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灰色の巨都、ロット・ノット その5

【ロットノットの喧騒と陰謀 - 深まる闇と新たな覚悟】


旧市街で足場を得たラバァルは、活動の場を上流階級が暮らす厳重な地区へと広げる。没落する名門ベスウォール家との接触を通じ、アサシンとしての力に加え、情報収集と交渉術を武器に権力者たちとの危険な駆け引きに挑む。街の隠された陰謀に深く関わる中で、変わりゆく自身に直面しながらも、故郷を守るため、このロットノットの頂点に立つという揺るぎない決意を固める。

               その102  




一通り旧市街での指示を終えたラバァルは、再び新市街の喧騒へと戻ってきていた。

しかし、すぐに根城と定めたシュガーボムへは戻らず、夕暮れに染まり始めた街を漫然と歩き始めた。単なる気まぐれというよりは、体に染みついた習性のようなものだった。街路の構造、建物の配置、そして道の辻々に立つ衛兵の数や視線の動き――それらを無意識のうちに記憶に刻み込んでいく。今は特に目的があるわけではないが、この街で生き抜く上で、こうした情報がいつか必ず役に立つ。アサシンとして培ってきた観察眼が、自然と周囲の状況を分析させていた。



街灯に明かりを灯す役割の者が火をつけて回り始めた頃、ラバァルは足を止め、目的地である上流階級用居住区へと向かった。昨夜、ベスウォール家の老人から受けたディナーの招待に応じるためだ。

薄暗くなり始めると昼間より厳重に人が配置された警備ゲートに到着し、懐から取り出した通行許可証を提示する。検問を担当していた衛兵は、許可証を受け取ると、まずラバァルの全身を値踏みするようにじろりと見た。仕立ての良い服を着ているわけでもなく、かといって卑屈な様子もない。むしろ、その鋭い目つきと纏う雰囲気は、この豪奢な居住区には明らかに異質だった。衛兵は許可証に視線を落としながらも、警戒を解かずに口を開く。


「許可証は確認した。だが、念のため聞かせてもらう。貴様の身分と、この先での用向きは?」

形式的な質問かもしれないが、その声には隠しきれない疑念が滲んでいた。ラバァルは、そんな衛兵の態度にいら立ちを覚えた。許可証という確かな証明があるにも関わらず、まるで尋問のような物言いが気に障る。

「何だと? 許可証に書いてある通りだ。それを見てもまだ疑うというのか」

ラバァルは無意識のうちに、低い声で、相手を射抜くような視線を向けていた。その威圧的な態度に、衛兵はカッとなった。彼はこの場所を守るという職務に忠実であり、少しでも怪しいと感じた者、あるいは自身の権威に挑戦的だと感じた者には、容赦しない性分だった。

「なんだ貴様、その態度は! 私の質問に素直に答えられんのか! まさか、何かましいことでもあるのか!?」

衛兵は槍の柄に手をかけ、一歩前に出ながら声を荒らげた。明らかに威嚇の姿勢だ。その大声に、他の衛兵たちの注意も一斉に集まり、数人が状況を確認しようとこちらへ駆け寄ってくる。


(やれやれ、面倒なことになった…)

ラバァルが内心で舌打ちし、威嚇してくる守衛とにらみ合っていると、騒ぎを聞きつけたのか、ゲートの奥からカツカツという硬質な足音が近づいてきた。その足音だけで、周囲の守衛たちの間に緊張が走る。やがて現れたのは、見覚えのある銀髪の騎士――警備隊長のラナーシャだった。彼女は厳しい表情で状況を一瞥すると、衛兵たちを一喝した。

「何をしている! このような場所で騒ぎを起こすとは!」

その凛とした声と有無を言わせぬ威厳に、先ほどまで息巻いていた衛兵も、他の者たちも、はっとしたように背筋を伸ばし、一斉に敬礼する。ラナーシャは守衛たちの敬礼には視線もくれず、ラバァルの姿を認めると、わずかに眉をひそめ、呆れたような、それでいて何かを探るような複雑な表情を浮かべた。

「…また貴方ですか。今度は何です?」

その口調には、明らかな棘が含まれている。ラバァルは、この女騎士が厄介な相手だと認識しつつも、臆する様子は見せない。

「どうやら、あんたの部下が職務熱心すぎて困っているところだ」ラバァルは許可証をひらひらさせながら、皮肉たっぷりに言った。「これを見せても通さんばかりか、槍を向けてくる始末だ。招待されているディナーに遅れると何度も言っているんだがな」


ラナーシャはラバァルの言葉を聞き、ちらりと部下の守衛に厳しい視線を送った。衛兵はびくりと肩を震わせる。しかし、ラナーシャはすぐにラバァルに向き直り、腕を組んだ。

「あら、それは聞き捨てなりませんわね。ですが、私の部下は規律に従っているだけ。あるいは、貴方のその…少々『人を食った』ような態度が、誤解を招いたのかもしれませんわよ?」

彼女はわざとらしく微笑むが、その目は笑っていない。ラバァルは、この女とこれ以上言葉を交わすのは時間の無駄だと判断した。

「口の減らない女だ。もういい、時間の無駄だ。通らせてもらうぞ」

ラバァルはラナーシャの返事を待たず、半ば強引に彼女の横をすり抜け、ゲートの奥へと進んだ。その無遠慮な態度に、ラナーシャの眉がピクリと動いたが、彼女はあえて制止しようとはしなかった。

「た、隊長! あの無礼な男を…!」

背後で部下が憤慨した声を上げるが、ラナーシャはそれを手で制した。そして、遠ざかるラバァルの背中を鋭い目で見つめながら、低い声で、しかし周囲の守衛たちにはっきりと聞こえるように呟いた。


「…あの方には手を出すな、と上に言われている。アンドレアス将軍が関わっておられる案件だそうだ」

『アンドレアス将軍』――その名前が出た瞬間、衛兵たちの間に動揺が走った。この国でその名を知らぬ者はいない。絶大な権力と武威を誇る将軍の名は、彼らにとって絶対的なものだ。先ほどまでラバァルに敵意を向けていた衛兵も、血の気が引いたような顔で黙り込んだ。ラナーシャの一言は、単なる説明ではなく、明確な「命令」として彼らに受け止められたのだ。

「…各自、持ち場に戻れ。そして、今後はあの方を見かけても、決して無用な詮索や接触はするな。いいな?」

「は、はいッ!!」

ラナーシャの厳しい命令に、守衛たちは緊張した面持ちで再び敬礼し、足早にそれぞれの持ち場へと戻っていった。一人残されたラナーシャは、ラバァルが消えた方向をしばらく見つめていたが、やがて小さく溜息をつくと、踵を返し、自らの持ち場である謁見の間の方へと戻っていった。彼女の表情には、命令への服従だけでなく、得体の知れない男への警戒と、かすかな好奇心が入り混じっているようにも見えた。



しかしラバァルは守衛とのいざこざで、目的のベスウォール家の屋敷までの道順を聞きそびれてしまった。

(チッ、あの衛兵め…余計な手間を取らせやがって)

内心で毒づきながら、広大で似たような豪邸が立ち並ぶ上流階級居住区を見渡し、軽く溜息をつく。闇雲に歩き回るのは時間の無駄だ。ラバァルは立ち止まり、一瞬目を閉じて思考を巡らせた。

(あの爺さん…ジョルズ・ベスウォールとか言ったか。それなりの旧家のはずだ。ならば、通りに面したどこかに家紋くらい掲げているかもしれん。あるいは、屋敷の規模や古さで判断できるか…?)

アサシンとして培った鋭い観察眼と、わずかな情報から推測する能力を働かせる。ゲートがあった方角、太陽の沈む位置から大まかな方角に見当をつけ、再び歩き出した。ただ歩くのではない。屋敷の門構え、壁の意匠、庭の手入れ具合、微かな生活の気配…あらゆる情報を拾い集めながら、目的地を探し当てるための「狩り」のように、神経を研ぎ澄ませていく。


集中して周囲を観察しながら、いくつかの邸宅が立ち並ぶ通りを進んでいた時、ふと、まとわりつくような視線を感じた。それは敵意ではないが、明らかにこちらに向けられた強い意識。ラバァルは足を止め、気配の源を探るようにゆっくりと視線を巡らせた。

視線は、少し離れた屋敷の二階、優雅な装飾が施されたバルコニーから注がれていた。夕闇に溶け込むような深い色のドレスを纏った女性が、手すりに肘をつき、こちらをじっと見つめている。ラバァルがキョロキョロと屋敷を探す様子が珍しかったのか、それともラバァルの纏う場違いな雰囲気に興味を引かれたのか。

(…何を見てやがる)

ラバァルは不快感を隠しもせず、鋭い視線で真っ直ぐにその女性を睨み返した。普通の人間ならば、その殺気にも似た視線に怯むか、慌てて目を逸らすはずだ。

しかし、バルコニーの女性は違った。ラバァルの睨み返しを受けても、驚く様子も、怯む様子もない。それどころか、小さく口元に手を当て、まるで面白い玩具を見つけた子供のように、楽しげにくすくすと笑い始めたのだ。その笑い声は、夕暮れの静けさの中に妙に響いた。

(…気味が悪い女だ)

ラバァルは舌打ちし、すぐに興味を失った。得体の知れない相手、それも今は敵か味方かも分からない上流階級の女にかかずらわっている暇はない。彼はバルコニーに背を向け、再びベスウォール家を探すことに意識を集中させた。あの嘲るような笑い声は、わずかに神経を逆撫でしたものの、彼の目的遂行の妨げになるほどではなかった。

(無駄なことに気を取られたな…集中しろ)

意識を切り替え、さらに注意深く周囲を観察し始めたラバァルは、やがて前方に、他の邸宅とは異なり、門の両脇にランプを持った門番が二人、微動だにせず立っている一際大きな屋敷を発見した。わざわざ人を立たせて待っている、その様子から、ここが目的地である可能性が高いと判断した。

ラバァルはその門へと近づき、門番に声をかけた。

「済まないが、ここがベスウォール家の屋敷で間違いないか?」


その問いに門番は。「はい、そうでございます、あなたがアントマーズに様をお助け下さったお方ですね、ジョルズ様がお待ちしていました、さぁ、こちらへご案内させて頂きます。」 

「分かった。」

ラバァルが簡潔に答えると、門番は安堵したように表情を和らげ、恭しく頭を下げ、中へと案内してくれる。


ようやく目的地にたどり着いたラバァルは、門番に導かれるまま重厚な門をくぐり、手入れの行き届いた庭園を抜けて屋敷の中へと入った。

通されたのは、天井が高く、煌びやかな調度品が置かれた大ホールだった。中央には長いテーブルが設えられ、既に食事の準備が整っている。テーブルの奥、正面の席には、昨夜会ったジョルズ・ベスウォールが座って待っていた。

ラバァルの姿を認めると、ジョルズはすぐに席を立ち、穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

「ようこそ、ラバァル殿。よくぞお越しくださいました。昨夜は取り乱してしまい、何の礼もできず、実にお見苦しいところをお見せしました。今宵は、昨夜の非礼を詫びると共に、改めて貴殿に感謝を伝えたく、ささやかながら席を設けさせていただきました。どうぞ、食事をしながらゆっくりお話ししましょう」

丁寧なジョルズの挨拶に対し、ラバァルも無骨ながら言葉を返した。

「誘いは有り難く受けさせてもらった。それと、昨日の礼金…5万ゴールドは大いに助かった。感謝する」


かつてはロット・ノットでも指折りの名門と謳われたベスウォール家の屋敷は、その威容こそ保ってはいるものの、夕闇が迫るにつれて、磨き上げられた調度品の影に寂寥感(せきりょうかん)が濃く滲み出ていた。ダイニングホールに並べられた料理は、銀食器の上で豪奢(ごうしゃ)なきを放っていたが、どこか虚飾めいて見えるのは、この家の現状を知るからだろうか。


ラバァルは、正面に座る老紳士、ジョルズ・ベスウォールに向き直った。皺の刻まれた顔には疲労の色が濃いが、その瞳にはまだ名門の元当主としての矜持が宿っている。傍らには執事のハッシュが控え、数名のメイドが壁際に静かに佇んでいた。例の凄腕ボディガードの姿は見えないが、この屋敷のどこかに潜んでいるのだろう。


「ラバァル殿、今宵はよくぞお越しくださった。先日の件、重ねて礼を申し上げる。貴殿のおかげで、息子アントマーズは…いや、ベスウォール家は窮地を脱することができた。この恩は決して忘れん」


ジョルズは重々しく頭を下げた。その声には偽りのない感謝が籠っている。だが、ラバァルは差し出されたワイングラスを静かに受け取るだけで、安易に感傷に流されることはなかった。彼の目的は感謝されることではない。


「ジョルズ殿、お招きいただき光栄です。アントマーズ殿が無事であったこと、何よりです」ラバァルは丁寧な口調で応じた。「ですが、お気持ちはありがたいものの、実を申しますと、私もこのロット・ノットでは新参者。後ろ盾も情報も、まだまだ足りていないのが現状です」


前菜の冷たいスープにスプーンを運びながら、ラバァルは続けた。その声は穏やかだが、内容は明確な要求を含んでいた。


「もしよろしければ、ベスウォール家が長年培ってこられた古い情報網…特に、他の評議会議員の裏の顔などについて、少しばかりお話くださると、今後の活動において大きな助けとなるのですが、いかがでしょうか?」


ラバァルの言葉に、ジョルズの眉がわずかに動いた。家の内情、それも他家の弱みに繋がりかねない情報を、出会って間もない若者に明かすことへの躊躇いが透けて見える。ロット・ノットの権力構造は複雑怪奇だ。古い情報には、それ相応のリスクも伴う。


ジョルズが言葉を濁そうと口を開きかけた瞬間、ラバァルは先手を打った。


「もちろん、ただ教えていただくだけでは虫が良すぎるでしょう」ラバァルは、まるで世間話でもするかのように、しかし確信を持って続けた。「こちらも、貴家のお力になれることがあるかもしれません。例えば…最近、貴家の主要な取引先である絹織物の販路を、新興のムーメン家が執拗に妨害している、と聞き及んでおります」


ラバァルの瞳が、鋭くジョルズを射抜いた。


「その件について、私が少し『手を貸す』ことも、できるかもしれませんがいかがでしょう?」


『手を貸す』という言葉の裏に含まれた、暗殺者としての能力の示唆。それは、ベスウォール家が喉から手が出るほど欲しているであろう、直接的な対抗手段だった。ジョルズの顔から血の気が引いていくのが分かった。ラバァルは、相手の弱みを的確に突き、同時に具体的な利益を提示することで、交渉の主導権を握ろうとしていた。


かつては目の前の敵を排除することしか考えていなかった自分が、今はこうして相手の状況を読み、利害を天秤にかけ、言葉で相手を動かそうとしている。ラバァルは内心で自嘲しつつも、目的のために関係を利用する、この新たな戦術の高揚感を覚えていた。目の前の老獪な元当主を相手に、アサシンとしての腕ではなく、交渉術という武器で渡り合っている。ロット・ノットという街が、彼を着実に変えつつあった。


ダイニングホールには、重たい沈黙が落ちた。壁際のメイドたちは息を潜め、執事のハッシュは微動だにしない。ただ、燭台の炎が揺らめき、壁に長い影を落としている。


ジョルズは、ラバァルの真意を探るように、じっとその顔を見つめていた。没落寸前の家を守るため、目の前の若者が差し伸べた、危険だが魅力的な提案。それを受け入れるか否か。決断を迫られた老紳士の顔には、苦悩と打算が複雑に交錯していた。


ラバァルは、焦らず、ただ静かにジョルズの返答を待った。ディナーは、まだ始まったばかりだ。




重い沈黙の後、ジョルズは力なく頷いた。ラバァルの提案は、危険な劇薬だ。しかし、ムーメン家の攻勢によってジリ貧に陥っている現状を打破するには、もはや通常の手段だけでは足りないことも、この老獪な元当主は理解していた。


「…ラバァル殿。貴殿の申し出、ありがたくはある。だが、事を起こせば、ムーメン家だけでなく、評議会の他の家々も黙ってはおるまい。我々は、あまりにも力を失いすぎてしまった…」


弱々しく呟くジョルズに、ラバァルは静かに、しかし強い意志を込めて言葉を返した。


「力を失った原因は、外部からの圧力だけでしょうか?」


その問いは、核心を突いていた。ジョルズの顔がこわばる。ラバァルは、敢えてその痛みに触れることを選んだ。


「ジョルズ殿、大変申し上げにくいのですが…ベスウォール家の最大の弱点は、外部の敵ではなく、内部にあるのでは?」


ラバァルは一度言葉を切り、テーブルの上に置かれたアントマーズの空席であろう場所に視線を向けた。


「現当主、アントマーズの件です。…息子さんを思うお気持ちは察しますが、率直に申し上げて、今の彼に、この難局にあるベスウォール家を率いる力があるとは思えません」


厳しい指摘だった。ジョルズの目が怒りに燃え…かけたが、すぐに深い悲しみと諦念の色に変わった。ラバァルは容赦なく続ける。


「いくら血筋が尊くとも、いくらお父上が偉大であろうとも、能力なき者を頂に据え続ければ、その下にいる者たちが路頭に迷うことになります。忠誠を尽くしてきた臣下の者たちや、ベスウォール家を頼りにしてきた参加団体はどうなるのですか?彼らを見捨てるおつもりですか?」


言葉はナイフのように鋭く、ジョルズの心を抉った。父親としての情と、一族の長としての責任。その間で揺れ動く老人の苦悩が、痛いほど伝わってくる。


「…分かっておる。儂が、儂が甘やかしたせいだ…」


絞り出すようなジョルズの声に、ラバァルは僅かに同情の色を見せたが、すぐに表情を引き締めた。


「過去を悔いても始まりません。未来を見据えるべきです。アントマーズには、一度、当主の重責から離れていただくのが賢明かと。彼が真に成長し、再び家を担うに足る器になるまで、あるいは…別の形で家に貢献する道を探るべきでしょう」


それは事実上の更迭提案だった。しかし、ラバァルは単にアントマーズを切り捨てるつもりはなかった。彼の思考は、常に冷徹な計算に基づいている。


「とはいえ、どのような人間にも、何かしらの使い道はあるものです」ラバァルは、まるで駒の配置を考えるかのように続けた。「アントマーズとて、例外ではないでしょう」


意外な言葉に、ジョルズが顔を上げる。


「例えば…アントマーズには、学生時代の友人たちがいると聞きます。名門の子息として、それなりの交流があったはず。その友人たちは、今、どこで何をしているか、ご存知ですか?」


ラバァルの視線の先には、新たな情報網の可能性があった。たとえ本人が無能でも、その人間関係が思わぬ価値を持つことがある。貴族や有力者の子弟が集まる学舎での繋がりは、時に公式なルートよりも深く、有用な情報をもたらす可能性がある。


「…友人、か。確かに、昔は様々な家の者たちと付き合いがあったようだが…今のあいつに、そんな繋がりが残っているかどうか…」


「確かめてみる価値はあります」ラバァルは断言した。「アントマーズに、学生時代の友人たちの名前、現在の状況、連絡先などを思い出せる限りリストアップしていただきたい。些細な情報でも構いません」


ラバァルは、先日、制圧したばかりの組織の名前を口にした。


「そのリストを元に、こちらで『調査』しましょう。先日、少々『手懐けた』者たちがおりますので。キーウィの連中ですが、ああいった輩は、人の裏を探ることにかけては役に立ちます」


暴力組織を、早くも情報収集のための駒として使う。その発想と手際の良さに、ジョルズは改めて目の前の若者の底知れなさを感じた。


「アントマーズに、リスト作成を約束させていただけますか?彼自身の『仕事』として。それが、彼がまず家に貢献できる、第一歩になるかもしれません」


ラバァルの提案は、アントマーズを更迭しつつも、彼に具体的な役割を与え、さらにその人脈から新たな情報を引き出そうという、一石三鳥を狙ったものだった。そこには、非情なまでの合理性と、目的達成への執念が垣間見える。


ジョルズは、ラバァルの顔をじっと見つめた。この若者は、ベスウォール家にとって救世主となるのか、それとも…。しかし、今は他に選択肢がないことも事実だった。


「…分かった。ラバァル殿。アントマーズには、儂から話そう。友人たちのリストを作らせる。…それが、あいつにとっても、家にとっても、良い方向に向かうことを願うしかない」


ジョルズは重々しく頷いた。ラバァルは満足げに微笑む…ことはなく、ただ静かに次の料理へと手を伸ばした。彼の頭の中では、アントマーズの友人リストから得られるであろう情報を元にどのように活用できるか、少しの期待を寄せていた。


ベスウォール家の黄昏は、まだ続いている。だが、ラバァルという新たな風が、その淀んだ空気をかき回し始めていた。

ベスウォール家のディナーで有益な交渉が出来たと、取り合えず合格点は取れたなと言う思いで。


ベスウォール家での晩餐を終え、上流階級エリアを後にしたラバァルは、新市街の喧騒の中を歩き、根城とした【シュガーボム】へと戻ってきた。ボスのまま置いてあるベルコンスタンにそのまま執務室を使わせ、彼が仮の寝床として選んだのは、少し離れた場所にある、窓から街並みを見下ろせる比較的簡素な個室だった。


重い足取りで部屋に入り、扉を背で閉めると、ラバァルは大きく息を吐いた。そして、無造作に椅子へ腰を下ろし、テーブルの上に置いた革袋――ジョルズ・ベスウォールから受け取った五万ゴールドが入った袋――を無言で見つめる。ずしりとした重みが、現実感を伴って伝わってくる。

「……五万ゴールドか」

ラバァルは革袋を手に取り、窓辺へ歩み寄った。窓の外には、煌びやかでありながらどこか虚しさを感じさせるロットノットの夜景が広がっている。無数の灯りが地上を埋め尽くしているが、その一つ一つに人々の営みがあるという実感は、今のラバァルには希薄だった。

「この金があれば、ルカナンでどれだけのことができるだろうな…」

ふと、そんな考えが頭をよぎる。レクシアたちが運営する集会場の拡張、開墾地のさらなる整備、ささやかだが確かな暮らしの向上が目に浮かぶ。


しかし、その感傷は一瞬で霧散した。

「いや……足りん」

ラバァルは夜景を睨みつけ、革袋を強く握りしめた。

「こんなものでは、あの魑魅魍魎の様な連中と渡り合うには、まったく足りない。ムーメン、ゾンハーグ、アルメドラ…奴らを屈服させ、ルカナンを完全に守るには、もっと大きな力と、桁違いの金が必要だ。この街では、力がなければ奪われるだけだ。中途半端な感傷は、破滅を招く」

脳裏に、ルカナンの仲間たちの顔が次々と浮かんだ。必死に訓練に励むニコル、皮肉を言いながらも頼りになるシュツルム、そして太陽のような笑顔を見せるレクシア…。


「あいつらは…今の俺を見たら、何と言うだろうな…」

何時もの様に始末してしまわないやり方で組織を乗っ取り、裏社会の人間を従え、他人に対し非情な決断を下し始めている自分。価値観が、あの頃とは確実に変わり始めていることを自覚していた。

だが、ラバァルはその感傷を振り払うように、強く首を振る。


「…だが、俺がやらねば、誰がやる? 俺がここで退けば、あいつらの居場所が、あのささやかな光が、再び奪われることになる。そんな事は、絶対に許さん」

窓ガラスに映る自分の顔は、以前よりもいくらか険しさを増しているように見えた。周りには、ウィッシュボーンやベルコンスタンのような、恐怖や打算で従う者たちしかいない。かつての仲間たちのように、信頼して場を任せられる存在は、このロットノットにはまだいない。


ほんの僅かに沸いた小さな孤独感が、夜の闇のようにラバァルの心に浮かんでいた。

しかし、その僅かな孤独感は幼き日の頃を思い出し、何か新鮮さを感じさせていた、それは、彼を弱らせるのではなく、むしろ逆だった。失うものがない者の強さ、あるいは、守るべきもののために湧き出て来る覚悟。孤独は、彼のやるべき事をより硬く、より冷徹なものへと研ぎ澄ませていく。


「見ていろ…必ず、このロット・ノットの頂点に立ち。そして、ルカナンは…俺が守る」

ラバァルは静かに、しかし揺るぎない意志を込めて呟いた。窓の外の夜景は、彼の野心と決意を映すかのように、どこまでも深く、暗く広がっていた。彼は革袋をテーブルに戻すと、迷いを振り切るように、ベッドへと向かった。明日からは、さらなる情報収集と組織の強化、そして敵対勢力への本格的な介入が始まる。休んでいる暇はないだろう。




  

最後までよんでくださりありがとう、引き続き次話をみかけたら読んでみて下さい。

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