ロスコフのお見合い その3
今回もロスコフのお見合いの続きです、ハルマッタン伯爵家の邸宅内での話になります。
その11
その11:封印されし悪魔の娘と、毒に塗れた求婚者たち
ハルマッタン伯爵邸の庭園。ロスコフは、屋敷の敷地から外を眺めていた。つい反射的に門番に挨拶をすると、門番はちらりとこちらを見たが、すぐに持ち場に戻る。そんな何気ない散策の途中、彼の視界の隅を、陽炎のような影がよぎった。
他の者なら見過ごしただろう。だが、幼い頃に鉱山で死にかけた経験で得た【暗視探知能力】――暗闇や不可視の存在の輪郭を捉える力が、無意識に作動していたのだ。
「……誰かいるのか?」
一瞬の出来事に、勘違いかと彼は深く考えずその場を後にした。
その影は、二人組だった。
「……今、気付かれたか?」
「馬鹿を言え。インビジブルクロークを纏っているのだぞ」
「……手筈通り、調理場へ。毒を盛る」
「了解」
その頃、アンナの部屋では、求婚者との面会が始まろうとしていた。彼女は椅子に座り、静かにその時を待つ。
「おや、虫が侵入したようね。さて、私はどう対応しようかしら」
彼女の唇から、冷たい独り言が漏れた。
コンコン、と扉がノックされる。
「アンナ様、チェイサー子爵家のミカエル卿がお越しくださいました」
「お入りください」
堂々とした足取りで入ってきたミカエルは、立ち上がって迎えるアンナの姿に息を呑んだ。
「おお、聞きしに勝るお美しい方だ」
噂は真実だった。彼はその場に膝をつき、恭しく名乗りを上げた。
「まあ、お堅いお方ですわね。私がハルマッタン伯爵の長女アンナでございます。お顔をお上げ下さい」
アンナの声に促され、ミカエルは立ち上がり、改めて彼女を見つめた。しばらくの沈黙。
「まあ、恥ずかしい。そんなに見つめないで下さい」
「すまない、つい見惚れてしまいました」
「お上手ですのね」
「いえ、あなたが美しすぎるのです」
「ありがとうございます。ですが、それだけの理由で求婚するのは、おかしくないですか?他の理由を教えて頂けないかしら?」
アンナの問いは、単なる好奇心ではない。相手の本質を見極めるための、鋭い刃だった。
ミカエルは率直に「妻が必要だから」と答えたが、アンナはそれを「答えになっていない」と一蹴する。自信家の彼は、切り札として自らの武勇を語り始めた。ロマノス帝国の闘技大会で準優勝したという栄光を。
「まあ、それは素晴らしいですわ。それで、その強さと私とのお付き合いに、どのような関係が?」
アンナの反応は、彼の想定を遥かに超えていた。この女性は、男の強さを全く考慮に入れていない。彼は悟った。これ以上取り繕えば、己の価値を下げるだけだと。ミカエルは潔く、自ら身を引いた。
「……私の番はここまでで。どうぞ、次の方と」
次にアンナの部屋に入ってきたのは、バンクシー公爵家の三男、チャールズだった。彼は挨拶もそこそこに、尊大な態度でアンナを見下ろした。
「私がバンクシー公爵家のチャールズだ。そなたに求婚しにきた。私に決めれば、良い夫になってみせるぞ」
そのあまりに幼稚な物言いに、アンナは内心でため息をついた。彼女が作ったばかりの質問を投げかける。
「チャールズ様は、公爵家から出た後は、何をなさるおつもりで?」
「うむ、新天地で一旗揚げようと思っている」
「それは素晴らしい夢ですわね。それでは、連れ合いの方はどうなさるので?」
「無論、共に来てもらう」
「それでは私は辞退せねばなりません。そのような冒険は、わたくしにはとても」
アンナが静かに断ると、チャールズは慌てて言った。
「まあ、それなら新天地への夢は諦める!そなたと結婚できるならな!」
その言葉を聞いた瞬間、アンナの表情から一切の感情が消えた。
ピキンッ!
部屋の空気が凍り付くほどの、凄まじい殺気が放たれる。普段は固く封じ込めている【悪魔の気】が、彼の軽薄な言葉への怒りによって、一瞬だけ漏れ出してしまったのだ。チャールズは全身を硬直させ、金袋まで縮み上がらせながら、ほうほうの体で部屋を逃げ出した。
その一瞬の気の奔流を、階下で待機していたミカエルが敏感に感じ取っていた。
(……今のは!?)
かつて、迷宮の奥深くで本物の悪魔と対峙した時の記憶が、彼の全身を駆け巡る。魂まで震わせる、あの忌まわしい【気】。体が、忘れていなかった。
大広間にいたパットンとメッシも、ただならぬ雰囲気を感じ取っていた。
「んっ、今のは!嫌な気を感じたが、メッシ、お前はどうだ?」
「パットン様、すぐに剣を返してもらいましょう」
「分かった!」
二人は預けていた剣を慌てて取りに走った。
ちょうどその頃、侵入者は調理場で用意していた毒を料理に垂らし終え、大広間の様子を伺っていた。侍女が、出来たてのカボチャと牛肉のシチューを運んでくる。
湯気と共に漂う甘い香り。「これは美味しそうだ」と、ワーレン侯爵家の者がスプーンを口に運んだ。
数瞬後、彼は激しく苦しみ出した。
「ぐぅぅぅ~!」
突然倒れ、口から泡を吹いて痙攣する。
「いかん、毒かもしれん!」パットンが叫んだ。「誰か解毒魔法を使える者はいないのか!」
大広間が、一瞬にしてパニックに包まれた。
そこへ、のんびりとした足取りで、一人の男が現れた。
「なにかあったのかな?」
そろそろ自分の番かと、大広間へやってきたロスコフだった。
最後まで読んでくれた方ありがとう、また続きを見かけたら読んでみて下さい。




