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半年ぶりの再開

ガルとの戦いを経て、渇望の咆哮を傘下に収める事と成ったラバァルは、彼らを残し、ロット・ノットへ戻って行く、その間にも、幾つもの小集団を配下にしながら、ロット・ノット>>>ルカナン間の警護補助機能として役立たせようとの目論見を実行していたのだ。そしてようやくロット・ノットへと戻って来た。    

              その132



【渇望の咆哮】という大きな駒を手に入れた後も、ラバァルの「狩り」は終わらなかった。


ロット・ノットまでの、残された道程みちのり。そこには、まだ無数の小規模な盗賊や山賊たちが、ハイエナのように点在していた。


だが、ここで、ラバァル一行は、新たな問題に直面していた。


仲間が、60名にも膨れ上がったことで、たった一台の幌馬車に積まれた食料が、みるみるうちに底をつき始めたのだ。


当初の目的であった「餌」としての役目を終えた幌馬車は、今や、ただの重荷となりつつあった。


飢え。それは、元兵士たちだけでなく、ラバァルたち自身にも、平等に襲いかかってくる。


状況は、一変していた。


今や、彼らは、獲物を待つ側ではない。生きるために、自ら獲物を狩る**「略奪者」**へと、変貌していた。


「――次の『餌場』は、あそこだ」


ラバァルは、地図に記された、盗賊のアジトを指し示した。


彼らは、もはや襲ってくる者を待ち構えはしない。情報を基に、こちらから積極的に賊の縄張りへと攻め込み、彼らのアジトを殲滅し、そこに蓄えられた食料や物資を、奪い取っていった。


そして、打ちのめされ、全てを失い、ひざまずく賊たちに、ラバァルは一つの選択肢を与えた。


「お前たちに、仕事をやろう。今後、この街道を通る、ゴールデン・グレイン商会の旗を掲げ、荷を積んだ幌馬車…その安全を、お前たちの縄張り内で確保しろ。他の賊に手出しはさせるな。見事、役目を果たした者には、報酬として、二度と飢えることのないだけの食料を、俺が保証してやる」


飢えを知る者にとって、「食料の保証」という言葉は、金よりも、どんな甘言よりも、絶対的な響きを持っていた。だが、ラバァルは、それだけで彼らを信用しはしない。



「ただし、契約には儀式が必要だ」


「...儀式?...。」



ラバァルは、賊の頭目たちを前に立たせると、その右手を、ゆっくりと掲げた。


次の瞬間、彼の掌から、赤黒い炎のような、しかし熱を感じさせない、異質な闘気がゆらりと立ち昇った。それは、見る者の魂を直接掴み、握り潰すかのような、禍々しいプレッシャーを放っていた。


「なっ…なんだ、ありゃあ…!?」


賊たちは、生まれて初めて見る、その理解不能な現象に、言葉を失った。それは、魔法ではない。神聖な奇跡でもない。もっと根源的で、冒涜的で、抗うことすら許されない、絶対的な「何か」。


その赤黒い揺らめきを見つめているだけで、魂が震え、体の芯が凍りつくような恐怖に襲われる。中には、恐怖のあまり、その場で腰を抜かし、失禁してしまう者さえいた。



彼らは、本能で理解した。


目の前に立つこの男は、人間ではないのかもしれない。人間の皮を被った、何か別の存在なのだと。そして、この男に逆らうことは、「死」よりも、もっと恐ろしい結末を意味するのだと。


ラバァルは、恐怖に染まった彼らの顔を、満足げに見渡した。


「もし、この契約を破り、俺を裏切るようなことがあれば…この赤黒い炎が、お前たちの体の中から燃え上がり、魂ごと焼き尽くすことになる。これは、そういう呪いだ」


赤黒い気の糸が、彼らの体の中へと、まるで生き物のように染み込んでいく。賊たちは、もはや、抵抗する意志さえ、完全に奪われていた。


こうして、彼らは、昨日までの自分たちと同じ「獲物」を、今度は、魂に刻み込まれた絶対的な恐怖と、そして、わずかな希望によって、自らの命を懸けて護衛することになったのだ。


ラバァルが、元盗賊たちに「呪いの契約」を刻み込む、その一部始終を。


少し離れた場所から、息を殺して見つめている者たちがいた。神官のカトレイヤ及び、三人の聖騎士たちだ。


アビスゴートのメンバーたちは、平然とみている。


彼らは、ヨーデルからの脱出の際、ルーレシアが内に秘めた、人智を超えた「使徒」としての力を、仲間を救うために解放するのを、その目で見ていた。そして、後に、彼女自身の口から、その力の訳を聞かされてもいたのだ。『私をこうしたのは、ラバァル。私を救うために』と。


彼らにとって、ラバァルが、常人とは違う、規格外の存在であることは、すでに覚悟の上だったのだ。彼の力は、時に恐ろしく、しかし、必ず仲間を救うための力であると、彼らは信じていた。


だが、セティア神を信奉する四人にとって、その光景は、あまりに衝撃的だった。


【カトレイヤの視点】


(…ああ、神よ…なんという、禍々しい力なの…)


カトレイヤは、思わず胸の聖印を握りしめていた。ラバァルの掌から放たれる赤黒い闘気。それは、彼女がこれまで感じてきた、どんな邪悪な存在とも違う、もっと根源的で、冒涜的な「何か」だった。ヨーデルからの徒歩での旅の途中で見た、あの時のルーの力に、似てるものだ。


光の女神セティアに仕える神官として、本来であれば、決して相容れぬ力のはずだ。


しかし、彼女は知っている。この男が、ヨーデルの地獄から、自分たちを救い出してくれた恩人であることを。そして、今も、飢えた者たちに、生きる道を与えようとしていることを。


(…彼の進む道の先には、光があるのか、それとも…)


彼女は、祈るように目を閉じ、その葛藤を、胸の内に深くしまい込んだ。


【トーヤとルンベールの視点】


「…おい、見たかよ、今の…」


トーヤは、隣に立つルンベールに、かすれた声で囁いた。


「ああ…。ヨーデルで、ルーレシア殿が見せた力と共通点はある…。あの赤黒い炎のようなものは、一体…」

ルンベールもまた、驚きを隠せない。


彼らもまた、ヨーデルからの脱出時、常識を超えた光景を経験してきた。だが、ラバァルの力は、それとはまた違い異質だった。それは、悪魔の力でも、魔獣の力でもない。まるで、混沌そのものが、人の形をしているかのようだった。


聖騎士として、悪しき力を許すことはできない。だが、あの力は、今、秩序をもたらそうとしている。この矛盾に、彼らはただ、沈黙するしかなかった。


【セバスティアンの視点】


そして、セバスティアンにとって、その衝撃は、他の誰よりも大きかった。


彼は、ヨーデルから避難してるさい起こった戦いの中、ルーレシアが力を解放した時、意識を失っていた。彼にとって、これが初めて目にする、「人ならざる力」だったのだ。


赤黒い炎を見た瞬間、彼の全身を、言いようのない悪寒が駆け抜けた。片腕を失った時の、死の恐怖すら、霞んでしまうほどの、根源的な畏怖。


(…この男は…ラバァル殿は、一体、何者なのだ…?)


彼は、自分に新たな生きる道を示してくれた恩人が、同時に、理解不能な、恐るべき力を秘めた存在であることを、その身に刻み込まれた。


警戒、恐怖、そして、それでもなお、心のどこかで彼を信じようとする、わずかな信頼。


セバスティアンは、ただ、震える拳を、強く握りしめることしかできなかった。


四人は、誰一人として、その驚きや恐怖を、口には出さなかった。


彼らは、すでに、ラバァルという男の器の大きさと、その行動の根底にある、ある種の「正しさ」を、この旅の中で感じ始めていたからだ。


今はただ、沈黙し、彼の真意を見極めるしかない。

彼らは、それぞれの胸に、複雑な想いを抱えながら、再び、ロット・ノットへの道を、進みだす。




【ロット・ノット到着】



ルカナンを出発してから、四ヶ月近い月日が流れていた。


長い、長い旅路の果て、ラバァルたち一行は、ついに、ロット・ノットの巨大な城壁を、その視界に捉えた。


彼らの姿は、出発した時とは、様変わりしていた。


供回りの元第三軍の兵士たちは、略奪した食料で飢えをしのぎ、度重なる実戦によって、かつての兵士としての精悍さは取り戻している。そして何より、彼らの瞳には、ラバァルという、自分たちを飢えから救い、新たな目的を与えてくれる指導者への、狂信的ですらある信頼の光が宿っていた。


アビスゴートのメンバーや聖騎士たちもまた、この過酷な旅路と、常に飢えと隣り合わせの戦いを経て、出発前とは比べ物にならないほど、その練度を高めている。


一台の、空になった幌馬車から始まったこの旅は、今や、一つの強力な軍隊となって、帰還したのだ。


「…ふん。少しばかり、遠回りが過ぎたな」


ラバァルは、眼前にそびえるロット・ノットの街を見据え、不敵な笑みを浮かべた。


彼の不在の間、この街で、ベルコンスタンやウィッシュボーンたちが、どれだけの「舞台」を整えてくれているのか。そして、この街の「王」たちは、この新たな力の到来を、どう迎えるのか。


ラバァルのロット・ノットでの戦いは、今、この瞬間から、再び始まろうとしていた。





【ロット・ノット、北門前】


ルカナンを発ってから、四ヶ月以上。ラバァルが最初にロット・ノットを旅立ってから数えれば、実に半年を超える月日が流れていた。


長い、長い旅路の果て、ラバァル率いる一行は、ついにロット・ノットの北門へとたどり着いた。その数、総勢60名。彼らは、もはや単なる輸送隊ではなく、幾多の死線を乗り越え、一つの共同体として結束した、歴戦の兵団となっていた。


「ゴールデン・グレイン商会の幌馬車だ、入市の許可は得ている。」


ラバァルがそう言ったが、言い方がぶっきらぼうだった為か? 入ろうとする一団を見てか?

分からないが、凱旋は、門前で、あっさりと止められてしまった。


「待て! それ以上、進むな!」


門を守る兵士たちが、槍を交差させて彼らの行く手を阻む。


「…チッ、面倒なことだ」


ラバァルは舌打ちし、サウロイドから降りると、代表者として門兵の元へ向かった。そして、懐から【ゴールデン・グレイン商会】の通行証を提示し、入市の許可を再度申請しなおす。


門兵の隊長らしき男は、通行証と、ラバァルの背後に控える物々しい一団を、何度も見比べ、やがて、杓子定規な口調で告げた。


「…通行証は確認した。だが、この許可証で入市が認められるのは、申請者本人と、幌馬車、及びその関係者のみだ。よって、門を通過して良いのは、申請者である貴殿と、幌馬車の御者、そして幌馬車に乗っている二名の女性だけとする。残りの者たちは、身元が不明なため、通すわけにはいかん」


「何だと!?」


ニコルやエルトンたちが、色めき立つ。ラバァルは、それを手で制した。門兵に文句を言っても、埒が明かないことは分かっていた。


「…分かった。では、他の者たちは、ここで待たせておく」


彼は、ルンベールとシュツルムに、部隊の統率を任せると、言い渡した。


「少し、時間がかかるかもしれんが、大人しく待っていてくれ。出来るだけ急いで戻る」


ラバァルは、御者に幌馬車を進ませ、カトレイヤとデサイアと共に、ひとまず門を通過した。


そして、一行は、そのまま新市街にある【ゴールデン・グレイン商会】へと直行した。



店の門をくぐり引き戸を開け中へ入ると、「ラバァルが帰ったとマルティン殿に伝えろ」 


店の店員にそう伝える、以前揉めた経緯からラバァルの姿を覚えていた番頭が、急ぎ主に報告。   

すると、間もなく、急ぎ出て来たマルティンが。



「ラバァル殿! ご無事で…!」


突然の帰還に驚く当主マルティンに、ラバァルは、挨拶もそこそこに、単刀直入に用件を切り出した。


「マルティン殿、早速だが、頼みがある。今、北門の外に、これから俺たちの輸送隊の護衛を担うことになる、55名の兵士を待たせている。彼らの身元引受人になってほしい」


「なっ…55名!?」


「そうだ。ゴールデン・グレイン商会が、正式に『護衛として雇用した』という形にしてくれれば、話は早い。そのための書類を、今すぐ作成してほしい。そして、あんたも一緒に、北門まで来てもらう」


その有無を言わせぬ口調と、ラバァルの背後に宿る、以前とは比較にならないほどの威圧感に、マルティンは「NO」と言うことができなかった。


「…わ、分かりました。すぐに、手配いたしましょう」

それから一時間後。


ラバァルは、ゴールデン・グレイン商会の当主マルティンを伴い、再び北門へと戻ってきた。


門兵の詰所で、マルティン自らが、55名分の身分保証書と雇用契約書を提示する。ロット・ノット屈指の大商会の当主が、直々に身元を保証するというのだから、門兵たちも、もはや拒否することはできない。


煩雑な手続きを終え、ラバァルの一行は、ついに全員、ロット・ノットの市街地へと足を踏み入れた。


「…さて、と」


ラバァルは、仲間たちに向き直った。「まずは、お前たちの寝床を確保する。全員、俺についてこい」


彼らが目指す先は、このロット・ノットにおける、ラバァルの最初の拠点。


そして、そこにいる男ならば、この突然現れた大所帯を、一夜にして収容できる場所を、必ずや見つけ出してくれるはずだ。

ラバァルの頭脳として、この街を良く知る、あの男ならば。


一行が向かう先。それは、酒場兼賭博場、【シュガーボム】だった。



【ロット・ノット、新市街・シュガーボム】


ラバァルが、60名を超える、旅の汚れと歴戦の空気を纏った一団を引き連れて【シュガーボム】の前に現れると、店の内部は一瞬にして騒然となった。


「て、敵襲か!?」「どこの組の連中だ!?」


従業員たちは、他家からの殴り込みかと勘違いし、慌ただしく武器を手に集まってくる。だが、その物々しい集団の中心に、見慣れた男の姿を認めると、彼らの表情は、緊張から安堵、そして驚きへと変わった。


「ラ、ラバァルさん!? お帰りになられたんですか!」


その声が合図だったかのように、一人の従業員が店の奥へと駆け出していく。主君ベルコンスタンへ、この吉報を知らせるためだ。


「おう。お前たち、俺がいない間も、ちゃんと店を守れていたようだな」


ラバァルは、軽く声をかけながら、ぞろぞろと仲間たちを引き連れ、店の奥へと進んでいく。その時、奥の執務室から、ベルコンスタンが慌てた様子で姿を現した。


「ラバァル様! ご無事で…!」


「よぉ、ベルコンスタン。久しぶりだな」


ラバァルは、再会の挨拶もそこそこに、本題を切り出した。「早速だが、仕事だ。見ての通り、大所帯でな。こいつらが全員、寝泊まりできる場所を探してほしい。バラバラになるのは面倒だ。できれば、一箇所にまとめたい」


その、あまりに無茶で、贅沢な要望に、ベルコンスタンは、ふっと笑みをこぼした。


「ふふっ…相変わらずですね、ラバァル様は。ですが、ご心配には及びません」


彼は、ラバァルの背後に控える、屈強だが疲労の色が濃い一団を一瞥し、おおよその人数を把握すると、自信に満ちた声で言った。


「すでに、ご用意できております。スラム東地区で進めていた再開発ですが、第一期の工事が、先週完了いたしました。あそこならば、この程度の人数、余裕で収容できます」


「ほう、もう出来上がっていたか」ラバァルは、さも当然だという顔で頷いた。「まあ、そのつもりで、連れてきたんだがな」


(…本当ですかねぇ)


ベルコンスタンは、内心で苦笑しながらも、見事なおべっかを使った。

「さすがはラバァル様。全て、お見通しでしたか」



【スラム東地区、新拠点】


ベルコンスタンに案内され、ラバァルの一行は、スラムの東地区へと向かった。


そこは、かつて300年前にロット・ノットの中心であった時代の、古い石造りの建物が、崩れかけたまま打ち捨てられている、スラムの中でも特に寂れた一角だった。


「…場所はここで間違いないのか?」


エルトンが、いぶかしげに尋ねる。目の前にあるのは、壁が崩れ、蔦が絡みついた、ただの廃墟群にしか見えない。


「ええ、ここで間違いありませんよ」


ベルコンスタンは、自信ありげに微笑んだ。


彼が、ある廃墟の、一見するとただの壁にしか見えない部分に手をかけ、特定の石を押し込むと、ゴゴゴ…と重い音を立てて、壁の一部が内側へとスライドした。


「「「おおっ…!?」」」


仲間たちから、驚きの声が上がる。


そして、彼らがその中へ足を踏み入れて目にしたのは、外見からは到底想像もつかない、別世界だった。


外壁のボロボロの石造りはそのままに、内部は、屈強な木の梁と柱で完全に補強され、真新しい木の壁と床が張られた、広大で清潔な空間が広がっていたのだ。


これこそが、【ゴブリンズ・ハンマー工務店】のゴードック親方が最も得意とする、**「古皮の新袋」**と呼ばれる建築技術だった。外見は周囲の廃墟に溶け込ませ、敵の警戒心を誘わないための、完璧なカモフラージュ。それでいて、その内部は、最新の建築技術で、堅牢かつ快適な空間へと作り変えられている。


「…すげぇ…! 外からは、ただのボロ屋にしか見えなかったぜ…!」

ニコルが、感嘆の声を上げる。


「まだ、内装や家具類はこれからですが、雨風をしのぐには十分です。こちらが居住棟、あちらが大食堂と、共同浴場。そして、あれが、新しい訓練場です」


ベルコンスタンの説明に、元第三軍の兵士たちは、ただ呆然と、その光景を見上げていた。スラムの奥深くに、これほどの秘密拠点を、作り上げている。目の前の男たちの、底知れない力を、彼らは改めて思い知らされた。



「ウィッシュボーンと、親方はどこだ?」

「はい。第二期の工事現場の方で、指揮を執っておられます。すぐにお呼びしますか?」

「いや、いい」


ラバァルは、首を横に振った。「まずは、こいつらの疲れを癒すのが先だ」

彼は、仲間たちに向き直り、隣に立つベルコンスタンを顎で示した。


「…お前たち、ここにいるベルコンスタンに、部屋を割り振ってもらえ。そして今日は、ゆっくり休め。――明日から、また地獄が始まるぞ」


その、冗談めかした脅し文句に、アビスゴートのメンバーたちから、疲労の混じった笑い声が上がった。


ベルコンスタンは、優雅に一礼すると、新たな仲間たちに向かって、にこやかに言った。


「皆さん、長旅お疲れ様でした。さあ、私についてきてください。まずは、温かい食事と、清潔な寝床をご用意いたします」


その紳士的な物腰と、安心感を与える言葉に、元第三軍の兵士たちは、戸惑いながらも、安堵の表情を浮かべていた。


長い、長い旅は、終わった。

そして、この巧妙に隠された拠点で、彼らは、ロット・ノットの覇権を巡る戦いに参加する事に成る。



【スラム東地区、新拠点、翌朝】


昨夜の喧騒が嘘のように、静かな朝だった。


ラバァルは、夜が明けきらぬうちから、一人で新しく開発された敷地内を散策していた。仕事というわけではない。だが、自らが不在の間に、この場所がどう変わったのか、その進捗と状況を、この目で確かめておきたかった。


古い石造りの外壁とは裏腹に、内部は機能的に改装された居住棟を抜け、彼は、敷地の中央に設けられた、広大な空間に出た。


(…ほう。こんな広場まで確保してあったか)


そこは、まだ何も建てられていない、ただの土の広場だった。だが、周囲を高い壁で囲まれており、外部から中の様子を窺うことはできない。内部の訓練施設とは別に、外で実践的な訓練を行うための場所。ゴードック親方の、先を見越した配慮だろう。ラバァルは、その仕事ぶりに、内心で感心していた。


さらに奥、今まさに建設が進む第二期工事の現場へと足を向けた、その時だった。

ふと、ラバァルの研ぎ澄まされた感覚が、微かな違和感を捉えた。

(…なんだ?)


敵意はない。殺気もない。だが、複数名の気配が、自分の背後から、急速に距離を詰めてきている。しかも、その気配は、巧みに消されている事がわかった。


ラバァルが常に無意識に展開している索敵範囲――**第三警戒網(50m~25m)は、すでに音もなく突破されていた。


(…この、気の消し方。俺が教えた基礎を、応用しているのか…?)


ラバァルは、すぐに侵入者の正体に見当をつけた。だが、驚くべきはその練度だ。彼がそれに気づいたのは、気配が第二警戒網(25m~10m)**に侵入した、まさにその瞬間だったのだ。

(…ふっ、やるじゃねえか)


ラバァルは、内心で、教え子たちの成長を称賛した。


(だが、まだまだ甘いな)

彼は、気づかぬふりを装い、わざと無防備に、ゆっくりと歩き続けた。相手が、どこまで自分に近づけるか。その実力を、試してみたくなったのだ。


背後の気配は、さらに慎重に、そして大胆に、ラバァルとの距離を詰めてくる。


そして、ついに、最後の境界線――第一警戒網(10m以内)――を、突破した。

今だ。

ラバァルは、振り返りもせず、まるで背中に目がついているかのように、ごく自然に、声をかけた。


「――よぉ。お前たち、元気でやってたようだな」

その声に、背後で息を殺していた子供たちの、息をのむ音が、はっきりと聞こえた。ラバァルは、してやったりと、口の端に笑みを浮かべた。


ラバァルの、あまりに自然な声かけに、背後で息を潜めていた子供たちは、一瞬、完全に動きを止めた。そして、自分たちの奇襲が完璧に見破られていたことを悟ると、わらわらと姿を現した。


「なんだよー! 気づいてたのかよ、ラバァルさん!」

先頭にいたファングが、悔しそうに声を上げる。


「ちぇっ、あとちょっとで、うわー!って脅かしてやろうと思ったのによぉ!」

タロッチも、本気で残念がっていた。


だが、メロディだけは違った。彼女は、そんな作戦の成否などどうでもいいとばかりに、一直線にラバァルの胸へと飛び込んだ。


「もぉー! いつ帰ってきたのよ! 私たちのことなんて、もう忘れちゃってたんでしょー!」

その声は、文句を言いながらも、甘えていて、再会を心から喜んでいるのが、誰の目にも明らかだった。


その様子を、カリーナが、ニヤニヤしながら揶揄する。


「へぇー、甘えん坊だったのね、メロディって。知らなかったわー」

ラバァルは、メロディの頭を無造作に撫でながら、改めて、集まってきた子供たちの顔ぶれを見回した。


ウィロー、ラモン、キッコリー、スパイク…。半年以上、会わなかっただけだというのに、誰もが、一回りも二回りも、たくましく成長しているのが、一目で分かった。子供にとっての半年という期間は、大人が感じるそれとは、密度が違うのだ。


「ラバァルさん、お帰りなさい!」

「また、稽古つけてくれるんだろ!?」

口々に、嬉しそうな声を上げる子供たち。その真っ直ぐな瞳に、ラバァルも、自然と口元が緩むのを感じていた。


「おいおい、お前ら。俺がいなくても、十分強くなったじゃねえか。さっきの気の消し方は、大したもんだったぞ」


ラバァルがそう言ってやると、子供たちの顔が、ぱっと輝いた。


「へへーん、当たり前だろ!」タロッチが、得意げに胸を張る。「なあ、ラバァルさん! こっち来てくれよ! 俺たちが使い始めた、新しい訓練場、見てくれよ!」 「そうだよすげぇんだぜ。」


「ほう。そいつは、楽しみだな」

子供たちに案内されるまま、ラバァルは、新設された室内訓練場へと足を踏み入れた。


そこは、以前新設した訓練場を超えていた、広さも設備も、明るさもだ、素晴らしく機能的な空間だった。そして、その中で、すでに朝の稽古が始まっていた。


ウィッシュボーンがスカウトし、ゴードック親方の元で肉体労働に従事してきた、スラム上がりの男たち。彼らを、オーメンの古参メンバーたちが、一対一で指導している。


まだ動きはぎこちないが、その目には、昨日までの自分たちとは違う、「強くなりたい」という、確かな光が宿っていた。


ラバァルは、その光景を、何も言わず、腕を組んで、しばらくの間、静かに見つめていた。

自分の蒔いた種が、不在の間にも、着実に芽吹き、育っている。

その事実が、彼の胸に、確かな手応えと、満足感をもたらしていた。


オーメンによる新兵の指導を一通り見終えたラバァルは、次に、子供たちの訓練へと視線を移した。

「ラバァル、見ててくれよ!」


タロッチの声を合図に、子供たちが二人一組となり、実戦形式の組手を始める。それは、ラバァルに自分たちの成長を見てもらいたい、という、彼らなりの歓迎の儀式だった。


その動きを見て、ラバァルは内心で目を見張った。

(…ほう。足運びが、かなり違う)


半年前に見た、ただがむしゃらに体を動かしていた頃とは、比べ物にならない。体幹は安定し、動きには無駄がない。それは、彼らが、ラバァルが課した地味で過酷な走り込みを、一日も欠かさずに続けてきた、何よりの証拠だった。


(…よくやったな、お前たち)


内心で、彼は教え子たちの努力を称賛していた。だが、それを決して、表情には出さない。


「タロッチ! 踏み込みが半歩浅い!」「メロディ! 相手の軸足を見ていない!」「ファング! 攻撃が単調だ変化させろ!」


ラバァルは、あえて彼らの僅かな隙を鋭く指摘し、厳しい叱咤を飛ばす。調子に乗らせては、成長が止まる。アメとムチの使い分けこそが、人を育てる上で、最も重要なのだ。



早朝訓練が終わる頃、第二期工事の現場から、ウィッシュボーンとゴードック親方が姿を現した。

「ラバァルさん! お帰りなさい!」


ウィッシュボーンが、安堵の表情で駆け寄ってくる。


「おお、ラバァルさん! どうじゃ、この新訓練場は! 我ながら、素晴らしい出来じゃろう!」


ゴードック親方も、自分の仕事に絶対の自信を持っているかのように、胸を張った。


「うむ。さすがは親方だ。素晴らしい出来だ」ラバァルは、素直に称賛した。「これなら、当分、人が増え続けても十分に対応できるだろう」


そして、彼はウィッシュボーンに向き直った。


「…それで、俺がいない間、他家からの嫌がらせは、どうだった?」


ウィッシュボーンは、ラバァルを伴って歩きながら、この数ヶ月間に起こった、ムーメン家やベルトラン家との抗争の全てを、詳しく報告した。ヨーゼフとビスコの死闘、人質奪還作戦…。それは、決して楽な戦いではなかったことが、彼の言葉の端々から伝わってきた。


「…ですが、ヨーゼフさんの一件以来、表立った妨害は、ぱったりと止んでいます。工事は、今や順調そのものです」


全てを聞き終えたラバァルは、ウィッシュボーンの肩を、力強く叩いた。


「…そうか。よく、この場所を守り抜いてくれた。お前の判断は、正しかった。ご苦労だったな、ウィッシュボーン」


その、飾り気のない、しかし心のこもった労いの言葉に、ウィッシュボーンは、これまでの苦労が全て報われたような気持ちになり、深く頭を下げた。


「親方も、だ。あの抗争の最中に、よくぞ、これだけの工事を進めてくれた。感謝している」

「がっはっは! 職人てのは、戦場だろうが、仕事をするもんよ!」

ゴードック親方も、照れくさそうに、豪快に笑った。



部下たちの働きを確認し、必要な情報を手に入れたラバァルに、休んでいる暇はなかった。


「話は、また後だ。俺は、次の段取りのために、少し出かけてくる」

「えっ、もう行っちまうんですか!?」

驚くウィッシュボーンに、ラバァルは、不敵な笑みを浮かべてみせた。

「ああ。休んでいる暇はない。――鉄は、熱いうちに打て、だ」


そう言い残すと、ラバァルは踵を返し、仲間たちが寝泊まりしている居住棟へと戻っていった。そして、部屋で荷物の整理をしていたデサイアに、簡潔に声をかける。

「デサイア、少し付き合え。出かけるぞ」

「ん。分かっわラバァル」


デサイアは、ただ静かに頷くと、すぐに出かけるための支度を整えた。


彼女たちアビスゴートのメンバーにとって、ラバァルは信頼しているリーダーだ。しかし、同時に、幼い頃から同じ暗殺団で、同じ地獄を生き抜いてきた、兄弟姉妹のような存在でもあった。久しぶりに二人で行動する事を、嬉しく思いつつ、デサイアは「何するのだろう?」と

ちょっとドキドキしていた。 


程なくして、デサイアを伴って再び姿を現したラバァルは、ウィッシュボーンたちに軽く手を上げると、すぐさまゴールデン・グレイン商会へと向かっていった。


これから始まる、膨大な物資と金が動く大規模な取引。その交渉と管理には、シュツルムのような武力ではなく、デサイアの持つ、緻密で正確な事務処理能力こそが必要不可欠なのだ。


彼女を連れ、ラバァルは新市街にあるゴールデン・グレイン商会へと向かって行った。 





最後までよんでくださり有難う、引き続き次を見掛けたらまた読んでみて下さい。

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