怒りの咆哮
ヒステリックな婆は、逃げ帰った、所がラバァルは、そんな婆を追撃するといいだしたのだ、何故か分からなかった者たちは小首を傾げる.....。
その142
【スラム南地区、騒動の渦中】
「――人攫いだーッ! この人たちが、また、うちの子を、攫いに来たーッ!」
母親の、ヒステリックな、叫び声に、周囲の、家から、住民たちが、次々と、顔を覗かせ始めた。なんだ、なんだ、と、ざわめきが、広がっていく。だが、ウィッシュボーンをはじめとする、屈強な、オーメンの男たちの、物々しい姿に、誰も、安易に、近づこうとは、しなかった。
ウィッシュボーンたちは、どう対応すべきか、分からず、ただ、困惑していた。
だが、ラバァルだけは、違った。
彼は、まるで、道端で、犬が吠えているのを、眺めるかのように、腕を組み、全く、平然と、その光景を、見つめているだけだった。
その、ラバァルの、泰然自若とした態度に、ウィッシュボーンたちも、「ああ、何もしなくて、いいのか」と、ただ、成り行きを、見守ることにした。
だが、その、静寂を、破ったのは、子供たちだった。
「馬鹿なこと、言わないでよ!」
メロディが、怒りに、声を、震わせた。
「おい、おばさん!」タロッチも、負けじと、叫び返す。「助けてやった恩も、分かんねえのかよ! 昨日の、『ありがとう』は、どこに、行っちまったんだ!」
そして、彼らは、母親に、手を引かれている、少年…ルイースに、声をかけた。
「おい、ルイース! お前の、母ちゃん、完全に、勘違いしてるぞ! お前からも、ちゃんと、説明してやれよ!」
「う、うん…」
ルイースは、母親の、手を引きながら、ぼそぼそと、何かを、説明しようとする。だが、興奮した母親は、聞く耳を持たず、「人攫いー!」と、わめき散らすばかり。
しかし、その、異様な光景に、集まってきた、他の住民たちは、気づき始めていた。
「…おい、ルイースや。本当に、この子たちに、助けられたんじゃ、ないのか?」
近所の、老婆が、尋ねると、ルイースは、はっきりと、頷いた。
「うん! 僕たちを、攫ったのは、この人たちじゃないよ! 別の、変な、奴らだったんだ! そこには、たくさんの、子供たちが、捕まってて…僕たちのことを、『梟の雛』って、呼んで、『ナンバーズになれ』って…」
『梟の雛』、『ナンバーズ』…。
住民たちには、その言葉の、意味は、分からなかった。
だが、一つだけ、確かなことが、伝わった。
目の前にいる、オーメンの連中は、子供を攫った、犯人では、ない、ということだ。
住民たちの、視線が、今度は、わめき続ける、母親へと、集まった。
「おい、あんた! 見当違いの相手を、罵って、どうするんだ!」
「そうだそうだ! いつまで、騒いでる! さっさと、子供を連れて、家に、帰りな!」
今度は、逆に、住民たちから、叱咤され、母親は、何が何だか、分からない、という顔で、ルイースを連れ、逃げるように、その場を、去っていった。
【スラム南地区、騒動の後】
逃げるように、去っていく、母親の背中を見て、子供たちは、「やったー!」「正しい者が、勝つんだ!」と、勝利の雄叫びを上げ、ガッツポーズを、決めていた。
その、無邪気な、勝利宣言を、ラバァルは、満足げに、眺めていた。
そして、彼は、動いた。
「…お前たち。よくぞ、言った」
ラバァルは、子供たちの頭を、無造作に、撫でると、ウィッシュボーンに、向き直lる。
その目には、獲物を見つけた、狩人の光が、宿っていた。
「ウィッシュボーン、行くぞ。好機到来だ。追い打ちを、かける」
「え…?」
ウィッシュボーンは、一瞬、戸惑った。何が、チャンスなのか?
だが、ラバァルが、歩き出した、その方角を見て、彼は、はっと、気づいた。
(…ああ、そうか! あの場所か!)
ラバァルが、向かっている先。それは、先日、住民たちの、激しい抵抗に遭い、やむなく、撤退した、あの、立ち退き交渉の、現場だったのだ。
【立ち退き交渉、再び】
ラバァルたちが、その地区に、再び、姿を現すと、住民たちは、昨日よりも、さらに、強い、警戒心で、彼らを、睨みつけた。
だが、ラバァルは、そんな視線など、全く、意に介さず、声を、張り上げた。
「おい、お前たち! よく、聞け! お前たちを、騙し、俺たちが、子供を攫ったなどと、嘘の情報を、流した、卑劣な連中がいるようだな!」
その、あまりに、直接的な、物言いに、住民たちの間に、どよめきが走る。
「お前たちの、子供は、昨日、ここにいる、こいつらが、命がけで、助け出してきた! ルイースたちも、家に、帰ってきただろう! さあ、話を聞こうじゃないか! お前たちを、騙した、その、本当の敵の、正体をな!」
その時、住民たちの、視線が、ラバァルの背後に、集まった。
そこには、タロッチをはじめとする、子供たちが、胸を張って、立っていたのだ。昨日の、英雄たちが。
その姿を見て、住民たちの、頑なだった、警戒心が、わずかに、揺らぎ始めた。
彼らは、お互いに、顔を見合わせると、おそるおそる、家の中から、姿を現し、ラバァルの周りに、集まってきた。
ラバァルは、内心で、笑っていた。
住民たちの、熱が冷め、そして、子供たちという、「信頼」という名の、新たなカードを、手に入れた、今。
この交渉は、もう、勝ったも、同然だと確信していたからだ。
【スラム南地区、立ち退き交渉の現場】
ラバァルの周りに、集まってきた、住民たち。その目には、まだ、警戒の色が、残っている。
だが、彼らの前で、自分たちの子供と、タロッチたちが、楽しそうに、笑い合っている。その光景が、彼らの、頑なだった心を、少しずつ、溶かしていた。
ラバァルは、その、わずかな、「隙」を、見逃さなかった。
「先ほども、言ったが」彼は、静かに、しかし、全員に聞こえるように、話し始めた。「お前たちは、何者かに、騙されている。第一に、お前たちの、子供を攫ったのは俺たちではない。
**【アウル】**という、暗殺組織の、仕業だ。奴らは、子供を攫い、洗脳し、自分たちの、手駒へと、作り変える。まずは、その事実を、頭に、叩き込め」
その、衝撃的な、言葉に、住民たちが、ざわめく。
「第二に。俺たちが、この、南地区で、大規模な、再開発を、始めたことで、多くの、敵を作ったことも、事実だ。ムーメン家、ベルトラン家…奴らは、この事業を、潰すために、あらゆる、汚い手を、使ってくる。お前たちに、嘘の情報を流したのも、その、一環だろう」
そこまで、説明されると、住民たちの間からも、「なるほどな…」「だから、あんな噂が…」と、納得の声が、漏れ始め、ていた。
「…そして、お前たちが、何に、不安を、感じているかも、俺には、分かっている。この工事が終われば、家賃が上がり、自分たちは、追い出される。そう、思っているんだろう?」
その、図星の言葉に、住民たちは、黙り込んだ。
「心配するな」ラバァルは、笑った。「俺は、お前たちを、追い出すつもりなど、毛頭ない。むしろ、逆だ。お前たちに、仕事をやろう」
彼は、最前列で、腕を組み、ふん、と、熱心に、話を聞いていた、一人の、恰幅の良い、おばちゃんを、指さした。
「そこの、おばちゃん。あんた、料理は、できるか?」
「…当たり前じゃないか! 馬鹿に、おしでないよ!」
その、威勢のいい、返事に、周りから、どっと、笑いが、起こった。
「よし。ならば、あんたに、新しい拠点の、食堂で働いてもらおう、そこで、皆の、飯を作ってくれ。報酬は、あんたの、家族全員の、朝昼晩の、食事代を、タダにしてやる。どうだ?」
「えぇっ!? ほ、本当かい!? で、でも、そんな、大勢の分なんて、とても…」
「はっはっは! 何を、言っている。一人で、やれとは、言わん。あんたは料理人の手伝いをする事に成る、他にも、大勢、人を雇う。あんたには、手伝いのまとめ役をやればよい。」
「…へぇ…。それなら、あたしにも、できそうだねぇ…!」
ラバァルは、頷くと、次々と、住民たちに、声をかけていく。
「そこの、あんた! 農業は、どうだ?」「お前は、大工仕事は、できるか?」
「へ、へぇ…。あっしみたいな、もんにでも、仕事が、あるんですかい…?」
「当たり前だ! やる気さえあれば、仕事など、いくらでもある!」
スラムの中でも、最も貧しいと、言われた、この地区の住民たち。彼らの、その瞳に、何年、何十年ぶりに、「希望」という名の、光が、灯り始めていた。
それまで、茫然と、その光景を、見ていたウィッシュボーンに、ラバァルが、声をかけた。
「おい、ウィッシュボーン! 何を、ぼさっとしている! この人たちの、名前と、やりたい仕事の、希望を、紙に、書き出しておけ! 後で、デサイアに渡せば、あいつが、上手く、配置してくれる!」
「は、はいっ! ただ今!」
勢い。それは、時に、どんな、緻密な計画よりも、物事を動かす。
子供たちが、作り出した、その、小さな「勢い」を、ラバァルは、決して、逃さなかった。
住民たちは、新しい仕事と、住居を、約束されると、喜んで、今の、ボロ家の、権利を、放棄する、契約書に、サインをした。
数ヶ月間、膠着していた、南地区の、土地買収は、こうして、たった、一日で、その、ほとんどが、完了したのだ。
【ロット・ノット、スラム南地区・夜】
高利貸し集団**【鉄の徴収人】**の、アジト。
そのボスである、グラドは、苦虫を、噛み潰したような、顔をしていた。
自分たちの、貴重な、「財産」であったはずの、あの地区の住民たちが、ぽっと出の、オーメンとかいう、集団に、寝返った。その情報が、彼の、プライドを、深く、傷つけていた。
「…ロス、ミルド、ガボル」
グラドは、側に控える、幹部たちに、低い声で、命じた。
「…行け。我々に、逆らった、愚かな、羊どもに、罰を、与えてこい」
その、命令の意図は、明確だった。
オーメンという、得体の知れない、大集団に、正面から、ぶつかるのは、避けたい。だが、何もしなければ、自分たちの、威信は、地に落ちる。
ならば、裏切った住民を、見せしめに、叩き潰す。そうすれば、まだ、買収に応じていない、他の住民たちへの、強力な、「警告」となる。
それは、彼ららしい、陰湿で、計算高い、やり方だった。
だが、ウィッシュボーンは、その、卑劣な手を、完全に、読んでいた。
「…来るぞ」
彼は、立ち退き交渉が終わった、その日の夜から、住民たちの、家の周りに、オーメンの、精鋭たちを、潜ませ、敵の、襲撃を、待ち構えていたのだ。
そして、その時は、来た。
深夜、7人の、黒い影…【鉄の徴収人】の、幹部と、その手下たちが、音もなく、路地に、現れた。
「…来たな。合図を送れ」
ウィッシュボーンの、指示で、一人の、見張りが、闇の中へと、駆けていく。
そして、数分後。
路地の、四方八方から、松明の光と共に、おびただしい数の、人影が、姿を現した。
オーメンの、精鋭たちだけではない。昼間、工事現場で、汗を流していた、あの、スラム南地区の、住民たちが、つるはしや、スコップを、手に、その、人垣を、作っていた。
その数、50名を超えていた。
「なっ…!?」
【鉄の徴収人】の、幹部たちは、完全に、包囲されていた。その、あまりの数の差に、彼らの顔が、引きつる。
「…さて、と」
ウィッシュボーンが、人垣を、かき分け、ゆっくりと、前に出た。
「お前たちに、恨みはねえが…。ここの、住民たちは、もう、俺たちが、守ることに、なったんでな。悪いが、ここで、消えてもらうぜ」
もはや、それは、戦いと呼べるものではなかった。
数の上で、圧倒的に、不利な、7人の男たちは、怒れる、住民たちの、波に、飲み込まれ、あっという間に、叩きのめされていった。
「う、うわああああっ!」
「た、助けてくれぇっ!」
命からがら、這うようにして、逃げ帰っていく、【鉄の徴収人】の、残党たち。
その、無様な、後ろ姿に、住民たちは、これまで、溜め込んできた、全ての、鬱憤を、晴らすかのように、罵声を、浴びせた。
「ざまぁみやがれ!」
「二度と、この地区に、足を踏み入れるんじゃねえぞ!」
そして、彼らは、共に戦った、オーメンの者たちと、肩を組み、勝利の歓声を、上げた。
自分たちが、あの、恐ろしかった、【鉄の徴収人】を、この手で、打ち破ったのだ。その、信じがたい、事実に、彼らの心には、確かな、自信と、誇りが、芽生えていた。
彼らは、もはや、ただ、搾取されるだけの、弱者ではない。自らの、手で、自らの、居場所を、守る、力強い、「戦士」へと、変わり始めていたのだ。
【ロット・ノット、スラム東地区・夜】
スラム南地区では、ウィッシュボーンの、見事な采配によって、住民たちの信頼が、勝ち取られつつあった。
だが、その、希望に満ちた、光の裏側では。
ロット・ノットの、最も深い闇が、最も、無垢な者たちへと、その、魔の手を、伸ばしていた。
アウルの四天王、【月眼の鴞】が、放った、追手。
その中には、彼の側近である、「香主」と「爪主」と呼ばれる、幹部クラスの、手練れが、含まれていた。
彼らの目的は、ただ一つ。あの、水色の光を放つ、少女…リリィの、確保。
その夜。タロッチたちも、ファングたちも、それぞれの、ねぐらへと、戻り、深い眠りに、ついていた。
リリィは、メロディと共に、東地区の、新拠点に、与えられた、部屋で、眠っていたのだ。
そこに、何の、前触れもなく、漆黒の影が、いくつも、舞い降り入って来た。
彼らは、アサシン。音を、殺し、気を、殺す、プロフェッショナル。拠点の、外周を、警備していた、シュツルムですら、その侵入に、気付くのが遅れてしまっていた。
だが、影の一つ…「羽根無き者」が、わずかに、知らない気を漏らした、その瞬間。
シュツルムの、超感覚が、その、異常を、捉えた。
彼は、すぐさま、デサイアの部屋の扉を叩くと、「侵入者だ!」とだけ告げ、感知した、気配の元…メロディたちの部屋へと、全速力で、駆けて行く。
扉を、蹴破り、中へ、飛び込む。 部屋は暗いため薄く見えている。
警戒しながら中へと入ると、彼は、絶望的な光景が目に入って来た。
部屋の、中央に、血の海を作って、倒れている子がいたのだ。
そして、窓の外へと、小さな体を、担がれ、連れ去られていく、リリィの姿が、闇の中へと、消えていく、まさに、その瞬間だった。
「…くそっ!」
シュツルムが、後を追おうとした、その時、遅れて、駆け込んできたデサイアが、悲鳴を上げた。
「メロディ…!」
「デサイア! すぐに、テレサさんを、呼んでこい! 急げ!」
シュツルムは、デサイアに、そう叫ぶと、メロディの、か細い、呼吸を、確かめながら、必死に、その、絶え間なく血が溢れ出る、傷口を、押さえた。
普段は、冷静沈着な、彼の声が、焦りと、怒りに、震えていた。
「…くそぉっ…! 頑張れ、メロディ…! こんなことで、死ぬな…! 死ぬんじゃねえぞッ!!」
その、魂からの、叫びだけが、血の匂いが、充満する、静かな部屋に、虚しく、響き渡っていた。
【シュガーボム、バーカウンター】
その、凶報が、シュガーボムにいた、ラバァルの元へと、届けられたのは、それから、2時間後のことだった。
カウンターで、一人、静かに、酒を飲んでいた、彼の元へ、ベルコンスタンが、血相を変えて、駆け込んできたのだ。
「ラバァル様! 大変です! 東地区の、拠点から、緊急の、知らせが…!」
「…落ち着け、ベルコンスタン。何があった」
「リリィが、何者かに、拉致されました! そして、メロディが…メロディが、重傷を負い、生死の境を、彷徨っている、と…!」
その、言葉を、聞いた瞬間。
ラバァルの、手の中で、分厚い、ガラスのグラスが、音もなく、粉々に、砕け散った。
「―――何だと…?」
その、地を這うような、低い声と、全身から、噴き出した、禍々しい、赤黒い闘気に、歴戦の猛者であるはずの、ベルコンスタンですら、腰を抜かしそうになった。
「…ラバァル様! 今すぐに、向かわねば…!」
その声に、ラバァルは、わずかに、冷静さを、取り戻した。
「…俺は、メロディの元へ行く。ベルコンスタン、お前は、全ての情報網を使い、リリィの、足取りを追え。いいな、全ての、だ」
それだけ言うと、ラバァルは、馬に飛び乗り、夜の、ロット・ノットを、疾風の如く、駆け抜けていった。検問所の、兵士たちの、制止の声など、彼の耳には、届いていなかった。
【東地区、メロディの部屋】
部屋に、駆け込んだラバァルが、見たものは、床に広がる、おびただしい、血の痕と、ベッドの上で、青白い顔をして、眠る、メロディの姿だった。
「…おい。どうなんだ」
ラバァルは、ベッドの傍らで、祈りを捧げていた、テレサを、睨みつけた。
その、あまりの、剣幕に、テレサは、一瞬、怯んだが、気丈に、答えた。
「…大丈夫です。もう、心配は、ありませんよ」
その、言葉を、聞いた瞬間。
ラバァルの、その目から、一筋、涙が、零れ落ちたのを、テレサは、確かに、見た。
(…この方にとって、よほど、大事な、娘だったのね…)
ラバァルは、その涙を、誰にも、気づかれぬように、拭うと、メロディの、ベッドの傍らに、膝をつき、その、小さな、額に、手を当てた。
温かい。
その、確かな、生命の温もりに、彼の、荒れ狂っていた、心が、ようやく、安らぎを、取り戻し始めていた。
だが、それは、嵐の前の、静けさに、過ぎなかった。
(…許さん…)
ラバァルの、心の奥底で、今まで、感じたことのない、冷たく、そして、絶対的な、破壊の力が、今にも噴火しそうに成っていた。
「…メロディ。お前を、こんな目に、遭わせた、屑どもには、必ず、報いを、受けさせる」
ラバァルは、立ち上がると、謝罪しようとする、シュツルムの、肩を叩いた。
「お前が、謝る必要はない。全て、俺の、責任だ」
そして、彼は、部屋にいる、全員に、告げた。
「…皆、メロディを、頼む。俺は、リリィを、取り戻してくる」
それだけ言うと、ラバァルは、一人、闇の中へと、消えていった。
彼の、人間としての、心が、最も、傷つけられた、その夜。
ロット・ノットの闇は、これから、本当の力を目の当たりとするのかもしれなかった。
【ロット・ノット、夜の街路】
メロディの、部屋を出た、ラバァルは、ただ、夜風に、吹かれながら、来た道を、戻っていた。
その、身の内には、今にも、全てを、灰に変えてしまうばかりの、赤黒い闘気が、荒れ狂っている。それを、必死に、押さえつけているせいで、彼の、額には、玉のような、汗が、浮かんでいた。
(…まずい。このままでは、俺は、この街ごと、破壊しかねん…)
新市街区画の、検問所が、見えてくる。
ラバァルは、もはや、馬鹿正直に、門を、通る気はなかった。彼は、助走もつけずに、フェンスを、軽々と、飛び越えていく。
「ま、待て! 何者だ!」
警備隊員たちの、怒声が、背後から、飛んでくる。だが、隊長格の男が、それを、制した。
「…構うな! 我々の、任務は、市街を荒らす、襲撃犯を、捕らえることだ!」
ラバァルは、ひたすらに、走った。
手がかりが、ない。今の、自分に、頼れるのは、あの男の、「目」しかない。
彼は、シュガーボムへと、向かっていた。
【シュガーボム、店内】
ラバァルが、シュガーボムの扉を、蹴破るようにして、中へ入ると、そこは、異様な、熱気に、包まれていた。
客は、一人もいない。店は、完全に、閉められていた。
その代わり、店内には、武装した、キーウィの構成員たちが、ずらりと、整列していた。
そして、その、中心には、あの、鉄の義手を持つ、巨漢…ガル・ヴォルカンが、静かに、佇んでいた。
ラバァルは、ベルコンスタンの元へと、歩み寄った。
「…ベルコンスタン。これは、何事だ?」
「ラバァル様!」
ベルコンスタンは、一枚の、羊皮紙を、差し出した。それは、アウルの、監視所から、戻ってきた、諜報員、カルロからの、追跡報告書だった。
「…貴方様と、入れ違いに、カルロが、戻りました。アウルから、出てきた者たちが、向かった先は…」
ベルコンスタンは、そこで、一度、言葉を切った。
「…スラム、東地区。我々の、新拠点でした」
その言葉に、ラバァルの、思考が、一つに、繋がった。
「…何だと…? リリィを、攫ったのは…アウル、だと…!?」
タロッチたちが、アウルの工作員を、倒した、という話。そして、その場で、リリィが、力を使った、という、事実。
「…くそっ! 見られていたのか…!」
「間違いありません」ベルコンスタンは、頷いた。「リリィ殿は、アウルの、本拠地へと、連れ去られた、と、思われます」
「……」
ですが、ご安心を」
ベルコンスタンの、声に、力がこもる。その、瞳には、確かな、自信が、宿っていた。
ラバァルに、「ぬるい」と、叱咤された、あの日から。ベルコンスタンは、変わった。いつ、ラバァル様から、不意の、命令が下っても、即座に、動けるように、と。彼は、ボルコフに命じ、既に、キーウィの、ベストメンバーを、シュガーボムに、待機させていたのだ。「オーメンの、下部組織に、転落してたまるか」という、焦りと、屈辱感が、彼を、突き動かしていた。
そこへ、もたらされた、アウル監視所からの、第一報。
彼は、これが、千載一遇の、好機であると、直感した。
「ラバァル様の、ご命令がなくとも、動けるよう、すでに、準備は、整っております。ここにいるのは、我が、キーウィの、全勢力、総勢161名。これまで、我々が、命がけで、集めてきた、アウル基地の、内部情報も、全員に、叩き込んであります」
そして、彼は、自信の根拠となる、具体的な数字を、付け加えた。
「――敵の、基地内総数は、推定、90から100。この二年近く、我々の諜報員が、基地へ運び込まれる食料物資の量と、出入りする構成員の数を、記録し続け、算出した、極めて、確度の高い数字です」
そして、彼は、そこで、一度、言葉を切ると、冷静な、分析官として、付け加えることを、忘れなかった。
「…単純な、戦力差は、我々が、有利です。ですが、アウルが、内部に、どれほどの、『特化戦力』…例えば、噂で伝わっているアウル四天王が居ます、そんな化け物が本当に存在しているのかまでは、把握できておりません。その点は、不確定要素として、残っております」
その、慢心することのない、的確な、リスク分析。
「…でかしたぞ、ベルコンスタン…!」
ラバァルは、彼の、完璧な仕事ぶりに、改めて、称賛を、送った。
(…特化戦力、か。面白い。それも、まとめて、叩き潰してやるまでのことだ)
ラバァルは、このタイニングでの、完璧な程の、準備に、わずかに、笑みを浮かべた。
そして、彼は、集まった、全ての者たちに、向き直り、その、身の内から、抑えつけていた、全ての、怒りを、解放した。
「―――聞けぇい、野郎どもッ!!!」
赤黒い闘気が、渦を巻き、店内の、全てを、震わせる。
「これから、アウル本部へ向かい、奴らを根こそぎ叩き潰す。 巣に、乗り込み、まずは、リリィを、生きたまま、奪還する」
彼は、そこで、一度、言葉を切った。
「そして、その後、奴らを、一人、残らず、皆殺しにする。俺の、我らの大事な『家族』に、手を出した、馬鹿どもが、どうなるか。この、ロット・ノットに、巣食う、全ての、屑どもに、見せつけてやらねばならん、その必要があるからだ」
その、声は、静かだが、絶対的な、殺意に、満ちていた。
「いいか、今回の戦いは、ただの、報復ではない。
第一に、リリィの奪還。
第二に、アウルの、完全なる、壊滅。
そして、第三に。その、二つの、事実を、ロット・ノットの、裏社会に生きる、全ての、者たちに、見せつけ、我々の、力を、骨の髄まで、知らしめること。
――この街で、真の、ナンバーワンが、俺たちだと言う事をな!!!」
その、世界を裂く嵐の如き、しかし、どこまでも、冷静な、戦争宣言に、キーウィの、男たちの、血が、沸騰した。
そして、その、先頭に立つ、ガル・ヴォルカンが、その、鉄の義手を、高々と、突き上げた。
「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」
ラバァルという、「王」の、帰還。そして、その、絶対的な、怒り。
それは、停滞しかけていた、キーウィの、魂に、再び、火を灯した。
アウル、殲滅戦。
ロット・ノットの、裏社会の、勢力図を、根底から、塗り替える、血で、血を洗う、全面戦争の、火蓋が、今、切って、落とされた。
【ロット・ノット、北門・深夜】
シュガーボムを、飛び出した、161名の、武装した影。
キーウィの、全戦力が、夜の闇の中、新市街を、駆け抜けていく。
その、異様な光景に、北門を守る、王国警備隊が、気づかないはずもなかった。
「何事だ!」「敵襲か!?」
かがり火に、照らし出された、警備隊員たちが、ぞろぞろと、その数を、増やしていく。その数、およそ30。
だが、彼らが、対峙しているのは、その、五倍以上の、武装集団。しかも、その一人一人が、常人ではない、殺気を、放っている。
警備隊員たちの顔に、緊張と、恐怖の色が、浮かんだ。
「貴様ら、何者だ! 夜更けに、武装して、我々を、襲うつもりか!」
隊長格の男、トラヴィス・コルヴァンが、震える声を、必死に、張り上げた。
その時、武装集団の中から、ベルコンスタンが、ゆっくりと、前に出た。
「…これは、これは、トラヴィス隊長。ご無沙汰しております」
その、顔見知りの、穏やかな声に、トラヴィスの顔に、わずかな、安堵の色が浮かぶ。
「ディオール家の、ベルコンスタン殿…。いったい、これは、何の騒ぎです?」
「少々、野暮用でしてな。…詳しい話は、詰所で」
ベルコンスタンは、そう言うと、トラヴィスを、促し、二人、詰所の中へと、消えていった。
ラバァルは、その、やり取りを、腕を組み、黙って、見ていた。
(…もし、奴らが、道を、開けねば、叩き潰してでも、通るまでだ)
だが、その、必要は、なかったようだ。
間もなく、詰所から、出てきたベルコンスタンが、合図を送って来ている。
「ラバァル様。門を、お通りください。許可は、得ました」
キーウィの、構成員たちが、静かに、そして、迅速に、門を、通り抜けていく。
最期まで読んで下さりありがとう、またつづきを見掛けたら読んでみて下さい。




