18.悪意
それはある日の朝の出来事だった。
私はいつものように起きて、準備を済ませると部屋を出た。
寮がある部屋から教室まで、いつも通りの道を歩いているとロレッタに引き留められた。
そこに居たのはロレッタだけではなく、友人であるメアリーとシルヴィアの姿もあった。
嫌な予感がして私の表情は強張った。
「シンリーさん、ちょっと今宜しいかしら?」
「……はい」
本当は話したく無かったけど断る理由も見つからなかった為、渋々付いて行くことにした。
ロレッタが私に対して敵意を持っているのは、この前のことで分かっている。
そして後ろにいる二人も同様である事も。
きっと今日も何かされる、そんな予感がしていた。
「この前のお詫びに、焼き菓子の詰め合わせを持ってきたの」
ロレッタは普段通りの口調で言うと、メアリーは手に持っていた紙袋を私に手渡してきた。
「気を遣って頂かなくても大丈夫でしたのに……」
「そんなわけにはいかないわ。私は借りは作りたくないの。それに本当に申し訳なく思っているのよ」
ロレッタは表情を歪めて申し訳なさそうな面持ちで謝って来た。
だけどロレッタの本性を知ってしまった為、それは演技だとすぐに気付いた。
「今日はシンリーさんにお願いがあるの」
「お願い、ですか?」
「シンリーさんも知っている通り、もうすぐルカルド様の婚約者が決定するわ。選ばれるのは私だと思うけどね。その前にもう少しルカルド様とお話をする時間をつくりたいの」
「……」
婚約者と聞くと胸の奥がズキッと痛んだ。
「ねえ、シンリーさんはいつもルカルド様の傍にいるでしょ? だから、貴女からもお願いして頂けないかしら?」
「で、でも私は……」
「貴女からのお願いなら聞いてくれると思うの。だって、シンリーさんはルカルド様のお気に入りですものね?」
「そんなことは無いと思います。私はただのクラスメイトです。それに私は平民です、お願いなんて出来る立場ではありません」
私が困った顔をすると、ロレッタは一瞬驚いた顔を見せたと思ったら突然笑い出した。
「ふふふっ、そうだったわ。シンリーさんはただの平民だったわね。あらやだ、私すっかり忘れていたわ。ねえ、シンリーさん。貴女、優しいルカルド様に付け込んで何を企んでいらっしゃるの?」
「……企む?」
「とぼけなくてもいいわよ? だけど、違うと言うのならどうしていつもルカルド様に付き纏っているのかしら? きっとルカルド様だって貴女のようなただの平民に付き纏われて、迷惑だと思っているはずよ。優しいから言わないだけで」
「……っ」
「欲しいものがあるのなら私が買ってあげるわ。だからもうルカルド様に付き纏うのは止めて頂けないかしら?」
「平民が考えそうなことね、少し優しくされたからって図々しい。勘違いした挙句、それに付け込もうとするなんて酷い方ね」
ロレッタに同調する様に、シルヴィアが言った。
私は悔しくなり掌をぎゅっときつく握りしめた。
私がルカルドと対等な立場でない事なんて、言われなくたって分かっている。
その事を口に出されると分かっているからこそ、胸の奥が締め付けられる様に苦しく感じてしまう。
「これはお返しします。私は別に何かが欲しくてルカ様と一緒にいるわけではないので……」
私は持っていた紙袋をロレッタに押し返した。
「遠慮なさらなくていいのよ? シンリーさんにはこんな高価なお菓子、あまり買えないでしょ?」
ロレッタは見下した様に言って来たので、さすがに私もイラっとした。
思わず睨むとロレッタは「まぁ、怖い」とわざとらしく答えた。
もう関わりたくないと思い、その場を立ち去ろうとすると突然メアリーに腕を掴まれた。
私が必死に抵抗しようとしている中、ロレッタは目の前にある階段の方へと向かった。
階段の前に立ち止まって、何か魔法を唱えている様子だった。
一体何をしようとしているのか不思議に思っていたが、次の瞬間ロレッタの体が揺らめいた。
「……っ!!」
私は反射的にロレッタに向けて手を伸ばそうとするも間に合わず、ロレッタは階段をそのまま転げ落ちていった。
そしてそれから暫くして、私の傍に居たメアリーとシルヴィアが突然大声で『きゃあっ!!』と叫び出した。
私はその叫び声にビクッと体を震えるものの、今の目の前で起こっている状況に頭の中が真っ白になり、ただ茫然としてその場に立ち尽くしているだけだった。
そんな私を無視して、二人は慌てて下にいるロレッタの元へと駆け寄って行った。
あとはその叫び声を聞きつけて、人が集まり始めていく。
丁度皆が移動する時間帯だった為、ロレッタ達を取り囲む様に徐々に人が集まり始め、ざわざわとし始めていた。
そんな頃になって漸く私は我に返った。
「ロレッタ様、大丈夫ですかっ?」
「うっ……、痛い。酷いわ、シンリーさん……」
ロレッタは顔を歪めながら、階段の上にいる私に向かってそう言った。
「え……?」
私は何が起こっているのか暫く理解が出来なかった。
だけど人が集まり始めて、私に冷たい視線が送られるようになり、それで漸く何が起こっているのか分かり始めてきた。
ロレッタは自らの意思で階段から落ちていった。
それはこの目でしっかりと見ていたから間違いないはずだ。
傍に居たはずの二人もそれを目撃していたはずだ。
それなのにその事は一切言わず、階段の下から私の事を睨みつけている。
その姿を見た時に私を陥れる為にしたことなのだと気付いた。
ロレッタは落ちる前に何か魔法を唱えていた。
それは恐らく衝撃を和らげるためのものなのだろう。
最初からこうすることを計画していたのだろう。
私は完全に嵌められた。
ロレッタの言葉で周りは私が突き落としたと思っている様子だった。
『違う』と叫びたいのに怖くて体が震えて声が出て来ない。
このままだと、本当に私がやったと周りには思われてしまう。
(どうしよう……)
そう思い始めた時だった。
「私、彼女が自らの意思で落ちて行くの見ました!」