悪役令嬢はがっかりした
思えば短い平穏だった。
その“衝撃のニュース”は、自ら私のもとに飛び込んできた。
「それでねぇ、ひどいんですよぉトリスタンってばぁ」
「そう」
「イルゼなら出来てたのにとかぁ、イルゼはやっていたとかぁ。イルゼイルゼイルゼイルゼって。ぜぇんぶイルゼさんと比べるんですよぉ。ひどくないですかぁ!?」
「そうね」
ぷりぷり憤慨しながらエステルが言う。
私は無表情に頷くしか出来なかった。
どうしたら婚約者を奪った相手に婚約者と別れた理由を報告しようって思考回路になれるのか。
まるで異次元の生物を見ているようだ。
「それにそれにぃ、トリスタンのお母様がすごぉくこわくってぇ。私何度も泣いちゃったんですぅ」
「そうなの」
「なのにトリスタンったらぁ、母はキミのためを思って言ってるんだよって全然庇ってくれないんですぅ!」
「大変ね」
なんだかんだと理由をつけているけれど、たぶん婚約者持ちという難関をクリアしたらそこで満足してしまったのだろう。
いつか飽きるんだろうなとは思っていたが、一ヵ月しかもたないのは流石に予想外だった。
トリスタンは性悪女にあっさり捨てられて、見る影もないくらい落ちぶれているらしい。
「聞いてますぅ!?」
「そうね」
短い休み時間とは言え貴重な勉強時間だ。
エステルに至極適当な相槌を打ちながらも学習の手は休めない。
彼女を無視することはもう諦めた。
追い払っても追い払っても近寄ってくるこのタフさはなんなのだろう。
程々に相手にして満足するまで喋らせるのが一番早く終わることに気付いてからは、目も合わせずにイエスマンに徹している。
「それでぇ、トリスタンがぁ、」
頼むから早く自分のクラスに帰ってくれ。
* * *
「今回も私の勝ちみたいね」
「十五点差じゃないか。誤差の範囲だな」
「その誤差が積み重なって大きな差になるんじゃなくて?」
廊下に貼りだされた順位表の前で、仲の良い友人であり良きライバルでもあるアルバートと並んで話す。
冷静で頭脳明晰。
入学時から学年首席を争う仲で、互いの才能を認め合っている。
だがここのところ私の中での彼の評価は駄々下がりだ。
「イルゼさぁん、私のおはなし聞いてくださぁい」
「お断りします」
「ひどぉい!」
「おいおい友人なのだろう? 可哀想じゃないか」
突如湧いて出たエステルに素気無く答えると、アルバートが苦笑しながら私を宥めた。
「おいでエステル。イルゼは勝利の余韻に浸りたいようだ」
「えぇ~んあるばーとぉ~」
泣き真似をしてひっつくエステルの頭を、アルバートがヨシヨシと撫でる。
その光景を私は白けきった目で見ることしか出来なかった。
放課後とは言え、まだまだ人通りは多い。
堂々とこういうことを出来るのは、お互いやましいことがまだないからか、単純に恥じらいがないからか。
トリスタンと別れたと聞いたのが二週間前。
その二週間後の今でこれだ。
トリスタンと別れた報告に来て以来、エステルはすっかり友人気取りだ。
どうせ新しい男をゲットするためにまた私を引き立て役にしようという算段だろう。
手掛けている商売の関係で、貴族間で顔が広い私を利用しようとしているのもあるかもしれない。
そこで早速、定期考査を前に図書館で一緒に勉強して切磋琢磨していたアルバートに目を付けた。
今度はいじめられて可哀想な自分演出ではなく、友人の友人は友人という構図を描いて近付こうとしているらしい。
よくそんな図々しい計画を思いつけるな。
トリスタンとの門出を祝ったのを、この子の単純な脳味噌は本気で好意で譲ったと勘違いでもしたのだろうか。
アルバートは一見気難しく神経質な男に見えるため、近寄りがたい雰囲気をしている。
将来有望な貴族家の長男で、整った容姿をしているというのに女生徒には怖がられ、まともに話せる女子は成績で競い合える私くらいのものだった。
おかげで噂話も耳に入らないようで、エステルが私の婚約者を奪ったうえで捨てた女だという話も知らないようだ。
落とす気満々で近付いてきたエステルの存在が、勉強一筋に生きてきた彼の情緒に大きな衝撃を与えるのは当然の結果といえた。
「ふふ、エステルはすぐ泣くんだから」
「だってぇ~~」
鼻にかかったような甘ったるい声に、アルバートが頬を緩める。
「すごいデレデレだね」
「女性に免疫がないからかしら」
「お嬢とは普通だったのに」
「アルバートは私を女として見てないもの」
「ああ。完全にライバルとして張り合ってるもんね……」
この通り、冷静沈着で成績優秀な友人は、すっかりエステルに夢中になってしまった。
所詮アルバートもその程度だったのかと思うと、彼への好感度は急降下したのだった。