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未知の鼓動

ある種の能力に秀でた者二人は、互いの知識に惹かれ合い、一つの夢を見ると事になっていた、それは初め、たたの鉄の鎧かと思われたが、詳しく見てみると、一言では語れない繊細な技術と秘術が融合した、今までにない、初めて見る代物だった、ノベルは......。 

         その154




二人の天才の邂逅


アンヘイムでの日々が数日過ぎた頃、ワーレン邸の住人たちは奇妙な光景を目にすることになった。

侯爵家の主であるロスコフと、客人の一人である学者風の男ノベルが、まるで昔からの学友のように昼夜を問わず書斎で議論を交わしているのだ。


きっかけは些細なことだった。


ロスコフが自室にこもり、ある古代文献の解読に頭を悩ませていた時だった。


「……くそっ、この古代ルーンの派生形がどうしても解読できない……!」


そこに、たまたま通りがかったノベルがその羊皮紙を覗き込んだ。


「ああ、侯爵。それはおそらく『生贄の迷宮』下層で使われていた、儀式用の古語と同種のものですね。意味は『魂の定着』。……少し、お貸しいただけますか?」


その日を境に、二人の関係は急速に深まっていった。


ロスコフは、ノベルが持つ書物の上だけではない、自らの足で世界を歩きその目で真理を確かめてきた「生きた知識」に、純粋な尊敬と興奮を覚えていた。

一方、ノベルもまた、ロスコフの一つの分野を常軌を逸したレベルまで深掘りする、その狂気的とも言える探究心と天才的な発想力に、学者として嫉妬に近いほどの感銘を受けていた。


そして、運命の日。


書斎での議論がひと段落した時、ロスコフはどこか意を決したような、それでいて少し照れくさそうな表情でノベルに切り出した。

「……あの、ノベルさん。もしご迷惑でなければ……貴方にだけは、お見せしたいものがあるんです。見て、いただけますか?」


その、まるで子供が自分の宝物を見せるかのような純粋な申し出に、ノベルは興味をそそられ、静かに頷いた。


ロスコフは初めて、盟友であるリッツ侯爵とプロジェクトの依頼主であるルクトベルグ公爵以外の客人を、あの地下工房へと招き入れた。

そこはおよそ侯爵家のものとは思えぬ、油と金属の匂いが充満する手狭で雑然とした空間だった。壁には所狭しと設計図が貼られ、床には工具や金属パーツが散乱している。

そして、その部屋の空間のほとんどを占めるように、天井から伸びる幾つもの太い鎖で無数のパーツが組み合わされた『それ』は、まるで巨大な骸のように吊り下げられていた。


未完成の、鉄の巨人。

ノベルは、その圧倒的な、そしてどこか冒涜的な存在感を前に言葉を失った。


彼の学者の脳が、目の前の光景を理解しようと猛烈な速度で回転を始める。


(……なんだ、これは……? ゴーレムではない。あれほど良質な魔晶石を動力源としながら、その力を物理的に伝達するための歯車や機構メカニズムがほとんど見当たらない。まるで、人間が纏うただの巨大な空洞の鎧……)


ノベルの学者の目が、その鎧の内側に刻まれた無数の、そして恐ろしく緻密な紋様を捉えた。


(……いや、違う! この鎧の“内部”そのものが、一つの巨大な術式フォーミュラになっているのか! この全身に刻まれたシギルの緻密さ……これは、動力で動かす機械ではない。鎧そのものを一つの魔法として発動させるための……“増幅器”……!)


彼はその悍ましくも天才的な発想に、背筋が粟立つのを感じた。

これは機械ではない。人が中に入り、自らの魂を直接接続することで、今まで人が無しえなかった未知の領域へと引き上げる魔導兵とでも言うべき、禁忌の祭壇だ。


彼はゆっくりとそれに近づくと、まるで古代遺跡に触れるかのように、その冷たい鋼鉄の脚部にそっと手を触れた。

「……侯爵。これは……一体……?」

その声は畏敬と、そして純粋な知的好-奇心に打ち震えていた。

「なんという……なんという、冒涜的で、美しい……!」


ノベルはその創造物の名も知らぬまま、ただその存在そのものが持つ、既存のあらゆる法則を破壊し新たな時代を創り出さんとする途方もない可能性に、学者として戦慄していたのだ。

だが同時に、彼の学者の目がその構造に潜む未知の危険性をも捉えていた。


「侯爵……一つだけ。この“魂の接続”という発想は、あまりに革新的で、そして危険だ。これほど高度な術式と人の魂が直接繋がった時、搭乗者の精神にどのようなフィードバックがあるのか……。それは、まだ……」


ノベルの問いは、この創造物の核心に触れるものだった。ロスコフは、初めてその核心を共有できる相手を得たことに僅かな興奮を覚えながら、真摯に答えた。

「ええ。それこそが、この研究における最大の課題であり、未知の領域です。シミュレーションではいくつかの危険な可能性も予測されている。だからこそ、解き明かしたいのです。人が人として、どこまで行けるのかを」


その言葉に、ノベルは改めて目の前の男の狂気的な探究心に感銘を受けた。彼は学者として、その革新的な構造とそこに秘められた途方もない可能性、そして計り知れないリスクを、一目で見抜いたのだ。


その日から、二人の議論の場は書斎から工房へと移った。

ロスコフが技術的な壁にぶつかるたび、ノベルが全く予期せぬ角度からその突破口を提示した。


「……シギルの魔力伝達効率がどうしても上がらないのです。通常の鉄や銅では、魔晶石から放出される膨大なエネルギーに耐えきれず、すぐに焼き切れてしまう。もっと魔力親和性と耐久性の高い金属があれば……」


ロスコフは、燃え尽きた金属線の残骸をピンセットでつまみ上げ、悔しそうに唸った。

その様子を見ていたノベルが、静かに口を開く。


「……侯爵。例えば、**黒鉄鋼ダークアイアン**はいかがでしょう? あれは極めて高い魔力耐性を持つと、古代の文献には記されていますが」


「黒鉄鋼!」ロスコフは顔を上げた。「ええ、もちろん知っています。ですが、あれは産出量が少なく市場に出回る量はかなり限定される。仮にそれなりの量を確保できたとしても、この巨体全てを覆う量など到底……」


そこまで言って、ロスコフははっと気づいた。

「……いや、待てよ。黒鉄鋼なら、我が家の鉱山でも少量ですが採掘されていました。かつて石炭や鉄を掘っていた古い坑道の方で……」


「ほう。それは興味深い」

ノベルは、ロスコフの言葉を引き取るように新たな可能性を示唆した。


「そもそも、侯爵。必ずしも機体の全てを黒鉄鋼で造る必要はないのでは?」

「と、おっしゃいますと?」

「ええ」ノベルは設計図の一点を指差した。「例えば、人間の身体における血管や神経のように、魔力が流れる主要な経路だけに糸のように細く加工した黒鉄鋼を**『芯』**として通すのです。そして、その周囲をより安価で加工しやすい銅や銀で覆い、シギルの一部として組み込んでみては? 魔力の『王道』を作るようなものです。全体の強度ではなく、あくまで伝達効率を上げるのが目的なのですから」


そのあまりに斬新な発想に、ロスコフの目が再び子供のような輝きを取り戻した。

「……血管……神経……王道……! なんということだ、ノベルさん! その発想は私にはなかった!」


彼はすぐさま工房の片隅に保管されていた数少ない黒鉄鋼のインゴットを引っ張り出してきた。そして二人の天才は、その日から昼夜を問わず新たな実験に没頭し始めたのだ。

黒鉄鋼を極限まで細く引き伸ばし、それを銅線に編み込む。失敗と試行錯誤を繰り返した末、ついに彼らは元の設計の数十分の一の量の黒鉄鋼で、理想を遥かに超える魔力伝達効率を持つ、新たな**『魔導神経網マナ・ナーヴ・ネットワーク』**を完成させたのだ。


それは、魔導アーマー開発におけるブレイクスルーと言える程の大きなジャンプだった。

圧倒的に不足していた幻の金属。その問題を、彼らは「量」ではなく、「知恵」で乗り越えてみせたのだ。

この成功が、二人の間に単なる協力者ではない、唯一無二のパートナーとしての固い信頼を築き上げたことは、言うまでもなかった。


だが、ロスコフとノベルが工房で新たな可能性に没頭している間、エイゼンたちが掴んできた情報は、そんな楽観的な空気を一変させるには十分すぎるほどに不穏なものだった。


その夜の食卓では、エイゼンが酒場『パンプキン』で仕入れた話を切り出した。

「……ロスコフ様。どうやら、貴方の領地の鉱山開発を快く思わない連中がいるようです」


彼は、ワーレン領へ向かうはずだった商船が「海賊」に襲われ、積荷の多くが無事だったにも関わらず、ロスコフが発注していた新型の魔晶石採掘装置に使う特殊な歯車や水晶レンズといった精密部品だけが、ピンポイントで破壊、あるいは盗まれていたという話を報告した。


「……なんだって?」

初めて聞く話に、ロスコフは眉をひそめる。これまでいくつかの資材の到着が遅れることはあったが、彼はそれを単なる手違いや不運だと全く意に介していなかったのだ。

「そんなことが、起きていたのか……」


「はい」エイゼンは続けた。「これは、ただの海賊の仕業ではないでしょう。連中は貴方が鉱山の生産量を上げようとしていることを正確に把握し、その上で最も替えの効かない部品を狙ってきた。……内通者か、あるいはかなり腕の立つ密偵を雇っているか、そのどちらかです」


タンガが拳を握りしめて言った。

「ロスコフ様! 当初は北へ向かうつもりでしたが、話は別だ! 俺たちがその邪魔者を突き止めて、ぶっ飛ばしてやります!」


その申し出に、ロスコフはようやく自らの置かれた状況の危険性をはっきりと認識した。これは、もはや研究室の中だけの問題ではないのだと。

「……そうか。私の注意が足りなかったな。領内の物流に、これほどの脅威が迫っているとは……」

彼の呟きには、研究者としてだけでなく、領地を預かる者としての悔しさが滲んでいた。


「……タンガ。そして、皆さん。ですが、それはあまりに危険です……」


「危険だから、俺たちがやるんですよ」

エイゼンが、ロスコフの言葉を遮った。「ロスコフ様は、ロスコフ様にしかできないことを。こういう薄汚れた仕事は、俺たちの専門分野です」


ロスコフは深く頭を下げた。

「……感謝します。ですが、ただでやってもらうわけにはいきません。プロジェクトの潤沢な資金から、皆さんを正式に雇用させてはいただけませんか?」


だが、エイゼンは静かに首を振ってその提案を断った。

「お申し出は大変ありがたいのですが、ロスコフ様、報酬についてはご心配には及びません。先のモナーク王国での一件で、我々は分不相応なほどのものを得ましたので。それよりも、俺たちがこうして申し出るのには、別の理由があるのです」


彼は、どこか遠い目をして昔の話を始めた。

「昔、ハイメッシュ島で、我々は手に負えない悪魔に追い詰められたことがあります。その窮地を救ってくださったのが、ワーレン家に仕えておられたロウさんと……それから、雷を操る腕利きの秘術師の方でした」


その名前に、ロスコフの目が見開かれる。

「ロウ爺たちのことか……。ああ、忘れるものか。あの時のことは、今でも鮮明に覚えている」


「ええ。あの方々がいなければ、俺たちは今頃ここにはいません。その命の恩人の主君であるロスコフ様のお力になることは、俺たちにとって、その時の借りを返すまたとない機会だと思っているんです」


その言葉に、ロスコフの目頭が熱くなった。彼は一度、侯爵としての体面を取り繕おうとしたが、込み上げる感情を抑えることはできなかった。今は亡き、祖父の代からの忠臣。そして、共に死線を越えた戦友。彼らの魂が、時を越えて今の自分を助けてくれているかのようだった。


「……分かったよ、エイゼン」

ロスコフは、一人の男として、笑顔で言った。

「では、報酬の代わりに、皆さんがこのアンヘイムに滞在する間、このワーレン邸を自らの家と思って、自由に使ってください」


エイゼンの言葉で場の空気は和み、皆がロウの思い出話に花を咲かせる中、ロスコフは一人グラスを傾けながら静かに呟いた。

「……祖父も、ロウ爺も、私のやっていることを見たら何と言うだろうか。無謀だと叱られるか、それとも……面白い、と笑ってくれるか……」


その夜の食卓は、今は亡き人々の武勇伝や、ロスコフの祖父との思い出話で、これまでにないほど大いに盛り上がったという。

こうして、エイゼンたち冒険者は、ワーレン家に仕える者としてではなく、ロスコフ・ワーレンという一人の男の「友人」として、彼の背後を守る、頼もしき「影の守護者」となったのだ。


神聖モナーク王国を出立してから数ヶ月。アンヘイムでの束の間の休息の後、冒険者たちの旅路は再び二つに分かたれた。


マルティーナ一行とリバックは、グラティア教の脅威が渦巻くリバンティン公国北部へ。


そして、タンガ、エイゼン、グリボール、パトリック、ロゼッタの5人は、ロスコフへの妨害工作の根源を断つべく、遥か西の港町ホエッチャへと、その馬を走らせていた。









   



【第一章:ホエッチャの足掛かり】


港町ホエッチャ。潮の香りに混じって、魚の臓物の腐臭と錆びた鉄の匂いが鼻をつく。石畳は常に濡れ、荒くれ者たちの怒声と、どこかから聞こえる酔いどれの歌が絶えず渦巻いていた。この街に到着してから、一週間が過ぎようとしていた。


タンガたちの調査は、完全に暗礁に乗り上げていた。ロスコフの商船を襲ったという「海賊」の噂は確かにある。だが、酒場の隅でその名を囁けば、誰もが呪いでも聞いたかのように口をつぐみ、その正体に繋がる手がかりは、まるで霧深い海に消えたかのように、何一つ掴めない。


「くそっ! 全然尻尾を掴めねえじゃねえか!」


安宿の一室で、タンガが苛立ちを隠さずにテーブルを叩く。この一週間、聞き込みで歩き回り、靴底はすり減るばかり。焦りが彼の心を蝕んでいた。


「落ち着け、タンガ」グリボールが、地図から顔を上げずに静かに諌めた。「相手はプロだ。これだけ用意周到に痕跡を消せるってことは、裏に相当な組織がついてる。焦りは禁物だ」


「だがよ、グリボール! ロスコフ様は待ってんだぜ。俺たちがこうしてる間にも、妨害は続いてるかもしれねえ!」


その時、夜の闇に紛れて情報収集に出ていたエイゼンが、音もなく部屋に戻ってきた。その口元には、疲労と確かな手応えが混じった笑みが浮かんでいる。


「……ビンゴだ。面白い『記憶』を、いくつか拾ってきたぜ」


エイゼンの《穿影の瞳》が、港のチンピラたちの記憶の“影”から、一つの重要な情報を抜き取っていた。連中が盗品を売りさばいた相手、その記憶の断片を繋ぎ合わせたのだ。


「盗まれた精密部品だが……昨夜のうちに、**『黒蛇号』**って名の、やけに速そうな船に積み込まれちまった後だ」


「黒蛇号じゃと……!?」


グリボールが、その名に眉をひそめた。その表情は、まるで遠い昔の亡霊の名でも聞いたかのようだ。


「その名、かなり昔に聞いたことがあるぞ。恐らく、十五年以上も前の話じゃ。確か、ラガン王国の方から流れてきた、とんでもなく腕の立つ船長が率いる一匹狼の海賊船だって話だったが……まさか、まだこの辺りにいやがったのか」


そんな長い歳月の間、この海に君臨し続けていたというのか。その事実に、グリボールは戦慄を覚えた。だが、エイゼンは静かに首を振る。


「いや、違うぜ、グリボール。『まだいた』どころか、話はもっとデカくなってる」


エイゼンはこの一週間、ただチンピラの記憶を漁っていたわけではなかった。彼の《穿影の瞳》は、酒場で交わされる古参の船乗りたちの何気ない会話の“影”に潜む、真の情報も見抜いていたのだ。


「今の『黒蛇号』は、あんたが知ってる頃の単なる海賊船じゃねえ。奴らは今、**大海賊連合『潮の契約者タイド・ブローカー』**に名を連ねる、この海域を任された有力な一派だ」


「『潮の契約者』じゃと!?」


グリボールの声に、純粋な驚愕が混じる。

「あの、特定の国家に与せず、かのロマノス帝国の軍艦でさえ、事を構えずに引き下がるという、海の怪物どもか! ただの噂話かと思っておったが、実在したとは……!」


「そうらしいな」エイゼンは頷いた。「ただの寄せ集めじゃねえ。統率の取れた海軍みてえな、大陸を跨ぐ程の巨大犯罪組織だ。今の『黒蛇号』は、その連合の一員として代替わりし、今じゃこの辺りの海で、その名を知らねえ奴はモグリ扱いさ。ここ数年で最も恐れられてる海賊船なんだとよ。何より、決して捕まらねえことで、な。奴らがその連合に加われたのは、古い宝の地図で莫大な富を手に入れ、その実力と富を認められたからだ、なんて噂だぜ」


エイゼンは不敵に笑い、テーブルに広げた古びた海図の一点を指差した。


「ああ。そして、その船がどこへ向かったか、見当はついてる。奴らの主な狩場は、この辺り。ホエッチャから、船で南へ――ラガン王国へと向かう、主要な海上交易ルートだ」


「そして、幸いなことに、明日の朝、その危険な海域を通り、ラガン王国唯一のまともな港町、フェルスタットへと向かう、数隻の船で組まれた商船団が出る」


「ラガン王国へ……?」


パトリックが、訝しげな顔で問い返す。


「ああ」エイゼンは、不敵に笑った。「黒蛇号が次に狙うのは、おそらくこの商船団だ。俺たちは、『腕利きの用心棒』として船団で一番積荷の良さそうな船に乗り込み、奴らが現れるのを、“待つ”のさ」

それは、あまりに大胆な作戦だった。餌のフリをして、鮫の口の中に自ら飛び込むようなものだ。


ラガン王国の港町フェルスタット。ホエッチャから海路、約九百㎞にある寂れた港だ。そこは、海岸線はやたらと長い癖に、技術力が低すぎて中型船が一隻しか着岸できないという、時代遅れの国の、唯一の玄関口となってんだってさ。


そんな場所へ向かう、長く、そして危険な航海。


「……面白い」

グリボールが、その口元に、獰猛な笑みを浮かべた。

「ただ追いかけるより、よっぽど性に合ってるぜ」


タンガは、仲間たちの覚悟が決まった顔を見て、自らの焦りを深く恥じた。そうだ、俺は一人じゃない。彼は強く拳を握りしめた。

「よし、決まりだ。準備しようぜ!」



【第二章:偽りの航海と海戦】


翌日、タンガたちは、ごく普通の旅の商人や用心棒を装い、南へと向かう大型商船『シーコンジャラス号』に乗り込んだ。船長は、彼らの屈強な体つきを見て安堵の表情を浮かべたものの、その目の奥には拭いきれない恐怖が滲んでいた。


数日間の航海は驚くほどに穏やかだった。昼は塩気を含んだ風が帆をはらませ、夜は満天の星が甲板を照らす。だが、船員たちの間では「黒蛇号が出る」という囁きが交わされ、その平穏は薄氷の上にあることを誰もが知っていた。エイゼンはロープの影に座し、その張り詰めた空気の下で無数の鮫が獲物の周りを旋回しているのを感じていた。


そして、航海が五日目を迎えた夜。

じっとりとした生温かい霧が立ち込める中、それは音もなく現れた。船体を黒く塗りつぶし、蛇のような紋章を掲げた、漆黒の海賊船『黒蛇号』。


「敵襲だぁぁぁっ!」


見張りの絶叫が引き金だった。**バシュッ! バシュッ!**と、無数の鉤縄が『シーコンジャラス号』の船縁に突き刺さり、それを伝って屈強な海賊たちが、獣のような雄叫びを上げながら次々と乗り込んでくる。


やはり海賊は一番良さそうな船『シーコンジャラス号』へと他は無視して乗り込んできた、この間に他の船は、必死にこの海域から離れていく.......。



キィン! ガキィンッ!

船上は、瞬く間に剣戟の音と怒声、そして船員たちの悲鳴が渦巻く戦場と化した。


「雑魚どもが、道を空けやがれェッ!」

その混沌の中心を、ずんぐりとした砲弾のような影が突き進んだ。グリボールだ。彼の《地砕きの魔斧》が唸りを上げる。


**ゴォンッ!**と、甲板に叩きつけられた一撃は、船体そのものを揺るがし、周囲の海賊たちをまとめて木っ端のように吹き飛ばした。


「ひ、ひいぃっ! 化け物だ!」


海賊たちが怯んだ、その一瞬の隙。


「――そこだ!」


タンガの拳が、怯んだ海賊の鎧を**バコンッ!**と紙屑のように砕き、パトリックの祈りが、負傷した船員を癒しの光で包む。


だが、その圧倒的な力の奔流を、まるで柳に風と受け流すように、ひらりと舞う影があった。

海賊たちの船長、カトラスだ。彼は、濡れた甲板を滑るように移動し、二振りの濡れ羽色のカトラスを手に、まるで死と踊るかのように刃を振るう。その動きには、長年この海で生き抜いてきた者の老獪さと余裕が滲み出ていた。


「……ほう。お前たち、ただの用心棒じゃねえな。その腕、どこで磨いた? 国に飼われる犬にしちゃあ、上出来だ」


船長は、ロゼッタの【烈風剣】が放つ真空の刃を、巨体に似合わない動きでいなしながら、楽しそうに言った。その瞳は明らかに彼女を侮っている。


「あなたこそ、その動き、ただの海賊とは思えないわね! 私たちは誰にも飼われてなどいない!」


「そうかい。だが俺ぁ思うね。王だの法だのに縛られて生きるより、こうして海のルール一つで生きる方が、よっぽど自由で人間らしいとな!」


ロゼッタもまた、その神業のような剣技に、背筋が寒くなるのを感じていた。

**ヒュオッ!**と風を切り裂く烈風剣の斬撃と、**キンッ! キンッ!**と軽やかに弾く二振りのカトラスの剣戟が、激しい火花を散らす。

だが、経験の差か、徐々にロゼッタが追い詰められていく。船長の剣は、まるで生き物のように、予測不能な軌道で彼女の急所を狙ってくるのだ。


「いい動きだ、お嬢ちゃん。だが、踊りってのはな、相手をリードしなきゃ、つまらねえんだぜ?」


船長のカトラスが、ロゼッタの頬を掠め、一筋の血が流れた。


その時、エイゼンは黒蛇号側の船倉へと向かう一団の動きを見逃さずに追っていた。(……)そこで彼が目にしたのは、さらに衝撃的な光景だった。海賊たちが、船倉の奥に隠されていた檻の中から、怯える数人の男女を引きずり出していたのだ。その腕には、奴隷であることを示す、**【フェドス・サンギニス】**の焼印が押されていた。


(……こいつら、奴隷商とも繋がってやがる!)


シーコンジェラス船上では、ロゼッタが最大の窮地に立たされていた。

(……このままじゃ、ジリ貧ね!)

彼女は、一度大きく後ろへ跳躍すると、剣を構え直し、深く、深く呼吸をした。そして、その手に握る相棒に、静かに語りかける。

(お願い、烈風剣。私に、もっと速さを……! あの人の、時の流れに、追いつくための力を!)


その祈りに応えるかのように、【烈風剣】に刻まれた風の精霊のルーンが、これまでとは比較にならない、鮮烈な翠の光を放ち始めた。


フオオオオオオオッ!


彼女の周囲に、風が渦を巻く。それは、もはや彼女が風を操っているのではない。彼女自身が、風の精霊そのものと化したかのようだった。


「……何!?」


船長の顔から、初めて余裕の笑みが消えた。目の前の少女の気配が、完全に変質したのだ。長年の経験が警鐘を鳴らす。これはただの小娘ではない、と。


「――今度は、私がリードさせてもらう番よ!」


次の瞬間、ロゼッタの姿が、掻き消えた。

いや、違う。風そのものになった彼女の動きを、伝説の海賊の動体視力でさえ、もはや捉えきれなくなっていたのだ。

ザシュッ!

船長の肩に、浅いが、確実な一撃が刻まれる。

「ぐっ……!?」

反応が、遅れた。若い頃ならば有り得ない失態。一瞬、脳裏に自らの衰えがよぎる。

反撃しようと振り返るが、そこにロゼッタの姿はない。

ザンッ!

今度は、脇腹。見えない角度から、真空の刃が鎧の隙間を抉る。

「小賢しいわぁ……!」

船長は、やみくもにカトラスを振り回すが、その刃は、ただ虚しく風を切るだけだった。

そして、ロゼッタは、最大の勝機を見出す。

彼女は、一度だけ、あえて船長の視界にその姿を現した。それに反応し、船長が渾身の一撃を繰り出す。

だが、それは罠だった。

「遅い!」

船長の剣が空を切った、そのがら空きの胴体に、風の魔力を最大限に纏ったロゼッタの【烈風剣】が、深々と、突き刺さった。


「……がっ……は……」

船長は、信じられないという表情で、自らの胸を貫く剣を見つめた。


「……見事な……風だ……お嬢ちゃん……。お前の名、を……聞かせて……」

「……ロゼッタよ」


それを聞くと、黒蛇号の船長は、満足げに、しかし少しだけ悔しそうに、笑った。そして、その体は、ゆっくりと甲板に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。


主を失った海賊たちは、蜘蛛の子を散らすように撤退していく。

後に残されたのは、静けさを取り戻した船上で、荒い息をつきながら、血に濡れた剣を握りしめて佇む、一人の魔法戦士の姿だけだった。


「……おい、今のは、まさか……」

生き残った船員の一人が、信じられないという表情で、倒れた船長の亡骸に近づき、その顔を確かめた。そして、彼は恐怖に顔を引きつらせて絶叫した。


「“黒蛇”のカトラスだ……! あの、二十年以上もこの海に君臨してきた、伝説の『黒蛇号』のカトラス船長が……やられちまったぞ……!」


その名を聞いて、事情を知る他の船員たちも息を呑んだ。彼女がたった今、斬り伏せたのは、ただの海賊ではない。幾多の海軍や冒険者を退け、一つの時代を築き上げた、生ける伝説そのものだったのだ。



【第三章:アジトへの潜入】


激闘の末、タンガたちは海賊たちを撃退することに成功した。彼らの船長カトラスが倒されたのを見て、生き残った海賊たちは蜘蛛の子を散らすように撤退していった。

船倉から戻ったエイゼンは、『シーコンジャラス号』の船長に奴隷たちの保護を依頼した。恐怖で腰を抜かしていた船長は、エイゼンたちの活躍に涙ながらに感謝し、甲板にひざまずいて次の港で必ず彼らを解放することを固く約束した。


エイゼンは捕らえた海賊の一人の“記憶”を抜き取り、彼らのアジトがこの先の群島の一つ、『忘れられた島』にあることを突き止めた。

数日後、彼らは小舟を使い、夜陰に紛れてその島へと上陸。

そこは、天然の洞窟を利用して作られた、巨大な海賊の要塞だった。


「いいか、今回は絶対に戦闘はなしだ」

エイゼンは、逸るタンガを強く制した。「俺たちの目的は、ブツの奪還と、黒幕に繋がる情報の確保。それだけだ」


エイゼンの《影穿のアーキス》としての能力が、その真価を発揮する。彼は、要塞を包む見張り網の“隙”を見抜き、仲間たちを導いていく。だが、要塞の心臓部に近づくにつれ、彼の表情が険しくなった。


「……まずいな。この奥に、強力な呪術的な結界が張られてやがる。《穿影の瞳》でも、これだけ強い呪いを完全にすり抜けるのは無理だ。無理に通れば、警報が鳴る」


「何だって!?」タンガが声を潜めて言った。「じゃあ、ここまで来てお終いかよ」


「……いや」エイゼンは首を振った。「結界そのものを、一時的に無力化できれば話は別だ。なあ、パトリック。頼む、お前の出番だぜ」


これまで後方で静かに一行を守っていたパトリックが、静かに一歩前に出た。

「……やってみましょう。ですが、私の聖なる祈りがどこまでこの邪悪な呪いを抑え込めるか……。皆さんは、私が結界を抑えている間に、目的を済ませてください。あまり長くは持ちません」


パトリックは、洞窟の壁に手を当て、静かに目を閉じて祈りを捧げ始めた。すると、彼の体から放たれる柔らかな光が、目に見えない結界の禍々しいオーラと拮抗し、ギシギシと空間が軋むような音を立てる。


「行け!」

パトリックのかすれた声に促され、タンガ、エイゼン、ロゼッタ、グリボールの四人が結界の先へと駆け抜けた。


最深部には、宝物庫があった。

そこには、ロスコフから奪われた水晶レンズだけでなく、これまで彼らが略奪してきたであろう、山のような金銀財宝が積まれている。


そして、その中央のテーブルの上には、一通の羊皮紙が、無造作に置かれていた。

それは、黒幕であるトルーマン公爵からの、次なる指令書だった。

『――次の標的は、ワーレン領の鉱山そのもの。内部にいる協力者と連携し、坑道を爆破、崩落させよ』

「……これだ」

エイゼンは、その指令書を慎重に懐にしまう。


その時、彼の瞳が、宝の山の一角で、ひときわ異質な光を放つ、一つの小箱を捉えた。ホエッチャで聞いた「奴らは古い宝の地図を手に入れてから羽振りが良くなった」という噂が、脳裏をよぎる。


(……なんだ、この気配は……? まさか、あの噂の……)

彼は、まるで何かに導かれるように、その小箱へと手を伸ばす。

中に入っていたのは、古びた羅針盤だった。だが、その針は、北を指してはいない。それは、この世に隠された“秘宝”の在り処を指し示すという、伝説のアーティファクト、《星追いし者の羅針盤》だった。



【第四章:帰還】


目的の「情報」と、予期せぬ「お宝」を手に入れた一行は、パトリックが結界を維持しているギリギリのタイミングで、再び誰にも気づかれることなく海賊の要塞から脱出した。洞窟を出た時、パトリックの額には玉のような汗が浮かび、その顔は蒼白になっていた。


ホエッチャへと帰還した彼らの顔には、一ヶ月以上に及ぶ冒険の疲労と、それを上回る確かな達成感が刻まれていた。


「……さて、と」

エイゼンは、手に入れた指令書を広げた。


「最高の土産話ができたぜ。これを、ロスコフ様の元へ届けに戻ろう」

彼らの長く、そして危険な旅は、ついに終わりを告げた。

だが、それは、リバンティン公国を揺るがす、巨大な内乱の、本当の始まりに過ぎなかった。





最後まで読んでくださりありがとうございます。また続きを見かけたら読んでみてください。


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