アントマーズの友人
スラムに作った訓練場では、ヨーゼフの元にスチール・クロウの4人が教えを請いに来ていた、そんな中、
シュガーボムで寛いでいたラバァルの元にはベスウォール家アントマーズからの使者がやって来ていた、
その内容は、以前アントマーズに依頼した学生時代の友人との接触の依頼を取り付けた事だった...。
その114
スラムでの新たな師弟関係
ヨーゼフに助けられたあの日から、スラムの子供たちの間には新たな変化が起きていた。タロッチ組とスチール・クロウ組は、共通の敵(ゴースト・ナンバーズやアウルの刺客)と戦い、共にヨーゼフに救われた経験を通じて、急速に絆を深めていた。そして、彼らの尊敬と期待は、自然とヨーゼフに向けられるようになっていたのだ。特に、ヨーゼフの圧倒的な強さを目の当たりにしたファングたちスチール・クロウのメンバーは、彼に指導を仰ぎたいと強く願うようになっていた。
「ヨーゼフさん! 俺たちにも、あんたの戦い方を教えてくれ!」
ある日、訓練場でヨーゼフが自身の気のコントロールに励んでいると、ファングが仲間たちと共に現れ、真剣な表情で頭を下げて来た。タロッチたちも、訓練を止め、その様子を興味深そうに見守っている。
「…俺にか?」ヨーゼフは驚いて手を止めた。「よせよせ。俺なんざ、まだラバァルさんに鍛えてもらってる身だ。人に教えられるようなレベルじゃねえ」
ヨーゼフは本心からそう思い、断った。ラバァルの強さと指導の厳しさを知っているだけに、自分が誰かを教えるなどおこがましいと感じていたのだ。
しかし、ファングたちは諦めなかった。
「それでもいい! あんたの戦い方は、俺たちが知ってるどんなものとも違う! どうすればあんな風に強くなれるのか、少しでもいいから教えてほしいんだ!」
他のメンバーも口々に頼み込む。特に、スチール・クロウの紅一点であるカリーナが、目に涙を浮かべて訴えかけていた。
「お願い、ヨーゼフさん…! 私たち、もっと強くならなきゃ、このスラムじゃ生きていけない…! このままじゃ、またいつゴースト・ナンバーズみたいな奴らに狙われるか…!」
その必死な姿と涙に、ヨーゼフは弱かった。彼は元々、困っている者、特に子供や女性に甘い一面があったのだ。
「う…うぅむ…」ヨーゼフは頭を掻きながら、困ったように唸った。「…分かった、分かった! 泣くな! 俺でよければ、分かる範囲で教えてやる! ただし、俺自身の訓練もあるからな、時間は限られてるぞ! それに、ラバァルさんみたいな厳しい指導はできんかもしれんが…」
「本当か!? ありがとう、ヨーゼフさん!」ファングたちの顔がぱっと明るくなる。
タロッチたちも、「いいぞ、ヨーゼフのおっちゃん!」「俺たちも見ててやるよ!」と囃し立てた。
こうして、ヨーゼフはラバァル不在の間、自身の訓練と並行して、タロッチ組だけでなく、スチール・クロウ組の子供たちの指導も見るという、予期せぬ役割を担うことになった。それは、彼にとっても、単に強さを求めるだけでなく、「教える」という新たな経験を通じて、自分自身を見つめ直し、成長する機会となるのかもしれなかった。スラムの訓練場には、子供たちの熱気と、それに応えようとする不器用な巨漢の姿が、日常の風景となりつつあった。
ラバァルへの吉報と次なる一手
一方その頃、ラバァルはシュガーボムで、ベルコンスタンを通じてデュオール家(旧)の組織再編と掌握を進めつつ、ムーメン家攻略のための情報分析と計画立案に時間を費やしていた。キーウィの主力メンバーの回復にはまだ時間がかかり、焦りはあったが、今は着実に地盤を固める時だと判断している。
そんなある日、彼のもとにベスウォール家からの使者が訪れた。前回とは違う、若い従僕だ。
「ラバァル様、アントマーズ様より言伝でございます」
使者は、ラバァルの部屋に通されると、恭しく口上を述べた。
「先日、ラバァル様よりご指示いただきました件、アントマーズ様が対象者と接触し、面会の約束を取り付けました。つきましては、ご足労をおかけし恐縮ですが、一度、屋敷のアントマーズ様の部屋までお越しいただけないでしょうか、とのことです」
(ほう、あのアマちゃん、ようやく動いたのか)
ラバァルは内心で少し驚いた。アントマーズにはあまり期待していなかったが、父親であるジョルズに発破をかけられたのか、あるいは彼なりに必死だったのか。いずれにせよ、上流階級の若者たちへの接触ルートが開けるのは好都合だ。彼らを通じて、ムーメン家や他の評議会議員の情報を得たり、あるいは彼ら自身を駒として利用したりすることもできるかもしれない。
分かった。すぐに行くと伝えてくれ」
「承りました、それでは私はこれで失礼いたします。」
そう言い残して使いの者は、去って行った、ラバァルは、「丁度良い、早速行ってみるか、まぁ期待はしてないが...。」
ベスウォール家、アントマーズの部屋
ベスウォール家からの使者の知らせを受け、ラバァルは早速、屋敷を訪れていた。案内されたアントマーズの私室で、彼は少し緊張した面持ちのアントマーズから報告を受けている。
「ラバァル殿、よくお越しくださいました」
「ああ。それで、例の件、話は進んだようだな」
「は、はい」アントマーズは頷き、友人リストを示した。「このリストの中から、ラバァル殿のご意向に沿いそうな者を三名選び出し、接触いたしました」
「ほう、それで?」
「幸いにも、三人とも、私からの『面白い友人を紹介したい』という誘いに興味を示してくれまして…それぞれ、近日中に会う約束を取り付けることができました」アントマーズは、少し誇らしげに報告してきた。
「…上出来だ、アントマーズ」ラバァルは、その働きを素直に評価した。「お前も、少しは役に立つようになってきたじゃないか」
「あ、ありがとうございます…!」アントマーズは嬉しそうだ。
「よし。だが、実際に会う前に、もう少し準備が必要だ」ラバァルは言った。「彼らについて、俺の方でも少し調べさせている。その結果を待ってから、誰に、どう接触するか決めたい。約束の日時だけ確認しておいてくれ。具体的な段取りは、追って俺から指示する」
ラバァルは、すぐに行動を起こすのではなく、まず情報を精査する慎重さを見せた。アントマーズをただ利用するだけでなく、彼なりに計画を立てていることを示唆する。
「わ、わかりました。では、日程を確認し、改めてご連絡いたします」アントマーズは、ラバァルの慎重な姿勢に少し戸惑いつつも、素直に頷いた。
「ああ、頼む」ラバァルは短く言うと、ベスウォール家を後にした。
シュガーボム、ベルコンスタンの執務室、同日、夕刻
ベスウォール家から戻ったラバァルは、シュガーボムに到着するや否や、真っ直ぐにベルコンスタンの執務室へ向かった。先ほどアントマーズから聞かされた、面会を約束した三人の友人の名を、すぐにでもベルコンスタンに伝え、調査資料を用意させるためだ。
部屋の扉を開けると、デスクで待機していたベルコンスタンが、ラバァルの姿を認めて即座に立ち上がった。
「ベルコンスタン、以前頼んでおいたアントマーズの友人リスト、その調査報告書の中から三名分の資料を至急抜き出してくれ」
ラバァルはソファにどかりと腰を下ろしながら、立て続けに命じた。
「一人目は、【ベルトラン家】の縁者だというルイーズという男。二人目は、あの女騎士、ラナーシャ。そして三人目は、コリンズという商人だ。この三名を頼む」
「かしこまりました」
ベルコンスタンは恭しく一礼すると、すぐさま書棚に収められた分厚いファイルへと向かった。ベスウォール家はラガン王国でも指折りの名家。それゆえ、アントマーズの学生時代の友人リストは膨大な数に上り、その調査報告書もかなりの量になっていたのだ。
ファイルをデスクに広げ、必死の形相でページをめくるベルコンスタンを、ラバァルはソファから静かに観察していた。
(…あの時の怪我も、もうほとんど癒えたようだな。動きに滞りはない)
ラバァルが冷静に分析している一方、背中に突き刺さるような視線を感じているベルコンスタンは、(早くしろ、と急かされているに違いない…!)と、冷や汗をかきながら必死で指を動かしていた。ラバァルを待たせるわけにはいかない。その一心だった。
やがて、ベルコンスタンは目的の三名分の資料を抜き出すと、安堵の息を一つ吐き、それをラバァルへと差し出した。
「お待たせいたしました、ラバァルさん! ご指定の三名の資料でございます」
ラバァルは無言でそれを受け取ると、ソファの上で体勢を立て直し、すぐさま資料に目を通し始めた。ベルコンスタンがまとめた報告書は、対象者の基本情報はもちろん、現在の地位、交友関係、金の流れ、そして交渉の糸口となりそうな個人的な噂話や弱点に至るまで、詳細かつ的確に分析されていた。それは、彼がラバァルの下で働き始めてから、その情報収集・分析能力をさらに磨き上げていることを雄弁に物語っていた。
(ふむ、商人の跡継ぎ…やはりただのボンボンか。ギャンブル好きとはな、御しやすい。有力者の縁者…こいつは慎重そうだが、裏ではかなり野心的な動きをしているようだ。使い方次第では化けるかもしれん…)
ラバァルは、一人ずつ情報を吟味していく。そして、騎士団の若手将校のファイルを開いた時、彼の動きが止まった。そこに記されていた名前と騎士と言う職が以前遭遇した記憶と一致したからだ。
ラナーシャ・ヴィスコンティ)
(ラナーシャ…!? 間違いない、城で会ったあの女騎士だ…! あいつがアントマーズの友人だったとはな…!)
ラバァルの脳裏に、ラガン城のテラスでの、あの凛とした、しかしどこか棘のあるやり取りが蘇る。全くの偶然か、あるいは何かの意図があるのか。
興味を強く引かれたラバァルは、ラナーシャに関する記述を貪るように読み進めた。王宮警備隊の隊長という肩書き、年齢。そして、その出自――父親は先代国王ラ・ムーンIV世の弟、つまり現国王の従妹にあたる王族の血縁者。
(王族の血筋が、なぜ一警備隊長に? 何か訳がありそうだな…)
その疑問に答えるかのように、資料には彼女の母親と実家、ヴィスコンティ家に関する驚くべき情報が記されていた。名家の没落、放蕩な父親、経営能力のない母親、そして悪徳商人か高利貸しによる多額の借金…。
(…なるほどな。王族でありながら、家の没落と母親の借金という、切実な問題を抱えている、か。だから、あの時、ただの貴族の娘とは違う、妙な強さと脆さが同居しているように感じたのか)
ラバァルは、彼女の抱える複雑な事情を知り、テラスでの姿を思い返し、妙に納得した。どんな人間にも、裏には語られない物語がある。
(しかし、大した女だ。あんな状況にありながら、それを微塵も感じさせず、警備隊長としての務めを果たしているとはな。見かけによらず、相当な精神力の持ち主か、あるいは全てを諦めているか…)
そして、ラバァルの思考は、即座に次の段階へと移った。この情報は、利用できる。
(母親に借金を負わせた悪党…ベルコンスタンの調査ではまだ正体不明か。だが、もしこの悪党が、ムーメンや他の評議会の連中と繋がっているなら…あるいは、俺がこの問題を解決することで、ラナーシャを協力者として引き込むことができるかもしれん。王族との繋がりは、利用価値が高い)
ラバァルはファイルを閉じ、ベルコンスタンに向き直った。その目には、新たな獲物を見つけた狩人のような、冷たい光が宿っていた。
「ベルコンスタン、追加調査だ。最優先で、このラナーシャ・ヴィスコンティという女騎士の母親、イザベラ・ヴィスコンティについて、さらに深く掘り下げろ。特に、彼女に借金を負わせた悪党の正体、その背後関係、そして現在の借金の状況を徹底的に洗え。どんな手段を使っても構わん。情報は早ければ早いほどいい」
「はっ! かしこまりました!」ベルコンスタンは、ラバァルのただならぬ口調と目の色から、この件が極めて重要であると察し、緊張した面持ちで力強く頷いた。
ラバァルは、ラナーシャに関するファイルだけを傍らに置くと、他の二人のファイルも再度確認した。
「よし。明日、改めてアントマーズの所へ行く。まずは、この商人の跡継ぎと、有力者の縁者から接触する。ラナーシャの件は、お前からの報告を待ってから動く。いいな?」
「承知いたしました」
ラバァルは、ベルコンスタンに後の処理を任せ、執務室を出た。アントマーズが繋いだ縁が、思わぬ形でラナーシャという重要人物に繋がった。これが吉と出るか凶と出るか。ラバァルは、新たなゲームの駒を手に入れた(あるいは手に入れる可能性を得た)ことに、密かな興奮を感じながら、次の一手を練り始める。ロットノットの権力構造の深部へと、彼はさらに一歩、足を踏み入れようとしていた。
新市街、高級レストランの個室
アントマーズの段取りで、ラバァルはまず、有力な評議会議員であるベルトラン家の縁者だという若者、ルイーズと会うことになった。場所は、新市街にある高級レストランの、人目につかない個室。アントマーズが事前に手配し、彼は紹介だけ済ませると、「あとは若い者同士で」と気を利かせたつもりで早々に席を外した。個室には、ラバァルとルイーズ、そしてルイーズが連れてきた護衛らしき男が一人だけ残された。
ルイーズは、年の頃はラバァルと同じくらいだろうか。上質な仕立ての良い服を着こなし、物腰も丁寧で、一見すると育ちの良い貴公子然としている。ベルコンスタンの資料にあった通り、「慎重派」という印象だ。しかし、その落ち着いた態度の奥に、現状への不満や、もっと上へ行きたいという野心が燻っているのを、ラバァルは見逃さなかった。
「はじめまして、ルイーズ・ベルトランです。アントマーズ殿から、面白い方だと伺って、楽しみにしておりました…ラバァル、殿、でしたかな?」ルイーズは、探るような視線を向けながら挨拶した。
「ああ、ラバァルだ。殿、などはいらん。好きに呼んでくれ」ラバァルは、敢えて無遠慮な口調で応じ、ソファに深く腰掛けた。「面白いかどうかは、あんたが判断することだろう」
ラバァルの予想外の態度に、ルイーズは少し面食らったようだったが、すぐに表情を取り繕った。
「…失礼。では、ラバァル殿。アントマーズ殿は、貴方が遠方から来られた、少々『訳あり』の方だとおっしゃっていましたが…差し支えなければ、どのような目的で、このロットノットへ?」ルイーズは、遠回しにラバァルの素性を探ろうとする。
「目的、か。まあ、色々とな」ラバァルは、はぐらかすように笑った。「このロットノットという街は、面白い。様々な人間がいて、様々な『商売』が行われている。俺は、そういう『可能性』に興味があって来た、というところかな」
「可能性…商売、ですか?」
「ああ」ラバァルは、テーブルに置かれた高級ワインのボトルを手に取り、勝手に自分のグラスに注ぎながら続けた。「この街には、大きな富を生むチャンスが、そこかしこに転がっているように見える。だが、それを掴むには、古いしがらみや、既得権益を持つ連中が邪魔をする。そうは思わないか? ルイーズ殿」
ラバァルは、ルイーズがベルトラン家の縁者でありながら、本流からは少し外れた立場にいること、そしてそのことに不満を抱いているであろうことを見抜き、核心を突くような言葉を投げかけた。
ルイーズの表情が、わずかに曇った。ラバァルの言葉は、彼が日頃感じているであろう鬱屈を的確に言い当てていたからだ。
「……確かに、この街の仕組みには、古くからの慣習や、変えがたい力関係が存在しますな。新しい風が吹き込みにくい土壌であることは、否定できません」ルイーズは慎重に言葉を選びながら答えた。
「だろう? だが、俺はそうは思わん。どんなに強固に見える壁でも、壊す方法はある。あるいは、壁を迂回する『抜け道』を見つければいい。そのためには、新しい発想と、リスクを恐れない行動力、そして何より…信頼できる『仲間』が必要だ」
ラバァルは、ルイーズの目をじっと見つめた。「俺は、このロットノットで、新しい『商売』を始めようと思っている。それは、大きなリスクも伴うが、成功すれば、莫大な利益を生むだろう。古い連中を出し抜き、我々が新たな勝者となる…そんな可能性を秘めた仕事だ」
ルイーズは、ラバァルの言葉に明らかに興味を示した。彼の瞳の奥で、燻っていた野心に火がつき始めているのが見て取れる。
「…新しい商売…ですか。具体的には、どのような?」
「それは、まだ詳しく話せる段階ではない。だがな」ラバァルは身を乗り出した。「もし、ルイーズ殿が、今の状況に甘んじることなく、もっと大きな『何か』を掴みたいと考えているのなら…俺と手を組んでみる気はないか? あんたの持つ、この街での知識や人脈、そしてベルトラン家という看板は、俺の計画にとって大きな助けとなるだろう。もちろん、成功した暁には、あんたにも相応の『分け前』を約束する。それも、今のあんたが想像する以上の、な」
それは、甘美な誘惑だった。ルイーズは、ラバァルの言葉が持つ危険性と、同時に抗いがたい魅力に、心を揺さぶられているようだった。しばらくの沈黙の後、彼は意を決したように口を開いた。
「…非常に、興味深いお話です。ですが、私にはまだ、貴方が何者なのか、そしてその『商売』がどのようなものなのか、分かりません。もう少し、具体的なことをお聞かせ願えませんか?」ルイーズは、慎重さを崩さずに尋ねる。
「まあ、そう焦るな」ラバァルは笑った。「信用というのは、時間をかけて築くものだ。まずは、お互いを知ることから始めようじゃないか。例えば…そうだ。あんたが最近、裏で関わっているという『古美術品の闇取引』…あれなんかは、実に面白い。目利きも確かなようだ。その腕前、俺の『商売』でも活かせるかもしれん?」
ラバァルは、ベルコンスタンから得た情報を、あたかも偶然知っていたかのように口にした。
「なっ…!?」ルイーズの顔色が変わった。彼が秘密裏に行っていた闇取引のことを、なぜ目の前の男が知っているのか。彼は動揺を隠せない。
「驚くことはない」ラバァルは、動揺するルイーズを落ち着かせるように、穏やかな声で続けた。「言っただろう? 俺はこの街の『可能性』に興味がある、と。少しばかり耳が良いだけさ。だが、心配はいらん。俺は、あんたの秘密をどうこうしようとは思っていない。むしろ、その『才能』を評価している、と言った方が近い」
ラバァルは、ルイーズの弱みを握っていることを暗に示しつつも、それを脅しの材料にするのではなく、協力関係への誘い水として使ったのだ。
「どうだ? 俺となら、その『才能』をもっと大きな舞台で、もっと安全に活かせるかもしれんぞ? 裏でコソコソやるのではなく、堂々と、だ」
ルイーズは、ラバァルの言葉の裏にある意味を理解した。この男は、自分の秘密を知っている。そして、その上で協力関係を持ちかけてきている。断れば、この秘密がどう使われるか分からない。だが、この男と組めば、自分の野心を実現できるかもしれない…。彼は、もはや後戻りできない状況に追い込まれていることを悟った。同時に、目の前の男が持つ、底知れない情報網と、大胆不敵な行動力に、ある種の畏敬の念すら感じ始めていた。
「……分かりました、ラバァル殿」ルイーズは、観念したように、しかしどこか吹っ切れたような表情で言った。「貴方の『商売』、協力させていただきましょう。私の持つ知識、人脈、そしてこの『才能』が、貴方の助けとなるのなら」
「それでいい」ラバァルは満足げに頷いて見せた。「良い決断だ、ルイーズ。これから、面白いことが始まるぞ」
ラバァルは、ルイーズという新たな協力者を、巧みな話術と情報操作によって、まんまと自身の陣営へと引き入れることに成功した。ルイーズは、ラバァルが持ちかける「儲け話」に乗りつつも、知らず知らずのうちに、ラバァルの張り巡らせた蜘蛛の巣に絡め取られていくことになるだろう。ラバァルは、決して彼を潰すつもりはない。むしろ、ロット・ノットの上流階級における、自身の重要な情報源、そして時には実行部隊として、有効に活用していくつもりだ。彼のロット・ノット攻略計画は、また一歩前進していた。
新市街、高級賭博サロンのVIPルーム
ベルトラン家の縁者ルイーズとの接触を終えたラバァルは、次なるターゲットである大商人「ゴールデン・グレイン商会」の跡継ぎ、コリンズと会うため、彼が行きつけにしているという新市街の高級賭博サロンを訪れた。VIPルームでは、コリンズが取り巻きと共にカードゲームに興じており、ラバァルはぞんざいな扱いを受けながらも、部屋の隅のソファでその様子を観察していた。
(…資料通り、いやそれ以上のギャンブル狂いだな。金の感覚も麻痺している。負けが込むと見境がなくなるタイプか…利用しやすいが、扱いを間違えると厄介なことにもなりそうだ)
ゲームが一区切りつき、負けて不機嫌そうなコリンズがラバァルに向き直った。
「…で、なんだっけ? ラバァルとか言ったか。何の用だ? アントマーズの奴、面白い話があるとか言ってたが…俺は今、それどころじゃねえんだよ!」
「面白い話かどうかは、あんた次第だ」ラバァルは落ち着いた声で応じ、あえて挑発するように続けた。「だが、その前に、少し運試しでもしないか? 見ていると、どうも女神様に見放されているようだ。俺が相手なら、少しは楽しませてやれるかもしれんぞ?」
「はぁ? 運試しだと?」コリンズはラバァルの言葉にカチンときたようだが、同時にギャンブラーの血が騒いだのか、すぐにニヤリと笑って答える。「面白い! その挑戦、受けてやろうじゃねえか! この俺に勝てると思ってるなら、大間抜けだ、それにレートはこっちで決めさせてもらうぜ? 金はちゃんと持ってるんだろうな?」取り巻きたちも、「坊ちゃんに勝てるとでも?」「身ぐるみ剥がされなきゃいいけどな!」などと囃し立てている。
「金なら、まあ、遊びに付き合うくらいはな」ラバァルは無造作に、しかし十分な量の金貨が入った袋を作業台に置いた。
こうして、ラバァルとコリンズのカードゲームが始まった。ラバァルは、序盤はわざと負けたり、僅差で勝ったりしながら、コリンズの実力(というより、その無謀な賭け方と心理的な脆さ)を見極めていった。コリンズは、最初はラバァルを「どこかの金持ちの素人」と侮っていたが、勝負が長引くにつれて、ラバァルの底知れない冷静さと、時折見せる鋭い読み(と、ラバァルが密かに行うイカサマに近い心理操作)に翻弄され始めていた。
ラバァルは、コリンズが熱くなり、賭け金を吊り上げてきたところで、勝負に出た。適度に競り合い、コリンズに「次こそ勝てる」と思わせながら、最終的にはきっちりと勝利を収める。それを何度か繰り返し、気づけばコリンズは、ラバァルに対して金貨5万枚という、彼にとっても決して無視できない額の負けを喫していたのだ。
「く、くそっ! なんなんだ、てめえは!? イカサマでもしてんじゃねえだろうな!?」
コリンズは顔を真っ赤にして怒鳴ったが、その声には負けを認めざるを得ない悔しさと、ラバァルに対する得体の知れない恐怖が混じっていた。5万枚という額は、彼の小遣いの範疇を大きく超えており、父親に知られればただでは済まないだろう。
「イカサマ? さあな。ただ、あんたより少しだけ運が良かった、ということかもしれん」ラバァルは肩をすくめ、悪びれもせずに言った。「まあ、今日のところはこの辺にしておこう。あんまり負けさせすぎても、後が面白くないからな」
ラバァルは、コリンズが書いた借用書(5万ゴールド分)を受け取ると、立ち上がった。
「この借りは、いずれ返してもらう。その時は、金でなくてもいいかもしれんがな…」
意味ありげな言葉を残し、ラバァルはコリンズとその取り巻きたちの呆然とした視線を背に、悠々とVIPルームを後にした。
(ふん、思った以上に御しやすい。これで第一段階は完了だ)
ラバァルは内心でほくそ笑んでいた。今日、彼を完全に破滅させる必要はない。むしろ、5万枚という「返せないこともないが、かなり痛い」額の借金を負わせることで、コリンズはさらに焦り、ギャンブルで取り返そうと躍起になるだろう。そこへ、ベルコンスタンあたりを使って、さらに腕の良い「別の胴元」や「甘い儲け話」を仕向ければいい。コリンズは、ラバァルに負けた分を取り返そうと、その罠にまんまと嵌るはずだ。そして、気づいた時には、ラバァルが(表向きは善意で)肩代わりせざるを得ないほどの、巨額の借金を抱え込むことになるだろう。
今日の接触は、コリンズという人物の評価と、彼を陥れるための地ならしに過ぎない。ラバァルは、時間をかけて、確実に、そして静かに、この商人の跡継ぎを自身の駒へと変えていく計画を、既に頭の中で描き始めていた。彼の真の狙いは、単なる金銭ではない。ゴールデン・グレイン商会という、ロットノットでも有数の流通網を持つ組織そのものを、いずれ手に入れることなのかもしれなかった。ラバァルは、次なる接触相手――ラナーシャ――の情報を待つべく、シュガーボムへの帰路についた。
最後まで読んでいただきありがとうございます、引き続きつづきを見掛けたら読んでみて下さい。




