湧き出る怒り
ラバァルはクレセントに何があったのか知る為に、彼女の精神の中へダイブした、そこで得た彼女の記憶の断片をつなぎ合わせると、ラバァルの知るある人物が浮かび上がった、ラバァルは怒りを抱えながらそこへと向かう.....。
その134
【保養施設、クレセントの病室】
ラバァルは、クレセントの精神の奥深くへと、その赤黒い気を送り込んだ。
精神ダイブとでも呼べば良いだろう、
かつて、マルティーナの心を救うため、彼女の夢の中へと入った経験。魂を共有する神【アンラ・マンユ】が、その時一度だけ道を示した禁断の技を、ラバァルは、自らのものとしていた。
彼は、自らの意識を、暗く、嵐の吹き荒れる海へと、再び潜行させていく。
そして、彼は、彼女の壊れてしまった心の「核」に触れた。そこで、ラバァルは、クレセントが経験した、絶望的な記憶の断片を目の当たりにする。
――デュラーン家の地下牢。仮面を被った男、マクシム・デュラーンが、捕らえられたクレセントに、冷酷な真実を語り聞かせている。
『…貴女の仲間たちが、どこにいるか、知りたいですか?』
『…貴女の、ほんの少しの迂闊な行動が、全ての発端だったのですよ。スラムの飢えた犬に、隠れ家の場所を嗅ぎつけられ、その情報は、闇市の情報屋を経由して…』
ラバァルは、その記憶から、さらに深く、クレセントの意識を遡る。
――「囁きの路地」。朝帰りしたクレセントが、開きっぱなしになっていた隠し扉の異変に気づき、血の気の引いた顔で、地下へと駆け下りていく。
もぬけの殻になった広間。荒らされた居住区。そして、床に転がり、冒涜されたラーナ神の神像…。
その光景を前に、膝から崩れ落ち、絶叫するクレセントの声。
ラバァルは、再び、マクシムとの対面の記憶へと意識を戻し、詳細を確認する。
『…貴女の姉、テレサ。そして、セリア。…。回復魔法を使える貴重なクレリックたち。彼女たちは今頃、ゾンハーグ家の、丁重な『客人』となっていることでしょうな』
(…ゾンハーグ家…! やはり、奴らか…!)
全ての情報を掴んだラバァルは、赤黒闘気を消し、自らの意識を、現実の世界へと引き戻した。
「…ふぅ」
ラバァルが、深く息を吐くと、心配そうに見守っていたラナーシャとデサイアが、彼の顔を覗き込んだ。
「…どうやら、犯人が分かった。ゾンハーグ家の仕業らしい」
「ゾンハーグ家…!」
その名を聞いた瞬間、ラナーシャの表情が凍りついた。「何ですって…!? この人も、私の母と同じように、奴らの毒牙に…」
「ああ。奴らに、姉同然の者と仲間たちを拉致されたらしい。そして、その原因が、自分のせいだと、思い込んでしまったようだ」
「そんな…なんて、酷い…」
ラナーシャは、ベッドに横たわるクレセントの姿に、自らの母の姿を重ね合わせていた。自分が、なぜ、この見ず知らずの女性のことを、これほど気にかかっていたのか。ラバァルの知人だから、というだけではなかった。同じ痛み、同じ絶望を、彼女もまた、背負っていたのだ。その不思議な縁に、彼女は、言葉を失っていた。
「原因が分かったのなら、話は早い」
ラバァルは、立ち上がった。「その原因を、根こそぎ取り除いてやれば、こいつも、元に戻るかもしれん」
彼は、クレセントの額に、もう一度、そっと手を置いた。
「…今日は、もう帰ろう。こいつは、今は、静かに寝かせておくのが一番だ」
【新市街から>>スラム>>、闇市へ】
保養施設を出て、新市街でラナーシャと別れると、ラバァルは、デサイアと共に、シュガーボムへと戻った。
ラバァルは、休む間もなく、ベルコンスタンを呼びつけると、一つの命令を下した。
「ゾンハーグ家が、スラム北地区、『囁きの路地』に隠されていた拠点から、ラーナ神の信徒を数名、拉致したはずだ。その者たちが、今、どこに囚われているか。お前の『目』で、至急、探し出せ」
ベルコンスタンは、その情報量の多さに一瞬驚きながらも、「かしこまりました」と、深く一礼した。
そして、ラバァルは、再び、スラムへと戻り、ロット・ノットの最も深い闇の中へと、その身を投じた。
デサイアを伴い、彼が向かう先は、スラムの地下に広がる、あの闇市。
クレセントの記憶の中で、マクシムが口にした情報屋の名。
それは、ラバァル自身も、一度ならず利用したことのある、よく知る名だった。
全ての元凶。ゾンハーグ家に、クレセントたちの居場所を売った、あの男。
情報屋、【ホークアイ】。
ラバァルの顔には、もはや、一切の感情はなかった。ただ、確実に獲物を仕留めることだけを考える、冷徹な狩人の光が、その瞳の奥で、静かに、そして禍々しく、燃えているだけだった。
【ロット・ノット、闇市『影溜まり』】
ラバァルとデサイアは、闇市の雑踏を、一直線に突き進んでいった。そして、ある古びた薬草店の裏手、人目につかない通路の奥へと入る。そこには、古びた木の扉の前に置かれた長椅子に、フードを目深に被った老人が、闇に溶け込むように座っていた。情報屋、【ホークアイ】だ。
「よぉ、ホークアイ」
ラバァルは、何の挨拶もなく、殺意を込めた声で言った。「お前、俺の身内を売ったそうだな。その落とし前、お前の命で払ってもらわんと、俺の気が収まらん」
不意に現れた、怒りに燃える男。ホークアイは、仮面の下で、その顔を凝視した。
「…ほう、あんたか。それは、何の話ですかな? 身に覚えは、ございませんが」
白々しい嘘だった。だが、ラバァルは、何度か情報を買ったことのある、この老獪な情報屋に、一切の容赦はしなかった。
次の瞬間、ラバァルの全身から、赤黒い闘気が爆発的に噴き出しホークアイの老いた体に纏わりつくとまるで木の葉のように宙に浮き上がり、そのまま、背後の古びた木の扉ごと、店の中へと叩きつけられた。
凄まじい破壊音と共に、ホークアイは、店の石畳の床に叩きつけられ、呻き声を上げる。
ラバァルとデサイアは、破壊された扉の残骸を踏み越え、ゆっくりと店の中へと入った。
「…この俺に、嘘は通用せん」
ラバァルの声は、地を這うように低い。「次に嘘をつけば、その首を刎ねる。分かったな?」
有無を言わせぬ物言い。ホークアイは、悟った。この男は、全てを知っている、と。
「ま…待たれよ…! すまぬ…! お主の、知り合いだとは、今の今まで、全く、知らなかったのじゃ…! 教える! 何が知りたいのじゃ!」
彼は、必死に命乞いをしながらも、生き残るための糸口を探ろうとしていた。
「ふんっ、知らぬでは済まん」ラバァルは、ホークアイの胸ぐらを掴み上げた。「お前は、俺の身内に手を出す連中に、加担した。この俺の、だ。ゾンハーグ家は、俺が叩き潰す。お前は、その様を、特等席で見せてやる。そして、この俺に関わる者に敵対した者が、どうなるかを知れ。…もちろん、お前も、いずれは死ぬ。だが、ただでは殺さんぞ。覚えておけ」
「ひぃぃ…! すまぬ、申し訳なかった…! 本当に、知らなかったのじゃ…!」
「ダメだな。知らなかったでは、済まされん。…俺は、クレセントの、あの姿を見てしまったのだからな」
ラバァルの怒りは、もはや、彼の合理的な思考を超えていた。
その、危うい様子に、デサイアが、静かに、しかし毅然として割って入った。
「あなた、早く話しなさい」彼女は、ホークアイに冷たく言った。「誰に、どこで、何を話したか。包み隠さず話せば、あるいは、楽に死なせてもらえるかもしれませんよ」
その言葉に、ホークアイは、自らの死を覚悟した。彼は、震える声で、全てを語り始めた。『嗅ぎ犬』と呼ばれる男が、情報を持ち込んできたこと。自ら裏を取り、その情報をゾンハーグ家に流したこと。そして、買いに来た男が、エリサという主に命じられた、エリシオンという名の男であったこと…。
重要な情報の裏付けが取れたことで、ラバァルの怒りは、さらに燃え上がった。
(…エリサ・ゾンハーグ…!)
今すぐ、ゾンハーグ家の屋敷に乗り込み、全てを破壊してしまいたい。その衝動が、彼の全身を支配する。
その、危険な兆候を、デサイアは見逃さなかった。
「ラバァル。待ちさない」
彼女は、ラバァルの前に、静かに立ちはだかった。
「今のあなたでは、何をしでかすか分からない。とても、危険よ。一度、頭を冷やして」
「…分かっている!」ラバァルは、荒々しく叫んだ。「分かっているが、クソッ…!」
この怒りのままに動けば、これまで築き上げてきた全てが、灰になりかねない。そのことは、彼自身が、一番よく理解していた。
ラバァルは、しばらく、自分の中で荒れ狂う激情と、冷静な思考との間で、激しく葛藤していた。
やがて、彼は、深く、深く息を吐き、赤黒い闘気を、その身の内へと収めた。
「……デサイア」
ラバァルは、常の冷静さを取り戻すと、静かに言った。
「…よく、止めてくれた。危うく、全てを台無しにするところだった。感謝する」
その言葉に、デサイアは、ただ、静かに頷き返した。
【ロット・ノット、闇市から新拠点へ】
冷静さを取り戻したラバァルは、床に転がったまま震えているホークアイに、最後の一瞥をくれた。その視線には、もはや怒りはなかった。ただ、氷のように冷たい、絶対的な宣告だけが込められていた。
「…生きて、俺の戦いを見届けろ。そして、後悔しろ」
それだけ言うと、彼はデサイアと共に、破壊された扉の残骸を踏み越え、闇市を後にした。
目的地は、スラム東地区の新拠点。
ほぼ半日をかけて、雑然としたスラムの路地を抜け、彼らが拠点に帰り着いた頃には、日はとっぷりと暮れ、空には月が昇っていた。
拠点は、煌々と明かりが灯され、活気に満ちていた。仲間たちの食事を作る匂い、訓練の後に交わされる声、そして、子供たちの屈託のない笑い声。
つい半日前までいた、欲望と裏切りが渦巻く闇市とは、まるで別世界だった。
(…これか)
ラバァルは、無意識のうちに、自分が守ろうとしているものの正体を、改めて認識していた。
食事を済ませ、自室に戻ったラバァルは、一人、窓の外に広がる、スラムの夜景を見つめていた。
(…危なかった。あのまま、怒りに任せてゾンハーグ家へ乗り込んでいれば、今頃、全てが灰になっていたかもしれん)
デサイアの制止がなければ、自分はこの場所と、ここにいる仲間たちを、自らの手で危険に晒すところだった。その事実に、彼は、静かに奥歯を噛みしめた。
だが、決意は、揺るがない。
明日、ゾンハーグ家へ行く。
クレセントをあんな姿にした連中と、その元凶である、エリサ・ゾンハーグという女に、落とし前をつけさせる。
(…連れて行くのは、エルトンとニコルでいいだろう。あの二人のアサシンとしての腕ならなんとかなるだろう)
彼は、頭の中で、冷静に、そして緻密に、明日への段取りを組み立てていく。怒りは、もはや、彼の思考を曇らせる激情ではない。全ての計画を、完璧に遂行するための、冷たい燃料へと変わっていた。
ロット・ノットに来てから、初めて覚えた 個人的な「怒り」。
その怒りを、どう使うか。
ラバァルの、ロット・ノットにおける本当の戦いが、今、静かに、そして個人的な復讐の色を帯びて、始まろうとしていた。
【スラム東地区、新拠点、翌朝】
怒りに燃えた長い夜が明け、ラバァルは、昨日の激情が嘘のように、冷徹なまでの冷静さを取り戻していた。
彼は、洗面所で冷たい水で顔を洗い、思考をクリアにすると、工事の進捗状況を確認しながら、日課であった朝の走り込みを再開した。
土を踏みしめ、規則正しい呼吸を繰り返す。そのリズムが、彼の心を、さらに研ぎ澄ませていく。
すると、どこからともなく、複数の軽い足音が、彼の後ろについてきた。嗅ぎ慣れた、ガキどもの気配だ。
ラバァルは、振り返らずに、口の端を吊り上げた。
「…ふんっ。そんな、ちんたらした走りで、俺についてこれると思っているのか? 修行にならんぞ、お前たち! ――俺を、抜いてみろ!」
そうけしかけると、ラバァルは、一気にその速度を上げる。
「はぁ…! はぁ…! はぁ…!」
しばらく後、建物内の訓練場にたどり着いた子供たちは、皆、肩で息をしていた。
「…なんだ、お前たち。そのザマは」ラバァルは、涼しい顔で、息を整えている彼らに告げた。「あれくらいの距離で呼吸を乱しているようでは、まだまだだな」
その指摘に、ウィローが、慌てて呼吸を止めようとするが、こらえきれずに、「ぶはぁーっ!」と、ひときわ大きな息を吐き出してしまった。
「なにやってんだ、ウィロー!」
タロッチが笑いながら突っ込むが、そのせいで自分も息が乱れ、「ぶはぁ~」とやってしまう。「ま、待ってくれラバァル! 今のは、ウィローが笑わせたせいなんだ!」
「言い訳をするな、タロッチ」ラバァルの、厳しい声が飛ぶ。「お前の鍛錬が、まだ足りんだけだ」
「そうよ、タロッチ。男らしくないわ」
メロディが、涼しい顔で言い放つ。彼女は、すでに呼吸を整え終えていたのだ。
そんな、いつもの朝の光景の中に、三人の見慣れぬ男たちが姿を現した。聖騎士の、ルンベール、セバスティアン、そしてトーヤたちだ。
それを見たラバァルは、「ちょうどいい」と、訓練中の全員を集めた。
「お前たちに、新たな師を紹介する」
ラバァルは、まず、優雅な立ち姿のルンベール子爵を示した。
「こちらは、聖騎士のルンベール子爵。レイピアやエストックなど、細身の剣の扱いに長けた、本物のエリートだ。彼の剣技を学びたい者は、彼の前に並ぶがいい」
次に、片腕のセバスティアンを示した。
「こちらは、聖騎士セバスティアン殿だ。片腕を失いながらも、その剣技は、並の騎士を遥かに凌駕する。何より、彼の持つ騎士としての誇りと徳は、お前たちの精神を鍛えるだろう。ロングソードの道を極めたい者は、彼を師と仰げ」
そして最後に、快活なトーヤを示した。
「こちらは、聖騎士トーヤ殿。槍の達人だ。突きたければ、彼に弟子入りしろ」
その言葉に、訓練生たちの間に、どよめきが走った。本物の「聖騎士」から、直接、指導を受けられる。それは、スラムのゴロツキだった彼らにとって、想像もつかないほどの機会だった。
やがて、意を決した者たちが、次々と、三人の騎士たちの前に、列を作り始めた。
「「「弟子にしてください!!」」」
目の前で、真剣な眼差しを向ける若者たちに、三人の騎士も、少し戸惑いながらも、その覚悟を受け止めていた。
「よーっし! お前ら、本気で槍を学びたいんだな!?」
トーヤが、早速、大声で檄を飛ばす。「俺の訓練は、地獄より厳しいぞ! それでも、ついてくるかぁ!」
「「「応っ!!」」」
彼は、残った者たちを連れ、早速、外の広場へと向かっていった。
それを見て、ルンベールとセバスティアンも、それぞれの弟子たちを連れ、訓練を開始した。セバスティアンの顔には、かつての絶望の色はなく、教える者としての、新たな誇りの光が宿っていた。
ラバァルは、その光景に、静かに頷き。
そして、残った者たちに向き直る。
「いいか。誰もが、剣や槍の達人になる必要はない。お前たちには、お前たちの戦場がある。工事を手伝う者、食料を作る者、情報を集める者。全てが、俺たちの力になる」
彼は、痩せこけた元第三軍の兵士たちにも命じた。
「お前たちは、まず、食って、体を取り戻せ。今のその体で戦場に出れば、犬死にするだけだ。まずは、工事を手伝いながら、兵士としての肉体を作り直せ」
その、的確な指摘に、彼らも、素直に頷くしかなかった。
一通り、新たな仲間たちへの段取りを終えたラバァルは、踵を返した。
彼が、ロット・ノットで、本当にやるべきこと。そのための、準備は整った。
「エルトン、ニコル。行くぞ」
彼は、最も信頼する二人の「刃」と共に、新市街にある、シュガーボムへと向かった。
その道中、ラバァルの思考は、これから始まる戦いの、複雑な手順を組み立てていた。
(…ゾンハーグ家…)
怒りに任せて、力押しで叩き潰すのは、簡単だ。
だが、それではだめだ。
(…城壁を一つ壊せば、その瓦礫の処理に、どれだけの時間がかかる…?)
ラバァルの思考は、常に合理的だ。ゾンハーグ家も、ムーメン家も、このロット・ノットという巨大な城を構成する、歪んだ石垣の一部。それを無闇に破壊すれば、城そのものが傾きかねない。
そして、傾いた城は、外敵にとって、格好の的となる。
(…灰には、できない)
ラバァルがやろうとしているのは、殲滅戦ではない。
まるで、猛毒を持つ獣を、生きたまま手懐けるかのように。牙を抜き、爪を研ぎ、そして、かつての主ではなく、新たな主のために、その力を振るわせる。
そのためには、まず、相手の喉元に、決して見えない手綱を、かけなければならない。
ラバァルの、ロット・ノットにおける戦いは、ただ破壊するだけでは済まない難しさを増していた。
それは、派手な破壊ではない。
静かに、深く、そして確実に、この街の全てを、内側から掌握するための、戦いだった。
【シュガーボム、執務室】
エルトンとニコルを伴い、シュガーボムへと戻ったラバァルは、まっすぐに執務室の扉を叩いた。
中では、ベルコンスタンが、すでに何枚もの羊皮紙を広げ、彼を待っていた。
「よぉ。調べはついたか?」
ラバァルが尋ねると、ベルコンスタンは、淀みなく報告を始める。
「はい。まず、『囁きの路地』の隠し扉、および地下空洞は、ご指示通り、もぬけの殻でした。次に、ここ数ヶ月、闇市周辺で目撃されたゾンハーグ家の者の特徴から、一人の男が浮かび上がりました。エリサ・ゾンハーク直属の部下だと思われています、名は…エリシオンと呼ばれています」
ベルコンスタンは、地図の一点を指し示した。
「実行部隊は、おそらく、エリシオン配下の3名から5名。そして、彼らのねぐらは、ロット・ノットの北西、郊外へ30キロほど行った場所にある、ゾンハーグ家の私有施設かと。…ただし、そこに、ラーナ神の信徒たちが囚われているかまでは、まだ…」
「十分だ」
ラバァルは、ベルコンスタンの報告を遮った。「昨日の今日で、よくぞ、そこまで調べ上げた」
彼は、踵を返した。
「エルトン、ニコル。ロット・ノットの外へ出るぞ」
三人が部屋を出ようとした、その時。
「お待ちください、ラバァル様」
ベルコンスタンが、二通の偽造身分証を差し出した。
「そちらのお二方に。門を抜ける際に、必要かと」
「…気が利くな、ベルコンスタン。でもゴールデン・グレイン商会から幌馬車の護衛として雇われている証明書があるが?」
ラバァルがそう言ったが、ベルコンスタンは、「その証明書見せて頂けますか?」
そう言ったので、ラバァルは、エルトンに証明書を出させた。それをベルコンスタンは調べる...。
「やっぱり、これだと幌馬車と同時に門を出入りしないと疑われてしまいますね。」
そう教えてくれた、ラバァルは、「そうなのか?」といい、偽造の方をもう一度出させる。
差し出すのを見て「助かる」と感謝の言葉を掛けた。
ラバァルは、それを受け取り、二人に渡した。
(…だが、こいつらにも、早く正規の身分証を用意してやらねばならんな)そう考えていた。
【ロット・ノット、北門郊外】
北門を出て、北西へ30キロ。ルカナンから乗ってきたサウロイドは、ゴールデン・グレイン商会に預けてある。歩くには、ちと遠い。
ラバァルは、北門の外に軒を連ねる、移動用の動物を貸し出す商人たちの元へと向かった。その中の一軒、ひときわ多くの馬を揃えた店で、彼は馬を三頭、借りることにした。
「親父、馬を三頭。一日だ」
「へい! 銀貨6枚になりやす!」
ラバァルは、無言で銀貨を支払うと、用意された馬に、エルトン、ニコルと共に跨った。そして、ベルコンスタンから聞いた方角を目指し、荒野を駆け抜けていく。
【ゾンハーグ家の私有施設】
馬を走らせること、数時間。
彼らの目の前に、信じがたい光景が広がった。
そこは、ただの施設などではなかった。広大な農地、家畜が草を食む牧場、そして、それらを取り囲むようにして建てられた、数々の壮麗な建物。それら全てが、一つの大きな「街」を形成していたのだ。
「…すげぇな…。これが、ゾンハーグ家の力かよ…」
エルトンが、呆然と呟く。
「なぁ、ラバァル! 見てみろよ、あの豚! すげぇ、美味そうだぜ!」
ニコルは、いつも通り、食い気に走っていた。
中央には、巨大な噴水が水を噴き上げ、手入れの行き届いた庭園が広がっている。食料、水、住居、そして娯楽。生きるために必要なもの、その全てが、この場所には揃っていた。
ラバァルは、その光景を、ただ、黙って見つめていた。
そして、静かに、しかし、確かな決意を込めて、呟いた。
「…俺たちも、これを作る。いや…これよりも、もっと巨大なものを、俺たちの手で、作り上げてみせる」
それは、ただの嫉妬や憧れではなかった。
目の前の、敵が築き上げた豊かさを、自らの計画の、新たな「目標」として、その目に、そして魂に、深く刻み込んだ瞬間だ。
【ゾンハーグ家の私有施設、潜入】
目の前に広がる、街と見紛うほどの大きな施設。ラバァルたちは、馬を森の中に隠すと、その影に身を潜め、大きな壁を冷静に観察した。
「…行くぞ」
ラバァルの短い合図と共に、三つの影が、まるで重力を無視するかのように、音もなく壁を駆け上がり、建物の屋根へと到達した。元【エシトン・ブルケリィ】で鍛え上げられた、アサシンとしての卓越した身体能力。それは、今も、彼らの体に深く刻み込まれている。
三人は、屋根から屋根へと飛び移り、内部の構造と、警備の配置を、瞬時に頭に叩き込んでいく。そして、開いていた二階のバルコニーから、最初の建物へと、音もなく侵入した。
一つの部屋で、使用人のものと思われる、地味な衣服を拝借し、それに着替える。完璧な変装。これで、彼らは、この施設に溶け込む「影」となった。
堂々と、しかし誰の注意も引かぬように、建物の中を調べていく。
――だが、いない。
最初の建物にも、次の建物にも、目的の人物…ラーナ神の信徒たちの姿は、どこにもなかった。
三つ目の建物。そこは、他の居住区とは少し離れた、ひときわ大きく、そして警備が厳重な建物だった。おそらく、ここの責任者クラスが使う、特別な棟だろう。
その中を調べていた、その時。
ラバァルの足が、ぴたりと止まった。
(…いた)
廊下の先、開かれた大きな部屋の中心に、一人の男が立っていた。
その男から発せられる気は、他の警備兵とは、明らかに次元が違う。研ぎ澄まされた刃物のような、冷徹で、強靭な気。ベルコンスタンが説明していた、エリシオンの特徴と、完全に一致する。
当たりだな。
ラバァルは、エルトンとニコルに、目線だけで指示を送った。二人は、それに頷くと、音もなく、それぞれ左右の通路へと散開し、いつでもエリシオンの死角を突ける位置へと移動していく。
そして、ラバァルは、一人、ゆっくりと、エリシオンへと近づいていった。
その、あからさまな接近に、エリシオンが、ついに気づいた。
「…なんだ、貴様。ここは、関係者以外、立ち入り禁止だ。さっさと出ていけ」
その声は、静かだが、逆らう者を許さない、絶対的な響きを持っていた。
しかし、ラバァルは、薄く笑みを浮かべたまま、歩みを止めない。
「お前に、少し、聞きたいことがある」
「…何だと?」
エリシオンの目が、わずかに細められる。その隣に控えていた、屈強な部下の一人が、ラバァルの前に立ちはだかった。
「止まれと言っているのが、聞こえんのか! 貴様、何者だ!」
男は、凄みを利かせ、ラバァルを威嚇する。
だが、ラバァルは、まるでそこに壁などないかのように、その男の肩を、軽く押しのけた。
「だから、聞きたいことがある、と言っているだろう。さっさと、答えろ」
その、あまりに尊大で、常軌を逸した態度。
エリシオンは、目の前の、見慣れぬ男の正体を測りかねていた。ただの馬鹿か、それとも…。
だが、彼の部下は、違った。自らの威嚇が、全く通用しなかったことに、プライドを傷つけられ、そして、怒りに燃えた。
「この、クソガキが…!」
男の拳が、ラバァルの顔面目掛けて、唸りを上げて放たれた。
【ゾンハー-グ家の私有施設、内部】
「この、クソガキが…!」
エリシオンの部下の拳が、ラバァルの顔面目掛けて、唸りを上げて放たれた。
だが、その拳は、空虚な空間を殴りつけただけだった。目の前にいたはずの男の姿が、まるで蜃気楼のように、掻き消えていたのだ。
腕が空を切りバランスを崩してしまい、前のめりになった男。その背後に、いつの間にか回り込んでいたラバァルが、容赦なく、その尻を蹴り前へと押したのだ。
男は、無様な悲鳴を上げながら、主君であるエリシオンへと突っ込んでいく。
「…邪魔だ」
エリシオンは、突っ込んで来た部下を、虫けらを払うように薙ぎ払い、後ろで余裕をかましている得体の知れない男…ラバァルを、殺意を込めて睨みつける。
だが、ラバァルは、その覇気を、そよ風のように受け流した。
「おいおい。俺にばかり気を取られていて、いいのか?」
その言葉に、はっとしたエリシオンが、周囲を見渡す。
そして、彼は、信じがたい光景を目の当たりにした。
いつの間にか、部屋の隅に、二つの影…エルトンとニコルが、音もなく現れていた。そして、その足元には、先ほどまでエリシオンの背後を固めていたはずの、部下たちの首が、無造作に転がっていたのだ。
パタリ、と。首を失った胴体が、時間差で床に崩れ落ちる。
「なっ…! アーガス! クルト!」
「貴様ら…何者だァッ!!」
エリシオンが絶叫している間にも、惨劇は続く。エルトンとニコルは、残りの部下たちへと、流れるような動きで襲いかかる。短剣が、獲物の首筋に深く突き刺さり、そのまま、肉を裂きながら、くるりと半周する。強烈な回し蹴りが、その首を胴体から切り離し、壁際まで吹き飛ばした。
ビシャッ、という、生々しい音。
数秒のうちに、エリシオンの精鋭であるはずの部下たちは、ただの肉塊へと成り果てていた。
「ふんっ」
ラバァルは、冷たい目でエリシオンを見下ろした。
「お前が拉致したラーナ神の司祭と信徒――どこにやった? さっさと吐け」
だが、エリシオンは何も答えず沈黙した。 (心の中) だめだ、3人同時ではとても勝てん。
主君エリサ・ゾンハーグへの恐怖が、ラバァルの威圧をかろうじて凌駕していたのだ。
「……なるほど。今度はゾンハーグが怖くて口もきけんか。つくづく、ひ弱なラットだな」
ラバァルは鼻で笑い、低く呟いた。
「よし。お前は本物のラットの餌にしてやろう」
その言葉に、ニコルが楽しげに割って入った。
「ラバァル! ラットよりムカデの方がいいんじゃねえか? 毒もあるし、もっと苦しむぜ!」
「それ、いいな」エルトンも笑う。「あれに食われたら、痛えなんてもんじゃねえと思うぞ」
生きたまま、ムカデに内臓から喰われる――
その地獄絵図を脳裏に描いた瞬間、エリシオンの精神は崩壊した。
「ま、待ってくれ! 話す! 話すから、それだけは……!」
堰を切ったように、エリシオンはすべてを語り始めた。
ラーナ神の信徒たちの大半は、この施設の「五号棟」に。
だが、司祭とクレリック見習いの二人は“特別な価値”があるとされ、エリサ・ゾンハーグの屋敷へと直接連れて行かれたという。
「……ふん。やはり、お前もただの使い走りか」
ラバァルは吐き捨てるように言い、窓の外を指させた。
「で、その五号棟ってのは、どれだ」
震える指で、エリシオンは一つの建物を示した。
「まあ、よかろう。お前程度の雑魚を生かしておいても害はない。だが――次はないぞ」
ラバァルの声は、氷のように冷たかった。
「次に俺の前に現れた時は、お前をバラバラにしてやる」
その言葉は、エリシオンの精神に深く刻まれ、二度とクレセントたちに関わることを許さなかった。
ラバァルたちは、得た情報をもとに五号棟へ向かう。
そこでは、労役に駆り出されていたラーナ神の信者九名が、無事に救出された。
だが、彼らには帰る場所がない。
ラバァルは迷わず、九名を連れてスラム東地区に新設した自らの拠点へと戻っていった。
彼の新たな拠点に、また少し、人が増えたのだ。
最後まで読んで下さりありがとう、またつづきを見掛けたら読んでみて下さい。




