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王国兵の利用

クレセントの姉替わりのテレサと 妹? セリアの二人も無事に救出したラバァルは、クレセントが入っていた保養施設へと向かう、しかしそこでもラバァルの無茶が始まってしまい.......。   

               その136



【スラム東地区、新拠点・夜】


ゾンハーグ家の屋敷から帰還したラバァルは、救出したテレサとセリアを、先に保護していたラーナ神の信者たちへと引き合わせた。


扉が開かれた瞬間、信者たちの中から、ザナックスをはじめとする数名が、駆け寄ってきた。

「テレサ様! セリア様!」

「ああ、ザナックス…! 皆、無事だったのですね…!」


涙ながらに再会を喜び、抱き合う彼らに、ラバァルは、近くの空き部屋を割り当てる。

「好きなだけ、使うといい」

そして、彼は、テレサに向き直り、簡潔に告げた。

「…クレセントは、明日、迎えに行く」

「え…?」


その、あまりに唐突な言葉に、テレサは、はっとしたように顔を上げた。「クレセントは…あの子は、ここにいないのですか!? 一体、どこに…!」

彼女の隣で、セリアの顔からも、血の気が引いていく。


慌てて問い詰めてくる彼女たちに、ラバァルは、それ以上、何も答えなかった。


「今は、話すことはない。全ては、明日、あいつをここに連れてきてから、お前たち自身の目で確かめろ」

その、有無を言わせぬ、しかし、どこか彼女たちを気遣うような響きを持つ言葉に、テレサは、それ以上、問いを重ねることができなかった。


ラバァルは、それだけ言うと、踵を返し、その場を去っていった。

残されたテレサとセリアの胸には、再会の喜びと共に、クレセントの身を案じる、重く、そして黒い不安の影が、落ち始めていた。



【翌朝、保養施設へ】


次の日の朝。ラバァルは、いつものように、拠点での朝稽古を見回っていた。

その稽古が終わるのを、一人の女性が、静かに待っていた。テレサだ。


「…ラバァルさん。私も、一緒に行きます」


その瞳には、姉妹同然に育ったクレセントを、一刻も早く、その目で確かめたいという、強い意志が宿っていた。ラバァルは、それに、静かに頷いた。


二人は、馬を走らせ、ロット・ノット郊外にある、あの保養施設へと向かった。


クレセントを、彼女の本当の「家族」の元へ、連れ帰るためにだ。



施設に足を踏み入れると、ラバァルは受付カウンターへと、まっすぐに進んだ。


「あ、あの、どちら様でしょうか…?」


受付の女性が、その威圧感に、少し怯えながら尋ねる。

「ここの責任者はどこだ。一番偉い奴の部屋を教えろ」

「え…? 責任者、でございますか…? 院長は、三階の奥の部屋におりますが、アポイントメントは…」


「三階だな。分かった」


ラバァルは、女性の言葉を最後まで聞かずに、踵を返し、階段へと向かった。

「あ、あの、お待ちください! 困ります、院長には、まず、こちらから取り次ぎを…!」

受付女性が、慌ててカウンターから飛び出してくるが、ラバァルは、その制止を完全に無視し、ズカズカと階段を登り始めた。テレサは、その後ろを、「本当に、これでいいのかしら…」という顔をしながらも、黙ってついていく。


「お、お待ちください! 困ります! 勝手に、院長の部屋へ行かれるのは…!」

受付女性の悲鳴のような声が、後ろから追いかけてくる。


三階にある、院長室。ラバァルは、ノックもせず、いきなりその扉を開け放った。

「お前が、ここの責任者か」

突然の闖入者に、中にいた初老の医師は、驚きに目を見開いた。


「ここに、精神を病んだ患者がいるはずだ。クレセント、という女だ。今から、こいつが連れて帰る。すぐに、退院の手続きをしろ」


ラバァルは、隣に立つテレサを示しながら、命令口調で言った。


施設の責任者である、初老の医師は、ラバァルの、あまりに無礼な申し出に、即座に難色を示した。


「…お待ちください。彼女の精神は、まだ極めて不安定な状態です。今、環境を変えるのは、あまりに危険かと…」


「関係ない」


ラバァルは、医師の言葉を、一言で切り捨てた。


「こいつの病の原因は、ここにあっても治らん。俺のやり方で、治す。何か問題でもあれば、責任は、全て俺が取る。…俺の名は、ラバァルだ。文句があるなら、スタートベルグ家を通して言え」


その、有無を言わせぬ態度と、スタートベルグ家の名に、医師は、もはや何も言うことができなかった。

ラバァルは、眠るクレセントを、その腕に抱きかかえると、テレサと共に、施設を後にした。



【スラム東地区、新拠点】


スラムの拠点に戻ると、ラバァルは、テレサに割り当てられた部屋へと、クレセントを運び込んだ。そして、用意されていたベッドへと、優しく寝かせる。


「クレセント…! 私よ、テレサよ! 元に戻って私の名を言って…!」


テレサが、涙ながらに呼びかける。セリアや、他の信者たちも、心配そうに、その周りを囲んでいた。

「クレセント、聞いているか。お前の仲間たちは、全員、無事だ。もう、心配することはない」

ラバァルも、その耳元で、静かに語りかけた。


しかし、クレセントの虚ろな瞳は、誰の顔も映してはいなかった。ただ、天井の一点を、ぼんやりと見つめているだけ。仲間たちの声も、ラバァルの言葉も、彼女の壊れてしまった心には、届いていなかった。


「…これは、時間がかかりそうだな」


ラバァルは、静かに呟いた。「焦らず、じっくりと、面倒を見てやってくれ」

これ以上、今の自分にできることはない。ラバァルは、後のことを、姉代わりであるテレサに委ね、静かに部屋を出て行った。


彼のやるべきことは、まだ、山のように残っている。





【ロット・ノット、裏社会の動揺】



ラバァルたちが、クレセントを迎えに行っている頃。


ロット・ノットの裏社会は、激震に見舞われていた。


エリサ・ゾンハーグが、屋敷に押し入った何者かの襲撃を受け、選りすぐりの側近五名と、エリート護衛二十名以上を、一夜にして失ったぞ。


その衝撃的な情報は、瞬く間に、各派閥の密偵たちの手によって、ロット・ノット中を駆け巡ったのだ。


ゾンハーグ家は、確かに、大きな痛手を負った。だが、その組織の層の厚さは、他家の追随を許さない。まだ、多くの「怪物」たちが、その懐には眠っている。


普段であれば、ムーメン家も、この情報だけで、ゾンハーグ家に手を出すような、無謀な真似はしなかっただろう。


だが、彼らには、動くための、もう一つの「理由」があった。


半年以上前の事だ、ムーメン家が掴んだ、決定的証拠。シュガーボムの客人ラバァルが、ゾンハーグ家傘下のゴールデン・グレイン商会の主と、親密に会談していたという、あの情報だ。


(…エリサ・ゾンハーグは、我々との協定を破り、裏でディオール家と手を組んでいたのだ!)

ラバァルが巧妙に仕掛けた罠に、ムーメン家は、完全にはまっていた。


彼らにとって、今回のゾンハーグ家の戦力ダウンは、単なる好機ではない。裏切り者へ、鉄槌を下すための、またとない「大義名分」だったのだ。


「…好機だ。今こそ、あの女狐に、我々を裏切ったことを、後悔させてやれ」

ムーメン家の当主、モロー・ムーメンは、不気味な笑みを浮かべた。


「ただし、正面から、戦争を仕掛けるな。奴らの『足』から、一本ずつ、食いちぎっていくのだ」


その日を境に、ロット・ノットの各地で、不穏な火の手が上がり始めた。


ゾンハーグ家が抱える、数多の傘下団体が、次々と、ムーメン家の手の者たちによって、襲撃され始めたのだ。

面と向かっての戦争ではない。だが、それは、より陰湿で、終わりなき、消耗戦の始まりだった。

ラバァルが放った、たった一つの石。


それは、ロット・ノットという、淀んだ池の水面で、彼が想像していた以上に、大きく、そして、血なまぐさい波紋を、広げ始めた。



【ロット・ノット、ムーメン家アジト】


ムーメン家が誇る実践部隊【ケイオス】。その指揮を執っていたのは“鋼拳”バルガスが最も信頼している、三人の幹部のうちの一人、ゼル・カイランだった。


密造酒拠点で重傷を負ったジルコニクスを、持ち場を守れなかった理由からバルガス自らが殴り殺したあの日以来、ゼルの纏う空気は、さらに冷たく、そして鋭利なものに変わっていた。彼は、主の非情さを、その身に刻み込んだのだ。


「――始めろ」


通名を、「灰の処理人」。


ゼル・カイランの、感情のない一言が、ロット・ノットの裏社会に、新たな戦火を告げた。


彼の率いる部隊は、ゾンハーグ家の傘下にある、小規模な商会や工房を、一つ、また一つと、静かに襲撃し始めていた。


彼の戦いは、音がしない。血も、流れない。ただ、触れたものが、灰と化す。


ある商会の金庫は、中身の金貨もろとも、灰の山に。ある工房の職人は、抵抗する間もなく、その場で灰の像へと変えられてしまった。死体も、証拠も、何も残らない。ただ、不可解な「消失」だけが、そこに残されている。



【ゾンハーグ家、エリサの執務室】


「――また、やられました! 今度は、南地区の織物工房が!」


次々と舞い込んでくる凶報に、エリサ・ゾンハーグは、苛立ちを隠せずにいた。


一つ一つの被害は、小さい。だが、じわじわと、蟻が堤を食い破るように、ゾンハーグ家の財盤が、確実に削られていっている。


「…一体、どこのどいつですの…!」


当初、彼女は、先日の襲撃者…あのラバァルという男の、残党による報復かとも考えた。

だが、エリサは、すぐに、その考えを打ち消した。

(…あの男が、このような、姑息な真似をするだろうか…?)


あの日の、屈辱的な記憶。自らの最強の側近たちを、正面から、圧倒的な力でねじ伏せてみせたのだ、しかもその後、あの状況で、いつでも自分を殺せたはずなのに。 二人を引き渡すとあっさりと引き上げていってしまった、あの様なチャンスをいとも容易く....。 まるで何時でも殺せると言わんばかりの行いだった。


(…あの男ならば、報復するにしても、必ず、私の目の前に現れ、直接、喉笛を掻き切りに来るはず)


エリサは、ラバァルという男を、敵として、そう確信していた。


だからこそ、分かる。今、行われている、この手口は、あまりに違う。

直接的で、圧倒的な暴力ではない。じわじわと、こちらの体力を削り取るような、陰湿で、計算され尽くした、粘つくような悪意。


これは、あの男のやり方ではない。

(…では、一体、誰が…?)



やがて、彼女が張り巡らせた情報網が、一つの答えを弾き出した。


「…ムーメン家が飼う、【ケイオス】という部隊の仕業かと…」


「なんですって…!? ムーメン家が、なぜ、私の傘下に手を出すのです!」


エリサは、困惑した。新興勢力のムーメン家とは、不可侵の協定を結んでいるはずだ。なぜ、今になって、それを破る? まさか、先日、私の側近が、得体の知れないスラムのネズミどもに敗れたから? それを見て、我が家が弱体化したとでも、判断したというの…?


(…だとしても、その程度のことで、あのモローが、私に牙を剥く…?)


情報が、足りない。エリサは、思考を一旦、棚上げした。理由はどうあれ、実際に、被害は出ているのだ。まずは、その実行部隊を、根絶やしにする必要がある。


だが、彼女は、伊達に年は重ねていない。ここで、自らの手駒を動かせば、敵の思う壺だ。ラバァルの襲撃で受けた損害は、大きかった、立て続けにこれ以上失いたくはなかったのだ。


彼女は、より確実で、そして、絶対に負けない策を講じる方を選んだ。


王家の兵を、動かすのだ。



【王宮、宰相アルメドラの執務室】


エリサは、その日のうちに、王宮を訪れ、親戚関係にある宰相アルメドラと、密会していた。

「…なんじゃと? モロー・ムーメンが、裏切って、お主の領分を荒らしておると!」

アルメドラは、驚いたように言った。


「ええ、本当のことですわ、アルメドラ様」エリサは、悲劇のヒロインを演じるように、扇で口元を隠した。「奴らに、ゾンハーグ家…ひいては、王家に逆らえば、どうなるか。徹底的に、分からせなければなりません。つきましては、王家の兵を、少し、お貸しいただけませんこと?」

「ふむ…どの程度の規模が、必要なんじゃ?」


「手始めに、300もいれば、十分でしょう。ですが、念のために、後詰として、千の部隊を、いつでも動かせるように、しておいていただけません?」


「エリサよ。たかが、街のチンピラども相手に、そこまでする必要があるのか?」


「ムーメン家を、侮ってはなりませんわ。新興の勢いというものは、時に、老獪さを上回ることもございます。ここで、しっかりと、お灸を据えておきませんと」


「…ふむ。分かった」


アルメドラは、頷いた。「兵のことは、儂に任せておけ。すぐにでも、動かせるよう、手配しておこう」

その言葉に、エリサは、扇の奥で、満足げな笑みを浮かべた。


こうして、エリサは、ロット・ノットの裏社会で起こった火種を、王国の正規軍を巻き込む、より大きな戦乱へと、巧みに、そして冷酷に、導いていったのだ。



【ロット・ノット、王宮・王都守護庁】


エリサ・ゾンハーグが執務室を去った後、宰相アルメドラは、しばし、目を閉じて思考を巡らせていた。

(…ムーメン家が、ゾンハーグ家の縄張りを荒らしている…)

エリサの訴えは、感情的で、どこか芝居がかっていた。だが、その裏にある「事実」は、見過ごせない。評議会の二大勢力の均衡が、崩れ始めている。この火種は、小さいうちに、そして、我が方に有利な形で、摘み取らねばならん。


アルメドラの動きは、迅速だった。


彼は、手元にあった書類仕事に素早く区切りをつけると、すぐに、席を立った。その足は、王宮内に庁舎を構える、【王都守護庁】へと、まっすぐに向けられていた。


庁舎に足を踏み入れると、警備に当たっていた兵士が、その見慣れぬ、しかし尋常ならざる気配の老人に、緊張した面持ちで敬礼した。

「…御用件は?」


「宰相アルメドラである。庁長のイーシス殿に、取り次ぎを願いたい」

宰相の名を聞いた瞬間、兵士の背筋は、さらにピンと伸びた。


「はっ! し、失礼いたしました! 直ちに、お呼びいたします!」


兵士は、慌てて庁舎の奥へと、駆け込んでいった。


程なくして、長身で、精悍な顔つきの女性庁長、イーシス・ラフェンが、早足で現れた。


「これはこれは、宰相閣下。このような場所まで、わざわざご足労とは。何か、急な御用でしょうか?」

「ふぉっふぉっふぉっ。久しいな、イーシス殿」


アルメドラは、鷹のような目で、彼女を見据えた。「今日は、他でもない。お主の力を、借りに来たのじゃ」

彼は、エリサから聞いた話を、自らの言葉に巧みに置き換え、語り始めた。


「近頃、国の法を無視し、真面目に働く商人たちを襲撃しては、富を奪う、不届き者どもがおる、という話を、儂の『耳』が掴んでおってな。これは、王都の治安を揺るがす、由々しき事態。…まさに、お主ら、王都守護庁の、出番というわけじゃ」


その言葉に、イーシスは、わずかに眉をひそめた。


「…それは、確かに、我々の管轄ですな。ですが、私の元には、まだ、そのような大規模な略奪に関する、正式な報告は、一件も上がっておりませんが?」


「敵が、狡猾なのじゃよ」アルメドラは、嘆くように首を振った。「奴らは、影のように現れ、影のように消える。我々が、その尻尾を掴む前に、被害者たちは、報復を恐れて、口を閉ざしてしまうのじゃ」


その話を聞いたイーシスは、納得せざるを得なかった。


「…分かりました。こちらでも、直ちに、情報の裏付けと、捜査を開始いたしましょう。他に、何か情報は?」


「うむ。詳しい情報は、まとめて、後ほど、お主の元へ届けさせよう。だが、一つだけ、言っておく」

アルメドラは、声を潜め、イーシスに、有無を言わせぬ圧力をかけた。


「敵は、我々が思う以上に、手強いやもしれん。兵は、千は、用意しておけ。この件、失敗は、許されんぞ」

それだけ言うと、アルメドラは、踵を返し、来た時と同じように、静かに去っていった。


一人残されたイーシスは、宰相閣下からの、直々の、そして、あまりに不可解な命令に、困惑していた。

(…チンピラの略奪ごときに、千の兵…? まるで、戦争でも始めるかのようだ…)

だが、命令は、命令だ。


彼女は、すぐさま、部下たちを招集し、ロット・ノットの闇に蠢く、見えざる敵の、情報収集を開始したのだった。



【ロット・ノット、王都守護庁】


アルメドラ宰相が去った後、イーシスは、すぐさま、部下たちに、ロット・ノット市街で頻発しているという、謎の襲撃事件に関する、既存の報告書の洗い直しを命じた。


そして、約束通り、翌日の朝。宰相からの使いが、分厚い書類の束を、イーシスの元へと届けた。それに目を通したイーシスは、改めて、事態の深刻さを認識する。


宰相がまとめた資料には、被害に遭った商会や工房のリスト、被害状況、そして、目撃者(ほとんどが報復を恐れて口を閉ざしているが)からの、断片的な証言が、几帳面に記されていた。


イーシスは、地図の上に、被害のあった場所を、一つ一つ、印していく。

「…なるほど。犯行は、新市街の商業区に集中しているな」

彼女は、すぐさま兵を動かし、その犯行エリア一帯の、警邏を強化させた。


だが、その対策は、焼け石に水だった。実行犯たちの、恐るべき手際の良さが、次々と、新たな報告書によって、明らかになっていく。


実行部隊は、わずか20数名。だが、彼らの動きは、まるで幽霊のようだった。


ある商会の金庫が、音もなく灰の山と化し。またある工房の職人が、悲鳴一つ上げずに、その姿を消す。


犯行時間は、およそ5分だと推測されている。王都守護庁の管轄下にある警備隊が、現場に駆けつけた時には、そこに残されているのは、冷たい灰と、不可解な静寂だけ。犯人の姿など、影も形もなかった。


その、あまりに完璧な犯行報告は、イーシスの元へ、次々と届けられた。そして、彼女は、概ね、宰相の説明が、事実であったことを、認めざるを得なかった。


だが、調査を進めるうちに、イーシスは、一つの、あまりに明白な「共通点」に、気づいてしまった。


被害に遭った商人や工房は、全て、例外なく、【ゾンハーグ家】と、何らかの繋がりを持つ者たちだったのだ。

「…まさか…」

イーシスの背筋を、冷たい汗が伝った。


これは、ただの略奪事件ではない。何者かが、明確な意図を持って、ゾンハーグ家の力を、削ぎ落とそうとしているのだ。


そして、アルメドラ宰相は、その「何者か」が起こした事件を、あえて「王国の敵」と称し、王家の兵を動かして、ゾンハーグ家を攻撃して来る者たちに対処させようとしている…?

(…宰相閣下は、評議会の内紛に、我々、王都守護庁を、私兵として利用するおつもりか…!)


全てのピースがはまった時、イーシスは、自分が、逃れようのない、巨大な政治的陰謀の、渦中にいることを、悟った。


ここで、宰相の命令を拒否すれば、どうなるか。

「宰相閣下への、反逆」。その罪状で、自分は、この地位を追われるだけでは済まないだろう。最悪の場合、ありもしない罪を着せられ、二度と日の目を見ることはないと言われる、**政治犯収容施設『サイオン』**へと送致される。そして、そこで、誰にも知られることなく、静かに命を奪われる…。


その、あまりに現実的な恐怖が、彼女の思考を縛り付けた。

「…逃げられない。」

彼女は、自らの立場が、いかに危険で、脆いものであるかを、痛感していた。


今は、動くべきではない。嵐が過ぎるのを待つか、あるいは、一瞬の好機が訪れるのを、待つしかない。


イーシスは、一度、大きく息を吸い込むと、肺の中の空気を、全ての葛藤と共に、ゆっくりと吐き出した。そして、指揮官としての、冷徹な顔に戻る。


彼女は、副官を呼びつけると、矢継ぎ早に命令を下した。

「後詰として、兵千名を、いつでも動かせるよう、準備を整えさせなさい」

「はっ!」

「それと、王国警備隊の隊長、カイ・ロスヴァルトを、至急、私の元へ」


程なくして、現れたカイ隊長に、イーシスは、地図と、これまでの事件報告書を突きつけた。


「カイ隊長。あなたに、三百の兵を預ける。市街で、商人たちを狙う、この『影』を、早急に、殲滅、あるいは捕縛しなさい」

「…承知いたしました。ですが、庁長。敵は、これほどまでに…?」


「ええ」イーシスは、冷たい目で、カイ隊長を見据えた。「狡猾で、手強い相手よ。…だが、必ず、仕留めなさい。これは、宰相閣下、直々のご命令です」

その言葉の裏に隠された、自らの苦悩と、危険な賭けを、彼女は、決して、部下には見せなかった。




【ロット・ノット、スラム南地区】


ロット・ノットの裏社会で、ゾンハーグ家とムーメン家が、血なまぐさい抗争を繰り広げ始めている頃。


その全ての元凶である男、ラバァルは、そんなことなど露知らず、自らが描く、壮大な計画の次なる一手のために、動き出していた。


当面の資金は、ベスウォール家とスタート・ベルグ家からの出資で、解決済み。今、彼が取り組むべき最優先課題は、**「開拓団」**の組織だった。ルカナンへの行路の途中見つけた、あの痩せた土地を、食料を生み出す黄金の土地へと変えるための、人材の確保。


ラバァルは、ウィッシュボーンを伴い、次なる人材発掘の地として定めていた、スラム南地区へと、その足を踏み入れた。


だが、彼の動きは、すでに、小さな、しかし鋭い嗅覚を持つ者たちに、察知されていた。


「…ラバァルさん。どうやら、ガキ共がついてきているようですね」

ウィッシュボーンが、苦笑いを浮かべながら、背後を顎で示した。


そこには、タロッチ、メロディ、ラモン、ウィロー、そして、いつの間にか彼らの輪に、当たり前のように加わっている、薬師の孫娘リリィの姿が、物陰から、こっそりとこちらを窺っていた。

「どうやら、俺たちが、何か面白いことでもすると、勘違いしているらしい。…好きにさせておけ」


ラバァルは、知らぬふりをして、南地区の奥へと進んでいった。


ラバァルが求める人材は、多岐にわたる。荒れ地を耕す屈強な男たち、木を切り倒し、家を建てる大工仕事のできる者、井戸を掘る技術を持つ者、そして、狩猟の心得がある者。


だが、その中でも、彼が最も重要視していたのは、**「痩せた土地でも、作物を育てる知識を持つ者」**だった。それこそが、この計画の、成功の鍵を握る。

(…だが、何から手をつけるか)


ラバァルは、足を止め、南地区の、荒涼とした景色を見渡した。東地区のように、いきなり再開発を始めて、人を集めるか? いや、まずは、この計画の核となる、「農夫」を見つけ出すのが先決だ。


ラバァルが、思考に沈み、ぴたりと動きを止めた、その時。


しびれを切らした子供たちが、ついに、物陰から飛び出してきた。


「なあ、ラバァル! いったい、何してんだよ! 南地区に、なんか用でもあるのか?」


タロッチが、ぶっきらぼうに聞いてくる。

「こら、タロッチ!」ウィッシュボーンが、すかさず窘めた。「お前たち、訓練はどうしたんだ! なんで、こんな所まで、ついてきやがった!」


その問いに、タロッチは、悪びれもせずに、ニヤリと笑った。


「だってよぉ、ウィッシュボーンのおじちゃん。どうせ、またラバァルが、何か、とんでもなく面白いことを、やらかそうとしてるんだろ? そんなの見逃せるわけ、ねえじゃんか!」


「そうだぜ! 俺たちには、ラバァルがやることを、知る権利がある!」

ラモンが、いっちょ前に腕を組んで付け加える。


「そうよ! 誰よりも早く、一番に知りたいんだもの!」

メロディも、負けじと声を上げた。


子供のくせに、随分と生意気な口を利く。だが、その瞳は、純粋な好奇心と、ラバァルへの絶対的な信頼で、キラキラと輝いていた。


その、あまりに真っ直ぐな、好奇の目に、ラバァルは、やれやれと、溜息をついた。

そして、彼は、あることを、思いついた。


(…そうか。その手が、あったか)

ラバァルは、子供たちに向き直ると、不敵な笑みを浮かべた。

「…面白いこと、か。いいだろう。お前たちに、一つ、手伝ってもらうことにする」


その言葉に、子供たちの目が、キラキラと輝き始めた。


ラバァルの、新たな計画は、この小さな探偵団を巻き込んで、思わぬ方向へと、動き出そうとしていた。   



              


最後まで読んでくれありがとう、また続きを見掛けたら読んでみて下さい。  

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