休日の別荘にて
ロット・ノット近郊、ベスウォール家別荘、忙しいく活動する毎日、その僅かに与えられた休日に旧友からのたっての誘いを受けた王国警備隊隊長ラナーシャは足を運び、紹介したい友人と言う者を連れて来るアントマーズを待っていた、そんな所にやって来た男を見たラナーシャは...。
その115
ロットノット近郊、ベスウォール家別荘、休日
コリンズへの布石を打ち、ベルコンスタンからのラナーシャ・ヴィスコンティに関する追加情報を待つ間、ラバァルはアントマーズに次の行動を指示していた。アントマーズが友人リストの中から接触の約束を取り付けた三人の中で、ラバァルが次に会う相手として選んだのは、王国警備隊 隊長であるラナーシャ・ヴィスコンティだった。ベルコンスタンからの最終報告はまだだが、彼女と直接会うことで、その人物像や抱える問題について、より深く探れると考えたのだ。
アントマーズは、ラバァルの指示を受け、ラナーシャに「紹介したい友人がいるのだが、王宮や隊の詰所では人目につくだろう。休みの日に、我が家の別荘で気楽にお茶でもどうだろうか」と、ごく自然な形で誘いをかけた。ラナーシャは、旧知の友人であるアントマーズからの誘いであり、また、多忙な日々の息抜きが必要だと感じていたのか、その申し出を受け入れた。
そして約束の日。ラバァルは、アントマーズが手配した馬車に乗り、ロットノットの市街地から少し離れた場所にある、ベスウォール家の別荘へと向かった。道中、アントマーズは「ラナーシャは、少し堅物で融通が利かないところもあるが良い友人なんだ。きっと君とも気が合うと思う」などと、必死に場を取り繕うような話をしているが、ラバァルは上の空で聞き流していた。彼の頭の中は、ラナーシャという女騎士隊長をどう評価し、どう利用するか、その計算で占められていた。
やがて馬車は、木々に囲まれた丘の上に建つ、古いが趣のある石造りの別荘の前に到着した。しかし、その外観は手入れが行き届いているとは言い難く、壁の一部には蔦が絡まり、庭も少し荒れている。ベスウォール家の現在の財政状況を物語っているかのようだ。
「さあ、着いたよ、ラバァル殿。ラナーシャはもう中で待っているはずだ」
アントマーズに促され、ラバァルは馬車を降り、別荘の中へと入った。通されたのは、陽光が差し込む明るいサンルームのような部屋だった。そこには、テーブルセットが用意され、一人の女性が窓の外の景色を眺めながら立っていた。
王国警備隊の厳格な制服ではなく、動きやすい簡素なドレスを身に纏っているが、その凛とした立ち姿と、陽光を受けて輝く美しいブロンドの髪は、間違いなくラナーシャ・ヴィスコンティのものだった。
「やあ、ラナーシャ、待たせたね!」アントマーズが明るく声をかけると、ラナーシャはゆっくりと振り返った。
「いいえ、私も今来たところよ、アントマーズ。それで、紹介してくださるというご友人は…」
ラナーシャの言葉は、ラバァルの顔を見た瞬間、途中で途切れた。彼女の目に、驚きと、困惑、そして即座に警戒の色が浮かぶ。
「……あなた…!?」
彼女は、目の前にいる男が、一月ほど前、ロットノット城のバルコニーで出会い、その後、上流階級居住区のゲートでも一悶着あった、あの無礼で得体の知れない男であることに気づき、明らかに動揺していた。まさか、アントマーズが紹介したい友人というのが、この男だったとは夢にも思っていなかったのだろう。隊長としての立場上、素性の知れない危険人物(と彼女は認識している)との不用意な接触は避けたいはずだ。
一方、ラバァルは、ラナーシャの反応を予想していたかのように、全く動じていなかった。彼は、驚き固まっているラナーシャに向かって、片方の口角をわずかに上げ、薄く、しかし計算された笑みを浮かべた。
「よう。また会ったな、警備隊長殿。いや、今日は非番か? アントマーズの友人とは、奇遇だな」
その口調は、以前と変わらずぶっきらぼうで、相手の役職など全く意に介さないものだった。
ラナーシャは、一瞬言葉を失い、隣に立つアントマーズを問い詰めるような鋭い視線で見た。アントマーズは、二人の間に流れる険悪な空気を察し、冷や汗をかきながら慌てて取り繕う。
「あ、ああ、そうなんだ! 実は、ラバァル殿とは、最近偶然知り合ってね! 彼もロットノットに来たばかりだというから、友人を紹介しようと思って…ラナーシャ、彼はその、なんだ、悪い奴じゃないんだ! たぶん…ははは…」
そのぎこちない説明が、かえって場の空気を悪くしていることに、アントマーズは気づいていないようだ。
ラナーシャは、深くため息をつくと、気を取り直してラバァルに向き直った。その目には、既に驚きはなく、王国警備隊隊長としての冷静さと、ラバァルという男に対する深い警戒心、そしてわずかな好奇心が入り混じった、複雑な色が浮かんでいた。
「…そうでしたか。これはこれは、驚きましたわ、ラバァル…殿。まさか、アントマーズとご友人に..。世間は狭いものですわね」
彼女の声は、努めて平静を装っていたが、明らかに警戒レベルを引き上げているのが分かった。
(ふん、面白い。警戒心を剥き出しにしてきたか。だが、それでこそ利用し甲斐があるというものだ)
ラバァルは、ラナーシャの反応を興味深く観察しながら、この予期せぬ再会から始まるであろう、新たな駆け引きに備えるのだった。彼女の抱える弱点…母親イザベラとヴィスコンティ家の問題…それをいつ、どのタイミングで突きつけるか。ラバァルの思考は、既に次の段階へと進んでいた。彼は、目の前の誇り高き女隊長を、どのように自身のゲーム盤に乗せるか、その算段を練り始めていた。
シュガーボム、ベルコンスタンの執務室、ラナーシャと会う数日前
ラバァルは、ベルコンスタンの執務室で、数日前に指示していたラナーシャ・ヴィスコンティの母親、イザベラに関する追加調査の報告を受けていた。アントマーズがラナーシャとの面会の約束を取り付けた今、彼女とその家族が抱える問題の核心を正確に把握しておく必要があった。
「…それで、イザベラ・ヴィスコンティに借金を負わせたという悪党の正体は掴めたのか?」ラバァルは、ソファに座りながら、執務机の向かいに立つベルコンスタンに尋ねた。
「はっ、ラバァル様。全力を挙げて調査いたしました。そして、驚くべき事実が判明いたしました」ベルコンスタンは、緊張した面持ちで報告書を差し出した。「イザベラ夫人を借金漬けにしたのは、単なる悪徳商人や高利貸しなどではございません。その背後で糸を引いていたのは…評議会議員の【ゾンハーグ家】当主、エリサ・ゾンハーグ、そして王国宰相【アルメドラ】、その二人でございます」
「…ゾンハーグと宰相だと?」ラバァルの眉がひそめられた。予想していたとはいえ、評議会の重鎮と国の宰相が、王族の縁戚である没落貴族を陥れるために、そこまで手の込んだことをしていたとは。
「なぜ、奴らがそんなことをする必要があった? ヴィスコンティ家は既に没落寸前だろう。そこからさらに搾り取るほどの価値があるとは思えんが」
ベルコンスタンは、少し考え込むように顎に手を当て、自身の見解を述べ始めた。
「それは…あくまで私の推測に過ぎませんが、ラバァルさん。いくつか理由が考えられます。一つは、ゾンハーグ家や宰相が、表立っては行えないような『汚れた仕事』…例えば、禁制品の密輸や、不正な資金の移動などに、没落し、他に頼る術のないヴィスコンティ家の名を『隠れ蓑』として利用している可能性です。ヴィスコンティ家は元々王族に連なる家名ですから、表向きの信用はまだ残っている。それを悪用しているのではないかと」
「隠れ蓑、か。なるほどな。それで、借金漬けにして、完全に言いなりにさせようというわけか。」
(ラバァルも程度の違いはあるが近いやり方を使用するので善悪で判断していない。)
「そして、もう一つ…おそらくはこちらが本命かと存じますが…」ベルコンスタンは声を潜めた。「彼らの真の目的は、単にヴィスコンティ家を利用することではなく、もっと大きく…王家に連なる者たちの力を削ぎ落とし、その権威を失墜させることにあるのではないでしょうか」
「王家の力を落とす…?」ラバァルは、ベルコンスタンの言葉の裏にある、さらに深い意味を探ろうとした。「なぜ、奴らはそこまでする必要がある? 評議会議員や宰相として、既に十分な力を持っているはずだろう」
「それは…」ベルコンスタンは、確信に満ちた、しかし恐ろしい響きを持つ言葉を口にした。「彼らが、最終的には、現在のラ・ムーン王家そのものを排除し、自らがラガン王国の新たな支配者…新たな『王家』となろうと画策しているからではないでしょうか」
ベルコンスタンの言葉は、部屋に重く響いた。王家の転覆。それは、想像を絶する野望だ。しかし、これまでのゾンハーグ家や宰相アルメドラの行動、そしてムーメン家との結託などを考え合わせると、その可能性は決してゼロではない。むしろ、点と点が繋がり、一つの恐ろしい絵が見えてくるようだった。ルカナンへの介入、第一軍の排除、そして王族の縁戚であるヴィスコンティ家への陰湿な攻撃…全ては、王家の力を削ぎ、自分たちが成り代わるための布石。
「…なるほどな。ようやく腑に落ちた」ラバァルは、静かに呟いた。彼の頭の中で、ロットノットで繰り広げられている権力闘争の、真の構図が明らかになった。「奴らの狙いは、単なる利権争いではなかったというわけか。国盗り合戦、か。面白い…実に面白いじゃないか」
その目には、恐怖ではなく、強大な敵の存在を認識したことによる、新たな闘志と計算の光が宿っていた。
「ベルコンスタン、この情報は確かなんだな?」
「はっ。複数の情報源からの裏付けを取りました。間違いありません」
「よし。ならば、この情報は、我々にとって最大の武器になるかもしれん」ラバァルは立ち上がり、壁の地図を見据えた。「ゾンハーグと宰相の最終目標が王家簒奪であるならば、我々の動き方も変わってくる。奴らの計画を阻止しつつ、その混乱に乗じて、我々が頂点に立つ…」
ラバァルは、新たな情報を元に、これまでの計画を修正し、より大きな視点での戦略を練り始めた。ラナーシャ・ヴィスコンティという駒は、単に個人的な弱点を握るだけでなく、王家とゾンハーグ・宰相連合との間に楔を打ち込むための、重要な鍵となるかもしれない。
「ベルコンスタン、ラナーシャへの接触計画は予定通り進める。だが、その前に、ゾンハーグと宰相がヴィスコンティ家を利用しているという『隠れ蓑』の具体的な証拠を掴め。それができれば、交渉はさらに有利に進むだろう」
「かしこまりました!」
ラバァルは、ロットノットの闇の、さらに深い場所へと足を踏み入れようとしていた。王家、評議会、宰相、そして裏社会の組織…複雑に絡み合った糸を解きほぐし、あるいは断ち切り、自らが望む未来を手に入れるために。彼の本当の戦いは、これから始まって行くのだろう。
ベスウォール家別荘 休日に戻る
「…そうでしたか。これはこれは、驚きましたわ、ラバァル…殿。まさか、アントマーズとご友人だったとは。世間は狭いものですわね」
ラナーシャは、努めて平静を装いながらも、目の前の男――ラバァルに対する警戒心を隠そうとはしなかった。アントマーズは、気まずい空気の中で二人の間を取り持とうと必死だが、完全に空回りしている。
ラバァルは、そんなアントマーズを適当にあしらいつつ、ラナーシャに向き直った。
「まあ、座れよ、隊長殿。せっかくの休日だ、堅苦しい話は抜きにしようじゃないか。アントマーズが良い茶を用意してくれたようだ」
ラバァルは、あたかも自分が主人であるかのように、ラナーシャに席を勧めた。その尊大な態度に、ラナーシャは一瞬眉をひそめたが、アントマーズの手前もあり、しぶしぶといった様子でテーブルについた。
ぎこちない雰囲気の中、アントマーズが必死に当たり障りのない話題を振るが、会話は弾まない。ラバァルは、時折ラナーシャを観察するように見つめ、ラナーシャは警戒心を解かずにラバァルの言葉を注意深く聞いている。
やがて、ラバァルは不意に、しかし核心を突くように切り出した。
「…ところで、隊長殿。少しばかり気になる噂を耳にしてな。あんたの実家…ファーンのヴィスコンティ家が、少々面倒な状況にあるとか?」
「!?」ラナーシャの表情が凍りついた。動揺を隠そうと、ティーカップを持つ手が微かに震える。「…どこで、そのような話を?」
「言っただろう? 俺は少しばかり耳が良いだけさ」ラバァルは、彼女の動揺を楽しみながら続けた。「母親の…イザベラ夫人、だったか? 彼女が、悪党に騙されて多額の借金を負わされている、と聞いたが…本当か?」
ラナーシャは、しばらく黙り込んだ。彼女の最大の弱点を、なぜこの得体の知れない男が知っているのか。恐怖と怒りが込み上げてくる。だが、同時に、この男ならば、あるいは…という僅かな期待も生まれていた。
「……ええ、残念ながら、その噂は事実ですわ」ラナーシャは、観念したように、しかし気丈に答えた。「ですが、これは我が家の問題。私が必ず解決いたします。貴方には関係のないことです」
彼女は、ラバァルに弱みを見せまいと、あくまで強気な姿勢を崩さない。
「ほう、自分で解決、ね」ラバァルは、鼻で笑った。「威勢がいいのは結構だが、相手が誰だか分かって言っているのか? その悪党の正体を、あんたは掴んでいるのか?」
ラバァルの言葉には、全てを見透かしているかのような響きがあった。
「そ、それは…」ラナーシャは言葉に詰まる。彼女も必死に調べてはいたが、相手は巧妙で、尻尾を掴ませなかったのだ。
「…貴方…何か知っているのですか!?」ラナーシャは、思わず身を乗り出し、懇願するような目でラバァルを見た。「お願いです! 教えてください! 母を苦しめている奴らが誰なのか!」
「教えたところで、どうするというんだ?」ラバァルは冷ややかに問い返した。「あんた一人で、そいつらに立ち向かうとでも? 話し合いで解決できるような相手だと本気で思っているのか? 甘いな、隊長殿。あんたが思っている以上に、相手は巨大で、そして悪辣だ」
ラバァルの言葉は、ラナーシャの甘い考えを打ち砕いた。彼女は、相手の正体も規模も分からぬまま、ただ感情的に事を解決しようとしていた自分に気づき、愕然とした。
「……では、どうすれば…」
「簡単なことだ。情報には、対価が必要だということだよ」ラバァルは、ゆっくりと言った。「俺は、あんたの母親を陥れた連中の正体を知っている。そして、その背後関係もな。だが、それをタダで教えるほど、お人好しじゃない」
「対価…? 何を望むのです? お金ですか? それなら…」ラナーシャは必死に食い下がる。
「お前が用意出来る金など、はした金にしかならん。俺が欲しいのは、もっと価値のあるものだ」ラバァルは、ラナーシャの目をじっと見つめ、三つの選択肢を突きつけた。
「一つ、俺の忠実な『手下』になるか。 命令には絶対服従だ。
二つ、俺の『女』になるか。 気まぐれだが、傍に置いてやる。
三つ、俺の『協力者』になるか。 対等ではないが、共に利を得る関係になる。
さあ、どれを選ぶ? あんた次第だ」
ラナーシャは、ラバァルから提示された選択肢に、言葉を失った。どれも、彼女の誇りを、そして人生を大きく変えるものだ。しかし、母親を救うため、藁をもつかむ状況にこの男が手を差し伸べて来たのだ、このチャンスを逃して良いのだろうか? 彼女は、必死に頭を回転させた。手下になるのは、プライドが許さない。協力者? 対等ではない、と言われた。ならば…。
「…少し、考えさせていただけますか?」ラナーシャは、かろうじてそう答えた。
「ほう、考える、ね」ラバァルは、わざとらしく立ち上がった。「まあ、いいだろう。だが、時間は有限だぞ。このチャンスを逃せば、あんたの母親も、あんた自身も、破滅するかもしれん。…俺は見込み違いだったかな? 意外と、決断力のない女だったようだ」
ラバァルは、失望したような素振りを見せ、部屋を出て行こうとした。アントマーズが慌てて引き止めようとするが、ラバァルは無視する。
「待って!」
「……そうでしたか。これはこれは、驚きましたわ、ラバァル…殿。まさか、貴方がアントマーズの友人だったとは。世間は狭いものですわね」
ラナーシャは、努めて平静を装いながらも、目の前の男――ラバァルに対する警戒心を隠そうとはしなかった。その声には、明らかに棘が含まれている。気まずい空気の中、アントマーズが必死に二人の間を取り持とうとするが、ラバァルの威圧感とラナーシャの敵意の前では、彼の人の好さは完全に空回りしていた。
ラバァル
「
ラバァルは、あたかも自分がこの場の主人であるかのように、ラナーシャに席を勧めた。その尊大な態度に、ラナーシャは一瞬眉をひそめたが、友人の手前もあり、しぶしぶといった様子でテーブルについた。
ぎこちない沈黙が続く。アントマーズが必死に当たり障りのない話題を振るが、会話は弾まない。ラバァルは、時折ラナーシャを値踏みするように見つめ、ラナーシャは鋼のような警戒心を解かずにラバァルの言葉一つ一つを注意深く聞いている。
やがて、ラバァルは焦れたように、しかし核心を突くように切り出した。
「……」
「!?」
ラナーシャの表情が凍りついた。動揺を隠そうと、ティーカップを持つ手が微かに震える。それは、彼女が最も触れられたくない、心の奥底に押し込めていた傷だった。
「……どこで、そのような…根も葉もない噂を?」
「言っただろう? 俺は少しばかり耳が良いだけさ」ラバァルは、彼女の動揺を愉しむかのように、意地の悪い笑みを浮かべて続けた。「あんたの母親…イザベラ夫人、だったか? 彼女が、悪党に騙されて多額の借金を負わされている、と聞いたが…どうなんだ?」
ラナーシャは、唇を噛みしめ、黙り込んだ。彼女の最大の弱点を、なぜこの得体の知れない男が知っているのか。恐怖と怒りが、腹の底から込み上げてくる。だが、同時に、この男ならば、あるいは…という、溺れる者が掴もうとする藁のような、僅かな期待も生まれていた。
「……ええ、残念ながら、その噂は事実ですわ」
ラナーシャは、観念したように、しかし騎士としての誇りを失わぬよう、気丈に答えた。「ですが、これは我が家の問題。私が必ず解決いたします。貴方のような方に、心配していただく必要はございません」
彼女は、ラバァルに弱みを見せまいと、あくまで強気な姿勢を崩さない。
「ほう、自分で解決、ね」ラバァルは、鼻で笑った。「威勢がいいのは結構だが、相手が誰だか分かって言っているのか? その悪党の正体を、あんたは掴めているのか?」
ラバァルの言葉には、全てを見透かしているかのような響きがあった。
「そ、それは…!」ラナーシャは言葉に詰まる。彼女も騎士団のコネを使い、必死に調べてはいたが、相手は巧妙で、尻尾を掴ませなかったのだ。
「…貴方…何か知っているのですか!?」
ラナーシャは、
「
「教えたところで、どうするというんだ?」ラバァルは冷ややかに問い返した。「騎士団の隊長という肩書で、そいつらに立ち向かうとでも? 話し合いで解決できるような相手だと本気で思っているのか? 甘いな、隊長殿。あんたが思っている以上に、相手は巨大で、悪辣で、そして法など通用しない世界の住人だ」
ラバァルの言葉の一つ一つが、ラナーシャの甘い考えを打ち砕いていく。彼女は、相手の正体も規模も分からぬまま、ただ感情的に事を解決しようとしていた自分に気づき、愕然とした。
「……では、どうすれば…」
「簡単なことだ。情報には、相応の対価が必要だということだよ」ラバァルは、ゆっくりと言った。「俺は、あんたの母親を陥れた連中の正体を知っている。そして、その背後関係もな。だが、それをタダで教えるほど、お人好しじゃない」
「
「金など、はした金だ。すぐにでも用意できる」ラバァルは一笑に付した。「俺が欲しいのは、金では買えん、もっと価値のあるものだ」
ラバァルは、ラナーシャの目をじっと見つめ、三つの選択肢を、まるで死刑宣告のように突きつけた。
「一つ、俺の忠実な**『駒』**になるか。 俺の命令は、絶対だと思え。
二つ、 俺の『女』になるか。 気まぐれだが、傍に置いてやる。
三つ、 俺の『協力者』になるか。 対等ではないが、お前にも利益は分ける、勿論、主な目的は俺の利益のためだ。
「さあ、どれを選ぶ? あんたの答え一つで、母親の運命も、あんた自身の未来も決まる。よく考えるんだな」
ラナーシャは、ラバァルから提示された屈辱的な選択肢に、言葉を失った。どれも、騎士としての誇りを、一人の女性としての尊厳を、そして彼女の人生そのものを根底から覆すものだ。しかし、今の今まで母を苦しめている相手の事を知る事すら出来なかった、自分にようやく訪れた母親を救うための機会になるかもしれないチャンス、まるで暗闇の底で不意に差し伸べられた手の様だった、その手を振り払うことができるだろうか。彼女は、必死に頭を回転させた。『駒』になるのは、プライドが許さない。『協力者』? 「対等ではない」「俺の利益のため」という言葉が、奴隷と大差ないことを示唆している。ならば、残るは…。
"…少し
「ほう、考える、ね」ラバァルは、わざとらしく立ち上がった。「まあ、いいだろう。だが、時間は有限だぞ。あんたが悩んでいる間にも、母親の状況は悪化する。この好機を逃せば、あんたの母親も、あんた自身も、破滅するかもしれん。…俺は見込み違いだったかな? 意外と、決断力のない女だったようだ」
ラバァルは、心底失望したような素振りを見せ、部屋を出て行こうとした。アントマーズが慌てて「ラバァル、待ってくれ!」と引き止めようとするが、ラバァルは冷たく無視する。ラナーシャを追い詰める、最後の揺さぶりだ。
「待って!」
ラナーシャの声が、ラバァルの背中に突き刺さった。彼女は、覚悟を決めた目をしていた。
「…分かりました。選びますわ」
「…ほう?」ラバァルは足を止め、振り返る。
「私は…あなたの**『女』**になります」
その言葉に、ラバァルだけでなく、アントマーズも驚きの表情を見せた。
「…面白い選択をする」ラバァルは、意外そうな、しかし興味深そうな目でラナーシャを見た。「なぜそれを選んだ?」
「手下になるのは私の矜持が許しません。協力者は対等ではないのでしょう? それならば、『女』という立場の方が、ある意味、貴方と対等に近い関係性を築けるかもしれない。それに…」ラナーシャは、わずかに頬を染めながらも、挑むような視線をラバァルに向けた。「…貴方の傍にいれば、貴方が持つ情報にも、よりアクセスしやすくなるはずですから」
(…なるほどな。この状況で、そこまで計算高く考えられるか。大した女だ。度胸も据わっているし、頭も切れる。剣の腕は未知数だが、おそらくそこらの騎士よりは上だろう。アントマーズのような甘ちゃんとは、出来が違う)
ラバァルは、ラナーシャの覚悟と計算高さを、むしろ好意的に受け止めた。こういう女は、ただの駒ではなく、使い方次第では強力な武器になる。
「…気に入った」ラバァルは、満足げに頷いた。「その度胸と頭脳、評価してやろう。今日からお前は俺の女だ。その代わり、俺も約束は守る」
ラバァルは、ラナーシャの近くまで戻り、低い声で告げた。
「お前の母親を陥れたのは、評議会議員のゾンハーグ家当主エリサと、宰相アルメドラだ。奴らは、お前たちの家名を利用し、さらに王家の力を削ごうと画策している。これが、事の真相だ」
ラナーシャは、その名を聞いて、顔面蒼白になった。相手は、彼女が想像していた以上に巨大な存在だったのだ。
「ただし」ラバァルは付け加えた。「奴らが具体的にどのようにヴィスコンティ家を利用しているか、その証拠はまだ掴めていない。今、部下に徹底的に調べさせているところだ。続報を待て」
ラナーシャは、衝撃的な事実に打ちのめされながらも、ラバァルの言葉に、わずかな希望を見出していた。
「…分かりました。待ちます」
「ああ。それと、ラナーシャ」ラバァルは、彼女の顎にそっと手を添え、その目を覗き込んだ。「俺の女になったからには、ただ守られているだけではつまらん。お前には、もっと上を目指してもらうぞ。王国警備隊隊長? そんな地位では、いずれ奴らに潰されるのがオチだ。せいぜい腕を磨き、己を高めておけ。俺が、お前をもっと相応しい場所へと押し上げてやる」
その言葉には、絶対的な自信と、彼女の運命すら左右するような力が込められていた。
ラナーシャは、ラバァルの言葉の真意を測りかね、訝しむような目を向けた。(この男に、私の出世を左右できるほどの力が本当にあるというの…? 一体何者なの…?)彼の出自も背景も謎に包まれている。ただ、その目には尋常ならざる野心と、それを実現させるだけの力が宿っていることだけは確かだった。
しかし、その疑念は、数日後に驚くべき形で現実のものとなる。ラナーシャの元に、王宮からの突然の辞令が届いたのだ。それは、彼女を王国警備隊隊長から、一つ上の階級であり、より王家に近い任務を担う王宮警備隊・中隊長へと昇格させる、という内容だった。欠員が出たわけでもなく、特別な功績があったわけでもない。通常の人事では考えられない、異例の抜擢となった。
(まさか…本当に、あの男がこの人事を動かしたというの…?)
ラナーシャは、辞令を手に、震えが止まらなかった。偶然? いや、タイミングが良すぎる。ラバァルという男は、彼女が想像していた以上に、ロットノットの、あるいはラガン王国の中枢に深く食い込み、影響力を持つ存在なのかもしれない。あるいは、彼自身が、彼女が知らないだけで、相当な地位や力を持つ人物なのか…?
彼の力の一端を目の当たりにし、ラナーシャの心には、恐怖と共に、新たな、そしてより複雑な感情が芽生え始めていた。
(あの男についていけば、もしかしたら、この絶望的な状況から抜け出し、母様を救えるかもしれない…そして、私自身も…?)
それは希望にも似た感情だったが、同時に強い警戒心も抱いていた。あの男は危険だ。甘い言葉で近づき、利用するだけ利用して、最後は切り捨てられるのかもしれない。
(…でも)ラナーシャは唇を噛んだ。(このままでは、私も母様も破滅するだけ。ならば…賭けるしかない。あの男の力を利用する。そして、私自身も力をつけ、影響力を持つ。ただ利用されるだけの『女』じゃない。言わば…運命共同体として、あの男と共にこの状況を乗り切り、そしていつか…!)
彼女は、ラバァルという底知れない存在に、自らの運命をただ委ねるのではなく、彼を利用してでも、自らの手で未来を切り開くことを決意した。それは危険な選択だ。しかし、誇り高く、そして計算高い彼女らしい決断でもあった。ラナーシャは、新たな役職を示す辞令を強く握りしめ、決意を新たにするのだった。ラバァルとの奇妙で危険な関係は、こうして本格的に始まった。
スタート・ベルグ家 邸宅、書斎
ベスウォール家の別荘でラナーシャとの「契約」を結んだラバァルは、その足で休む間もなく、上流階級居住区にあるジョン・スタート・ベルグの邸宅へと向かっていた。ラナーシャに「俺がお前を押し上げる」と言った手前、それを実行に移す必要がある。そして、そのためには、ラガン王国で最も影響力のある評議会議員の一人であり、第一軍の後ろ盾でもあるジョンの力添えが不可欠だと判断したからだ。幸い、今日はアンドレアス将軍もこの邸宅に滞在していると、事前にベルコンスタン経由で情報を得ていた。
ラバァルが訪れると、ジョンとアンドレアス将軍は、書斎で今後の対策について話し合っていたところだった。ラバァルの突然の訪問に二人は少し驚いたが、すぐに彼を書斎へと招き入れた。
「おお、ラバァル殿。久しぶりではないか。息災であったかな?」ジョンが穏やかながらも、鋭い観察眼でラバァルを見ながら声をかけた。
「ジョン殿、それにアンドレアス将軍もご壮健そうで何よりです」
ラバァルは、二人に対して最低限の礼儀を示しつつ、単刀直入に本題を切り出した。「今日は、お二方に折り入ってのお願いがあって参りました」
「ほう、お願いとな?」アンドレアス将軍が興味深そうに促す。
「ええ。王国警備隊に、ラナーシャ・ヴィスコンティという隊長の職にある女騎士がいます。彼女を、もっと上の階級…例えば、王宮警備隊の中隊長あたりに、早急に昇格させるよう、お力添えを願いたい」
ラバァルの突然の要求に、ジョンと将軍は顔を見合わせた。ラナーシャ・ヴィスコンティの名前は、二人とも聞き覚えがあった。王族の血縁でありながら、不遇な立場にいる女騎士として、ある程度は知られていたからだ。
「ラナーシャ殿を…? 確かに優秀な騎士だと聞くが昇級するにはまだ年齢と経験が浅いのでは? それになぜ急に彼女を?」ジョンが訝しげに尋ねる。
ラバァルは、詳細を語るつもりはなかった。ただ、確信を持って告げる。
「彼女は、今後、我々の陣営にとって重要な存在となります。間違いなく、味方として動くことになるでしょう」
ラバァルの言葉には、それ以上の説明はなくとも、強い説得力があった。ジョンと将軍は、これまでのラバァルの行動と、その結果を見てきている。彼が「味方になる」と言うからには、既に何らかの手を打ち、確信を得ているのだろうと理解した。そして、王族に連なるラナーシャを味方につけることの戦略的な価値も、彼らにはすぐに分かった。
「…なるほどな。お主がそこまで言うのなら、何か考えがあるのだろう」アンドレアス将軍が頷いた。「よかろう。ジョン殿、彼女の昇進については、我々から働きかけてみよう。幸い、王宮警備隊の隊長は、我々と懇意にしている男だ。多少の無理は利くかもしれん」
「うむ。承知した」ジョンも同意した。「若い才能を引き上げるのは、悪いことではない。特に、我々の側に立つというのなら尚更だ。今後の彼女の働きを見て、さらに上の地位へ…ということも考えねばなるまいな」
ジョンと将軍は、ラバァルの意図を汲み取り、ラナーシャの将来的な昇進についても前向きな姿勢を示した。
「話が早くて助かります」ラバァルは満足げに頷いた。「それで、お二方への『お礼』というわけではありませんが…最近のムーメン家の動きについて、新たな情報と、それに対する策を一つ、お持ちしました」
ラバァルは、先日仕掛けたムーメン家傘下の「ラスティ・ジョッキ」売上金強奪作戦(もちろん、自分が裏で糸を引いたとは言わない)や、ホークアイから得たムーメン家の金の流れに関する情報を簡潔に説明した。そして、今後の対抗策として、ムーメン家の主要な収入源の一つである密造酒の流通ルートを叩き、同時にスタート・ベルグ家が被害を受けている酒市場でのシェアを回復させるための、具体的な作戦案を提示したのだ。(これは、ベルコンスタンが元々考えていた作戦を、ラバァルがさらに練り上げたものだ)
「…なるほど。ムーメンの密造酒ルートを叩き、同時に我々の市場を取り戻す、か。実に大胆で、効果的な策だ」ジョンは感心したように言った。
「うむ。小手先の嫌がらせではなく、奴らの懐に直接打撃を与える、良い作戦だ。」アンドレアス将軍も評価した。
「この作戦は、近々実行に移します。これで、少しはムーメンの連中も大人しくなるでしょう。そして、スタート・ベルグ家の損害も多少は補填できるはずです」ラバァルは言った。「これが、ラナーシャ殿の件での、私からのささやかな『返礼』ということで」
彼は、あくまで対等な協力者としての立場を崩さない。ジョンと将軍も、その態度を理解し、受け入れた。
「君の力添えには、いつも感謝している、ラバァル殿」ジョンが言い。
「うむ。頼りにしているぞ」アンドレアス将軍も力強く頷く。
「では、私はこれで失礼します」
ラバァルは、目的を達成すると、長居は無用とばかりに席を立った。彼は、ジョンと将軍に軽く一礼すると、風のように書斎を後にし、またどこかへと姿を消していった。
残されたジョンと将軍は、顔を見合わせ、改めてラバァルという男の底知れなさと、その行動力に感嘆のため息をつくのだった。彼という存在が、この膠着したロット・ノットの権力闘争に、大きな変化をもたらし始めていることを、二人は強く感じていた。
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