力の使い方
ラナーシャと別れたラバァルは、帰り道を歩いていると、また悪知恵を閃かせた、 シュガーボムに潜伏しているムーメンの患者を罠に嵌める事を思いついたのだ、それを実行に移すべく、ラバァルは久しぶりにシュガーボムに向かって行く.....。
その125
辺りは、すでに深い夜の闇に包まれていた。ラバァルはラナーシャの叔母が営む雑貨店を後にすると、夜道を歩きながら、シュガーボムへ寄るべきか考えていた。そして、その思考の最中に、一つの面白い企みが彼の頭に浮かびあがった。それを実行に移さない手はないと考えた。
シュガーボムに戻ったラバァルは、ベルコンスタンの執務室には向かわず、そのまま一階のバーカウンターへと足を運んだ。目的は二つ。一つは、ただ酒を飲むこと。そしてもう一つは、ムーメン家から密偵として送り込まれているであろうネズミに、あえて自分の存在を見せつけることだ。
ラバァルは、いつものようにカウンターの端に腰を下ろし、バーテンダーのハウンドに酒をボトルごと注文した。
「よう、ハウンド」
「おや、ラバァルさん。お久しぶりですね」
ハウンドは、氷を入れたグラスに最初の一杯を注ぎながら、にこやかに言った。
「ああ、少し野暮用でな。ところで、最近『あいつ』はどうしてる?」
「『あいつ』…クレセントのことですか? そういえば、ここ数日、顔を見せませんね。三日と空けずに来ていたのに、どうしたんでしょう」
「ほう、平和だったんだな。良かったじゃないか」
「ええ、本当に。あいつに関わると、ロクな目に遭いませんからね」
ハウンドと、そんな他愛のない話をしていると、早速、背後から突き刺さるような視線を感じた。それは、単なる興味本位の視線ではない。探るような、粘りつくような、明確な意図を持った「気」だった。
赤色闘気を体得したラバァルは、気の流れや質の違いを敏感に察知できる。今、こちらに向けられている気には殺気こそ含まれていないが、こちらの内を探ろうとする強い意志が込められていた。
(…見てる。ムーメンのネズミが)
その存在を確信したが、わざわざ泳がせている魚を釣り上げる気はない。むしろ、これこそが今回の目的だ。ラバァルは気づかぬふりを装い、浴びるように酒を飲み干し、わざとらしく千鳥足で自室へと戻っていった。
深夜。ラバァルが眠りについている(ふりをしている)部屋の扉が、音もなく開いた。黒い影が、そろり、と部屋に忍び込む。影は、ラバァルに襲いかかるでもなく、ただベッドの傍らで、彼の寝息や部屋の様子をじっと観察していた。数分後、影は目的を果たしたのか、来た時と同じように音もなく消えていった。
(…任務は、俺がどんな奴かと言う監視と報告か。ご苦労なことだ。さて、どんな役に立たない報告をムーメンに届けるのか、見ものだな)
翌朝。ラバァルは、ハウンドの所で朝食を済ませると、その足で【ゴールデン・グレイン商会】へと向かった。これも、芝居の続きだ。目的は、商会の代表であるマルティンと、自分が親密に会っている姿を、昨日から尾行させているネズミに見せつけるためだ。
護衛部隊の育成など、こちらの準備はまだ整っていない。今マルティンと会っても、話が大きく進展するわけではない。だが、それでいい。今回は、ムーメンに「ラバァルがゴールデン・グレイン商会と手を組んだ」という事実を、決定的な証拠として突きつけることが重要なのだ。
「…分かりました、ラバァル殿。では、三日後、試験的に幌馬車一組をルカナンへ派遣してみましょう。こちらで用意するのは、御者二名と幌馬車のみ。それでよろしいのですね?」
マルティンとの会話は、当たり障りのない、最初の段取りを決める程度の内容に終始した。
「うむ。まずは俺が適当な者たちを連れて護衛をやってみる。あんたは心配しなくていい」
「承知いたしました。それでは、間違いなく段取りを進めさせていただきます」
マルティンと固い握手を交わし、商会を後にする。ラバァルを付けていた気配は、既にどこかへ消えていた。
(…食いついたな)
ラバァルは、口の端に冷たい笑みを浮かべた。ネズミは、この「決定的証拠」を知らせるため、主の元へと急いで戻ったのだろう。ムーメン家が、この情報にどう食いつき、どう思い動くのか? ラバァルの仕掛けた罠が、今、静かに作動し始めた。
シュガーボムに潜入していたムーメン家の工作員は、姿を消した。ラバァルが仕掛けた「ゴールデン・グレイン商会との繋がり」という偽の情報が決定的となり、これ以上の内偵は不要と判断したのだろう。
それを完全に見越していたラバァルは、堂々とシュガーボムへと帰還した。そして、久しぶりにベルコンスタンに会うべく、執務室の扉を開けた。
「よぉ、ベルコンスタン。調子はどうだ。アウルの調査の方は、何か進展はあったか?」
ラバァルは、与えておいた課題の進捗を尋ねた。ベルコンスタンは、突然現れたラバァルに一瞬驚きながらも、すぐにいつもの冷静な表情に戻り、立ち上がった。
「ラバァルさん! お帰りなさいませ。…ですが、もうお姿を見せてもよろしいのですか?」
「ああ、問題ない。ネズミは、俺が撒いた餌を咥えて、巣に帰ったはずだ」
「そうでございますか?」
「疑うなら、調べてみろ。もういないはずだ」
ラバァルの確信に満ちた言葉に、ベルコンスタンは念のため部下を呼び、例の下働きがどうしているか調べさせた。15分ほどして戻ってきた部下からの報告を受け、彼は改めてラバァルに頭を下げた。
「…ラバァル様のおっしゃる通り、あの下働きは姿を消しておりました。他に不審な者がいないかも確認させましたが、今のところ、古株の者以外にはおりません」
「そうか、これで納得したか」
「はっ。全て、ラバァルさんのお見通し通りでした…」
ベルコンスタンは、改めて知り得たアウルの情報を報告した。大きな進展はなかったが、わずかながら、敵の輪郭が見えてきていた。廃坑周辺で確認されたアウルの構成員は、この数週間で延べ20名ほど。その数があまりに少ないことから、彼らはほとんどの戦力を拠点内に温存しているか、あるいは元々少数精鋭の組織である可能性が考えられた。
(…もう少し時間をかければ、おおよその規模は掴めそうだな)
ラバァルはそう判断したが、今は時間がない。
「ベルコンスタン、聞いておけ。俺は明後日から、しばらくロット・ノットを離れる。おそらく、3、4ヶ月は戻れん」
「なっ…!?」
「その留守の間、お前にやってもらうことがある」
ラバァルは、自室に籠り、留守中に進めておくべき課題を、ベルコンスタン用とウィッシュボーン用に、それぞれ詳細に書き出した。
しばらくして執務室に戻ったラバァルは、ベルコンスタンに一枚のメモを渡した。
「ここに書いてあることを、俺がいない間に進めておけ。アウルの継続調査、シュガーボムの内部統制の強化、そして、俺が戻るまでに、このロット・ノットで腕の立つ傭兵や、使い物になりそうな荒くれ者をリストアップしておけ。金は惜しむな」
「…かしこまりました」
ベルコンスタンは、メモに書かれた膨大な課題に目を通しながらも、力強く頷いた。
シュガーボムでの指示を終えたラバァルは、その足でスラムへと戻った。
【ゴブリンズ・ハンマー工務店】のゴードック親方を伴い、新たな訓練場の最終候補地へとやって来る。そこは、打ち捨てられた倉庫や家屋が密集する、スラムの中でも特に寂れた一角だった。
「ここなら、先に作った訓練場を遥かに超える規模の施設が作れる。居住区、食堂、鍛冶場、そして複数の専門訓練場…全て収まるぞ。儂が太鼓判を押す」
ゴードック親方の言葉に、ラバァルは満足げに頷いた。
「分かった。ここなら存分にやれそうだな」
ラバァルは、待機させていたウィッシュボーンに命じた。
「ウィッシュボーン、この一帯の建物を、根こそぎ買い取れ。所有者がいるなら交渉しろ。いないなら、勝手に使え。金は、ゴールデン・グレイン商会から受け取った手付金の一部を使う。30万ゴールドのうち、まずは2万ゴールドをこの土地取得と建設費用に充てる。親方、それで足りるか?」
「うむ、土地の値段にもよるが、資材のやりくりで何とかなるだろう。任せておけ!」
「頼んだ。…ウィッシュボーン、お前への指示はそれだけじゃない。使えそうな人材の発掘と育成、それがお前の最重要任務だ。俺が留守の間、お前一人にスラム側全てを背負わせることになる。荷が重いのは分かっているが…」
「何を仰るんですか、ラバァルさん」
ウィッシュボーンは、ラバァルの言葉を遮った。
「俺たちを拾ってくれたのは、ラバァルさんだ。この命、アンタのために使うって決めたんだ。任せてください。俺のやれる限り、いや、それ以上のことをやってみせます」
その真っ直ぐな瞳に、ラバァルは静かに頷いた。
「…ああ、任せる。俺の方でも、お前の負担を軽くできるような人材を探しておく。親方も、暫く留守にするが、何かあればウィッシュボーンに伝えてくれ」
「おう、分かってる! お前さんが帰ってくる頃には、度肝を抜くようなモンを建ててやるから、期待してな!」
ゴードック親方は、豪快に笑った。
「ははは、お手柔らかに頼む。…さて、今日のところは訓練場に戻るか」
ラバァルは親方と別れると、ウィッシュボーンと共に、活気づき始めた自分たちの拠点へと戻っていった。彼の不在中、このスラムは、彼が蒔いた種によって、大きく姿を変え始めるだろう。
ラバァルは、ルカナンへと発つ日の朝まで、子供たちの指導に時間を費やした。そして、数々の課題と大きな期待を部下たちに残し、その姿をロット・ノットから消した。
ラバァルが不在となってから、一月が経っていた。
スラムの東地区は、様変わりしつつあった。以前は、浮浪者や病人が打ち捨てられるだけだった荒れ果てた地区に、【ゴブリンズ・ハンマー工務店】の大きな看板が掲げられ、活気のある再開発が始まっていたのだ。
槌音と職人たちの怒号が響き渡るその光景を、当初、スラムの住人たちは「何事が始まったのか」と、ただ物珍しそうに遠巻きに眺めているだけだった。
そんな野次馬の中に、ウィッシュボーンはいた。彼は、ラバァルから託された最重要任務――人材の発掘――を遂行するため、自ら現場に立っていたのだ。彼は、暇そうに工事を見ている者たちの中から、その目つきや体つきで、まだ心が死んでおらず、使い物になりそうな男を鋭く見つけ出していた。
「おい、お前」
ウィッシュボーンは、手下のオーメンメンバーを数名従え、一人の痩せた男に声をかけた。「名前は?」
「へ、へい…サムといいやす」
「物珍しそうに見ていたな。この工事に興味があるのか?」
「へい…こんなデカいこと、スラムじゃ見たことねえもんで…」
「ふん、暇そうだな。仕事がないんだろう?」
「……そうでがす」
その言葉に、ウィッシュボーンはニヤリと笑った。
「仕事、してみるか? 朝昼晩の三食と、雨風をしのげる寝床付きだ。どうだ?」
「えっ…!?」サムの目が、信じられないというように見開かれた。「ほ、本当ですか!? 俺みたいなもんでも、いいんでがすかい?」
「ああ。見たところ、まだ骨はありそうだしな。だが、嫌ならいい。代わりはいくらでもいる」
「い、嫌じゃねえです! 三食食わせてくれるんなら…やります! やらせてください!」
飢えは、プライドや猜疑心を簡単に凌駕する。サムは、必死に食らいついた。
「よし、決まりだ」ウィッシュボーンは頷くと、部下の一人に命じた。「そいつを、ゴードック親方の所へ連れていけ。今日から雑用係だ」
部下に連行されるように去っていくサムの背中を見送り、ウィッシュボーンは次の獲物へと視線を移した。
「よし、一人確保。次だ! あの目つきの悪い奴を捕まえろ!」
ウィッシュボーンは、この手法で、物珍しそうに現場を訪れる暇人たちを片っ端からスカウトしていった。
彼らに与えられる仕事は、まず工事現場での雑用だ。重い資材を運び、職人たちの手元を手伝う。それは、骨と皮ばかりになったスラムの住人たちの体を、強制的に鍛え上げるための、最初の訓練でもあった。
もちろん、労働には相応の対価が与えられる。十分すぎるほどの食事を与え、失われた筋肉を取り戻させる。
そして、この大規模な工事が終わる頃には、彼らの中から見込みのある者を選抜し、本格的な戦闘訓練を施す。最終的な目的は、ラバァルが始める食料輸送隊の護衛任務に就かせることだ。
危険な仕事だが、安定した職と、飢えることのない生活、そして「オーメン下部組織」という新たな居場所。それは、スラムで生きる彼らにとって、抗いがたい魅力だった。
ラバァルの計画は、着実に、そして確実に、このスラムの底辺から根を張り始めていた。
【スラム南地区、昼】
今日は、俺たち四人にとって、ちょっとした冒険の日だった。
目的地は、スラムの南地区。ロット・ノットの南門近くまで、足を延ばしていた。きっかけは、訓練の休憩時間に、メロディが言い出したことだった。
「ねぇ、タロッチ。さっき、ゴードック親方たちの話がチラッと聞こえたんだけどさ」彼女は、目を輝かせながら囁いた。「何でも、スラムの南にも、新しい訓練場を作るために土地を探してる、とか話してたのよ」
「えっ? 今、ファングたちが住んでる東地区で、すげぇデカい工事をしてるんじゃなかったのか?」
俺が尋ねると、メロディは「それとは、また別みたい」と首を振った。「ねえ、どんな所か、先に見に行ってみない?」
その提案に、ウィローが不安そうな顔をした。
「でも、南地区なんて行ったことないよ。そんな遠くまで、俺たちだけで大丈夫かな…?」
「何言ってんのよ、ウィロー! あんた男でしょ!」メロディは、腰に手を当てて言った。「どこへだって行けるわよ! ラバァルなんて、ルカナンっていう、とんでもなく遠い場所まで行っちゃったじゃない。あたしたちだって、南地区くらいへっちゃらよ!」
メロディのその一言で、決まった。ラバァルがいない今、俺たちだって、じっとしてるだけじゃダメなんだ。
こうして、タロッチ、ウィロー、ラモン、そしてメロディの四人は、未知の領域である南地区へと遠征に来ていた。
「うわぁ、見てみろよ! でっかい門がある! あれが南門か!」
ウィローが、巨人でも通れるだろう巨大な門を見上げて、興奮した声を上げた。俺たちも、その威容に圧倒され、興味津々で辺りを見回す。ここはロット・ノットの南の端。高さ8メートルはあろうかという大な壁が、どこまでも街を囲っているのが見えた。普段、俺たちの住むスラムの北部地区からは決して見ることのできない景色が、目の前に広がっていた。
「…それで、工事現場ってのは、どこなんだ?」
俺は、当初の目的を思い出して言った。しかし、見渡す限り、それらしい場所は見当たらない。そもそも、まだ土地を探している段階なのだから、工事が始まっているはずもなかった。大人の話を小耳に挟んだだけのメロディの情報は、少しだけ、早すぎたようだ。
そんな話をしながら、見慣れない通りをぶらついていると、突然、俺たちの前に、ガタイのいい連中が現れ、道を塞いだ。その数、五人。全員、俺たちより年上のようだ。
「おい、見ねえ顔だな、てめえら」
リーダー格の男が、唾を吐きながら言った。「ここは、俺たち【無法地帯】の縄張りだって知ってて歩いてんのか? あぁ? 通りたきゃ、俺たちの股の下をくぐって行きな」
その言葉に、ウィローとラモンの顔が青ざめた。
「…戻ろうよ、タロッチ」
「そうだよ、こんな奴らに関わっても、良いことなんてないって…」
二人が俺の袖を引く。だが、もう遅かった。
メロディは、完全に戦闘態勢(メンチを切って)に入っていた。いつの間にか三節棍を手にし、その唇には、好戦的な笑みが浮かんでいる。やる気満々だ。ウィローはこれはだめだと、天を仰いだ。
そしてタロッチの方も、一番デカい男の目から、一瞬たりとも視線を逸らさずに睨みつけていた。タロッチは、ラバァルに教わったことの一つを守っていた。最初に目を逸らした方が、負けだ、と言う事を。
ガンを飛ばし合うタロッチとメロディを見て、ラモンが絶望的な声を上げた。
「うそだろ…お前ら、本気でやる気なのかよ…!」
スラムの掟は単純だ。ナメられたら、終わり。そして、今のタロッチたちには、ラバァルに叩き込まれた「力」がある。それを試す時が、来たと言う事だ。
明らかに年下であるはずの子供たちが、自分たちに怯えるどころか、逆に鋭い眼光で睨み返してきた。その事実に、【無法地帯】の連中のプライドは、あっさりと踏みにじられた。怒りが、彼らの理性を焼き切る。
「なんだぁ、こいつら、やる気だぜ!」
「クソガキが、生意気なんだよ!」
「わからせてやれ!」
言葉と共に、戦いの火蓋が切られた。
リーダー格の、一番デカい男が、雄叫びを上げてタロッチに襲いかかってくる。しかし、今のタロッチの目には、その動きはまるでスローモーションだった。ノロマな巨体が、のそのそと突っ込んでくるようにしか見えない。
(…遅い)
タロッチは、その突進を紙一重でかわすと同時に、相手の軸足に軽く足を引っ掛けた。ただそれだけ。しかし、勢いよく突っ込んできた巨体は、いとも簡単にバランスを崩し、顔面から地面に激突した。
ゴシャッ、という鈍い音。男は前歯を数本折り、鼻血を噴き出して、そのまま動かなくなった。一撃すら交わさず、リーダーは沈黙した。
「ダイソン!」
仲間が悲鳴を上げるが、もう遅い。
一方、メロディには、目の周りを黒く塗りたくった、ジャングルの戦士のような女が襲いかかってきた。メロディは、ラバァルに教わった通り、最小限の動きで相手の攻撃を見切ると、三節棍の先端で、その腹部を軽く、的確に突いた。
ドン、という手応え。しかし、相手の反応は、メロディの想像を遥かに超えていた。
女は「ぐっ…!」とカエルの潰れたような声を上げ、腹を抱えてその場にうずくまり、泣き出してしまったのだ。
「え…? ちょっと、軽く突いただけよ…? 大袈裟にしないで…」
メロディは、困惑していた。これまでの喧嘩とは、何もかもが違っていた。相手の動きは遅く、隙だらけに見えた。だから、手加減して、軽く当てただけだったのに。
目の前で、年上の女が苦痛に泣きじゃくっている。その光景に、メロディの胸に、今まで感じたことのない罪悪感が込み上げてきた。
(あたしが…? あたしが、こんなに傷つけたの…?)
ラバァルに与えられた「力」が、自分の想像以上に人を傷つけるものだったと、彼女は初めて知ったのだ。
「ど、どうしよう…」
メロディは、三節棍を握りしめたまま、おろおろと立ち尽くすしかなかった。
「てめえら、やり過ぎだろ! 殺す気か!」
仲間を倒された【無法地帯】の残りが、タロッチたちを非難の目で取り囲む。しかし、相手を戦闘不能にしてしまったタロッチとメロディは、何も言い返せずに、ただ黙ってその言葉を受けていた。
その時、騒ぎを聞きつけたのか、数人の男たちがこちらへ近づいてきた。
「お前ら、こんな所で何やってるんだ!」
その聞き覚えのある声に、タロッチたちがはっと顔を上げる。そこに立っていたのは、オーメンのメンバーを数名引き連れた、ウィッシュボーンだった。彼は、土地取得の件で、この南地区を視察に来ていたのだ。
ウィッシュボーンは、倒れている二人を一瞥すると、すぐに状況を察した。彼は、泣きじゃくる女の子の元へ駆け寄ると、その体を優しく診る。
「おい、大丈夫か。見せてみろ」
女の子の口の端から、わずかに血が流れているのを確認した瞬間、ウィッシュボーンの顔色が変わった。
「…まずいな。内臓を損傷している可能性がある」
彼は、周囲に向かって叫んだ。
「この近くに、腕のいい薬師はいないか! すぐに手当てが必要だ!」
その声に、【無法地帯】の一人が、おずおずと手を挙げた。
「お、俺、知ってる…」
「そうか! 俺がこいつを担ぐ! 案内しろ、急げ!」
ウィッシュボーンは、迷わず女の子を抱え上げると、案内役の少年の後を追って走り出した。
メロディは、その光景に青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「…あたしの、せいで…」
「メロディ…」
タロッチは、彼女の震える肩に手を置いた。
「…行こう。俺たちも、ちゃんと謝らないと」
タロッチ、メロディ、そしてウィローとラモンも、ウィッシュボーンたちの後を追いかけた。自分たちの得た力が、思わぬ結果を招いてしまったことへの戸惑いと責任を感じながら。
少年に案内された先は、石造りの崩れかけた建物だった。その入口には、様々な病や怪我を抱えたのであろう人々が、十数名ほど、辛抱強く順番を待っていた。
しかし、ウィッシュボーンに、彼らを気遣う余裕はなかった。
「急患だ! 道を開けてくれ! 子供が腹を強く打たれ、口から血を流している! 内臓を損傷している可能性があるんだ!」
大声を張り上げながら、ウィッシュボーンは行列をかき分け、一気に建物の中へと駆け込んで行く。並んでいた者たちも、ただならぬ剣幕のウィッシュボーンと、その背後から来た屈強な男たち(オーメンのメンバー)の威圧感に気圧され、文句一つ言えず、ただ黙って道を開けた。
「何事だい、騒々しいね。急患だって?」
その声と共に、奥から現れたのは、腰の曲がった、かなり高齢の女性だった。皺だらけの顔に、鋭く、しかしどこか慈愛に満ちた瞳。彼女が、この場の主である薬師のようだ。
老婆は、ウィッシュボーンが抱える女の子のぐったりとした様子を一瞥すると、顔色一つ変えずに言った。
「…こっちへ」
その一言には、有無を言わせぬ静かな権威が宿っていた。彼女は、一行を診療室へと促した。
ウィッシュボーンは言われるままに、石づくりの台に藁が敷かれた簡素なベッドに、そっと女の子を寝かせた。
「頼みます、ばあさん。ガキ同士の喧嘩で、やり過ぎちまったみたいで…」
彼は、簡潔に経緯を説明した。
薬師の老婆は、何も言わず、黙って女の子の顔色を窺い、口元に残る血の痕を指でそっと拭った。そして、その腹部に静かに手を当て、目を閉じる。まるで、その小さな体の中の声を聞いているかのようだった。
やがて、彼女は目を開けると、静かに告げた。
「…大丈夫さ。内臓が少しばかり驚いただけだ。命に別状はない。取りあえず、薬を調合してやるから、数日はここでじっと寝かせておきな」
そう言うと、老婆は薬の調合部屋へと去っていった。そのあまりにあっさりとした診断に、ウィッシュボーンは思わず呟いた。
「おいおい、腹に手を当てただけだろ…本当に、こんなんで大丈夫なのかよ…」
つい不安が声に出てしまう。すると、診療を手伝っているらしい中年女性が、窘めるように言った。
「お黙りなさい。アズマ様の見立てに、間違いはありません。あの方は、触れただけで、その者の体のどこが悪いか、全てお見通しになるのです。今、臓器の働きを良くする秘薬を調合してくださっています。信じて、静かにお待ちなさい」
その言葉に、ウィッシュボーンも黙るしかなかった。
後方では、タロッチとメロディたちが、固唾を飲んでその光景を見守っていた。特にメロディは、自分が引き起こした事態の重さに、顔を蒼白にさせ、固く手を組み、ただ祈るような気持ちで、ベッドに横たわる少女を見つめていた。自分の力が、一人の人間の命を脅かしたかもしれない。その恐怖が、彼女の心を支配していた。
薬の調合が終わるまでの間、ウィッシュボーンたちは診察室から追い出され、再び待合の薄暗い空間へと押しやられた。そこには、先ほど無理やり割り込んだ患者たちが、静かに待っている。
彼らはウィッシュボーンたちを責めるでもなく、ただじっと待っていた。その無言の視線が、かえって子供たちの胸に重くのしかかる。
ウィッシュボーンは、俯いて肩を震わせるメロディの隣に腰を下ろした。
「…大丈夫だ。アズマのばあさんが言ったんだ、死にはしないさ」
彼は、できるだけ優しい声で言った。そして、四人の顔を順番に見ながら、静かに、だが厳しく続けた。
「だが、よく聞け。お前たち、訓練に励むのは良いことだ。だが、その力を、鍛錬もしていない者に向けるのは間違っている。そんなことをするために、ラバァルさんに鍛えてもらったわけじゃあるまい」
「…うん」タロッチが、消え入りそうな声で答えた。「ウィッシュボーンのおじさん、ごめんなさい。俺たち、自分たちがどれだけ強くなったか試したくて…通せんぼしてきたあいつらに、つい…」
「ふむ…まあ、やってしまったことは仕方ない」ウィッシュボーンは、ため息をついた。「だが、この経験は絶対に忘れるな。誰彼かまわず力を使えば、どういうことになるか。今日、骨身に染みて分かっただろう。力ってのはな、使い方を間違えれば、ただの暴力にしかならんのだ」
「ごめんなさい…ごめんなさい…!」
ついに、こらえきれなくなったメロディが、顔を覆って泣き出した。「私…私が、間違ってた…!」
ウィッシュボーンは、泣きじゃくるメロディの頭を、無骨な手でそっと撫でた。
「うむ。だが、俺に謝っても仕方ない。ちゃんと、あの子に謝るんだな。…もっとも、今日は安静にしておかないといけないだろうから、明日、出直すしかないだろうが」
その言葉に、子供たちは力なく頷いた。
彼らは、一緒に来てくれた【無法地帯】の少年に向き直った。
「…悪かった。本当に、すまないことをした」タロッチが、深く頭を下げた。「また明日、必ずあの子に謝りに来るから。そう伝えてくれ」
少年は、何も言わずにこくりと頷くと、仲間たちが待つであろう暗がりへと消えていった。
「お前たちは、先に外に出てろ」ウィッシュボーンは、立ち上がりながら言った。「俺は、治療費を払ってから行く」
彼が受付の中年女性の元へ向かうのを、子供たちは黙って見送った。
外で待っていると、しばらくしてウィッシュボーンが出てきた。
「…お前たち、帰るぞ」
その声は、いつもより少しだけ、疲れているように聞こえた。ウィッシュボーンに促されるまま、四人は、いつもの訓練場へと、重い足取りで引き上げていった。今日の出来事は、彼らにとって、初めて味わった、自分たちの身に着けた力への恐怖だった。
最後まで読んで下さりありがとう、またつづきを見掛けたら読んでみて下さい。




