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灰色の巨都、ロット・ノット その6

今回は、ディオール家の当主 エマーヌ視点の話になります。 

                その103



【視点:エマーヌ・デュオール】


(あらあら、迷子の小犬かしら?)

上流階級エリアにある我が【デュオール家】の屋敷、そのバルコニーから見下ろす景色の中に、場違いな男が一人紛れ込んでいるのが見えた。身なりは粗末ではないけれど、この豪奢な区画に似つかわしくない、どこか野生の匂いを放つ男。何かを探してるのか?周囲を窺う様子は、まるで獲物を探す獣のよう。ここは厳重な警備が敷かれ、招かれざる客など滅多に入り込めないはずなのに。一体何者なのかしら。私の好奇心がむくむくと頭をもたげる。

「ふふ、何をしているの、貴方?」

声に出さず、心の中で問いかける。私が彼に興味を注いでいると、不意にその男がこちらを見上げた。視線が絡み合う。その瞬間、ぞわり、と背筋を冷たいものが駆け上がった。彼の瞳から放たれたのは、単なる視線ではない。研ぎ澄まされた刃のような、剥き出しの殺気。

「……まぁ、なんて殺気。怖いわねぇ」

口元を押さえながら、私は思わず呟いていた。けれど、その言葉とは裏腹に、私の唇は愉悦に歪んでいた。久しぶりに肌で感じた、純粋な恐怖と力への渇望。それは、退屈な日常を送る私にとって、痺れるような刺激だった。血が沸き立つような感覚。


(もっと、もっと見せてちょうだい、貴方のそのワイルドな姿を!)

高揚した気分で彼を見返そうとした瞬間、男はもう私への興味を失ったかのように背を向け、あっさりと視界の外へと消え去ってしまった。

「あら……つれないのね。こちらに興味はなかったのかしら」

少しだけ残念な気持ちになる。せっかく面白い玩具を見つけたと思ったのに。名残惜しさを感じながらも、私はバルコニーを後にし、部屋へと戻った。

今日の夜は、別の「刺激」が待っている。身支度を素早く整え、艶やかなドレスを纏うと、私は信頼する側近のクロードと、今夜の主役であるロメール、そして屈強な従者三名を伴い、闇市に隠された地下闘技場へと向かった。


地下へと続く階段を下りると、むわりとした熱気と、人々の興奮、そして微かな血の匂いが鼻をついた。今夜は、年に一度の決勝リーグ出場者を決める重要な予選が行われる。この予選で勝ち残った者は、ロット・ノットの裏社会でその名を轟かせる上位8名の闘士として、莫大な富と名声を手にするチャンスを得るのだ。そして、我がデュオール家が送り込む闘士、ロメールもその椅子を狙っている。


選手であるロメールは指定された控室へと向かい、私とクロードは用意されたVIP用のテーブル席へと案内された。従者たちは、私たちのすぐ後ろに控えさせている。

席に着き、グラスに注がれた葡萄酒を嗜みながら、周囲を見渡す。既に他のテーブルには見慣れた顔ぶれが揃っていた。

まず目に入ったのは、【ムーメン家】の当主、モロー・ムーメン(34)。相変わらず派手な装飾品を身に着け、お供の者たちと大きな声で談笑しながら、既に始まっている前座試合に野次を飛ばしている。新興勢力の筆頭として、その勢いは無視できないけれど、少し品性に欠けるのが玉に瑕ね。


その隣には、【ベルトラン家】の当主、ローラン・ベルトラン(58)が静かに座っていた。古参らしい落ち着きはあるけれど、最近は少し影が薄いかしら。それでも、この闇市での影響力はまだまだ侮れない。老獪な狐のような男だわ。


そして…私の視線は、少し離れたテーブルで異様な存在感を放つ人物に吸い寄せられた。白い仮面で顔を隠し、黒いシルクハットとステッキを手にした男。滅多に人前に姿を見せない、【デュラーン家】の当主、マクシム・(デューラン(46)。なぜ、彼が今夜ここに? 彼の存在は、この場の空気を一層不穏なものにしている。

(さて、ご挨拶といきましょうか。序列は弁えないとね)

私は内心で現在の力関係を分析する。ムーメン、ベルトラン、そして謎多きデュラーン。この順番が、今のロット・ノットの縮図。私は優雅に立ち上がり、クロードに目配せをしてから、まずは最も勢いのあるモロー・ムーメンの席へと足を運んだ。

「ごきげんよう、ムーメン様。今宵も随分と賑やかですわね」

社交辞令の笑顔を浮かべ、私は声をかける。

「おお、これはデュオール家の姫君。今夜も一段とお美しいですな」

モローは酒臭い息を吐きながら、品定めするような視線を私に送る。相変わらず、この男の視線は不躾だわ。

「今夜は我が家の期待の星が出るので、応援に来ましたの。ムーメン様のお抱えの闘士も、素晴らしい活躍をされているとか」

「ふん、当然だ。うちの奴らはそこらの雑魚とは違うんでな。おたくの若い衆も、せいぜい怪我せんようにな」

(相変わらずの言い草ね。けれど、その自信が今の貴方の力の源泉でもある)

「ええ、精一杯頑張ってくれると信じておりますわ。ところで、最近何か面白い儲け話でも…?」

軽く探りを入れてみるが、モローは肩をすくめるだけだった。

「さあてな。姫君に話せるような面白い話は、残念ながら持ち合わせておらんよ」

(しらばっくれて。まあ、いいわ)

適当なところで会話を切り上げ、私は次の席へと向かう。


次はローラン・ベルトラン様の席へ。こちらは年長者への敬意を払い、より丁寧な所作を心がける。

「ベルトラン様、今夜はお見えになっていたのですね。お変わりなくお過ごしでしょうか」

「おお、エマーヌ嬢。わざわざご丁寧にどうも。まあ、儂は変わらずじゃよ。今夜は貴殿のところの若い衆が出ると聞いてな。楽しませてもらうとしよう」

ベルトランは穏やかな笑みを浮かべているが、その目の奥は鋭く光っている。この老人は、決して油断ならない。

「ありがとうございます。まだまだ若輩者ですが、良い試合をお見せできればと存じます。それにしても、最近はこの闇市も随分と活気があるように思えますが、治安の方は…」

「ふむ…活気があるのは良いことじゃが、それだけ厄介事も増えるということじゃな。エマーヌ嬢も、あまり危ない橋は渡らんことだ」

(心配してくださるのかしら? それとも、牽制?)

当たり障りのない会話を続けながらも、互いに腹を探り合っているのがわかる。儀礼的な挨拶を終え、私は最後の、そして最も気を使うべき相手の元へと向かった。


マクシム・デュラーンのテーブル。仮面の下の表情は窺い知れない。私はわずかな緊張を押し殺し、優雅に微笑んでみせる。

「デュラーン様、今宵このような場所でお会いできるとは、大変珍しいですわね」

ステッキを弄びながら、仮面の男は感情の読めない、抑揚のない声で答えた。

「…少々、見たいものがありましてな、デュオール嬢」

その声は、まるで古井戸の底から響いてくるようだ。

「見たいもの、でございますか?」

探りを入れてみるが、マクシムはそれ以上答えようとはしない。仮面の目の部分の穴から、じっとこちらを見つめられているような気がして、落ち着かない気分になる。なぜ彼がここに? 単なる気まぐれか、それとも何か特別な目的があるのか。

「…では、今宵の試合、どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ」

これ以上踏み込むのは危険だと判断し、私は早々に挨拶を切り上げた。彼の周りだけ、空気が歪んでいるような錯覚さえ覚える。


自分のテーブルに戻ると、私は軽く息を吐いた。隣のクロードが心配そうに声をかけてくる。

「お疲れ様です、エマーヌ様。…デュラーン様は、相変わらず不気味な方ですな」

「ええ、本当に。けれど、あの男が動く時は、何か大きなことが起きる前触れかもしれないわ。注意しておかないと」

私はグラスを傾け、闘技場の中央に視線を向けた。これから始まる予選。ロメールの勝利はもちろん、他の家の動き、そしてあの仮面の男の目的…今夜、この場所で多くの情報が手に入るかもしれない。

(さあ、ショーの始まりよ)

私の胸は、期待と、わずかな不安で高鳴っていた。



地下闘技場、観客席


薄暗く、熱気と汗、そして血の匂いが混じり合う地下闘技場。エマーヌ・デュオールは、特等席のテーブルでワイングラスを傾けながら、金網で囲まれたリングで行われている準決勝戦を冷ややかに見守っていた。彼女の腹心の一人、クロードが背後に控えている。

「ふん、デミオスか…モロー・ムーメンの息がかかった犬ね。まあ、相手のレボーグとかいう雑魚よりはマシかしら」

エマーヌの予想通り、試合はムーメン配下のデミオスが一方的に進めていた。重量級の体躯から繰り出される打撃がレボーグを捉え、リングの金網に何度も叩きつけられる。勝負は時間の問題だろう。エマーヌは興味を失い、次の決勝戦――彼女の自慢の駒であるロメールの試合――に思考を巡らせていた。ロメールの実力は高く、この予選リーグの優勝は確実、そしてその先の決勝リーグでの活躍も疑っていなかった。

(ロメールの相手は、順当にいけばあのデミオスね。少しは骨があるかもしれないけれど、ロメールの敵ではないわ。問題は決勝リーグでどの家の馬鹿と当たるか…)

そんなことを考えていた矢先、場内が突如として割れんばかりの歓声に包まれた。決着がついたのだろう。エマーヌは特に驚くこともなく、当然の結果だと思いながらリングへと視線を戻した。

しかし、そこに立っていたのは、予想していたデミオスの姿ではなかった。代わりに、黒革の軽装に身を包んだ、見慣れない若い男が、倒れたデミオスを見下ろしていたのだ。

「えっ!?」

エマーヌは思わず声を上げ、グラスを取り落としそうになった。信じられないものを見るように、リング上の勝者と、少し離れたテーブル席で顔を真っ赤にして何かを叫び、ワイングラスをテーブルに叩きつけているモロー・ムーメンを交互に見る。ムーメンのあの激高ぶりは、ただの敗北に対するものではない。予想外の、屈辱的な敗北を喫した者の怒りだ。


エマーヌは再び、リング上の勝者に目を向けた。その男は、観客の興奮など意に介さない様子で、静かに佇んでいた。そして、ふと視線が合った。男は、エマーヌの驚愕の表情を捉えると、唇の端にほんのわずかな、しかし挑発的な笑みを浮かべたように見えた。

その瞬間、エマーヌの心臓が奇妙な音を立てた。彼女は強い衝撃を受けたのだ。あの男は何者? どこから現れた? まるで、闇の中から突然現れた獣のようだ。彼が放つ、荒々しくも抗いがたい、危険な匂い。それは、エマーヌが本能的に惹かれ、そして手に入れたいと渇望する種類の力だった。

(この男…何者なの!? モローの犬をあんな風に倒すなんて…! 見たこともない顔だわ…!)

興奮と、正体不明の強者に対する好奇心、そしてわずかな焦りがエマーヌの心をかき乱す。


30分間の休憩が終わり、いよいよ予選決勝が始まった。リングに上がるのは、エマーヌの最強の駒、ロメール。そして、対峙するのは、先ほど番狂わせを起こした謎の男だ。

「ロメール、油断するんじゃないわよ! あんな得体の知れない男、さっさと片付けなさい!」エマーヌは叫んだが、その声には先程までの絶対的な自信は揺らいでいた。

ゴングが鳴る。ロメールは最初から全力で謎の男に襲いかかった。鍛え上げられた筋肉から繰り出されるパンチとキックの嵐。しかし、男はまるで踊るように、最小限の動きでのらりくらりとその猛攻を捌いていく。そして、攻撃の合間に、的確にロメールのボディへと重いパンチを捩じ込んでいく。ズシリ、ズシリと鈍い音が響くたびに、ロメールの動きが僅かに、しかし確実に鈍っていくのがエマーヌにも見て取れた。

「ロメール! 何をやっているの! そんな奴に負けたら承知しないわよ! 首にしてやるから!」

エマーヌは思わず立ち上がり、金切り声を上げてハッパをかける。その声に反応したのか、ロメールは最後の力を振り絞るように雄叫びを上げ、捨て身のラッシュを仕掛けた。ガードを捨て、全てを粉砕するような大振りのパンチだ。

だが、それすら謎の男には届かない。まるで柳に風と受け流され、攻撃は空を切るばかり。そして、ロメールが大きく踏み込んだ一瞬の隙を突き、男は軽やかに跳躍。次の瞬間、鋭い衝撃音と共に、男の踵がロメールの後頭部へと吸い込まれるように叩きつけられた。

「がはっ…!」

短い呻き声を上げ、ロメールの巨体は糸が切れた人形のように崩れ落ち、リングに音を立てて倒れ伏した。ピクリとも動かない。完全なノックアウトだった。


「……嘘よ…こんなの、嘘でしょう!?」

エマーヌは呆然と立ち尽くしていた。ロメールが負けるなど、予想だにしない事だった。自分の最強のカードが、どこの馬の骨とも知れない男に、こうもあっさりと…。しかも、この試合には相当な額を賭けていたのだ。財政的な打撃も大きかった。


リング上でロメールが倒れ、謎の黒革の男――エントリー名『レボーグ』――の勝利が告げられた瞬間、地下闘技場は興奮と驚きの坩堝と化した。番狂わせ、それも二度連続の番狂わせだ。ムーメン家のデミオスに続き、デュオール家の最強の男、ロメールまでもが、この無名の男に敗れたのだ。観客席のあちこちから、どよめき、賞賛、罵声が入り混じった声が上がる。

その喧騒の中、VIPエリアに陣取る4名の評議会議員たちの反応も、驚きと困惑、そして警戒に満ちていた。

モロー・ムーメンのテーブル:

自分の選手デミオスを倒した憎き相手が、今度はデュオール家のロメールまでも下した。モローは、忌々しさと同時に、うちの主力メンバーに匹敵するやもしれない力の登場に危機感を持っていた。

「あのやろう…! 一体何なんだ、あの『レボーグ』とかいう奴は!? どこのどいつだ!? デュオールの側近までやっちまいやがった、…新たな強カードの登場って訳だ!」

モローはテーブルを叩き、怒りを露わにした。未知の強者の出現は、彼の計画にとって予期せぬ障害となりうる。早急に正体を探り、場合によっては潰す必要がある、と彼は考え始めていた。


ローラン・ベルトランのテーブル:

ベルトランは、驚きを隠せない様子でリングを見つめていた。彼の長年の経験をもってしても、このような無名の強者が突然現れることは稀だった。

「…レボーグ…どこから現れた? フリーの参加者だとは聞いたが…まさか、どこかの家が密かに育てていた『隠し玉』か? それとも、全く別の勢力が…?」

彼は、この出来事が評議会内のパワーバランスにどのような影響を与えるか、神経を尖らせていた。特に、ムーメンやゾンハーグ、そしてデュオールといった、より攻撃的な家々がこの『レボーグ』をどう扱うのか、その動きを注視する必要があると感じていた。


デュラーン家(当主マクシム・デュラーン)は、その仮面の奥で薄く微笑していた、他人からはなんの変化も見られていなかった。


先程、怒りを見せていたモロー・ムーメンのテーブルからは、エマーヌの様子を見てか、今度は嘲笑が聞こえてきた。

「おい見ろよ、デュオールの女、顔面蒼白だぜ!」

「自分のとこの犬が負けたからって、みっともねぇなぁ!」


…その声に、エマーヌはハッと我に返った。

(…いけないわ。私としたことが、取り乱してしまった)

彼女は深呼吸し、努めて平静を装って席に戻った。周囲のVIP席に目をやると、誰もがリング上の謎の勝者『レボーグ』に注目し、驚きや警戒、あるいは好奇の入り混じった視線を送っていた。モロー・ムーメンは忌々しげに舌打ちし、ベルトランは、この予期せぬ事態に困惑と警戒を隠せない様子だ。この無名の男の出現が、ここにいる全ての権力者たちに動揺を与えているのは明らかだった。


内心の動揺とショックは計り知れない。クロードと共に自分の両腕とも頼りにしていたロメールが、衆人環視の中でどこの馬の骨とも知れない男に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。この敗北は、デュオール家の威信にも関わる。

(もはや、ロメールは使えない…あんな無様な負け方をした駒など、私の傍に置いておけないわ)

そう考えた瞬間、エマーヌの瞳から先程までの動揺は消え、代わりに氷のように冷たく、恐ろしい光が宿った。彼女はリングで倒れたままのロメールを、まるで汚物でも見るかのように、侮蔑と怒りに満ちた目で睨みつけたのだ。

その変化を、背後に控えるクロードは敏感に感じ取っていた。負ければ、自分もああなる。この冷酷な女主人の下で生き残るためには、決して失敗は許されないのだと、彼は改めて肝に銘じた。そして、主であるエマーヌが、あのリング上の謎の勝者――レボーグと、これからどう関わっていくのか、固唾を飲んで見守るしかなかった。彼女の瞳の奥には、敗北への怒りと同時に、あの未知の『力』への強い執着が、危険な炎のように揺らめいていた。

彼女はすぐさま行動に移すことを決意した。あのレボーグという男を、誰よりも早く手に入れなければならない。

「クロード、行くわよ!」

エマーヌは席を立ち、運営事務所へと向かった。まずは、あの男の情報を少しでも掴むことからだ。


地下闘技場での衝撃的な敗北の後、エマーヌ・デュオールの行動は早かった。自身の最強の駒であるロメールを完膚なきまでに叩きのめした、あの黒革の男。その圧倒的な強さと、どこか以前に感じたことのあるような抗いがたい危険な雰囲気に、エマーヌは強く惹かれていた。あの男を手に入れなければならない。その一心で、彼女はすぐさま席を立ち、側近のクロードだけを伴って闘技場の運営事務所へと足を運んだ。


事務所は、闘技場の喧騒から少し離れた、薄暗い通路の奥にあった。屈強な見張りが数名、入り口を固めている。エマーヌが近づくと、見張りは彼女の顔を認識し、すぐに一人が事務所の中へと駆け込んだ。「デュオール家のエマーヌ様がお見えです!」

程なくして、恰幅の良い中年男――この地下闘技場を取り仕切るプロモーター、ハモンド――が、額に汗を滲ませながら慌てた様子で出てきた。

「こ、これはこれは、エマーヌ様! わざわざこのような場所まで、一体どのようなご用件で…?」ハモンドは愛想笑いを浮かべながらも、その目には警戒の色が浮かんでいる。


「失礼ながらエマーヌ様、特定の選手や他の家の関係者と、ここで個人的に接触なさるのは…他の皆様の手前、少々問題が…」


暗に、早く立ち去ってほしいというニュアンスを込めてハモンドは注意を促す。

しかし、今のエマーヌにそんな建前は通用しない。

「そのような決まり事は承知の上よ、ハモンド」エマーヌはハモンドの言葉を遮り、鋭い視線を向けた。「単刀直入に聞くわ。先ほどの決勝戦で、私のロメールを倒したあの男…あれは一体何者なの? 名前は?」


「は、はあ…あの選手でございますか…」ハモンドは冷や汗をかきながら言い淀む。「エントリー名は『レボーグ』。まことに素晴らしい強さでございましたな。それで…一体なぜそのようなことを?」

「まさか、仕返しでもお考えで…?」ハモンドの声が裏返る。

「馬鹿なことを言わないでちょうだい」エマーヌは鼻で笑った。「逆よ。あの男、気に入ったわ。是非ともスカウトしたいの。だから、どこの誰なのか、正直に教えてちょうだい。さあ、早く!」

半ば脅迫に近いエマーヌの剣幕と、評議会議員の一人である彼女をいつまでもここに留めておくわけにはいかないという判断から、ハモンドは観念したように、しかし少し躊躇いがちに口を開いた。

「……レボーグ選手は…その…デュラーン家のお抱えの選手、でございます」

「デュラーンですって!?」エマーヌは驚きの声を上げた。あの謎多きデュラーン家が、あのような強力な駒を隠し持っていたとは。全く知らなかった。

「ええ…最近、デュラーン様がどこからか連れてこられたようでして…我々も詳細は…」ハモンドは口ごもる。

「…そう。分かったわ」エマーヌは短く言うと、踵を返し、クロードと共に事務所を後にした。(デュラーン家のレボーグ…! あの掴みどころのない男が、あんな逸材を…! どうりで強いはずだわ。ならば、デュラーンに直接掛け合うしかないわね!)


エマーヌは、マクシムがいたであろうVIPルームへと足を向けた。しかし、彼が座っていたテーブルには、既にデュラーンとその異様な護衛たちの姿はなかった。

「クロード! マクシム様を見なかった!? どこへ行ったか探しなさい!」エマーヌは焦りを隠さずクロードに命じる。


その時、ちょうど試合会場から引き上げようとしていたモロー・ムーメンの一団と鉢合わせした。

「おや、デュオールの」モローは、不機嫌そうな顔ながらも、エマーヌの慌てた様子に気づき、面白がるように声をかけてきた。「何をそんなに血相を変えている?」

「あら、モロー様。もうお帰りになるの?」エマーヌは内心の焦りを隠し、努めて優雅に取り繕う。

「ああ、今夜はツイてなかったんでな。うちのデミオスがあんな奴に負けるとは…ところで、お宅もさっきの決勝で負けてたな? それで慌てているのか?」モローは探るような視線を向けて来た。

「…ええ、まあ」エマーヌは曖昧に頷き、本題を切り出した。「それより、モロー様。マクシム様をお見かけしませんでしたか?」

「ん? ああ、あの仮面野郎か」モローは少し考え込む素振りを見せた。「そういえば、さっき賭けに勝ったとかで、上機嫌でさっさと出て行ったぞ。換金所にでも向かったんじゃないか?」

「換金所…!」エマーヌはピンときた。「情報、感謝するわ、モロー様。それでは、今夜はお互い運がなかったということで」

エマーヌは社交辞令の笑みを浮かべると、モローの返事も待たずに足早に換金所の方へと向かって行く。


「…なんだあの女。デュラーンに何の用だ?」モローは、エマーヌの背中を見送りながら訝しげに呟き、部下たちと共に闘技場を後にした。

足早に換金所へとやって来たエマーヌは、ちょうどそこから出てきたマクシムと、例の得体のしれない護衛たちを見つけた。


「お待ちになってください、マクシム様!」エマーヌは息を切らしながら呼び止めた。

声を掛けられた仮面の男、マクシム・デュラーンは、ゆっくりと振り返り、エマーヌを認識すると静かに立ち止まった。その仮面の下の表情はうかがい知れない。


ようやく追いついたエマーヌは、ぜえぜえと荒い息を整えながら切り出した。「マクシム様、少し…お話のお時間をいただけませんこと?」

「…何の御用かな、エマーヌ殿」マクシムの声は、仮面のせいか感情が読み取れず、平坦に響いた。「随分とお急ぎのようだが」

その落ち着き払った態度が、エマーヌの焦りをさらに掻き立てる。

「ここではなんですので…よろしければ、『ハングリィ?』で軽いお食事でもしながら…」

「結構」マクシムはエマーヌの誘いをあっさりと断った。「ここで手短に話せないような内容かな?」

さっさと要件を言え、という無言の圧力に、エマーヌも覚悟を決めた。

「では、単刀直入に申し上げますわ。先ほどの優勝者…レボーグ様。彼を、私にお譲りいただけませんか?」

デュラーンは、しばし無言でエマーヌを見つめた。仮面で表情は読めないが、その視線はエマーヌの真意を探っているように感じられた。数秒の沈黙の後、マクシムはようやく口を開いた。


「…ほう。レボーグを、ね。どこで彼が私の者だと?」

「先ほど、ハモンドから伺いました」

「ふむ、ハモンドか。あの男も口が軽いな」マクシムは、やれやれと言うように首を振った。「それで、エマーヌ殿。君は彼をいくらで買うつもりだ? レボーグは高くつくぞ。君に、その代償が払えるかな?」

その言葉には、単なる金銭以上の、何か別の意味合いが含まれているようにエマーヌには聞こえた。

「おいくらなのかしら?」エマーヌは探るように尋ねる。

「…その話は、ここではできんな」デュラーンは言った。「近いうちに、改めて私の屋敷へ招待しよう。その時に、ゆっくりと『条件』について話そうではないか」

そう言うと、マクシムは軽く会釈し、護衛たちと共に闇市の喧騒の中へと再び消えていった。

(条件…ですって?)

エマーヌは、マクシムの言葉を反芻した。単なる移籍金の交渉ではない、何か裏がある。デュラーン家とあの悪名高い奴隷商との噂が脳裏をよぎる。しかし、それでもレボーグを手に入れるための手掛かりは掴んだ。

「今夜はここまで、ね…」

エマーヌは、次への布石を打てたことに多少の満足感を得ながらも、デュラーンの不気味さと、レボーグという存在への増していく執着心を胸に、クロードと共にこの場を後にした。今夜の闇市では、新たな欲望と陰謀が静かに動き始めていた。





最後までよんでくださりありがとう、引き続き次話を見掛けたら読んでみて下さい。

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