悪役令嬢は肩を落とした
そんな悪だくみをした翌日のことだった。
「やぁイルゼ」
元婚約者であるところのトリスタンが爽やかな笑顔で寄ってきた。
当然のような動作で馴れ馴れしく腰を抱こうとする手を、ヨシュアがさりげなく外してくれた。
ムッとした顔のトリスタンが、すぐに気を取り直したように笑みを浮かべる。
「今日もいい天気だね」
「曇っていますわ」
的外れな挨拶に白けた顔で返す。
なんの用だこいつ。
先日のことを詫びにでも来たのだろうか。
先に父親との連名で詫び状が来ていたけれど、その間近寄ってこなかったくせに今更。
どうせ手紙に絆されてほとぼりが冷めるのを待っていたのだろう。
パパの力を借りないと謝ることも出来ない男なんてマジでいらないんだけど。
「何か御用でしょうか」
「そろそろキミの頭も冷えた頃だろうと思ってね」
しかもなんか上からだし。
どういう思考回路してるんだろう。
「どうだい、素直に謝れば僕から父にとりなしてあげるよ」
「救いようのない馬鹿だね」
ヨシュアが小声で私の心を代弁してくれる。
「一度の過ちくらい許すとも。僕は心が広いからね」
「わぁ寛大なご配慮ですこと。嬉しいわぁ」
「お嬢、目も口も笑ってない」
それは真顔というのだ。
もちろん上っ面だけでも笑顔を見せてやる義理はない。
「僕があんなことを言って傷付いたのだろう? だからあんな態度を取ってしまったんだよね。意地悪を言ってキミの反応を見たかっただけなんだ。そしてキミは見事期待に応えてくれた。だから今度は僕がキミの愛に応えたいんだ」
頭の中に麩菓子でも詰まってるのかな?
どうせ父親にせっつかれて機嫌を取れとでも言われたんだろうけど、完全なる逆効果だ。
「あのね、トリスタン。ずっとあなたに言いたいと思っていたのだけど」
「なんだ!?」
期待に満ちた顔。
頭蓋骨まで麩菓子で出来てるのかもしれない。
「私、あなたを好きだったことなんて一度もないの。身の程を知って?」
私の言葉を上手く理解できなかったのか、トリスタンが呆けた顔のまま固まった。
「お嬢、オブラート破れてる」
「ハナから包んでないわ。オブラートだってタダじゃないのよもったいない」
「イルゼさんひどぉい!」
唐突な割り込みに振り返る。
そこには涙目で両手をグーにして口許に当てて震えているエステルがいた。
「うわ出た」
「いつもどっから湧いてくるのこの子」
「あのポーズって何か意味あるのかな」
「小動物感を出して男どもの庇護欲をそそるために必要なのよ」
露骨に嫌な顔をする私達に構いもせずに、エステルはトリスタンの元に走り寄る。
「だいじょぉぶ? トリスタン!」
それからトリスタンの袖をついと掴んで、上目遣い全開でトリスタンを慰め始めた。
「俺やっぱめっちゃ似てたね?」
「一瞬あんたが言ったのかと思ったわ」
二人の世界を作るエステルたちに冷めた視線を送りつつ、ヨシュアと笑い合う。
それが気に食わなかったのか、エステルが涙目のままキッと睨んで来た。
「これ以上トリスタンを傷付けないでください! 彼はずっと悩んでたんですぅ!」
「今日の夕飯何かなとか、そういう悩み?」
何せ脳味噌の容量が少ない男だ。
さぞ底の浅い悩みだったに違いない。
「違いますぅ! 最近イルゼさんが冷たいから、いつか見返してやりたいって!」
「その手段があの茶番劇ですの?」
「茶番劇だなんてひどぉい!」
「ひどぉい!」
物真似のコツを掴もうとしているのか、ヨシュアが小声で繰り返す。
笑うからやめてほしい。ポーズまで真似するな。
「トリスタンはイルゼさんに見下されるような人じゃないんです! こんなに素晴らしい人なのに!」
「エステル……!」
全力で無根拠に肯定してくれるエステルを見て、トリスタンが感極まったように呟いた。
素晴らしいのは肩書と外側だけで、中身はスカスカの麩菓子なんだけど。
「公衆の面前で婚約破棄を言い渡すのが、素晴らしいお方のされることですか?」
「うっ、そ、それは……」
トリスタンが馬鹿正直に怯む。
今日までに散々父親にお説教されたことだろう。目立つことはするなと。
今だって学校の廊下だ。好奇の目はあちこちから向けられている。
エステルの声のボリュームが無駄に大きいせいで、物見高い生徒はわざわざ遠くから寄ってきて見物している始末だ。
もちろんエステルは注目を集めることを目的としてやっているのだろう。
自分に向く視線が増えるほど、悲劇のヒロインぶりに熱が入る仕組みだ。
「そもそも婚約者のある身でありながら他の女性と二人きりでお悩み相談とは、信義に悖る行為ではなくて?」
「べっ、別にやましいものでは……」
「そちらの杜撰な捏造証拠とは違って、こちらにはきちんと証人がおります。随分親密な雰囲気だったそうではないですか」
微笑みながら言うと、トリスタンとエステルが同時にたじろいだ。
なるほど。今のこの顔が悪人面というわけね。
気付いて確認のためヨシュアを見ると、「最高です」と囁いて深く頷いた。
何かが彼の琴線に触れるらしい。
「ただお友達としてお話をしていただけですぅ! どぉしてそんな言い方するんですかぁ!?」
「指を絡めて見つめ合うお友達とは? 肩に頭を乗せてどんなお話を?」
「なっ、ど、どうしてそれをっ」
淡々と事実を話すと、トリスタンが明らかに動揺した。
目撃証言なんて、せいぜい誰もいない教室で二人きりでいたとかその程度だと思っていたのだろう。
まさかわざわざ知り合いの目を避けて遠出した先での密会を、偶然親戚の家に行っていた生徒に見られていたなんて、考えもしなかったに違いない。
「人違いだもんっ! 私、教会跡になんて行ってないもん!」
「そそそうだ! メーアティスになど誰が!」
いやお似合いの馬鹿。
語るに落ちるとはこのことか。
「お嬢、この二人と話してると自分たちまで馬鹿になってくる気しない?」
「する。早急に離脱したいわ」
こいつら相手にする価値って本当にあるのかしら。
やる気の萎えかけた私の肩を、慰めるようにヨシュアの手がポンと叩いた。