欲深な女
デュオール家当主のエマーヌは、最近まで最強だと認識していた側近のロメールを難なく倒した相手
レボーグに心を奪われ、何としても手に入れたいと言う願望で動き出していた、そんな当主に使える傘下団体の者たちは当然不満を持ち始める事に・・・。
その107
オーメンの実行部隊が中層地区の倉庫街で息を潜め、ムーメン家の売上金輸送部隊を待ち伏せている頃、エマーヌ・デュオールは側近のクロードを伴い、新市街の一角にあるデュラーン家の屋敷を訪れていた。薄暗く、異国の装飾品が飾られた応接室で、彼女は仮面をつけた主人、マクシム・デュラーンと向かい合っていた。目的はただ一つ、地下闘技場で彼女の心を奪った強者、レボーグの獲得だ。
「さて、エマーヌ殿。レボーグが欲しい、と。君はその男の『価値』を真に理解しているのかな?」マクシムの仮面の下から、感情の読めない声が響く。
「ええ。私のロメールをあれほど容易く打ち負かしたのですもの。並の戦士でないことは確かですわ」エマーヌは自信ありげに答える。
「ふふ…並ではない、どころではないのだよ」マクシムはテーブルの上の奇妙なオブジェを弄びながら、含みのある笑みを漏らした。「彼はね…少々『訳あり』の品でね。その過去には、厄介な『追手』がいる。それも、我々評議会議員の中にも繋がりを持つような、執念深い連中がね」
マクシムは直接的な名前こそ出さないが、その言葉は明らかにサギーやアウル、そして彼らを裏で操るゾンハーグ家やムーメン家を指していることを、エマーヌは察した。
「『訳あり』…『追手』ですって?」
「そうだ。彼は、かつて存在したある組織の…そうだな、非常に『腕の立つ』男だった。だが、その組織は潰え、彼は多くの敵を作った。生き延びるために、彼は『大きな力』に庇護を求めた。今は、その力の加護と、我がデュラーン家の管理下にあることで、かろうじて安全を得ている状態なのだよ」
マクシムは「大きな力」が何を指すか明言しない。しかし、エマーヌは彼の言葉の裏にある意味を読み取ろうと必死に思考を巡らせた。デュラーン家と密接な繋がりを持つ、巨大で、暗殺団すら手出しできないほどの力…まさか、あの【フェドゥスサンギニス】のことか? だとしたら、レボーグはただの戦士ではない。彼は、あの悪名高い奴隷商が関わる『商品』なのかもしれない。そして、『追手』がいるということは…。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、エマーヌは尋ねた。
「…それで、マクシム様。彼を譲っていただくための『条件』とは…?」
「条件は二つだ」マクシムは指を二本立てた。「一つは、彼を保護している『大きな力』に対する、いわば『身柄保証金』だ。金貨百二十万枚。これで、彼に対する保護責任は、君に移ることになる」
「ひゃ、百二十万枚…!」やはり、途方もない額だ。エマーヌは息を呑む。
「そして、二つ目の条件。これがより重要だ」デュラーンの仮面の奥の目が、エマーヌを射抜くように見つめた。「君が彼を買い取るということは、彼を守ってきた『大きな力』と我が家の庇護から、彼を外に出すということだ。当然、彼を狙う『追手』は、その機会を逃さないだろう。彼らの敵意は、レボーグだけでなく、彼を所有する君たちデュオール家にも向けられることになる。そのリスクを引き受ける覚悟があるか、と聞いているのだよ。金だけでなくね」
デュラーンの言葉は、以前よりも婉曲的ではあるが、示唆する危険性の大きさは変わらない。エマーヌは、自らが足を踏み入れようとしている世界の、底知れない闇の深さを改めて感じていた。しかし、同時に、だからこそレボーグという存在が持つ価値の大きさを再認識しもした。
エマーヌは、震えを押し殺し、思考を巡らせた。デュラーン家とフェドゥスサンギニスとの密接な関係。それを交渉のカードとして使うべきか?
「…百二十万ゴールド、そして強大な敵…確かに、安くない買い物ですわね」エマーヌは、あえて余裕を見せるように微笑んだ。「ですが、マクシム様。我らデュオール家とデュラーン家の今後の友好的付き合いも考慮に入れていただければ、双方にとっても利益になるかと思うのです、
どうですかマクシム様?
「それに、レボーグ様を保護しておられる『大きな力』…マクシム様の側と、その『力』の間には、少なからず**『古くからのご関係』がおありなだけでなく、今回の件にも少なからず影響力を持っておられる**と伺っております。その『力』のお考えや、これまでの経緯を考慮していただければ、我々デュオール家に対する条件も、もう少し…『友好的なもの』にしていただけるのではないかと期待しております。」
デュラーンは、エマーヌの言葉に、仮面の下でわずかに反応を示したように見えた。彼はしばし黙考した後、ゆっくりと口を開いた。
「…ほう。その『関係』に気づいているとはね。君も、ただの成り上がりの女ではないようだ」デュラーンの声には、わずかな感心と、計算の色が混じっていた。「良いだろう。君がそこまで理解しているのなら、話は早い。金については、相談に乗ろう。百二十万から、いくらか『割引』することは可能かもしれん」
「まあ!」エマーヌの顔に、わずかに安堵の色が浮かぶ。
「ただし」デュラーンは言葉を続けた。「その代わり、君たちデュオール家には、その『大きな力』、そして我がデュラーン家のために、より一層『貢献』してもらう必要がある。それは、単なる金のやり取りではない。もっと…深く、我々の『事業』に関わってもらうということだ」
デュラーンが口にした『事業』という言葉が、何を意味するのか。奴隷取引か、それともさらに後ろ暗い何かか。エマーヌは背筋に冷たいものを感じながらも、後戻りはできないことを悟っていた。レボーグを手に入れるためには、この危険な取引を受け入れるしかない。
「…どのような『貢献』を求められるのか、具体的にお聞かせいただけますか?」
エマーヌは、デュラーンの次の言葉を待った。この悪魔のような男との駆け引きが、彼女とデュオール家を、ロットノットのさらに深い闇へと引きずり込むことになるのかもしれない。だが、彼女の目には、リスクを恐れる色よりも、力を渇望する野心の色の方が、遥かに濃く映っていた。
シュガーボム、数日後
デュラーンとの危険な取引に応じ、レボーグという強力な駒を手に入れることを決めたエマーヌ・デュオール。しかし、そのためにはまず、途方もない額の金貨――たとえ「割引」されたとしても、依然として莫大な額――を用意する必要があった。焦りを募らせたエマーヌは、即座に傘下の各組織に対し、組織が生き残る為に必要だと言う名目を付け、通常の上納金とは比較にならない額の緊急上納を厳命を出した。
その命令は、当然のようにシュガーボムを根城とするキーウィにも届いた。ベルコンスタンは、執務室でエマーヌからの使者が突き付けた要求額を見て、顔面蒼白になっていた。
「な…なんだこれは!? いつもの三倍じゃないか! しかも期限は三日後だと!? 無茶苦茶だ!」
この法外な要求は、ベルコンスタンだけでなく、キーウィの構成員たちの間にも瞬く間に広まり、大きな不満と反発を引き起こした。
「冗談じゃねえ! 先日のムーメンとの一件(ラバァルが仕掛けた襲撃)で、こっちも消耗してるってのになんだ!」
「それに、ヨーゼフの旦那がベッドに寝たままになってるから、シノギも減ってるってのに…」
「エマーヌ様は、俺たちをなんだと思ってるんだ!」
賭場の片隅や裏口で、構成員たちが公然と不満を口にするようになった。彼らは恐怖で支配されてはいたが、あまりにも理不尽な要求には、さすがに我慢しきれない不満を漏らしていたのだ。
しかしエマーヌからの催促は、日に日に厳しさを増した。使者が何度もシュガーボムを訪れ、脅しに近い言葉で上納を迫る。しかし、ベルコンスタンも容易には首を縦に振れない。要求額を用意できるあてがないだけでなく、ここで安易に従えば、構成員たちに支払う金貨が足りなくなり、不満が爆発し、組織が内部から崩壊しかねないからだ。彼は板挟みになり、苦悩の色を深めていた。
そんなキーウィ内部の不穏な空気を、ラバァルはシュガーボムの片隅で、まるで他人事のように静かに観察していた。彼は、エマーヌがレボーグ獲得のために無茶な要求をしていることも、それがキーウィ内部に大きな亀裂を生んでいることも、ベルコンスタンからの報告や、自らの情報網を通じて正確に把握していた。そして、この状況こそが、彼にとって絶好の機会であることにも気づいていた。ベスウォール家のジョルズとの約束――デュオール家の力を削ぐ――を実行し、さらに、このシュガーボムという拠点を完全に掌握するための、またとないチャンスが訪れたのだ。
ある夜、ラバァルはベルコンスタンの執務室を訪れた。ベルコンスタンは、エマーヌからの度重なる催促と、部下たちの突き上げで心身ともに疲弊しきっており、やつれた様子で書類の山に向かっていた。
「…随分と悩んでいるようだな、ベルコンスタン」ラバァルは、椅子に腰掛け、静かに切り出した。
「ラ、ラバァル様…! いえ、その…」ベルコンスタンは慌てて立ち上がろうとするが、ラバァルは手で制した。
「座っていろ。それで? エマーヌからの要求、どうするつもりだ? このまま黙って、無い袖を振るのか? それとも、無理やり部下から搾り取って、組織を壊すか?」
ラバァルの言葉は、ベルコンスタンの苦境を正確に突き、彼をさらに追い詰めた。
「そ、それは…! しかし、エマーヌ様に逆らえば、我々は…!」
「逆らう必要はないさ」ラバァルは、悪魔が囁くような、静かだが蠱惑的な声で言った。「むしろ、エマーヌ様の『期待』に応えて差し上げればいいのだよ。それも、想像以上の形でな」
「…と、おっしゃいますと?」ベルコンスタンは訝しげな顔でラバァルを見た。
ラバァルは、壁に貼られたロットノットの地図を指さした。そこには、ベルコンスタンが把握しているデュオール家傘下の他の拠点の場所も記されている。例えば、表向きは宝飾店を装っているが、実際には盗品の換金や資金洗浄を行っている拠点や、高級娼館などだ。
「エマーヌ様は金が必要なのだろう? ならば、用意して差し上げればいい。ただし、我々の懐からではなく…エマーヌ様自身の『他の財布』からな」
「他の…財布…?」
「そうだ。デュオール家は、このシュガーボム以外にも、いくつか『金のなる木』を持っているはずだ。例えば、あの宝飾店…あそこには、常にかなりの現金や換金性の高い品物が保管されているのではないか? あるいは、あの高級娼館の売上金…それらを、我々が一時的に『拝借』し、それをエマーヌ様への上納金として差し出す、というのはどうだ?」
ベルコンスタンは、ラバァルの提案に愕然とした。同じデュオール家の拠点を襲うなど、考えたこともなかった。それは、エマーヌへの完全な反逆行為に他ならない。
「し、しかし、ラバァル様! それはあまりにも危険です! もし露見すれば、我々は…!」
「露見しなければいいだけの話だろう?」ラバァルは冷ややかに言い放つ。「お前の情報網と、ウィッシュボーンの指揮、そしてオーメンの連中を使えば、足がつかないようにやることは可能だ。それに、今のエマーヌ様は、金の出所など気にしていられる状況ではあるまい。むしろ、要求額を用意した貴様の手腕を評価するかもしれんぞ?」
ラバァルはさらに畳み掛ける。
「考えてみろ、ベルコンスタン。このままでは、貴様もキーウィも、エマーヌ様の無理な要求に潰されるだけだ。だが、この策を実行すれば、貴様は組織を守り、エマーヌ様からの信頼(一時的かもしれんが)を得て、さらに奪った金の一部を我々のものにすることもできる。まさに一石三鳥だ。それに…」
ラバァルは、ベルコンスタンの耳元で囁くように言った。
「エマーヌ様は、自らの欲望のために、我々を使い潰そうとしている。そんな主に、いつまでも従う必要がどこにある? この機会に、エマーヌ様自身の肉を食らい、我々がより大きな力を得る…それこそが、このロットノットで生き残る道ではないのか?」
悪魔の囁きは、ベルコンスタンの心に深く突き刺さった。恐怖、保身、そして、心の奥底に眠っていたエマーヌへの不満と、成り上がりたいという野心。それらが複雑に絡み合い、彼の心を揺さぶる。ラバァルの言う通りかもしれない。このままではジリ貧だ。だが、この危険な賭けに乗れば…
「…やるか、ベルコンスタン?」ラバァルは、最終的な決断を促すように、静かに問いかけた。「俺が後ろで糸を引いてやる。失敗はさせん」
ベルコンスタンは、しばらくの間、葛藤に顔を歪ませていたが、やがて意を決したように、顔を上げた。その目には、恐怖と同時に、危険な賭けに乗ることを決めた者の、ギラギラとした光が宿っていた。
「……承知、いたしました、ラバァル様。このベルコンスタン、あなた様の『計画』に乗らせていただきます」
「それでいい」ラバァルは満足げに頷いた。「では、早速、標的となる拠点の詳細な情報収集と、襲撃計画の立案に取り掛かれ。ウィッシュボーンにも伝え、オーメンの使える奴を選抜させろ。時間はあまりないぞ」
こうして、エマーヌ自身の行動が引き金となり、ラバァルの巧妙な誘導によって、デュオール家内部での共食いが始まろうとしていた。ラバァルは、この作戦が成功すれば、エマーヌの力は大幅に削がれ、キーウィとオーメンに対する彼女の影響力は低下し、結果的に自分がこれらの組織を完全に掌握する道が開けると確信していた。ロットノットの闇は、さらに深く、濃くなろうとしていた。
シュガーボム、ベルコンスタンの執務室、2日後・深夜
ラバァルがベルコンスタンにデュオール家内部への襲撃計画を唆してから、わずか二日。時間は限られていたが、ベルコンスタンとウィッシュボーンは、ラバァルの期待に応えるべく、あるいは生き残るために、驚くべき速さで準備を進めていた。
ベルコンスタンの執務室には、ロットノットの地図に加え、標的となるデュオール家傘下の宝飾店『ルビーの誘惑』周辺の詳細な見取り図、警備体制、そして金の流れに関するメモが所狭しと貼られていた。ベルコンスタンが持つ情報網と、ウィッシュボーンがオーメンを使って足で稼いだ生の情報が、この短時間での作戦立案を可能にしたのだ。
「…以上が、『ルビーの誘惑』の現状です、ラバァル様」ベルコンスタンは、最終的な作戦計画書を手に、ラバァルに報告していた。ラバァルは腕を組み、壁に貼られた情報と計画書を黙って見比べながら聞いている。
「店の裏手、通用口の警備は手薄。特に深夜、日付が変わる頃に警備員が交代する僅かな時間に隙が生まれます。そのタイミングで、オーメンの精鋭…ウィッシュボーンが選抜したスネークを含む3名が侵入。金庫の場所と解錠方法は、以前この店で働いていた者を『説得』して聞き出しました。解錠には多少時間がかかるかもしれませんが、問題ないかと。彼らが内部で作業している間、外ではオーメンの別動隊が陽動を行い、衛兵や他のデュオール家の者の注意を逸らします」
「首尾よく金庫を開け、現金及び換金性の高い宝石類を奪取した後は、事前に用意したルートで速やかに離脱。現場には、最近この辺りで幅を利かせている別のチンピラ組織の紋章が入った道具を『うっかり』落としておく手筈になっております」
ベルコンスタンは、一気に説明し終えると、緊張した面持ちでラバァルの反応を待った。
ラバァルは、しばらく黙って計画書に目を通していたが、やがて静かに頷いた。
「…悪くない。短時間でよく練り上げたな。ウィッシュボーンとオーメンの連中も、少しは使えるようになってきたということか。特に、内部情報を吐かせた手際は評価できる」
「はっ! ありがとうございます!」ベルコンスタンは安堵の表情を浮かべる。
「だが、油断はするな。計画通りに進むとは限らん。常に不測の事態を想定し、臨機応変に対応しろ。実行部隊には、しくじればどうなるか、改めて言い聞かせておけ」
「もちろんです!」
「よし。ならば、今夜決行だ。ベルコンスタン、お前はここで全体の指揮を執れ。ウィッシュボーンには現場近くで待機させ、状況を逐一報告させろ。俺は…まあ、いつものように『客人』として、この店の喧騒でも楽しんでいることにしよう」
ラバァルはそう言うと、執務室を出て行った。彼が直接現場に赴くことはない。だが、彼の見えざるプレッシャーと計算が、この作戦の全てを支配していた。
深夜、『ルビーの誘惑』周辺及びデュオール家 屋敷
深夜、ロットノットの街が深い眠りにつく頃、作戦は静かに開始された。
宝飾店『ルビーの誘惑』の裏通り。スネーク率いるオーメン選抜3名は、まるで影のように闇に紛れ、通用口の鍵を特殊な工具で音もなく開けた。ベルコンスタンが用意した偽造通行許可証は、ここまでの潜入を容易にした。店内は静まり返っており、警備員の姿は見えない。交代の隙を突いた侵入は成功した。
彼らが内部で金庫の解錠作業に取り掛かると同時に、少し離れた場所で、オーメンの別動隊が派手な喧嘩騒ぎを起こし始めた。怒声と物が割れる音が響き渡り、すぐに近くを巡回していた衛兵たちの注意を引きつける。陽動作戦も順調だ。
一方その頃、シュガーボムではベルコンスタンが、ウィッシュボーンからの伝令による断続的な報告を受けながら、神経をすり減らしていた。ラバァルは、賭場の片隅で静かに酒を飲んでいるが、その視線は時折、落ち着きのないベルコンスタンの方へと向けられていた。
やがて、ウィッシュボーンからの最終報告を告げる伝令が駆け込んできた。
「ボス! やりました! スネークたちが金庫を開け、目標のブツを確保! 予定通り離脱し、追っ手もありません!」
「おお!」ベルコンスタンは思わず安堵の声を上げ、椅子に深くもたれかかった。
奪われた「ブツ」――大量の金貨と宝石類――は、すぐにオーメンのアジトへ運ばれ、厳重に保管された。その額は、エマーヌが要求した上納金を支払っても、なお余りが出るほどだ。
翌日の午後、ベルコンスタンは、キーウィの幹部数名を引き連れ、奪った金の中からエマーヌが要求した額面通りの金貨を大きな袋に詰め、デュオール家の屋敷へと向かった。表向きは、必死にかき集めた上納金として届けるためだ。
デュオール家の応接室で、エマーヌは届けられた金貨の袋を前に、満足げな表情を浮かべていた。
「ふん、やればできるではないか、ベルコンスタン。期限ぎりぎりだが、まあ良しとしよう。これで、レボーグを手に入れるための『手付金』くらいにはなるだろう」
エマーヌは、金の出所など全く疑っていない様子だった。レボーグ獲得への期待で頭がいっぱいなのだろう。
「これで、お前たちの忠誠心も示されたというものだ。引き続き、我がデュオール家のために励むように」
「は、ははっ! もったいなきお言葉!」ベルコンスタンは、内心の思いとは裏腹に、へりくだった態度で頭を下げた。
上納金を届け、エマーヌからの(一時的な)信頼を得たベルコンスタンは、キーウィの幹部たちと共にシュガーボムへと戻ってきた。彼はすぐにラバァルの部屋へ向かい、事の顛末を報告するためやって来た。
「…というわけで、ラバァル様。作戦は全て成功いたしました。エマーヌ様は、届けた金に満足しておられました。我々が彼女自身の金庫を襲ったなどとは、露ほども疑っておりません」
「ふむ、上出来だ」ラバァルは静かに頷いた。「ウィッシュボーンとオーメンの連中にも、相応の報酬を渡しておけ。今回の成功は、奴らの自信にも繋がるだろう」
「はっ! かしこまりました!」
ベルコンスタンは、今回の作戦の成功と、ラバァルの評価に、安堵と同時に、この男についていけば…という野心をさらに強くしていた。
「さて、ベルコンスタン」ラバァルは続けた。「これで、エマーヌの要求は一時的に満たされた。だが、これは始まりに過ぎん。彼女はレボーグ獲得のために、今後も無理な要求をしてくるだろう。そして、今回の『成功体験』は、我々にとって大きな武器になる」
「と、申しますと?」
「エマーヌ自身の他の『財布』から金を調達し、それを上納する。このやり方を繰り返せば、我々はエマーヌの要求に応えつつ、密かに自分たちの懐を肥やし、力を蓄えることができる。同時に、エマーヌ自身の力は確実に削がれていく…」ラバァルは冷たい笑みを浮かべた。「そして、機が熟した時…このシュガーボム、いや、デュオール家の全てを、我々が乗っ取るのさ」
ベルコンスタンは、ラバァルの恐ろしくも周到な計画に、ゴクリと喉を鳴らした。この男は、単なる強者ではない。底知れぬ知謀と野心を併せ持つ、真の怪物だ。
「…あなた様になら…あるいは、それが可能かもしれませんな」
ベルコンスタンは、もはやラバァルへの完全な服従と、その野望への加担を決意していた。ロットノットの裏社会で、新たな、そしてより危険な嵐が巻き起こる予感が、シュガーボムの薄暗い部屋を満たしていた。
ムーメン家 秘密アジト、地下会議室
ロットノット新市街の一角、表向きは寂れた倉庫だが、その地下にはムーメン家の秘密アジトが広がっている。近代的な設備と、重厚な防御壁に守られたその空間は、モロー・ムーメンの野心と、それを支える強大な力を象徴していた。
そのアジトの最深部、防音設備が施された地下会議室では、当主であるモロー・ムーメン(28歳)が、顔を真っ赤にして怒りを爆発させていた。テーブルには、叩きつけられてひび割れた高級そうな酒瓶が転がっている。
「ふざけるなッ!! 一体どうなっているんだ!!」
モローの怒声が、重苦しい空気の会議室に響き渡る。彼の前には、三人の男がそれぞれ個性的な姿勢で控えていた。彼らは、ムーメン家に仕える主力幹部であり、その実力は、そこらの組織のボスや側近など比較にならないほどの猛者たちだ。彼らの配下の者ですら、相当な腕だと言われている。
筆頭格は、“鋼拳”のバルガス。鋼のような体躯を持つ寡黙な巨漢で、その拳は鎧すら砕くと噂される、ムーメン家の武力の象徴。
二人目は、“疾風”のジン。痩身で常に飄々とした態度を崩さないが、その動きは目で追うことすら困難なほどの神速を誇る、隠密・暗殺の達人。
三人目は、“百目の”カザン。見た目は普通の商人風の中年男だが、その頭脳は極めて怜悧であり、ムーメン家の情報網と謀略の全てを統括する、組織の頭脳。
「まず、ベスウォールの絹織物だ! ヘルライダーの連中を使って、奴らの重要な取引を潰そうとした計画が、何者かに妨害された! 現場にいた変身能力持ちの切り札までやられただと!? 一体誰が、何の目的で我々の邪魔をした!?」
モローはテーブルを強く叩き、幹部たちを睨みつけた。
カザンが、落ち着いた口調で報告する。「…現場の状況から判断するに、襲撃者は少数精鋭、かつ手慣れた動きであったとのこと。キーウィの連中とは、動きの質が違う、と生き残った者が証言しております。正体は依然不明ですが、何者かが我々の計画を事前に察知し、介入した可能性が高いかと」
「正体不明だと!? それで済むと思っているのか!?」モローはカザンを怒鳴りつけたが、カザンは表情一つ変えない。
「さらにだ!」モローは怒りの矛先を変えた。「今度は、インクルシオが『ラスティ・ジョッキ』から回収した一週間分の売上金を、アジトへ輸送している途中で襲われただと!? しかも、護衛についていた変身能力持ちまでやられて、金は根こそぎ奪われた! 現場には他のチンピラ組織の紋章が落ちていたというではないか! ふざけた真似をしやがって…!」
バルガスが、低い声で口を開いた。「襲撃は新市街側にある中層地区の倉庫街、輸送ルート上で待ち伏せを受けたとのことです。相手は少数ながら極めて手際が良く、煙幕などを使い、インクルシオの護衛を翻弄した模様。目的は明らかに現金であり、戦闘は最小限に抑え、迅速に離脱した、と…」
「また化け物か! それとも、あの絹織物の件と同じ奴らの仕業か!? クソッ、最近、妙な奴らがうろつきすぎている!」モローは忌々しげに吐き捨てた。
「それで? 犯人の目星はついているのか? ジン!」モローは、飄々とした態度で壁に寄りかかっているジンに問いかけた。
ジンは、肩をすくめて答える。「さあ? 現場に残された紋章は、最近スラムで幅を利かせている『ブラック・ラット』のモンだね。だが、奴らにあんな手際の良い強盗ができるとは思えない。まず間違いなく偽装工作だろう。となると、可能性はいくつかある。キーウィの残党がヤケになったか、他の評議会の家が裏で糸を引いているか…例えば、最近妙な動きを見せているデュオール家あたりも怪しいかもしれんね。あるいは、全く新しい勢力が動き出したか…絹織物の件と同一犯の可能性も含めて、探りを入れてみるしかないだろう」
ジンの言葉は核心を突いているようで、はぐらかしているようでもある。
「どこのどいつだろうが関係ない!!」モローは再び激昂した。「我々ムーメン家に楯突く者は、誰であろうと容赦しない! いいか、お前たち! 全力で犯人を探し出せ! 絹織物の件、売上金強奪の件、両方だ! 手掛かりが掴め次第、相手が誰であろうと、徹底的に潰せ! 八つ裂きにして、その首を俺の前に差し出すんだ!」
モローの目には、狂気に近い怒りと、邪魔者を排除しようとする冷酷な光が宿っていた。彼は、このロットノットで頂点に立つためならば、どんな手段も厭わない。彼の野望を阻む者は、全て敵なのだ。
「「「はっ!!」」」
バルガス、ジン、カザン。三人の強力な幹部たちは、主の命令に力強く応えた。彼らの表情は冷静沈着、あるいは飄々としたままだったが、その瞳の奥には、主の命令を実行するための、冷徹な決意が灯っていた。
ムーメン家の誇る武力、隠密能力、そして情報網が、今、本格的に動き出す。ロットノットの裏社会に、新たな血の嵐が吹き荒れるのは、もはや時間の問題だった。そして、その嵐の中心には、まだ彼らがその存在を明確には捉えきれていない男――ラバァルがいることを、モロー・ムーメンはまだ知らずにいた。
久しぶりの投稿です、引き続き見掛けたら読んでみて下さい。




