悪役令嬢は楽しくなってきた
「些末、ですかぁ……」
「ああ意味が解らなかったかしら? 全く重要でない、とても小さなこと、という意味よ」
思っていた反応と違っていたのか、ムッとした顔のエステルに追い打ちをかける。
彼女はあまり、いやだいぶ、学業の成績が良くないのだ。
さすがに些末の意味くらいは知っているだろうが、馬鹿にされたことに気付いて悔しそうな顔をした。
「些末って、婚約破棄がですか?」
語尾を伸ばすのも忘れてエステルが声を鋭くする。
「婚約破棄!?」
案の定友人が目を丸くした。
どこか楽しそうに見えるのは気のせいではないはずだ。
「うわ、結局自分から言ったし」
ヨシュアが引き気味に言う。
あくまでも私にだけ聞こえる声で。
笑いそうになるからやめてほしい。
「ああそんなこともあったかしら。え? 大変なことってもしかしてそれですの?」
思い出したように言って鼻で笑う。
今までこんな露骨に悪意で返したことがないからだろう、エステルがわずかに怯んだ。
「いやですわごめんなさい。厄介事が片付いて浮かれていたみたい。すっかり忘れておりましたわ」
「厄介事ってまさかトリスタンのことですか!?」
はい呼び捨て出た。
普通本人の前で婚約者の名前呼び捨てにしないよね。
常識なさすぎ。
いや、解っててあえて呼び捨てなんだろうけど。
貴族も庶民も壁を作らず、屈託なくて人懐こいエステルちゃんだから。
つくづく嫌な女だ。
「イルゼさんひどい! そんなだからトリスタンは……!」
あらあらなんだか被害者面で喚いていますこと。
トリスタンはもう自分のものみたいな態度ね。
そうしていつも、隙あらば私の発言をいじめっ子フィルターにかけて大袈裟に嘆いてみせる。
前は商売に差し障ると思って、些細なことでも被害者ぶる彼女に「そんなつもりじゃなかったのよ」とフォローを入れたりしていたけど、もう知るか。
地盤を固めてだいぶ安定したし、なんならこっちには炎上商法っていう手法もあるのよ。
「私に唆されて婚約破棄を言い出したんです、って?」
「なっ、」
ぎくりとした顔でエステルが固まる。
友人はもはや口出し出来る雰囲気ではないと悟ったのか、好奇心旺盛な顔で事の成り行きを見守っていた。
「わたしっ、そんなことしませぇん!」
友人の視線に気付いたのか、唐突にキャラを思い出して泣き始める。
自由自在に涙を流せるのもこの女の特徴だ。
「イルゼさんひどぉい! トリスタンは悩み事を打ち明けてくれただけだもん! それのなにがいけないの!?」
「そっ、そうだよイルゼ! なんでそんな言いがかりを、」
友人が焦ったように言ってエステルを背後に庇う。
泰然と冷笑を浮かべる私とグズグズ泣きながら怯える彼女。
どっちが弱いか一目瞭然だろう。
周囲がにわかに騒然となる。
私に対する非難めいた声が小さく聞こえた。
エステルが大きな声を出したのはこれが狙いだろう。
いつもこうだ。
私が睨んだとか、私がひどいことを言うとか。
ないことないこと吹聴しては周囲の同情を誘うのだ。
小さく嘆息する。
付き合っていられない。
「行きましょう、ヨシュア」
「はぁい」
「待て! まだ話は終わって、」
正義に燃えた友人が、背を向け去ろうとする私の手首を掴んだ。
その瞬間、ヨシュアが友人の手を捩じり上げる。
「ぐ、あっ」
友人が呻いた。
周囲の女生徒が悲鳴を上げた。
顔を歪めて友人が膝をつく。
ヨシュアの力は相当強いから、かなり痛いはずだ。
「お嬢に触ったら許さないから」
切れ長の目を細めて凄む。
言葉は柔らかいが、常人にはない迫力があった。
下手なことを言えばそのまま腕をへし折られそうな怖さがある。
「す、すまん、つい手が出ただけなんだ」
「うん。出さないで。二度と」
涙目になる友人に、ヨシュアが冷静に頷く。
「やめてぇ! わたしが悪いのぉ!」
うん、悪いのはもちろんアンタ。
口ばっかりで、全然そう思ってなさそうだけど。
「ごめんなさいね、うちの護衛は私のこととなると容赦がないの」
おざなりに謝ってヨシュアの腕を引く。
あっさりと友人の手を離したヨシュアは、素直に私についてきた。
ざわめきを残してその場を去る。
本当はヒールを高らかに鳴らしながら歩きたいところだけど、学校の廊下ではどうせあまり様にならない。
「……お嬢、闘うの?」
人波が途絶えて静かになった廊下で。
何かを察したのか、面白そうな様子のヨシュアに笑みを返す。
「そうね。だってちょっと楽しいじゃない」
腹立ち紛れの開き直りだったけれど。
この日、悪役ポジションは存外気持ちの良いものだと知ったのだった。