悪役令嬢には罪の意識などない
半月ほどの期間で下準備を済ませて、ついに計画を実行に移す日が来た。
ヨシュアの調べでは、エステルは新しい男に飽き始めていて次の男の物色を始めたところらしい。
なかなかいいタイミングだ。
早速トリスタンを探してヨシュアと校内をうろつく。
ほどなく前方に懐かしくもない顔を見つけて視線を向けると、何故か先にトリスタンが嬉しそうな顔で寄ってきた。
「ああトリスタン、探していたのよ」
「僕も探してたんだイルゼ! ああこれはやはり運命……」
何言ってんだこいつ。
酔ったような呟きに、すでに声を掛けたのを後悔し始める。
けれどこれも未来の自分のためだ。
がんばろう。
「話があるのだけどよろしくて?」
「僕もだ。同じ気持ちなんだね嬉しいよ」
んなわけねーだろお前と私の気持ちが重なったことなんて一度もねぇわ。
脳内で悪態をついて、こいつをどうにかしてくれという視線でヨシュアを振り返ろうとする。
その隙をついて、トリスタンがぎゅっと手を握ってきて反射的に正面に向き直る。
「結婚しよう、イルゼ」
真剣な声でトリスタンが言う。
さすがに予想外すぎて唖然としてしまった。
唐突な話についていけず目をぱちくりと瞬かせると、トリスタンが照れたように頬を染めて視線を逸らした。
「……僕にはキミしかいないということにようやく気付いたんだ。愛してるよイルゼ」
ヨシュアが無言でトリスタンの手を外し、自分のハンカチで私の手を拭ってくれる。
そのハンカチをまるで汚いものでも持つように摘まんで、きゅきゅっとトリスタンの胸ポケットに押し込んだ。
ナイスアシストだ。
それにしてもまた血迷ったこと言ってるなこの人。
思考回路どうなってるんだろう。
少し考えて、なるべくアホだと思う道筋を辿ってみるとすぐに答えは出た。
なるほど、エステルに捨てられたあと、私を捨てた理由もバレて他に女が寄り付かなくなったか。
それなら確かにもう選択肢は私しかないのかもしれない。
だけどそれでなんで私とヨリを戻せると思うのか。
自分が捨てたと思っているから、私にはまだトリスタンに未練があって復縁も簡単とか思ったんだろうな。
どこまでもイラつかせてくれる男だ。
「まぁおバカさんねトリスタン……あなたが愛してるのは私じゃなくて私の財力でしょう? そんなことで結婚を決めて本当にいいの? よく考えてごらんなさい。私がこの先あなたを愛することなんて一生ないのよ。もし万が一何かの罰ゲームで結婚することになったとしても、尊敬できるところが何一つないあなたを虫けらを見る目、ううん虫以下を見る目で見続けることになるわ? それであなたは本当に幸せかしら」
「え、あ、うん? 虫?」
勢いに任せて言うと、トリスタンは目を白黒させて首を傾げた。
すぐに喜んで承諾するとでも思っていたのだろう、予想外の展開についていけていないらしい。
少しトーンダウンしなくては。
「私思うの。あなたにはやっぱりジョーンズさんがお似合いよ。本当に愛してるのは彼女なのでしょう? 意地を張らずにもう一度告白してきなさいな」
「……だが、エステルは他の男と」
沈痛な顔をしてトリスタンが苦しげに言う。
フラれたのが余程こたえているらしい。
今まで親の権力を笠に着て、私をいいように振り回してきたから挫折を知らなかったのだろう。
エステルに感謝する気はなかったけれど、この十年間の溜飲が少しだけ下がったような気がした。
トリスタンのへこむ様を見て、晴れやかな気持ちで続ける。
ここからが私の頑張りどころだ。
「いい? トリスタン。彼女は何一つ洗練されていない田舎娘なのよ。貴族の男に言い寄られて舞い上がってしまっても仕方ないわ。でも彼女、今とても落ち込んでいるの。貴族連中に弄ばれて身も心もボロボロよ。付け入、ううん男を上げるのなら今よ。彼女を慰めて優しくしなさい。思い出して彼女との幸せな日々を。何の根拠もない褒め言葉で良い気になっていたあの頃を。彼女の計算しつくされた完璧なほんわか笑顔に癒されていたでしょう。過剰なボディタッチに浮かれていたでしょう」
真顔で力説してみせると、トリスタンの目に少しずつ光が戻り始めた。
正直、自分で言っててなんだが何故これで励まされるのか不思議だ。
「ジョーンズさんは華やかな都会の暮らしに憧れているのよ。あなたならそれを叶えられるでしょう? 高級住宅街の立派なお屋敷ですもの。キミだけ特別だよっておうちに呼んで差し上げたら? ついでにネックレスなんかプレゼントしてあげるといいと思う。きっと喜ぶわ」
「だが我が家の経済状況が少し、その……」
さすがにクロイド家の財政が少し傾き始めているのを感じているらしい。
ちょっとびっくりだ。
どうせ小遣い減らされたからとかそんな程度の気付きだろうけども。
その小遣い減らされた理由も私との婚約破棄が原因だろうけども。
「そんなの心配しないで。お父上とはすでに話がついているわ。私がいくらでも融資してあげる」
期限付きだけど、とは言わずに優しく微笑む。
計画実行の前にトリスタンの父親と話したのは事実だ。いろいろな条件を付け足して、一見クロイド家に有利なように、その実私に都合のいいように契約を決めてきた。
「そのお金でジョーンズさんの心を掴んで、見事に結婚出来たらあなたが跡を継いで建て直せばいいじゃない。あなたなら出来るわ。その無駄な自信を振りかざして真っ直ぐ突き進んでちょうだい。頼りがいのある男に見せかけることが出来ればジョーンズさんだってきっとついてきてくれるわ」
「かなり本音が駄々漏れてるよお嬢……」
呆れ半分心配半分にヨシュアが呟く。
大丈夫、だって相手はトリスタンだ。
女は金で釣れると思っているような男だし、自分自身にも価値があると信じて疑わない。
要はおめでたいのだ。
「元婚約者のよしみであなたにも個人的に融資してあげるから、サニー・フィルストン宝飾店の指輪を買ってプロポーズするのよ。女性の夢だもの。そうすれば彼女だって心を動かされるはず。あなたの誠意を感じて泣いて喜ぶに違いないわ」
フィルストンは国内有数の高級宝飾店だ。
最高級の石と優れたデザイナーの作る指輪だ、もちろんべらぼうに値が張る。
貴族とは言え、一学生であるトリスタンの小遣い程度では手の届かない代物だ。
だからこそ恋人からのプレゼントでこの指輪を身に着けるのは一種のステイタスだ。間違いなくエステルの心は動く。
もちろんトリスタンのペラペラの誠意にではなく、まやかしの財力にだけど。
「そ、そうだろうか」
「当然よ。かつて愛し合った仲でしょう。絶対に取り戻せるわ彼女の心を」
確信に満ちた口調で保証してやると、俄然やる気を出したのかトリスタンの目が輝き始めた。
まったく単純この上ない。
「ありがとうイルゼ! キミのおかげで自信が取り戻せたよ!」
根拠のない自信をどう取り戻すのかはわからないけれど、元気が出たのはいいことだ。
自信に満ち溢れたトリスタンは、確かに一見魅力的に見えるのだから。
「……この人全然お嬢の言葉のトゲに気付いてないね」
「面白い人よね」
直接関わらないでいられれば、だけど。
慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、エステル奪還のための相談はいつでも受けるわとトリスタンに約束する。
まんまと騙されてくれるトリスタンには、やはり少しの罪悪感もわかなかった。