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5vs5

ようやく、その時は来た、エリサ・ゾンハーグの屋敷に乗り込み、クレセントの家族を取り戻す、

ラバァルは、エルトンたちと共に朝から馬に乗り、新市街方面へと馬を走らせる。  

 

              その135



【ロット・ノット、スラム北部・旧オーメン訓練場】


救出したラーナ神の信者たちを、東地区の新拠点へと保護したラバァルは、休む間もなく、次なる行動を開始した。


残された、司祭とクレリック見習いを、ゾンハーグ家の本拠地から奪還する。それは、これまでとは比較にならないほど、危険な任務になるだろう。


ラバァルは、エルトン、ニコル、そしてシュツルムの三人を引き連れ、最初に作られた、旧オーメン訓練場へと向かった。新拠点ができた今、ここは、ごく一部の者たちだけが使う、特別な場所となっていた。


訓練場に足を踏み入れた瞬間、シュツルムたちが、息をのんだ。


空気が、違う。東地区の、まだどこか素人臭さが残る訓練場とは、明らかに密度が違う。ここにいる者たちから発せられる気は、どれもが、血と死の匂いを纏っていた。


その中心で、二人の巨漢が、静かに、しかし凄まじい気迫で、組手を行っていた。

「…ラバァル」

シュツルムが、警戒を込めて、ラバァルに声をかける。


「ああ。こいつらは、あそこの連中とは違う。本物の『怪物』だ」

「おいおい…マジかよ。こいつら、やべぇな…」


ニコルも、その異様な雰囲気を察知し、ヒュゥ、と口笛を吹いた。


その時、組手に決着がついた。一人の巨漢――ヨーゼフが、もう一人の巨漢――ビスコの腕を取り、見事な一本背負いで、その体を地面に叩きつけていた。


ヨーゼフは、起き上がると、ラバァルたちの姿を認め、ニヤリと笑った。

「ラバァルさん。戻ったのか」

「ああ。東地区では、派手にやったそうだな、ヨーゼフ」

「ははっ、大したことじゃねえさ。ほとんどは、ウィッシュボーンが片付けた。俺は、こいつと、少し遊んでやっただけだ」


ヨーゼフがそう言うと、投げられたビスコが、起き上がりながら、悔しそうに言った。

「くっ…ヨーゼフ、今のは、完全に一本取られたぜ」


彼は、潔く負けを認めると、ヨーゼフが話している相手…ラバァルへと、視線を向けた。


「お前が、ビスコか」ラバァルは、値踏みするように言った。「ヨーゼフとは、良いダチになったようだな」

「…あんたが、ヨーゼフが言ってた、ラバァルさんか」ビスコは、ぶっきらぼうに答えた。「色々あったが、こいつに誘われてな。今は、ここにいる。良かったら、俺を使ってくれ。あっちに戻っても、もう、つまらん仕事しかねえからな」


「ヨーゼフが、お前の面倒を見ているのなら、問題ないだろう」

ラバァルは、頷くと、二人の怪物に、悪戯っぽく笑いかけた。


「…そうだ。今から、少し『面白い場所』へ、散歩に行こうと思うんだが。お前たち、手伝ってみるか?」

その言葉に、訓練ばかりで、実戦に飢えていた二人の目が、ギラリと光った。


「面白い場所、だと? 面白そうだ、是非、お供させてもらうぜ」

「役に立てるのなら、俺も行こう」


二人の怪物は、完全に、乗り気だった。


こうして、ラバァルは、ロット・ノットに居る手札として最強格とも言える、二人の「矛」を組み入れた。

彼は、新たに加わったヨーゼフとビスコ、そして、アビスゴートの精鋭たちを伴い、次なる戦場…ロット・ノットの頂点に君臨する、【ゾンハーグ家】の屋敷へと、その歩みを進める。




【ロット・ノット、新市街から上層区画へ】


ラバァルの一行は、旧訓練場を後にすると、新市街へと向かった。


まずは、シュガーボ-ムに立ち寄り、ベルコンスタンから、新たに仲間になったビスコと、まだゴールデン・グレイン商会、荷馬車護衛としての仮通行証のままだったシュツルムの分の、精巧な偽造身分証を受け取る。ヨーゼフは、ディオール家エマーヌの側近だった頃にボディガートとしての、正規の王侯区エリアへも入れる身分証を受け取っていたので、その必要はなかった。


準備を整えた一行は、王宮へと続く、丘の登り口へと向かった。

途中、上流階級居住区へと入るための、厳重な検問所に差し掛かる。ヨーゼフとビスコという、二人の巨漢を連れた、見るからに物騒な一団。当然、警備隊員たちが、何事かとぞろぞろと集まってくる。


「止まれ! 貴様ら、何者だ!」

隊員の一人が、緊張した面持ちで、槍を突きつけてくる。


ラバァルは、馬から降りると、あらかじめ用意していた、完璧な嘘を並べ立てた。


「我々は、【ゾンハーグ家】の依頼を受け、特殊な任務に就いている者だ。エリサ様直々のご命令でな。…我々の行動を、ここで邪魔立てするつもりか? それが、どういう結果を招くか、分かっているのだろうな?」


【ゾンハーグ家】。その名が出た瞬間、警備隊員たちの間に、動揺が走った。彼らは、顔を見合わせ、押し黙ってしまう。このロット・ノットで、ゾンハーグ家の名に逆らえる者など、ほとんどいないからだ。


ラバァルは、彼らの反応を見ると、そのまま、ゾンハーグ家の屋敷の方角を尋ね、悠々と、その場を通過していった。


【ゾンハーグ家、屋敷前】


ラバァルたちがたどり着いたのは、王宮のすぐ下段に位置する、円周状に広がる、王侯区エリア。その、最も東側に、エリサ・ゾンハーグの屋敷は、まるで要塞のように、鎮座していた。


その敷地は、評議会の筆頭である、スタート・ベルグ家の屋敷よりも、明らかに広大だ。


「…ほう。評議会議員筆頭の、スタート・ベルグ家よりも、大きな土地を占有しているとはな。まるで、自分たちの力こそが、ロット・ノットの頂点だと、誇示しているかのようだ」


ラバァルは、馬上から、その壮麗な屋敷を、冷ややかに見つめて、呟いた。


「金持ちなのは、分かったけどよ…」ニコルは、建物の大きさには、さして興味がないようだった。「なあ、ラバァル。本当に、玄関から、堂々と入っていくのか? こんなデカい家だ、中には、武装した奴らが、ゴロゴロしてるに決まってるぜ?」


「ニコルの言う通りだ、ラバァル」エルトンも、同意する。「裏から、静かに行った方が、楽なんじゃねえか?」


その、あまりにアサシンらしい、真っ当な意見に、ラバァルは、フッと笑った。


「それでは、意味がない」

彼は、馬から降りると、仲間たちに向き直った。


「いいか、よく聞け。今回の相手、エリサ・ゾンハーグは、小細工が通用するような、甘い女じゃない。だからこそ、俺たちは、正面から、奴らの誇りを、力で叩き潰す必要がある」


彼の声には、絶対的な自信が満ちていた。


「お前たちには、それぞれ、エリサを護衛しているであろう、側近、幹部連中を、一人ずつ、叩きのめしてもらう。負けは許されんぞ、気を引き締めてかかれ。…これは、ただの潜入じゃない。**『戦争』**だ」


その言葉を、待っていたかのように。


ヨーゼフとビスコが、一歩、前に出た。

「…道は、俺たちが開ける」

「ああ」


二人の怪物は、互いに頷き合うと、屋敷の巨大な鉄門へと、ゆっくりと歩み寄る。そして――

ゴオオオオオオオオンッ!!!

二人の、渾身の蹴りが、同時に、鉄門へと叩き込まれた。凄まじい轟音と共に、鉄の門は、蝶番から弾け飛び、内側へと吹き飛んでいく。


ヨーゼフとビスコは、破壊された門の向こうで、唖然とする屋敷の護衛たちを睥睨しながら、振り返り、ラバァルに、こう言った。


「…ラバァルさん。どうぞ。」

「ああ」

ラバァルの、ロット・ノットの頂点に対する、宣戦布告。


それは、あまりに、大胆不敵な形で、幕を開けたのだ。



【ゾンハーグ家屋敷、正面突破】


破壊された鉄門の向こうから、屋敷の護衛たちが、怒号と共に、わらわらと湧き出てくる。その数、およそ30。皆、熟練の傭兵であろう、その目には、歴戦の光が宿っていた。

だが、彼らの前に立ちはだかったのは、二人の「怪物」だった。


「――邪魔だ」

ヨーゼフとビスコは、まるで、押し寄せる波を切り裂く防波堤のように、敵の群れへと突っ込んでいった。


ヨーゼフは、襲いかかってきた男のハンドアックスを、いとも容易く奪い取ると、そのまま、その頭蓋へと振り下ろした。ゴシャッ、という鈍い音と共に、血飛沫が舞い、男は崩れ落ちる。


ビスコは、武器すら必要としなかった。ただ、その巨腕を一振りするだけで、屈強な傭兵たちが、玩具のように吹き飛ばされ、壁に激突して沈黙していく。


「ひ、怯むな!」「囲め! 囲んで叩け!」


護衛たちは、必死に抵抗するが、二人の怪物の前では、赤子同然だった。


その間に、ラバァル、シュツルム、エルトン、ニコルは、悠々と、その地獄絵図の脇を通り抜け、屋敷の玄関ホールへと足を踏み入れた。


「よし。次は、中だ。ここからが、本番だろう」


ラバァルがそう呟いた瞬間、ホール内に控えていた第二陣が、一斉に襲いかかってきた。

「おのれぇっ!」「死ねぇっ!」

ロングソード、槍、シミター…。様々な武器が、ラバァルたちを殺さんと、煌めく。


「…遅い」


シュツルム、エルトン、ニコル。三人のアサシンが、その人波の中を、まるで幻のように駆け抜けた。


次の瞬間、傭兵たちの首筋から、次々と血飛沫が上がる。何が起こったのかも理解できぬまま、彼らは、バタバタと床に倒れ伏していった。


「馬鹿な! 連携を取れ! 隊長はどこだ、指揮をしろ!」


後方で、指揮官らしき男が、焦ったように叫んだ。


その声に、ラバァルは、近くにいたシュツルムに、目線だけで合図を送る。


シュツルムは、それに頷くと、ふっと、その場から姿を消した。


そして、数秒後。指揮官の男の首が、コロン、と床を転がったのだ。


指揮系統を失った護衛たちは、もはや、ただの烏合の衆だった。


ラバァルの一行は、息一つ乱すことなく、屋敷の護衛たちを、文字通り「掃除」していく。

血の匂いが、壮麗なホールに満ち満ちていく。



その時、ホールの奥にある、ひときわ大きな扉が、ゆっくりと開かれた。


「――これは、何事ですの?」


凛とした、しかし、氷のように冷たい、女性の声が響き渡った。


ラバァるは、その声の主へと、視線を向けた。


そこに立っていたのは、純白のドレスに身を包んだ、背筋の伸びた、銀髪の貴婦人だった。その顔には、深い皺が刻まれているが、それは醜さではなく、長年、権力の頂点に君臨してきた者だけが持つ、一種の威厳となっていた。


そして、その両脇を、まるで影のように、五人の男女が固めていた。一人一人が、エリシオンとは比較にならないほどの、強靭な気を放っている。ゾンハーグ家が誇る、最強の側近たちだろう。

(…こいつが、エリサ・ゾンハーグか)


ラバァルは、その女の、絶対的な女王のような佇まいを見て、確信した。


エリサは、眼下に広がる死体の山を、まるで床の汚れでも見るかのように、冷ややかに見下ろすと、その唇に、かすかな笑みを浮かべた。


「…我が家の、躾のなっていない犬たちが、ご迷惑をおかけしたようですわね。して、ネズミさんたち。こんな場所まで来て、いったい、何の御用かしら?」



その、あまりに不遜な態度に、ラバァルは、同じように、不敵な笑みを返した。


「…あんたの所の犬が、俺の『家族』に手を出した。その落とし前を、つけに来ただけだ」


「あら、家族、ですって? 面白いことをおっしゃるのね」


エリサは、クスクスと笑うと、その指を、くいっと動かした。


「…ですが、私と話すには、それなりの『資格』が必要ですのよ。まずは、私の側近たちと、遊んでいただかないと」


その合図と共に、五人の側近が、一斉に、ラバァルたちへと襲いかかった。

「――待っていたぜ!」


その瞬間を、待ち構えていたかのように、ヨーゼフとビスコが、前に躍り出た。


ホールは、瞬く間に、五つの死闘が同時に繰り広げられる、混沌の戦場と化した。




ヨーゼフ vs 鎧の巨人 “不動のガイオン”


ヨーゼフは、巨大な戦斧を振り回す、全身鎧の巨人と対峙した。一撃一撃が、床の石畳を砕くほどの破壊力。ヨーゼフは、闘士としての経験を総動員し、その猛攻を紙一重でかわし、鎧の隙間へと、的確な打撃を叩き込んでいく。だが、ガイオンの防御は、まさに鉄壁。互いに決定打を与えられぬまま、壮絶なパワー勝負が続いていた。



ビスコ vs 双剣使い “双剣のシオン”


ビスコの前には、目にも留まらぬ速さで双剣を操る、軽装の男が立ちはだかった。ビスコの剛腕は、掠りもしない。逆に、シオンの双剣が、ビスコの巨体に、次々と浅い傷を刻んでいく。

「…遅いぜ、デク人形!」


シオンの嘲笑が響く。だが、ビスコは、焦らない。彼は、自らの体を「餌」に、相手の動きの癖を、その身に刻み込んでいたのだ。



シュツルム vs 女暗殺者 “静寂のセレネ”


シュツルムは、弓矢を放つ、妖艶な女暗殺者と、影の戦いを繰り広げていた。セレネの放つ矢は、音もなく、死角から飛んでくる。シュツルムは、アサシンとしての超感覚で、それをギリギリで見切りながら、柱の影から、反撃の機会を窺う。一瞬でも気を抜けば、即、死に繋がる、極限の神経戦だった。



エルトン vs 鞭使い “残虐のザギ”

エルトンの相手は、骨を砕く鋼鉄の鞭を、変幻自在に操る、サディスティックな男だった。予測不能な軌道でしなる鞭が、エルトンの退路を塞ぎ、じわじわと追い詰めていく。エルトンは、得意のスピードを活かせず、防戦一方を強いられていた。



ニコル vs 重盾使い “鉄壁のゴード”

「ちくしょう、硬ぇな、この野郎!」

ニコルは、分厚い大盾を構える重戦士に、猛攻を仕掛けていた。だが、彼の素早い短剣の連撃は、全て、その鉄壁の盾に阻まれてしまう。逆に、盾から繰り出される、重い一撃に、何度も吹き飛ばされていた。


戦況は、拮抗。いや、数々の死線を乗り越えてきたはずのラバァルの仲間たちが、わずかに、押されていた。エリサの側近たちは、それほどの、本物の手練れだったのだ。


ラバァルは、その戦いを、腕を組んで、静かに見つめていた。


そして、エリサもまた、その隣で、まるで観劇でもするかのように、優雅に、その光景を眺めている。


やがて、戦況が、動き始めた。




ビスコvs双剣のシオン


「――見えたぜ、お前の、動きがッ!!」


ビスコが、初めて、咆哮した。


彼は、目にも留まらぬ速さで繰り出されるシオンの剣閃を、あえて、その分厚い筋肉を持つ脇腹で、浅く受け止めた。


「ぐっ…!」


肉を裂く痛み。だが、それは、この獣にとって、好機を掴むための、わずかな代償に過ぎなかった。

「なっ…!?」

シオンは、自らの剣が、敵の筋肉に喰い込まれ、抜けなくなったことに気づき、一瞬、動きを止めた。


その、コンマ数秒の隙。それを、ビスコは見逃さない。


彼は、脇腹に剣が突き刺さったまま、渾身の力で、シオンの体を、背後の石壁へと、叩きつけた。

ゴシャアアアアアアアッ!!!

それは、もはや、人が出せる音ではなかった。


ビスコの圧倒的な膂力は、シオンの体を、そして、その背後にあったはずの分厚い石壁をも、同時に粉砕したのだ。


砂埃が舞う中、ビスコは、ゆっくりと立ち上がった。その脇腹からは、夥しい血が流れているが、彼は、まるで痛みなど感じていないかのように、突き刺さっていた剣を、力任せに引き抜いた。

そして、彼がいた場所…かつて壁であった場所には、砕けた石屑と、もはや人の形を留めていない肉塊が、ぐちゃりと、一つになって転がっているだけだったのだ。


その、あまりに荒々しい光景に、ラバァルは、思わず、獰猛な笑みを浮かべて叫んだ。

「よーし、良くやったぞ、ビスコ!」


それは、自らの部下の働きを称える、満足げな声だった。


しかし、その隣で、同じ光景を見ていた銀髪の貴婦人…エリサ・ゾンハーグは、違った。


彼女は、声こそ発しなかったが、その完璧に化粧が施された顔には、隠しきれない驚愕と、自らの側近が、得体の知れないゴロツキに敗れたことへの、屈辱的な怒りが、ごちゃ交ぜになった複雑な気が、ゆらりと立ち昇っていた。

ラバァルは、そのエリサの気の揺らぎを、肌で感じ取り、さらに笑みを深くした。

(…ほう。ようやく、あんたの、その綺麗な仮面が、剥がれてきたじゃねえか)

しかし戦いは、まだ4つも残されていた。




「――終わりだ」

エルトンもまた、鞭の攻撃パターンを完全に読み切り、あえて懐へと飛び込んだ。そして、ザギの心臓に、その毒塗りの短剣を、深く、深く突き立てる。

「グサッ。」

「…えっ…嘘、私が…」

ザギの目が、驚愕に見開かれる。エルトンは、その瞳から光が消え、命が抜け落ちていく瞬間を、冷徹な目で見届けた。アサシンとして、何度も見てきた光景。そこに、もはや、何の感情もなかった。


エルトンが、二人目の側近を仕留めた。

その瞬間、ラバァルは、エリサの纏う空気が、わずかに揺らぐのを感じ取った。

それまで、絶対的な女王として君臨していた彼女の表情から、余裕という名の仮面が、また一枚、剥がれ落ちたのだ。唇は固く結ばれ、その目には、隠しきれない動揺と、屈辱の色が浮かんでいる。

(…ほう。ようやく、ただの見物人では、いられなくなってきたようだな)

ラバァルは、その変化を、愉しむように、見つめていた。



一つの戦いが終わると、それは更に連鎖した。


ニコルは、鉄壁の盾に阻まれ続け、少し苛立っていた。

「ちくしょう、かったいな、このブリキ缶が!」

彼は、一旦、攻撃の手を止めると、わざとらしく肩をすくめてみせた。その、相手を小馬鹿にしたような態度に、ゴードが一瞬、気を取られる。

その隙を、ニコルは見逃さなかった。

彼は、床を滑るように、低い姿勢で突進すると、盾の下の、がら空きの足元へと、その刃を滑り込ませた。

「ぐぎゃっ!?」

ゴードの両足のアキレス腱が、的確に断ち切られる。巨体は、バランスを失い、無様に床へと崩れ落ちた。

「…へへっ。これで、もう立てねえだろ?」

ニコルは、戦闘不能になった相手を見下ろし、悪戯っぽく笑った。彼は、無駄な殺しは好まない。ただ、相手を、二度と歯向かえないようにするだけだ。



「シュツルムは、矢を番えるセレネの、僅かな呼吸の乱れを突き、その喉元を、影の中から放たれた短剣で、的確に縫い止めた」




そして最後ヨーゼフvs“不動のガイオン”


激しい攻防の中、ガイオンは、防御を捨てた、渾身の一撃を放ってきた。戦斧が、凄まじい風圧と共に、ヨーゼフの頭上へと振り下ろされる。

(…来たか!)


ヨーゼフは、それを避けない。むしろ、この一瞬を、待っていた。

彼は、これまでラバァルの元で、ただひたすらに気のコントロールに軸を置き、修練を続けてきた。その成果を、今、この一撃に全て込める。


ヨーゼフは、素早く気を練り上げ、自らの右拳の一点に、極限まで凝縮させた。


それは、かつて闘技場で見せていた、ただ荒々しくまき散らすだけの闘気ではない。無駄な発光も、威圧感もない。静かで、凝縮され、しかし、岩をも内部から粉砕するほどの、純粋なエネルギーの塊。それこそが、ヨーゼフが手に入れた、新たな力だった。

「―――オオオオオオオッ!!」

ヨーゼフは、振り下ろされる戦斧の刃に対し、その気を纏った拳を、下から突き上げるようにして、叩きつけた。

キィィィィィンッ!!!

信じがたい金属音が、ホールに響き渡った。


鋼鉄でできたはずの戦斧が、ヨーゼフの拳が触れた箇所から、蜘蛛の巣のように亀裂を走らせ、そして、粉々に砕け散る。

「なっ…!?」


武器を失い、がら空きになったガイオンの胴体に、ヨーゼフの、もう一方の拳が、静かに、しかし深く、めり込んでいた。


その一撃は、派手な音も、衝撃もなかった。だが、鎧の内側で、凝縮された「気」が爆発し、ガイオンの内臓を、完全に破壊していたのだ。


鎧の巨人は、声もなく、ゆっくりと、その場に崩れ落ち、床に膝をついた。

「…ぐ…ぉぉ…む、ねん…」

それが、彼の最期の言葉だった。


五人の側近たちが、血の海の中に、沈黙した。


ラバァルの仲間たちは、誰もが深手を負い、肩で息をしながらも、全員、その足で、立っていた。

その、あまりに完璧な、そして残酷な結末。


エリサ・ゾンハーグは、ブルブルと、その体を微かに震わせていた。


彼女の最強の盾であるはずの側近たちが、目の前で、一人残らず、打ち破られたのだ。その事実は、彼女の高いプライドを、根底から揺さぶっていた。


だが、彼女は、エリサ・ゾンハーグ。ロット・ノットの闇の女王。


「…ふふっ。なかなか、楽しませていただきましたわ。私の番犬たちも、良い遊び相手を見つけられて、満足だったことでしょう」


彼女は、必死に、いつもの余裕を取り繕い、そう言い放った。


だが、ラバァルは、その作り物の仮面を、容赦なく剥ぎ取りにきた。

「…さて、と」

ラバァルは、エリサの前へと、ゆっくりと歩みを進めた。「あんたの言う、『資格』は、これで、手に入ったかな? エリサ・ゾンハーグ殿」


彼は、初めて、その名を呼んだ。


「あんたの所の犬が、俺の『家族』に手を出した。その落とし前として、あんたが攫った、ラーナ神の司祭と、クレリック見習いを、返してもらおうか」


「…何を、おっしゃっているのかしら?」

エリサは、まだ、強気の交渉を試みる。「貴方のようなネズミに、渡すものなど、何もございませんわ」


その言葉に、ラバァルは、何も言わなかった。


ただ、その身から、ごく微量の、しかし、純粋な殺意だけで練り上げられた、赤黒い闘気を、ゆらりと立ち昇らせたのだ。


それは、先ほど、ガイオンの戦斧を砕いた、あの力の、ほんの欠片。だが、エリサは、本能で理解した。目の前の男が、今、この瞬間に、自分を殺そうと思えば、それが可能であるという、絶対的な事実を。


目の前に転がる、最強の側近たちの死体。そして、この男が放つ、死そのもののような気配。

(…こ、ここで、強情を張れば…私は、殺される…!)

初めて、彼女の心に、現実的な「死」の恐怖が、芽生えた。

「……」


エリサは、瞬時に、思考を切り替えた。プライドよりも、今は、生き延びること。そして、被害を、最小限に食い止めること。


彼女は、作り物の笑みを浮かべた。


「…分かりましたわ。どうやら、少し、悪戯が過ぎたようですわね。良いでしょう。その二人、貴方にお返しいたしますわ」


「契約書を、用意しろ」

ラバァルは、追い打ちをかける。「お前が、二度と、彼女たちと、その仲間たちに手を出さない、という契約をな」


屈辱だった。だが、エリサに、選択肢はなかった。


彼女は、執事を呼び、ラバァルの要求通り、契約書を作成させた。


ラバァルの目的は、ただ二人…クレセントにとって、家族である、テレサとセリアを、取り戻すこと。

その目的を、ひとまず達成した彼は、契約書にサインさせると、それ以上、エリサを追いつめることはしなかった。


「行くぞ」

ラバァルは、仲間たちに声をかけると、ゾンハーグ家の屋敷を、後にした。


彼らは、救出したテレサとセリアを伴い、スラムの拠点へと、帰還する。

残されたエリサは、血の海と化したホールの中央で、一人、震える拳を、強く、強く、握りしめていた。

この屈辱、決して、忘れはしない、と。


最後まで読んでくれてありがとう、またつづきを見掛けたら読んでみて下さい。

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