19.信じて
ロレッタが自分の意思で落ちたと証言したのは、ステラ・カルディアだった。
彼女は私のクラスメイトではあるが、直接話したことは無い。
殆ど接点の無い彼女が、どうして私の為に証言してくれたのかは分からなかったが、その一言で少しだけ心が救われた気がした。
ステラの発言で辺りは再びざわざわと騒がしくなっていった。
「貴女、何を言ってるの?私達は傍で見てたのっ! シンリーさんがロレッタ様を突き落とす所を!」
周囲がざわつき始めると、メアリーは慌てる様にステラに向かって叫んだ。
「落ちる直前に自分で保護魔法をかけてましたよね? 今もまだかかっている様だけど……」
「……っ!! 変な言いがかりをつけるのはやめて! 本当にシンリーさんが突き落としたのよっ!」
メアリーは指摘されると、興奮気味に私を指さした。
何が何でも私に突き落された事にしたいらしい。
(酷い、私は何もしてないのに……)
「それなら落ちた方の怪我の具合を見てみますか? 多分怪我なんて何もしてないと思いますが……」
「け、怪我ならしてるわ! だってロレッタ様…、すごく痛そうな顔をされていたものっ!」
それを見ていたロレッタは「メアリー、もう止めなさい」と止めさせた。
「私は本当にシンリーさんに突き落とされました。貴女がどこから見ていたかは知りませんが、私が嘘をついていると言いたいの?」
「私は見たままを話しただけです」
公爵令嬢であるロレッタを前にして、ステラは一切怯む態度は見せなかった。
それに比べてロレッタは、一切受け入れようとしないステラの態度に苛立っている様に見えた。
そして周囲はそんな二人のやり取りを息を呑みながら見守っている。
周囲は張り詰めた空気に纏われていたが、新たな人物の登場により再び周囲は騒めき始めた。
「一体これは何の騒ぎだ?」
そこに現れたのはルカルドだった。
「ルカルド様、聞いてくださいっ! 話していたら突然シンリーさんに階段から突き落とされたんです」
ロレッタはルカルドに気付くと、誰よりも先にルカルドに話しかけた。
「……シンリーが?」
ルカルドはその話を聞くと階段の上にいる私の方へと視線を向けた。
私はルカルドにだけは疑われたくなかった為すぐに口を開いた。
「違います! 私、そんなことなんてしてない。信じてくださいっ!」
私は必死な顔を浮かべながらルカルドに訴えかけていた。
「シンリーさん、嘘をつくなんて酷いわ。私の事を突き落としておいて何を言うの。ルカルド様、これがシンリーさんの本性です」
ロレッタは涙を浮かべながら、ルカルドの手に触れようとした。
「触るな」
ルカルドは軽蔑するような冷たい視線をロレッタに向けると、手を振り払った。
明らかに怒っている様な態度を見せるルカルドに、傍で見ていたロレッタは震えている様子だった。
ルカルドはロレッタから私の方に視線を移動させると、真直ぐに私を見つめて階段を上り近づいて来る。
「ルカ様、あのっ……私っ……」
「とりあえず、場所を変えよう。ここじゃまともに話も出来ないよな」
目の前にいるルカルドは私の知っているルカルドに戻っていた。
私は泣きそうになるのを耐えながら小さく頷いた。
するとルカルドは私の手を繋いで歩き始めた。
「シンリー、どこも怪我はないか?」
「はい……」
私が答えるとルカルドはほっとした様な表情をしていた。
***
私はルカルドに連れられて、連絡部屋に来ていた。
あんな騒ぎがあった後だから今日は授業を休むことにした。
部屋に入るとベンノがお茶の準備をしてくれた。
私の心が落ち着くまでルカルドは何も言わなかった。
私はお茶を飲みながら心を落ち着かせようとしていたが、鼓動はバクバクと激しく鳴っていた。
どうしよう。
ルカルドの態度を見ている限り普段と変わりないように見えるが、ロレッタはルカルドの婚約者候補の一人だ。
私が突き落とした訳では無いが、ルカルドはそれを信じてくれるのだろうか。
ただのクラスメイトの私と、婚約者候補のロレッタ、どちらの言葉を信じるのかと考えると不安でいっぱいになる。
さっきもすごい怖い顔をしてたけど、私が話したらルカルドは怒るのだろうか。
そんなことばかり考えていると、いつまで経っても言葉が出て来ない。
(怖い。それにルカ様にだけは嫌われたくないよ……)
私は顔を俯かせながらぎゅっと掌を握りしめていた。
「シンリー」
「は、はいっ」
そんな時、突然名前を呼ばれて私はドキッとして、顔を上げた。
「俺はシンリーに謝らないといけない事があるんだ」
「え?」
「この前、シンリーがクッキーを持って来てくれた時あっただろ。あの時、シンリーがロレッタ嬢に呼ばれている所を偶然見かけて気になって後を付けたんだ。その後起こった事も知ってる」
「……っ!」
(あの時、ルカ様に見られてた……?)
「――どうして何も言ってくれないんだ? あの後シンリーは何もなかった様に普通にしていたから正直戸惑った」
「半分残しておいたんです。だから大丈夫かなって。ちょっと見た目は悪かったけど……」
ルカルドは辛そうな表情をしていた。
その表情を見ると私のせいで心配させてしまったのだと気付き、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ルカルドの辛そうな顔を見ていると私まで胸が苦しくなり、そんな顔を見たく無くて私は笑って答えた。
「本当に、君はどうして……」
ルカルドは困った顔をして、ぼそっと呟いた。
だけどあまりにも小さい声で私の耳には届かなかった。
「さっきの事ですが、私本当に何もしてませんっ、あれは……」
そこまで言って私の言葉は止まってしまった。
ロレッタが私を嵌める為に自分で落ちた事を話してしまって良いのか迷っていた。
彼女はルカルドの婚約者だから…、きっとルカルドにとっては大切な人なのだろう。
「分かってるよ。シンリーは絶対にそんな事はしない」
ルカルドは考える素振りも見せずに当然の様に言った。
(私の事を信じてくれるの?)
その言葉を聞いて胸の奥がじわじわと熱くなっていく。
目元が若干潤んで泣きそうになったが、そこは掌をぎゅっと握って必死に耐えていた。
どうしよう、すごく嬉しい。
婚約者候補であるロレッタよりも私の事を信じてくれるの?
「それにロレッタ嬢にあんな行動を取らせた原因は恐らく俺にある。シンリーを巻き込んでしまって本当にごめんな。だけど、一つだけ言わせてもらってもいいか?」
「なんですか?」
「もっと俺を頼って欲しい。シンリーは何も話してくれないから心配になる。俺はシンリーの友人だろ?だからなんでも話して欲しい」
「……」
ルカルドは切なそうな表情で言った。
本気で心配してくれてる事が伝わって来て胸の奥が熱くなる。
ルカルドが私の為にそう言ってくれるのはすごく嬉しかった。
だけど『友人』と言われて、胸の奥が痛くなった。
私はルカルドにとって『友人』
ルカルドと一緒にいると、それだけで私は安心出来る。
身分なんか気にせず普通に接してくれるから、私も気付けば素で話してしまう。
学園生活がこんなにも楽しいって思えるのは全部ルカルドのおかげだと思う。
だから思ってしまう。
嫌われたくない、この関係を壊したくない、と。
ルカルドが私をラヴィニアに重ねて見ている事は知っている。
私はラヴィニアについては多くは知らないけど、傍にいられるならラヴィニアを演じても良いと思ってしまった。
それで今の様に傍にいられるのなら、それでも構わない。
その時、私はルカルドの事が好きなんだと気付いた。
叶わない恋だと言う事は分かっている。
だけど今だけは、この学園にいる間だけは好きでいることを許して欲しい。
一方通行のこの思いは私の胸の中だけに留めておくから。
だから私は今まで通りの強いシンリーでいよう、そう心に決めた。
「ルカ様は心配性ですねっ、私ならあれくらい大丈夫です。だけど私の事を信じてくれて嬉しいです。ありがとうございますっ! 本当に辛くなった時は、その時は相談しますね!友人として……」
私はそう笑顔で答えた。