開拓団出発
何とか、枯れた土地を改良して作物を育てる事が、出来ると言う知識を持つ者たちに出会え、開拓団のメンバーに引き入れる事に成功したラバァルは、急ぎ準備に追われていた、そしてようやく出発する事に.....。
その138
【ロット・ノット市街】
休む間もなく、ラバァルたちは、その足で、ゴールデン・グレイン商会へと向かった。
「マルティン殿、急で悪いが、予定を早める。明後日の朝、幌馬車15台を、スラム東地区の、俺たちの拠点へ。残りの5台は、王立知識院の前へ、回してくれ」
その、あまりに急な指示に、マルティンは、悲鳴を上げそうになりながらも、「か、かしこまりました!」と、答えるしかなかった。
商会を後にすると、さすがのラバァルも、少しだけ、疲労の色を見せた。隣を歩くデサイアは、すでに、目の下に、うっすらと隈ができている。
「…少し、休むか」
ラバァルは、シュガーボムへと向かった。カウンターで、一杯、やりたかったが、今は、その時間すら惜しい。彼は、デサイアと共に、軽食だけを、腹にかき込んだ。
「ベルコンスタン。また、暫く、街を空ける」
ラバァルは、ベルコンスタンに、デサイアが書き留めた、膨大な物資のリストを渡した。「これを、明日中に、全て揃え商会に来ている幌馬車隊へ積み込ませておいてくれ、出発は明後日の朝なんだ。」
「か、かしこまりました。…ですが、ラバァル様、今度は、どれくらい…?」
「さあな。もしかしたら、一年は、戻らんかもしれん」
その、冗談めかした言葉に、ベルコンスタンは、本気で心配し始めた。「そ、そんなにですか!? その間に、ムーメン家が、また…!」
「はははっ、心配するな。ちょくちょく、顔は出すさ」
ラバァルは、そうフォローを入れると、シュガーボムに用意されている、自室へと向かった。デサイアも一緒だったため、彼は、自らはソファに体を横たえ、ベッドを彼女に譲った。
【翌日、スラム】
次の日。物資の調達を、完璧にこなしたベルコンスタンに礼を言うと、ラバァルたちは、東地区の拠点へと戻った。
そして、彼は、ウィッシュボーンに、最後の指示を下す。
「ウィッシュボーン。南地区で、俺が声をかけた連中を、全員、集めておけ。場所は、リリィの祖母…薬師アズマの、あの診療所の前だ」
開拓団の、最初のメンバーが、ついに、集結する。
ラバァルの、ロット・ノットにおける、本当の国作りが、今、始まろうとしていた。
出発の日の朝。夜明けと共に、ラバァルの拠点には、かつてないほどの熱気が渦巻いていた。
いつも通りの早朝訓練を終えたラバァルの前には、見送る者、そして、これから旅立つ者たちが、大勢、集結していた。
「いいか、お前ら!」
ラバァルは、拠点に残るウィッシュボーンたちに向かって、檄を飛ばした。
「俺が留守の間、ここを、しっかり頼んだぞ! 最近、ムーメン家もおとなしいようだが、油断するな。平和ボケしている暇などない。敵は、必ず、こちらの虚を突いてくる。いつでも、戦える準備だけは、しておけ!」
その、厳しい言葉に、皆、気を引き締め直し、力強く頷いた。
そして、ラバァルは、これから、それぞれの任務へと旅立つ者たちに向き直り、その名を、一人ずつ、読み上げていった。
「――幌馬車護衛隊、17名!」
その中核を担うのは、アビスゴートきっての、潜入・奇襲の専門家、エルトンとニコル。そして、彼らが率いる、オーメンの精鋭5名と、厳しい訓練を乗り越えた、スラム上がりの兵士10名。
彼らの傍らには、17頭の屈強なサウロイドと軍馬が、戦いの時を待つかのように、静かに鼻息を鳴らしていた。
「お前たちの任務は、20台の幌馬車を、無事に、ルカナンまで届け、そして、帰還させることだ。道中の賊共は、すでに、俺が手懐けてある。だが、新たな脅威が現れんとも、限らん。その時は、己の命を、最優先に考えろ。荷を捨ててでも、生きて帰れ。いいな!」
「「「「欧!!!」」」
「――次に、開拓団!」
その声に、二人の巨漢…ヨーゼフとビスコが、一歩前に出た。
「…ラバァルさん。俺たちも、手伝わせてもらうぜ」
昨夜、ヨーゼフは、自ら、この任務への参加を、ラバァルに申し出ていたのだ。
「お前たちは、ロット・ノットの、貴重な戦力だ。ここに残れ」
ラバァルがそう諭しても、ヨーゼフの決意は、固かった。
「どこにいようと、やるべきことをやるだけさ。それに、たまには、自然の中で、修行してみるのも、悪くない」
その隣で、ビスコも、黙って頷いていた。彼らもまた、新たな戦場を、求めていたのだ。
「…分かった。ならば、開拓団の護衛と、開墾作業、その両方を、お前たちに任せる」
そして、ゴードック親方の元で、建設作業に従事していたスラムの男たち6名、新たに志願した東地区の住民14名。彼らが、開拓団の、最初のメンバーとなる。
ラバァルは、全隊を見渡し、最後の号令をかけた。
「よし、聞け! これより、我々は、それぞれの任務を開始する!」
彼は、まず、ヨーゼフたちが率いる、開拓団のメンバーたちに向き直った。
「開拓団は、ここにある15台の幌馬車に分乗しろ! そして、南門へ向かい、そこで、薬師アズマ殿が推薦してくれた、30名の仲間たちと合流する! その後、先行して、目的地である開拓地を目指せ!」
次に、エルトンとニコルが率いる、護衛隊へと、視線を移す。
「護衛隊は先ず、その15台の幌馬車を、開拓地まで護衛する! その後ルカナンへ生き、物資を積み、またロット・ノットへ戻る事に成る、かなりの長旅に成るが、しっかり任務をこなせ! それでは各自、騎乗獣に跨り、周囲の警戒を怠るな!」
そして最後に、彼は、全部隊に、今後の合流計画を周知させた。
「すでに、別動隊の幌馬車5台が、王立知識院のバジル博士たちを乗せるため、北門へ向かっている! 我々は、道中の合流ポイントで、彼らと落ち合い、完全な隊列を組む! 遅れるなよ!」
その、無駄のない、大規模な作戦に、誰もが、感心を示した。
これは、ただの旅立ちではない。
ロット・ノットの、飢えた民の未来を懸けた、壮大な食料供給計画の、歴史的な、第一歩なのだ。
「――出発せよ!!」
ラバァルの号令と共に、それぞれの部隊が、動き始めた。
見送る者たちの、割れんばかりの歓声の中、ラバァルの、壮大な「国作り」が、今、ついに、その産声を上げたのだ。
【ロット・ノット、王立知識院前】
皆に出発の号令をかけた後、ラバァルは、一人、王立知識院へと馬を走らせた。
あの、変わり者の学者たちが、時間通りに、ちゃんと準備を終えているのか。どうにも、気にかかったのだ。彼らとの信頼関係は、まだ、築き始めたばかりなのだから。
知識院の門の前にたどり着くと、そこには、すでに5台の幌馬車が、整然と並んでいた。そして、その荷台を見て、ラバァルは、思わず、目を見張った。
全ての幌馬車が、今にも幌がはち切れんばかりに、パンパンに、膨れ上がっていたのだ。
「…おいおい。5台も回して、正解だったな…」
ラバァルは、安堵の息を漏らした。せいぜい、2、3人だろうと思っていたが、一人一台あっても、足りなかったかもしれない。
その時、建物の入口から、ひょこひょこと、大きな木箱を抱えたバジル博士が、姿を現した。
「博士! 幌馬車は、もう満杯だぞ! それ以上、何を積む気だ!」
ラバァルが声をかけると、バジルは、ようやくラバァルに気づいた、という顔をした。
「おお、迎えに来てくれたのかね、ラバァル君。すまんすまん、僕の分は、これで最後だよ」
彼はそう言うと、抱えていた木箱を、御者が座る、ベンチシートの隅に、ぎゅうぎゅうと押し込み、自分も、その狭い隙間に、ちょこんと腰を下ろした。
続いて、研究室にいた、ヤーコンと呼ばれていた、若い男もやって来た。
そして、最後にもう一人。赤髪で、気の強そうな眼鏡をかけた、見覚えのある女。
(…こいつは、確か…)
初めて、知識院に来た時、デサイアを押しのけ、謝罪もせずに走り去っていった、あの女だ。
「お前が、三人目の研究者か?」
ラバァルが尋ねると、女は、ラバァルを、値踏みするように、じろりと見つめ、ふふん、と鼻を鳴らした。
「あんたが、ラバァルね。痩せた土地で、畑を作るんですって? しかも、役人には、内緒で。…ふふっ♡ やるじゃない。気に入ったわ。この、天才魔植物学者、キャロットが、手伝ってあげる!」
彼女は、一方的にそう宣言すると、さっさと、別の幌馬車へと、乗り込んでしまった。
「…なんだ、今の女は…」
ラバァルは、呆気にとられていたが、すぐに、頭を切り替えた。
(まあ、いい。使えるなら、何でも使ってやる)
ごちゃごちゃ言っても、始まらない。今は、とにかく、出発することが、先決だ。
ラバァルは、馬上で、全車に向かって、号令をかけた。
「よーし、出発するぞ! 北門から、街道へ出ろ!」
こうして、王立知識院から、大量の「知識」と、三人の「変わり者」を乗せた、5台の幌馬車もまた、壮大な計画の一部として、その車輪を、ゆっくりと、回し始めたのだった。
【ロット・ノット郊外、開拓地『フロンティア』】
ロット・ノットを出発してから、十二日目。
ラバァル率いる開拓団は、ついに、目的地である、広大な荒れ地へと、たどり着いた。
そこは、枯れた木々と、痩せた土が、どこまでも広がる、不毛の地。だが、ラバァルの目には、ここが、豊かな実りをもたらす、黄金の土地へと変わる未来が、はっきりと見えていた。
彼らの、最初の仕事は、寝床の確保だった。
ヨーゼフとビスコが、その人間離れした腕力で、次々と木を切り倒し、ゴードック親方の元で技術を学んだ男たちが、それを加工していく。そして、一週間後には、全員が雨風をしのげる、簡易的なログハウスが、数十棟、完成していた。
それを見届けると、20台の幌馬車と、エルトン率いる17名の護衛隊は、最初の「仕事」…ルカナンからの、食料輸送のために、再び、長い旅路へと、出発していった。
残された者たちの、本当の戦いは、ここから始まった。
「いいかい、君たち! 土を掘り返すのは、そこから、そこまで! 深さは、僕の膝くらいまでだよ!」
バジル博士が、自ら泥だらけになりながら、開墾の指示を飛ばす。
「水源は、あっちよ! 私の勘が、そう言ってるわ! 早く、井戸を掘りなさい!」
キャロット博士の、一見、根拠のないような指示に従って、地面を掘っていくと、驚くほど、清らかで、豊かな水脈が、姿を現した。
「皆さん、木材の組み方は、この図面の通りにお願いします!」
助手のヤーコンが、農機具を保管するための、巨大な資材置き場の建設を、的確な指示で、進めていく。
開拓の途中、この土地の、本来の主であるかのような、巨大な牙を持つ猪や、刃のような爪を持つ、大熊といった、凶暴な魔獣が、幾度となく、姿を現した。
だが、その度に、ヨーゼフとビスコという、二人の「怪物」が、それを、いとも容易く、ねじ伏せ、その日の、豪華な肉料理へと、変えていった。
【八ヶ月後、冬】
開拓が始まると、月日の流れは、驚くほど、速かった。
あっという間に、季節は巡り、冬が訪れる。ロット・ノットからの住民たちは、骨身に染みる寒さに、震えていた。
だが、ラバァルは、平然としていた。かつて、極寒の地、ヨーデルでの冬を経験した彼にとって、雪すら降らない、この程度の寒さなど、冬と呼ぶにも、値しなかったのだ。
(…だが、こいつらの士気は、下がっているな。一度、ロット・ノットへ戻すべきか…?)
ラバァルが、そう考えていると、バジル博士が、新たな知識を、彼に与えた。
「ラバァル君。冬には、冬にしか育てられない、栄養価の高い、素晴らしい野菜があるのだよ。むしろ、ここからが、我々の腕の見せ所なのだから、心配は、いらない」
その言葉に、ラバァルは、ここで冬を越すことを、決めた。
そして、彼らは、開拓地で、新たな年を迎えた。
そうこうしているうちに、ルカナンとの間を、定期的に往復していた幌馬車隊が、この開拓地へと、立ち寄った。
ラバァルは、この機を、逃さなかった。
「…よし。俺は、一度、ロット・ノットの様子を、確かめに戻る。他に、戻りたい奴は、いるか? 今なら、連れて行ってやるぞ」
その声に、三人の男が、手を挙げた。
一人は、研究の報告と、新たな物資調達のために、戻る必要があった、助手のヤーコンだ。
そして、後の二人は、スラムでの、自堕落な生活が、恋しくなったのであろう、南地区出身の男たちだった。
「…分かった。その三名は、俺と共に、ロット・ノットへ戻る」
ラバァルは、彼らを幌馬車に乗せると、開拓地の仲間たちに、告げた。
「俺が留守の間、ここを頼んだぞ、ヨーゼフ、ビスコ」
「「おう」」
二人の、頼もしい返事を背に、ラバァルは、発展を続ける、自らの新たな「国」を、後にした。
【ロット・ノット、南門からシュガーボムへ】
実に、十ヶ月ぶりだった。
ラバァルたちを乗せた幌馬車は、ロット・ノットの南門を、ゆっくりと通過した。
「…よし。お前たちとは、ここで別れる」
ラバァルは、同行してきた、スラム南地区出身の男たちに、念を押した。
「知り合いに声をかけるのを、忘れるなよ。次の開拓団の出発は、一ヶ月後だ。最低でも、百人は集めておいてくれ」
男たちは、力強く頷くと、それぞれの故郷である、南地区の路地へと、消えていった。
ラバァルは、幌馬車を、新市街の【ゴールデン・グレイン商会】へと向かわせた。
目的は、ルカナンから運んできた、試験輸送の物資を引き渡すためだ。品物を降ろし、マルティンから、次回の輸送に関する、簡単な報告を受けると、ラバァルは、ここでヤーコンとも別れた。互いの連絡先を、シュガーボムと定め、それぞれの道へと、分かれる。
そして、ラバァルは、ようやく、自らの拠点である、【シュガーボム】へと、その足を向けた。
(…十ヶ月、か。ベルコンスタンや、ウィッシュボーンの奴ら、文句の一つや二つは、言ってくるだろうな)
ラバァルは、そんなことを考えながら、思わず、苦笑いを浮かべた。
シュガーボムに入り、懐かしい、酒と喧騒の匂いを吸い込む。まずは、バーで一杯、やりたかったが、先に、ベルコンスタンの元へ、顔を出さねばなるまい。
彼が、店の奥へと進んでいくと、見慣れた、キーウィの構成員の姿が、目に入った。だが、その顔は、原型を留めぬほどに、無惨に、腫れ上がっている。
「…ラバァルさん! お、お帰りなさいませ!」
男は、ラバァルを認めると、痛みに顔を歪めながらも、声をかけてきた。
「…お前、ボルコフか? すまん、その顔では、分からなかったぞ。いったい、どうした? 誰にやられた」
「い、いえ、これは、その…」
ボルコフは、気まずそうに、言葉を濁している。
その時、店の奥から、もう一人、松葉杖をついた男が、現れた。ロメールだ。
「お…お帰りなさい、ラバァルさん…」
「ロメール!? お前もか! いったい、何があった? 襲撃でも、されたのか?」
「いえ、これは、その…」
「負けたのか?」
「……負けては、おりませんが……負けました」
その、禅問答のような、意味の分からない答えに、ラバァルは、眉をひそめた。
「…なんだ、それは?」
訳が分からないまま、彼は、ベルコンスタンの執務室の、扉を開けた。
「帰ったぞ、ベルコンスタン!」
そして、ラバァルは、室内の、異様な光景に、目を丸くした。
ベルコンスタンの、豪華な執務椅子に、山の如き、鉄の義手を持つ、巨大な男が、ふんぞり返って、座っていたのだ。
そして、その横で、ベルコンスタン本人が、まるで小間使いのように、かしこまって、立っている。
「…なんだ。お前、来てたのか」
ラバァルの、その一言で、ようやく、ボルコフたちの、痛々しい姿の理由が、繋がった。
「おい。俺は、お前を、ここに呼んだが、暴れろ、とは、一言も言っていないぞ」
その声に、椅子に座っていた巨漢…ガル・ヴォルカンが、ゆっくりと立ち上がり、ラバァルの前まで来ると、その場に、どっかりと、座り込んだ。座ったままでも、ラバァルの口元ほどの、高さがあった。
「俺は、お前に、確かに負けた。部下たちの命を、救ってくれたことには、感謝している」
ガルは、低い、咆哮のような声で、言った。「それで、俺を、ここに呼んだ、本当の理由を、聞かせてもらおうか」
「あん? そんなこと、分かりきっているだろう」
ラバァルは、彼を見下ろした。「お前が、使えると思ったからだ。俺は、この国を、裏から、作り変えている最中だ。お前は、俺に負けた。ならば、もう、お前は、俺の所有物だ。せいぜい、死ぬ気で、働いてもらうぞ」
「…ふん。良かろう。何なりと、指示しろ」
その、あまりに物騒なやり取りに、ベルコンスタンが、おそるおそる、口を挟んだ。
「あ、あの…ラバァル様。失礼ながら、この方は、一体…?」
「ああ、こいつか。こいつは、ガル・ヴォルカン。ルカナンへの道中で、三百を超える、飢えた軍勢を率いていた、荒野の王だ。今は、俺の手下になった。ベルコンスタン、お前の所で、こいつを、預かってやれ」
その、あまりに無茶な命令に、ベルコンスタンの顔が、引きつった。
(預かれ、と、仰いましても…! この男一人に、うちの幹部が、全員、叩きのめされ、任務に、多大な支障が出ているというのに…! それに、この男の食費と、酒代だけで、店の経営が、傾きかねんのですぞ…!)
だが、同時に、ベルコンスタンは、計算していた。
この、人間離れした、圧倒的な「暴力」。もし、これを、自らの「駒」として、完璧に、使いこなすことができたなら…。ディオール家は、ロット・ノットの、他のどの家も、持ち得ない、最強の切り札を、手にすることになる。
ベルコンスタンの目に、きらり、と、冷徹な、策略家の光が宿った。
「――かしこまりました、ラバァル様」
【シュガーボム、執務室】
ガル・ヴォルカンという、規格外の「置き土産」をベルコンスタンに預けたラバァルは、当然のように、執務室のソファに、どすりと腰を下ろした。
「さて、ベルコンスタン。聞かせてもらおうか。俺が留守の間、このロット・ノットで、どんな面白いことが起きていた?」
ベルコンスタンは、額の汗を拭うと、淀みなく報告を始めた。
「はい。まず、最も大きな動きは、ムーメン家とゾンハーグ家との抗争です。ロット・ノットの各地で、かなり激しい争いを、繰り広げております」
「ほう。だが、ただの殴り合いなら、数の上で、ゾンハーグ家が有利だろう。ムーメン家は、吸収でもされたか?」
「いえ、それが…」ベルコンスタンの声に、わずかな感嘆の色が混じる。「ムーメン家の当主も、考えたようです。彼らは、古参のベルトラン家を、巧みに引き込み、三家による、泥沼の抗争へと、発展させております」
(…なるほどな。真面にぶつかれば、デカい方が勝つ。だが、横から、もう一匹、ハイエナが加われば、話は別か。互いに潰し合ってくれれば、こちらは時間を稼げ、奴らは勝手に消耗する。願ったり、叶ったりだな)
ラバァルの口元に、満足げな笑みが浮かぶ。
**この状況が、かつて自分が、ムーメン家の密偵の前で演じた、あの三文芝居の成果なのかどうか。それは、定かではない。だが、自分が放った、小さな偽りの石が、思った以上に、大きな波紋を広げ、敵同士を、見事に、食らい合わせている。**その事実に、ラバァルは、確かな手応えを感じていた。
だが、ベルコンスタンの報告は、まだ終わらない。
「ラバァル様。ですが、そう、楽観視もできません。彼らの争いは、我々がスラムで行っている、再開発事業にも、悪影響を及ぼし始めています。特に、南地区での拠点開発は、各家の妨害工作により、かなり難航している、と。ウィッシュボーン率いるオーメンにも、大きな被害が出ている、との報告が上がっております」
「…死人は?」
「幸い、神官のカトレイヤ殿が、南地区第一期工事の方へ、同行しておられましたので、死者は出ておりません。ですが、スラム南地区は、今も、予断を許さぬ状況です」
「…ふむ。分かった。そちらにも、一度、顔を出しておくか」
ラバァルは頷くと、話題を変えた。「それで、こちら側は、どうだ? お前たち、キーウィの連中は、何をしていた?」
「はっ。アウル基地の継続監視に3名、各家の情報収集に2名、残りは、このシュガーボムの警護と、情報分析を…」
「――ぬるいな」
ラバァルの、静かだが、突き刺すような一言に、ベルコンスタンの言葉が、途切れた。
「…は? ぬるい、と、申されますと…?」
「そのままだ。スラムの連中と比べて、お前たちのやっていることは、あまりに、ぬるい」
ラバァルは、立ち上がると、ベルコンスタンを、値踏みするように、見下ろした。
「スラムの連中は、毎日、血反吐を吐きながら、死に物狂いで、強くなろうとしている。そんな連中が、すぐそこまで、迫ってきているというのに。お前たちは、どうだ? 安全な場所で、机にかじりついているだけ。だから、ガルのような男一人に、幹部が、まとめて、のされてしまうんだ」
ラバァルは、執務室の外で、聞き耳を立てていたであろう、ボルコフやロメールにも聞こえるように、声を張った。
「いいか、よく聞け。このままでは、いずれ、お前たちのその地位は、オーメンや、スラム上がりの連中に、くれてやることになるぞ。もっと、危機感を持て!」
「は、はぁ…! 我々も、やれることは、やっておりますが、他に、何をすれば…!」
「そんなことは、自分たちで考えろ!」
ラバァルは、一喝した。「だが、一つだけ、教えてやる。今のお前たちは、日に日に、スラムの連中に、引き離されている。もし、今、本気でぶつかれば、お前たちが、負ける可能性すらある。それほどまでに、力のバランスは、傾き始めているんだ。…オーメンの下部組織に、なりたいのであれば、今のままでも、構わんがな」
「ま、まさか、そのような…!」
ベルコンスタンは、ラバァルの目が、本気であること、そして、その指摘が、紛れもない、事実であることを悟り、ただ、冷や汗を流すことしかできなかった。
その、一部始終を、部屋の外で聞いていた、ボルコフとロメールは、恥辱に、顔を赤らめ、固く、拳を握りしめていた。
そして、その横で、床に座っていたガル・ヴォルカンは、クツクツと、喉の奥で、面白そうに、笑っている。
ラバァルは、帰還するや否や、停滞しかけていた組織の空気を、その圧倒的な存在感で、再び、揺り動かし始めていたのだ。
最期まで読んで下さりありがとう、引き続き次を見掛けたら、また読んでみて下さい。




