氷獄の誓いと鋼鉄の胎動
永久氷獄に囚われた師を救うため、マルティーナたちは遥かなる敵地・ロマノス帝国へと旅立つ。
一方、故国では新型魔導アーマーの開発が進むが、予期せぬ欠陥と政敵の陰謀という見えざる剣が、天才ロスコフを襲う。
それぞれの場所で紡がれる、救出と開発の物語。光と影が交錯する中で、彼らの誓いが今、試される。
その161
氷獄の秘術師
【五ヶ月前 ― リバンティン公国 ワーレン領の山小屋】
その日、レザリアは麓の村へ、食料の買い出しに出かけていた。
ぽつんと取り残された山小屋では、エクレアが一人、新たなシギルの研究に没頭している。
コツ、コツ……水晶のペンが羊皮紙を叩くたび、静寂の中に微かな拍が刻まれ、まるで時の鼓動がそこに宿っているかのようだった。
穏やかで、どこか閉ざされた時間が、ゆるやかに流れていく。
だが、その静けさは、何の前触れもなく裂けた。
フッ、と息が漏れるような気配が、空気の膜を破って忍び寄る。
いつからそこにいたのか――山小屋の奥、影が濃く沈む一角に、一人の男の影が立っていた。
エクレアは顔を上げなかった。
だが、背筋を駆け抜けた感覚は、確かに覚えている。
それは、数百年ぶりに訪れた「死」の気配――
忘れかけていた恐怖が、名を持たぬまま、そこに立っていた。
(……いつの間に……! この儂が、気配の一片さえ感じ取れぬとは……!)
影の男――『闇の恩律主』ヴォーゼルは、まるで古書を繙くように、楽しげに老婆を見下ろしていた。
「――見つけたぞ、“氷門”。随分と探させてもらった」
咄嗟に指先で空間に防御シギルを描こうとするが、遅かった。ヴォーゼルの方が、遥かに速かった。
凄まじい衝撃が走った。
見えない鉄槌に殴られたかのような一撃が、老婆の華奢な身体を壁へと叩きつけ、肺の奥から空気を絞り出す。
「がはっ……!?」
喉を裂くような声が漏れ、息が、できない。
懐に入られすぎた――ここまで接近を許してしまえば、彼女が得意とする広範囲制圧系の高位秘術は、時間的にも範囲的にも展開できず、ただの理論に過ぎなくなっている。
苦し紛れに放った無数の氷礫は、ヴォーゼルの身体に触れる寸前、見えない膜に阻まれ、カキン、カキン……と虚しく砕け散っていく。
鋭い破片が空を裂くこともなく、ただ音だけが残り、術者の焦りを反響させる。
(……駄目じゃ。止められぬ……この膜、術ではない。こやつ、ただ者ではない……)
このままでは、殺されるだけでは済まぬ――
命を奪われるだけでなく、我が身に宿す秘術のすべてが、この得体のしれぬ何者かの手に渡ってしまうかもしれぬ。
いや、渡すために現れたのだとすれば……それこそ、術者としての死であり、魂の喪失でもある。
その目的が何であれ、わしの器が奪われることだけは、なんとしても防がねばならぬ。
たとえ、この身が砕けようとも――
「後は……頼むぞ。我が弟子たちよ!」
その叫びが空間に響いた瞬間、エクレアは悟る。
これは、器の限界ではない。魂を賭ける時だ。
一方的に打ちのめされながらも、彼女は指先を震わせ、密かに自らの身体へ最後のシギルを刻み始める。
それは攻撃でも、防御でもない。
自らの存在そのものを、永遠に封じ込める――
禁断の自己封印術。
術者の名も、記憶も、魂の輪郭さえも、時の底へと沈めるための、最後の器。
秘術師にとって、それは“死”よりも重い選択だった。
だが、器を汚されるよりは、魂を沈める方がよほど誇り高い――
そう思った瞬間、エクレアは静かに目を閉じる。
「……わしの器は、ここまでじゃ。あとは、託すのみ……」
その声は、風に溶けるように微かで、
だが確かに、弟子たちの器へと届いていた。
そこへ、買い物袋を提げたレザリアが戻ってきた。
「師匠ッ!!」
彼女の目に映ったのは、血を流し倒れ込みながらも、不敵な笑みを浮かべる師の姿――
その笑みに込められたものを、彼女はまだ知らない。
「――闇の者よ。お主は、儂から何一つ奪えんよ」
その言葉と共に、エクレアの身体が内側から絶対零度の蒼白い光を放ち始める。
キィィィィィィィン……!
瞬く間に、彼女の身体は分厚く、そして決して溶けることのない永遠の氷――**『永久氷獄』**に包まれていった。
「師匠っ!!」
レザリアは、師を救うべくヴォーゼルに襲い掛かろうとする。
だが、圧倒的な実力差の前に、シギルを描く暇さえ与えられず――
その意識は、深い闇へと沈んでいった。
【現在 - ロマノス帝国 首都スタンヘーブン 恩寵塔 最上層】
ゴウ――地を這うような音を立てながら、深淵の炎が蒼白い氷塊を舐め上げる。
鋼鉄さえ一瞬で蒸発させる地獄の炎をもってしても、その氷は一滴たりとも溶ける気配を見せず、ただ静かに、蒼白のままそこに在り続けていた。
「……まだ、駄目か」
ヴォーゼルは忌々しげに舌打ちし、炎の揺らめきの奥に、封じられた魂の気配を睨みつける。
その器に触れることすら叶わぬまま、彼の欲望は、焦燥の熱を帯びていく。
ここは、恩寵塔の最上層――
王族クラスの重要人物だけが収容される、天空の牢獄。
その中央に鎮座するのは、『永久氷獄』に包まれたエクレアだ。
今は、歪んだ芸術品のように凍りつき、魂の輪郭すら蒼白の氷に沈められている。
周囲では、この塔の主である悍ましい高位聖職者たちが、涎を垂らさんばかりにその“お宝”を眺めていた。
欲望に濁った眼差しが、氷の奥に眠る知識へと突き刺さる。
「……ヴォーゼル殿。まだ氷は溶けんか」
爬虫類を思わせる瞼の重い司教が、焦れたように言葉を吐く。
「我らは早く、その婆の脳を啜り、その知識を味わいたいのだぞ」
「黙れ」
ヴォーゼルの低い声が、氷の空間に響いた。
「貴様らに言われずとも、分かっておるわ。――この器が、いかに厄介かもな」
別の場所では、重い金属音が断続的に響いていた。
ミレス・サケルたちが巨大なウォーハンマーで氷塊を叩きつけているのだ。
だが、その刃は甲高い音を立てて弾かれるだけで、傷一つ付けることすら叶わず、氷はただ静かにそこに在り続けていた。
「……ふん。埒が明かんな」
ヴォーゼルは炎を収めさせると、氷塊へと歩み寄る。
決して溶けぬ氷の中で、エクレアは眠っているかのように穏やかな表情を浮かべていた。
その顔に、痛みも恐怖もなく、ただ静謐な誇りだけが残されている。
「……まあ、良い。時間は、無限にある」
ヴォーゼルは不気味に笑いながら、氷へと囁く。
「お前が自らその殻を破って出てくるまで、ここで永遠に嬲り続けてやろう。
お前の可愛い弟子が、リバンティンの地でどのような“芸術”を創り出すのかを、見せつけながらな」
その声は、氷の中の老婆には届かない。
ただ、天空の牢獄に、聖職者たちの下卑た笑い声だけが、いつまでもこだましていた。
鋼鉄の練兵
アンヘイム郊外に広がる、九ヘクタールもの広大なワーレン侯爵家の敷地。
その一角は今や、リバンティン公国の未来を鍛え上げる――鋼鉄の練兵場と化していた。
ズシン……! ズシン……!
大地が規則正しく揺れる。ナイトマスター、ゲーリックが駆る標準型魔導アーマー【セントリス】の重々しい足音が、訓練場の空気を震わせる。
その滑らかな動きを、マルコたち三人の騎士が駆る同型の機体が、必死に追いかけていく。
そして今日――その訓練場に、新たな五体の鉄の巨人が加わった。
【セントリス】よりも一回り細身で、俊敏な動きを予感させる量産型軽量機、【イグニス】。
乗り込むのは、各軍団から選び抜かれた隊長級のエリート騎士たち。
国の未来を担う誇りと、未知の兵器を操る興奮に、その身を震わせながら、彼らは静かに起動を待っていた。
「――いいか、貴様ら! この鉄の巨人は、ただの鎧じゃない!
貴様らの手足であり、魂の延長だ!
俺の動きをただ目で追うな!
その“流れ”を、背中のシギルで感じ取れ!」
ゲーリックの【セントリス】が、熟練の剣士のように滑らかな剣閃を宙に描く。
その軌跡は空気を裂き、訓練場の拍動を導くように響いていた。
それに倣い、五体の【イグニス】がぎこちなくも必死にその動きを模倣しようとする。
鋼鉄の脚が軋み、関節が震えながらも、彼らの魂は確かに“流れ”を掴もうとしていた。
その光景を、少し離れた観測塔からロスコフとラージンが固唾を飲んで見守っていた。
「……いよいよ、王国軍の騎士たちにも行き渡りましたな」
ラージンの言葉に、ロスコフは生唾を飲み込みながら、訓練場の鉄の巨人たちを見つめる。
「ええ。ですが……本当に、イグニスがセントリスのように動いてくれるのか……」
彼の不安は、一点に集約されていた。
ゲーリックたちが駆る先行標準型【セントリス】は、エクレアとレザリアがその手で“魂を込めて”シギルを刻んだ、いわば特注品。
対して、今動いている【イグニス】は、あの自動シギル刻印機で“複写”された量産品にすぎない。
実験では成功している。
だが、実機で――人間の魂と共鳴した時、果たして本当に同じ性能を発揮できるのか。
それは、技術の問題ではない。
魂の器が、複写に耐えうるかどうかの問いだった。
だが、その不安はすぐに杞憂だと知れた。
五体の【イグニス】は、最初はぎこちなかったものの、搭乗者の練度が上がるにつれて驚くほど滑らかに、そして俊敏に動き始めたのだ。その動きは先行機である【セントリス】に何ら遜色はないように見える。
「……素晴らしい……! 複写されたシギルでも、これほどの性能が出せるとは……!」
ロスコフの口から、安堵と自らの発明への賞賛が漏れた。
訓練は次第に熱を帯び、実戦さながらの模擬戦闘へと移行していく。
それから数時間。ロスコフとラージンはただ瞬きもせず、その光景を脳裏に焼き付けるように見つめ続けていた。
だが、その不安は、すぐに杞憂だと知れた。
五体の【イグニス】は、最初こそぎこちなかったものの、搭乗者の練度が上がるにつれて、驚くほど滑らかに、そして俊敏に動き始めた。
その動きは、先行機である【セントリス】に何ら遜色なく――むしろ、魂の流れをなぞるように、空間を舞っていた。
「……素晴らしい……! 複写されたシギルでも、これほどの性能が出せるとは……!」
ロスコフの口から漏れたのは、安堵と、自らの発明への静かな賞賛。
その声は、観測塔の空気を震わせ、未来の胎動を告げる鐘のように響いていた。
訓練は次第に熱を帯び、やがて実戦さながらの模擬戦闘へと移行していく。
それから数時間――ロスコフとラージンは、ただ瞬きもせず、その光景を脳裏に焼き付けるように見つめ続けていた。
まるで、魂の器が新たな拍動を刻む瞬間を、見届けるかのように。
その時だった。
訓練の総仕上げとして、ゲーリックの【セントリス】が、一人の騎士が駆る【イグニス】へと、手加減した――しかし鋭いパンチを放った。
「――そこだ、甘い!」
【イグニス】は、その拳を腕部の装甲で受け止めようとする。
グシャリ、と。
これまでの金属音とは明らかに質の違う、分厚い鉄板が無理やり引き裂かれるような、鈍く、嫌な音が訓練場に響き渡った。
「――ああ、ダメだ、それでは……!」
ロスコフの悲鳴が重なる。
【イグニス】の右腕の装甲が、ゲーリックの拳を受けた一点から紙のように無残にへこみ、裂けていく。
衝撃で内部の関節パーツが破損し、腕部全体がガコンと音を立てて垂れ下がった。
裂け目からは、衝撃に顔を歪める騎士の生身の腕が、無防備に晒されている。
鋼鉄の器が裂け、魂の肉が露出する――その瞬間、訓練場の空気が凍りついた。
「……ありゃりゃ。これはいけませんな」
ラージンが、その光景に静かに首を振る。
「機動力と引き換えに、装甲を削りすぎたようですな。
これでは、実戦ではただの的ですぞ」
ロスコフは唇を噛み締めた。
「……くそっ……。やはり、単純な引き算ではダメか……」
軽量化と、防御力――
両立しないはずの二つの課題が、今まさに彼の器を揺さぶっていた。
その瞬間、彼の脳裏で、新たな、そしてより困難な研究の歯車が、ギシリ……と音を立てて回り始める。
それは、鋼鉄の器を魂に耐えうるものへと再設計するための、静かな始まりだった。
魔妃の閨房
「ダメだ、ダメだ、ダメだ……!
これでは、ただの鉄の棺桶じゃないか……!」
その夜、ワーレン邸の一室――ロスコフの私室は、彼の苦悩で満ちていた。
インクと羊皮紙の乾いた匂い。
考えすぎて火照った額から立ち上る、焦りの匂い。
それらが混じり合い、空間はまるで、魔妃の閨房のように、静かで、熱く、そして危うく震えていた。
ロスコフはベッドの上で、設計図の束を抱えながら、獣のように唸り続ける。
その唸りは、技術者の祈りであり、魂の器を再構成するための、最初の震えだった。
そんな所へふわりと滑り込んだ香りは、思考の迷宮に咲いた夜の花。
甘く、蠱惑的で、鉄と焦燥に染まった空間を静かに侵食していく。
アンナの声は絹のように柔らかく、香りと共にロスコフの器を包み込む。
彼は、母に縋る子のようにその胸元へ顔を埋め、香りの魔法に身を委ねる。
「……中の兵士が、死んでしまう……!」
その言葉は、技術者の悲鳴であり、魂の器が裂ける音でもあった。
アンナは、鉄の匂いに囚われた夫の器を撫でながら、
「魔妃のように囁く――『今は、私の香りに包まれてくださいな』」
その香りは、ただの慰めではない。
それは、**それは、血統の継承と器の再構成を促す、魔妃の策略の香**。
(先日、義母様に言われたわ……早く、孫の顔が見たい、と……)
アンナは好機を逃さない。
香りの奔流に乗せて、彼女はロスコフをベッドの奥へと導いていく。
技術の迷宮で行き詰まっていた彼もまた、
この香りの器に、ただ身を委ねるしかなかった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
甘い汗とアンナの香りが満ちる寝室――いや、香獄の閨と化したその空間で、ロスコフの身体が突然バッとベッドから跳ね起きた。
「―――そうだッ!!」
あまりに唐突な大声に、隣で余韻に浸っていたアンナがビクッと肩を震わせる。
「ど、どうなさいましたの、あなた様!? 突然……!」
「アンナ! 君のおかげだ! アイデアが浮かんだんだ!」
ロスコフは子供のように目を輝かせている。
その無邪気な顔に、アンナは少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
「まあ……。まさかとは思いますが……睦み合っている最中に、鉄の巨人のことをお考えになっていた、なんてことはございませんわよね?」
的確すぎる指摘に、ロスコフの顔に気まずい熱が集まる。
「い、いや! そ、それはだね、アンナ! あの、その……! も、もちろん君のことしか考えていなかったさ! あまりに夢中だったから、脳が活性化して、突然閃いたんだ!」
しどろもどろな言い訳に、アンナは拗ねたように顔を背けたが、その唇には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
魔妃の香りは、技術者の器を撫で、胎動を促す。
この夜、香獄の閨で生まれた閃きは、鉄の巨人に新たな魂を与えることになる。
「……もう、存じませんわ!」
怒ったふりをする彼女の身体から、やはりロスコフの理性を蕩かす甘い香りが漂っている。
その香りは、ただの慰めではない。
それは、血統の継承と器の再構成を促す、蠱惑の胎香。
ロスコフは、「やれやれ、敵わないな」と幸せなため息をついた。
その夜は国の未来も鉄の巨人も忘れ、ただ一人の愛する妻のために全力を尽くすことを心に誓ったのだった。
その腕の中で、アンナは誰にも見咎められぬよう、満足げに口角を上げる。
香獄の主として、器の胎動を確かに導いた証を、静かにその唇に刻みながら。
永久氷獄の探索
【アンヘイム ワーレン邸 - 出立の朝】
ロスコフに、そしてまだ病床に伏す仲間にしばしの別れを告げたマルティーナたちの決意は、鋼のように固かった。
それは、ただの旅立ちではない。
**魂の器を繋ぎ直すための、再構成の誓い**だった。
「……オクターブ。必ず、戻ってきますからね」
マルティーナは、客室のベッドで眠るオクターブの額にそっと手を置く。
その手は、戦士の誓いであり、友の魂を繋ぐ灯火でもあった。
彼の魂は、エクレアの禁呪によって確かに救われた。
悍ましい呪いから引き剥がされ、奇跡的に人の形を保ったまま。
だが、その代償はあまりに大きかった。
魂を一度引き剥がし、再構築するという――神々の領域の荒業。
その負荷は、彼の生命力を根こそぎ奪い去っていた。
ノベルは言った。
「彼の魂は、五年分の記憶と生命力を一瞬で抜き取られたようなものだ。
剣を握ることさえままならないだろう。元に戻るには、数年……いや、十年はかかる」
彼の生還は、確かに奇跡だった。
だがその奇跡は、従者としての彼から、一時的に全ての力を奪い去っていた。
エクレアを救うこと――
それは、この友の魂を完全に癒すための、唯一にして最後の希望だった。
**この出立は、魂の器を再び満たすための旅路。**
マルティーナの瞳には、鋼鉄よりも強い誓いの光が宿っていた。
「……オクターブの事、よろしくお願いいたします」
マルティーナが一介の侍女に頭を下げると、アメリアは恐縮したように身を縮め、慌てて自分も頭を下げた。
「精一杯お世話させていただきます」
それまで付きっきりで看病をしていたシャナも立ち上がり、マルティーナたちは共に部屋を後にした。
マルティーナが背負うものは、エクレアへの恩義だけではない。
仲間の未来――その灯火までもが、静かに彼女の双肩に託されていた。
しかしその歩みは重くなく、むしろ光の中を進むかのようだった。
【小国ロナ 港町ホークテイル】
アンヘイムを出立してから、一ヶ月と数日が過ぎていた。
旅の疲れは確かにあったが、それ以上に、彼らの歩みに宿る意志は揺るぎなかった。
彼らが辿り着いたのは、アンヘイムから陸路で北西へ810km――
中立国ロナの港町、ホークテイル。
潮風が吹き抜けるこの町は、かつて空の民と海の民が交わった“風の門”と呼ばれた場所。
今は交易と密談の交差点として、静かにその羽を広げている。
ここから先は、いよいよグラティア教のエリアだ。
それは、法も秩序も意味を失う地。
信仰が空間を支配し、器が剥き出しにされる審問の領域。
この地では、契約も血統も通用しない。
あるのは、魂の拍動が真に響くかどうか――その一点のみ。
祈りは剣より鋭く、沈黙は裁きより重い。
器が試されるとは、その存在が“神の目”に耐えうるかを問われること。
グラティア教のエリアは、
信仰の荒野であり、器の審級であり、物語の裂け目でもある。
マルティーナたちは、海の向こうに待つ運命を見据えながら、
この港町で束の間の準備と、最後の静寂を味わっていた。
カァー、カァー……。
空には無数の海鳥が舞い、そのけたたましい鳴き声が港の喧騒に混じり合っている。
潮の匂いと魚の叫び、荷運びの怒声と笑い声――すべてが、風の器に溶けていた。
ベチャッ。
一行の先頭を歩いていたリバックの兜の天辺に、白いものが落ちた。
だが、彼は全く気づかず、堂々と歩き続けている。
その背中は、まるで何事もなかったかのように、誇り高く、真っ直ぐだった。
その後ろで、シャナが必死に笑いを堪え、肩を震わせていた。
彼女の笑いは、港の風に紛れて、誰にも気づかれないようにこぼれていく。
「……ふっ……くくっ……」
「……どうした、シャナ?」
彼女がプルプルと震えながらリバックの頭上を指差す。
隣を歩いていたロゼッタもその光景に気づき、ついに噴き出した。
「あははっ! リバック、あなた鳥にまで好かれているのね!
とっても“神聖”な飾りがついてるわよ!」
その声に、リバックはようやく兜に手を伸ばす。
指先に触れたぬるりとした感触に、彼の顔がみるみる赤く染まった。
「うわっ!? なんだこりゃ! マジかよ、よりによってなんで俺の頭にだけ……!」
慌てて布を取り出し、「神聖な飾り」をゴシゴシと拭き始める。
普段の威厳はどこへやら、子供のような狼狽ぶりに、
一行の間から久々の笑い声が弾けた。
それは、港の風に混じって舞い上がり、
旅路の器に差し込まれた、ささやかな祝福のようだった。
この束の間の平穏が、これから始まる過酷な旅路への、
最後の餞となることを、彼らはまだ知らなかった。
潮の香りと異国の香辛料の匂い、
そして巨大な起重機が軋む音が、この街の空気を編んでいた。
港の広場では、旅人たちが屋台の串焼きを頬張り、果実酒を傾けている。
笑い声と波の音が交差し、風がそれらをひとつに溶かしていく。
シャナは香辛料の効いた魚串を一口かじり、目を細め。
「……しょっぱい。海の味ね」
マルティーナは、波打ち際に立ち尽くしていた。
故郷は、遠い東方の地。丘と山に囲まれた国だったので、海を見たことはなかった。
潮風が髪を揺らし、波の音が胸の奥に響く。
「塩の匂い波の音……これが、海」
その声は、誰に向けたものでもなく、
**器の底から零れ落ちた、初めての海への祈りだった。**
リバックは、船乗りの老婆から干し果物を受け取り、無言でマルティーナに手渡す。
それは言葉の代わりの贈り物であり、**旅の無骨な祝詞**でもあった。
ロゼッタは、港の子供に「王女様だ」と囁かれ、
微笑みながら、そっと帽子を深く被る。
**その仕草は、王家の器を隠すためではなく、守るためのものだった。**
ゲオリクは、起重機の軋む音に耳を澄ませながら、遠くを見ていた。
その眼差しは、過去の戦場を越え、まだ見ぬ未来の器を探していた。
そして一行は、港のざわめきを背に、
スタンヘーブン行きの大型定期船に乗り込んだ。
**風が変わる。器が揺れる。**
ホークテイルの空は、彼らの旅路に、静かな祝福を送っていた。
【北の海原へ】
出航して数日は、穏やかな旅だった。
ザアア……ザアア……。瑠璃色の海面を、船は滑るように進んでいく。
甲板に立てば、心地よい潮風が頬を撫でた。
マルティーナは手すりを握りしめ、その光景をただ茫然と見つめていた。
どこまでも、どこまでも続く、青。
山々に囲まれた故郷マーブルでは、決して見ることのできなかった――世界の果てを示す水平線。
(……世界は、こんなにも、広かったのですね……)
その雄大な光景に畏敬の念と、自らのちっぽけさを感じながら、彼女は静かに瞳を伏せた。
だが、航海が二週間目に入る頃、海の表情は一変する。
空は鉛色の雲に覆われ、穏やかだった海面は黒く染まり、牙を剥いた獣のように荒れ狂い始めた。
ゴオオオオオッ!
凄まじい風が帆を激しく打ち付け、船体を大きく揺らす。
ザッパアアアアンッ!!!
山のような高波が甲板に叩きつけられ、船はミシミシと悲鳴のような軋み声を上げた。
マルティーナは再び手すりを握りしめた。
だが、先ほどまでの静かな畏敬とは違う。
今、彼女の胸にあるのは――世界の広さに呑まれそうな、圧倒的な恐怖だった。
船室にいても立っていることさえままならず、ゲオリクとリバックがその巨体でマストや船壁に身体を預け、人間錨となっていた。
船乗りたちの悲鳴と、風の咆哮、そして船体が軋む断末魔が、地獄の交響曲のように響き渡る。
嵐は、三日三晩続いた。
多くの船員が船酔いで倒れ、一行も心身ともに疲弊しきっていた。マルティーナは何度も甲板へ駆け上がり、熟練の船乗りたちと共に荒れ狂う波と格闘した。その王族とは思えぬ献身的な姿は、絶望しかけていた船員たちの心に、小さな、しかし確かな勇気の灯をともしていた。
そして、嵐が嘘のように去った朝。
見張りの一人が、かすれた、しかし歓喜に満ちた声を上げた。
「――港だ! ノルアークの港が見えるぞ!」
アンヘイムを出立してから、実に二ヶ月近く経っていた。
一行が甲板に出ると、そこにはこれまでのどの港とも違う、荘厳で、しかしどこか冷たい北の港町の姿があった。
肌を刺すような、凍てついた空気。
海鳥の姿はなく、代わりに灰色の巨大な軍艦がいくつも停泊している。その威容は、この国が常に臨戦態勢にあることを黙して語っていた。
ロマノス帝国の北の玄関口――『ノルアーク』。
ついに、彼らは敵の懐深くへと、その足を踏み入れたのだ。
ここから先は、もう後戻りはできない。
マルティーナは、冷たい風に髪を揺らされながら、静かに目を閉じた。
風の中に、これから始まる過酷な戦いの匂いを感じる。
そして、その遥か彼方――この旅の果てにあるはずの、凍てついた希望の光を。
それはまだ遠く、まだ冷たい。
だが、確かにそこにあると、彼女の器は告げていた。
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経済戦争、そして法廷という名の戦場
【ロスコフ32歳 - 首都アンヘイム ワーレン邸 書斎】
「……つまり、現状、我々が必要とする特殊合金の供給ルートは、完全にヴェルマル商連に押さえられている、と」
ノベルは机上の複雑な相関図を指し示しながら、冷静に分析を進めていた。
隣で、ラージンが苦々しい表情で付け加える。
「うむ。そして、カルドレイ交易会もそれを好機と見て、他の資材の価格をじわじわと吊り上げてきておる。……完全に足元を見られておりますな」
書斎の主であるロスコフは、そんな二人の会話をどこか他人事のように「ふむふむ」と相槌を打ちながら聞いていた。
だが、その声に実感はなかった。
彼の頭の中は、今しがた閃いた新しいシギル複写機の設計のことで九割が埋まっていたのだ。
残りの一割は、空白ではなく、器の密室を守るための遮断膜。
今は他の事など、上の空で、何も入らない。何も響かなかった。
彼の思考はすでに、鋼鉄と魂を繋ぐ新たな器の胎動に没入していた。
外界の声は、ただの風。
書斎は、設計の密室と化していた。
魔導アーマー開発が本格化して以来、ロスコフは新たな、そして全く不得手な戦場に立たされていた。血の流れない、しかしより熾烈な経済戦争の渦中に。
当初、ロスコフは「では、もっとお金を払えばいいのではありませんか?」と悪びれもなく提案し、ノベルとラージンに同時に深いため息をつかせたものだ。
「――ロスコフ様。よろしいでしょうか」
ノベルが居住まいを正した。「この戦の指揮は、どうか我々にお任せいただけますまいか」
「え? ええ、もちろん。僕はどちらでも……」
ロスコフにとっては、必要な部品が必要な時に工房に届けば、それで良かった。
その日を境に、ワーレン邸の書斎は魔導アーマー開発司令部であると同時に、対ギルド経済戦争の静かなる作戦司令室と化した。軍師はノベルとラージンだ。彼らはロスコフの名の下に、情報と利益を武器に、リバンティン公国の経済地図を静かに塗り替えていった。
【ロスコフ32歳 - 半ば】
ノベルとラージンという二人の軍師を得て、ワーレン家を取り巻く経済戦争は驚くほどに鎮静化していた。工房の天才は、再び心置きなく研究に没頭できる。誰もが、そう信じていた。
だが、敵は決して眠っていてはくれなかったのだ。
「―――ワーレン侯爵家に、法相院より、正式な『査察令状』が発行されました!」
その凶報がエイゼンの『特別調査室』からもたらされたのは、ある晴れた日の午後だった。
書斎に集まったロスコフ、ノベル、ラージンの顔から血の気が引く。
「査察……だと……!?」
ラージンが呻いた。
「馬鹿な! 通常、貴族家への査察には、まず評議会での問題提起が……!」
「その手続きを、全てすっ飛ばしてきやがったんです」
エイゼンは苦々しい表情で続けた。「トルーマン公が、南部の彼に与する貴族どもと連合を組み、『国家予算の不正使用及び、反乱を企てるための兵器開発』という、とんでもねえ罪状で法相院に直接訴えやがった。ルール上、これを受理されちまったら……」
もう、隠し通せない。
査察官があの工場に一歩でも足を踏み入れれば、魔導アーマーが世に晒されてしまう。国の最高機密が完成前に国内の全ての貴族の知るところとなり、リバンティン公国は内側から内部分裂を引き起こす可能性もあるだろう。そして、その情報は必ずやラガン王国にも漏洩してしまう。
査察は、早期開戦の引き金そのものだった。
プロジェクトは完成する前に開戦となり、数が揃わぬままアンヘイムは戦火に包まれる。そうなれば、陥落は免れない。
ロスコフが心の底から恐れていたのは、まさにその一点だった。
アンヘイムが破壊されれば、愛するアンナや仲間たちの安全はもちろん、何よりも――この、魔導アーマーという我が子とも言うべき研究が、永遠に頓挫してしまう。それだけが、彼にとって耐え難い絶対的な恐怖だった。
「……汚い手を……!」
ノベルがこれまでにないほど激しい怒りを込めて机を叩いた。
水面下での物理的な妨害工作がエイゼンたちの活躍によって阻まれた今、トルーマン公は次なる手を打ってきたのだ。「法」という、決して力では覆せない剣をロスコフの喉元に突きつけて。
「……どうすれば……」
ロスコフは顔面蒼白だった。こういう時、彼の天才的な頭脳は全く役に立たなかった。
「……方法は、三つ」
エイゼンが冷静に指を折った。
「一つ。トルーマン公を“消す”。だが、確実に内乱になる。最悪の一手だ」
「二つ。国王陛下にご英断を仰ぐ。だが、それをやれば『このプロジェクトは王家が法を捻じ曲げてでも守らねばならんほど重要だ』と大声で教えてやるようなもんだ。次に来るのは間違いなく国家レベルの暗殺部隊になる。……これもまた、下策だ」
「……では、三つ目は?」
ロスコフが、すがるような目で尋ねる。
「三つ目」
エイゼンは、ニヤリと、しかしその瞳は全く笑わずに言った。
「トルーマン公に、自らの手で、その**“訴えを取り下げさせる”**のさ。誰にも気づかれず、水面下で、静かにな」
「そんなことが、可能か!?」
ラージンが身を乗り出す。
「可能かどうかじゃねえ。やるしかない」
エイゼンは立ち上がった。
「ロスコフ様。あんたはいつも通り工房で、何も知らないふりをしていてくれ。ノベルさんとラージン翁もだ。……これは、俺たち『特別調査室』の、本当の初仕事になる」
彼は書斎を出ていく間際、振り返って言った。
「査察官が、ロスコフ様の工場の門を叩くのは、おそらく三日後。それまでに、必ず全てを終わらせてみせる」
残された時間は、わずか三日。
相手は法という最強の盾に守られた四公爵の一人。
誰もが不可能だと思った。だが、エイゼンの瞳の奥には、この絶望的なゲームをひっくり返すための、恐るべき「切り札」の光が確かに宿っていた。
監視する瞳と、鉄屑の掟
【ワーレン邸 書斎】
「――査察官が、ロスコフ様の工場の門を叩くのは、おそらく三日後。それまでに、必ず全てを終わらせてみせる」
あまりに大胆な宣言を残し、エイゼンは書斎を後にした。残されたロスコフたちは、ただその背中にこの国の未来を託すしかなかった。
【同刻 - ワーレン邸 主人夫妻の寝室】
アンナは寝室の窓辺に立ち、中庭を横切っていくエイゼンの小さな後ろ姿を静かに見つめていた。
彼女の美しい顔に、いつもの穏やかな微笑みはない。ただ、自らの領域に侵入してきた異物を値踏みするかのような、冷徹な光だけが宿っていた。
(……面白い男。私の旦那様の役に立つのかしら? それとも、いずれその牙を剥く、ただの害虫かしら?)
彼女は部屋の中央に置かれたアンティークの姿見の前へとゆっくりと移動した。そして、その白く滑らかな指先で鏡の表面に複雑で禍々しい紋様を描き始める。
それは、高位悪魔が使う古語――**秘密の印章『ホタム・ソーディ』**。
「――レエ・バ・マルアー」(鏡に、映せ)
彼女の唇から紡がれたその言葉は、囁きでありながら、空間そのものを支配する呪文だった。
空気が震え、光が歪み、鏡の奥に何かが蠢き始める。
「――エト・ハネスター」(隠されたるものを、顕現せよ)
その瞬間、鏡はただの反射面ではなくなった。
それは、**魔妃の器が世界に裂け目を刻む“顕現の門”**。
隠されたるもの――記憶、魂、契約、あるいは血統の胎動――が、静かに姿を現そうとしていた。
ブォン……。
呪文が完成した瞬間、姿見の鏡面が一瞬だけ黒く、そして深く、まるで水面のように揺らめいた。
その揺らぎは、空間の皮膜が剥がれる音。
この瞬間から、この鏡はもはやただの鏡ではない。
**“オクルス・マルア”――魔妃の監視の目。**
エイゼンという男がどこで何をしようとも、その全てを“覗き見る”ことができる、
彼女だけの観測装置となった。
(さあ、見せてちょうだい、エイゼン。《影穿のアーキス》とやら)
アンナは鏡に映る自らの完璧な微笑みを見つめながら、心の中で静かに呟く。
(貴方が、私の旦那様の物語を彩るに足る、**有能な“役者”**なのか。
それとも、ただ舞台から引きずり下ろされるべき、**哀れな“端役”**なのかを)
その瞳には、聖なる印を持つ者以外、すべてを見通す――
**悪魔の審美と冷徹が宿っていた。**
それは、舞台の構造そのものを選別する、**魔妃の審級**。
そして、物語の器を揺るがす“観測”の始まりだった。
【アンヘイム郊外 工場近くの酒場、深夜】
エイゼンが向かったのは、工場の裏手にある労働者たちが集う即席の酒場だった。
扉を開けると、ワッという熱気と安酒の匂い、そして男たちの怒声と笑い声が彼を包み込む。エイゼンがカウンターに腰を下ろした瞬間、店の空気がピタリと一瞬だけ凍り付いた。この男がただの監督官ではないことを、ここにいる全ての者が肌で感じ取ったのだ。
エイゼンは金貨を一枚カウンターに滑らせる。バーテンダーは意味を理解し、無言で奥の席へと顎をしゃくった。
奥のテーブルでは三人の男たちがポーカーに興じている。その中の一人、顔に大きな火傷の痕跡がある巨漢の男。彼こそが、この工場の職人たちをまとめ上げ、その裏の顔も知り尽くす、“鉄屑の”キグナスだった。
エイゼンはキグナスの向かいの席に音もなく腰を下ろした。
キグナスは手元のカードから目を離さずに言う。
「……何の用だ、調査室の旦那。ここは、あんたのようなお偉方が来るところじゃねえ」
「仕事の、依頼だ」
エイゼンは静かに言った。
その言葉に、キグナスは初めて顔を上げる。
その目は、長年溶鉱炉の炎を見つめてきたかのように、赤く、鋭い光を宿していた。
「……ほう? 俺たちに仕事だと? 内容によるな」
エイゼンは、テーブルの上に一枚の羊皮紙を滑らせる。
そこには、ただ一つの名前と役職が記されているだけだ。
『南部公爵 トルーマン』
キグナスの目が、興味深げに細められる。
「……随分とデカいヤマだな。あんた、一体何を企んでる?」
エイゼンはそれには答えなかった。
ただ、懐から小さな、しかしずっしりと重い革袋を取り出す。
ジャラリ――金貨が擦れ合う甘い音が、空気を変える。
それは、契約の鐘。器の審問が始まる合図だった。
「手付金だ。仕事は、簡単だ」
エイゼンは静かに、しかし有無を言わせぬ響きで告げる。
「――トルーマン公爵が、**“絶対に隠しておきたい、過去の汚点”**を、三日以内に探し出してきてもらいたい。
手段は、問わん」
その言葉は、炎の器に火を灯す呪文だった。
キグナスの瞳に、再び溶鉱炉のような光が宿る。
**この依頼は、ただの仕事ではない。器の限界を試す、審問の火種だった。**
そのあまりに無謀で危険な依頼。
キグナスはしばらくエイゼンの顔と金貨の袋を交互に見比べていた。
やがて、彼はニイッと、その醜い火傷の顔を獰猛な笑みに歪ませた。
「……面白い。その仕事、乗ったぜ」
エイゼンの切り札。
それは、彼が持つ《穿影の瞳》という異能の力だけではなかった。貴族たちが眉をひそめる裏社会の掟。金と暴力と僅かな義理人情だけで人が動く、この世界の不文律。その全てを、彼は肌で、魂で知り尽くしていた。
それは彼の**「育ちの悪さ」**が授けた、もう一つの才能だった。
【同時刻 - ワーレン邸 主人夫妻の寝室】
アンナは寝室の姿見に映し出される光景を、静かに、そして興味深げに見つめていた。鏡面には鉄と石炭の匂いが漂ってきそうなほどリアルに、あの工場の裏の酒場の光景が映し出されている。
(……“鉄屑の”キグナス。なるほど、この地区の薄汚いネズミたちの元締めというわけね)
彼女はエイゼンが金と、そして相手の欲望を巧みに突きながらキグナスという駒を手懐けていく、その一連のプロセスを完璧に観察していた。
貴族であれば威圧し、命令するだろう。騎士であれば正義を盾に協力を強要するかもしれない。
だが、エイゼンは違う。
彼は相手と同じ泥水の高さまで自らの目線を下げている。脅しもしない。媚びもしない。ただ、対等な「ビジネス」の相手として、互いの利益がどこにあるのかを淡々と、しかし確実に提示していく。
「――トルーマン公爵が、**“絶対に隠しておきたい、過去の汚点”**を、三日以内に探し出してきてもらいたい。手段は、問わん」
その、あまりに大胆で的確な要求。
そして、キグナスがその獰猛な顔を会心の笑みに歪ませた、その瞬間。
アンナの赤い唇の端にも、初めて本物の感嘆の色が浮かんだ。
(……まあ。やるじゃないの、あのシーフ)
彼女はこれまで、エイゼンをただ「ロスコフの役に立つ、危険な害虫」程度にしか見ていなかった。だが、今鏡に映る彼の姿は違って見える。彼はただのシーフではない。光の当たる場所では決して生きられないが、闇の中であれば王や騎士以上に雄弁に、そして確実に物事を動かすことができる、**「闇の調停者」**の資質を確かに持っていた。
(私の旦那様は光の舞台で輝く最高の主役。そして、この男は、その舞台の下で全ての障害を排除する最高の裏方……)
アンナはうっとりと、その完璧な配役を思い描いた。
(ええ、いいわ。とても、いい。あなたなら、私の旦那様の物語をより一層、面白くしてくれそうね……)
彼女は鏡に映るエイゼンの姿に満足げに頷いた。
悪魔の評価は、覆った。
エイゼンはもはや、いつか始末すべき「害虫」ではなくなっていた。
ロスコフの輝かしい未来のために存分に利用しえる、*“有能な駒”**として、確かに認められたのだ。
設定。
今回出てきた、闇の恩律主とは。 恩律記官 <<<恩寵導師<<恩寵導主 <闇の恩律主
グラティア教の中の序列では、神人と呼ばれる死刑執行と同じく最高レベルに位置している者です、これより上位は、五芒星の5神しか居ません、こいつは 五芒星の1神、律恩の創主/魂契の源霊 系当の人間です。
魔導アーマーの種類。
1.【セントリス】(標準型)
分類: 標準型・汎用機
特徴: 攻撃力、防御力、機動力の、バランスに、優れた、最も、基本的な、機種。
役割: 戦場の、中核をなす、主力量産機。
備考: ゲーリック、クーガー、そして、新人の、ルーカスが、搭乗するのは、この【セントリス】型を、ベースとした、カスタム機であると、推測される。
2.【イグニス】(軽量高機動型量産機)
分類: 軽量・高機動型
特徴: 装甲を、犠牲にして、機動力と、瞬発力を、極限まで、高めた、機種。
役割: 偵察、奇襲、そして、敵陣への、一点突破を、得意とする、遊撃機。
備考: 搭乗するには、高い、操縦技術と、空間認識能力が、要求される。
3.【グラディウス】(重装甲防御型)
分類: 重装甲・防御特化型
特徴: 機動力を、大幅に、犠牲にし、その、リソースの、全てを、**“圧倒的な、防御力”**に、注ぎ込んだ、機種。その、装甲は、並の、攻城兵器の、直撃にも、耐えうるとされる。
役割: 防衛線の、要となる、“動く、城壁”。あるいは、味方を、守るための、絶対的な、盾。
備考: アンヘイム防衛戦において、**《城壁のグラディウス》**の、異名を持つ、リバックが、この機種の、搭乗者として、期待されている。彼の、能力との、相性は、計り知れない。
長文を最後までよんでくださりお疲れ様でした、また続きを見かけたら読んでみて下さい。




