっさんの報告書には、なんて書いてあったっけ? 『ただの鉄の巨人』? 冗談だろ、あの人、絶対、実物見てねえって!」


ニコルは、ベルコンスタンから渡された評価シートを、びりっと、半分に破り捨てた。


「こんな、○×式のテストみたいなもんで、あいつの何が分かるってんだよ! 見ろよ、あの関節の滑らかさ! あれは、きっと、魂で動かしてやがるんだぜ!」


彼は、自分だけが持ってきた、真っ白な羊皮紙の上に、羽ペンを、カリカリと、猛烈な勢いで走らせ始めた。


『――評価項目その一! ロマン! これは、文句なしの10点満点だな!』


その、あまりに自由奔放な行動に、エルトンが、呆れたように、ため息をつく。彼の冷静な瞳は、巨人たちの装甲の接合部や、関節部の駆動方式を分析しようと試みていた。(…あの重量であの機動性。動力源は何なんだ? あんな重そうな鎧、何故動ける…)。


思考の渦に沈みかけたエルトンは、隣で騒ぎ立てる声に現実へ引き戻される。

彼は眉をひそめ、ため息をひとつ漏らした。


「……おい、ニコル。俺たちは、仕事に来たんだぞ。少しは、静かにできんのか」

「馬鹿言え、エルトン! これが、仕事じゃねえか!」


ニコルは、ペンを走らせるのをやめず、言った。「あの鉄の塊の、本当の価値は、強さとか、硬さとか、そんな単純な数字じゃ測れねえ。……あれは、**“夢”**だ。作った奴の、『こんなのがあったら、最高にカッケェだろ!』っていう、少年の夢が、そのまま、形になった代物だぜ」


そして、彼は、ニヤリと、悪戯っぽく笑った。


「……ベルコンスタンのおっさんには、悪いが。あの、最高の“おもちゃ”の、最初のレポートは、この俺、ニコルが、最高の言葉で、ラバァルに、直接、報告させてもらうとしようか!」


エルトンが、その言葉に、呆れたように、ツッコミを入れる。


「……どうせ、ラバァル本人は、今頃、どこで、何をほっつき歩いてるかも、分からんというのにな」


「うるせえ!」

ニコルは、図星を突かれて、少しだけムキになった。「だ、だからこそ、だ! ラバァルが、いつ、ひょっこり帰ってきてもいいように、最高のレポートを、準備しておくんだろうが! 愛だぜ、愛!」


「はいはい。その、有り余る愛とやらで、さっさと、仕事を進めろ、仕事を。忘れるなよ、ニコル。このレポートが、次の戦局を、そして我々の主の次の一手を決めるんだ」

その、いつも通りの、気の抜けた掛け合い。

だが、彼らの瞳は、その視線の先にある、鋼鉄の巨人を、一瞬たりとも、見逃してはいなかった。




【開戦十四日目 - アンヘイム市街地 野戦病院(修理工場)前】


出撃を待つ騎士たちの傍らには、前回の夜襲で大破した機体の残骸が、無造作に積まれていた。油と焦げた金属の匂いが、これから向かう戦場の厳しさを無言で物語っている。


「―――いいか、皆、よく聞け」

出撃直前。野戦病院(修理工場)の前に集った魔導アーマーの装着者たちを前に、ゲーリックは、つい先程、王宮の作戦司令部でロスコフ本人から直接受けた新たな指示を伝えていた。


その隣には、同じく彼の補佐として付いている軍師ノベルと、ラージンが控えている。ラージンは、ノベルの影のように静かに佇みながらも、その鋭い目で一人一人の騎士の表情を観察していた。


「……今回の我々の目的は、勝利ではない。……ロスコフ様は、そう、おっしゃられた」

ゲーリックは、その自らの軍人としての本能とは全く相容れない命令を、どこか納得のいかないという表情で言葉を続ける。敵に攻撃の機会を与え、味方の損耗を覚悟の上で戦闘を引き延ばすなど、兵士として最大の禁忌に触れる行いだった。


「……敵の、強さを、見極める。そのため、可能な限り、戦闘を引き延ばし、のらりくらりと、戦え、と……」


その、あまりに不可解な命令に、若い騎士たちの間に**ザワ……**と、戸惑いの声が広がる。


ゲーリックは、そんな部下たちの動揺を感じ取り、ノベルの方を助けを求めるように一瞥した。

(……ノベル殿。戦いの、その真っ只中で、このような器用な真-真似、私ならともかく、彼ら若い者たちには……)

その、言葉にならない心の声を、ノベルは完全に読み取ると、穏やかな笑みを見せ、一歩前に出た。


「ゲーリック隊長。なにも、難しく考える必要はありませんよ」

彼は、騎士たちに向き直った。


「ただ、“無茶をせず、必ず、生きて帰ってこい”。……侯爵が、本当に言いたいのは、ただ、それだけのことです」


その、あまりにシンプルで、しかし、だからこそ心に響く言葉。


騎士たちの顔から戸惑いが消え、代わりに鋼のような決意の光が宿った。ラージンは、その光景を冷静に、しかし深く納得した表情で見つめていた。


「……分かりました、ノベル殿」

ゲーリックは、深く頷いた。「……では、皆、行くぞ!」


彼は、踵を返すと、自らの愛機へと向かっていく。


その、巨大な、鋼鉄の背中。

それこそが、ロスコフが、そしてこの国が、今、最も期待する、最高の**「剣」であり、「盾」**だった。


鋼鉄の巨人たちは、初めて自らの「限界」と、そして「未来」を知るための、**“観測”**という名の新たな戦場へと、その駒を、進める。



【開戦十四日目 - 正午】


ゴオオオオオオオオオン……!

アンヘイムの城壁から、出撃を告げる巨大な角笛の音が鳴り響いた。

その音を合図に、城門から500体の鋼鉄の巨人が、ズシン、ズシンと大地を揺るがしながらその姿を現す。

これは魔導アーマー部隊の約半数だ、 

残りの半数は交代要員として待機し、次なる出撃の刻を静かに待っている。


その対岸。

城壁の前には、悍ましい**「宴」**の残骸――食い散らかされたラガン兵の死体が転がる中、800名の【ブラッドレイン】の兵士たちが、ケタケタと下品な笑い声を上げながら、その獲物の到来を待ち構えていた。


その前線に立つのは、三体の異形の幹部たちだ。

戦いの火蓋は、即、切って落とされた。



【ラガン王国軍 観測地点 - 丘の上】


「……始まったな、エルトン」


ニコルは、楽しそうにその唇を歪ませた。彼の羽ペンが、羊皮紙の上を猛烈な速度で滑り始める。


『――魔導アーマー部隊、前進開始。陣形は、驚くほどに、緻密。まるで、一つの生き物の様に動くっと』


その言葉通り、500体の魔導アーマーは決して突出しない。


ズシン、ズシンと、重装型【グラディウス】が巨大な盾を構え、揺るぎない**「壁」**を作り出す。


その壁の間から、標準型【セントリス】が巨大な剣を振るい、軽量型【イグニス】がその機動力を活かして、敵の側面を**ザシュッ!**と切り裂いていく。


「ヒャッハハハ! 硬えだけの、鉄屑がァ!」

ブラッドレインの兵士たちが、波のようにその鋼鉄の壁に襲い掛かる!


ガギン! ガンッ!

だが、彼らの毒が塗られたシャムシールも、不気味な呪いが込められた短剣も、分厚い装甲の前にはただ虚しい火花を散らすだけ。


逆に、魔導アーマーが振るう巨大な剣の一撃が、彼らの脆い肉体をグシャリと容易く玩具のように粉砕していく。


序盤は、完全に魔導アーマー部隊の圧勝だった。



【リバンティン公国 作戦司令部】


「……見事なものだ」

会議室の地図盤の上で駒を動かしていたルクトベルグ公が、感嘆の声を漏らした。

「ゲーリック隊長の指揮も然ることながら、あの個々の機体の完璧な連携……。まるで、オーケストラのようではないか」


「ええ」

その隣で、ロスコフは静かに、しかし誇らしげに頷いていた。


だが、彼の視線は盤上の優勢にはない。彼の目は、ただ一点、敵陣の奥でまだ動かぬ、三つの異質な駒を、凝視していた。


戦いが始まって、一時間が経過した頃。


ついに、その**“混沌”**が牙を剥いた。


「―――ああ、もう、飽きたわ」


“刺胞の女”ネルヴァの、ねっとりとした声。


彼女の背中から、無数の毒の棘が**シュバババッ!**と魔導アーマーの壁に向かって射出された!


**キン! カン!**と、そのほとんどは装甲に弾かれる。だが、数本が関節の僅かな隙間へとプスリと突き刺さった。


“刺胞の女”ネルヴァが、蛇のようにしなやかな身体でマルコの機体の足元をすり抜ける。彼女が残した見えない毒の棘が、装甲の僅かな隙間を透過し、鎧の中のマルコ自身の肉体を直接蝕んでいく!


「う……わああ……!? お、俺の身体が……溶けて……!」

マルコは、ありもしない幻覚にその鋼鉄の鎧の中で絶叫した。


「ぐ……ああ……!? 虫が……! 自分の、腕の中に、虫が、這いずり回る……!」

他の騎士たちもまた、その精神攻撃の前に次々とその動きを狂わせていく!


「ぐ……ああ……!? 虫が……! 腕の中に、虫が、這いずり回る……!」

コックピットの中で、騎士たちが突如として絶叫し始めた!


「ヒャッハハハハ! 飯だ! 飯だ!」

その幻覚によって生まれた陣形のほんの僅かな綻び。


そこへ、“喰い裂きのグザ”が、その巨体を**ズドンッ!**と叩き込んできた!


「―――どこを見ている?」


“喰い裂きのグザ”が、クーガーの【セントリス】の背後にいつの間にか回り込んでいた。喰った兵士の声を模倣し、注意を逸らしたのだ。


ガギィィィィィィィンッ!!!

その複数の、鋼鉄さえも容易く噛み砕くという顎が、魔導アーマーの分厚い背部装甲に牙を立てた!


火花が散り、装甲表面におびただしい数の深い歯形が刻み込まれる!


通常のアーマーであれば、その一撃で完全に食い破られていただろう。


だが、魔導アーマーの装甲はなおも耐える。

しかし、グザの顎はただ噛み砕くだけではない。


ミシミシミシミシッ……!

彼はその複数の顎をまるで巨大な缶切りのように使い、装甲そのものを無理やり**“食い破ろう”**と捻じり始めたのだ!


装甲の接合部から、悲鳴のような金属音が響き渡る!


そして、後方では、“泥喰いのドロマ”が、戦場で倒れたブラッドレイン兵の死体を**ズル……ズル……**とその身に吸収し、その悍ましい巨体を倍へ、三倍へと膨れ上がらせていた。


戦況は、一変した。


これまで完璧なハーモニーを奏でていた魔導アーマーの陣形が、予測不能な怪物のソロプレイの前に次々と崩されていく。


バキン! ドゴォン!

破損し、撤退していく機体の数が急速に増え始めた。


「―――まずい!」

作戦司令部でノベルが呟く。「前線に展開しているアーマー数が、350体を割りそうです! このままでは戦線が、長く持ちません崩壊してしまいます!」


貴族たちの顔に、再び絶望の色が浮かぶ。

その時、これまで黙って戦況を見つめていた西部の女公爵、リズボン・アンドリューが静かに立ち上がった。

「―――私が行こう」

そのあまりに唐突な、しかし揺るぎない一言に、ロスコフが思わず声を上げた。


「リズボン姉様!? なりません! 生身で、あの戦場へなど……!」


だが、リズボンはその心配を、不敵な笑みひとつで切り捨てた。

「任せておきなさい、ロスコフ。貴方の作り上げた魔導アーマーは確かに強い。

だが、今はそれにばかり頼ってはいられない状況よ――黙って見ていなさい。」


そう言うと彼女は壁に掛けられた愛用の長剣を迷いなく手に取り、

振り返ることもなく会議室を後にした。

その背中には、戦場へ向かう者だけが纏う決意の気配が漂っていた。


「―――西部方面軍、第一騎士団、及び、第二騎士団! 全軍、私に続け! あの、忌々しい、悪魔の宴を、終わらせる!」


彼女の凛とした声が、城内に響き渡る。


それに呼応するように、これまで待機していた5000の屈強な騎士たちが、**「「「うおおおおおおおおっ!!」」」**という雄叫びと共に、アンヘイムの予備の門から一斉に出撃していく!


その予期せぬ新たな援軍の出現。


それを後方から見ていたブラッドレインの真の主――ジャルダンヌは、その蜘蛛の身体を揺らしながら、心底つまらなそうに呟いた。


(……ちっ。せっかく、良い感じに、盛り上がってきたところだったのに。……野暮な、横槍がはいっちまった)


彼女は、戦場で暴れ回る部下たちへと、その意思を飛ばした。


「―――もう、いい! てめえら、引き揚げな!」


その脳内に直接響く**“姉御”**の、有無を言わせぬ絶対的な号令。


それを受け、あれほど狂ったように暴れ回っていた三体の幹部と、そして生き残った、ずいぶんと数を減らしたブラッドレインの生き残りたちが、まるで潮が引くかのように一斉に戦場からその姿を消していった。


後に残されたのは、おびただしい数のブラッドレインの兵士たちの死体と、そして大破及び破損した20を超える魔導アーマーが倒れた姿だった。


勝者は、いない。

この日の戦いは、痛み分けという名の深い、深い傷跡を両軍に残して、その幕を閉じたのだった。





久しぶりの投稿になります、 ここまで読んでくださりありがとうございます。


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