三言目
「お前の魂が――――」
「欲しいっていうんだろう? ねぇ?」
そう祖母は微笑み彼を見つめました。
わたしの毎日の日課は祖母の雑貨店の手伝いをすることでした。
学校の終わりの鐘が鳴るのと同時にわたしは祖母のやっているアンティーク店へと向かいます。
商店街を抜けた先の、少し古い匂いのする住宅街の奥にそれはあります。
わたしはウィンドウをから店内を眺めて祖母がいるか探すのですが、店内は薄暗い上にガラスが古く、中がよくわかりません。
電気を灯してくれれば分かりやすいのだけど、祖母のような古い人は電気を点けること好みません。電気の光よりも太陽の明かりを好むのです。
ガラスのはめ込まれた木製の戸を引き、私は中を伺いました。扉の内側に打ち付けられたベルがちりんと鳴ります。
「おばあちゃん、いる?」
「ああ、ここに座っておるよ」
祖母は店内の奥でアンティークのイスに腰をかけ、私に微笑みました。
「おやまあ、珍しいお客さんだ」
「おばあちゃん、孫の私の顔を忘れたの?」
「いいや、そうじゃないさ。後ろのそいつに私はいってるんだよ」
何を言っているんだろうと私は首を傾げます。しかし、祖母は私の背後に目を向けて微笑んでいました。
振り向くとそこには全身黒づくめの男が立っていました。
「わあ! ……ごめんなさい、あのわたし気がつかなくて」
祖母は魔女のような鉤鼻を擦り、笑いました。それは祖母が心から面白いと思った時の癖だと私は知っていました。
「ふふふ、そいつは客であって客じゃないよ。気にしなくていい」
男は帽子を取りわたしに目を向けました。わたしはその男の瞳がガラス細工のようにグリーンなことに驚きました。
外国の人でしょうか?
「この小さいのは何だ?」
「何ってそりゃあ、私の孫に決まってるだろうよ。それよりもアンタは挨拶もなしかい?」
「そうだな……久しぶりだ」
「久しぶりだぁ? ははっそりゃあ確かに随分と久しぶりだねぇ」
祖母は鼻を擦り笑います。男は店に飾られたカップを手に取り眺めました。
「何一つ変わってない。お前も俺もこの店も」
「アンタの目は節穴かい? 私はご覧の通り、もうしわくちゃのお婆さん。アイツはこの前おっちんじまったよ」
祖母はそういうと店内に飾られた白黒の写真に目を走らせました。祖母と祖父が若い時に撮った写真だというのを私は思い出しました。
男は静かにカップをテーブルに戻すと静かにいいました。
「そうか、アレから随分と時間が立ったんだな」
「そういや、アンタは遂に私の結婚式に来てくれなかったね。まあ、でもじいさんの葬式の時、雨が降ってたから近くにはいたんだろ?」
「…………」
男は何もいいませんでした。祖母は微笑みながら陶器のカップに熱いお茶を注ぎました。
わたしは湯気が上がるのを眺めて、一体いつのまにお湯を入れたのだろうと不思議に思いました。いつだって祖母は不思議なのです。
手の平に火を浮かべたり、紙で作った生き物を動かしたりと祖母は本当に不思議なのです。
祖母は鼻の前で紅茶のカップを回し、香りを楽しみます。
「……まあ、アンタが来たってことはそう遠くないと思ってもいいのかねぇ」
「その為に俺は来た。命のともし火が消える前に」
「私の願いを叶えようってことかい?」
彼は何も語りません。
「私の答えは分かってるだろ? 泣き虫さん」
『そんなもので叶った願いなんて、偽者。自分で叶えなきゃ意味ないわ』
悪魔は声色をまるで少女のように変えて言いました。お婆さんは目を細めて頬を緩ませます。
「そう……そうさ。しょせんはそれで叶えられた願いは夢なのさ」
「ならば夢を見ればいい。夏の生い茂る雄大な樹木を見ればいい。秋の燃え盛る雄大な紅葉を見ればいい。冬の敷き詰められた金色の絨毯を眺めればいい。春の小鳥のさえずりや川のせせらぎをまた聞けばいい」
「今じゃ川もなけりゃ小鳥もいやしないよ。馬車は消え、車が走り。火は電気の灯りに変わった。アンタはそんなことも忘れたのかい?」
「ならば作ればいい」
「作ったものなんて所詮は見せかけさ」
「…………ああ、そうだ。そうだな。それこそが美しいお前なのかもしれない」
悪魔は帽子を目深に被りました。そしてお婆さんの後ろにいる私を見つめました。
私はどきりとして身をちぢ込ませます。
「お前はあの男と同じ目をしている。綺麗な魂だ。いつか、遠いいつの日か、お前の魂をもらいに訪れよう」
何か宣告にも似た言葉を前にわたしは返す言葉が見つかりませんでした。
「……おや、もう行くのかい?」
祖母は目を閉じて紅茶を口にしました。男は身を翻し、ノブに手をかけていました。
「ああ」
「せっかく入れたお茶は飲まないのかい?」
「俺がダージリンは嫌いだと知っているだろう」
「だからよ」
お婆さんは嬉しそうに楽しそうに微笑みました。その顔はまるで十代の少女のようです。
「さようなら」
こつりと悪魔の革靴の音が鳴りました。
「ああ、さようなら」
お婆さんはもう一度目を瞑り、紅茶の香りを楽しみます。
悪魔はこちらを振り向かず、ゆっくりと扉を開きました。
外の眩い光にわたしは目がくらみました。気がつけばどこにも男はいませんでした。
不思議とベルは鳴りませんでした。
「たまにベルが鳴らないけどなんでだろう」
「ベルってのは人がきた時、人が出た時しかならないものさ」
わたしには祖母の言っている言葉の意味が分かりませんでした。
「ふふ、しかし変わんないねぇ」
そうなの?
「……そうさ。それよりもここ一週間は雨が降るから傘をしっかり持つんだよ?」
お婆さん、何でそんなことがわかるの?
「なんでってそりゃぁ…………あの人、泣き虫だから」