悪役令嬢は婚約破棄を受け入れる
「イルゼ。キミは僕の言うことをなんでも聞くと言ったよね」
王国主催のダンスパーティーの会場は華やかで、調度品も食事も品よく綺麗に飾り付けられている。
目にも舌にも嬉しい会場を楽しんでいた時、連れである婚約者のトリスタンがおもむろに切り出した。
「もちろん。婚約したときに誓いましたもの」
トリスタンの質問に微笑んで答える。
七歳の時の話だ。
正確にはトリスタンのお父上との誓いであるのだけど。
「じゃあちゃんと聞いてくれ。いいかい?」
「ええどうぞ」
とっておきの話でもするようにトリスタンが興奮した顔で言う。
どうせロクな話じゃない。
「キミとの婚約を破棄する!」
「あら喜んで。話はそれだけですの?」
「……え?」
笑みを崩さず承諾した私とは対照的に、トリスタンは得意げな表情を曇らせた。
周囲で聞き耳を立てていた客人たちがざわつく。
予想外の返事だったのだろう。
だけど私は強がりでもなんでもなく、本心から今の言葉を発した。
だってゲームの時は天真爛漫ワンコ属性可愛いって思えたけど、リアルで見ると直情型で考えなしのおバカさんなんだもの。
十代前半でそれならいいけど、さすがに十七で馬鹿は困る。
私の手を煩わせずに婚約解消出来るなら万々歳だ。
「ちなみに理由をお聞きしても?」
なんとなく気になって問う。
婚約破棄は望むところだが、急にどうしたのだろう。
その質問に、トリスタンが気を取り直したように笑顔を見せた。
本当は私が婚約破棄を嫌がっているとでも思ったのだろう。
そのポジティブ思考はちょっと見習いたい。
「キミがいじめをするような卑怯な女性だからだ!」
いやドヤ顔うざいな。
「いじめ? 心当たりがないのですが」
本気でない。
だってそんな無益なことをするヒマなんてない。
「心当たりがないとは言わせない! 女生徒をいじめていたと証言があるんだ!」
いやもう心当たりないって先に言ったし。
なんだこいつ。
人の話を聞け。
たぶん自分で一生懸命考えたつまらない台本があるんだろう。
それ通りにこなすので必死なのだ。
臨機応変とかいう言葉は知らないらしい。
頭の容量小さそうだしな。
「証言とは? どなたがそんなことを仰っていたのです」
「それはエステル、いや、誰かなんてどうでもいい!」
「いいわけありません。そこをハッキリしていただかないことには冤罪作り放題ですよね」
ホント馬鹿。それに今こいつ名前言ってたぞ。
しかもその名前。
私の大嫌いな女の名前じゃないの。
「なに!? 貴様、彼女を嘘つき呼ばわりする気か!?」
いやだから。
証言者秘密って設定なのに性別特定出来るようなこと言うな馬鹿。
重いため息をつく。
なんだか頭が痛くなってきた。
「……それで? エステルさんは私が誰をいじめたと言っているのです?」
「だからエステル自身を、」
まんまと引っかかってハッキリ名前を言ったことに気付いて、ハッとした顔をする。
おせーわ馬鹿。
「へぇ。エステルさんがエステルさんをいじめていた人間の証言をご自分でされた、と。しかもいじめをした人間の婚約者に。結構度胸ありますね。そんな図太い人が果たして大人しくいじめられますかね?」
「彼女の名前をキミが出した時点で真実だという証拠だ! 心当たりがあるからその名を出したのだろう!」
いやだからあんたが最初に名前言ったんだっての。
「他にも証拠は山ほどある!」
「例えば?」
「彼女の腕につけられた傷だ」
「それを私が付けたという証拠は?」
「……ない、が、探せば目撃者がいるはずだ」
「いたとしても私はやっていないので確実に偽証ですけどね。他には?」
「ビリビリに破られたノートや教科書がある!」
「だからそれを私がやったという証拠は?」
「ぐっ……、それはあとから探す!」
そういうの捏造っていうのでは。
要するにいじめられてたっぽい小道具はあるけれどそれを私がやったという確たる証拠はないらしい。
ホントお粗末。
単純馬鹿にもほどがある。
おおかたエステルが仕込んだのだろう。
それで彼女に泣きつかれて、丸ごと信じてこの暴挙に出たのだろう。
しかもたぶんこんな公の場でぶちまけたのは、あの女の差し金に違いない。
あの女、マジでいつか絶対泣かす。
「私を陥れるための強力な証拠とやらはそれでおしまいですの?」
「お嬢、それくらいにしといてやったら?」
「ええ? イヤよ、ようやくちょっと面白くなってきたところなのに」
反論できず涙目のトリスタンに少し溜飲が下がってきたところだと言うのに、従者兼護衛のヨシュアに止められる。
一応身分的には私より下だけど、物心ついた頃から一緒にいるから気安いものだ。
「……まぁいいわ。私がいじめの犯人だと断定できる証拠が出てきたら教えてちょうだいね」
楽しみにしているわ、と優雅に微笑み一礼する。
「あ、そうそう」
思い出して踵を返そうとした足を止める。
「婚約破棄でしたわね。手続きはこちらでしておきますわ。あなたと結婚しなくてもこちらには露ほどもダメージはありませんの」
ではごきげんよう。
今度こそ背中を向けて歩き出す。
その少し後ろから、笑いをかみ殺しながらヨシュアがついてくる。
スッキリした気持ちで扉をくぐり、閉まるのと同時にぱちんとヨシュアと手を合わせた。
「いえーい」
「お見事」
「ようやくあいつに関わる時間を削ることが出来るわね」
「いやホントしんどそうだったもんねお嬢」
「退屈この上なかったわ」
「あいつとの会話中いっつも頭の中で金勘定してたでしょ」
「バレてた?」
舌を出し肩を竦める。
おどけた仕草を見て、ヨシュアが楽しそうに声を上げて笑った。