長き行程。
ルカナンに着いていたラバァルは、執政官庁舎へ赴き、諸々の報告をする、その後、自分たちのアジトへと戻り、長い行程で起きた数々の出来事を仲間たちに話し始めた.....。
その130
【ルカナン、執政官庁舎・地下秘密基地】
ロット・ノットを発ってから、一月と二十二日が経過していた。
長い旅路の末、ようやくルカナンの地に降り立ったラバァルは、旅の汚れを落とす間もなく、まず執政官庁舎へと向かった。
そこで彼は、ハイル副司令官、およびブレネフ参謀と会談。ロット・ノットの現状、アンドレアス将軍の動向、そして、自らが水面下で進めている裏社会の組織掌握について、包み隠さず報告。
食料輸送計画が、単なる商売ではなく、ロット・ノットの勢力図を塗り替えるための、壮大な布石であることを理解させ、より深い協力を取り付けるためだ。
会談を終えたラバァルは、ようやく、懐かしい仲間たちの元へと足を向けた。元グラティア教徒が遺した地下施設を改修し、今や彼の直属部隊であるアビスゴートの拠点となっている、あの場所へ。
仲間たちとの再会を喜び、互いの無事を確かめ合った後、ラバァルは、本題を切り出した。
【作戦会議室】
ラバァルは、埃と血の匂いが染みついた旅装束のまま、アビスゴートの仲間たちが集う作戦会議室の地図の前に立っていた。その顔には、長旅の疲労と、幾多の死線を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋼のような鋭さが刻まれている。
「…無事に着いて、何よりでした、ラバァル」
ラーバンナーが、安堵の声をかけると、ラバァルはフッと笑った。
「ああ。だが、楽な旅じゃなかった。…お前たちも、よく聞け。今度は、この逆の道を、荷物を積んで進むことになる。まずは南へ360キロ、そして西へ1100キロ。俺たちが、この道中で何を見て、誰と戦ってきたか。それを、今から話す」
ラバァルの声に、室内の空気が引き締まる。ニコル、エルトン、シュツルム…集まった全員が、固唾を飲んで彼の言葉を待っていた。
ラバァルは、埃と血の匂いが染みついた旅装束のまま、アビスゴートの仲間たちが集う作戦会議室の地図の前に立っていた。その顔には、長旅の疲労と、幾多の死線を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋼のような鋭さが刻まれている。
【回想:1400kmの死線】
「出発して、最初の三日間は、平穏だった」
ラバァルの低い声が、回想の始まりを告げる。
「ロット・ノットから南へ向かう街道は、王国の影響力が大きく及んでいるせいか、比較的安全だ。だが、最初の関門、**『嘆きの渓谷』**を抜けたあたりから、空気が変わる」
幌馬車が、切り立った崖に挟まれた渓谷を進んでいく。道の両脇には、身を隠すのに最適な岩陰が無数に存在した。
「ここでは、**『赤牙』**と名乗る山賊団に襲われた。数は20名ほど。連携も取れていて、ただの烏合の衆じゃない。弓兵を崖の上に配置し、馬を狙って足を止め、挟み撃ちにするのが奴らの手口だ。俺は、御者に馬車を全速力で走らせるよう命じ、崖の上から弓兵を始末した。残りは、大したことはなかったが…初見では、かなり厄介な相手になるだろう」
「ロット・ノットから西へ西へと進んでいる、凡そ500㎞は来ていた、ここからが、本当の過酷が始まりだ。広大な**『枯れ森』**が、西への道を覆っている。見通しは良いが、それが逆に罠だ。地面に巧妙に隠された落とし穴や、獣避けの罠が、至る所に仕掛けられている」
幌馬車が、枯れ木の間を慎重に進む。その時、馬の足元で、バチン!と鉄線が弾ける音がした。
「ここでは、猟師上がりの盗賊団に襲われた。奴らは、直接は戦わない。罠で獲物(俺たち)を動けなくし、遠くから毒矢を射かけてくる。陰湿極まりない連中だ。俺は、あえて罠にかかったふりをして、奴らをおびき寄せた。接近戦になれば、奴らは赤子同然だったがな」
「流石はラバァル、敵を逆に罠に賭ける狡猾さは相変わらずね。」 マリィはそう感想を述べた。
ふっと笑いながらラバァルは次に進む。
「そして、2週間ちかく、何も起こらずに進む事が出来た、しかし西への旅路の半ば…『霧の湿地帯』。ここが、最も危険な場所だった、視界がとても悪いのが原因だ、ただし早朝だったのが災いしたのだろう、ここらは晴れた昼に通らなければ成らない事が今なら分かる。」
ラバァルの目に、険しい光が宿った。
深い霧が立ち込め、視界は数メートル先も見通せない。馬車は、ぬかるみに車輪を取られながら、亀のようにゆっくりと進むしかなかった。
「この湿地帯に潜んでいたのは、先ほど話した奴らとはまた違う、30名規模の山賊集団だ、ここらは連中の縄張りなのだろう。奴らは霧に紛れて、音もなく現れ、執拗に襲いかかってきた。 ただの山賊ではなく明らかに訓練された者たちだ、しかも暗殺術に長けた連中だった、恐らくどこかの暗殺団崩れってところだろう。」
霧の中から、無数の黒い影が、音もなく幌馬車に群がってくる。御者が、悲鳴を上げた。
「俺は、御者を守りながら、馬車の上で戦った。敵は、殺すことよりも、俺たちを生け捕りにすること、荷(この時は空だが)を奪うことを目的としていたようだ。おかげで、殺意が鈍っていたのが幸いした。だが、数が多く、キリがなかった。夜明けまで、一睡もせずに襲って来る敵を片っ端から倒してやった。」
「湿地帯を抜ければ、暫くは平地だった、だが、油断は禁物だ。最後の関所、**『双子山』**の峠道。ここは襲撃ポイントとしては最高の地形で、ルカナンからもまだ遠く、警邏隊の目も届かない。まさに無法地帯だ。ここでは、何が起きてもおかしくない」
峠の頂上に差し掛かった時、道の両側から、およそ50名を超える武装集団が現れ、馬車を取り囲んだ。
元正規兵だけあって、装備も良く、統率も取れていた。これまでで、最も手強い相手だった。
「…だが、戦ってみて分かった。奴らの剣には、殺意よりも、生きるための必死さがこもっていた」
ラバァルは、御者に馬車を守らせ、一人でその集団と対峙し、大勢を打ち倒した。そして、倒した者の一人を問い詰め、ようやく事情を理解した。
「奴らは、元々ラガン王国第三軍の兵士だ」
その言葉は、静かだが重く響いた。
「ヘーゲンス将軍がデュラーン家の支援を受けて第三軍を再編するよりも前…前将軍であったホスローの麾下にいた部隊の、生き残りらしい」
説明は続く。
「ホスロー将軍が何者かに暗殺された後、軍内部で粛清が始まった。今の第三軍を牛耳る連中に追われ、軍は分裂。奴らはその混乱の中で全てを失い、野に下った。そして、食い詰めた果てに、ここで盗賊紛いのことをしていた…そういうわけだ」
そのあまりにも無惨な末路に、アビスゴートのメンバーたちの間に、言葉にならない感情が広がった。
国に仕える正規軍の兵士ですら、後ろ盾を失い、居場所を追われれば、こうも簡単に野盗へと堕ちてしまうのか。それは、自分たちが今手にしているこの居場所が、どれほど貴重で、どれほど脆いものであるかを、改めて思い知らせるには十分すぎる事実だった。誰もが、胸の内に自分たちの過去と、目の前の現実を重ね合わせていた。
そして、その背後に蠢く巨大な影に、一同は静かな怒りを覚える。
第三軍の腐敗。そして、その裏で糸を引くデュラーン家の暗躍。
その構図は、彼らがかつてルカナンで戦ったグラティア教の狂信と、根の部分で全く同じだった。力だけを信奉する、ただの粗野な盗賊とは違う。その背後には、都会の洗練された悪意と、理知的な頭脳で冷酷な戦いを仕掛けてくる、巨大な敵の影が見え隠れしていた。
戦うべき相手は、目の前の食い詰めた元兵士たちではない。彼らをも駒として使い捨てる、さらに大きな何かだ。メンバーたちの瞳に、新たな覚悟の光が灯った。
「だが、奴らも、ただの悪党になり下がったわけじゃない。生きるために、だ」
ラバァルは、生き残った者たちのリーダー格と一騎打ちをし、その力を認めさせた上で、こう約束した。
「『次にここを通る時、お前たちに兵士としての仕事と、誇りを取り戻させてやる』と。奴らは、今頃、俺たちが戻ってくるのを待っているだろう」
ラバァルは、話を終えると、地図の上に突き立てたナイフの柄を、ゴツリと叩いた。
ラバァルは、地図を指し示しながら、仲間たちに語りかける。
「道中に現れる盗賊や山賊どもは、一様にして、飢えている。ロット・ノットが富を吸い上げ続けるせいで、この街道沿いは、どこも干上がっているからだ。奴らは、満足な食事もできず、まるで痩せ細った狼の群れのようだ。過酷な環境で生き抜いてきただけあって、その目は鋭く、最初の数合は、危険な動きを見せるだろう」
彼は、そこで一度、言葉を切った。
「だが、案ずるな。体力がない。数分も打ち合えば、すぐに動きが鈍り、息が上がる。十分な食事と、日々の鍛錬を欠かさなかったお前たちなら、決して遅れを取る相手ではない。油断さえしなければな」
その言葉に、アビスゴートのメンバーたちは、自らの体の充実感を再認識し、静かに頷いた。
「…以上が、1400キロを超える道中に潜む、主な脅威だ。大まかな地図は、頭に入ったな」
彼は、仲間たちの顔を一人ひとり見渡し、ニヤリと、獰猛な笑みを浮かべた。
「だが、お前たち、何か気づかなかったか? なぜ、最初の輸送隊が、たった一台の幌馬車だったのか」
その問いに、ニコルやエルトンたちは、顔を見合わせる。
ラバァルは、続けた。
「今度の旅は、これに加えて、道中に俺たちが消費する食料という『お宝』をめいっぱい運ぶ事に成る。当然、行きよりも、遥かに多くのハイエナどもが群がってくるだろう。…だが、本当の目的は、ただ荷物を運ぶことじゃない」
彼の瞳が、冷たく、そしてどこか楽しげに光る。
「今回の輸送隊は、**『餌』**だ。道中に潜む、全ての脅威を、根こそぎ炙り出すためのな。襲ってくる連中が、どこの誰で、どんな力を持っているのか。その全てを、俺たち自身の手で確かめる」
ラバァルは、地図を指し示した。
「そして、見極める。奴らが、どんな『素材』なのかをな。あの元第三軍の連中のように、俺たちの『兵士』になる者もいるだろう。腕は立たずとも、根性のある奴は、ロット・ノットの訓練場で鍛え直してやればいい。それすらできん腰抜けでも、人参をぶら下げてやれば、馬車馬のように働くだろう」
室内に、緊張と、そして奇妙な期待感が入り混じった空気が流れた。
これは、ただの護衛任務ではない。この1400kmの街道そのものを、そこに巣食う人間ごと、自分たちの支配下に作り変えるための、壮大な「錬金術」の始まりなのだ。
ラバァルは、静かに、しかし力強く言った。
「これは、俺たちが、ロット・ノットに、俺たちの『道』を作るための、最初の戦いだ。覚悟は、いいな?」
その言葉に、アビスゴートのメンバーたちの目に、決意の炎が宿った。恐怖ではない。ラバァルという男が描く、壮大で、非情で、しかし、どんな者も見捨てずに利用しようと考える、底知れない器への、揺るぎない信頼と、興奮の炎が。
彼らの新たな戦いが、今、始まろうとしていた。
【ルカナン、女神セティアの集会場】
アビスゴートの拠点を出たラバァルは、ルカナン郊外に建てられた、女神セティアの集会場へと足を運んだ。かつて、食うに困っていた元タートス民たちのために作られたこの場所は、今や、彼らが新たな生活の糧を得るための、希望の拠点となっている。
集会場には、セティアを信仰する多くの者たちの、穏やかで活気に満ちた声が溢れていた。元マーブル出身の神官や修道女たち、そして、ヨーデルをマリィたちと共に潜り抜けた、聖騎士たちの姿も見える。
ラバァルが姿を現すと、その知らせはすぐに集会場のリーダーでもある、元タートス第二王女レクシアの耳に届いた。
「ラバァルが!?」
知らせを受けるや否や、レクシアはスカートの裾も構わず、外へと飛び出してきた。
その視線の先に、旅の疲れを纏いながらも、変わらぬ鋭い眼光で佇む、懐かしい男の姿があった。
「ラバァル…!」
喜びのあまり、彼女は少女のように、その胸へと飛び込んでいった。
「おっと、危ない」
ラバァルは、その勢いをしっかりと受け止め、彼女を抱きしめた。もう、レクシア(33歳)も、決して若いとは言えない歳だ。だが、ラバァル(24歳)にとって、彼女との出会いは、まだ彼が7歳の子供だった頃に遡る。海賊船の檻の中で出会い、共に死線を潜り抜けた。長い年月を経て、ルカナンで再会し、一時は共に生きる未来を考えたこともあった。
(…変わらないな、この人は)
ラバァルは、今も変わらぬ想いを向けてくれる彼女の温もりを感じながら、静かにその背中を撫でた。
「ごめんなさい、私ったら…」
腕の中で、レクシアは恥ずかしそうに身じろぎした。「お久しぶりね、ラバァル。集会場の方は、皆のおかげで、上手くいっているわ」
彼女は、誇らしげに、周囲にいる仲間たちを示した。神官のペリフェラやカトレイヤ、神官戦士のタウンリバー、そして、聖騎士のルンベール子爵、セバスティアン、トーヤたち。誰もが、穏やかな、しかし芯の通った顔をしていた。
ラバァルは、深く頷くと、集まった全員を見渡し、単刀直入に切り出した。
「皆、レクシアを助けてくれて感謝する。…そして、今度は、俺がお前たちの力を借りたい。俺は、ロット・ノットという街で、新たな戦いを始めようとしている。そこでは、回復魔法を使える者と、剣の腕が立つ者が、どうしても必要なんだ。誰か、俺と共に来てくれる者はいないか?」
彼は、一度だけそう問いかけると、それ以上は何も言わず、レクシアと共に集会場の中へと入っていった。
一時間ほど、昔話に花を咲かせた後、ラバァルは立ち上がった。
「そろそろ行く。また、ルカナンに来たら顔を出すよ」
彼が去ろうとした、その時だった。
「待ってくれ!」
声を上げたのは、聖騎士のトーヤだった。「俺は行く! ラーバンナーたちからも、話は聞いている。いつ、出発するんだ?」
「明後日の朝だ、それまでに地下基地へ来てくれ」
ラバァルが答えると、今度は、神官のカトレイヤが、静かに一歩前に出た。
「私も、お供します。ロット・ノットという街には、以前から興味がありましたの」
力強い仲間が、次々と名乗りを上げてくれる。
だが、その輪から少し離れた場所で、ルンベール子爵とセバスティアンが、暗い表情でこちらを窺っていた。ラバァルは、トーヤと共に、二人の元へ近づいていく。
「どうした。あんたたちも、来てくれるんだろう?」
その言葉に、セバスティアンは、自嘲気味に笑いながら、失われた左腕の付け根を示した。
「これを見てくれ。こんな体では、足手まといになるだけだ」
そして、彼は親友の肩を叩いた。「だが、ルンベールは違う。こいつは、本物だ。俺なんかの付き添いをさせておくには、あまりに惜しい。どうか、こいつを、もっと活躍できる場所へ連れて行ってやってくれ」
「何を言っている、セバス! 俺がお前を置いて行けるわけがないだろう!」
ルンベールが、本気で怒鳴り返す。その痛々しいやり取りを、ラバァルは黙って見ていたが、やがて口を開いた。
「…つまり、セバスティアン。あんたは、左腕がないから、戦えないと思っているんだな?」
「…そうだ」
「何を言っている。ロット・ノットには、あんたにしかできない仕事が、山ほどある。別に、左腕がなくてもな。…やってみないか?」
「えっ…!?」
セバスティアンの顔に、驚きと戸惑いの色が浮かぶ。ラバァルは、その心の隙間に、追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「俺は、スラムで、何もない連中を鍛え上げて、一つの軍隊を作ろうとしている。だが、俺には他に見ないといけない者たちが沢山いる、時間が無いのが実情だ、特に、素人に剣の基礎を叩き込む教官が、致命的に不足している。あんたが、これまで血の滲むような努力で磨き上げてきた剣技、騎士としての生き様…それを、未来ある若者たちに、教えてみてはくれないか? あんたのような本物の騎士がいてくれれば、非常に助かるんだが」
その言葉は、セバスティアンの心に深く突き刺さった。
(…教官…? 俺が…?)
農作業に明け暮れる日々から抜け出し、再び、剣の世界へ。いや、自分が教えた者たちが、騎士のように剣を振るう。その光景が、彼の脳裏に鮮やかに浮かび上がった。暗かった表情に、少しずつ、光が戻ってくる。
その変化に、ルンベールが叫んだ。
「おい、セバス! やる気なら、俺もだ! 俺も行くぞ!」
その言葉が、最後のひと押しとなった。セバスティアンは、ラバァルを真っ直ぐに見据えると、力強く言った。
「…やらせてくれ。いや、是非、やらせてください、ラバァル殿!」
彼は、ラバァルの手を固く握り、感謝の意を伝えた。その隣で、ルンベールも、深々と頭を下げている。
「やる気がでたみたいだな、自分がやらなければ活躍できないわけではない事を理解できたようだ、
そう、セバスティアンが仕込んだ者たちは、一人でする以上の活躍を示すだろう、その中に未来の逸材でも出たなら、どうなるか想像してくれ。」 ラバァルは、十分に刺激的な言葉を放ち、その場を後にする。
新たな仲間を得たラバァルは、再びレクシアの元へと戻り、別れの挨拶を告げた。
「…すまないな、レクシア。あんたにとっても、貴重な人材を何人も連れて行ってしまうことになって」
その言葉に、レクシアは、穏やかに首を横に振った。
「いいえ。皆、もう十分にこの場所の礎を築いてくれたわ。それに、信者の数も増え、ここも軌道に乗っている。心配しないで」
彼女は、少し寂しそうに、しかし誇らしげな笑みを浮かべた。
「それに、彼らは元々、ラバァルたちがヨーデルの地から、連れてきてくれた方々じゃない。あなたが謝る必要など、どこにもないわ」
「…そう言ってくれると、助かる」
ラバァルは、彼女の強さと優しさに、改めて感謝した。
「それじゃあ、俺は行く。次に会う時は、もう少し、ゆっくり話せるといいな」
「ええ、必ずよ」
レクシアは、ただ、それだけを答えた。
愛している、という言葉は、もう口には出来ない。自分のいるべき場所がここなのだから。
二人の間には、言葉以上の、深い理解と絆があった。
ラバァルは、その背中に、レクシアの温かい視線を感じながら、仲間たちが待つ地下基地へと、帰っていった。
【ルカナン、地下秘密基地、出発前日】
集会場から戻った次の日、ラバァルは久々の休息を取っていた。ロット・ノットまでの過酷な旅路で蓄積した疲労を、仲間たちと過ごす穏やかな時間の中で、ゆっくりと癒していく。
だが、休息とは言っても、やるべきことはあった。
彼は、ラーバンナーと共に、明日からの長旅のために準備された物資――食料、水、武器、そして矢などの消耗品――を、一つ一つ入念にチェックしていく。
そして、それが終わると、アビスゴートのメンバー全員を集め、今回の遠征隊の人選についての最終的な話し合いを始めた。
「まず、俺から一つ提案がある」
そうラバァルが切り出すと、途端マリィが口を開いた。何の話か分かったのだろう。
「あたしは、ここに残るわ。エリーたち、修道女の仲間たちだけを、この場所に置いていくなんてできないもの」
その言葉には、仲間を思う、強い意志が込められていた。
ラバァルは、静かに頷いた。「分かった。マリィの気持ちは尊重する」
そして、彼は、この地下基地のリーダーであり、自らの片腕でもあるラーバンナーに視線を向けた。
「ラーバンナー。お前も、ここに残れ」
「…承知した」
ラーバンナーは、一切の疑問を挟まず、即座に了承した。彼は、ラバァルの意図を理解していた。自分たちが不在の間、このルカナンを守り、開拓事業を滞りなく進めるには、力と知略を兼ね備えた、絶対的なリーダーが必要だ。その役目は、自分以外にはいないと。
その決定に、他のメンバーも静かに頷く。
ラバァルは、続けた。
「…だが、万が一、俺たちが遭遇したような怪物級の敵が、このルカナンに現れた場合、ラーバンナーだけでは荷が重いだろう。…ルーレシア」
ラバァルに名を呼ばれ、壁際に静かに佇んでいたルーレシアが、わずかに視線を上げた。彼女は、普段から口数が少なく、その感情を表に出すことはあまりない。
「お前も、ラーバンナーと共に、ここに残ってくれ。お前の**『力』**が必要になる時が来るかもしれん」
その言葉に、室内の誰もが息をのんだ。ヨーデルからの脱出の際、ルーレシアが内に秘めた、人智を超えた「使徒」としての力が解放されたのを、ここにいる仲間たちは知っている。ラバァルは、その絶大な力を、このルカナンの最後の切り札として、温存するつもりなのだ。
ルーレシアは、何も言わなかった。
ただ**内心では、ラバァルと共にロット・ノットへ行きたかった。新たな戦場で、自らの力を振るいたかった。**しかし、主であるラバァルの意向には、決して逆らえない。そして、このルカナンを守るという任務の重要性も、痛いほど理解していた。彼女は、その内に秘めた葛藤を、一切表情に出すことなく、ただラバァルを真っ直ぐに見つめた。
やがて、彼女は、こくりと、静かに頷いただけだった。
その瞳には、自らの役目を理解し、受け入れたという、強く、そして揺るぎない光が宿っていた。
こうして、今回の遠征隊のメンバーが、正式に決定した。
アビスゴートからは、冷静な狙撃手シュツルム、ムードメーカーのエルトンとニコル、そして管理能力に長けたデサイアの四名。
そして、セティアの集会場から、聖騎士のルンベール、セバスティアン、トーヤの三名と、神官のカトレイヤ。
ラバァルを含め、総勢九名。彼らが、ロット・ノットの未来を懸けた、最初の輸送隊を護衛することになる。
夜、ラバァルは、一人、地図を広げていた。
1400kmの行程。待ち受けるであろう、数多の困難。
だが、彼の心に、不安はなかった。
信頼できる仲間たちが、側にいる。そして、このルカナンには、ラーバンナーとルーレシアという、強力な二人を残している。
十分とは言えないが、これで何とか行けるだろう。
【ルカナン郊外、夜明け前】
夜が明けきらぬ、深い青色の時間。
ルカナンの地下基地から、一つの奇妙な一団が、音もなく姿を現した。
中央には、小麦とジャガイモ、そして大量の矢を満載した、一台の幌馬車。その幌には、【ゴールデン・グレイン商会】の紋章が、見せつけるように大きく描かれている。
その幌馬車を囲むようにして、馬に乗った三人の聖騎士(ルンベール、セバスティアン、トーヤ)と、鱗に覆われた爬虫類型の魔獣「サウロイド」に跨る戦士たちが、静かに隊列を組んでいた。
シュツルム、エルトン、ニコルがそれぞれサウロイドを駆る中、ひときわ大きなサウロイドには、隊を率いるラバァルが跨っている。そして、その背後には、神官であるカトレイヤが、ラバァルの腰にしっかりと抱きつくようにして乗っていた。タウロイドの揺れにまだ慣れないのか、その表情には、わずかな緊張と、ラバァルの広い背中への信頼が入り混じっている。
幌馬車の御者台には、ゴールデン・グレイン商会の御者二名と、周囲を警戒するデサイアの姿があった。
ラバァルは、背後のカトレイヤの気配を感じながら、全隊を見渡し、静かに告げた。
「…行くぞ」
その一言を合図に、戦闘員9名と御者2名、総勢11名からなる奇妙な輸送隊は、ロット・ノットを目指す1400kmの長大な旅路へと、ひっそりと出発した。
【双子山の峠道、出発から五日目の夕刻】
幌馬車に掲げられたゴールデン・グレイン商会の旗は、まるで「ここに宝があるぞ」と叫んでいるかのような、あからさまな「餌」だった。
しかし、意外なことに、出発してから五日間、何者も襲ってくる者はいなかった。行きの道中で、ラバァルが暴れ回ったおかげで、道中の雑多な野盗どもは、恐怖に震え上がっているのだろう。
そうこうするうちに、一行は、かつてラバァルが元第三軍の残党と遭遇した、あの**『双子山』**の峠道へと差し掛かっていた。
「全員、気を引き締めろ。ここから先は、何が起きてもおかしくない」
ラバァルの声に、隊列に緊張が走る。聖騎士たちも、アビスゴートのメンバーも、油断なく周囲を警戒しながら、ゆっくりと峠道を進んでいく。
だが、その日も、結局何事もなく、陽が傾き始めた。
「…今夜は、ここで野営する」
ラバァルは、少し開けた場所で、幌馬車を中央にして円陣を組むよう指示した。暗い峠道を進むのは、あまりに危険だ。
焚き火が起こされ、交代で見張りを立て、一行は束の間の休息を取り始めた。
夜が更け、周囲が完全な闇に包まれた、その時。
見張り台の上で弓を構えていたシュツルムが、音もなくラバァルの元へ降りてきた。
「ラバァル。何者かが、こちらへ接近してきます。数は…かなり多いようです」
その声には、鋭い緊張がこもっていた。
しかし、ラバァルは、焚き火を見つめたまま、動じなかった。
「…ああ、分かっている。問題ない、そのまま来させろ」
彼は、すでにその気配に気づいていた。そして、その正体にも、見当がついていたのだ。
「だが、念のため、全員を起こして、戦闘態勢を取らせておけ。客人を、驚かせるわけにはいかんからな」
シュツルムは、ラバァルの落ち着き払った態度に、一瞬戸惑いながらも、静かに頷き、仲間たちを起こしに回った。
ラバァルは、ゆっくりと立ち上がると、焚き火の光が届かぬ、暗闇の先を、静かに見据えた。
やって来る者たちが、敵か、それとも、新たな仲間となるのか。
その答えが、もうすぐ、明らかになる。
最後まで読んで下さりありがとうございます、またつづきを見掛けたら読んでみて下さい。




