俺たちのテリトリーだ!
スラムで知り合ったタロッチ達は、自分達の縄張にいた、そんな所に年長の赤毛とその手下たちが現れ、スクラップヤードは自分たちの縄張りになったと言って来た...。
その109
ラバァルは情報屋ホークアイから、ムーメン家攻略の鍵となりうる貴重な情報を手に入れた。次なる標的は定まり、具体的な作戦計画も練り上げつつあった。しかし、彼の計画は思わぬところで足止めを食らうことになってしまう。
デュオール家での一件で、ベルコンスタンをはじめとするキーウィの主力メンバーの多くが、エマーヌが召喚した怪物によって深手を負ってしまったのだ。ロットノットには腕の良い薬師もいるが、彼らの傷は深く、魔法のような劇的な回復は見込めない。戦線に復帰するには、少なくとも一ヶ月以上の療養が必要となるだろう。回復役の不在という問題が、これほど早く、そして深刻な形で影響するとは思ってもなかった。
(…ちっ、タイミングが悪い。せっかくムーメンを叩く好機だと思ったが、これでは動けんな)
ラバァルは内心で舌打ちしていた。オーメンの連中は数を揃えつつあるが、まだ実戦経験も練度も足りない。キーウィの主力が動けない今、ムーメン家のような強敵相手に本格的な作戦を実行するのは、あまりにもリスクが高すぎる。焦りは禁物だ。今は耐える時だと、彼は自分に言い聞かせた。
そういう訳で、ラバァルのロットノットでの日々は、一時的な小康状態に入った。彼は、ホークアイから得た情報を分析し、ムーメン家への様々な攻略パターンをシミュレーションする一方で、ベルコンスタン(今はシュガーボムで療養中)を通じて、掌握したデュオール家の組織基盤を固める作業を進める事に注力する事にした。
それ以外の時間は、これまで通り、新市街の喧騒や旧市街の混沌の中をぶらぶらと歩き回り、街の空気を肌で感じ、情報を収集し、あるいはただ時間をつぶしていた。苛立ちはあったが、焦っても仕方がない。来るべき時に備え、牙を研ぎ澄ませておくしかない。
そんな停滞した日々が三週間ほど続いたある日、ウィッシュボーンから待ち望んでいた知らせが届いた。旧市街スラムに建設を依頼していたオーメン用の訓練所が、ついに完成したというのだ。ゴードック親方が腕によりをかけて改築した、ラバァル肝いりの施設だ。
「よう、ラバァルさん! ついに完成しましたぜ!」
訓練所の完成を祝うささやかな宴が開かれると聞き、ラバァルも旧市街へと足を運んだ。案内された場所は、スラム南東区画にある、例の古いレンガ造りの倉庫だった。
しかし、その外観は、以前とほとんど変わっていないように見えた。壁は煤け、窓ガラスは所々割れたままで、一見すると、ただの打ち捨てられた廃倉庫にしか見えない。これならば、ここを知らない者ならばここがオーメンの新たな拠点であり、訓練施設であると気づきにくい。カモフラージュとしては完璧だろう。ゴードック親方の仕事は、細部にまで及んでいるようだ。
ラバァルが、わざとらしいボロい扉を開けて、更に奥の扉の中へ入ると、そこには外観からは想像もつかない光景が広がっていた。
内部は完全に改装され、広々とした空間が生まれていた。床には頑丈で滑りにくい特殊な木材が敷き詰められ、壁は衝撃を吸収する素材で補強されている。奥には打ち込み用の太い柱が何本も立てられ、壁には様々な種類の武器(訓練用だが)が整然と掛けられている。片隅には、簡単な治療ができる医務スペースや、仮眠用の小部屋まで設けられていた。そして何より、以前の陰鬱な雰囲気は一掃され、天井近くに取り付けられた複数の魔晶石ランプによって、明るく清潔な空間となっていたのだ。ゴードック親方が「最高のモンを作る」と豪語しただけのことはある。ラバァルが要求した以上の、素晴らしい出来栄えだと言う事は一目でわかった。
既に、中ではオーメンのメンバーたちが集まり、ささやかな完成祝いの宴が始まっていた。ウィッシュボーンが用意したのだろう、粗末だが心のこもった料理や酒が並べられ、メンバーたちは新しい訓練場の完成を喜び合い、これからの訓練への意気込みを語り合っている。以前のチンピラ集団の面影は薄れ、一つの組織としてのまとまりが生まれつつあるように見えた。
「おお、ラバァルさん! よく来てくださいました!」ウィッシュボーンが、ラバァルの姿を見つけ、嬉しそうに駆け寄って来る。「どうです? ゴードック親方の仕事は! 思った以上でしょう!」
「ああ、見事なもんだ」ラバァルは素直に賞賛した。「これなら、連中を徹底的に鍛え上げることができるだろう」
「へへ、ありがとうございます! 親方にもそう伝えておきます。あ、親方もあちらに…」ウィッシュボーンが指さす方を見ると、ゴードック親方が、オーメンのメンバーたちに囲まれ、自慢げに自分の仕事について語っている姿が見えた。
ラバァルは、ウィッシュボーンに促されるまま、宴の輪に加わった。普段、彼がこのような場に積極的に参加することはない。だが、今日は特別だった。この訓練場は、ロットノットにおける彼の野望を実現するための、重要な礎の一つなのだ。オーメンのメンバーたちも、ラバァルの登場に一瞬緊張したが、すぐに彼を歓迎する雰囲気になった。彼らにとっても、ラバァルは恐怖の対象であると同時に、自分たちをより強くし、このスラムから這い上がるチャンスを与えてくれる存在になりつつあった。
ラバァルは、メンバーたちと短い言葉を交わし、彼らの意気込みを聞きながら、静かに酒を飲んだ。キーウィの戦力が回復するまでの間、この訓練場でオーメンを徹底的に鍛え上げ、次なる戦いに備える。今は、それが最優先事項だ。宴の喧騒の中で、ラバァルの目は、既にムーメン家攻略後の、さらにその先を見据えているようだ。
最初の衝突とラバァルの辛辣なアドバイス
キーウィの主力不在という予期せぬ停滞期。ラバァルは焦りを抑え、来るべき時に備え、ロットノットの空気を吸い続けていた。その日も、彼は目的もなく旧市街スラムの埃っぽい路地を歩いていた。そこは子供たちの喧騒が絶えない一角で、以前、妙な度胸を見せたタロッチというガキと、彼の奇妙な仲間たち――長身で心優しいウィロー、小柄でお調子者のラモン、そして男勝りで負けず嫌いのメロディ――を思い出す。彼らを初めて見かけたのは、ラバァルにスリを働こうとタロッチが突っ込んで来た時だった。
しかし簡単に見破られ足を引っかけられ転ばされる事に、しかしこんなスラムの中でもタロッチの目はギラ付き死んではいなかった、その目に宿っていた小さな輝きを見たラバァルは、ふと興味を引いたのだ。
すると、路地の奥から子供たちの怒鳴り声と、鈍い打撃音が響いてきた。聞き覚えのある声も混じっている。ラバァルは眉をひそめ、音もなく角を曲がった。案の定、タロッチ、ウィロー、ラモン、メロディの四人が、見慣れない体格の良い子供グループと激しくぶつかり合っていた。明らかに縄張りを巡る抗争だ。
「ここは俺たちの遊び場だ! 出てけ!」タロッチがリーダー格の赤毛の少年に突っかかるが、あっさりと突き飛ばされ、泥水に膝をついた。「ぐっ…!」
「うるせぇ、チビが! この『スクラップ・ヤード』は、今日から俺たち『ブラック・ラット』のモンだ! 文句あっか!」赤毛が唾を吐き捨て、他のメンバーがタロッチたちを取り囲む。気が優しく争い事が苦手なウィローは、怯えながらも長い手足を振り回すが、相手の連携した動きに阻まれ、仲間を守ろうとする気持ちが空回りしている。お調子者で身軽なラモンは、相手をからかうようにチョロチョロと動き回るが、それもすぐに捉えられてしまう。気の強いメロディは、拾った木の棒を握りしめて構えるが、恐怖から腰が引けており、力任せに振り回すだけだった。
ラバァルは、物陰からその一部始終を冷ややかに観察していた。(ほう、少し見ない間に子分を増やし、一丁前に縄張り争いか。だが、所詮は烏合の衆だな。個々の力も使い方も、全く分かっちゃいない)彼は介入する気など毛頭なかった。これは子供たちの世界の戦いだ。生き残る術は、自分たちで見つけ出すしかない。
タロッチたちは必死に抵抗するが、個々の力も連携も、ブラック・ラットの方が一枚上手だった。彼らはタロッチたちを容赦なく打ちのめし、泥水の中へ蹴り倒した。ウィローは仲間を庇おうとして腕を抑え、ラモンはからかった相手に顔面を殴られ唇から血を流し、メロディは折れた木の棒を握りしめ怒りで震えていた。
「へっ、ザマァねえな雑魚が! これが力の差だ! 二度と逆らうんじゃねえぞ!」
ブラック・ラットのリーダーは高笑いを残し、勝ち誇ったように仲間たちと去っていった。
後に残されたのは、泥と屈辱にまみれたタロッチたちだけだった。ウィローは痛む腕を押さえながらも、まずラモンとメロディの様子を伺う。ラモンは唇から垂れる血を手の甲で拭い、悔しさに顔を歪める。メロディは折れた鉄パイプを握りしめたまま、肩を震わせ俯いている。タロッチは、地面に拳を叩きつけ、リーダーとしての不甲斐なさと、仲間に何もしてやれなかった無力感に嗚咽を漏らした。彼にとってこの「スクラップ・ヤード」は、自分たちの「家族」とも言える仲間と一緒にいられる大切な居場所だったのだ。
「くそっ…! ちくしょう…!!」
そこへ、ラバァルが足音も立てずに現れた。
「よう、タロッチ。随分と景気のいい挨拶をされたようだな。もっとも、挨拶というより、一方的な蹂躏に見えたが」
「ラ、ラバァル!?」タロッチは驚きと羞恥で顔を上げた。「み、見てたのかよ!?」
「そうだ、最初から全部みていた。なかなか見応えのある負けっぷりだったぞ」ラバァルは悪戯っぽく笑った。その笑みは子供たちには理解できない、底知れない冷たさを宿していた。「それで? 敗者は勝者に従うのがこのスラムの掟だったか? それとも、尻尾を巻いて逃げ出すか?」
「んなわけねえだろ!」タロッチは泥を払いながら立ち上がり、ラバァルを睨みつける。その目には、悔しさだけでなく、ラバァルにこの惨めな姿を見られたことへの強い反発と、それでもどこかで認められたいという複雑な感情が宿っていた。「ぜってぇ、あいつらぶっ飛ばしてやる!」
「ほう、威勢だけは一人前だな」ラバァルは鼻で笑った。「その根拠のない自信はどこから来る? お前たち、なぜ負けたか本当に分かっているのか?」
「…あいつら皆、年上だったんだ、デカくて、強かったからだ!」タロッチは叫んだ。
「数も多かったし…! 俺、怖くてちゃんと動けなかった…」ウィローが、正直に、そして少し怯えながら付け加える。彼は西の漁村で生まれ、父親を海賊に奪われ、母とこのロットノットに流れ着いた。争い事は苦手だが、このスラムでできた仲間たちとの今の居場所を守りたいという思いが彼を突き動かしていた。
「それだけか?」ラバァルは冷たく問い返す。「違うな。最大の敗因は、お前たちが『群れ』であって『チーム』ではなかったことだ」
「む、群れ…?」
「そうだ」ラバァルはタロッチを指さした。「お前は、ただ先頭に立って吠えていただけだった。周りを見ろ。お前が突っ込んだ時、ウィローは何をしていた? ラモンは? メロディは? バラバラに動いて、互いの足を引っ張っていただけだっただろう。」
彼はウィローに向き直る。「お前はその長身とリーチを全く活かせていない。ただ振り回すだけだ。本当は仲間を守りたいんだろう? なら、守り方を考えろ」
次にラモンを見る。「お前の素早さは、逃げる時以外に役に立っているのか? お調子者なだけじゃなく、その頭の回転を使って、相手をどう掻き回せるか考えてみせろ」
最後にメロディを睨みつけ。「武器を持つなら、使い方を考えろ。恐怖に負けて振り回す棒は、自分を傷つけるだけだ。お前には、敵の隙を見抜く鋭さがあっただろう。それを活かせ」
ラバァルの的確すぎる指摘に、子供たちは返す言葉もなく、ただ俯く。彼の言葉は耳に痛かったが、彼らの本質や、自分たちでは気づけなかった弱点を正確に言い当てていた。
「相手は、お前たちより少しだけ『チーム』として動けていただけだ。だから勝った。それだけのことだ」ラバァルは続けた。「頭を使え。仲間を信じろ。それぞれの役割を考えろ。一人が囮になり、一人が守り、一人が仕留める…戦い方などいくらでもある。まあ、せいぜい頑張るんだな」
それだけ言うとラバァルは興味を失ったように、踵を返した。
「待ってよ、ラバァル!」タロッチが必死に呼び止める。リーダーとしてのプライドを捨て、必死に食い下がった。「わ、分かんねえよ! どうすればいいんだ!? 教えてくれよ!」
「知るか。自分で考えろ。負けたくなければな」
ラバァルは冷たく言い放ち、今度こそ路地の闇へと消えていった。彼の背中を見送るタロッチの目には、悔しさと共に、強烈な「強くなりたい」という飢えが沸き立っていた。
束の間の勝利と新たな絶望の遭遇
ラバァルの言葉は辛辣だったが、的を射ていた。タロッチたちは、地面に座り込み、顔を見合わせた。ウィローはラモンの唇の血を、持っていた布で優しく拭ってやる。「大丈夫か、ラモン?」ラモンは少し顔を歪めながらも、「へっ、これくらい屁でもねえよ!」とおどけて見せたが、その声にはまだ悔しさが滲んでいる。メロディは折れた鉄パイプを投げ捨て、地面を強く睨みつけていた。「くそっ、あんな奴らに…! もっと強くならなきゃ…!」彼女は親に捨てられ、一人でこのスラムで生きてきた。強くなることだけが、自分を守る術だと信じていたのだ。
タロッチは立ち上がり、仲間たちを見回した。ウィローの優しさ、ラモンのお調子者ながらの機転、メロディの負けん気の強さ。バラバラだと思っていた彼らが、ラバァルの言葉を聞いた後、少し違って見え始めた。
「…ラバァルの野郎、ムカつくけど…言ってることは、合ってる…」
タロッチの言葉に、他の三人も静かに頷く。
その日から、彼らの「遊び」は変わった。ただ喧嘩するのではなく、どうすれば連携できるか、互いの長所をどう活かせるか、必死に話し合い、泥まみれになって動きを試した。ウィローは、怖い気持ちを抑えながらも、長いリーチを活かして相手を寄せ付けない動きを練習。
ラモンは、持ち前の素早さで相手を翻弄し、隙を作る動きを磨いた。タロッチは、ウィローやラモンが作った隙を突いて、決定的な一撃を入れるタイミングを覚えた。そしてメロディは、冷静に戦況を見極め、相手の意表を突く位置から攻撃を仕掛ける「遊撃手」としての動きを何度も繰り返した。かつて、喧嘩に負けていたラモンをウィローと共に助けたことから彼らのグループが始まったように、彼らは互いの弱点を補い、長所を活かす方法を模索した。まだまだ未熟ではあったが、彼らの中に「チーム」としての意識が確かに芽生え始めていた。彼らにとって、このグループが唯一の「家族」であり、「居場所」だった。この場所を守るため、彼らは強くなろうとした。美味しいものを腹いっぱい食べるため(ラモンのひそかな願い)、誰にも馬鹿にされないため(メロディの強い思い)、そして何より、この仲間と一緒にいられる場所を守るために。
そして数日後、彼らは満を持してブラック・ラットに再戦を挑んだ。場所は同じ「スクラップ・ヤード」。ブラック・ラットの連中は、また懲りずに現れたタロッチたちを見て、嘲笑を浮かべた。
「よう、負け犬ども! またやられに来たのか? 今度こそ泣いて逃げ出すんだろうな!」赤毛のリーダーが、余裕の笑みで挑発する。
「今度はそうはいかねえ! テメェらに俺たちの縄張りは渡さねえ!」タロッチが吠え、戦いの火蓋が切られた。
今回は違った。ウィローが、恐怖を押し殺し、仲間たちを守るように長い手足で赤毛リーダーの動きを巧みに封じる! タロッチはその隙を見逃さなかい。ラモンが別方向からチョロチョロとリーダーの注意を引きつける、その一瞬、タロッチは鋭い踏み込みでリーダーの懐に入り込み、渾身の頭突きを鳩尾に叩き込む!「ぐぇっ!」リーダーが呻き声を上げて膝をつく。「…その隙を、メロディは見逃さなかった。彼女は冷静にリーダーの背後に回り込み、手に持った三節棍を素早く繰り出し、リーダーの足を払い、地面に叩きつけた!「ざまあみなさい!」」 バラバラだった以前とは違う、流れるような連携攻撃。それぞれの役割を理解し、互いを信じて動く「チーム」の連携攻撃だった。
リーダーを失い、予想外の反撃に動揺したブラック・ラットのメンバーたちは、次々とタロッチたちの連携の前に打ち破られ、ついに算を乱して逃げ出した。
「やった…! やったぞぉぉ!!」
「俺たちの勝ちだ!」
タロッチたちは、息を切らし、泥だらけになりながらも、互いの顔を見合わせ、勝利の雄叫びを上げた。ウィローは安堵の表情を浮かべ、ラモンは満面の笑顔で「へっ、俺の作戦通り!」と得意げに胸を張る。メロディは口元を引き結び、達成感に満ちた目でタロッチを見つめていた。初めて、自分たちの力で、考えて、協力して掴んだ勝利だった。その達成感は、何物にも代えがたいものだった。ブラック・ラットを追い払い、「スクラップ・ヤード」は再び彼らの縄張りとなった。4人にとってその日は、これまでで最も輝かしい一日となったのだ。
ブラック・ラットのメンバーに勝利してから一週間経っていた。
自分達より年上だったブラック・ラットを倒した事で、タロッチたちのここ一週間はただ歩いているだけでも楽しい日が続いてた。勝利の余韻に浸り、少し自信をつけた彼らは、意気揚々と鼻歌を歌いながら縄張りを広げようと、今まで行かなかった場へ足を踏み入れたのだ。彼らがこれまで足を踏み入れたことのない、より暗く、淀んだ空気の漂う一角。まるで雰囲気が違う一団と遭遇したのは、その時だった。
彼らは五人組。タロッチたちより明らかに年上で、その身のこなし、纏う空気は、これまでの相手とは全く異質な奴らと遭遇。薄汚れてはいるが、その目にはスラムの子供特有の荒々しさだけでなく、訓練されたような鋭さと冷たさが宿っていた。それはまるで、獲物を狩る獣のような、あるいは剣の腕を磨いた兵士のような気配だった。リーダー格の銀髪の少年――ファング――は、タロッチたちを一瞥すると、侮蔑するように鼻で笑い始めた。
「はんっ、お前らがブラック・ラットの雑魚を追い出したっていう威勢のいい連中か。ご苦労だったな。だが、掃除は終わりだ。ここからは、俺たち『スチール・クロウ』の領域だ。失せろ」
その言葉には、有無を言わせぬ絶対的な響きがあった。タロッチは反射的に反発しようとしたが、ファングとその仲間たちが放つ、研ぎ澄まされたプレッシャーに、喉が詰まるのを感じた。
(こいつら…今までの奴らとは、全然違う雰囲気してる…!)
「なんだ、聞こえなかったのか? 俺の視界から消えろと言ったんだ」ファングは感情の欠片も見せずに言うと、一瞬でタロッチたちの間合いに踏み込んできた。
「なっ!?」タロッチが反応する間もなく、ファングの鋭い蹴りがタロッチの顎を跳ね上げた。「ぐっ…!」視界が揺らぎ、意識が遠のく。
「タロッチ!」ウィローが慌てて助けに入ろうとするが、スチール・クロウの別のメンバーに腕を掴まれ、簡単に捻り上げられる。「うわぁっ!」
「へへ、でくの坊が!」
ラモンが素早い動きで撹乱しようとするが、ファングはまるで彼の動きを先読みしているかのように、最小限の動きでいなし、的確な打撃で打ちのめす。「くそっ、速い…!」
メロディが木の棒を振りかぶるが、ファングは身をかがめてそれをかわす、そして逆に棒を掴み取り、膝でへし折ってしまった。「なによ!?」驚くメロディの腹部に、容赦ない肘打ちが叩き込まれ、彼女は腹を抱え「うぐっ」うめき声を出し地面に蹲ってしまった。
抵抗は、わずか数十秒で終わった。タロッチたちは、文字通り赤子の手を捻るように、一方的にのされてしまったのだ。連携など、試す間もなく、圧倒的な個の力と、それを支える組織的な動きで圧倒されてしまった。 これがスチール・クロウだ!
「…雑魚が。身の程を知っただろう」
ファングは、地面に転がるタロッチたちを冷たく見下ろし、興味を失ったように吐き捨てると、仲間たちと共に、音もなく闇へと消えていった。
ラバァルへの相談と決意
意識が朦朧とする中、タロッチの耳に聞こえたのは、ウィローのすすり泣く声と、ラモンの「ちくしょう…痛ぇ…」という悪態、そしてメロディの「…次は、絶対…!」という悔しそうな呻き声だった。全身が殴られたように痛み、動くのも億劫だ。だが、それ以上に、心が折れそうだった。ブラック・ラットに勝ったことで得た、ほんの少しの自信と強さを魅せたいと言う欲は、スチール・クロウという圧倒的な力の前に、跡形もなく粉々にされてしまった。
(…なんだよ、あいつら…強すぎる…! 連携とか、そういう問題じゃねぇ…! あんな奴らに、勝てるわけねえ…!)
無力感が、冷たい泥のように心を覆っていく。訓練をする気力もなく、四人は「スクラップ・ヤード」の片隅で、ただ黙ってうなだれていた。ウィローは腫れた腕をさすり、ラモンは地面に小さく「の」の字を書き、メロディは折れた木の棒を握りしめている。誰も口を開かない。何を話せばいいのか、次に何をすればいいのか、全く見えなかった。
日が傾き、スラムに長い影が落ち始める頃、タロッチはむくりと起き上がった。まだ体中が痛むし、心も鉛のように重い。だが、このままここで腐っていても何も変わらない。
(…ラバァル…)
あの男の顔が浮かんだ。厳しくて、口が悪くて、何を考えているか分からない。でも、あの男だけが、自分たちを本当に強くしてくれるかもしれない。あの男なら、スチール・クロウに勝つ方法を知っているかもしれない。
しかし、ラバァルは新市街にいる。スラムの子供である自分たちが、通行許可証も持たず、こんなボロボロの格好で新市街に入れば、間違いなく衛兵に見咎められ、厄介なことになるだろう。ラバァルを見つける事も出来ずに摑まってしまうかもしれない。
(…どうする? ウィッシュボーンのおじさんに頼むか? いや、あの人は今、訓練場のことで忙しいはずだ。それに、こんな個人的なことで迷惑はかけられねえ…)
タロッチはしばらくの間、路地の壁に寄りかかり、考え込んだ。そして、意を決したように、仲間たちに背を向け、一人で歩き出した。
「…おい、タロッチ、どこ行くんだよ?」ラモンが声をかける。
「……ちょっと、考えがある」タロッチは振り返らずに答えた。仲間たちには、自分の惨めな姿を見せたくなかったし、失敗するかもしれないことを言いたくなかった。
タロッチは、新市街と旧市街スラムを隔てる境界線…衛兵の監視が比較的緩いと言われている、裏通りの検問所へと向かった。ラバァルに会える保証はない。だが、あの男なら、あるいはスラムの様子を見に、時々こちら側に来ているかもしれない。そんな僅かな可能性に賭けるしかなかった。
検問所の少し手前、物陰に身を隠し、タロッチは辛抱強く待ち続けた。衛兵の交代の時間、巡回の隙間…。どれくらい待っただろうか。日は完全に落ち、空には星が瞬き始めていた。体が冷え切り、空腹も限界に近づいていた頃、見慣れた黒い外套の姿が、新市街側から現れたのを、タロッチは見逃さなかった。
(きた…! ラバァルだ!)
タロッチは、衛兵に見つからないよう、慎重に物陰から飛び出し、ラバァルの背後から駆け寄った。最後の力を振り絞って。
「ラ、ラバァル!!」
ラバァルは、背後に何かを感じて振り返っていた、すると声をかけられ、それがボロボロになったタロッチだと気づくと、眉をひそめ...。
「…タロッチか。その姿は…またやられたようだな。今度は誰にやられた?」ラバァルは、タロッチの傷と、その目に浮かぶ深い絶望の色を見て、何かを察したようだった。
「……!」タロッチは言葉が出なかった。ただ、悔しさと情けなさで、再び涙が溢れてきた。「…ま、また負けたんだ…! 今度は完敗だった、ぜ、全然、歯が立たなかったんだ…! 連携する間もなく、ダメだった…! あいつら、強すぎるんだよ…! 俺たちじゃ…どうやっても勝てねえ…!!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、タロッチは訴えた。「ど、どうすれば…どうすれば、あいつらに勝てるんだよ!?」
ラバァルは、泣きじゃくるタロッチを黙って見下ろしていた。
「…そうか。スチール・クロウ、ね。もう次の壁が立ちふさがったのか、まぁあの程度の修練では、まだ序の口にも達していないからな。「お前たちが負けたのは、連携の質もそうだが、それ以前の問題だ。個々の力が絶対的に足りていない。基礎ができていないんだ。体も、技も、そして何より…どんな相手にも立ち向かうという『覚悟』がな」
ラバァルの言葉にタロッチは。
「強くなるって…どうやってだよ!?」
ラバァルは、タロッチの涙で濡れた、しかし必死な目を見て、少し考えた後、ニヤリと笑った。
「…本気で強くなりたいのか? そのスチール・クロウってグループを、地面に叩きつけてやりたいか?」
「……!! ああ!!」タロッチは、ファングへの憎しみを思い出し、力強く頷いた。涙はまだ止まらないが、その目には再び闘志の火が灯り始めていた。
「よし。ならば、俺が直々に鍛え直してやる」ラバァルの目が、遊びの色を消し、鋭い眼光を放った。「だが、言っておくぞ。俺の訓練は甘くない。泣き言も、言い訳も通用せん。スラムのガキ大将ごっこは終わりだ。死ぬ気でついてくる覚悟があるなら…の話だがな。それでも、やるか?」
それは、地獄への誘いにも似た問いかけだった。しかし、タロッチの中の悔しさと、強さへの渇望は、恐怖を上回っていたのだ。
「…の、望むところだ!! やってやる!!」タロッチは、震える声だったが、はっきりと答えた。
「いいだろう」ラバァルは頷いた。「だが、勘違いするな。鍛えるのはお前だけじゃない。ウィロー、ラモン、メロディ…お前たち全員だ。一人だけ強くなっても意味はない。チームとして強くなるんだ。明日から、俺が指定する場所に来い。場所は…そうだ、あの新しい訓練場がいいだろう。まずは、お前たちのそのひ弱な根性を、叩き直すことから始めてやる」
ラバァルは、タロッチに訓練場の場所と時間を伝えた。タロッチは、ボロボロの体を引きずりながらも、新たな希望を胸に、仲間たちのもとへと走り出した。スラムの子供たちの、本当の意味での「戦い」と「成長」が、今、始まろうとしていた。それは、ラバァルにとっても、退屈な停滞期を過ごすための、ささやかな「暇つぶし」であり、同時に、将来有望な「駒」を育成するための、新たな試みでもあった。彼の指導者としての側面が、予期せぬ形で動き出すことになる。
ラバァルが指導を始めて一週間。場所は、外観はボロ倉庫、しかし内部は最新の設備が整ったオーメンの訓練場。タロッチ、ウィロー、ラモン、メロディの四人は、文字通り地獄を見ていた。
ラバァルの訓練は、彼らがこれまで経験してきたどんなものとも違った。基礎体力作りは過酷を極め、毎日、日の出と共に始まり、日が暮れるまで続いた。走り込み、筋力トレーニング、そしてラバァルが独自に考案したであろう、奇妙だが効果的な体捌きの練習。食事も、ラバァルが手配した(おそらくウィッシュボーン経由だろう)栄養バランスは考えられているが、お世辞にも美味いとは言えないものだけ。遊びも、無駄話も許されない。少しでも気を抜けば、ラバァルの容赦ない叱責と、時には軽い(しかし的確な)打撃が飛んできた。
「遅い! もっと腰を落とせ、ウィロー!」
「タロッチ、ただ突っ込むだけでは猪だと言ったはずだ! 周りを見ろ!」
「ラモン、ふざけている暇があったら足を動かせ!」
「メロディ、その殺気はいいが、コントロールできていない! 無駄打ちだ!」
四人は何度も音を上げそうになった。しかし、スチール・クロウに完膚なきまでに叩きのめされた屈辱と、ラバァルという圧倒的な強者から直接指導を受けられるという、またとない機会が、彼らをギリギリのところで支えていた。一週間後、彼らの目つきは明らかに変わり、体つきも引き締まり、以前より格段に動きが鋭くなっていた。そして何より、ラバァルが口酸っぱく叩き込んだ「連携」の意味を、頭だけでなく体で理解し始めていた。
「…よし。少しはマシになったか」訓練の合間、ラバァルは腕を組みながら呟いた。「だが、まだ足りん。お前たちから聞かされたスチール・クロウに勝つには、まだだ」
しかし、タロッチたちは、自分たちの成長を実感し、早く雪辱を果たしたいという気持ちを抑えきれなかった。
「ラバァル! 俺たち、もう一度あいつらに挑みたい!」タロッチが代表して言った。
ラバァルは眉をひそめ睨みつける。「…まだ早いと言っている。今の実力では、結果は見えている」
「でも、やってみなきゃ分かんねえだろ! 前よりずっと強くなったんだ!」タロッチは食い下がる。他の三人も、不安と期待の入り混じった目でラバァルの目を必死で見つめて来る。
ラバァルは一息、溜息をついた。「…好きにしろ。だが、負けても俺は助けん。それがどういうことか、身をもって知ることになるだろう」
そして、タロッチたちは再びスチール・クロウに戦いを挑んだ。場所は、スラムの外れにある廃工場跡。スチール・クロウのリーダー、ファングは、また現れたタロッチたちを見て、呆れたように言った。
「…まだ懲りないのか、お前ら。学習能力がないようだな」
「今度は負けねえ!」タロッチが叫び、戦闘が始まった。
確かに、タロッチたちの動きは前回とは比べ物にならないほど向上していた。ウィローの牽制は的確になり、タロッチの突進は鋭さを増し、ラモンの撹乱は相手を惑わせ、メロディの奇襲はタイミングが良くなっていた。連携も、以前よりスムーズになっている。スチール・クロウのメンバーたちも、予想以上の抵抗に少し驚いた表情を見せていた。
しかし、それでも差は歴然としていた。ファングの戦闘能力は突出しており、個々の力でもスチール・クロウの方が上回っている。タロッチたちの連携が少しでも乱れると、そこを容赦なく突かれ、一人、また一人と倒されていく。奮戦虚しく、結果はまたしてもタロッチたちの敗北に終わった。だが、前回のような一方的な蹂躙ではなく、一矢報いる場面もあった。彼らは、確かな成長を感じると同時に、まだ埋められない実力差を痛感させられる事になって、終わった。
最後まで読んでくれありがとう、引き続きつづきを見掛けたら読んでみて下さい。




