恩寵塔 第一楽章
今回は、この世界の神側。
原初存在:全てなる者(The All-Being)
• 本質:宇宙そのもの。あらゆる存在はこの者の“細胞”であり、善悪・形・次元を問わず、すべてはその一部。
• 形態:球体構造。存在は常に反比例的に対を成す。
• 法則:「片方が消えれば、もう片方も崩壊する」――これは大神ですら逃れられない絶対法則。
• 慈悲と冷酷の融合:悪神も悪魔も、魑魅魍魎も、世界に必要だからこそ“我が子”として存在している。
三柱の概念神:宇宙の法則性そのもの
1. オルド(Ordo) – 秩序の構造体
• 象徴:直線、幾何学、黄金比、律動
• 役割:物理法則、因果律、時間の流れ、構造の安定性
• 影響:魔法の術式、建築、神々の契約、儀式の形式
• 異名:「世界の骨格」「律の主」「因果の織手」
2. ヴェイル(Veil) – 無形の制約
• 象徴:霧、仮面、沈黙、境界
• 役割:運命、不可視の制約、次元の隔たり、存在の限界
• 影響:召喚術、禁忌魔法、神座の選定、魂の輪廻
• 異名:「見えざる枠」「沈黙の律者」「運命の織り手」
3. リベル(Liber) – 自由の原理
• 象徴:風、炎、分岐、選択肢
• 役割:逸脱、可能性、創造、選択の力
• 影響:異端の魔法、半神の進化、神の堕落、世界の変革
• 異名:「逸脱の光」「選択の刃」「可能性の種子」
大神(The Six Thrones)
• 座数:常に6。空席があっても、増えることはない。
• 力:∞ だが、力だけでは大神にはなれない。
• 選定条件:存在の均衡、概念との一致、宇宙の“波動”との共鳴が必要。
通常神:Dei(神々)**
- **本質**:宇宙の律に従い、特定領域を司る存在
- **役割**:自然・感情・技術・死・記憶・戦・知識など
- **力**:計り知れない。大神の“律”を部分的に継承
- **象徴**:神殿、祭儀、祝福、契約
闘神:Dei Bellator(戦神)**
- **本質**:神々の中でも“戦”に特化した存在
- **役割**:戦場の律、武器の祝福、戦士の魂の導き
- **力**:通常神とは性質・律の位相が異なる。
闘神は“戦場限定の焦点存在”であり、その場においては神格を超える力を発揮する。
- **象徴**:剣、血、誓約、焦点
**半神:Demidei(半神)**
- **本質**:神と人間、あるいは神と異界存在の混血
- **役割**:神の力を部分的に継承し、世界に逸脱をもたらす
- **力**: 人には測れないが以外に弱い者もいるし神を従える者も存在している。進化・堕落・覚醒の可能性を持つ
- **象徴**:選択、逸脱、進化、器
その163
第一楽章 倒錯の夜会
その夜、スタンハーペンの空に浮かぶ赤い月は、まるで巨大な血の目のように地上を見下ろしていた。
【恩寵塔】の麓は、皇帝祭の喧騒とは隔絶された神聖な静けさに包まれていた。
夜の街路は灯火にぼんやり照らされ、輪郭すら曖昧なまま、馬車の車輪が静かに石畳を転がる。
その馬車は、スタンハーペン郊外からわざわざ手配されたもの──マルティーナたちは、宿屋からの出発を悟られぬよう、裏手の路地から密かに乗り込んでいた。
アイリーンが命懸けで手に入れた地方の有力信者の「招待状」を手に、彼らは今、恩寵塔の正面玄関へと向かっている。
「……空気が、重い」
馬車の中でリバックが兜の下で呻いた。塔に近づくにつれて物理的な重圧とは違う、魂そのものを締め付けるような異様なプレッシャーが一行を襲っていた。
やがて馬車が止まり、顔のない銀の仮面の従者が扉を開ける。
マルティーナたちは質素な巡礼者用のローブで身を隠しフードを目深に被っていた。ゲオリクはその巨体を縮め無口な従者のようにマルティーナの後ろに控え、誰も視線を向けない隅では薄汚れたローブに身を包んだシャナが静かに佇んでいた。
銀の仮面をつけた従者に導かれ、一行は塔の内部へと足を踏み入れた。
そこは、静寂が支配する空間だった。磨き上げられた黒大理石の床は光を吸い込み、彼らの足音だけが不気味なほど高く反響する。遥か天上のドームには、聖人の姿ではなく、理解を拒むような禍々しい幾何学模様が描かれていた。
空気は、焚かれた香の甘い匂いに混じり、微かに血の鉄錆と、魂が腐り落ちたかのような甘ったるい腐臭が漂っている。
リバックは、先ほど馬車で感じた重圧が、鎧の上からさらに鉛の外套を羽織らされたかのように増しているのを感じ、兜の下で息を詰めた。シャナは、まるで汚泥の中を歩むかのように空気が重く、耳の奥で、数えきれないほどの魂の嗚咽が微かに響くのを聞いていた。
そしてマルティーナは、この空間全体が巨大な“胃袋”であり、神聖を装いながら、訪れる者の魂を消化しようと蠢いているかのような、悍ましい飢餓感を肌で感じ取っていた。
ゲオリクだけが、この塔の壁や柱を、無数の“律”の奔流が血管のように駆け巡っているのを見抜き、沈黙の中でその歪んだ構造を冷静に観察していた。
一行は、言葉もなく、ただ従者の後を追って長い回廊を進み、やがて巨大な昇降機で中層へと昇っていく。やがて、昇降機が止まり、重厚な扉の前で従者が立ち止まった。
彼らが通されたのは塔の中層に位置するという『儀式の間』だった。
そこは悪夢のように美しかった。
ポロロン……♪
壁際には**【焦点奏者】**と呼ばれる純白の衣の者たちがリュートのような楽器を奏で、甘美でしかしどこか不安を掻き立てる旋律を空間に満たしている。
広間の中央には豪奢な料理と琥珀色の酒が並び、そこに集う高位の【司教】や【恩寵奏官】**たちが偽りの聖性を纏い穏やかに談笑していた。
だがマルティーナはその華やかな光景の裏に潜む悍ましい「何か」を肌で感じ取っていた。
(……おかしい。この方たちの魂が……まるで飢えているように……)
その時だった。広間の全ての照明がフッと落とされ、中央の巨大な水晶がボウッと不気味な紫色の光を放ち始めた。
「―――さあ、今宵もまた、主の“恩寵”を賜る時が来た」
最も位の高い司教が恍惚とした表情で両手を広げる。
水晶の光が信者たちを照らし出すと、彼らの身体から青白い魂のエネルギーのようなものがスウウウッ……と糸のように引き抜かれ中央へと集まっていく。エネルギーを吸い取られた信者たちは恍惚とした表情でその場に崩れ落ちていった。
リバックは兜の下で歯を食いしばり、全身の筋肉を強張らせていた。先ほどから感じていた魂を締め付けるプレッシャーが、今や無数の亡者が纏わりついてくるかのような悍ましい“飢え”の波動となって彼を襲う。
そしてその集められた純粋なエネルギーを、司教や恩律記官たちがまるで極上の酒を味わうかのようにその身に吸い込んでいくのだ!
「はぁ……!」「素晴らしい……!」
彼らの顔はたちまち多幸感に満たされ、その瞳は麻薬に溺れた中毒者のように虚ろに輝き始めた。ある者は恍惚のあまり全身を細かく痙攣させ、またある者はその頬を異常に紅潮させながら荒い息をついている。
これがこの夜会の真の目的。信者から搾取した魂のエネルギーを浴び倒錯した快楽に溺れるための冒涜的な儀式。
そのあまりに悍ましい光景にマルティーナたちが言葉を失っていたその時、一人の醜く太った恩律記官がその濁った目でマルティーナの姿を捉えた。
「……ほう。そこにいる新顔の女。なかなか良い“器”をしていそうだ」
彼は下卑た笑みを浮かべ指をさした。「おい、お前だ。その台の上へ上がれ。そしてその顔を我らに見せてみよ」
マルティーナは動かない。だが周囲の信者たちが彼女を取り囲み、無理やり広間の中央にあるお立ち台へと押し上げて行く。
フードを無理やり剥ぎ取られると、マルティーナの神々しいまでの美貌が欲望に歪んだ者たちの視線の下に晒された。
広間が静まり返り、次の瞬間、熱狂的な歓声と欲望の渦が彼女を包み込んだ。
先の恩律記官がその醜く太った身体を揺らしながら涎を垂らし、台の下からねっとりとした視線をマルティーナに絡みつかせた。
「……良い。実に良いぞ、娘。その気高い瞳……気に入った」
彼の声はまるで蛇が獲物をいたぶるかのように甘くそして冷たかった。
「さあ、その薄汚れた巡礼者の衣など脱ぎ捨ててしまえ。そしてお前のその肌、その魂、その全てを我らの前にさらけ出して見せよ」
彼は恍惚とした表情で続けた。
「そして跪き、我らの前にその“穢れ”を曝け出してみせよ! そうすればこの私直々に、お前にも最高の“恩寵”というものを、**(……さあ、最高の恥じらいを見せるのだ、さすれば)**たっぷりと、注ぎ込んでやろうぞ……わはははは!」
そのあまりに屈辱的な言葉を聞いても、マルティーナはただ静かにそして氷のように冷たい目でその男を見下ろしていた。
(……エクレア師を救うため。そして、この冒涜的な儀式を終わらせるためならば……!)
そしてその口から、凛とした絶対的な拒絶の声が放たれた。
「――お断り、いたします」
その一言が引き金だった。
**ゴッ!**と恩律記官の顔が怒りと屈辱に醜く歪んだ。
「……この……! 聖なる夜会で主の恩寵を拒むというか、この異端者が!」
彼は周囲に控えるミレス・サケルたちに顎をしゃくりあげ命じる。
「――やれい。あの無礼な娘を、台の上から引きずり下ろし、我が足元に跪かせよ!」
その命令一下、二人のミレス・サケルがやれやれといった表情でマルティーナへと歩み寄った。
彼らにとって、それは“儀式の前座”──
神聖な場にふさわしくない者を、静かに排除するだけの“整え”に過ぎなかった。
「――お下がりなさい」
その凛とした声とヒュッと風を切る鋭い音が同時だった。
ミレス・サケルたちに近づいていたのは、いつの間にかマルティーナの背後を守るように立っていたシャナだ。
彼女が振るった鞘に収まったままの槍の石突が、二人の神官戦士の鳩尾を的確にそして容赦なく打ち据えていた。
「ぐっ……!?」
二人の屈強な男たちが「く」の字に折れ曲がりその場に崩れ落ちる。
そのあまりに鮮やかな一撃を見て、初めてその場にいた全てのミレス・サケルたちの顔から侮りの色が消えた。
シャキン! シャキン! シャキン!
今度こそ残る全ての神官戦士たちが一斉にその剣を抜き放った。
そして広間の隅でこれまでただの従者として控えていたリバックとゲオリクもまた、静かにその巨体を立ち上がらせていた。
夜会はたった今、終わったのだ。
血と欲望に塗れた本当の「宴」が今、始まろうとしていた。
第一楽章 深淵への階段
闇の侵入者
その喧騒を、まるで対岸の火事のように冷ややかに見つめる者たちがいた。壁際の影に紛れ、この騒動に乗じて静かに、そして迅速に上層へと続く階段へと向かう五つの人影。悪魔ベロニカと、その四人の眷属たちだ。
「……くくく。馬鹿な連中だ。こんな低層で派手に暴れておる」
ベロニカは口の端を吊り上げた。「放おっておけ。俺たちの“仕事”はこんな所にはない」
彼らは戦闘の熱狂から切り離されたかのように、静かに螺旋階段を上り始めた。
時折すれ違う下級の神官たちの魂を啜り上げながら十数分が経過した頃、ベロニカはふと足を止めた。
(……なんだ……? この異質な波動は……)
それは、魂を喰らう我らとは根本から異なる。
あれは、もっと冷たい……存在の“構造”そのものを律する力だ。
(……これは魂を喰らうものではない……存在の定義を、根源から書き換える“律”に近い……!)
「ベロニカ様」部下の一人が報告する。「この塔の“構造”が歪み始めております。上へ向かうほど我らの存在を拒絶する“律”が強くなっていたのが、奇妙なことに今度は“下”から同じ質の波動を感じます」
ベロニカは指先で目の前の空間をすっと撫でる。すると彼が触れた空間だけがぐにゃりと水面のように歪んだ。その歪みの中に、過去この罠に嵌まり絶望したであろう者たちの苦悶の表情が一瞬だけ蜃気楼のように見え隠れした。
「……なるほど。**空間そのものがループする“檻”**の中を歩かされていたというわけか」
彼の声に驚きはなかった。ただ、冷たい侮蔑だけが込められていた。
その時、彼らの足元の石の階段がズルリと生き物のようにその形を変え、湿った苔むした地下へと続く巨大な一本道へと変貌したのだ。
カッ……!
ベロニカの全身から凄まじい魔力が黒い稲妻となって迸った! それは、自らをこの手の込んだ「舞台」へと招待したまだ見ぬ演出家に対する最大限の**「礼儀」**としての力の解放だった。
ブワッと彼の身体から放たれた魔焔顕光が周囲の暗闇を照らし出す。
その光が照らし出したのは、絶望的な光景だった。
そこは恩寵塔・深界層──祝福の残響が沈殿し、律の裏面が顕現する広大な空間だった。空間には目に見えない神聖な光の残滓が漂い、悪魔である彼らの肌をチリチリと灼く。遥か頭上には、この空間が最上層から垂直に伸びる巨大なシャフトの底であることが窺え、足元にはさらに深い地底へと続く闇が口を開けていた。
そしてその周囲を、無数の影が取り囲んでいた。
12名の【インクイジトル】。50名を超える【ミレス・サケル】。
そしてその最前列に立つ三人の男女。その中の一人――かつてラバァルに敗れたはずの**【神人ミケロス】**。そして彼と並び立つ二人の見知らぬ【死刑執行人】、アンダルシアとカンマ。
「――ようこそ、異界のネズミどもよ」
ミケロスが静かにしかし憎悪に満ちた声で言った。「ネバ様は何者かがこの塔に侵入することを予知しておられた。……まさかそれが貴様らのような悍ましい悪魔の残党だったとは思わなかったがな」
「……ふん」
ベロニカは静かな怒りのようにその身に纏う魔焔顕光をさらに強く輝かせた。この空間のどこかから、自分たちを監視しているであろう“演出家”の気配を探りながら。
「上等だ」
彼の口元に獰猛な笑みが浮かんだ。「手間を掛け召喚したアブシス・インフェルナの精鋭たちだ。……ここで腕試しと行こうじゃないか」
中層で始まった光の戦い。
そして地下で始まる闇の戦い。
二つの戦端はまだ互いの存在を知らない。だがその運命はこの恩寵塔という巨大な舞台の上で、確かに交錯しようとしていた。
第一楽章 聖域の剣舞
シャキン! シャキン! シャキン!
ミレス・サケルたちの剣が一斉に抜き放たれる。
血と欲望に塗れた本当の「宴」が始まった。
「―――中央を突破します!」
シャナの凛とした声が混沌の戦場に響き渡った。狙いはただ一点。この広間の奥にある上層へと続く階段。
「させん!」
ミレス・-サケルたちが分厚い壁となってその進路を塞ぐ。
だがその壁の前に、もう一つの決して砕けることのない「壁」が立ちはだかった。
「―――我が領域を侵すな」
ズウウウウウンッ!!!
リバックがそのスパイクシールドを大理石の床に叩きつけた!
**バキバキバキッ!と床に蜘蛛の巣状の亀裂が走り彼の周囲の空間そのものが意思を持ったかのように硬質化する。
ミレス・サケルたちの渾身の一撃が見えない壁に阻まれカンッ! カンッ!**と虚しい音を立てて弾かれていく。本来なら鉄壁をも粉砕するであろうその一撃の衝撃に、リバックは兜の下で(……重い!)と呻き、シールドの内部構造がわずかに軋むのを感じていた。
《城壁のグラディウス》の絶対防御領域。
「今だ、シャナ!」
そのリバックが作り出したほんの一瞬の硬直。その隙をシャナが見逃すはずがなかった。
「――貫け、【血月の槍】!」
シュバッ!
彼女の身体が赤い残像を描きながら敵陣へと突貫する。その槍術はもはや神速の域。
ザシュッ! ズバッ!
槍の穂先が鎧の僅かな隙間を的確にそして無慈悲に抉っていく。シャナが駆け抜けた後には血飛沫を上げて崩れ落ちる神官戦士たちの姿だけが残されていた。
だが敵の数は多い。
後方から恩律記官たちが禍々しい呪文の詠唱を始めた。
「――堕ちよ、異端者!」
**ゴウッ!**と粘つくような闇の魔弾がシャナの背後へと迫る!
「――風よ、浄化の息吹となれ!」
その闇を翠の閃光が切り裂いた。ロゼッタの【烈風剣】が風の渦を巻き起こし、呪いの魔弾をフッと霧のように霧散させる。もし直撃していれば、その魂を歪ませる呪詛がシャナの動きを確実に止めていただろう。
彼女はただ守るだけではない。「少し乱させてもらいますわ!」
ヒュオオオオオッ!
彼女が剣を振るうたび戦場に小さな竜巻がいくつも発生し敵の陣形をかき乱しその視界を奪っていく。
リバックが守り、シャナが貫き、ロゼッタが乱す。三人の完璧な連携が未知の敵集団を徐々にしかし確実に圧倒していく。
その間マルティーナとゲオリクはほとんど動いていなかった。
マルティーナに狙いを定めた焦点奏者が精神を蝕む不協和音を奏でようとしたが、その音色がマルティーナに届く前にスウッ……とただの静寂へと変わる。**彼女の周囲の空間から邪悪な“熱”が引き、一瞬だけ清らかな泉の底のような冷たく澄んだ空気に包まれた。**彼女の神暈光が、あらゆる害意を浄化していたのだ。
ゲオリクに至ってはただ腕を組んで立っているだけ。その視線は目の前の乱戦ではなく、遥か塔の上層を見据えていた。
だが彼の背後から不意を突いて襲い掛かろうとした二人のミレス・サケルが**「ぐえっ!?」**という奇妙な声を上げて宙を舞った。
**彼らがゲオリクに触れようとした瞬間、その鎧の表面が灼けるように、あるいは凍り付くように激しく霜焼け、見えざる高密度の霊的障壁に弾き飛ばされたのだ。**まるで神域に踏み入ろうとした虫を払うかのように。
「―――道が開けました!」
シャナの声が響く。三人の猛攻によってついに上層へと続く階段までの道が一本切り開かれたのだ。
階段を駆け上がる直前、シャナの額には汗が滲み、リバックの肩が微かに上下している。完璧に見えた連携も、既に彼らの体力を確実に削っていた。
「行きます!」
マルティーナの号令一下、一行は深追いをせず一直線にその階段へと駆け上がっていく。
「逃がすな! 追え!」
背後から怒号と魔法の炸裂音が追いかけてくる。
だが彼らはもう振り返らない。
第一楽章は終わった。
これから始まる本当の死闘の舞台はこのさらに上。
闇がより深くなる天空の牢獄なのだから。
第二楽章・序曲:悪魔の戯れ
【恩寵塔・深界層】
「上等だ──」
ベロニカの獰猛な笑みが、恩寵塔・深界層の空間そのものを震わせた。
「せっかく素晴らしい“器”を用意してやったのだ。……我が精鋭たちの、この世界での“初陣”、存分に味わわせてやろうじゃないか」
その言葉が開戦の合図だった。だがベロニカは動かない。彼はまるで観劇でもするように壁際に寄りかかり腕を組んだ。
この戦いは彼が出るまでもない。彼の愛すべき、そして最も信頼する四人の眷属たちのための最高の「舞台」になるだろうからだ。
「「「「御意に、ベロニカ様」」」」
四人の悪魔が一斉に動いた。彼らはまだ人間の器を纏ったままだが、その動きはもはや人間の物理法則を完全に超越していた。
ドォンッ!
最初に動いたのは**“灼かれし罪”ブラクス・インシネレーター**。彼がミレス・サケルの分厚い盾の壁にただ真っ直ぐに突っ込むと、その邪悪な力に触れた空間の「祝福の残響」が、悲鳴を上げるように霧散していく。
「――邪魔だ」
グシャアアアアッ!
鋼鉄の盾が紙屑のようにひしゃげ、その向こうにいた神官戦士たちの肉体を骨ごとミンチに変えていく。
そのブラクスがこじ開けた風穴に**“死と毒を編む”ネクス・アーキテクト**が踊るように滑り込んだ。彼女が指先から放つ緑色の燐光に触れた者は恍惚の表情を浮かべ、次の瞬間にはその肉体が内側から腐敗した泥のように崩れ落ちていった。
「―――不浄なる悪魔めが!」
12人のインクイジトルが一斉に精神を蝕む不協和音の呪文を放つ!
だがその呪文が悪魔たちに届くことはなかった。
「――その“声”、うるさい」
“呪詛を語る”ヴォクス・マリグナが指先で自らの唇に「静かに」とジェスチャーをしただけ。ただそれだけでインクイジトルたちの口から一切の音が消え失せた。だが彼は眉をひそめる。概念レベルの“沈黙”が、この空間の「祝福の残響」に触れることで僅かに反響し、自身の魔力を予想外に消耗させていたからだ。
そして最後の悪魔、“深淵の棘”アビス・スパインが、沈黙させられ混乱するインクイジトルの魂を極上の菓子のように啜り上げた。「んー、絶品♡」
悪魔たちの、一方的な蹂躙。
そのあまりに悍ましい光景に、ついにこれまで静観していた三人の【死刑執行人】が動いた。
「……そこまでだ、悪魔ども」ミケロスがその手に聖なる光の剣を顕現させる。「貴様らの戯れはここで終わりだ」
アンダルシアとカンマもまたその身体から神々しいしかし禍々しいオーラを放ち始めた。
ゴゴゴゴゴ……!
三人の身体が巨大化し、異形の“神人”としての本性を現したその瞬間、彼らのオーラに呼応して深界層の壁や床に刻まれた古代の文様が禍々しく明滅し、空間に満ちていた「祝福の残響」が光と闇の渦となって荒れ狂った。
その凄まじいプレッシャーを前に四人の悪魔たちは初めてその動きを止めた。だがその表情に恐怖の色はない。むしろようやく骨のある玩具を見つけたかのような歓喜の色が浮かんでいた。
「ククク……ようやく本気で“遊べる”相手が出てきたじゃねえか」
ブラクスがその首をゴキリと鳴らした。「ああ。この窮屈な“皮”はもういらねえな」
次の瞬間、四人の悪魔たちの人間の器がまるで脱皮するようにその場に崩れ落ちた。そしてその抜け殻から立ち上った黒い魔力の奔流が一瞬で収束し、彼らの本当の姿――巨大な**【グレーターデーモン】**としての本性が完全に解放されたのだ!
四体の巨大な悪魔。
三体の巨大な神人。
ベロニカはその光景を壁際で腕を組みながら興味深げに眺めていた。
(……ちっ。早々に皮を脱ぎおったか)
彼の舌打ちには苛立ちよりもむしろ期待が滲んでいた。確かにこの物質界で本性を現せばその存在エネルギーは凄まじい速度で消費されていく。だがそれもまた一興。
(……良いだろう。見せてみろ、我が眷属たちよ)
彼の視線はもはや部下たちではなく、その敵――三体の**“神人”**へと注がれていた。
あれこそがこの世界の“神”とやらが創り出した最高傑作の一つ。その力、その“律”はただのグレーターデーモンのそれを遥かに凌駕している。
(この格上の“神”を相手に、貴様らがどこまで喰らいつけるのか。実に興味深い)
ベロニカにとってこの戦いは部下たちの消耗を測るためではない。自らが率いる悪魔たちが神の使いという**「極上の餌」を喰らい、さらなる高みへと至るための最高の「試練」であり「実験」なのだ。
そして何より、あの“神人”たちの戦闘データは必ず役に立つ。
(……この塔の最上層にいる“本来の標的”**か。あるいは我々をこの深界層に誘い込み、**どこかから監視しているであろう“演出家”**か……)
どちらと対峙することになろうとも、この“神人”という駒の動かし方を知っておくことは決して無駄にはならない。
神話と神話が今、激突しようとしていた。
だがその戦いさえもベロリニカにとっては、来るべき本当の戦いのための壮大な**「余興」**として見ていた。
最後まで読んでくださりありがとう、また続きを見かけたら読んでみて下さい。




