深層界での戦い
その164
第三楽章:天空の魔戦
【恩寵塔 上層へ続く階段】
ドッ……! ドッ……!
背後から追いかけてくるミレス・サケルたちの重い足音と呪文の詠唱。だがマルティーナたちはもう振り返らない。上層へと続く長い螺旋階段をひたすらに駆け上がっていく。
やがて追手の音は遠ざかり、一行の足音だけが響く静寂が訪れた。だがそれは物理的な静寂ではない。時間そのものが引き延ばされ、空間が粘性を帯びたかのような、悍ましい心理的圧迫感が一行を襲う。
マルティーナを中心に展開する微光律場(Lumen Halo)が一行を呪詛の気配から守ってはいたが、シャナは肌が粟立つのを感じていた。
「……マルティーナ様、お気をつけください。この空間……何かがおかしいです」
匂いがない。音が吸い込まれていく。それは「空間がループする檻」の兆候だった。
「―――どいていろ」
その地を這うような低い声。一行の後方で静かに歩を進めていたゲオリクが初めてその重い口を開いた。
その時にはもう彼の右手に天の蒼穹を凝縮したかのような壮麗な大剣――**【スカイブレイカー】**が握られていた。
キィィィィィィン……!
大剣が喜ぶかのように甲高い共鳴音を発する。
マルティーナは息を呑んだ。(……ゲオリク様のこの力……私たちの光律とは違う。もっと根源的で、遥か昔の“天の律”そのものに触れている……!)
「小賢しい真似を」
ゲオリクはただ目の前の何もない空間に向かってスカイブレイカーをすっと横薙ぎに振るった。
ズズズズズズズズズズ……!
すると、一行の目の前の空間がまるで黒い布を引き裂くかのように一直線に**“断裂”**した!
裂け目の向こうには本来あるべき上層へと続く本物の階段の姿が見えている。
「……行くぞ」
ゲオリクは何事もなかったかのように大剣を消すと再び静かなる守護者の貌に戻り、皆を促した。
【恩寵塔 上層 - 謁見の間】
裂け目を抜けた先。
そこは下層の悍ましい空気とは全く違う、荘厳でしかし魂の芯まで凍りつかせるような冷たい神聖さに満ちた空間だった。床も壁も全てが磨き上げられた黒曜石でできており、無数の蝋燭の炎がゆらゆらと反射している。
その広間の最奥。数段高い壇上に三つの影が静かに一行を待ち受けていた。
両脇に控えるのは禍々しいオーラを放つ**【闇の大司教】及び【恩寵導主】**。
そしてその中央、玉座のような椅子に一人の男がゆったりと腰かけていた。
その男こそエクレアを連れ去った『闇の恩律主』ヴォーゼルだった。
「―――よくぞここまでたどり着いた、異端の娘とその犬どもよ」
ヴォーゼルの声は穏やかだったが、その声に含まれる絶対的な侮蔑と愉悦の色をマルティーナは見逃さなかった。
「エクレア様はどこです」
「ああ、あのしぶとい老婆か。案ずるな。今は自らが創り出した氷の殻の中でただ静かに眠っておるわ。……まあ時間の問題だ。いずれその硬い殻をこじ開け、その知識の全てを我らが神のために捧げていただくことになるがな」
彼はゆっくりと立ち上がった。「だがその前に。貴様らにはここで消えてもらう」
ブォォォォン……!
ヴォーゼルの身体から凄まじい魔力が黒いオーラとなって立ち上る! その瞬間、黒曜石の床に反射していた無数の蝋燭の炎が、彼のオーラに圧されて一斉に暗く揺らめき、部屋の冷気がさらに絶対零度に近いものへと変質した。
それに呼応するように壇上の左右に立つ幹部たちもまたその力を解放した。
闇の大司教が荘厳な声で詠唱を始める。「――《テネブリス・カノニカ》!」
神聖儀式の形式で紡がれた言葉が闇の律となり、謁見の間全体に祝福効果を解除し腐敗を付与する呪いの波動が広がっていく!
「させません!」
マルティーナが一歩前に出て強く祈ると、彼女の微光律場が輝きを増し、闇の大司教が放った呪いの波動を押しとどめる。
だがそのマルティーナを嘲笑うかのように、もう一方の恩寵導主が細い指先を彼女へと向けた。
「――《スピナ・グラティアエ》」
祝福の名を騙る呪詛が黒き棘となって虚空から現れ、マルティーナの神経を直接狙って殺到する! その棘がマルティーナの微光律場に触れた瞬間、光の粒子と激しく摩擦し、キィン!という甲高い音を立てて火花を散らした。
「リバック! ロゼッタ!」
シャナが叫ぶ。「両脇の二人を!」
「「応!」」
リバックの盾とロゼッタの烈風剣が、詠唱を続ける左右の幹部へと同時に襲い掛かる!
そして中央。
マルティーナとシャナ、ゲオリクの三人がこの戦いの元凶、ヴォーゼルと静かに対峙した。
「……ふんっ」
ヴォーゼルはその唇を歪な笑みに歪ませた。
「貴様らの中から、次の“器”に相応しい者がいるやもしれんな」
天空の魔戦の火蓋が今、切って落とされた。
神話大戦、開幕前──
恩寵塔の地底、深層界にて、律の震源が静かに息を潜める。
そこは、通常の理が歪み、空間そのものが再定義される断層領域。恩寵塔の地下深くに存在する、神話的戦争の舞台である。
四体、地獄の業火を纏いし【グレーターデーモン】。
三体、聖なる光輪を背負いし【神の使徒】。
二つの神話が、互いの間合いを測るように、睨み合っていた。
その均衡を、最初に破ったのは、**“神の使徒”**だった。ミケロスがその光の剣を静かに悪魔たちへと向ける。それが合図だった。
シュンッ!女の神の使徒アンダルシアの姿が消え、悪魔たちのど真ん中に音もなく出現する!
シャアアアアアアアッ!全方位に射出される必滅の光の針!その瞬間、彼女の顔に刻まれた人間の器の血管が、力の奔流に耐えきれず細かく破裂し、血の飛沫が舞った。
その無数の光の雨を**“灼かれし罪”ブラクス・インシネレーターがただその身一つで受け止めた。「―――グオオオオオオオッ!!」彼が放った轟音が不可視の壁となり光の針をガガガガガッ!**と弾き返していく!
だがそれは陽動だった。光の戦斧を携えた神人カンマがブラクスの背後を取る!
しかしその一撃がブラクスに届くことはなかった。“呪詛を語る”ヴォクス・マリグナがただその場に立っていただけ。だが、通常の理が歪むこの深層界において、そうした概念干渉は物理的な力を遥かに凌駕する権能を発揮する。カンマが振り下ろした光の戦斧は、その“破壊”という概念そのものを奪われ、まるで綿のようにふわりとブラクスの肩に力なく乗っかっただけだった。
「……キシャアアアアッ!」そのがら空きになった胴体に“死と毒を編む”ネクス・アーキテクトの緑色の毒の爪がズブリと深々と突き立てられた!
拮抗。いや、悪魔たちがわずかに優勢。
だがその思考は次の瞬間断ち切られた。ミケロスがその光の剣を天に掲げ、三人の神人の背後に巨大な黄金の光輪が出現したのだ!
ゴオオオオオオオッ!光輪から溢れ出した純粋な神のエネルギーが三人の神の使徒たちの身体に注ぎ込まれていく。“共鳴神術”。
戦いの天秤が今、決定的に傾いた。
「グ……ギイイイイイイッ!」ブラクスの肉体に亀裂が走り、ヴォクス・マリグナの権能が霧散していく!
ザシュッ! ズバッ! ドゴォォンッ!
もはやそれは戦いですらなかった。一方的な**“浄化”と言えた。ネクスが両断され、ヴォクスが蜂の巣となり、“深淵の棘”アビス・スパイン**が叩き潰され、最後まで抵抗していたブラクスもまた黒い粒子と肉片に変えられていったのだ。
シーン……。後に残されたのは塵となって消えていく四体の悪魔の残滓と、黄金の光輪を背に静かに佇む三体の神の使徒たちだけだった。
「……ふん。所詮は悪魔か」ミケロスが吐き捨てる。
だがその時、彼らの背後でこれまで沈黙を守っていたベロニカが**ククク……ハハハハハ!と腹の底から楽しそうに笑い始めていた。
「見事だ。実に見事なもんだぜ、神の使いとやら。そうでなくては“喰い甲斐”**がねえ!」
「何……?」
ベロニカは床に散らばる眷属たちの魂の残滓へとその手を伸ばした。「―――さあ、戻ってこい、てめえら! その力、この俺が根こそぎ喰らい、使い倒してやろう!」
ズズズズズズズズズズ……!四体のグレーターデーモンの魂力がベロニカの身体へと渦を巻いて吸い込まれていく!
「ぐ……おおおおおおおおおおおおおおっ!!」
人間の器が弾け飛ぶ。だがその中から現れたのはただのグレーターデーモンではない。他の悪魔たちを二回りも三回りも凌駕する巨大な、禍々しい“破壊の化身”。ベロニカがその真の姿を完全に解放したのだ。
その覚醒の瞬間、深層界の律そのものがベロニカの魔力に引かれるように黒く脈打ち、空間の断層がガラスのようにミシミシと亀裂を走らせた。
「さあ、始めようぜ」ベロニカはその裂けた口を三日月のように歪ませた。「―――第二幕の始まりだ」
次の瞬間彼の姿が消えた。「ぐぎゃあああっ!」カンマの悲鳴。いつの間にかベロニカは彼の背後に回り込み、その巨大な神人の身体をパンでも千切るかのように両腕ごとブチリと引き千切っていた。
「カンマ!」「馬鹿な、何という速さだ……!?」
ベロニカは止まらない。彼は引き千切ったカンマの腕をバリボリと骨ごと実に旨そうに喰らい始めた。「ああ……! 悪くねえ力だ……! やはり神の味は格別だ!」
それはもはや戦いですらなかった。一方的な**“捕食”**だった。アンダルシアの光の針は蒸発し、ミケロスの聖なる剣は飴のように砕け散った。
仲間たちが次々と喰われていく。もはやこれまでか。ミケロスの脳裏に一度目の「死」――あのラバァルに敗れた日の屈辱が蘇る。そしてその自分を拾い上げ再びこの舞台に立たせてくれた主君⟦✦《ネバ》✦⟧の、あの瞳が。
(……ネバ様……。
貴女は、偉大なるグラティア神の六芒星であられる。
それほどの御方が、なぜ──このような悪魔を、この地へと導かれたのですか……!)
恐怖はあった。だがそれを神としての矜持が遥かに上回った。彼はベロニカを見定め、その身体に残る全ての神聖なエネルギーを胸の中心一点へと収束させ始めた!
ゴオオオオオオオオオッ!ミケロスの身体がまるで小さな太陽のように眩いばかりの黄金の光を放ち始める。
「―――ほう?」そのあまりに潔い選択にベロニカの動きが初めてぴたりと止まった。
ミケロスは光の中心で深層界全体を震わせるほどの声で祈る。「おお、我が主、偉大なるグラティア神よ! この不肖の僕ミケロスが今、我が魂の全てを貴方様への最後の“恩寵”として捧げんことを!」
そして彼はベロニカを睨みつけた。「――悪魔よ! 我が主への忠誠ごとその身に刻むがいいッ!!」
それは自爆覚悟の最後の突撃だった。黄金の光の塊――神人ミケロスという名の超新星爆発がベロニカ目掛けて突貫する!
「ククク……ハハハハハ! 面白い! 面白いじゃねえか、神の使徒よ!」ベロニカはそれを避けるでもなかった。彼はただその巨大な両腕をゆっくりと広げただけ。すると彼の腹部の装甲がミシミシと音を立てて左右に開き、その中に全てを吸い込む**奈落の顎**と化したのだ。
「―――ガハハハ。その“祈り”、この俺が丸ごと喰らってやろう」
次の瞬間、二つの神話が衝突した。もし物質界で放たれれば広大な領域を焼き尽くしたであろうその膨大な自爆のエネルギーは、この深層界という中間領域の歪んだ理に吸収され、跡形もなく相殺されていく。
ゴオオオオオオ……!
腹の中から黄金の光の残滓を吐き出す巨大な悪魔。ミケロスという最後の「食事」を終えた瞬間、ベロニカの巨体は凄まじい魔力の奔流に包まれた。
(……ククク……ハハハハハ! 素晴らしい! 実に素晴らしい力だ!)
彼が喰らった神人三体と我が眷属四体の全ての魂。その膨大なエネルギーが彼の内側で渦を巻く。だがその奔流の七割もの部分は**スウウウッ……**と天に引かれるかのように彼の身体を透過し、次元の彼方、真の主君の元へと自動的に“献上”されていく。
ベロニカはそれを気にも留めなかった。(……ああ。これだ。この残った“雫”こそがこの俺への褒美……!)彼はその残された三割の魂の味を恍惚と味わっていた。
その自己陶酔の時間はしかし唐突に断ち切られた。
ヒュンッ。
音も予兆もなかった。ただベロニカの目の前に**“それ”**は現れた。
漆黒の流麗な鎧。絶世の美貌。そしてその瞳に深淵そのものを宿した女。
⟦✦《ネバ》✦⟧。
その絶対的な格の違いをベロニカの本能が絶叫と共に感知した。
(……なんだ、この格の違いは……!? これは、奴ら神の使徒等と言うレベルではない。もっと……もっと根源的で、俺たち悪魔とは異なる理の上に立つ存在……!)
彼の巨体からブワッと反射的に漆黒の魔焔顕光が嵐のように吹き荒れた!
だがネバは意にも介さなかった。彼女はただその美しい顔を**僅かに顰めただけ。その感情に呼応し彼女の身体から“光を喰らう闇”のようなオーラが滲み出す。
ネバの華奢な脚がまるで残像を描くように振り抜かれた。
パリン……!ベロニカの最大防御障壁がいとも容易く粉々に砕け散る。
そして放たれる神の一撃。
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!空間そのものがベロニカの腹部を中心に陥没してしまった!
「―――がっ……!?」
ベロニカの巨体はくの字に折れ曲がり凄まじい速度で後方へと吹き飛ばされた。ズガガガガガガガッ!深層界の壁を突き破りドオオオオン!**と岩盤に叩きつけられる。
「ぬはっ、この程度で..... ゼハァァ、ゼハァ」
ベロニカはまだ、何とか立っていた。
【悪魔の抵抗】
瓦礫と粉塵の中、ベロニカはゴフッ、と黒い血塊を吐き出した。腹部の装甲は無残に砕けている。だがその傷は彼が喰らった神々の魂の力によって**ジュウウウウ……**と音を立ててみるみるうちに再生していく。
(……くそっ……! これが奴らの主君か! グラティアを守護する六芒星の一角……!
器すら持たぬか、この化け物め……!)
「……だがな」彼の裂けた口が獰猛な笑みに歪む。「負ける気はねえぜ。今の俺には奴ら全員の魂が轟々と燃え滾ってんだからよぉ!」
「グオオオオオオオオオオオオオッ!!」ベロニカは咆哮と共に反撃に転じた!
ドドドドドドッ!彼が踏み込んだ大地が悲鳴を上げて砕け散る。その巨体はもはや砲弾。
ゴッ!!!二つの神格がついに正面から激突した!ベロニカの拳がネバの展開する**暗黒の天球**に叩き込まれ、**バギバギバキィッ!**と空間そのものに凄まじい亀裂を生む!
「―――やるではないか、虫けらが」ネバの口元に初めて残酷な笑みが浮かんだ。
彼女の姿が掻き消える。ズタズタズタズタッ!ベロニカの巨体を、見えない無数の斬撃が襲う!だがベロニカもまたその本能だけで斬撃の嵐に拳を合わせそのいくつかを弾き返していた!
ドゴォン! バキィン! ズガアアアアッ!深層界が二つの神話の激突によって崩壊していく。
拮抗。いや、じりじりと確実に押されているのはベロニカの方だった。使徒たちの魂によるブーストは無限ではない、すごい勢いで削り取られていく....。
(……くそっ、手に負えん、これまでか……!)
ついに魂のブーストが切れ、その巨体にネバの無慈悲な一撃が深々と突き刺さった、その刹那。彼の意志とは無関係に、空間転移が強制的に発動した。それは**契約主**が仕込んでいた屈辱的な安全装置だった。ベロニカの巨体が黒い粒子となって掻き消える。
そのあまりに鮮やかな離脱劇に、ネバはほんの一瞬だけ眉をひそめた。だがそれだけだった。彼女はベロニカが消えた空間を一瞥すると、まるで最初から何も起きていなかったかのように静かにその身を翻し、自らが君臨する塔の最深部――奈落の底へと再びその姿を消していった。
【アンヘイム ワーレン邸 - 深夜の寝室】
ブォン……!
寝室の空間が軋み、律の断層が開く。
黒い粒子が逆流しながら、そこから転がり出たのは──
原型を留めぬほどにズタズタに裂かれた、巨大な悪魔の肉体だった。
見てる間に、サイズが縮んでいく。
やがて人間の体格へと収束する──しかし、ズタズタに裂かれた肉片であることに変わりはない。
剥がれ落ちた皮膚、剥き出しの骨──その中で、マクシム・デュラーンの顔が、声を発した。
それはベロニカだった。
「……が……はっ……」
彼は床に這いつくばり、黒い血を吐きながら、
静かに佇むアンナの姿を、憎悪に満ちた目で見上げた。
その時、彼は自らの内に起きた**“異変”**に気づいた。
神人たちから喰らった膨大な魂の力──戦いの折に多くを消費したとはいえ、残っているはずの分が、ごっそりと消えている事に!
いや、抜き取られてしまったのだ。
(俺の魂の奔流が、アンナの魔力という氷の檻に絡め取られ、瞬く間に、別の法則へと変換されていく……! この精緻さこそが、この女の真の力……!)
「……てめぇ……」ベロニカのかすれた声が響く。「……なにをした……。あの契約か……」
彼の脳裏に、契約時の光景が蘇る。(……『同格の盟約』だと笑いながら、あの女が差し出した書類を……なぜ、俺は読み飛ばした! アンナのあの、楽しげに細められた瞳の裏で、これほどの罠が仕掛けられていたというのに……!)
アンナは何も答えなかった。ただ扇子で口元を隠し、その美しい瞳を、猫が傷ついた鼠を見るかのように楽しげに細めただけだった。
それが彼の最後の言葉だった。ベロニカの意識は屈辱と怒り、そして己の迂闊さへの自嘲がない混ぜになったまま、深い深い闇の底へと沈んでいった。
その満身創痍の器を見下ろしながら、アンナは扇子で口元を隠し、静かにそして満足げに微笑んだ。
コツン。彼女はそのハイヒールの爪先でベロニカの砕けた角を、まるで品定めでもするかのように軽く突いた。
その指先から、先程彼女が自動的に徴収した膨大な魂の力のうち、ほんの僅か――その一割にも満たない量が金色の光となってベロニカの身体へと還っていく。すると彼の霧散しかけていた身体が再びその輪郭を取り戻し始めたのだ。
(……ふふっ。こんな所で壊れてもらっては困りますわ)
アンナは心の中で静かに呟いた。(せっかく手に入れた駒ですもの。少しばかり**“修理”**をして、また私のロスコフ様のために存分に働いてもらわなくては、ね)
彼女にとってベロニカはもはや同僚ですらない。
ただ、壊れたら直し、切れ味が鈍れば研ぎ澄ます、愛する夫の未来を切り開くための便利な**「道具」**の一つに過ぎなかった。
最後まで読んでくださりありがとう、また続きをみかけたら読んでみて下さい。




