悪役令嬢はゲームと現実の差を知った
前世の記憶があると気付いたのは生まれてすぐ。
言葉を発することも出来ない赤子なのに、いろいろなことを覚えていた。
生前好きだった乙女ゲームの世界だと気付いたのは七歳の時。
トリスタンと婚約した時期だ。
自分の名前とトリスタンの存在。
それが結びついた時、私はそのゲームの悪役令嬢ポジションであることを自覚した。
貧乏貴族だったイルゼは、金持ち侯爵家のトリスタンと婚約したことにより、自分も金持ちになったのだと錯覚し始めた。
そしてトリスタンの家の権力を笠に着て、好き放題するようになるのだ。
それからトリスタンと進学した高校に、庶民のヒロイン・エステルが入学してくる。
高慢ちきなイルゼに嫌気がさしていたトリスタンは、可憐で素直なヒロインに癒されだんだんと心を惹かれていく。
ヒロインの存在が気に食わないイルゼは、彼女に滅茶苦茶な嫌がらせをしてトリスタンを取り返そうとした。
その結果イルゼは婚約を破棄されて路頭に迷うというストーリーだ。
だが現実はそうならなかった。
彼の家の財力が必要だったのは私がもっとずっと幼かった頃のこと。
流石に十歳にもならない子供が家の商売に関わることも出来ず、傾き続ける実家を支えるために身売り同然に侯爵家との結婚を決めた。
ここまではゲームの設定と同じだ。
だが十二で実家の家業の経営陣に参席してからは、バリバリ経営の立て直しを図った。
私には前世の記憶という武器がある。
別世界の、ここより高度な文明が発展した国だった。
大学で経済学や経営学を学んだ私の知識は、何世代も前の文明レベルのこの世界で充分に通用した。
そこから一気に商才に目覚め、十六にして女性実業家となっていた。
おかげであっという間に侯爵家からの借金を返済し、むしろこっちの方が立場的に強くなっていた。
それをあの馬鹿は知らされていなかったのだろう。
だからあんな強気に出られたのだ。
あるいは聞かされていたのに頭を素通りしていったか。
後者の方が可能性は高い気がするが、もはやどちらでもいい。
たぶん、婚約破棄も本気ではなかったはずだ。
おそらく狼狽える私を見て、自分の方が立場が強いのだと思い知りたかっただけ。
泣いて縋る姿でも想像したのだろう。
馬鹿だ。
おそらくエステルとはまだ付き合ってもいない。
さすがに二股をする度胸はないだろうから。
あいつはあとであれの父親にこってり絞られることだろう。
それで父親同伴で謝罪しに来る。
昔世話になった手前、一応話し合いの場には応じるつもりだ。
なんなら慰謝料を免除してやってもいい。
だけど絶対に婚約破棄の撤回には承諾する気はなかった。
弱みがあっての婚約だったから、断る理由を探していたところだったのだ。
公衆の面前での婚約破棄宣言なんて最高だ。
まさかあいつがあんな愚行に走ってくれるなんて。
これで恙なく婚約破棄が出来ることだろう。
あれの父親がごねるようなら、向こう三年くらいは無制限で融資を約束してもいい。
それにしてもあの女。
婚約者である私の前で、堂々とトリスタンにちょっかいをかけていたエステル。
エステルがトリスタンを狙っているのは明らかだった。
しかもあからさまに私に敵意を向けて。
なんだこの女と思いつつスルーしていたが、まさかここまでしてくるとは。
たぶん今回のことも、彼女が上手くあのアホを誘導したのだろう。
たまにはちょっとくらい強気に出た方がいいわ! なんて言って。
今回は結果的に私の得になったけれど、恥をかかせる気だったに違いない。
タチの悪い企みだ。
明日以降、もしまだ絡んでくるならば。
そろそろ本気で相手をしなくてはならないようだ。
私が通う学校は、貴族だろうと庶民だろうと優秀であれば受け入れる寛容なところだ。
もちろん人間性も重視される。
そのため、貴族・庶民間にほとんど軋轢もなく、一応貴族クラスと庶民クラスに分かれていたけれど比較的両者間の仲は良い。
落ち着いた校風のせいか、理性的な人間が多い気がする。
そんな中、エステルという少女は他の女子とは少し違っていた。
ほんわかした雰囲気に柔らかい笑顔、そしておっちょこちょい。
表情がコロコロ変わって、泣いたり笑ったりが忙しい。
彼女はあっという間に男子生徒のアイドル的存在になった。
あらかじめゲームで彼女の前情報を知っていた私は、特に驚きもなく彼女を傍観した。
男子生徒のように熱狂するでもなく、他の女子生徒のように嫌悪感を持つでもなく、ただ関わらないようにしていた。
学生業の傍ら、事業を拡大するので忙しかったというのもある。
だけどそれ以上に、トリスタンと上手くいって欲しかった。
その頃にはもう打算だけの婚約者は、もはや不要の存在となっていたから。
持っていきたいのなら好きに持っていってほしい。
もともとエステルとトリスタンがくっつくのが正規ルートである世界だ。
私がいない方がスムーズに話が進むはず。
そう思ってエステルがトリスタンに近付いても無関心を貫いた。
それが気に食わなかったのだろうか。
理由はもはや分からない。
だがとにかく、私はエステルに嫌われてしまったらしい。
今やトリスタンに関わりのないところでも、彼女はやたら私に絡んでくるようになってしまった。
――ほら、今日もまた。