リバンティン公国vsラガン王国 開戦!
今回から、リバンティン公国とラガン王国の戦争状態に入りました。
その168
鋼鉄の巨人:アンヘイム攻防戦
第一部:城壁の内側へ
ホスローの凶報がアンヘイムを震撼させた、その日の深夜。
アンヘイム郊外にあるワーレン侯爵邸の広い敷地内は、自らの血肉を運び出すためだけに、重く、鈍く脈打つ巨大な臓器のようだった。工房からはロスコフが発明した大きな研究装置が、屈強な人夫たちによって慎重に、しかし迅速に解体され、荷馬車へと積み込まれていく。それは、ロスコフの「脳」そのものを移植するような大作業だった。
その隣では、ゲーリック、マルコ、クーガー、そしてケルギギスの四人が、静かに自らの「新たな肉体」である【セントリス】が、荷馬車へと運ばれ固定されていくのを見守っていた。月明かりを鈍く反射するその鋼鉄の身体は、**魂を吹き込まれる前の静かな柩**のようだった。彼らはこれから失うであろう人間性と引き換えに、この鉄の身体を得るのだ。マルコは、その冷たい鋼鉄の表面に、自分の震える指が触れたい衝動を必死に抑えていた。人の肌の温もりを忘れ、この鉄の冷たさこそが己の全てとなる日。それは恐怖か、それとも渇望か。彼はまだ、その答えを出せずにいた。来るべき戦いの血を渇望するかのように、柩はそこに鎮座している。
屋敷の母屋では、使用人たちが慌ただしく動き回っていた。
「――その書類は最優先で!」「――アンナ様のドレスは別の箱に!」「――食料庫の備蓄は全て運ぶのですよ!」
執事エスターと侍女長モーレイヌの凛とした声が、混乱しがちな現場を的確に、そして冷静に支配していた。だが、その冷静さの下には、屋敷の崩壊を前にした、拭いがたい諦念が潜んでいた。召使いたちが銀食器や高価な家具を分厚い布で包み、侍女たちがアンナの膨大な衣装を巨大なトランクへと詰めていく。
その中に、音楽家ミスティーヌの姿もあった。彼女は自らの命よりも大切なリュートをそっとケースにしまう。それは、もう二度と、平穏な夜にはこの音色を奏でられないという、静かな、しかし確固たる別れでもあった。窓の外、赤く燃えるような不吉な空を見上げ、彼女は小さくため息をついた。
料理長メッローニと弟子のアンバサは、移動先でもすぐに炊き出しができるよう保存食料の確認に余念がない。医師ドクター・ミゲルは、大量の薬草や医療器具を木箱へと詰めていた。これからどれほどの負傷者が彼の元へと担ぎ込まれることになるのか。その数を想像し、彼はそっと目を閉じた。
そして、その避難の列の中に二つの異質な影があった。
一つは、悪魔ベロニカが魂を宿す壮年の男。人間たちの、命がけの『引っ越しごっこ』。悪魔は、その滑稽な熱狂を、ただ冷たい目で見下ろしていた。(ああ、なんと滑稽なことか。滅びを前にして、価値のないガラクタを必死で運ぶ。己の命さえ風前の灯火であることに気づかぬまま、過去の幻影にしがみつく。これこそが、人間という儚くも愚かな生き物の真骨頂だ)。もう一つは、侍女トレビアの姿をしたレボーグ。アンナによって記憶を植え付けられた彼の瞳には、自分が誰なのか、何をすべきなのか、その混乱と新たな主人への絶対的な忠誠が奇妙な形で同居していた。
せっせせっせと働いていた彼らも、夜が明ける前には、その全てを終えていた。
朝日がアンヘイムの城壁を照らし始める頃、ワーレン侯爵家の長い引っ越しの行列は、もはや空っぽとなった思い出の邸宅に静かな別れを告げると、城壁の内側――政務院の近くにあらかじめ用意されていた新たな「屋敷」へと、その駒を進めていった。
それは、一つの幸福な時代の終わり。そして、これから始まる血と鉄と炎の時代への、静かなる出陣の儀式でもあった。
第二部:アンヘイムの慟哭
【開戦一日目 - アンヘイム城壁前】
その日、アンヘイムの民は地平線の向こうから**“黒い津波”**が押し寄せてくるのを見た。
ラガン王国西部方面軍、総勢20万。大地を埋め尽くす無数の兵士たち。その足音はもはや個々の足音ではなく、世界の終わりを告げる、たゆまぬ重低音としてアンヘイムを侵食した。掲げられたおびただしい数の軍旗が、死神の鎌のように風にはためいている。
地響きと共に、ラガン軍の攻城兵器部隊が前線へと姿を現していた。
城壁さえも粉砕するという十数台もの巨大な投石機。城壁に矢の雨を降らせるための巨大な弩砲。そのあまりに圧倒的な物量の前に、アンヘイムの城壁の上で弓を構える兵士たちの顔から血の気が引いた。兵士たちは、その重低音に、未来永劫続くであろう絶望の予兆を聞いた。
そして、ラガン軍の陣頭に立つパタロワ将軍が、その右腕を静かに振り下ろした。それが**“破壊”**の始まりの合図だった。
**ヒュオオオオオオオオオッ!!!**という不気味な音が、数十個の巨大な岩塊となって降り注ぐ! ズドオオオオオオオオオオオオンッ!!! 建国記念殿堂は、轟音と粉塵の奔流に飲み込まれ、千年の歴史の記憶を瓦礫の山の下に押し込めた。
ドッガアアアアアアンッ!
活気に満ちていた大市場が粉塵と悲鳴に包まれる。
政務院近くの新たな「屋敷」に到着したばかりのワーレン侯爵家の一行は、その音を聞いた。それは音というより、足元の石畳から内臓を直接揺さぶるような、巨大な振動だった。荷解きをしていた侍女の手から磁器の皿が滑り落ち、甲高い音を立てて砕け散る。だが、その音さえも、外から響き渡る都市の断末魔に、かき消された。アンナは窓に駆け寄り、遠くで立ち上る黒煙を見つめ、唇を強く噛み締めた。ここが城壁の内側であろうと、逃げ場などどこにもないのだと、誰もが悟った。
美しい街並みが、歴史が、そして人々の日常が、ただの暴力によっていとも容易く踏みにじられていく。
アンヘイムは、燃えていた。民の慟哭の声と共に。
第三部:鋼鉄の初陣
【開戦三日目 - 王宮 作戦会議室】
「―――もう、終わりだ……」
王宮の最も奥深くにある作戦会議室。そこに集ったリバンティン公国の有力貴族たちの顔を、深い絶望が覆っていた。
窓の外からは今もなお、街が破壊される轟音と市民の悲鳴が絶え間なく聞こえてくる。
「……三日だ。たった三日でアンヘイムの外壁はもはやボロボロではないか! このままでは城壁が陥落するのも時間の問題だぞ!」東部のバンクシー公爵が顔面を蒼白にさせながら叫んだ。
その時、ロスコフの隣に座っていた盟友カール・リッツ侯爵が、誰に言うでもなくぽつりと呟いた。「……ふん。こういう肝心な時にこそ声高に持論を叫ぶべきであろうに……南の“英雄”殿はお見えにならんとはな」
そのあまりに皮肉の効いた一言が、逆にくすぶっていた火種に油を注いでしまった。
トルーマン派であった南部の老齢の伯爵が、待ってましたとばかりに震える声で扇動する。「だから申したのです! ラガン王国と正面から戦うことなど無謀であると! 今からでも遅くはありません! 降伏し、和平の道を……!」
「―――黙れ、臆病者が」
その氷のように冷たい声は、西部の女公爵リズボン・アンドリューのものだった。彼女は老伯爵を射殺さんばかりの鋭い視線で睨みつける。「逃げ出した裏切り者の名を今さら口にするでないわ!」
「―――静粛に!!」『公』であるホフラン・ルクトベルクの怒声が響き渡る。だがその彼の顔にもまた、打開策のない深い疲労と焦燥が刻み込まれていた。
その絶望的な空気の中、これまで沈黙を守っていた一人の男が静かに口を開いた。
「……皆様。一つ、よろしいでしょうか」
ロスコフ・ワーレンだった。彼の隣には軍師としてノベルとラージンが控えている。その声に、会議室にいた全ての貴族たちの視線が一斉に彼へと注がれた。
「……ワーレン侯爵。何か、策でも?」ルクトベルク公が、全ての期待と最後の望みを込めたすがるような目で問いかける。
「策、というほどのものではありません」
ロスコフは、ただ一人、正確な工学計算の結果を述べるかのように、静かに、そして揺るぎない声で言った。それは、古き武勲の時代に別れを告げる、新しい時代の宣言だった。
「――ただ、あの忌々しい石を投げるだけの古い玩具を黙らせるだけの時間は、稼げるかと」
その日から、アンヘイムの本当の戦いが始まった。
第一夜:傲慢の鉄槌
最初の夜、城壁の破壊された箇所から闇へと躍り出たのは、クーガーとケルギギスが駆る二体の【セントリス】だった。彼らの頭には、昼間のデモンストレーションで猛獣を紙屑のように引き裂いた記憶が、まだ鮮明に残っていた。
「ひゃっは! 見てな、隊長! 俺たちだけで、あのデカい投石機の一つや二つ、ガラクタにして帰ってきてやるぜ!」
クーガーの、若さと自信に満ちた声が響く。だが、彼らが対峙した現実は、檻の中の猛獣とは全く異なっていた。
目の前に広がっていたのは、無数の松明に照らされた、槍と盾で構成された**「壁」**。それは、生き物のように蠢く、鋼鉄の鱗を持つ巨大な獣そのものだった。
「おおおおおおっ!」
クーガー機が、その壁の一角へと突貫する。**ガギィィン!**と凄まじい金属音が響き、数人の兵士が盾ごと吹き飛んだ。だが、その一瞬後。
「―――今だ! 突けぇっ!」
指揮官の号令と共に、吹き飛ばされた隙間から、何十本もの長槍が、まるで巨大なハリネズミの針のように、一斉に突き出された!
ガガガガガガッ!
装甲の薄い関節部を狙った的確な一撃が、クーガー機の脚部に集中する。機体内部に、嫌な金属の軋む音と、強烈な衝撃が走った。
「くっ……この、群れどもが!」
鋼鉄の腕を振り回して、数人を薙ぎ払うが、すぐに新たな兵士がその穴を埋める。倒しても、倒しても、その壁は決して崩れない。それどころか、足元にはいつの間にか太い鉄線が張られ、巨人の足を掬おうと待ち構えていた。
「クーガー! 下がるんだ! こいつら、素人じゃねえ!」
ケルギギスの制止の声も虚しく、焦ったクーガー機は、体勢を崩した一瞬の隙を突かれ、盾を持った兵士たちの突撃をまともに食らって、大きくよろめく。その巨体を支えようとした左脚の関節部から、ゴリッと、致命的な異音が響き渡った。
「しまっ……!」
警報が鳴り響く中、二体は屈辱的な後退を余儀なくされた。工房に帰還した機体の左脚には、無数の槍傷が刻まれ、関節の駆動系はズタズタに破壊されていた。彼らがその夜に学んだのは、個の力が、統率された「数」の前では、いかに無力かという、最初の壁だった。
第二夜:連携の不協和音
昨夜の失敗を受け、二日目の夜は、マルコを指揮官とした四機編成での出撃となった。軽量型の【イグニス】を駆る“一番槍”のダリウスが先行し、敵陣を撹乱、その隙に重装型の三機が中央突破を図る。先のクーガーたちの失敗を糧に、練り上げられた作戦だった。
「ダリウス、突出するな! 連携を意識しろ!」
マルコの指示が飛ぶが、手柄を焦るダリウスの【イグニス】は、単機で敵陣に深く切り込みすぎていた。
「へっ、あんたたちは遅すぎるんだよ!」
するとその時、ラガン軍の陣形が変化した。後方から、巨大な樽を抱えた兵士たちが現れ、中身を魔導アーマーに向かってぶちまける。それは、燃えやすい油とピッチ(瀝青)だった。
「―――火を放て!」
無数の火矢が、夜空を切り裂く。
ゴウッ!
一瞬にして、【イグニス】の機体が炎に包まれてしまった。
「うわあああああっ!」
ダリウスの絶叫が響き渡る。視界を奪われ、炎に焼かれながら暴れ回る【イグニス】。連携は完全に崩壊した。
「くそっ、なんて事だ、仕方ないがダリウスを援護する!」
マルコたちが駆けつけようとするが、今度は上空からヒュンヒュンと風を切る音が響く。城壁攻撃用の巨大な弩砲が、水平射撃で鋼鉄の巨人たちを狙い撃ちにしてきたのだ。
ガッッッッッッッン!!!
ケルギギス機の肩部に、巨大な矢が当たるとバランスを崩して、地面へと倒れた。
直ぐに起き上がったが、他の機体に遅れてしまった、連携が上手く出来ずに皆バラバラな動きをしてしまっていた。
「こんな事じゃあダメだ、仕方ない、損害が拡大する前に撤退だ! 撤退する!」
マルコは、歯を食いしばりながら、撤退を指示した。この夜、彼らはダリウス機を回収するのがやっとだった。機体は黒焦げになったが、装着者は煙を吸い込んだだけで特に負傷はなく無事だった。敵は、ただの壁ではない。彼らの動きに対応し、進化する「知性」を持っていたのだ。
第三夜と第四夜:絶望と、計算の夜明け
三日目、四日目の夜も、戦況は好転しなかった。ラガン軍は、地面に落とし穴を掘り、夜の闇に紛れて巧みな罠を張り巡らせた。魔導アーマー部隊は、もはや敵陣を突破するどころか、その手前で足止めされ、一方的な遠距離攻撃に晒されるだけの、巨大な「的」と化していた。
彼らの戦いは、まさにシジフォスの神話のようだった。傷つき、市街地の野戦病院で徹夜の修理を受け、パイロットたちは疲弊した肉体に鞭打って、また次の夜、同じ戦地へと否応なく戻っていく。
「……魔導アーマーを使ってこれじゃあ、もう無理だよ」
四日目の夜、命からがら帰還したクーガーは、魔導アーマーの中でそう呟き、動けなくなっていた。その瞳からは、気力が失われていたのだ。
戦況は、一見、変わらない。アンヘイムの城壁は、未だに昼間の投石によって、確実に削られていく。
しかし、虎の子の戦力だった筈の魔導アーマーを実戦投入したにも関わらず、全くと言ってよいほど戦果の出なかった四日間のデータは、すべてロスコフとノベルの元へと送られていた。破壊された装甲の角度、敵の槍が集中した箇所、罠の配置パターン。その全てが、巨大な地図の上に、無数の点となってプロットされていく。
「……見えて来たぞ」
四日目の夜が明けようとする頃、何徹もして目の下に深い隈を作ったノベルが、かすれた声で言った。彼の前には、工房の床一面に広げられた巨大な羊皮紙があり、そこには四日間の戦闘で得られた敵の陣形パターン、魔導アーマーの被弾箇所、そして装着者からの報告に基づく敵兵の動きが、色分けされたインクでびっしりと書き込まれていた。それはもはや地図ではなく、夥しいデータによって描かれた、戦地の縮図だった。
「ロスコフ様……これをご覧ください」
ノベルは、震える指でその地図の一点を指し示した。
「敵の槍衾は、一見、完璧な壁に見えます。ですが、データを重ね合わせると、必ず、ほんの僅かな**“歪み”**が生じる瞬間がある。それは、後方部隊との交代のタイミングか、あるいは指揮官の号令が届くまでの遅延か……。この一点を、重装型の質量で、ハンマーのように叩き込み、こじ開ければ……活路は開けるはずです」
ロスコフは、その一点を、血走った目で見つめていた。彼の頭脳は、既にノベルの発見を基に、新たな戦術を構築し始めていたのだ。それは、騎士道にも、これまでの戦の常識にもない、ただひたすらに合理的で、無慈悲な数式だった。
「…魔導アーマー装着者たちを集めてくれ」
ロスコフは、静かに、しかし有無を言わせぬ力強さで命じた。「―――これより、奴らの“夢”を、現実の“悪夢”に変えるための、再教育を始める」
その日から、装着者たちの訓練は一変した。
工房に隣接する広大な地下空間。そこが、彼らの新たな教室となった。教壇に立つのはロスコフとノベル。そして、生徒であるパイロットたちの前には、巨大な黒板が置かれ、そこには彼らが今まで見たこともないような、複雑な幾何学模様と数式がびっしりと書き連ねられていた。
「良いですか、君たちが今まで培ってきた“勘”や“武勇”は、今この瞬間から全て忘れてください」
ロスコフは、冷静な声で言い放った。彼の手に握られた細い木の棒が、黒板の一点を指し示す。
「敵の第一陣が盾を構える角度は、平均43度。槍を突き出すまでの予備動作に3秒前後。我々がその懐に飛び込むために許された時間は、わずか2秒。その間に、【セントリス】は2.5メートル前進し、その右腕をこの角度で振り抜く。いいか、この角度だ。一度でも間違えれば、貴様らの機体はハリネズミになる」
それはもはや、戦闘訓練ではなかった。騎士としての誇りを根底から否定するような、機械の部品になるための**「プログラミング」**だ。
「違う! クーガー、お前の踏み込みは遅い! もっと自然に足を出せ、一瞬の遅れが命取りになるんだ!」
「ケルギギス! 腕を振り抜くタイミングが早過ぎる! それでは威力が分散するだけだ!」
ロスコフの怒声が、地下空間に響き渡る。パイロットたちは、何度も何度も、仮想の敵陣を想定したマス目の上で、寸分違わぬ動きを反復させられた。数センチ単位で機体の位置を調整し、ノベルが鳴らすメトロノームの音に合わせて、数秒のタイミングで一斉に動く。
「くそっ……! 俺たちは人形じゃねえんだ!」
初日、クーガーは不満を爆発させ、訓練用の木剣を床に叩きつけた。「戦場は、こんな盤上の計算通りに動くもんじゃねえだろ!」
その瞬間、ロスコフは無言でクーガーの胸ぐらを掴み上げた。その瞳には、普段の温厚な研究者の姿はなく、狂気にも似た烈火の如き激情が宿っていた。
「―――ならば死ぬだけです。貴方のような、感情で動く半端な者では、戦場では何の役にも立ちません。皆の足を引っ張るだけの邪魔者でしか無い。」
その、あまりに冷たい言葉に、クー-ガーだけでなく、周りにいたマルコたちも息を呑んだ。
「私がやっている事は戦争なんです。騎士ごっこではない。皆が生き残り、勝つための唯一の答えを、私達は計算で導き出したのです。それが理解できないのなら、今すぐその鉄の身体を置いていけ。代わりはいくらでもいる」
ロスコフは、無表情を見せてクーガーを突き放したのだ。
するとその日から、パイロットたちの間から、私語が消えた。彼らは、自らの意思を殺し、ただひたすらに、ロスコフたちが提示する**「計算」**という名の、冷徹で精密な集団戦闘術を、その肉体と魂に刻み込んでいったのだ。
そんな中、ラガン軍の最前線の兵士たちの間に、一つの不気味な**「噂」が広まり始めていた。夜の闇の中から突如として現れる、「鋼鉄の悪魔」**。槍も剣も矢も通用せず、捕まればただ肉の塊にされるだけ。その噂は、拭いきれない恐怖としてラガン軍全体の規律と士気を僅かに、しかし確実に内部から蝕み始めていた。ある部隊では夜間の持ち場を放棄する兵士が現れ、それを巡って仲間同士の刃傷沙汰まで起きる始末だった。
そして、開戦から五日目の夜。
アンヘイムの空を覆っていた分厚い戦雲が僅かに割れた。その夜もまた、魔導アーマー部隊は血と油と泥に塗れながら、あの終わりの見えない兵士の壁へとその身を投じていた。
だが、その夜の彼らはこれまでとは明らかに違っていた。もはや彼らの動きに初陣の日のような硬さはない。鋼鉄が、生きた神経のように反応する。四日間の血と油が関節を滑らかにし、人と鉄の塊は一つの、殺意に満ちた完璧な戦闘生命体へと変貌を遂げていた。
「―――今だッ! 全部隊、俺に続けェッ!!」
その声は、この夜誰よりも深く敵陣の奥深くへとその牙を突き立てていたマスターナイト、ゲーリックのものだった。彼の駆る漆黒の【セントリス】が、敵兵の壁をまるで怒れる猪のように強引にこじ開ける!
そして、ついにその視界が開けた。
目の前に広がる無防備な空間。その先に鎮座していたのは、これまで数えきれないほどの死の岩塊をアンヘイムへと投げ込んできた、あの忌々しい攻城兵士の姿だった。
「……見つけたぞ、木偶の坊が」
ゲーリックの【セントリス】の背中から、巨大な剣がゴウンッと重々しい音を立てて引き抜かれる。
「―――喰らえええええええええっ!!」
巨大な剣は振り下ろされた。それはただの斬撃ではない。一つの巨大な『鉄槌』が、時を歪ませるような重圧と共に、大型投石機の心臓部へと向かう。木製の基幹部分が抵抗しようと、わずかに軋む間もなく、**バキバキバキッ!**と悲鳴を上げて砕け散った。
だが、ゲーリックは止まらない。雄叫びと共に第二撃、第三撃が無慈悲に叩き込まれる!やがて後に残されたのは、もはや兵器であったことさえも分からない、ただの巨大な**「ガラクタ」**の山だけだった。
その、あまりに圧倒的な破壊の光景。それこそが、この長きにわたるアンヘイム攻防戦において、石の時代が終焉を告げ、リバンティン公国軍がラガン王国軍に叩きつけた、血と油と、計算された殺意に塗れた「新しい戦争」の、最初に夜空を焦がした、恐怖の狼煙**だった。
司令部の光明
【開戦8日目 深夜 - アンヘイ-ム王宮 作戦会議室】
シーン……。
王宮の作戦会議室は、もはや墓場のような沈黙に支配されていた。
開戦から一週間。防衛戦は、そこに集ったリバンティン公国の有力貴族たちの心身を、完全にすり潰していた。
テーブルに広げられた巨大なアンヘイムの地図。その上に赤いインクで書き込まれた被害状況は、もはや数えるのも馬鹿らしくなるほどだった。
『公』ホフラン・ルクトベルグは、その地図をただ憔悴しきった表情で見つめているだけだった。
もはや、打つ手はないのか。
バタバタバタッ!
その絶望的な沈黙を、一人の伝令兵の慌ただしい足音が破った。
会議室に転がり込んできたのは、エイゼン率いる『特別調査室』に所属する若い諜報員だった。
「ご、ご報告、いたしますッ!」
その息を切らした声に、会議室にいた全ての貴族たちの光のない瞳が一斉に向けられた。
どうせまた、どこそこの地区が壊滅したという、新たな絶望の報せだろう。
だが、その諜報員が顔を上げた時、その顔に浮かんでいたのは絶望ではなかった。
信じられないという驚愕と、それを上回る純粋な**「興奮」**だった。
「―――たった今、城壁の外で作戦中の魔導アーマー部隊より入電!」
彼は、震える声を必死で絞り出した。
「マスターナイト、ゲーリック隊長が駆る【セントリス】が、敵陣への中央突破に成功! 敵の、大型投石機及び大バリスタを各一基づつを完全に、撃破したとの、報せですッ!!」
―――撃破。
その一言が、凍り付いていた会議室の空気を、カチリと音を立てて砕いた。
「……本当、か……?」
最初に、かすれた信じられないという響きで声を漏らしたのはリッツ侯爵だった。彼は思わずその席から身を乗り出していた。
「あの鉄壁の……悪夢のような兵士の壁を……本当に、突破した、と、言うのか……!?」
その声は問いかけでありながら、祈りに近かった。
一人の貴族がかろうじて絞り出した希望の言葉が、伝染していく。
**ガタッ!**と大きな音を立てて椅子を蹴るように立ち上がったのは、東部のバンクシー公爵だった。
その顔は、ただ純粋な、子供のような歓喜に輝いていた。
「おおおおおおおおっ!! やった! ついに、やったんだな!!」
その無遠慮で、しかし心の底からの喜びの雄叫びが、これまで会議室を支配していた絶望的な沈黙と貴族的な建前を、完全に粉々に打ち砕いた。
「おおおおっ!」「本当か!」「ついに風穴を開けたぞ!」
その一声を皮切りに、会議室はもはや貴族たちのそれではない、兵士たちが勝利の瞬間に上げるような熱狂的な歓声の渦に包まれていった。
その熱狂的な歓声の渦の中、ただ一角だけが、まるで嵐の目のような静寂に包まれていた。
ロスコフと、その両脇に控えるノベル及びラージン。彼ら三人だけは何時もと変わらず静かで驚きはなかった、なぜなら、この結果は彼らが数えきれないほどの夜を徹して行ったシミュレーションの中に、確かに**「予測されていた未来」**の一つに過ぎなかったからだ。
ロスコフは何も言わなかったが、その隣でノベルが静かに、そして確信を持って呟いた。
「……第一段階、クリア、ですな」
ラージンもまた、深く頷く。
「はい。ですがここからが本当の戦いです」
ロスコフの瞳に宿っていたのは勝利への喜びではない。
このか細い一本の活路をいかにして完全な勝利へと繋げるか。その次なる**「計算」**を始める、冷徹な闘志の炎だった。
そして、『公』ホフラン・ルクトベルグは、その地図の上に自らの拳を**ドンッ!**と力強く叩きつけた。
彼の顔から、先ほどまで作っていた表情が抜け落ち、素の顔つきに戻っていた。
「……聞いたか、諸君」
彼の声が震えていた。
「……流れは、変わり始めた。今こそ我らが、反撃に転じる時だ!」
たった一基の投石機の破壊及びバリスタの破壊。
それは20万という巨大な敵を前にすれば、あまりに些細な戦果かもしれない。
だが、その一撃は、沈んでいたリバンティ-ン公国の中枢に、**「勝利」**という忘れかけていた一条の光を、確かに灯したのだ。
夜明け前の誓い
【開戦九日目 未明 - アンヘイム市街地 野戦病院(修理工場)】
ガン! ガン! ギンッ!
ジュワアアアアアッ!
夜通し稼働を続ける野戦病院(修理工場)の中から、鋼鉄を叩き、そして溶接するけたたましい音が絶え間なく響いてくる。
その工場の外壁に寄りかかるようにして、数人の男たちが一つの焚き火を囲んでいた。
彼らこそ、数時間後、再びあの地獄へと出撃する魔導アーマーの装着者たちだった。焚き火の揺らめく光の向こう、工場の最も奥まった薄闇の中では、数人がかりで巨大な漆黒の機体の補修作業が行われている。その肩部に空いた大穴と、全身に刻まれた無数の傷跡が、先程の「勝利」がいかに無謀で過酷な代物であったかを雄弁に物語っていた。
パチ……パチ……。
乾燥した薪が爆ぜる音。
彼らは無言のまま鉄串に刺した分厚い肉の塊にかぶりつき、それを無骨な木の椀に入れた熱いスープで腹の底へと流し込んでいく。
ガツガツ……ゴクリ……。
食事というよりも、ただこれから失われるであろうカロリーを補給するための、作業に近い。
最初に口を開いたのは、ワーレン家の騎士、マルコだった。その口元にはまだスープの滴がついている。
「ああ、聞いたとも!」
興奮したように応えたのは、アンドリュー公爵家から派遣されてきた精鋭騎士の一人、「“一番槍”のダリウス」だった。彼はその名の通り、せっかちな男らしい。
「なんでも、たった一機で敵陣のど真ん中を突破し、あの忌々しい投石機をゴミに変えちまった、とか!」
「へっ、さすがはマスターナイトだぜ」
リッツ侯爵家が誇る冷静沈着な騎士、“氷の刃”のレオンハルトが、パンを千切りながら静かに言った。「だが、俺たちとて、いつまでもあの人の背中を見ているだけじゃ、いられないだろう?」
その言葉に、ワーレン家のマルコとケルギギスも力強く頷いた。
「「応!」」
「……今夜こそ、俺たちの番だ」
マルコが空になったスープ皿をカタン、と音を立てて置いた。その瞳には恐怖を乗り越えた戦士の光が宿っている。
「隊長に続け。……いや、俺は隊長を、追い越すつもりさ!」
「ああ!」
ダリウスが拳を握りしめる。「あの、石を投げるだけのデカい玩具は、俺が一番に叩き潰してやるぜ!」
「……ふん。手柄を独り占めするなよ、ダリウス」
レオンハルトがその口元に初めて獰猛な笑みを浮かべた。
彼らは、笑い合った。
数日前までこの場所を支配していた死への恐怖と絶望的な空気は、もうどこにもない。
そこにあったのは、共通の敵を前に家門や派閥の垣根を越えて一つになった、若き獅子たちの力強い絆の光だけだった。
ゴオオオオオオオオオン……!
出撃を告げる角笛の音が、朝靄のアンヘイムに響き渡った。
「―――行くぞ」
彼らは一斉に立ち上がった。
自らの鋼鉄の肉体が、そしてこの国の未来が、彼らを待っている。
第三部:若き獅子たちの凱歌
ゴオオオオオオオオオン……!
出撃を告げる角笛の音が、夜のアンヘイムに低く、そして力強く響き渡った。
「―――行くぞ、お前ら!」
マルコの檄が飛ぶ。
それに呼応するように、**ズシン! ズシン!**と十数体の鋼鉄の巨人が次々と城壁の破壊された箇所から闇夜の戦場へとその身を躍らせた。
ワーレン家のクーガーも、隊長の上げた戦果でようやく希望の光が見え、気力を取り戻し始めていた、
今回は、マルコやケルギギス。アンドリュー公爵家の“一番槍”ダリウス。リッツ侯爵家の“氷の刃”レオンハルト。そして、王国軍から選び抜かれた精鋭たちと一緒に出撃する事になっている。
彼らの瞳にはもはや恐怖の色はない。ただ、勝利への飢えた光だけが宿っているだけだ。
「―――目標、敵陣、第三区画! 投石機部隊! 一点集中、突破する!」
そして彼らの動きはもはや、ただの個の力の集合ではなかった。
あの地下室で叩き込まれたロスコ-フの冷たい言葉が、四日間の血と炎の中で、ようやく意味を持ち始めていた。それは頭で理解するものではなく、機体を貫く槍の衝撃と、仲間が火に焼かれる絶叫を通して、魂に直接焼き付けられるものだった。
四日間の死闘が、彼らに嫌というほど教え込んでいたのだ。単独で突出することが、いかに無意味で、そして何よりも孤独な死に繋がる危険な行為であるかを。
「―――壁を作れ!」
ダリウスと王国軍の騎士たちが駆る軽量型【イグニス】が、まるで魚の群れのように俊敏に動き、敵の前衛部隊を撹乱する!
「―――そこだ!」
その撹乱によって生まれたほんの一瞬の隙。
マルコ、クーガー、ケルギギス、そしてレオンハルトが駆る重装型【セントリス】が、一つの巨大な**「楔」**となってその隙間へと突貫した!
ガギイイイイイインッ!!!
ラガン軍の分厚い盾の壁が、凄まじい音を立ててこじ開けられる!
「な、なんだ、こいつら!? 昨夜までとは動きが全く違う……!」
ラガン軍の兵士たちが、そのあまりに統率の取れた魔導アーマー部隊の連携の前に、完全に浮き足立つ。
そして、ついに血路は開かれた。
彼らの目の前に、あの忌々しい巨大な投石機がその醜悪な姿を現したのだ。
「―――一番槍は、いただかせて貰う!」
ダリウスの【イグニス】が最も速くその懐へと飛び込んだ!
「おおおおおおおっ!」
その両腕に装備されたパイルバンカーが**ガシュン!**という圧縮音と共に投石機の基部を根こそぎ粉砕する!
「―――二番、もらった」
レオンハルトの【セントリス】が振るう巨大な両手剣が、氷の残像を描き隣の投石機をその台座ごと両断した!
「「―――三番、四番は、俺たちだ!!」」
クーガーとケルギギスがまるで双子のように息の合った連携で残る二基を同時に破壊していく!
ズガアアアアンッ! ドッゴオオオオンッ!
続けざまに上がる四つの巨大な破壊音。それは、アンヘイムの民にとって何よりも美しい、勝利の音楽だった。破壊された投石機から立ち上る炎が、一瞬だけ闇夜を真昼のように照らし出し、そして再び訪れる静寂。それは、街を苦しめ続けた悪夢の音が、ついに止んだことを告げていた。
「……よし! このまま残りの奴らも……!」
戦果に興奮したクーガーがさらに奥の第五基へとその機体を向けようとした、その時だった。
「―――待て、クーガー!!」
マルコの鋼のような制止の声が響き渡った。
「……作戦は、ここまでだ。これ以上深追いすれば、今度は我々が包囲されるぞ」
「……ちっ!」
クーガーは悔しそうに舌打ちしたが、ロスコフの冷えた目を思い出したのか、その命令に素直に従った。
彼らはもはや、ただの若武者ではない。自らの役割と、そして引くべき時をわきまえた、一人のプロフェッショナルな兵士になっていた。
「―――全機、撤退! 急げ!」
その夜、魔導アーマー部隊は新たに四基の攻城兵器を破壊するという、これ以上ないほどの大戦果を挙げた。
ラガン軍が保有する攻城兵器は、残り五基。
アンヘイムの夜明けは、もうすぐそこまで迫っていた。
狼たちの不協和音
【開戦十日目 - ラガン王国軍 本陣】
ジジ……ジジ……。
野戦用の粗末なランプが、頼りない光を投げかけるだだっ広い軍議用の天幕。
その中央に置かれた地図の上で、リバンティン公国軍の反撃によって失われた駒を示す赤い印が、悪夢のように増えていた。
「……以上が、この十日間の我が軍の損害報告です」
参謀の一人が、震える声で報告を終えた。
「……死者、負傷者合わせて2万人を超えました。総兵力の実の一割が、既に戦闘続行不可能な状態にあります。そして何より、このアンヘイム攻略の要であったはずの攻城兵器が、その半数を失いました」
一割。
20万という大軍からすれば、まだ許容範囲内の損害と見ることもできるかもしれない。
だが、問題はその**「質」**だった。
その損害のほとんどが、夜間の正体不明の敵による、一方的な“奇襲”によってもたらされているという事実。
兵士たちの間にじわじわと広がる夜への恐怖。そして、日に日に低下していく士気。
天幕の中を、重く、そして気まずい沈黙が支配していた。外で待機している兵士たちのざわめきや、遠くで攻城兵器を修理する槌の音が、この天幕の中の異様な静けさを、かえって際立たせていた。
その沈黙を最初に破ったのは、第五軍を率いる謎多き将軍、ディートフリートだった。
「……問題は、損害の数ではない」
彼の声は常に、どこか冷静で、全てを他人事のように語る奇妙な響きを持っていた。
「問題は、我々があの**『鋼鉄の悪魔』**に対し、未だ何一つ有効な対策を見出せていないという点だ」
彼は地図の上に置かれた魔導アーマーを示す黒い駒を、指先でコン、と弾いた。
「このままでは、ただ一方的にこちらの血が流れ続けるだけ。……違うかね? パタロワ将軍」
そのあからさまな皮肉に、第四軍の司令官パタロワ将軍の顔が怒りに赤く染まった。額に浮かんだ汗を手の甲で乱暴に拭うと、その手が微かに震えているのを、ディートフリートは見逃さなかった。
今回の侵攻作戦で最も大きな損害を出しているのは、最も功を焦り、前線に兵を投入し続けていた彼の第四軍だったのだ。
彼は、後ろ盾であるベルトラン家に何としても手柄を持ち帰らなければならない。その焦りが彼の判断を狂わせていた。
「……ふん。ならば、どうしろと? このまま指を咥えて、夜毎あの鉄屑に兵を削られ続けろと言うのか!」
パタロワは机をドンッ!と叩きつけた。ランプの光が揺れ、彼の充血した目に狂気に近い光が宿る。
「―――ならば、答えは一つしかない!」
彼は叫んだ。
「明日、夜が明けると同時に、全軍で総攻撃を仕掛ける! 一気にアンヘイムの城壁を乗り越え、あの忌々しい街の全てを、焼き尽くしてしまえば良い!」
そのあまりに無謀で、自殺行為に等しい提案に、ディートフリートと、これまで沈黙を守っていた第三軍のヘーゲンス将軍が同時に顔をしかめた。
「……正気か、パタロワ」
ヘーゲンスが、呆れたように言った。「貴公の功名心のために、我らの兵を無駄死にさせるつもりか」
「その通り」ディートフリートも、静かに、しかし冷徹に付け加えた。「あの鉄の悪魔への対策もなしに、総攻撃などただの“自殺”だ。例えば、我々のバリスタは夜の闇の中、動く標的を捉えることすらできていない。そのような旧態依然の戦術に、我が軍の兵士は一人たりとも差し出す事などできんよ」
「……何だと……!? 貴様ら、この私の作戦には乗れないと申すか!」
「そう怒るな、貴公に対して何の偏見も持ってはおらぬ、ただ、**“合理的ではない”**と、言っているだけだ」
言うと、ディートフリートは静かに椅子から立ち上がり、部屋から出て行く、そして更に、
「……そのような狂人の戯言に付き合う時間はない。我が軍は、独自にあの鉄の塊の“弱点”を探らせてもらおう」
バタン、ドアが開けられ出ていった。
やり取りを見ていたヘーゲンスも。
「……俺も、降りさせてもらうぜ」
ヘーゲンスもまた、ディートフリートに追随するように立ち上がった。
「そんな馬鹿げた作戦、やりたければ貴公の第四軍だけでやればいい、勝てたら手柄は全部貴公のものだ」
二人の将軍は、怒りに震えるパタロワを一瞥もせず、まるで彼の存在などないかのように天幕から去っていった。ディートフリートの口元には、かすかな冷笑が浮かんでいた。
残されたのは、自らのプライドと焦燥感にその身を焼かれる、一人の孤独な将軍だけ。天幕の外で聞こえる兵士たちのざわめきが、まるで自分への嘲笑のように彼の耳に突き刺さった。
そして彼の背後で、これまでかろうじて**「軍」**という体裁を保っていた寄せ集めの組織が、ミシリ、と音を立てて崩れ始めるのが見えた。
ラガン王国軍。
それは一枚岩の巨大な壁などでは決してない。
それぞれの貴族の、それぞれの思惑を乗せた大小様々な大きさの石を、ただ無理やり積み上げただけの、脆い石垣のようなもの。
これまでは圧倒的な物量と勝利への期待という「漆喰」が、その石垣の隙間をかろうじて埋めていた。
だが今、魔導アーマーという想定外の「楔」が打ち込まれ、その漆喰は剥がれ落ち始めたのだ。
元々、決して交わることのなかった石と石。
その間に生まれた致命的な亀裂を、修復しようとする者もいなかった。
最後までよんでくださりありがとうございます、またつづきを見かけたら読んでみて下さい。
次回は、少し遅れます12月にはまた再開したいと思っています。




