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タンガの怒り

新しいだと? 地下へと続く螺旋階段状に作られた、大きな穴へと降りていったエイゼンとアシタガの二人は、祭壇の影で闇に溶け込み隠れていた、そこへ.......。

その150



沈黙の審問官


息を殺し、祭壇の影で闇に溶け込むエイゼンとアシタガ。


やがて、通路の奥から現れたのは、松明の光に照らされた三人の男たちだった。先頭に立つのは、市場で見た神官戦士――ミレス・サケルと同じ、豪奢な純白の鎧を纏った男。その後ろには、武装した兵士が二人、意識のない親衛隊員を荷物のように引きずっている。新たな「材料」の搬入だった。


「……これで今宵のノルマは達成だ。インクイジトル様への報告を忘れるな」

ミレス・サケルが、感情のない声で部下に命じる。


その名を聞いた瞬間、エイゼンの背筋に悪寒が走った。インクイジトル――異端審問官。それは、教団内部でも特に危険視される、拷問と尋問の専門家を意味する階級名だった。

まさにその時。

コツン、とアシタガの足元の小石が微かな音を立てた。


しまった、と思った瞬間には、もう遅い。ミレス・サケルが、獣のような速さでこちらを振り向いた。


「誰だッ!」

即座に動いたのはアシタガだった。影から飛び出し、一直線にミレス・サケルの喉元を狙う神速の突きを放つ。エイゼンも同時に、残る二人の兵士目掛けて投げナイフを放った。


連携は完璧なはずだった。

だが、アシタガの刃がミレス・サケルに届く寸前、彼の身体がまるで見えない壁に激突したかのように、ぴたりと動きを止めた。


「――無駄だ」

声は、全く予期せぬ方向から聞こえた。

礼拝堂の入り口。先程まで何もなかったはずの暗闇から、音もなく一人の男が姿を現していた。黒鉄の装飾が施された法衣に、表情の一切を窺わせない、沈黙の仮面。その男こそ、インクイジトルだった。


「この空間の音は、全て我が支配下にある。お前たちが立てた、あの小さな音もな」


インクイジトルが指を鳴らすと、アシタガが苦悶の表情を浮かべ、その場に膝をついた。彼の耳から、鮮血が流れ落ちる。音を操り、内耳を直接破壊したのだ。


「アシタガッ!」

エイゼンが叫ぼうとしたが、声が出ない。喉が締め付けられ、呼吸すらままならない。インクイジトルの視線が、今度はエイゼンを捉えていた。


「面白いネズミだ。まさかここまで侵入してくるとはな」

インクイジトルが歩を進めるたび、ミレス・サケルと兵士たちが、じりじりと包囲網を狭めてくる。


アシタガは、聴覚を奪われながらも、闘志を失ってはいなかった。歯を食いしばり、再び立ち上がると、今度はインクイジトル目掛けて斬りかかる。だが、その刃は空を切る。インクイジトルは、まるでそこに存在しないかのように、アシタガの猛攻をひらりひらりとかわしていく。


「速いが、それだけだ。お前の剣には、『殺意』という音がある」

インクイジトルが仮面の下で嘲笑ったかと思うと、アシタガの背後に回り込んでいたミレス・サケルの長剣が、その肩口を深く貫いていた。


「ぐっ……!」

激痛に体勢を崩したアシタガに、二人の兵士が組み付き、その自由を奪う。エイゼンもまた、声なき抵抗も虚しく、屈強な兵士たちによって地面に押さえつけられた。


迷宮を制覇した、最強のコンビ。その二人が、赤子の手をひねるように、いとも簡単に無力化されてしまった。


インクイジトルは、捕らえられた二人の前にゆっくりと膝をつくと、その仮面の奥から、底なしの闇のような視線を向ける。


「さて、始めようか。お前たちが何を知り、他に仲間が何人いるのか……その魂が砕けるまで、ゆっくりと聞かせてもらおう」


その頃、区画の外では、待機していた仲間たちの間に、絶望的な空気が流れ始めていた。

「……消えた」


茶屋で地図を睨んでいたノベルが、呟いた。


「エイゼンとアシタガの気配が、完全に消えました。まるで、最初からそこにいなかったかのように……!」

その凶報は、即座に公園のロゼッタたちにも伝えられた。誰もが言葉を失う中、ただ一人、タンガだけが違うものを感じ取っていた。


「……違う。消えたんじゃねえ」

タンガはテーブルに両手を置き、その瞳を閉じていた。彼の持つ秘宝《穿界者の残響》が、地中深くから響く、不吉な囁きを拾い上げていたのだ。


「もっと下だ……この地面のもっとずっと下で、とんでもなくデカい『穴』が、こっちを覗いてやがる……!」

タンガは目を見開くと、ノベルの指示を待たずに椅子を蹴って立ち上がった。


「待ってられねえ! エイゼンたちが、喰われちまう!」

彼の決断に、他の者たちも弾かれたように立ち上がる。タンガを先頭に、全員が区画の中心、あの不気味な倉庫へと突入した。


倉庫の内部は、静まり返っていた。床には、先程の戦闘で倒された怪物の黒い染みが残るだけ。

「どこだ……どこにいやがる!」

タンガが叫んだ、その時。彼の視線が、床の中央に開いた、深淵のような螺旋階段に吸い寄せられた。


下から吹き上げてくるのは、死と腐臭の混じった、地獄の空気。

誰もが、その圧倒的な邪気に息を呑む。だが、タンガの瞳に、迷いはなかった。

「……見つけたぜ。行くぞ、お前ら!」

仲間たちの返事を待たず、タンガは一人、その暗闇へと続く階段を、躊躇なく駆け下りていった。




穿界者の怒り


地獄とは、この場所のことだった。


インクイジトルの尋問は、人の精神を砕くための芸術だった。肉体的な苦痛を与えたかと思えば、不意にそれを止め、安堵した瞬間に再び奈落へ突き落す。その繰り返しは、やがて希望という光を内側から食い尽くしていく。


「……まだ喋らぬか、しぶといネズミどもめ」

インクイジトルは、火炉で数千度まで熱せられた鉄の焼印を、ゆっくりと持ち上げた。先端には、グラティア教の冒涜的な紋様が赤く輝いている。


「これでもまだ、口を閉ざしていられるかな?」

焼印が、意識朦朧とするエイゼンの顔面に押し付けられる。


ジュウウウッ、という肉の焼けるおぞましい音と、焦げ付く匂いが礼拝堂に満ちる。エイゼンの全身が激しく痙攣し、声にならない悲鳴が喉の奥でくぐもった。


(……くそっ……!)

彼の心は、折れてはいなかった。だが、その能力は、完全に封じられていた。

エイゼンの精神、その奥深くにある秘宝**《穿影の瞳》**は、世界の“隠された構造”を視る力を持つ。だが、このインクイジトルが操る「音」の力は、その天敵とも言える能力だった。

常人には聞こえない低周波の音が、エイゼンの思考そのものを霧散させ、集中力を奪っていく。そして何より、《穿影の瞳》が捉えようとする世界の“影”や“因果の裂け目”を、不協和音のノイズで掻き乱し、何も見えなくさせてしまうのだ。


(見えねえ……! 結界の“隙”も、こいつの“記憶”も、何も……! 相性が、悪すぎる……!)

そして、たとえ一瞬の隙を突いて能力を使えたとしても、どうする?

アシタガをこの場に残し、自分一人だけが脱出するのか?


そんな選択肢は、彼の頭かに即座に振り払われた。この背中合わせの相棒を見捨てるくらいなら、ここで共に朽ち果てた方が、遥かにマシだ。

だから、彼は耐える。

今は、耐えるしかなかった。


次は、アシタガだ。同じように、彼の顔も無慈悲な烙印によって焼かれていく。


「ぬあぁぁぁぁ。」 肉の溶けた臭みのある匂いが放たれたが、二人とも、もうそんな事には気が行かなかった。 一方、インクイジトルは、香ばしいにおいとでも言いたげに、クンクンと匂いを嗅ぎ、まるで楽しんでいるかの様子だった。  


それでも、二人は決して口を割らなかった。彼らの意識の片隅で、最後の希望が、か細い糸のように繋がっていたからだ。

(……タンガたちなら、必ず来る)

(あいつの〝力〟は、この地下の異変を、必ず嗅ぎつける……!)

その仲間への大きな信頼だけが、彼らの心をかろうじて繋ぎとめていた。

インクイジトルが、次なる拷問の準備を始めた、まさにその時だった。



頭上の螺旋階段から地響きのような雄叫びと、複数の足音が雪崩のように迫ってきたのだ。



「見つけたぜ、クソ野郎共!」

最初に礼拝堂に飛び込んできたのは、怒りに顔を歪ませたタンガだった。続いて、ノベル、ロゼッタ、グリボール、リバック、パトリック、モニカ――全員が、それぞれの得物を手に、殺意を剥き出しにしてなだれ込んできた。


彼らの目に飛び込んできたのは、祭壇に鎖で磔にされ、顔を焼かれ、無残な姿で吊るされている二人の仲間の姿。


その瞬間、彼らの怒りは臨界点を超えた。

「「「うおおおおおおおっ!!」」」

まだ残っていたミレス・サケルや武装兵たちが迎え撃とうとするが、もはや相手にならなかった。彼らはただの冒険者ではない。【ルビナ迷宮】の最奥を制覇した、スーパーAランクの実力者集団。


グリボールの戦斧が鎧ごと敵を砕き、ロゼッタの烈風剣が真空の刃を生み出し、モニカの魔法が稲妻となって敵を焼き尽くす。


阿鼻叫喚の中、グラティア教の兵士たちは、抵抗らしい抵抗もできず、瞬く間に殲滅されていった。

だが、その惨状の中心で、インクイジトルだけは不敵な笑みを浮かべたまま、静かに佇んでいた。


「ほう……ネズミはまだこれだけいたのか。だが、数がいくら増えようと、結果は同じこと」

インクイジトル(ヴァルド)が指を鳴らした瞬間、先程アシタガを襲ったものと同じ、不可視の音響攻撃が、礼拝堂全体を襲った。


「ぐっ……あぁっ!」

「頭が……割れる……!」

ノベル、グリボール、モニカ、パトリックが、耳を押さえてその場に膝をつき、激しい苦痛に顔を歪ませる。


リバックもまた、白銀の鎧でその大部分を防ぎながらも、内部に響く衝撃に歯を食いしばっていた。

だが、その空間の中で、二人だけが、その攻撃の本質に気づいて即反応を示した。


一人は、その攻撃が全く効かないタンガだった。

そして、もう一人は――魔法剣士のロゼッタ。


「……ッ!」

最初の衝撃波が襲った瞬間、ロゼッタもまた、激しい耳鳴りと頭痛に顔をしかめた。だが、彼女は他の者たちとは違っていた。その手に握られた曲刀【烈風剣】に刻まれた風の精霊のルーンが、敵の攻撃に呼応するように、淡い光を放ち始めたのだ。


(これは……音? いいえ、空気そのものの、強制的な振動……!)

その本質を見抜いた瞬間、ロゼッタの口元に、不敵な笑みが浮かんだ。

「あなたの相手は、少し相性が悪いみたいね」

彼女は、烈風剣を軽く一振りした。


その瞬間、ロゼッタの周囲の空気が、まるで凪いだ湖面のように、ぴたりと静止した。インクイジトルが放つ不協和音の振動は、彼女が作り出した「無風の領域」に届く前に、虚空へと吸い込まれ、完全に無力化されていく。


「な……にぃ!?」

インクイジトルの仮面の下で、初めて動揺の声が漏れた。自らの絶対的支配の象徴である「音」が、この女の前では意味をなさない。それどころか、彼女はさらに剣を構えると、その能力を仲間たちへと広げていった。


「風よ、静寂の帳を!」

ロゼッタが剣を大地に突き立てると、彼女を中心として穏やかな風の結界が広がり、膝をついていた仲間たちを包み込んだ。途端に、彼らを苛んでいた頭痛と耳鳴りが嘘のように消え去る。


「……助かった、ロゼッタ!」

「ありがとう……!」

仲間たちの感謝の声に、ロゼッタは軽く頷いた。


インクイジトルにとって、彼女は天敵だった。音を伝える媒体である「空気」そのものを支配する彼女の前では、彼の力は無に等しい。


「……面白い。面白い余興だ」

インクイジトルは、動揺を押し殺し、嘲るように言った。

「だが、音を封じたところで、この状況が変わると思うなよ」

彼の言葉を合図に、周囲に控えていたミレス・サケルと武装兵たちが、一斉に武器を構える。

だが、戦場の空気は、既に変わっていた。

絶対的な切り札を失った敵を前に、冒険者たちの瞳には、反撃の炎が再び燃え上がっていたのだ。


そして、ただ一人。

最初からその攻撃を全く意に介さず、静かにインクイジトルを睨みつけていた男がいた。

タンガだ。


インクイジトルは、理解を超えた現象を前に、焦りを覚えていた。ロゼッタの能力は厄介だが、それ以上に、このタンガという男から放たれる、地を揺るがすほどのプレッシャーが、彼の本能に警鐘を鳴らしていた。


タンガは、回復した仲間たちには目もくれなかった。彼の瞳は、ただ一点――無残に傷つけられたエイゼンとアシタガの姿だけを、焼き付けるように見つめていた。

そして、ゆっくりと、インクイジトルへと視線を移す。その瞳の奥で、地殻の奥底で眠るマグマのような、途方もない怒りが燃え上がっていた。


「……お前か」

タンガの声は、地鳴りのように低く響いた。

「俺のダチに……こんなことをしたのは、お前かァッ!!」

次の瞬間、タンガの全身から、凄まじい圧力が解放された。《穿界者の残響》が、主の怒りに共鳴し、その真の力を覚醒させる。


ゴゴゴゴゴ……!

礼拝堂の床が、壁が、天井が、まるで生き物のように蠢き始めた。

「な、なんだ、この力は……!? ばかな、私の音が……私の力が、お前には……!」

インクイジトルの顔から、ついに余裕が消え、恐怖が浮かび上がる。彼の絶対的な能力が、タンガが発する、より根源的で強大な「地」の振動の前に、かき消されていく。


「くそっこんな者に構ってられぬわ、まずは、あの忌々しい女からだ!」

インクイジトルは、天敵であるロゼッタを排除すべく、物理的な攻撃に切り替えようとした。

だが、その動きは完全に読まれていた。

「させん!」

リバックが雄叫びを上げ、巨大なスパイクシールドを構えて突進する。彼の巨体を狙ったインクイジトルの魔力弾が、シールドの魔法陣に阻まれ、火花を散らした。

その一瞬の隙。

インクイジトルの注意が完全にリバックへと引きつけられた、その背後で、タンガが静かに、しかし絶対的な宣告を下した。


彼の右手が、ゆっくりと地面に触れる。

「―――砕けろ」

その一言が、引き金だった。

インクイジトルの足元から、無数の巨大な岩の槍が、凄まじい勢いで突き出した。彼の身体は瞬く間に串刺しにされ、天高く持ち上げられる。命乞いの言葉を発する間もなく、岩の槍はさらに収縮し、圧縮され、インクイジトルの肉体を、骨を、存在そのものを、内側から粉々に粉砕したのだ。


最後に残ったのは、黒い塵となってサラサラと崩れ落ちていく、かつて審問官だったものの残骸だけだった。



【勝利の代償と次なる一手】


インクイジトルの最後の塵が闇に溶けて消えると、礼拝堂には死体すら残らない、不気味な静寂が戻った。音響攻撃から解放された仲間たちが、呻きながらも立ち上がる。


その中で、僧侶のパトリックは一目散に祭壇へと駆け寄った。そこに磔にされている二人の仲間の姿は、勝利の余韻に浸ることさえ許さないほどに、あまりに無残だった。


「へへ..ちと...遅かった..な!」 エイゼンはへへと薄ら笑いを浮かべながらこの位大丈夫だと言いたげに強がってみせた、一方アシタガの方は。「待ち...わびた...ぜ..頼む。」    

パトリックにそう言い、まだ意識を保っていた。 


「……これは、酷い」

顔面は焼け爛れ、皮膚は炭化し、拷問によって抉られた傷口からは未だに出血が続いている。パトリックは、通常の回復魔法では到底追いつかないと瞬時に判断した。彼は両膝をつき、目を閉じると、その身に宿す神聖な力の全てを解放すべく、荘厳な祈りの言葉を紡ぎ始めた。

「おお、光の御父ラーナよ、この地に癒しを……その御手にて、傷つきし子らを救いたまえ! **『サンティオ・プロヴェクタ』**ッ!」


パトリックの全身から、太陽のような温かい光が溢れ出した。その光は二人の身体を優しく包み込むと、信じがたい奇跡を現出させる。焼け爛れた皮膚が剥がれ落ち、その下から新しい皮膚が再生していく。ねじ曲げられた骨が正しい位置に戻り、おぞましい傷口がみるみるうちに塞がっていく。


やがて光が収まった時、エイゼンとアシタガの身体には、拷問の痕跡はほとんど残っていなかった。


「……助かったぜ、パトリック」

「……恩に着る」

二人は、まだ気怠さが残る身体をゆっくりと起こし、礼を言った。肉体的なダメージは完全に回復した。だが、精神に刻みつけられた恐怖と苦痛までは、いかなる魔法でも消し去ることはできない。


「エイゼン! アシタガ!」

タンガが、心配そうに駆け寄り、二人に肩を貸そうと手を差し伸べた。


だが、エイゼンはその手を軽く払いのけて。

「……よせよ、恥ずかしいだろ」

アシタガもまた、無言で首を振り、「不要だ」と目で訴えている。


その素っ気ない態度に、タンガは「ちぇっ、せっかく心配してやったのによ……」と口を尖らせたが、二人が無事だったことへの安堵からか、すぐに「まあ、いっか!」と一人で納得していた。


「感傷に浸るのは後です」

ノベルが、冷静な声で場を仕切る。


「この施設を徹底的に調べ上げて下さい。奴らの目的を探りましょう。一つも見逃してはいけません」

ノベルの指示のもと、一行は地下基地の探索を開始した。壁に張り付く無数の「蛹」、おぞましい拷問器具の数々、そして祭壇に残されたグラティア教の文書。それらは全て、この場所が単なる前線基地ではなく、ハミルトン侵略のための重要な拠点であったことを物語っていた。



それから数時間後。

パットン王の執務室には、再び冒険者たちの代表としてノベルが立っていた。彼の顔には、死闘を潜り抜けた疲労と、得られた情報の重みが刻まれている。


「――以上が、我々が確認した全てです、陛下」

ノベルは、淡々と、しかし克明に報告を続けた。


「教団の審問官、インクイジトル1名、神官戦士ミレス・サケル3名、およびその配下兵士を全て殲滅。地下には、人間を怪物へと変貌させる『製造工場』とも言うべき施設が存在していました。また、行方不明となっていた親衛隊員の制服も発見。彼らはおそらく……」


そこまで言って、ノベルは言葉を区切った。パットンは、静かに目を閉じてその報告を聞いていたが、ゆっくりと目を開くと、その瞳には燃えるような怒りの炎と、氷のような冷徹な決意が宿っていた。


「……そうか。犠牲が、出てしまったか」


王は、亡くなったであろう部下たちを悼むように、短く呟く。



報告を聞き終えたパットンは、静かに立ち上がると、窓の外に広がる自らの王都を見据えた。

「ノベル殿、そして君の仲間たちに、心から感謝する。君たちのおかげで、我々は敵の恐るべき計画の尻尾を掴むことができた。これは、『ハミルトン』にとって大きな一歩だ」


王は、窓の外の平和な街並みを見つめながら、静かに、しかし地殻の底から響くような怒りを込めて呟いた。


「……そうか。そこまで、我が国の民を愚弄してくれるか」

神聖モナーク王国は、信仰の自由を認めている。だが、その信仰の先で、民が魂無き怪物へと作り替えられていたという事実は、断じて許容できるものではない。それは、王に対する、そしてこの国の民全てに対する、最悪の冒涜行為だった。


パットンは振り返ることなく、執務室に控えていた側近へと、短く、しかし絶対的な命令を下した。


「全軍に通達。直ちに臨戦態勢に入れ。これより、我々は神聖モナーク王国の土を踏む、全てのグラティア教武装勢力を『敵』とみなし、これを討伐する!」


その決断は、かつてマーブル新皇国が最後まで下せなかった、あまりに大胆なものだった。背後に控える大国、ロマノス帝国との関係悪化も辞さないという、パットン王の鉄の覚悟が示された瞬間だった。


歴史が動く瞬間を目の当たりにしながら、ノベルは「……我々の役目は、終わったようだな」と静かに一礼し、執務室を辞去しようとした。


だが、パットンは彼を呼び止めるように、続けた。


「だが、これは始まりに過ぎん。本体はまだ、闇の中に潜んでいる」


王は振り返ると、ノベルに、そしてその向こうにいる全ての仲間たちに向けて、新たな戦いの始まりを告げた。


「休息を取ってくれ。だが、心づもりだけはしておいてほしい。近いうちに、君たちにもう一度、力を借りることになるだろう」


その言葉は、彼らがもはや単なる「依頼を受けた冒険者」ではなく、この国の運命を左右する戦いの、重要な「当事者」となったことを示していたのだ。


ノベルが、その言葉の重みを噛み締めようとした、まさにその時だった。


どこか遠くで、民衆のどよめきのような音が聞こえた。最初は、何か祭りでも始まったのかと思うような、漠然とした喧騒。だが、その音は急速に熱を帯び、やがて怒声と、甲高い悲鳴、そして建物が破壊される轟音へと変わっていった。


ゴゴゴゴ……!

王宮の床が、まるで地震のように微かに、しかし確実に震えている。


執務室の空気が、一瞬にして凍り付いた。パットン王の顔から為政者の冷静さが消え、一人の戦士としての険しい表情が浮かび上がる。


バンッ!と、執務室の扉が乱暴に開け放たれた。


そこに立っていたのは、鎧を血と泥で汚し、顔面蒼白となった伝令兵だった。彼の瞳は、信じがたいものを見た恐怖で見開かれている。


「も、申し上げますッ!」

兵士は、息も絶え絶えに叫んだ。

「大変です! 市街地に……市街地に、正体不明の巨大な化け物が現れましたッ!!」



「ちっ……!」


伝令兵の絶叫にも近い報告に、パットン王は忌々しげに舌打ちした。その瞳には、恐怖ではなく、読みを外されたことへの悔しさと、敵への燃え盛るような怒りが宿っていた。


「もうこちらの動きを察知して、先手を打って来たか! 姑息な真似を……!」


王は感傷に浸る間もなく、即座に戦士の貌へと切り替わった。


「指揮は私が直接とる! 今、直ちに動かせる兵の数は!」

「はっ! 緊急召集のため、今この場で動かせるのは、1000に満たないかと……!」

「構わん!」

パットンは即決した。


「お主は残りの兵を集め終え次第、後続部隊として駆け付けよ! 何としても市街地への被害拡大を食い止めるのだ!」

「はっ! 御意!」


伝令兵は王の気迫に押されるように一礼すると、新たな命令を伝えるべく執務室を飛び出していった。

嵐のような命令の後、パットンは静かにノベルへと向き直った。その顔には、一国の王としての苦渋が滲んでいる。


「見ての通り、完全に敵の術中にはまってしまったようだ。本来ならば、君たちには十分な休養を取ってもらわねばならぬ。先の戦いの功に報いるどころか、さらなる血を流せと言うのは、王としてあるまじきことだ。だが……」

王は、深く頭を下げた。


「この通りだ。どうか、もう一度、君たちの力を貸してはくれまいか」


その、あまりに真摯な懇願に、ノベルは静かに息を吐いた。もはや、断るという選択肢は、彼の中にはなかった。


「……承知いたしました。この国の危機、我々も座して見ているわけにはいきません」


そして、ノベルはリーダーとして、一つの条件を付け加えた。


「ただし、陛下。こちらにも先の戦いで深手を負った者が二人おります。彼らの命は、預かっている仲間たちの命でもあります。この二人だけは、今回の戦いから外させていただきたい」

「うむ、当然だ。無理を言って、本当にすまぬ」


パットンは、感謝と安堵の表情を浮かべた。

こうして、エイゼンとアシタガは王宮の一室で休養を取ることになった。彼らは何も言わなかったが、仲間たちが死地へと向かう中、自分たちだけが残されることへの悔しさが、その固く握られた拳に滲んでいた。


王宮の廊下を、パットン王を先頭に、冒険者たちが駆け抜けていく。


王自らが、わずか1000にも満たない兵と、数名の冒険者だけを率いて、正体不明の巨大な脅威に立ち向かう。それは、常識で考えれば無謀以外の何物でもない。


だが、彼らの背中には、絶望の色はなかった。

王都の悲鳴が、刻一刻と大きくなっていく。彼らは、その悲鳴に応えるべく、一つの覚悟を胸に、戦場と化した市街地へと、その身を投じていった。




最後までよんでくださりありがとう、またつづきを見かけたら読んでみて下さい。

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