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灰色の巨都、ロット・ノット その9


ベスウォール家との関係を深め、ロットノットの権力構造に食い込むラバァル。新たな情報を求める彼は、街での偶然の遭遇から敵対するムーメン家の資金源を特定する。配下の組織を使った強奪作戦を計画・実行するが、予期せぬ強敵の出現に直面。しかしラバァルは、自らは手を下さず巧妙な策で困難を乗り越え、作戦を成功に導く。ロットノットの裏社会に、ラバァルという存在がその名を刻み始める。

                その106




ムーメン家の絹織物取引妨害作戦から一週間ほどが過ぎた。キーウィの負傷者たちは順調に回復に向かっているが、やはり回復役の不在は組織運営上の大きな課題としてラバァルの頭を悩ませていた。訓練場の建設はゴードック親方のもと順調に進んでいるようだが、完成にはまだ時間がかかる。オーメンの連中の訓練も本格化させたいところだが、今は焦るべきではない。

そんなある日の昼下がり、ラバァルはいつものようにシュガーボムのカウンターの隅で、今後の計画を練りながら静かに酒を飲んでいた。すると、店の用心棒を務めているキーウィの構成員の一人が、控えめな様子で近づいてきた。

「ラバァルさん…あの、ベルコンスタン様のお客人…ということでよろしいでしょうか?」用心棒は、まだラバァルの素性を完全には把握していないようだ。

「そうだが。何か用か」

「はっ。その…ベスウォール家からの使いの方が、あなた様にお会いしたいと、入口でお待ちです」

「ん? ベスウォール家が?」ラバァルは少し意外に思った。先日の絹織物の一件か。報復作戦はキーウィの仕業として隠蔽したはずだが、ジョルズ翁は何か感づいたのかもな...。

「分かった。どこだ?」

「こちらへどうぞ」


用心棒に案内され、店の入口へ行くと、そこにはベスウォール家の従僕らしき、身なりの整った男が静かに待っていた。ラバァルは他の客に聞かれぬよう、小声で囁く。

「取りあえず、俺の部屋へ来てくれ」


ラバァルは自分が寝泊まりしている個室へと使者を招き入れた。

「それで、用件は?」ラバァルが尋ねると、使者は恭しく頭を下げた。

「はい。我が主、ジョルズ・ベスウォール様より言伝てでございます。先日、何者かによってムーメン家の妨害が阻止された件、深く感謝しておいででございます。つきましては、その御礼と、他に折り入ってご相談したい儀がある、とのこと。つきましては、以前のようにはまいりませんが、今晩、ささやかながらディナーにお越し願えないかと、申しております」

(やはり、感づいているか…あるいは、俺の仕業だと確信しているか。相談事、ね…面白い)


「なるほど。分かった。必ず伺う、とジョルズ殿に伝えてくれ」

「はっ、ありがたきお言葉。確かにお伝えいたします」

返事を得た使者は、再び丁寧にお辞儀をすると、足早にシュガーボムを後にし、ベスウォール家の邸宅へと戻っていった。

まだ時刻は昼過ぎだ。今から酒を飲み続ければ、せっかくのディナー(と、そこで行われるであろう交渉)に差し支える。ラバァルはカウンターへ戻るのをやめ、少し頭を冷やし、アルコールを抜くためにも、新市街を散歩することにした。目的もなく、雑踏の中をぶらぶらと歩く。行き交う人々の顔、店の看板、建物の構造…相変わらず、無意識のうちに情報を収集してしまうのは、もはや習性だ。

しばらく歩いていると、少し脇道に入った場所にある、やや古びた酒場の前から、怒声と何かが殴られるような鈍い音が聞こえてきた。野次馬が数人、遠巻きに様子を窺っている。

(…また揉め事か。この街は本当に騒がしいな)

ラバァルは特に気にも留めず通り過ぎようとしたが、その瞬間、聞き覚えのある、甲高いが芯のある女の声が耳に飛び込んできた。

「ちょっと! なによ、いきなり! 触らないでよ、この野蛮人!」

(…あの声は…聞き覚えのある声?)

ラバァルは足を止め、騒ぎの中心へと視線を向けた。案の定、酒場の入口前で、三人の屈強な男たちに囲まれ、地面に転がされている女の姿があった。彼女は顔に痣を作り、唇の端から血を流しているが、それでも睨みつけるような強い視線は失っていない。


男たちは、明らかにその店の用心棒のようだった。そして、その服装や、腕に彫られた刺青に見覚えがあった。あれは確か…**ムーメン家傘下の襲撃団『インクルシオ』**の印だ。

「てめぇ、このクソ女! 無銭飲食しようとした上に、俺たちに逆らうたぁ、いい度胸じゃねえか!」リーダー格らしい男が、女の髪を掴み、引き起こそうとする。

「離しなさいよ! あんたたちの酒が不味いから、金なんか払う気にならなかっただけよ!」女は痛みに顔を歪めながらも、啖呵を切る。

「なんだとぉ!?」男は逆上し、再び女を殴りつけようと拳を振り上げた。

(…やれやれ。面倒だが、あの女には妙な縁があるのかもしれん。それに、相手がムーメン家のインクルシオなら、少しは利用価値があるかもしれんな)


ラバァルは短く息をついた。ここで自分が直接手を下せば目立ってしまう。それは避けたい。なので別の手を使う事にした。 

ラバァルは、野次馬をかき分け、騒ぎの中心へと近づいた。インクルシオの男たちが、彼のただならぬ雰囲気に気づき、訝しげな視線を向ける。

「おい、そこのお前ら」ラバァルは、敢えて平坦な、しかし有無を言わせぬ響きを持つ声で呼びかけた。「その女が何か粗相をしたのか知らんが、騒ぎは大きすぎる。みっともないぞ」

「ああん? なんだてめぇは?」リーダー格の男が凄む。「関係ねえ奴はすっこんでろ!」

ラバァルは、男たちの威嚇を意に介さず、懐から金貨が数枚入った革袋を取り出した。

「その女が払うべきだった代金はいくらだ? それと、お前たちの手間賃…迷惑料も含めて、このくらいで足りるか?」

ラバァルは、革袋から金貨を5枚ほど取り出し、リーダー格の男の目の前に放るように差し出した。金貨が硬い石畳の上でチャリンと音を立てる。

「……!」

インクルシオの男たちは、突然目の前に現れた金貨に一瞬言葉を失った。彼らにとって、金貨5枚は決して少ない額ではない。


リーダー格の男は、訝しげな目でラバァルを見つめて来る。

「…てめぇ、一体何者だ? なぜこいつの肩を持つ?」

「言っただろう。知り合いだ、と」ラバァルは表情を変えずに答えた。「これ以上、事を荒立てるな。その金を受け取って、女を解放しろ。それとも、まだ足りないか?」

ラバァルの口調はあくまで冷静だが、その目には「これ以上逆らうなら容赦しない」という冷たい光が宿っていた。金での解決を提示しつつも、決して下手に出ているわけではない。

リーダー格の男は、ラバァルの態度と、目の前の金貨を天秤にかけた。この男が何者かは分からないが、ただ者ではないことは確かだ。ここでさらに揉めて、面倒なことになるよりは、金を受け取って引き下がった方が得策だと判断したのだろう。


「…ちっ、分かったよ。今日のところは、その金で手を打ってやる」男は忌々しげに金貨を拾い上げると、女を突き放した。「おい、とっとと失せろ! 次はねえぞ!」

女は、よろよろと立ち上がりながらも、リーダー格の男に悪態をついた。「ふん、覚えてなさいよ!」

インクルシオの男たちは、ラバァルをもう一度睨みつけた後、舌打ちしながら酒場の奥へと戻っていった。

野次馬たちも、騒ぎが終わったのを見て、次第に散っていく。後に残されたのは、ラバァルと、まだ少しふらついている酔っぱらった女だけだった。

「…助かったわ。あんた、見かけによらず優しいのね」女は、唇の血を手の甲で拭いながら、意外そうな顔でラバァルを見上げた。

「別に優しさで助けたわけじゃない。ただの気まぐれだ」ラバァルはぶっきらぼうに答えた。「それより、懲りない女だな。シュガーボムでも絡んでいたと思ったら、今度はここで無銭飲食か」

「うっさいわね! 喉が渇いてたんだから仕方ないでしょ!」クレセントは頬を膨らませた。「それより、あんた、お金持ちなの? さっきの金貨、どうするつもり?」

(…やはり、こういう奴か)ラバァルは溜息をついた。


「あれはくれてやったわけじゃない。お前への借金だ。いずれ、何かの形で返してもらう」

「えー! ケチなんだ!」

「ケチで結構だ。それより、顔の傷、手当てした方がいいんじゃないか? 放っておくと跡になるぞ」

「…別に、いいわよ。これくらい、慣れてるし」クレセントは強がって見せたが、その声には少しだけ弱々しさが混じっていた。

ラバァルは、彼女のそんな様子を見て、また妙な気分になった。この女には、放っておけない何かがあるのかもしれない。

「…とにかく、今日はもう騒ぎを起こすな。さっさと帰れ」

「はーい」クレセントは、気の抜けた返事をすると、ふらふらとした足取りで、ラバァルに背を向けて歩き出した。その背中を見送りながら、ラバァルは(いずれ返してもらうと言ったが、あれが使い物になるとは思えんけどな)そんな感じに軽く考えていた。ムーメン家のインクルシオと接触したことで、新たな情報を得た、この酒場はムーメンの息のかかった酒場だと知ったのだ。



シュガーボム、ベルコンスタンの執務室、午後


クレセントをインクルシオの手から解放した後、ラバァルはシュガーボムへと戻り、まっすぐベルコンスタンの執務室へ向かった。先ほどの騒動で得た情報は、すぐに具体的な行動計画に繋げるべきだと判断したからだ。

ベルコンスタンは執務室で、先の内部調査に関する書類の整理をしていた。ラバァルが入ってくると、彼はすぐに立ち上がり、恭しく迎える。

「ラバァル様、おかえりなさいませ。何かございましたか?」

「ああ、少し面白いものを見つけてな」ラバァルは執務室の壁に貼られたロットノットの地図の前に立ち、先ほどの酒場があった場所を指さした。「この辺りにある酒場…インクルシオの連中が仕切っているようだが、何か情報は?」


ベルコンスタンは壁のメモを確認し、自身の知識と照合しながら答えた。

「はっ、その酒場は『ラスティ・ジョッキ』ですな。表向きは独立した店ですが、実質的にはムーメン家の資金源の一つであり、インクルシオの連中の溜まり場にもなっています。経営は荒っぽく、度々トラブルを起こしておりますが、ムーメン家の後ろ盾があるため、衛兵もあまり手を出さないとか」

「なるほど。予想通りか」ラバァルは頷いた。「ムーメン家には、先日の『借り』がある。それに、最近は訓練場の建設などで物入りでな。オーメンやキーウィの連中に払う賃金やボーナスの足しにするためにも、少しばかり『臨時収入』が欲しいところだ」

目的――組織運営資金の確保と、ムーメン家への継続的な打撃――のために、あの酒場を利用する事にした。


「ラスティ・ジョッキを潰す、あるいは締め上げて金を奪う、ということでしょうか?」ベルコンスタンはラバァルの意図を察し、尋ねる。

「潰すのはまだ早い。だが、奴らの売上を『肩代わり』させてもらうのは悪くない」ラバァルは冷ややかに言った。「ただし、俺自身や『キーウィ』が表立って動くわけにはいかん。目立たずに、かつ効果的に奴らの懐を痛めつける方法はないか?」

ベルコンスタンはしばし考え込んだ後、壁の情報を指さしながら提案した。


「ラバァル様、いくつか方法は考えられます。まず、あの店の評判を落とすことです。インクルシオの連中は、おそらく自分たちの力を過信し、衛生管理なども杜撰(ずさん)でしょう。そこに付け入る隙があるかもしれません。例えば、何らかの方法で食中毒騒ぎを起こすとか…」

「食中毒か。悪くないな。だが、実行犯は?」

「そこが問題です。旧市街の者…例えばオーメンの者では工作を行うのは困難です。新市街に入るには通行許可証が必要ですし、身なりですぐに怪しまれ、衛兵に捕まるのが関の山でしょう」ベルコンスタンは現実的な問題を指摘した。


「ふむ…通行許可証か。確かに、スラムの連中を直接使うのはリスクが高い。では、もっと別の方法だ。ラスティ・ジョッキの売上金は、どのくらいの頻度で、どこへ運ばれている?」

ベルコンスタンは再び壁のメモを確認し、答えた。

「確か…一週間おきに、インクルシオの幹部が売上金を回収し、ムーメン家が管理する別の秘密のアジトへ運んでいるはずです。そのアジトは…ここからそう遠くない、中層地区の古い倉庫街にあります。輸送ルートもほぼ固定化されているかと」


「一週間おき、か。輸送ルートが固定されているなら、狙いやすいな」ラバァルの目に鋭い光が宿る。「その輸送部隊を襲撃し、売上金を奪う。これなら、店に直接手を出さずとも、ムーメンの懐を痛めつけられる」

「しかし、ラバァル様。輸送部隊にもインクルシオの護衛がついているはずです。襲撃となれば、それなりの戦闘は避けられません。また、『キーウィ』がやったと悟られれば…」ベルコンスタンは懸念を示す。

「だからこそ、工夫が必要だ」ラバァルは地図を睨みながら続けた。「襲撃は、あくまで『第三者』による犯行に見せかけなければならん。例えば…そうだな、最近ロットノットで勢力を伸ばしている他のチンピラ集団や、あるいは単なる強盗の仕業に見せかける」

「実行部隊ですが…キーウィの精鋭は先の作戦でまだ万全ではありません。オーメンの連中を使うしかありませんが、彼らの実力でインクルシオの護衛を確実に仕留められるか…それに、襲撃ポイントが新市街や中層地区にかかる場合、やはり通行許可証の問題が…」


「そこだ、ベルコンスタン」ラバァルはベルコンスタンに向き直った。「お前ほどの男なら、その程度の『壁』を越える手段を知っているのではないか? 例えば…偽造された通行許可証を手に入れるような」

ラバァルの言葉に、ベルコンスタンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと口の端を上げた。裏社会のボスとしての顔が覗く。

「…ふふ、お見通しでございますか。ええ、多少の『コネ』はございます。数は限られますが、衛兵の目を一時的に欺ける程度の『偽造通行証』ならば、用意することは可能です。もっとも、それなりの対価は必要になりますが…」

「金は問題ない。必要な数を手配しろ。ただし、足がつかないよう、細心の注意を払え」

「お任せください。信頼できる筋がございます」

ベルコンスタンは自信ありげに頷いた。これで、オーメンのメンバーが新市街や中層地区で活動する際の大きな障害が一つ取り除かれた。


「よし、ならば話を進めよう」ラバァルは続けた。「ウィッシュボーンに命じ、輸送ルート、時間、護衛の人数と装備、全てを徹底的に調べさせろ。そして、襲撃場所は、最も奇襲に適し、かつ迅速に離脱できる場所を選ぶ。オーメンの中から、特に隠密行動と一撃離脱に長けた者を選抜し、最小限の人数で実行させる。偽造許可証は、実行部隊のメンバーに必要な分だけ渡せ。 目的はあくまで金の強奪だ。無駄な戦闘は避け、迅速に終わらせる」

ラバァルは、頭の中で具体的な作戦を組み立てていく。

「そして、奪った金の一部は、わざと現場近くに『落として』おく。他のチンピラや強盗の仕業に見せかけるための偽装工作だ。残りは、オーメンの運営資金と、今回の働きに応じたボーナスとして分配する」


「なるほど…襲撃に見せかけた強奪、ですか。偽造許可証があれば、行動範囲も広がります。確かに、それならば我々への疑いは向きにくいかもしれません。ウィッシュボーンならば、必要な情報は集められるでしょうし、オーメンの中にも、そのような仕事に向いた者はいるはずです」ベルコンスタンも、その計画の狡猾さと実現可能性を認め、頷いた。

「よし、ベルコンスタン。この計画の詳細を詰め、ウィッシュボーンに伝えろ。偽造許可証の手配も急がせろ。 実行は、次の売上金輸送のタイミングだ。準備を怠るな」

「はっ! かしこまりました!」

ラバァルは、ベルコンスタンと共に作戦の細部を詰めていった。偽造許可証の入手ルート、輸送ルートの特定、襲撃ポイントの選定、実行部隊の人選、偽装工作の方法…。時間はあっという間に過ぎていく。彼らが計画の概要を固め、実行に向けた準備を始めるよう指示を出した頃には、窓の外は既に夕暮れの茜色に染まり始めていた。

「…おっと、もうこんな時間か」ラバァルは壁に掛けられた時計を見て呟いた。「そろそろ、ベスウォール家へ向かわねばならんな」

ジョルズ翁とのディナー。そこでどんな話が出るのか、そしてどんな交渉が待ち受けているのか。ラバァルは、新たな計画の始動と、上流階級との駆け引きへの期待感を胸に、ベルコンスタンに後のことを任せ、執務室を出た。


身なりをもう一度整えるため、一旦自分の部屋へと戻っていった。ロットノットの夜は、今日もまた、様々な陰謀と野心を乗せて始まろうとしていた。



ベスウォール家、ダイニングホール、夜


夕暮れ時の上流階級居住区を抜け、ラバァルは再びベスウォール家の重厚な門をくぐった。前回訪れた時よりも、屋敷の雰囲気はいくらか落ち着いているように感じられたが、それでもかつての名門の栄華が完全に失われたわけではない、独特の静かな威厳が漂っている。

案内されたのは、前回と同じ煌びやかなダイニングホール。長いテーブルの中央には、ジョルズ・ベスウォールが穏やかな表情で座っていた。彼の隣には、前回縛られていた息子のアントマーズが、神妙な面持ちで控えている。以前のような放蕩な雰囲気は消え、どこか憔悴しつつも、父の隣にいることに緊張している様子が見て取れた。


ラバァルの姿を認めると、ジョルズはすぐに立ち上がり、温かく迎え入れた。

「ラバァル殿、よくぞお越しくださいました。お待ちしておりましたぞ」

「招待、感謝する」ラバァルは短く応え、席に着くよう促された。アントマーズもぎこちなく立ち上がり、ラバァルに一礼する。

「ささ、まずは食事を。今宵は、ロットノットでも評判の料理人に腕を振るってもらいました」

豪華な料理が次々と運ばれ、食事が始まった。最初は世間話や食事に関する当たり障りのない会話が続いたが、やがてジョルズは本題を切り出した。

「ラバァル殿…まずは、先日の絹織物の件、重ねて御礼申し上げる。何者かのお力添えかは存じませぬが、ムーメンの連中による執拗な妨害がぴたりと止み、おかげで重要な取引を無事終えることができました。おそらくは、貴殿が何らかの形で関与してくださったのではないかと…愚考しております」ジョルズは、確信に近い響きで言った。

ラバァルは、肯定も否定もせず、ただワイングラスを静かに傾けた。

「偶然、困っている者を助けただけのことかもしれん。それに、俺は客人としてシュガーボムに滞在しているだけだ」ラバァルはそう言ってこの事に言及いるなと言う感じで煙に巻く。

ジョルズも、それ以上追及することはせず、深く頷いた。「左様でございますか。いずれにせよ、我々ベスウォール家にとっては、大きな助けとなりました。この御恩は決して忘れませぬ」


ジョルズは少し間を置いた後、声を潜めて続けた。

「そして…折り入ってご相談したい儀、というのは、今後のことでございます。貴殿もご存知の通り、我が家は現在、ムーメン家や、その背後にいる者たち…おそらくは宰相アルメドラやゾンハーグ家からも、激しい圧力を受けております。先の絹織物の一件は一時的なものに過ぎず、このままでは、我々は食い潰されるのを待つばかりです」

その声には、元当主としての苦悩と、必死の思いが滲んでいた。

「ラバァル殿。貴殿の持つ、その並外れた『力』…どうか、我々にお貸しいただけないでしょうか? もちろん、相応の礼はいたします。我々が持つ情報網、長年培ってきた人脈、そして残された利権…貴殿の助けとなるものがあれば、可能な限り提供をお約束いたします」

ラバァルは、ジョルズの真剣な申し出を黙って聞いていた。彼の狙い通りだ。

(ベスウォール家との協力関係…利用価値は大きい。情報、人脈、そして評議会内部への足掛かりにもなるかもしれん)

しかし、ラバァルはすぐには頷かなかった。


「力を貸す、か。具体的に、何を望んでいる? ムーメンやゾンハーグと事を構えろと?」

「いえ、滅相もございません!」ジョルズは慌てて首を振った。「今の我々に、彼らと正面から事を構える力などございません。それに、ラバァル殿を危険な争いに巻き込むわけには…ただ、我々がこれ以上、一方的に食い物にされないよう、何らかの抑止力となってはいただけないかと…例えば、ムーメン家ほどではないにせよ、我々の事業にちょっかいを出してくる、他の小さな勢力…例えば、あのデュオール家のような連中を牽制していただくとか…」

ジョルズは、ラバァルがキーウィやオーメンを掌握していることまでは知らない。だが、ラバァルが裏社会に通じていることは察しているのだろう。そして、いきなりムーメンやゾンハーグといった大物を相手にするのではなく、より力の弱いデュオール家への攻撃を示唆することで、ラバァルの反応を探っているようだった。


(デュオール家か…好都合だな。キーウィとオーメンを使って叩けば、俺の存在を悟られずに奴らの力を削げる。ジョルズにも貸しを作れるし、ムーメンへの直接攻撃を避けつつ、こちらの力を示すこともできる)

ラバァルは内心で計算を巡らせた。一度に多くの敵を作るのは得策ではない。まずは足元を固め、一つずつ確実に潰していくべきだ。

「…デュオール家、ね。確かに、あの連中は最近、羽振りが良すぎるようだ。非合法な手段で儲けている輩は、いずれどこかでしっぺ返しを食らうものだ。いいだろう、ジョルズ殿。貴殿の頼み、少しばかり『考えて』みよう」ラバァルは含みを持たせた言い方で応じた。


「おお…! ありがたき幸せ!」ジョルズの顔に、安堵と希望の色が浮かんだ。

「ただし」ラバァルは続けた。「俺もただ働きはしない。見返りはきっちりとしてもらうぞ。まずは、ロットノットの裏社会…特に、ムーメン家やゾンハーグ家、そして宰相アルメドラに繋がる情報を提供してもらいたい。金の流れ、弱点、内部の対立…どんな些細なことでもいい」

「もちろんです! 我々が持つ全ての情報を提供いたします!」ジョルズは即座に請け合った。

ラバァルは、ひとまずジョルズとの話に区切りをつけると、今度は隣に座るアントマーズに視線を向けた。アントマーズは、父とラバァルの会話に緊張した面持ちで耳を傾けていた。


「さて、アントマーズ殿」ラバァルが呼びかけると、アントマーズはビクリと肩を震わせた。「前回、俺が言ったことを覚えているか?」

「は、はい…! その…友人たちのことを調べ、リストを作るように、と…」

「そうだ。それで、進捗はどうだ?」

アントマーズは、おずおずと懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、いくつかの名前と、その人物に関する簡単なメモが記されている。

「…これが、私の友人…いえ、かつて付き合いのあった者たちのリストです。あなたの言う通り、中には…その、あまり良くない噂のある者や、私を利用しようとしていたと思われる者も…」アントマーズの声は弱々しいが、以前のような無責任さは消えている。自分の愚かさを自覚し、反省しているようだ。ジョルズは、ラバァルの指摘を受け、一時的にアントマーズを当主の座から降ろし、自らが再び家督を預かっている。アントマーズは、その間に少しは成長するのかもしれない。


ラバァルはリストを受け取り、ざっと目を通した。裕福な商人の跡継ぎ、騎士団の若手将校…様々な名前が並んでいる。

「ほう、中々だ。で、この中で、今でも連絡が取れ、かつ、利用価値がありそうな者は?」

アントマーズはリストを指さしながら、数名の人物について説明を始めた。彼らの性格、家の状況、そして現在の立場など。

「…なるほど。では、アントマーズ殿。君への次の課題だ」ラバァルはリストを返しながら言った。「このリストの中から、俺が指定する何人かに接触し、『新しい友人を紹介したい』と言って、俺を引き合わせてもらいたい。もちろん、俺の素性は伏せてだ。『遠方から来た、少々訳ありだが面白い男』とでも言っておけばいいだろう」

「わ、私に…そのようなことが…」アントマーズは不安げな表情を見せる。

「できるさ」ラバァルは、有無を言わせぬ口調で言った。「これも、君がベスウォール家の一員として、再び立ち上がるための試練だと思え。君自身の力で、新たな人脈を築き、情報をもたらすのだ。それができれば、君も少しは父親の役に立てるだろう?」

ラバァルの言葉は厳しかったが、そこにはアントマーズをただ切り捨てるのではない、ある種の期待も込められているように感じられたのかもしれない。アントマーズは、しばらく逡巡した後、意を決したように顔を上げた。

「…わかり、ました。やってみます」

「それでいい」ラバァルは頷いた。


ディナーは、和やかな雰囲気の中にも、水面下での様々な駆け引きと、未来への布石が打たれる場となった。ラバァルは、ベスウォール家という古くからの名門との協力関係を築き、デュオール家への攻撃という当面の目標を設定し、さらにアントマーズを通じて上流階級への新たなアクセスルートを開拓しようとしていた。ロットノットの権力構造の内部へ、彼は着実に食い込み始めている。食事を終え、ベスウォール家を後にするラバァルの胸には、確かな手応えと、次なる戦いへの闘志が燃えていた。



作戦実行前夜、オーメンのアジト


ベスウォール家でのディナーから四日が過ぎた夜。旧市街スラムにあるオーメンのアジトは、普段の怠惰な雰囲気とは異なり、妙な緊張感に包まれていた。明日決行される「ラスティ・ジョッキ」売上金強奪作戦に向けて、ウィッシュボーンが選抜した実行部隊のメンバーたちが、最終的な打ち合わせと準備を行っているのだ。

作戦の概要はこうだ。明日、インクルシオの幹部が「ラスティ・ジョッキ」の一週間の売上金を回収し、ムーメン家の秘密アジトへ輸送する。その輸送ルートは特定済み。最も人通りが少なく、逃走に適した中層地区の古い倉庫街の一角で待ち伏せし、輸送部隊を襲撃、現金を強奪する。実行部隊はオーメンの中から選ばれた隠密行動に長けた5名。彼らはベルコンスタンが手配した偽造通行許可証を使い、現場へ潜入する。目的はあくまで金の強奪であり、インクルシオとの戦闘は最小限に抑え、迅速に離脱する。そして、現場には他のチンピラ組織の仕業に見せかけるための偽装工作を行う。


ウィッシュボーンが、地図を広げ、実行部隊のリーダーに指名された痩身の男、スネークに最終確認を行っている。

「いいか、スネーク。ルートは頭に入れたな? 奴らがここを通る時間は、おそらく明日の午後三時前後。護衛はインクルシオの連中が四人、それと売上金を運ぶ幹部が一人、計五人と見ている。装備は剣と棍棒程度のはずだが、油断はするな」

「へっ、分かってますよ、ウィッシュボーンの旦那。インクルシオの雑魚どもなんざ、俺たちにかかれば赤子の手を捻るようなもんだ」スネークは自信ありげに言うが、その目にはわずかな緊張が見える。失敗すれば、あのシュガーボムの『客人』(ラバァル)からどんな仕打ちを受けるか分からないからだ。

「舐めてかかるな。奴らもムーメンの手下だ、何をしてくるか分からん。確実に仕留め、金を奪い、そして何より、お前たちがオーメンだと悟られずに、速やかに離脱するんだ。偽装工作も忘れるなよ。これは、俺たちオーメンの、そして…あの御方への忠誠を示す最初の大きな仕事だ。必ず成功させろ」

「へい!」実行部隊のメンバーたちが、低いが力強い声で応じた。彼らの手には、闇市で調達したであろう、音を立てにくい短剣や投げナイフ、そして煙幕弾などが準備されていた。

その様子を、アジトの建物の二階、薄暗い部屋の窓から、ラバァルは静かに見下ろしていた。ベルコンスタンとウィッシュボーンの準備は、今のところ順調に進んでいるようだ。オーメンの連中も、恐怖と、そしてわずかな報酬への期待からか、以前よりは引き締まった顔つきをしている。


(さて、どうなるか…ウィッシュボーンの読み通り、インクルシオの護衛が雑魚だけなら問題ないだろうが…ムーメンのことだ、何か仕込んでいる可能性もある)

ラバァルは、先の絹織物騒動の際に現れた、獣人に変身した男のことを思い出していた。あのようなイレギュラーな戦力が、輸送部隊にもいるかもしれない。

(まあ、万が一の場合は…少しだけ『手助け』してやるか)

彼はそう考えると、窓から離れ、明日の作戦を見届けるための準備を始めた。もちろん、誰にも気づかれずに。



作戦当日、中層地区・古い倉庫街


翌日の午後三時少し前。太陽はまだ高いが、古い倉庫が立ち並ぶこの一角は、建物の影が長く伸び、薄暗い雰囲気が漂っている。人通りはほとんどなく、時折、荷運びの台車が軋む音や、遠くの喧騒が風に乗って聞こえてくる程度だ。

指定された襲撃ポイント――二つの大きな倉庫に挟まれた、見通しの悪い路地――の周辺には、スネーク率いるオーメンの実行部隊5名が、物陰や屋根の上に息を潜めていた。彼らは偽造通行許可証を使ってここまで潜入し、今か今かと獲物が現れるのを待っている。緊張で喉が渇く。

そして、彼ら実行部隊の誰も気づかない、少し離れた倉庫の屋根の上、ラバァルは身をかがめていた。彼は気配を完全に消し、まるでその場に存在しないかのように、眼下の路地に意識を集中させている。オーメンの連中の動き、周囲の状況、そして現れるであろう輸送部隊。全てを冷静に観察していた。

やがて、路地の向こうから、数名の男たちの足音と話し声が聞こえてきた。先頭を歩くのは、やや小太りで悪人面の男。彼がインクルシオの幹部だろう。その手には、ずしりと重そうな革袋が握られている。売上金に違いない。そして、その前後を、屈強な体つきのインクルシオの構成員四人が固めている。剣を腰に差し、周囲を警戒しながら歩いているが、どこか油断しているようにも見える。いつも通りの、退屈な仕事だと思っているのかもしれない。


(来たか…護衛は四人、予想通りだな。特に変わった様子も…いや、待て)

ラバァルの鋭い視線が、最後尾を歩く護衛の一人に注がれた。他の三人と比べて、その男だけが異様に落ち着き払っている。そして、その首元には、先日の獣人と同じような、不気味な緑色の光を放つ護符が微かに見えた。

(…やはりいたか、変身能力持ちが。ウィッシュボーンの調査も完璧ではなかったな。オーメンの連中だけでは、あれは手に負えん)

ラバァルは、状況が想定通りにいかないことを瞬時に判断した。だが、まだ慌てる必要はない。

輸送部隊が、路地の中央、オーメンたちが待ち伏せるポイントに差し掛かった、その瞬間。

「今だ!」

スネークの合図と共に、オーメンのメンバーたちが一斉に襲いかかった! 投げナイフが空を切り、煙幕が焚かれ、視界が一気に悪くなる。

「な、何だ!?」

「襲撃だ!」

インクルシオの連中は不意を突かれ、混乱する。オーメンのメンバーは、その隙を突き、素早い動きで護衛たちを分断し、無力化しようとする。スネーク自身は、売上金を持つ幹部へと一直線に向かう!

戦闘は乱戦模様となった。オーメンのメンバーは、隠密行動には長けているが、純粋な戦闘能力ではインクルシオの屈強な護衛にやや劣る。煙幕と奇襲の有利さが失われ始めると、徐々に押し返され始めた。

「くそっ、しぶとい!」

「早くしろ、スネーク!」

そして、ラバァルが警戒していた通り、最後尾にいた護符を持つ男が動いた。彼は他の仲間が苦戦しているのを見ると、舌打ちし、首元の護符を強く握りしめた。

「チッ、面倒な…!」

男の体がみるみるうちに膨張し、筋肉が盛り上がり、硬質な毛皮が生え、鋭い爪と牙を持つ、狼に似た獣人の姿へと変貌した!

「ガアアアァァ!!」

獣人は咆哮し、オーメンのメンバーの一人に飛びかかった。その圧倒的なパワーの前に、オーメンのメンバーはなすすべもなく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて動かなくなる。

「うわああ!」

「化け物だ!」

予想外の強敵の出現に、オーメンのメンバーたちは完全に動揺し、戦線が崩壊しかける。スネークも、売上金を持つ幹部に肉薄していたが、獣人の出現に気を取られ、動きが止まる。


(…仕方ない。少しだけ、手を貸すか)

屋根の上のラバァルは、誰にも気づかれぬよう、懐から小さな石ころを数個取り出した。そして、狙いを定め、指先で弾く。

シュッ! ヒュッ!

小さな石ころが、まるで意思を持ったかのように、獣人の注意を引きつけようと奮闘しているオーメンのメンバーたちの足元や、獣人の死角となる壁などに、正確に、しかしごく自然な物音のように当たった。

「!?」

獣人は、一瞬だけ、物音のした方へ意識を向けた。ほんの一瞬の隙。だが、それで十分だった。

「今だ、スネーク!!」

ラバァルは、声には出さず、心の中で叫んだ。

その瞬間を、スネークは見逃さなかった。彼は獣人が気を取られた隙に、再び売上金を持つ幹部へと飛びかかり、懐に隠し持っていた特殊な薬――おそらくは即効性の痺れ薬か何か――を染み込ませた布を、幹部の口元に押し当てた!

「ぐっ…!?」

幹部は抵抗する間もなく、ぐにゃりと体の力を失い、その場に崩れ落ちた。革袋が、ゴトリと音を立てて地面に落ちる。

「やったぞ!」スネークは素早く革袋を拾い上げ、叫んだ。「撤収だ! 急げ!」

リーダー格の幹部が倒され、さらに獣人も一瞬とはいえ隙を見せたことで、インクルシオの残りの護衛たちの士気も急速に低下した。オーメンのメンバーたちは、この機を逃さず、煙幕を再び焚き、負傷した仲間を抱えながら、事前に打ち合わせていたルートを通って、蜘蛛の子を散らすように倉庫街の闇へと消えていった。偽装工作用の、他の組織の紋章が入ったボロ布か何かを、わざとらしく現場に落とすのも忘れずに。

獣人は、獲物を取り逃がしたことに気づき、怒りの咆哮を上げたが、煙幕と入り組んだ路地に阻まれ、追跡することはできなかった。やがて変身を解き、悪態をつきながら、倒れた幹部と仲間たちのもとへ駆け寄る。

屋根の上から全てを見届けたラバァルは、満足げに頷いた。

(まあ、及第点といったところか。オーメンの連中も、少しは使えるようになってきた。だが、やはりあの変身能力持ちは厄介だ。ムーメン家…思った以上に、面倒な相手かもしれんな)

彼は、音もなくその場を立ち去った。まるで最初からそこに誰もいなかったかのように。奪われた売上金、倒れた幹部、そして謎の襲撃者。現場には、混乱と、ムーメン家への新たな打撃だけが残された。ラバァルは、この作戦の成功を確信すると、そのままシュガーボムーへと帰って行った。



最後まで読んでくれありがとうございます。引き続き自話を見掛けたら読んでみて下さい。 

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