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落魄(らくはく)のエマーヌ

手下に反逆され追放された筈のエマーヌだったが、自分の屋敷だった場に現れると、狂った様に笑いながら...。

             その108




シュガーボム、ベルコンスタンの執務室、数日後


「ルビーの誘惑」襲撃作戦の成功から数日が経った。シュガーボムの内部は、表向きは平静を装っていたが、水面下では大きな変化が起きていた。ベルコンスタンは、ラバァルの部屋ではなく、自らの執務室で、緊張した面持ちでラバァルに報告を行っていた。ラバァルは相変わらず「客人」として振る舞い、執務机の向かいのソファにゆったりと腰掛けている。


「…というわけで、ラバァル様。先日『回収』した資金の中から、エマーヌ様が要求された額を上納いたしました。エマーヌ様は大変ご満悦で…一時的には、ですが」ベルコンスタンは、乾いた笑いを浮かべた。「しかし、案の定、他の傘下組織や取引先からは、我がキーウィによる襲撃ではないかという疑いの声が上がり始めております。もちろん、証拠はありませんが…そして何より、エマーヌ様からの次の上納金の催促が、既に来ております。前回以上の額を、です」

ベルコンスタンの顔には、疲労と憔悴の色が濃い。


「他の傘下組織…例えば、娼館『夜蝶の館』や、武器密売の『黒鉄商会』なども、先の我々の『作戦』の影響で売上が落ち込み、エマーヌ様の要求に応えられずにいるようです。彼らからの不満の声も、私の耳に届くようになってきました。『このままではエマーヌ様についていけない』と…」

ラバァルは、黙ってベルコンスタンの報告を聞いていた。全ては計画通りだ。エマーヌ自身の強欲さが、デュオール家という組織を内側から蝕み始めている。

「…だろうな。自らの足元を顧みず、無理な要求ばかり続ければ、不満が出るのは当然だ」ラバァルは静かに言った。「それで、ベルコンスタン。その不満を抱える者たちを、お前はどうするつもりだ? エマーヌ様への忠誠を説き、共に破滅の道を歩むか?」

「そ、それは…!」ベルコンスタンは言葉に詰まる。

「道は一つだろう」ラバァルは、ベルコンスタンの目を見て、低い声で続けた。「不満を持つ者たちを集め、話をするんだ。エマーヌ様の無謀なやり方では、いずれデュオール家全体が共倒れになる、と。だが、お前…ベルコンスタンが新たな旗頭となれば、現状を変えられる、と囁くんだ」

「わ、私が旗頭に…?」

「そうだ。お前が、他の傘下の長や商人たちをまとめ上げるんだ。もちろん、俺が後ろ盾になってやる。エマーヌ様への上納は停止させろ。代わりに、これまでの三分の二でいい、お前の元へ上納させるんだ。それで組織の運営は十分可能だろう。逆らう者、エマーヌに情報を流そうとする者は…容赦なく潰せ。アメとムチだ。分かるな?」

ベルコンスタンは、ラバァルの大胆かつ冷徹な計画に、ゴクリと喉を鳴らした。これは、完全な反逆だ。しかし、このままエマーヌに従っていても未来はない。そして、目の前の男には、それを成功させるだけの力と知略がある。

「……承知、いたしました。このベルコンスタン、ラバァル様のご期待に応え、必ずや…デュオール家の実権を握ってみせます」

ベルコンスタンは、決意を込めて頭を下げた。



ロットノット各地での密会(短い場面転換)


その日から数日間、ベルコンスタンはラバァルの指示通り、精力的に動いた。

ある夜は、高級娼館『夜蝶の館』のマダムと薄暗い個室で密談し、「エマーヌ様の要求はもはや正気の沙汰ではない。このままでは店が潰れる。しかし、ベルコンスタンが立てば、上納は三分の二で結構。これまで通りの『保護』もお約束しよう」と囁き、マダムの同意を取り付けた。

またある時は、武器密売『黒鉄商会』の強面のボスと、闇市の奥深くで接触。「エマーヌ様は我々を駒としか見ていない。だが、我々は一枚岩になれば、もっと大きなことができる。ベルコンスタン殿、いや、様ですわね・・あなたなら信用できます」そうボスに言わせ、協力を約束させた。


脅しとアメ、そしてエマーヌへの共通の不満を利用し、ベルコンスタンは次々とデュオール家傘下の組織や有力な商人たちを自身の陣営へと引き込んでいった。デュオール家への上納金は、完全に止まった。



デュオール家 屋敷、エマーヌの苛立ち


デュオール家の屋敷では、エマーヌが苛立ちを募らせていた。ベルコンスタンをはじめ、傘下の組織からの上納金が、ぱったりと途絶えたのだ。催促の使者を送っても、「用意できない」の一点張り。レボーグ獲得のためにデュラーンへ支払うべき金が、全く集まらなくなっていた。


「あの役立たずども! 私を誰だと思っているの!?」

エマーヌは調度品を叩きつけ、怒りをぶちまける。

そんな折、デュラーン家からの使者が訪れた。エマーヌは期待を込めて応対したが、告げられたのは無情な通告だった。

「エマーヌ殿、残念ながら、約束の期日までに入金が確認できませんでした。マクシム様は、『レボーグという器を手にする資格は、貴女にはなかったようだ』と仰せです。今回の話は、ご破算とさせていただくとの仰せです」

使者はそう冷たく言い放ち、去っていった。

「そん…な……」

エマーヌは、その場に崩れ落ちそうになっていた。レボーグ獲得の夢は潰え、頼みの綱の資金源も断たれた。自分が信じていた部下たちに、裏切られているのかもしれないという疑念が、初めて彼女の頭をよぎった。全てが、上手くいかなくなっていた。


王族経営のパブ「ナイト・クルーシブ」夜


その夜、自棄になったエマーヌは、どの評議会議員の息もかかっていない、王族が経営するという触れ込みの高級パブ「ナイト・クルーシブ」へと足を運んでいた。着飾った客たちで賑わう店内の一番奥のカウンターで、彼女は一人、強い酒を呷っていた。化粧は崩れ、高価なドレスもどこか乱れている。

偶然にも、その少し離れたカウンター席で、ラバァルも一人で静かに酒を飲んでいた。彼は、ベスウォール家との関係強化や、オーメンの訓練状況など、様々なことを考えながら、情報収集も兼ねてこの店に来ていたのだ。


やがて、酔いが回ったエマーヌが、ふらふらとラバァルの隣の席にやってきた。ラバァルは一瞥したが、特に気に留めなかった。しかし、エマーヌは無言のまま、ラバァルのすぐ隣に腰を下ろし、カウンターに突っ伏すようにして酒を注文した。

「…おい」ラバァルは、鬱陶しさを感じて声をかけた。「席なら、他にいくらでも空いているだろう」

「……ここがいいのよ」エマーヌは、顔も上げずに掠れた声で答える。「静かに飲ませてちょうだい…」

「ふん…」ラバァルは、これ以上関わるのは面倒だと判断し、無視して自分の酒を飲み始めた。


彼には、隣の女が、あの傲慢なデュオール家の当主エマーヌだとは知る由もなかった。エマーヌも、隣にいる男が誰なのかもわからないしもうどうでも良かった。


しばらく無言の時間が流れたが、酔いが深まるにつれ、エマーヌはラバァルに絡み始めた。

「ねぇ…あんたも、何か嫌なことでもあったの…? 私なんか、もう、全部おしまいよ…部下には裏切られ、欲しいものも手に入らなくて…」

「…知るか。自分の問題は自分で解決しろ」ラバァルは冷たく突き放す。

「冷たいのね…少しくらい、話を聞いてくれたっていいじゃない…」エマーヌは、ラバァルの腕に馴れ馴れしく触れようとする。

「…鬱陶しい女だな」ラバァルは辟易し、席を立った。「俺は帰る」

しかし、エマーヌは「待ってよ!」と叫び、ふらつきながらラバァルの後を追ってきた。店の外までついてこられ、ラバァルはさすがに参ってしまった。

(やれやれ、こりゃまいったな…シュガーボムに連れて行くわけにもいかんし…)

彼は仕方なく、近くの安宿に部屋を取り、意識が朦朧としているエマーヌをベッドに放り込むように寝かせると、何も言わずに部屋を出て、自分はシュガーボムへと帰っていった。



デュオール家、会議室、翌日


翌日、デュオール家の本宅で、主要な傘下組織の長たちが集まる緊急会議が開かれた。中央の席に座るエマーヌは、昨夜の酒が残っているのか、不機嫌な表情で遅れてやってきた長たちを睨みつけている。

「遅いわね! それで、滞っている上納金はどうなっているのよ!?」

エマーヌがヒステリックに叫んだ瞬間、最も古参の傘下の長である娼館の女主人、マダム・ロゼが静かに立ち上がった。

「エマーヌ様、もはや我々は、あなたの指示に従うことはできません」

「な…何を言っているの!?」

「あなたの無謀な要求と、我々を顧みないやり方は、デュオール家全体を危機に陥れています。よって、我々一同は、あなたの当主解任を要求いたします!」

マダム・ロゼの言葉に続き、黒鉄商会のボスや、他の組織の長たちも次々と立ち上がり、エマーヌへの不信任を表明した。

「き、貴様ら! 私を裏切るというの!?」エマーヌは顔面蒼白になり、叫んだ。


その時、会議室の扉が開き、ベルコンスタンが堂々と入ってきた。彼の背後には、なんとエマーヌの側近であるはずのクロードも、神妙な面持ちで控えている。

「裏切りではございません、エマーヌ様」ベルコンスタンは、もはや以前の卑屈さなど微塵も見せず、冷ややかに言い放った。「これは、デュオール家を守るための、当然の決断です。我々は、新たな当主として、このベルコンスタンを選出することに決定いたしました」

「ベ、ベルコンスタン!? 貴様が!? クロ、クロードまで!?」エマーヌは信じられないといった表情で、二人を交互に見る。

「申し訳ありません、エマーヌ様。ですが、これが最善の道かと…」クロードは目補合わす事無く伏せる。


「ふざけるな! この私が、貴様のような下賤の者に…!」エマーヌは怒り狂い、ベルコンスタンを激しく罵った。しかし、もはや誰も彼女の言葉に耳を貸す者はいない。護衛たちも、ベルコンスタンの指示を待つように、静かに佇んでいるだけだ。

全てを失ったことを悟ったエマーヌは、わなわなと震えながら、涙を流し始めた。憎悪と屈辱に満ちた目で、ベルコンスタン、クロード、そしてかつての部下たちを睨みつけると、彼女はよろめきながら会議室を飛び出し、そのままデュオール家の屋敷から追い出されるように去っていった。



シュガーボム、ラバァルの部屋


その日の夕刻、ベルコンスタンはラバァルの部屋を訪れ、デュオール家の会議の結果を報告した。

「…以上のように、エマーヌ様は失脚し、私がデュオール家の新たな当主(代行ではありますが)となりました。クロードも、我々に従うことを了承しております」

「そうか」ラバァルは、窓の外に広がるロットノットの夜景を見ながら、静かに応じた。「これで、デュオール家は事実上、我々の支配下に入ったわけだ」

「ひとえに、ラバァル様の深遠なるご計画のおかげでございます」ベルコンスタンは深く頭を下げた。

ラバァルは、ベルコンスタンの言葉には答えず、ただ窓の外を見つめていた。どこか遠い目をしながら、彼は低く呟いた。

「……哀れなものだな。だがまあ、自分が蒔いた種だろう。力を過信し、足元を見失った者の末路…この街では、よくある話だろう」

その声には、憐憫も嘲笑もなく、ただ冷徹な現実認識だけが響いていた。ラバァルは、エマーヌの失脚を、自らの計画が成功した一つのステップとして捉えているに過ぎなかった。彼の視線は、すでに次なる標的へと向けられているのかもしれない。ロットノットの覇権を巡る争いは、まだ始まったばかりなのだ。




旧市街スラム、訓練場建設現場(元倉庫)


エマーヌ・デュオール失脚の翌日、ラバァルは久しぶりに旧市街スラムへと足を運んでいた。目的は、ゴードック親方が進めているオーメン用訓練場の改築状況を確認するためだ。ウィッシュボーンも既に現場に来ており、作業員たちに指示を出しながら、ラバァルの到着を待っていた。

元は古びたレンガ造りの倉庫だった建物は、この数週間で見違えるように変わりつつあった。外壁の補強が進み、屋根も一部葺き替えられている。中に入ると、以前の薄暗く埃っぽい空間は一掃され、頑丈そうな新しい木材で床が張られ始めていた。壁際には、打ち込み稽古用の柱や、武器を掛けるための棚などが設置され始めており、まさに「道場」としての骨格が出来上がりつつある。

建物の基礎部分には、明らかに倉庫のレンガとは異なる、滑らかで硬質な黒い石材が使われている箇所がいくつかあった。表面には微かに、しかし複雑な幾何学模様が刻まれており、触れるとひんやりとした、長い年月を感じさせる冷たさが伝わってくる。おそらく、この倉庫自体が、ロットノットの地下に眠る古代文明の遺跡の、さらにその上に建てられたものなのだろう。スラムでは、こうした古代の遺構が、建材として再利用されたり、あるいは土台として利用されたりしていることが珍しくない。


「よう、ラバァルさん! いいところに来た!」

奥で作業の指揮を執っていたゴードック親方が、ラバァルの姿を見つけ、威勢のいい声をかけてきた。その顔は油と汗で汚れているが、目は生き生きと輝いている。大金を受け取り、存分に腕を振るえるこの仕事に、職人としての喜びを感じているようだ。

「進捗はどうだ、ゴードック親方?」ラバァルは、生まれ変わりつつある空間を見回しながら尋ねた。

「おうよ! 見ての通り、順調そのものだ!」ゴードックは胸を張った。「あんたが予算をはずんでくれたおかげで、当初の予定より遥かに頑丈で、使い勝手のいいモンができそうだぜ! 床材も壁の補強も、闇市で手に入る最高のモンを使ってる。これなら、どんな荒っぽい訓練にも十分耐えられるだろうよ!」


「問題点は?」


「んー、今のところ特にねえな。強いて言えば、ここの基礎に使われてる妙な石…ありゃあ硬すぎて加工が大変だってことくらいか。まあ、それも俺たちにかかれば問題ねえがな!」ゴードックはニヤリと笑った。「予定通り、あと二週間もあれば、完璧に仕上げてやるぜ」

「そうか。期待しているぞ」ラバァルは満足げにコクリと頷く。「ウィッシュボーン、お前の方から何か報告は?」

ウィッシュボーンが進み出て答える。「はい、ラバァルさん。ゴードック親方の言う通り、作業は順調です。オーメンの連中も、新しい訓練場ができるのを楽しみにしています。訓練にも、以前より熱が入ってきているようです」

「結構なことだ。怠けている奴がいたら、遠慮なくシゴいてやれ」

「はっ!」

訓練場の進捗状況に問題がないことを確認したラバァルは、次の目的へと移ることにした。

「よし、ウィッシュボーン。お前はここを頼む。俺は少し、別の用事を済ませてくる」

「承知いたしました。…もしや、例の件で?」ウィッシュボーンは声を潜めて尋ねる。

「ああ、そうだ。ムーメン家の情報を仕入れてくる。そろそろ、本格的に奴らを叩く準備を始めないとな」

ラバァルはそう言うと、アジトを出て、再び闇市へと向かった。彼の懐には、情報購入のための金貨が十分に入っている。いくら要求されるかは分からないが、出し惜しみするつもりはなかった。



闇市、情報屋『ホークアイ』の店


ラバァルは、以前ウィッシュボーンに案内された道を辿り、古びた薬草店の裏手にある、情報屋ホークアイの隠れ家へとやってきた。合言葉を呟くと、内側から重い(かんぬき)が外れる音がし、古びた木の扉が軋みながら開いた。


中に入ると、そこは相変わらず埃っぽく、大量の書類や巻物に埋もれた狭い小部屋だった。奥では、ホークアイの爺さんが、山積みの資料に囲まれながら、何かを熱心に読み耽っている。ラバァルが入ってきたことには気づいているはずだが、顔を上げようともしない。

「…爺さん、いるか」ラバァルは声をかけた。

「……何の用だ。またお前さんか。しつこい若造じゃのう」ホークアイは、本から目を離さずに、しわがれた声で言った。

「前回、少し話をしただろう。ムーメン家の情報が欲しい、と」

「ほう…まだ諦めておらんかったか。忠告したはずじゃぞ、あの家に関わるのは火傷では済まんとな」

「忠告は聞いた。だが、必要があってな」ラバァルは、ホークアイの前に進み出た。「奴らの金の流れ、主要な収入源、傘下組織の詳細、そして…当主モロー・ムーメン本人、及び、奴の懐刀と言われる幹部ども…バルガス、ジン、カザンの弱みだ。お前が持っている情報を、全て買いたい。いくらだ?」

ラバァルは、単刀直入に尋ねた。ボンサックは見せず、まず相手に値段を言わせる。

ホークアイは、ようやく顔を上げた。彼の濁った、しかし鋭い目が、ラバァルの顔をじっと見つめる。


「…ふむ。全て、となると…内容は多岐にわたるし、情報の鮮度や確度によっても値段は変わるが…そうじゃのう…」ホークアイは、枯れ木のような指で顎を撫でながら、値踏みするようにラバァルを観察する。「…まとめて金貨八十枚、といったところかのぅ。これでも、お前さんのような『面白い客』への特別価格じゃぞ」

金貨八十枚。通常の裏社会の情報料としては、かなり高額な部類に入るだろう。ホークアイも、相手が本気であること、そして相当な資金力を持っていることを見抜いた上で、吹っかけてきているのかもしれない。

ラバァルは、その金額を聞いても表情一つ変えなかった。

「八十枚か。いいだろう」彼は即座に頷いた。「ただし、その値段に見合うだけの、『質』の高い情報を期待する。もしガセネタや古い情報で誤魔化そうとしたら…どうなるか、分かるな?」

その言葉には、有無を言わせぬ圧力がこもっていた。

ホークアイは、ラバァルの即決と、その底知れない雰囲気に、ゴクリと喉を鳴らし、意識を集中した。「この若造、本物じゃ、中途半端な情報でごまかせば消されかねん、こりゃあ...」


「…く、クックック…心配するな。ワシはプロじゃ。金に見合う仕事はきっちりさせてもらう。お前さんを失望させるような真似はせんよ」

「ならば、契約成立だ」ラバァルは懐から金貨を取り出し、正確に八十枚を数えて、ホークアイの前のテーブルに置いた。「いつ情報を受け取れる?」

「うむ…」ホークアイは金貨を素早く確認しながら言った。「情報は膨大じゃ。整理し、まとめるのに少し時間がかかる。明日の同じ時間に、またここへ来い。全て用意しておこう」

「分かった」ラバァルは頷いた。


ラバァルは、情報屋との交渉に手応えを感じながら、闇市を後にした。目的の一つは果たせた。


まだ日は高い。彼は、ふとスラムの子供たちのことを思い出した。



旧市街スラム、屋台通り


ラバァルがスラムの屋台が並ぶ通りに顔を出すと、すぐに目ざといタロッチが彼を見つけ、仲間たちと共に駆け寄ってきた。

「あ! ラバァルだ!」

「よう、ラバァル兄ちゃん、どこ行ってたんだよ!」

メロディやラモン、ウィローも、久しぶりに見るラバァルの姿に嬉しそうだ。彼らはラバァルの「手下」であり、同時に、この殺伐としたロットノットでラバァルが唯一、素の自分に近い態度で接することができる相手かもしれなかった。


「よう、お前ら。丁度いいところに来たな」ラバァルは、いつものぶっきらぼうな口調ながらも、わずかに口元を緩めた。「腹は減ってるか?」

子供たちは、待ってましたとばかりに目を輝かせる。

「減ってる!」「めっちゃ減ってる!」

「よし。なら、今日も俺の奢りだ。好きなもんを食わしてやろう」

ラバァルはそう言うと、懐から銀貨を数枚取り出し、子供たちを連れて一番威勢のいい串焼き肉の屋台へと向かった。

「おっちゃん、ここの一番でかい肉、こいつらの人数分くれ! あと、そっちの焼き鳥もだ!」

「へい、毎度あり!」

熱々の串焼き肉にかぶりつく子供たちの姿を見て、ラバァルは、自分がロットノットに来てから感じていた僅かな孤独感が、なんだか和らぐような気がした。この子供たちのためにも、そしてルカナンの仲間たちのためにも、負けるわけにはいかない。彼は、スラムの喧騒の中で、改めてそう決意を固めていた、情報屋に使った金貨八十枚は決して安い額ではないが、ムーメン家という強大な敵を攻略するためには必要な投資だ。明日、どのような情報が手に入るのか。ラバァルは、期待と警戒を胸に、闇市の喧騒の中を抜け、シュガーボムへと戻っていく。彼の頭の中では、手に入れるであろう情報をもとに、ムーメン家をどう切り崩していくか、その具体的な戦略が既に練られ始めていた。





闇市、情報屋『ホークアイ』の店、翌日


翌日の昼過ぎ、ラバァルは再び闇市の奥深く、情報屋ホークアイの隠れ家を訪れた。約束通り、ホークアイはムーメン家に関する情報を整理し、分厚い巻物にまとめて待っていた。

「…ふむ、金の流れの一部、傘下組織のリストと拠点、幹部たちの噂と過去…悪くない。80枚の価値はあるな」

ラバァルは、提示された情報を素早く確認し、満足げに頷いた。特に、モロー・ムーメン本人と幹部たちの個人的な弱点に関する記述は、今後の策略を練る上で大いに役立ちそうだ。情報料として金貨80枚を支払うと、ホークアイは「毎度あり」と枯れた笑みを浮かべた。

貴重な情報を手に入れたラバァルは、すぐさまシュガーボムへと戻った。この情報を元に、ベルコンスタンと具体的なムーメン家攻略作戦を練り上げるつもりだったのだ。



シュガーボム、昼過ぎ


しかし、シュガーボムに戻ってみると、ベルコンスタンの姿がどこにも見当たらない。彼の執務室ももぬけの殻だ。ラバァルは近くにいたキーウィの構成員を捕まえ、尋ねる。

「ベルコンスタンはどうした? 執務室にもいないようだが」

「あ、ああ…『客人』…いえ、ラバァルさん。ボスなら、今朝早くから、デュオール家の屋敷の方へ…なんでも、今日からあちらへ移り住むとか…」構成員は恐縮しながらそう答えた。


「…何だと?」ラバァルの眉が険しくなった。「あの馬鹿、移り住むだと!? 俺が許可したとでも思ったのか! 早すぎる…! まだ時期尚早だ! デュオール家の当主が交代したなどと、他の家に気付かれたらどうする!? この混乱に乗じて、我先にと攻撃を仕掛けられかねんぞ! ムーメンやゾンハーグだけじゃない、他の連中だって、弱った獲物には容赦なく喰らいついてくる、その程度の事も予測出来んのか!」

問題は、この権力移行期の混乱が外部に漏れることだ。特に、評議会の他の家々…彼らがデュオール家の内紛を知れば、この機に乗じて利権を奪いに来ることは火を見るより明らかだった。ベルコンスタンは、あまりにも状況を楽観視しすぎている。

「…チッ、あの馬鹿が何かやらかす前に、俺が行かねばならんのか」ラバァルは舌打ちした。「おい、すぐにデュオール家の屋敷へ案内しろ! 急ぐぞ!」

ラバァルは構成員に命じ、自らもシュガーボムを飛び出した。ベルコンスタンの能力を高く評価 していたので、こんな所で簡単に死なれては困ると思っての行動だ。



デュオール家 屋敷、午後


ラバァルが案内役の構成員と共にデュオール家の屋敷に到着すると、その懸念はもう形となり現実のものとなっていた。屋敷の門は固く閉ざされているが、中からは何か物が壊れるような轟音、そして人々の悲鳴のようなものが微かに聞こえてくる。

「…やはりか。状況は?」ラバァルは案内役の構成員に尋ねる。

「わ、わかりません! ボスは朝、数名の護衛と共に入ったきり…!」

「くそっ」ラバァルは吐き捨てると、もはや案内役を待たずに動いた。彼は、数メートルの高さがある重厚な鉄の門を、まるで猫のように軽々と飛び越え、音もなく屋敷の敷地内へと侵入、建物へと走り出す。


庭園を抜け、屋敷の玄関ホールへと足を踏み入れると、そこは惨状と化していた。豪華だったはずの調度品は破壊され、床には血痕が飛び散り、キーウィの構成員と思われる者たちが数名、倒れ伏している。そして、ホールの奥で、巨大な異形の影が暴れ回っていた。

それは、まるで歪んだ悪夢から抜け出してきたかのような怪物だった。黒く粘つくような体表を持ち、いくつもの触手のような腕が蠢き、鋭い牙と爪が剥き出しになっている。その体からは、禍々しい、濃密な悪意と殺意が波動のように放たれていた。大きさは3メートルを超え、そのパワーは凄まじく、ホールの太い石柱すら薙ぎ払っている。

「グオオオォォォ!!!」

怪物は、甲高い、聞く者の正気を削るような咆哮を上げ、必死に応戦しようとするベルコンスタンと、残った数名の護衛たちに襲いかかっていた。

「くそっ! なんだ、こいつは!?」

ベルコンスタンは、辛うじて怪物の攻撃をかわしながらも、その肩や脇腹からは夥しい血が流れていた。他の護衛たちも満身創痍で、もはや反撃する力も残っていない。絶望的な状況だ。

そして、その惨状を高みのバルコニーから見下ろし、狂ったように嗤っている女がいた。エマーヌ・デュオールだ。その目は虚ろで、焦点が合っていない。彼女の手には、砕け散った奇妙な卵の殻のようなものが握られていた。

「ケケケ…! やってしまいなさい! 私を裏切った愚か者どもを、八つ裂きにするのよ!」

エマーヌは、最後の切り札――数カ月前に知り合った、ロットノットに住むという魔女から、「どうしようもなくなった時に」と友好の証にと渡された【妖珀のようはくのたまご】――を使って、この異形の怪物を生み出したのだ。それは、制御不能の破滅をもたらす禁断の力だった。


(…厄介なものを呼び出しやがったな、あの女。だが、問題はそれだけじゃない。この騒ぎが外に漏れれば、他の連中が嗅ぎつけてくるのは時間の問題だ)

ラバァルは、怪物の尋常ならざる力と、それが放つ邪悪な気配を瞬時に見抜いた。そして、この状況が長引くことのリスクを計算したのだ。ベルコンスタンがここで死ねば、せっかく手に入れかけたデュオール家の実権が霧散しかねない。それは避けねばならない。


ラバァルは、音もなく動き出した。倒れた構成員たちの武器…散らばっていた剣や短剣を数本拾い上げると、怪物の死角となる柱の影へと滑り込む。

怪物が、ベルコンスタンに止めを刺そうと、巨大な爪を振り下ろした瞬間。

シュッ! シュシュッ!

ラバァルは、驚異的な速度と正確さで、手にした剣と短剣を怪物の急所と思われる箇所――蠢く触手の付け根や、不規則に脈打つ核のような部位――へと連続で投擲した! 武器は、常人には見えないほどの速さで怪物の体表を貫き、内部の構造を破壊する。

「ギャアアアアア!!?」

怪物は、予期せぬ方向からの致命的な攻撃に、苦悶の絶叫を上げた。その巨体が激しく痙攣し、体表がぶよぶよと溶け始める。内部から破壊された怪物は、もはや形を保つことができず、黒い粘液のようなものを撒き散らしながら、ホールの床に崩れ落ち、やがて跡形もなく消滅した。


「……!?」

ベルコンスタンと生き残った護衛たちは、目の前で起こったことが信じられず、呆然と立ち尽くしていた。誰が怪物を倒したのか、彼らには分からなかった。ただ、自分たちが助かったということだけが、唯一の現実として認識できていた。

「…ベルコンスタン!」

そんな茫然としたところにもう聞きなれたラバァルの声がホールの入り口付近から響いてきた。彼は、あたかも今到着したかのように装い、惨状を目の当たりにして驚いたような表情(もちろん演技だ)で駆け寄ってきた。

「一体何があった!? 大丈夫か!?」

「ラ、ラバァル様…!?」ベルコンスタンは、安堵と驚きで声を震わせた。「化け物が…エマーヌ様が呼び出した化け物が…! しかし、今、何者かが…」


「詳しい話は後だ! お前、酷い怪我じゃないか!」ラバァルはベルコンスタンの傷を見て、すぐに近くにいた無事な構成員に命じる。「おい、すぐに薬師を呼んでこい! 一番腕のいい奴をだ! 急げ! それと、この屋敷の門を固く閉ざし、何者も入れるな! この騒ぎを外部に知られるわけにはいかん!」

構成員は慌てて外へ飛び出していく。

ラバァルは、倒れている他の負傷者にも目を配りながら、ベルコンスタンに厳しい口調で言った。

「…お前、移るのが早すぎると言ったはずだ。油断しすぎだ。いいか、今回の怪我は高くついたぞ。しばらくはまともに動けんだろう。これからは、表向きの当主として、信用できる影武者をこの屋敷に置け。お前自身は、これまで通りシュガーボムだ。そこが一番安全で、俺の目も届く。デュオール家の権力移行は、もっと慎重に進めねばならん。他の家に嗅ぎつけられる前に、内部を完全に掌握せねばならん。 分かってるんだろうな?」


「は…はい…申し訳…ございません…」ベルコンスタンは、自らの浅慮を恥じ、痛みと悔しさに顔を歪めながら、かろうじて頷いた。

ラバァルは、薬師が到着し、ベルコンスタンたちの治療が始まるのを見届けると、後は部下に任せ、静かにデュオール家の屋敷を後にした。内部の粛清と、外部への情報統制。やるべきことは山積みだ。

屋敷の門を出たところで、ふと視線を感じた。見ると、少し離れた場所に、放心したような表情で立ち尽くすエマーヌの姿があった。彼女もラバァルに気づいたようだが、その目には何の認識も宿っていない。最後の切り札を失い、完全に精神が崩壊してしまったのだろう。


「ケケケ…消えちゃった…みんな、消えちゃった…アハハハハ…!」

エマーヌは、虚ろな目で空を見上げ、意味のない言葉を繰り返しながら、よろよろとした足取りで、当てもなくロットノットの雑踏の中へと消えていった。

ラバァルは、その哀れな姿を一瞥したが、すぐに興味を失った。

(…哀れなものだな。だが、利用価値もなくなったか。まあいい、これでデュオール家の問題は片付いた)

彼はそう心の中で呟くと、エマーヌのことは忘れ、シュガーボムへと戻っていった。ベルコンスタンを使ってデュオール家を内部から掌握し、その混乱が外部に漏れる前に事態を収拾する。彼の計画は、また一歩前進した。

これでロットノットの強者と渡り合うための足場がようやく築かれるだろう。ホークアイからの情報をもとに、次なる目標、ムーメン家の本格的な攻略計画を始動させなければならない。


最後まで読んでくれありがとう、引き続き見掛けたらよんでみてください。

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